いつもこのブログにも書いているが、中学生の長男と小学生の二男は二人とも野球が大好きで長男は学校の野球部で、二男はかつて長男も所属した地元の少年野球チームでプレーしている。二人とも物心つく前から野球が大好きな私のもとでメジャーを中心に野球観戦に行き、野球グッズが溢れる家庭で育ったので、当然のようにメジャーが、野球が大好きである。毎日BSで「MLB(メジャー・リーグ・ベースボール)ハイライト」という番組を欠かさず観ている長男は、最近では私よりメジャーの選手に詳しい。二男も私が買って帰るSLUGGERというメジャーの雑誌を私より先に熱心に読んでいる。息子たちと趣味が共通しているというのは、本当に幸せなことだと思う。二人には野球をやることを強制したことはないが、二人とも自然に野球を始めていた。きょうのミヤネ屋の中で、劇的な優勝を果たしたゴルフの石川遼の話題を取り上げた。その中で司会者から「春川さんも息子さんに野球を厳しく教えているんですよね」と話を振られたが、気がつけば自分でも思ってもみなかったコメントをしていた。「(石川遼のお父さんと違って)自分の息子には厳しく教えられない。厳しくするとサッカーとか他のスポーツに行ってしまうのを心配する」と答えたのだ。確かにそれほど厳しくは指導していないが、サッカーに転向するなんて考えたこともない。では、なぜそんなコメントをしたのだろうか。父親が野球をやっていたからといって、息子が必ずしも野球をするとは限らない。私の知り合いでも、野球をやっていた人の息子たちが野球をやっていないケースはよくある。そういう話を聞いて、自分は息子たちが野球をやっていて嬉しいなと思うが、そういう思いがあって今日のコメントになったのかもしれない。番組では「小学生や中学生の時は野球をやっている子供は誰でも将来はプロ野球選手になれると思っている」ともコメントしたが、これは事実である。私もそう思っていた。うちの子に至っては、二人とも(妻も含めて三人とも)将来はメジャーリーガーになるつもりだ。息子たちがメジャーリーガーになって、妻と二人でネット裏の選手の家族席で試合を観戦する日が来たらどんなに幸せだろうか。イチローや石川遼のお父さんのようには出来ないが、もっと子供のプレーする環境を整えてやりたい。夢に向かって走り続けるのを応援したい。
自分もテレビ報道に携わっているが、メディア、特にテレビは冷静な対応を求められているのではないか。このところ日に日に活発になってきた知事や市長といった地方の首長の動きだ。宮崎県の東国原知事が、自民党からの衆院選への出馬要請を受けて、自民党総裁候補にすることと、全国知事会の地方分権のマニフェストを自民党が丸呑みすることを出馬の条件にした。大阪府の橋下知事と横浜市の中田市長らは自治体の首長による政治グループを作り全国の首長に参加を呼びかけている。しかし、橋下知事が、地方分権に関する政策の優劣で自民か民主か、選挙前に支持政党を明確にすることを前面に打ち出していることで、多くの首長が積極的な参加を躊躇っている状況だ。国のあり方を大きく変える地方分権に関して、一方の当事者である知事や市町村長が団結して自分たちのメッセージを発信することは大きな意味があると思う。しかしながら、地方から完全なる地方分権を実現するために、既成政党に対して踏み絵を踏ますというやり方では多くの賛同者を得るのは難しいのではないか。それぞれの首長は、それぞれに地元の地方議会と向き合っており、支持政党をはっきりと表明すれば日々の行政を進める上でも、自らの次回の選挙にも大きな影響が出るだろう。態度表明に慎重になる首長の考えは理解できる。また、次回の衆院選は地方分権選挙だという考え方にも同調できない。地方分権は衆院選の争点の一つではあるが、選挙では社会保障も、雇用も、財政も、安全保障も、教育も重要な争点だ。テレビが連日、東国原知事や橋下知事の動きばかりを大々的に取り上げることを見ていると、4年前の衆院選で、刺客を放つ小泉劇場によって郵政民営化が唯一の争点になりイメージ選挙になったことを思い出さざるを得ない。国民的人気があるとはいえ、まだ一期も勤めていない知事が一国のリーダーになることを条件にして国政に転進し、この国を変えることができるのだろうか。一時は出馬の条件に反発したものの、知事人気を自分たちの選挙に利用しようとの考えが透けて見える国会議員も情けない。各党がマニフェストで各分野の政策を明確に打ち出し、衆院選に向けて国民の前でじっくりと政策論争をする。志を持った首長たちは、地方分権という視点から各党の政策を評価する。そうしたことを参考にして国民一人一人が必ず選挙に行って、自分の考えで貴重な一票を投じてこの国のあり方、行く末を自分たちの手で決める。そんな選挙であってほしい。
学生時代にずっとスポーツをやっていたので、体力だけには自信があるのがいけないのかも知れない。疲れてきたなと思っても、少し休みをとったり睡眠をとったりすればすぐ元気になると今でも信じている。しかし、今回は少しまずいかなと自分自身、少しばかり心配になっている。この8年間、ずっと体を診てもらっている指圧の先生から、間隔を詰めて集中的に治療しなければたいへんなことになるかも知れないと言われた。最近では月に一度の頻度で体を診てもらっていたが、来週から毎週来るように言われたのだ。しかも、夜の治療をやっていない先生が、番組終わりで遅くなってもいいから治療に来るようにと言ってくれた。治療院に泊り込んで集中的に治療するかとまで言われた。思えば、この指圧の先生に初めてお世話になったのは8年ほど前だ。妻の友人が、私の顔色が土色だと心配してくれて指圧の先生を紹介してくれたのだ。この先生の治療を初めて受けた時、体を少し触られただけで飛び上がるほど痛かった。首も肩も腰も脚も、全身の筋と筋肉が緊張している過敏症で、このまま放っておけば、そのうち頭の血管が切れてたいへんなことになると言われ、毎週通って指圧治療を受けた。その頃は、毎週末に徹夜する番組を担当していて知らない間に心身ともに疲れ切っていたようだ。それから元気になってからも、月に一度ぐらいの割合でずっと指圧をしてもらっている。今の体の状態は、初めて治療を受けた頃と同じぐらい深刻だということだ。最近知り合いからよく言われることだが、指圧の先生もテレビに映る私の顔を観て相当しんどそうだと思ったようだ。40代も後半になってきて、急速な体力の衰えを実感している。筋力強化の運動を始めなければと思いつつ、なかなか始める余裕がない。毎週末にはフラフラになっていて、息子の野球チームのコーチをやる体力も残っていないので、ますますストレスが溜まる一方だ。本格的な治療と充分な休息が必要なようだ。ここで倒れる訳にはいかない。
いま何かと話題のかんぽの宿に泊まった。料金が安くて近くて便利で、そのうえ温泉もあるということで母が親戚たちと時々泊まりに行っている。今回も叔父、叔母と一緒に一泊でかんぽの宿に行くことになり、私も二男を連れて合流したのだ。週末ということもあって、館内はたいへんな賑わいだった。場所柄、山登りの後などに温泉にだけ入りに来る人も多く、大浴場も混んでいた。何年か前に館内を改装したようで、部屋の中もとても綺麗だ。この日は5人で一部屋だったので、6畳ほどの和室にシングルベッドが2つ置かれた洋室が続いているという広い部屋だった。部屋には最新型の大型の薄型テレビも設置されている。宿泊客は年配の夫婦や小さい子供を連れたファイミリーが多い。かんぽの宿に泊まって最も印象に残るのは、従業員がみなさんとても親切だということだ。同じ温泉地の民間の旅館と比べても、従業員の応対を含めたサービスは負けていない。いや、利用者の立場にたった親切さ、身近さではかんぽの宿のほうがいいかも知れない。夜の食事もなかなか豪勢だ。選択したコースによって料理のグレードも選べるようだが、次から次とお料理が出てきて、年配の方では全部食べきれないほどのボリュームだ。味もとても美味しい。一流旅館の夕食と比べても、負けないほどの満足感だ。朝食の和洋食のバイキングもなかなか充実している。これで、一般の旅館に比べて格安の料金で泊まれるのだから、週末を中心に宿泊客で賑わうはずである。かんぽの宿の売却問題では、用地取得費も含めて2400億円もかけた全国79箇所の施設を一括で109億円で売却するのはけしからんと鳩山前大臣がストップをかけたが、実際に宿泊してみてお得感があるので、その気持ちも分かるような気がする。いずれにしても、低料金で良質なサービスを提供するかんぽの宿を、利用者サイドの視点も考慮してしっかりとした形で民間に引き継いで欲しいと感じた。
09年6月26日(金)「#726 マイケル・ジャクソン」
あれはたしか今から20年以上前の今はなき西宮球場。マイケル・ジャクソンのコンサートを観に行った。いや~すごかった。世界的なスーパースターのステージだけに、その存在感と歌唱力、ダンスに圧倒された。MTV(アメリカの音楽専門テレビ局)でしか観たことがなかったムーンウォークを実際にこの目で観た時は本当に興奮した。大物外国人タレントの来日コンサートを観に行くことはあまりなかったが、マイケル・ジャクソンの時は迷うことなくチケットを手に入れた。けさ、そのマイケル・ジャクソンが倒れたというニュース速報が入ってきた。そして、しばらくして死亡が確認された。その瞬間エ~ッとは思ったが、それほど驚きはなかった。死因はまだはっきりしないが、来月予定されていたロンドンでの復活コンサートを前に、肉体的にも精神的にも追い込まれていたのではないのだろうか。不謹慎かもしれないが、亡くなったというニュースを聞いて、これでマイケル・ジャクソンも"伝説(レジェンド)"になったと思った。50歳という若さで亡くなったことで、マリリン・モンロー(享年36歳)、エルビス・プレスリー(享年42歳)と並んでアメリカ人の心の中に永遠に生き続けるヒーローになったのではないか。亡くなってから何十年も経っても、その墓前にお花が絶えないような状況になるだろう。アメリカ人は本当に若くして亡くなったヒーロー、ヒロインが大好きだ。モンローもそうだったように、マイケル・ジャクソンをめぐっても爆発的な人気の裏には、様々な陰の側面もあった。しかし、そういった弱いところ、負の部分も含めて伝説になっていくのだ。ロサンゼルスは悲しみに包まれていることだろう。
最近、大学で教壇に立たせていただく機会が増えてきた。もともと学生や生徒さん相手に話をするのは結構好きなのだが、最近は本当に楽しくなってきた。学生の前で話すために自分の今までの仕事について振り返り、その時々の思いや考えなどについても見つめなおすので、自分自身もとても勉強になるのだ。講義で話す内容は、その時に求められているテーマについて色々と変えるのだが、編集マン、記者、特派員、プロデューサー、報道部長、解説委員と様々な報道の仕事を経験させてもらっているので、話す内容には事欠かない。時には特派員や解説委員として出演した放送をDVDで学生に見てもらうこともある。特派員をやっていたのはもう8年も前なので、映像が古くなり最近はあまり見せることも少なくなったが、学生はやはり特派員時代の映像に興味があるようだ。アメリカや中南米各地を飛び回って各地からリポートや中継をしているDVDを見せながら、特派員という仕事が、いかにやりがいがあり楽しいかを話すので、学生たちが興味を示すのも当たり前かもしれない。もともと教えることが好きなのだろう。大学時代に中学と高校の社会と職業指導の教員免許を取得した。教育実習は楽しかった。母校の当時の先生方からは、教師に向いているとおだてられ、自分でも向いているかもと感じたことを覚えている。社会に出て仕事が面白くなければ、どこか地方へでも行って高校の先生をやりながら野球部の監督でもやろうかと考えていた。テレビの仕事が楽しいので高校の先生になることはなかったが、大学の教壇に立ってジャーナリストとしての自分の経験を学生に伝える機会を与えてもらえるとは思ってもいなかった。大学での講義の際にはできるだけ学生からの質問も受け付け、学生と一緒にテレビとジャーナリズムなどについて意見交換することにしている。学生に教えながら、学生からパワーを貰っている。
テレポリティクス。テレビとポリティクス(政治)を掛け合わせた造語で、テレビを意識した政治、テレビが政治に影響を与える現象という意味である。テレポリティクスという言葉で真っ先に思い浮かぶのが小泉元首相である。「ぶら下がり」と言われる首相番の記者による囲み取材で、政治に限らず社会問題についても短く一言(「サウンドバイト」と言われる)で的確にコメントし、テレビが頻繁に取り上げることで小泉首相の考えや思いが国民に伝わった。「改革なくして成長なし」や「自民党をぶっ壊す」などのフレーズは今でも耳に残っている。テレポリティクスについては、政治を身近なものにしたとして評価する声がある一方で、イメージだけで世論が作られ物事の本質が議論されないという批判もある。"刺客"が注目され結果的に郵政民営化だけが争点となった05年の衆院選で自民党が大勝したことについてはテレビ報道の影響が指摘されている。そのテレビと政治を考える上で象徴的な出来事がまた起きた。きのう自民党の古賀選挙対策委員長から衆院選への出馬要請を受けた宮崎県の東国原知事が、出馬を受ける条件として、自民党総裁選の候補者にすることを求めたというニュースだ。昨日の夕方から今日にかけてテレビのニュース番組、情報番組の多くがトップニュースとして伝えた。東国原知事がテレビカメラの前ではっきりと思いを述べ、多くの自民党議員が不快感を示すという構図はきわめてテレビ的なニュースだ。国民的人気の高い知事だけに、視聴者の食いつきもいいと考えるのは当然だ。これに対し、今朝の新聞各紙はテレビに比べて控えめな扱いだ。一面で報じたのは、朝日と産経のみ。しかし両紙とも小さな記事だ。朝日の政治面には背景を分析する記事もある。これに対して読売は、政治面では二段の小さな囲み記事だけで、社会面で少し詳しく報じた。真っ当な政治ニュースではなく、どちらかというと社会事象という取り扱いにも見える。毎日は二面の総合面の左で大きな扱いだが政治面には記事はなかった。産経は一面下の「きょうの紙面」という目次で写真を載せ、二面の総合面に詳しい記事があるが、政治面には記事はない。日経は二面の総合・政治面で写真入の囲み記事という扱いだけだった。各紙とも政治面での扱いはとても小さいというところに、新聞の政治部のこのニュースに関する見方が垣間見えるようで興味深い。大阪府の橋下知事もそうだが、東国原知事もテレビを強く意識した発言や行動が目立っている。衆院選を前にして、2人の知事の動向には今後も注目が集まるだろう。
今日も「ミヤネ屋」と「ten」のダブルヘッターだった。ミヤネ屋では珍しくニュースが盛りだくさん。日本郵政の社長人事問題と麻生内閣に始まり、足利事件の再審決定、セブンーイレブンへの公正取引委員会の排除措置命令、イラン大統領選挙後の混乱とどれもコメントが難しいニュースが続く。会社に着いて資料を読んで、各局のニュースを観てといつも以上に大忙しだ。コメントをするにあたって、それぞれのニュースについての基礎知識や背景事情などを確認して頭に入れておかなければならないので結構たいへんなのだ。イラン問題など、人名をスラスラ言えるようにするだけでも苦労する。コンビニの売れ残ったおにぎりや弁当の値下げ問題と廃棄については「24時間開いていて、夜中でもおにぎりやサンドイッチが店内にずらりと並んでいる事を期待している消費者の意識も問われているのではないか」とコメントした。再審については、「再審を求める裁判で、裁判所は菅家さんが求めたにもかかわらず冤罪が起きた原因を究明することなしに再審開始を決めた。その理由は時間がないということだったが、17年半も冤罪の被害者を刑務所に入れておきながらなぜ数ヶ月かけて冤罪の原因を審理できないのか。裁判所は冤罪の原因を明らかにして今後に生かすべきだ」と自分の考えを述べた。今日はいつもに比べて少しコメントに力が入りすぎか。2時間の放送を終えて、すぐにtenの打ち合わせ。つづく2時間のtenの放送の中でも今日は言葉が走った。宮崎県の東国原知事が自民党の古賀選挙対策委員長から衆院選への出馬を要請されたというニュースについて「出馬するとしたらガッカリする。国政に出るために知事になったのかと思ってしまう」とコメント。さらに番組後半で、東国原知事が出馬要請した古賀氏に対して、自分を自民党の次期総裁にすることを求めたというニュースが流れると、「どこまで本気で言っているかは分からないが、自民党もなめられたものだ」と感想を述べた。今日の2つの番組でのコメントについては、いずれも自分の考えを素直に述べたものだが、少し言い過ぎたかなという思いも少々ある。まさに言いたい放題だった。少し"上から目線"だったかも知れない。思い切った意見を歯切れ良く言った方がコメンテーターとしてはいいのかも知れないが、解説委員としての言い方というものがあるということも分かっている。果たして視聴者の方々はどの様に私のコメントを聴いたのだろうか。
アメリカンと書かれたビニール袋の中には大好きなアメリカン・グッズのイラストが描かれた包み紙が入っていた。「はい、お父さん」と娘に手渡された袋には私の好きそうなものが入っているようだ。包み紙を開けると、真ん中に車のイラストがある紺色のゴム製のコースターが入っていた。さすがに我が娘だけあって、父親の好みがよく分かっている。映画「アメリカン・グラフィティー」に出て来るようなテイストのコースターだ。包み紙も店のビニール袋もとてもかわいい。「ありがとう」と思いっきりハグをしてほっぺたにチューしてあげたかったが、さすがに言葉だけにした。そう、娘は父の日をしっかりと覚えていたのだ。何日か前に子供たちに父の日のプレゼントを期待していると言ったのが良かったかな。ひょっとしたら小学生の二男が何かプレゼントをくれるかなと思っていたが、実際に用意してくれたのは娘だけだった。「ありがとう」と言った時の娘の反応がまた可愛かった。「うん」と目も合わさずに軽くうなずいただけだった。父親にプレゼントしたことが照れくさいようだった。さっそく夕食の際に、自分の前に自慢のコースターを置いて、その上に冷たいお茶が入ったコップをのっけた。いつもよりお茶の味も美味しく感じた。長男にコースターを自慢しながら「プレゼントは?」と聞いたら、「忘れてた」の一言。本当に忘れていたのだろう。二男は、しまったという顔をして妻と何やらヒソヒソ話をしている。いまから何かプレゼントを用意しようとしているのか。あまりに嬉しかったので、娘にもう一度「ありがとう」と言った。そうだ、会社にも持って行こうと思い、きょう会社に着くなり同僚に娘から貰ったコースターだと自慢した。会社にコップはないので、お茶のパックをその上に置いた。少ない小遣いから工面してわざわざ買いに行ったのだろう。コースターを見る度に胸がキュンとなる。娘にプレゼントを貰ってこんなに嬉しいとは思わなかった。ありがとう。
前から気になっていることがある。「もうけ~もうけ、もうけ~」という掛け声。二男がメンバーである地元の軟式少年野球のチームが、他の地区のチームと試合をしている時、いくつかの相手チームのベンチからこの掛け声を聞くことが多い。息子のチームのピッチャーが四球を出したり、野手がエラーをしたりした時に、相手チームの選手たちがみんなで声を揃えて大声で「もうけ~」と声を掛けるのだ。戦っている相手のチームのエラーや四球に対して、選手個人で「もうけた、もうけた」と声を出すことはあっても、選手全員で揃えて声を掛けるのは相手チームのミスを喜ぶようで、聞いていていい気持ちがしない。私が監督やコーチで、自分のチームの選手たちがそんな掛け声をかけたら止めさせるだろう。それ以外にも、自分のチームの選手がミスをしたら感情丸出しで怒鳴りつける監督やコーチが多い。そんな監督やコーチに限って、小学生に初回から送りバントや、勝負どころでないケースでスクイズなどのサインを連発する。スポーツだからもちろん勝つことも大事であるが、小学生なのだから、まずは野球の楽しさ、チーム・スポーツの面白さを教えてあげることが一番だと思う。試合中に選手を叱り飛ばす監督やコーチを見るたびに、相手チームのことながら、出て行って注意したくなる衝動にかられる。もちろん、そんな事はしないが。小学生といえども、1人1人にとっては試合に出ることが、打席に立つことが、守備につくことが、とても意味のあることなのだ。成功しても失敗しても1つ1つのプレーから何かを学んでいくものだ。大人たちの満足感を満たすために子供たちはプレーしているのではない。あくまでも主役は子供たちなのだ。そういう意味では、小さい時にどんな素晴らしい指導者に出会うかは子供たちにとっては、もの凄く重要なことなのだが、肝心の指導者側にその自覚がどこまであるのだろうか。体調が優れず今日も試合を観に行っただけで、子供の少年野球のコーチをサボった私が言っても説得力がないかも知れないが。とにかく、スポーツは楽しくやろうね。
私も出演している読売テレビの夕方ニュース情報番組「ten」の中に視聴者の声を聴く「tenの声」というコーナーがある。その日のテーマに合わせて視聴者から意見を募集したり、メールで写真や動画を送ってもらったりする人気コーナーだ。視聴者との双方向コミュニケーションを目指すという意味で、これまでのニュース番組にあまりなかった試みだ。私がまだ報道部長だった頃、新しいニュース番組の企画書を書いた際に、同じ様な視聴者とやりとりするコーナーを提案したのだが、ようやく実現して個人的にも嬉しい。ところで、「てんの声」と言えば、注目の裁判で検察によって「天の声」の存在が明らかにされた。西松建設による民主党小沢前代表側への違法献金事件の裁判だ。逮捕された西松建設の前社長は初公判で起訴事実を認めたが、検察は冒頭陳述や論告などの中で、東北地方での公共事業の発注に関して小沢前代表サイドが、どの企業が受注するかの天の声を出していたと主張したのだ。この事件で小沢前代表の公設秘書が逮捕されたことに関して、形式犯で金額も大きくないのに逮捕はやり過ぎだと批判する声も上がった。同じ様な献金などが問題とされた自民党議員側などへの捜査が進まないこともあって、検察に小沢前代表サイドへの強制捜査に関する説明を求める声も聞かれた。その声に答える意向もあったのか、検察は公判で事件の悪質性を立証するためにも小沢サイドの天の声について明らかにしたのだろう。逮捕された公設秘書も西松からの献金だと知っていたとの秘書の供述内容も公判で明らかにされた。これに対しては、秘書の公判が分離されていることから、秘書が反論できない公判で検察が一方的に起訴事実にはない談合の実態など事件の構図を述べたことについて批判する声もある。冒頭陳述や論告というのは、検察側が立証しようとする主張であり、現時点では事実として認定された訳ではない。次期衆院選への影響を懸念して公設秘書の公判は選挙後になると見られているが、小沢前代表には、公判とは別に検察側の主張に対して事情を説明する政治的責任があるだろう。
11時間眠り続けた。昨夜、自宅に戻ったのは夜8時半ごろ。7時まで番組の生放送があるので、番組が終わってメイクを落として後片付けしてすぐに会社を出ても自宅に着くのは8時半ごろである。帰ったらお腹が空いているのですぐに夕食を食べるのだが、昨夜は珍しく食欲がなかった。妻が肉の炒め物を作ってくれようとしていたが、油ものを食べる元気がなかったので卵かけご飯に納豆だけで夕食をすましすぐにベッドに入った。体調が良くなくても食欲だけはあるのだが、昨夜は食べる気になれなかった。とにかく体が睡眠を求めている。いつもは寝つきが悪いのだが、9時ごろに眠りについて朝方まで起きなかった、というより起きられなかった。体の疲れ具合は相当なものがあるようだ。心のストレスも相当溜まっている。今朝はいつもの時間に起きることができず、息子たちとの朝のティーバッティングもさぼった。もちろん愛犬ベルとのお散歩もなし。ベルもストレスが溜まっているようで心配だが、今は自分の体調のほうが気にかかる。きのう番組に出ているときのことだ。他の出演者が喋っている際に画面に映し出された自分の顔を見て驚いた。なんと疲れた顔をしているのだろう。肩がひどくこっているからか、顔全体が傾いている。テレビを観た人から、最近疲れているねとよく言われる。画面に疲れが出ているようでは、テレビのプロとしては失格かもしれない。生放送に臨む際には、自分自身元気にやろうと内心で気合を入れているつもりだが、画面上の表情に心身の状態が出てしまっているようだ。先日、東京へ行った際に、なぜかホッとしている自分に気づいた。東京に住んでいる際には感じたことのない思いだ。たまに東京へ来て色々な情報を吸収できることが何よりも今の自分には必要なのだと分かったような気がした。ゆっくり睡眠をとって体調を整えいつもの前向きな自分に戻りたい。
15歳未満からの臓器移植も認めるA案が通るのではないかとは思っていたが、予想以上の票差で臓器移植法の改正案のうちA案が衆議院で可決され参議院に送られた。もっと僅差になるか、A案賛成が過半数に至らずにD案が可決されるかと思っていただけに少々意外だった。それだけ、15歳未満の臓器移植が禁止され海外に臓器を求めて渡らざるを得ない状況が異常であるという思いが国会議員の間にも広がっているのだろう。今回の改正案を巡っては15歳という年齢に注目が集まりがちだが、臓器移植が必要な患者の9割は成人である。現行法では「移植に関してのみ脳死は人の死」となっている点を、一律に「脳死は人の死」と改める点も大きなポイントである。脳死を人の死とすることに関しては個人の死生観、倫理観に関わることなので共産党を除く各党は採決にあたり党議拘束を外した。妥当な判断だろう。A案に対して自民党では麻生首相は反対、細田幹事長は賛成、民主党では鳩山代表は反対、岡田幹事長は賛成と、同じ党でも意見が分かれた。それだけ個人の考えが違う難しい問題ではある。脳死についての国民的合意が出来ておらず改正は時期尚早という声もあるが、日本テレビの世論調査によると、脳死を人の死と認める人は53%、年齢制限せずに臓器移植を認めるべきだとする人は49%に達している。充分な議論を期待したいという声も聞こえるが、現在の脳死からの臓器移植を認める法律ができたのは97年で、何度も改正が叫ばれながらたなざらしにされ先送りされてきた。どこまで議論すれば充分だというのだろうか。衆議院で可決されても参議院ではすぐに審議に入らないという。麻生首相が衆議院を解散すれば慣例により廃案となる。参議院は一刻も早く審議に入り採決すべきだ。それが政治の責任だろう。
今日は他の話題について書こうと思っていたが、やはり書かずにはいられない。国会で行われた麻生首相と鳩山代表による2回目の党首討論だ。今日は朝から東京へ行って勉強会に出席したが、残念ながら生で党首討論を観ることはできずたいへん残念だった。夕方から兵庫で大学の講義があったため大急ぎで戻ったのだ。せっかく東京にいたのに。講義を終えて録画しておいた党首討論を自宅で観た。今日は両党の申し合わせにより野次もほとんどなかったが、やはりテレビだと両党首の話がクリアに聞けて分かりやすい。しかし、現場の独特の雰囲気、空気感を実感できないのが残念ではある。党首討論を観た感想は、どっちが総理だろうかということである。腹の据わり方も、口調も、話した内容も鳩山代表の方が一国のリーダーのようだった。これに対し麻生首相は防戦一方という感じで、得意の攻めにも切れ味がなかった。財源論や安全保障論といった民主党の弱みを突きたい気持ちは分かるが、最後に時間が無くなって唐突に日米関係にからむ第七艦隊の話を出したのには驚いた。最後の最後で討論の劣勢を自ら認めたようなものだ。こういう土壇場に追い込まれると、その人の本当の姿が出るのだろうか。麻生首相の話からは、相変わらずこの国をどうしたいのかはよく分からなかったが、鳩山代表の目指す社会というものはよく分かった。コンクリート(による箱物)よりも人の命を大切にする社会。持論である友愛に基づく"心の社会"である。抽象的で甘いのではないかという批判もあるが、今日の党首討論に限っては説得力があったような気がする。アニメの殿堂よりも母子家庭への生活保護の充実という話は分かりやすかった。麻生首相は相手の出方を伺って、鳩山代表の質問を聞きながら、それに答えるための手元資料を探しているという風に見えたのもよくなかった。最後に両党首とも言っていたが、次回は安全保障や財源について具体的な話をじっくり聞きたい。今日の党首討論は私には鳩山代表の完勝と見えたが、明日の新聞各紙朝刊の論評が楽しみである。
生放送での司会者からの問いかけ。台本があって予定通りの質問が来て、予定通りの答えをしているのですかとよく言われるが、ほとんどの場合、事前の打ち合わせはない。番組全体の台本や、1つ1つのニュースに関する原稿はあるが、生放送では事前の予定通り進むことは少ないので展開に沿って質問内容も変わるのだ。生放送に出始めた頃は、いわば瞬発力で反射的に答えていたが、最近では少し余裕が出てきたのか、司会者の質問を聞きながらよりよい答えを考える(と言っても時間にしては一瞬のことだが)ようになってきた。これがまた難しい。その瞬間、頭のCPU(コンピュータの中央演算処理装置)は高速で回っているが、そもそも性能がたいしたことないので、考えてもよりよい答えが出てくるとは限らない。しかし、少し余裕が出てきたことで、もっといい答えをと考える結果、口籠ってしまったりする。コメントの内容に意識が行き過ぎて、簡単な単語がすぐに出てこないということもある。一緒に出演させていただいている専門家やタレントの皆さんの頭の回転の速さには毎回感心している。コメントといえば、このコラムもブログになってから読者の方々からコメントを寄せていただけるようになった。このコメントがとても嬉しい。毎日書き続けている私にとって、たいへん励みになる。毎日書き始めた頃は、会社の同僚や友人らが、「読んでるよ」とよく声をかけてくれたが、最近では毎日書いていることが当たり前になったのか、身近な反応も減ってきた。それだけに、読んでいただいている方々からの反応は有難いのだ。いつもお読みいただきありがとうございます。
障害者割引郵便を巡る不正事件は、ついに厚生労働省の現職局長の逮捕にまで至った。大阪地検の特捜部が捜査しているだけに、事件は広がりを見せるだろうとは思っていたが、厚生労働省の組織ぐるみの犯行という可能性も出てきた。実態のない障害者団体に対して割引郵便制度を適用させるために厚生労働省の公文書を偽造した疑いで局長は逮捕されたが、その団体についても文書偽造についても全く関与していないと、局長は容疑を全面的に否認しているという。しかしながら、その局長に文書の作成を指示されたと、既に逮捕されている厚生労働省の係長は供述しているし、同じく逮捕されている自称障害者団体の元会長も局長から文書を受け取ったと特捜部の調べに対し語っているという。この供述の全くの違いは不自然である。逮捕された局長は、同期の中でも早くに局長に昇進した省内のエースと目されたキャリアで、将来は事務次官にもと言われるほど仕事もでき人望もある人物ということだ。省内の女性職員の目標とされるほどの優秀な女性キャリア官僚である。今のところ厚生労働省内の事件については金銭の授受についての話もなく、職員が犯行に至った動機が分からないという声もあった。しかし、やはりというか予想通りというか、政治家の影がチラホラしてきた。問題の団体の元会長が国会議員の秘書だったこともあり、その国会議員が局長の当時の上司に対して自称障害者団体がうまくいくように要請していたのではないかという話が出てきた。政治家から依頼されたいわゆる政治案件だったので、省ぐるみで不正を働いたのではないかという構図だ。刑事責任を立証するのは簡単ではないだろうが、特捜部が捜査しているのだから国会議員の関与についてもきっちり捜査してほしい。それでこそ特捜部である。
子供達に「法事って何?」と聞かれた。「お爺ちゃんが亡くなって何年か経った時に、親戚みんなで集まってお爺ちゃんのことを思い出すの」と答えた。私も妻も母親は健在だが、父親は両方とも既に亡くなっている。私の父は震災の年に亡くなったので、お爺ちゃんのことを知っているのは長女だけだ。残念ながら、私の息子達の顔を見ることなく亡くなった。妻の父は早くに亡くなっているので、うちの子供たちは祖父というものをほとんど知らない。子供たちにもお爺ちゃんと話したり遊んだりさせてあげたかった。私達が結婚するだいぶ前に妻の父は亡くなっていたので、私も残念ながら"花嫁の父"に逢うことはできなかった。ドキドキしながら、妻の父親に結婚の申し込みもしてみたかったなと今でも思う。写真でしか知らない妻の父の法事に家族で出席した。妻の実家で法要をした後でみんなでお墓に参った。以前にもこのブログに書いたことがあるが、お墓参りが大好きである。墓参りをすると心が落ち着くのだ。亡くなった父や先祖が自分たちを見守ってくれていることを実感できる。子供たちからは「お父さん、ほんまにお墓参りすきやなあ」と言われる。可能な限り子供たちもお墓参りに連れて行くことにしている。自分たちの先祖に敬意を示し、お墓を大切に守っていくことの重要さを子供たちにも伝えていきたいと思っている。子供たちは久しぶりに会ったいとこと最初は照れくさそうだったが、すぐに打ち解けて楽しそうにしていた。たまには、親戚で集まるのもいいものだ。
愛犬ベルの体調が良くない。先ほども散歩に行ってきたが、散歩の途中でしたウンチには何やら赤いものが混じっていた。血ではない。何か赤いものを食べたようだ。家族の誰もが出掛ける時に、ベルは1人(1匹)で留守番する。今までは私の寝室でじっと寝て留守番していたのだが、部屋換えをして娘の部屋で留守番するようになってから、どうやら部屋の中のものを口にしているようだ。はっきりしたことは分からないが、少し前に夜中に急に戻したり家の廊下でウンチをしたりしたので相当体調が悪いようである。先日は珍しく朝食のドッグフードを食べようとしなかった。具合でも悪いのかなと思いつつ無理やり食べさせたら、案の定散歩中に食べたものを戻したのだ。ウンチをする時も長い時間きばっているのだが、なかなかウンチが出ない。やっと出たと思っても、何やら細長い赤いものが出てきて、ウンチ自体は下痢気味である。まだ何か飲み込んだものが腸かどこかに詰まっているのだろうか。夜中に部屋の中で戻すとたいへんなことになるので、ここのところ寝る時は玄関のドアの内側に繋いでいる。寂しそうに玄関で寝ている日々が続いている。そういえば、最近家の中のゴミ箱をあさっているような形跡もある。特に餌の量を減らしているわけでもないことを考えると、散歩の量が減ってストレスが相当溜まっているのだろう。飼い犬は飼い主に似るとは本当によく言ったものだ。私のストレスが伝染しているのだろう。そう思うと申し訳ない気持ちになる。ストレス解消にはもう少し時間がかかりそうだ。
かんぽの宿の売却問題などを巡って日本郵政の西川社長と対立していた鳩山邦夫総務相がきょう辞任した。午前と午後の二度にわたって麻生首相と会い話をした結果だ。事実上の更迭である。首相になる可能性がほとんどなかった頃から麻生首相を総裁選で支え続けた盟友である。首相も何とか妥協できないかと鳩山大臣を説得したと思われるが、落とし所という言葉が嫌いだと言い切った大臣だ。いくら盟友でも考えを変えることはできなかった。それにしても、何とも嫌な感じの残る辞任劇だ。かんぽの宿の売却に関する不透明さを考えれば、西川社長の責任は大きいし、それを責める鳩山さんの言い分の方がどちらかと言えば国民受けするだろう。しかし、許認可権をたてに頑なに民間会社(完全民営化の途中とはいえ)の社長辞任を求める執拗さは少しやり過ぎではないかと思わせるものがあった。激戦と伝えられる自分の選挙のために頑張っているという見方にも説得力があるほど、連日の発言は激しかった。小泉内閣の象徴でもあった郵政民営化の推進にも直結するだけにニュースは日々大きくなり、麻生首相の指導力のなさが指摘される事態となった。しかし、なぜここまで事がこじれる前に首相として動かないのだろうか。一国の総理がいちいち口を挟む問題ではないと考えていたのだろうか。それにしても、酩酊会見で辞任した中川さんといい、今回の鳩山さんといい、盟友中の盟友と言われる大臣が2人ともこの様な思ってもみなかった原因で辞任に追い込まれるというのはどうしたことなのだろうか。元々政権基盤が弱く、他の派閥出身の盟友に支えられていた麻生政権にとっては大きな打撃である。辞任後に記者に囲まれた鳩山さんは「今回の総理の判断は間違っていると思うが、今後は正しい判断で政治をやってくれると信じている。」とまで言い切った。政治とは何が起きるか分からない恐ろしい世界である。今後、自民党を離党して新党を作り、次期衆院選でキャスティングボードを握る可能性があるかもしれない。何でもありの世界である。
会社の後輩数人と会社近くのお寿司屋さんで久しぶりに御飯を食べた。番組の出演者やスタッフと食事をすることはたまにあるが、報道記者の後輩と一杯やることはご無沙汰だった。みな10年以上、いや15年以上、報道局という取材の最前線で共に働いてきた頼もしい仲間たちだ。報道部長をやっていた当時の可愛い部下でもある。部長という管理職になってからは、部下でもある若い記者達と一緒に飲む機会が減った。もともと会社の同僚と飲むことがあまり好きでない上、今から思えば上司と部下という関係を意識し過ぎていたのかも知れない。今ではそれぞれ海外特派員、番組プロデューサー、ニュースデスクとして報道の最前線で活躍している後輩達だ。今では後輩というよりも、同じ報道現場の仲間という意識が強い。みな10歳ほど年下なので、ついつい若手だという意識で見がちだが、自分の年齢を考えれば分かるとおり、みな組織の中枢を支えるバリバリの中堅だ。そんな後輩達を前に酒を飲みながら、仕事の愚痴を言っている自分に笑ってしまった。彼らもあきれていたことだろう。海外から一時帰国していた後輩には申し訳ないことをした。「そんな愚痴を聞くのも帰国した楽しみです」と言われて、海外に出て成長したなと頼もしく思えた。新しい環境に放り込まれれば、人間誰しも成長するのだろう。自分自身を振り返ると、この2年でどれだけ成長しただろうか。最近、このコラムも愚痴や後ろ向きの発言が多くなったのではと少々心配している。いつも読んでくれている会社の先輩からまた怒られそうだ。私は後輩としては、どんな後輩なのだろうか。
09年6月10日(水)「#710 聴くこと、待つこと」
「聴くこと」と「待つこと」というテーマでお話をさせていただく機会を得た。一緒に出席させていただいたのは宗教家や医師、大学教授といった方々だ。テレビ番組の生放送でコメントするようになって、たいがいの話は突然ふられても何とかなるようになってきたと自分では思っていたが、今回は正直頭を抱えた。「聴くこと」と「待つこと」について自分のこれまでの取材経験を基に何を話そうかと考えたがなかなか思いつかない。すると、フッとあることに気がついた。取材相手から話を「聞く」ことは取材の基本だが、時間をかけて相手の話をじっくりと「聴くこと」や、じっと「待つこと」はメディア、とりわけテレビ報道にとっては最も欠けている点ではないかという思いに至ったのだ。本来なら、待って聴くことも報道の大事な要素なのだが、日々ニュースの放送時間に追われ、毎日毎日目の前の取材に走り回るテレビの取材ではなかなか実現することが難しい。それでもと何とか思い出した取材は、いずれもアメリカの特派員時代のものだった。ロサンゼルスに赴任して少し経ったころ、海外での心臓移植のために幼い男の子が海を渡ってきた。知り合いからその情報を得て病院に通ったのだが、すぐに取材する気にはなれなかった。記者としては甘いのかもしれないが、取材よりも、知らない土地で小さい兄弟を抱えていつ実現するかもしれない移植を不安げに待っている家族の力になってあげたいと思ったのだ。病室や病院の食堂などで話を聞いていくうちに私のことを信頼してくれたのだろう。結果的には取材させてもらえるようになった。その後も何度も病院に通い時間をかけて取材を続け、現状を伝える企画を放送することになったが、残念ながら移植はかなわず放送直前に男の子は亡くなった。子供を失った両親にマイクを向けることは躊躇ったが、最終的には心情を語っていただいた。もう1つの取材は01年にハワイで起きたえひめ丸衝突沈没事故だ。米原子力潜水艦が急浮上して愛媛県の水産高校の練習船に衝突し高校生ら9名が亡くなった。潜水艦側の責任を追及するための米軍の査問会議が続いたが、事故の中心人物である潜水艦のスコット・ワドル艦長に日米の取材陣が接触することはできなかった。そんな折、特派員時代にずっと親しくしていた米NBCテレビのプロデューサーからワドル艦長との食事に誘われた。すぐにでも艦長に直接取材したかったが、ここでも私はすぐに取材を申し込まなかった。彼と食事をしながら、どういう人物なのかをまず知りたかったのだ。話をしている時に、いずれ愛媛を訪れて遺族に謝罪したいとの彼の心の内を聞くことができた。その後も、艦長の弁護士との接触を地道に続けた。それからかなり経ってNBCが艦長に独占インタビューをすることになり、私も日本のメディアとして唯一インタビューすることができた。ホテルの部屋でインタビューを始める前に、艦長から日本語で遺族に謝罪したいと言われ、私が「全ての責任は私にあります。心からお詫びします。」との日本語を教え、艦長はインタビューの冒頭でそのとおり謝罪した。この独占インタビューは査問会議の進行具合との兼ね合いもありすぐには放送されず、テレビで流れたのは私が特派員を終え日本に帰国した後だった。以上が私の取材経験での「聴くこと」、「待つこと」の思い出である。今後も「聴くこと」と「待つこと」を大切にしていきたい。
モチベーション。広辞苑によると「①動機を与えること。動機づけ。誘因。②物事を行う意欲。やる気。」とある。最近では日本語としても少しずつ定着してきた言葉だ。「モチベーション下げてくれるなあ」などと言うことも多い。この場合のモチベーションは上記の②の場合であろう。性格上、あまり後ろ向きなことは口に出さないし、ましてやこのブログにはあまり書きたくないのだが、最近モチベーションを下げられることが多い。相手側は私のモチベーションを下げるつもりなど全くないだろうし、結果的に私のモチベーションを下げていることなど思ってもいないだろう。相手といっても特定の人のことを言っているのではない。システムの問題だ。そのことが私のモチベーションを下げているよ、とはなかなか伝えにくいので、そのままにしていることが多い。それがまたモチベーションを下げてしまうという悪循環になることもある。しかし翻って、自分自身が誰か周りの人のモチベーションを下げていることはないのだろうか。相手側が気づいていないのと同じように、私が全く気づかないうちに周りの人のモチベーションを下げていることもあるだろう。そういうことも考える機会を与えてくれるので、悪いことばかりではない。自分の娘や息子たちについて、勉強やスポーツに取り組む姿勢やモチベーションを上げてやることが十分できているのだろうかとも考えさせられる。自分の言動を省みさせてくれるということを考えれば、これも心の勉強かもしれない。
テレビ局に勤めていてテレビに出演していながら何ともお恥ずかしい話だ。テレビの影響力の大きさをあらためて実感した。今日の「ミヤネ屋」の放送の中でブログについての話題になった。私もブログをやっていると紹介されたので、この2年間毎日休まず書いていますよと放送で話をした。すると、さっそく何人かの視聴者の方から私のブログにコメントを頂いた。番組で私がブログをやっていることを知り、読んでいただいてコメントを下さったということだ。番組が終わってすぐに反応があったことに驚いたのだ。大学の講義で偉そうに「テレビで働いている人は自分たちが作っているテレビ番組の影響力の大きさを分かっていない」と学生達に話をしているが、自分に関することでその影響力の大きさを思い知らされたのだ。テレビ番組が取り上げれば、商品の売り上げが爆発的にアップする。テレビ番組で注目を集めれば、一夜にして人気者が誕生する。ニュース番組で取り上げた話題の扱い方で、世の中の人の考えが左右されることがある。良い意味でも悪い意味でも、テレビの影響力は絶大である。それ故に、テレビの制作に携わるものはその影響力を充分に自覚して、番組制作について細心の注意を払わなければならない。自分でも常にそう心がけているし、周りのスタッフなどにもそう教えてきた。だからこそ、テレビの仕事は難しいがやりがいがあるのだ。そんなテレビの影響力の大きさを、あらためて実感した出来事だった。
サッカーの日本代表が、来年6月に南アフリカで開催されるワールドカップへの出場を決めた。アジア最終予選でウズベキスタンに1対0で勝ち、開催国を除いて世界で最初に出場を決めたのだ。と、偉そうに書いているが、恥ずかしながらこの日本対ウズベキスタンの試合がテレビで生中継されていることを忘れていた。寝る前に何かテレビでも観ようかなとテレビをつけたらたまたま試合をやっていたのだ。サッカー日本代表の試合は興奮するが、私にとってサッカーはそれ程のものなのだ。とは言っても、やはり日本代表の試合はテレビで観ていても力が入る。テレビで観始めた時には既に1点が入っていたが、後半はずっとウズベキスタンに攻められ続けたのでハラハラドキドキした。試合後の監督や選手のインタビューより、現地まで応援に行っていた日本人サポーターの「南アフリカへ行きます。もうチケットも持っています」というインタビューの方が印象的だった。これが野球なら、私も同じように答えていただろう。それにしても、野球のWBCの第一回大会、第二回大会でジャパンが連覇した準決勝、決勝を全て現地アメリカでこの目で観たというのは何と幸せだったか。しかも、第一回は長男と、第二回は二男とである。これほどの幸運はない。幸運といえば、野球以外のスポーツも記念すべき試合を生で観る機会に恵まれてきた。今まで唯一生で観戦したアメリカン・フットボールの試合はサンディエゴでのスーパーボウルだ。それ以外は日本でも観たことがない。バスケットボールも初めて観たのはシャキール・オニールやコービー・ブライアントが活躍してロサンゼルス・レイカーズが優勝したNBAファイナルだ。サッカーも、日韓ワールドカップの時に神戸で観たブラジルの試合が唯一の観戦試合だ。嫌味に聞こえるかも知れないが、野球以外のスポーツはあまり生で観戦したことがなく、ビッグゲームばかりというか、ほとんどビッグゲームだけなのだ。野球ではメジャーのオールスターもワールドシリーズも何度も現地へ観に行った。WBC第三回大会の準決勝、決勝は誰と観ることになるのだろうか。
英語に触れる機会がめっきり減ってきた。最近は、アメリカ人の知り合いと英語でメールのやり取りをすることもほとんどない。ましてや、英語を話すチャンスは全然ない。テレビで英語のニュースや映画を観ることもなくなった。英語を避けている訳ではないが、英語に接するチャンスも必要性も無くなってきている。これでは、読み書き聴く話す英語力は衰える一方だろう。一方で、我が家の家族は皆、普段から英語に慣れ親しんでいる。私以外は。妻は今でも大学や自宅で発音を中心に英語を教えているし、インターネットを利用して外国人と1対1で英会話のレッスンを受けている。長女は、アメリカで小学校に通っていたので、我が家の中で英語力は一番だ。英語学校にも通い英検にも合格した。長男と二男も妻と同じインターネットによる英会話レッスンに励んでいる。二男はロサンゼルス生まれでアメリカ国籍も持っているので、将来のためにも英語に力を入れている。ということで、我が家には英語に関係するものが溢れ、英語を学ぶ環境としては恵まれているのだが、私だけ何もしていない。私もインターネットのレッスンを受けてみようかなとも思うが、仕事から帰ってきてまた勉強するのもなと躊躇っている。アメリカに取材や遊びで行った際に、今でも何とか日常会話は出来るので、どうしても勉強しなければという強い思いには至らないのだ。しかし、苦労してせっかく見につけた英語だから何とかブラッシュアップして、いつでもアメリカ人とコミュニケーションできるようにしておきたい。まずは、メジャーリーグの中継を英語で聴こうかな。
このところ、かなりストレスが溜まっているようだ。4月以降、急に仕事が忙しくなったので自分自身ストレスがいっぱいだと感じていたが、本当に溜まってきたようだ。4月から出演させてもらっている番組が二つになったので肉体的にも精神的にも疲れが出てきている。解説委員としての今の私の実力では残念ながら正直いっぱいいっぱいだ。スケジュールが厳しいこともあるが、それよりも東京を離れたことで勉強会に出たり人に会ったりすることが減り、それ故に得られる情報量が激減したことの影響が大きい。以前にもこのブログで書いたが、番組でアウトプットするばかりで、記者としてのインプットが少ないので自分で納得できるレベルのコメントができずにストレスが溜まっているような気がする。しかし、番組に出演する関係で大阪に戻って来たのだから、今さら言っても仕方がない。情報量が減るのは最初から分かっていたことだ。東京へもあまり行けずに大阪で番組に出演し続けることがこれほどたいへんだとは思っていなかった。今まで以上に新聞を読み込めば何とかなるかと思っていたが、そんなに甘くはなかった。では、どうするか。とりあえずは、ストレスを解消するしかないだろう。ストレス解消の手段はいくつか持っているので心配はしていない。最近、無性にお酒を飲みたくなることがあるが、お酒だけでストレスを解消するのはよくないと思っている。たまにはお酒もいいが。
殺人事件で無期懲役の判決が確定し服役中の受刑者が17年ぶりに釈放されるという異例の展開となった。90年に栃木県足利市で4歳の女の子が行方不明になり河川敷で他殺体で見つかった足利事件だ。被害者の女児のシャツから検出されたDNA型と、今回釈放された菅家受刑者のDNA型が一致し、犯行を自供して逮捕された。菅家さんは、裁判で否認に転じたが1、2審、最高裁ともDNAの鑑定結果も自白も信用できるとして無期懲役の判決が確定した。因みに菅谷さんの呼び方については、メディアによって分かれた。再審が始まり無罪が確定する可能性がきわめて高くなったことで、これまでの「受刑者」という呼び方を止めて「さん」とするメディアが目立つ。とは言ってもまだ無罪が確定していないので、最初だけ「受刑者」と呼び、その後は「さん」とするメディアもある。冤罪の可能性が高いとして弁護団が裁判所に対して再審(裁判のやり直し)を請求し、東京高裁がDNAの再鑑定を行っていた。弁護側と検察側がそれぞれ独自に再鑑定を行ったが、いずれの再鑑定でも女児のシャツに残されたDNA型と菅谷さんのDNA型が一致しなかったので弁護団が菅谷さんの釈放を求めていた。そして東京高検が新たなDNA鑑定の結果が「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に当たる」との意見書を東京高裁に提出したのを受けて、刑の執行が停止され千葉刑務所から釈放された。この事件についてのDNA鑑定は、最高裁がDNA鑑定の証拠能力を認めた初のケースだった。しかし当時のDNA鑑定は精度が低く、型が一致する確率は185人に1人で、これに対し現在の確率は4兆7000億人に1人である。初期のDNA鑑定を証拠採用した当時の別の裁判にも影響を与えるだろう。逮捕から17年経って釈放され会見した菅家さんは「私は無実で犯人ではありません。当時の警察と検察官を絶対許しません。間違ったではすまないんです。自分の人生を返してほしい。」と語った。これで再審開始が決定的となり無罪が言い渡される見通しとなった。
先日、久しぶりに飲みに行った帰りの電車内での出来事。終電に近い車内はいつもの様にけっこう混んでいた。座ることができずにつり革を持って座席の前に立ったところ、すぐ目の前に座る若いカップルが目に入った。見るところ20代前半か。服装からすると2人とも学生のようだ。女の子は可愛くて感じがいい。男の子も純朴そうで、これまた感じがいい。大きなお世話だが、お似合いのカップルだ。付き合ってまだ日が浅いのか、どことなくよそよそしい。まだ何回目かのデートかな、私にもそんな時があったな、などと手持ち無沙汰な車内で見るともなく、目の前の2人の様子を眺めていた。通勤の車内ではいつも本を読んでいるのだが、酔っ払って帰る時は読書する気になれない。そんな時は、携帯のメールをいじったり、車内の乗客の人間観察などをしたりということが多い。微笑ましい2人だなと思っていたら、何と女の子が、男の子の膝の上に置いた手に自分の手を重ねた。清楚な感じの女の子だっただけに少し意外だった。積極的やなあ。見ると、男の子は緊張している風もないが、表情も変えずにずっと前を見ている。すると女の子が重ねた手で指を絡めて握り締めた。それでも男の子は反応しない。この辺りから、男の子は何をしているんだと少々心配になってきた。こんなことを書いている自分が少し恥ずかしいが、その時私はじっと2人を見続けていたわけではない。2人は自分たちの世界に入っていたので私のことなど視界に入っていなかったが、私は私で2人に気を遣って見るともなく見ていたのだ。しばらくすると女の子がそっと男の子の肩にもたれかかった。嫌味のない自然な寄り添い方だった。それでも、男の子は手を握り返すでもなく、肩に手を回すでもなく、反応しなかった。男の子の意気地のなさにあきれた私は思わず知り合いに事の次第をメールしてしまった。深夜の電車で私も何をしているのだろう。するとメールした相手から返事がきた。これこそ草食男子だという。そうか、勉強になるな。これがいま話題になっている草食男子か。初めて見た。自分が若い時はどうだったかというと、・・・やっぱり書くのはやめておこう。
GMをガバメント(政府の)・モーターズとはうまく言ったものだ。アメリカ最大の製造業であり、ある意味アメリカという国の象徴でもあるGM(ゼネラル・モーターズ)が米連邦破産法11条(日本でいう民事再生法)の適用を申請し遂に経営破綻した。アメリカ自動車業界のビッグスリーといわれるGM、フォード、クライスラーの最大手3社が相次いで経営危機に陥り、まずクライスラーが破産法の適用を申請し、そしてついにGMも同じ道を歩むことになった。記者会見したオバマ大統領は、何としてもGMを再生させるという固い決意を国民に示した。再建計画によると、GMが持つ数々のブランドのうちキャデラックやシボレーなど収益性の高いものだけを集めて新生GMを造り、不採算部門は清算するか売却する。60~90日以内に破産法の手続きを終えて裁判所の管理を終了し新生GMをスタートさせて米政府が株の60%を持つことになる。GMの一時国有化である。この再建支援のために米政府は新たに300億ドルを投入し、GMへの政府支援はあわせて500億ドル、日本円にして約4兆7500億円にものぼることになる。GMがうまく再生しなければアメリカ経済は再び窮地に陥ることになるだろう。自動車産業は部品メーカーなどの関連企業の裾野が広いため、再生できない場合の影響は計り知れない。GMと取引のある日本メーカーも多く、日本経済に与える影響も大きい。自由主義経済の総本山であるアメリカで、民間企業の破綻を政府が公的資金で救う今回のGMの破綻は、アメリカ経済が、いや世界経済が大きな転換点を迎えていることの象徴である。金儲けだけ考えて利益追求ばかりを追い求めたビジネスモデルの破綻だともいえる世界的な大ニュースである。しかし残念ながら、昨日も今日も出演した番組でこのニュースが取り上げられることはなかった。番組の視聴者層である主婦からはあまりに遠いニュースなのか。視聴率がとれないからなのか。寂しいかぎりである。
子供との約束は大切にしている。子供たちにいつも、「約束したことは必ず守ること」と教えているので自分自身も守らなければならないと思っている。小学生の二男は地元の少年野球チームで軟式野球をやっているが、試合でまだヒットを打ったことがない。低学年の頃にはほとんど対外試合がなかったのでノーヒットでも仕方がなかったのだが、学年が上がって試合数が増えてくると、チームメイトもみなヒットを打つようになってきた。試合に出たり出なかったりの二男は気にしているようだ。その二男と「試合でヒットを打ったら何か買ってあげる」と約束してしまった。二男の励みになればと軽い気持ちで約束したのだが、早くヒットを打たなければとへんに意識させることになっているようだ。先日、練習から帰ってきた二男が私の顔を見るなりニヤリと笑った。「お~遂にヒットを打ったのか」と内心喜びながらも冷静に、「今日はどうやった?」と聞くと、二男は「2試合目は出なかったけど、1試合目は出た。結果はあとでお風呂で」とまたニヤリと笑ったのだ。「そうか、遂に打ったか」と思い、結果を聞くのを楽しみに二男と一緒にお風呂に入った。1試合目はサードで先発して2度打席に立ったということだ。1打席目はツースリーからデッドボールで出塁した後、続く打者のヒットで本塁まで一気に走ったらしい。本人曰く、好走塁だった。そして、2打席目。思い切り振りぬいた打球は三遊間へ。ヒットだと思いファーストへ全力疾走している時に、つまずいてこけそうになった。結果はアウト。二男によると、普通に走っていたら内野安打だったらしい。初ヒットはならなかった。しかし、3度飛んできたサードゴロを全てしっかりさばいてアウトにしたらしい。普段はライトであまり内野を守る機会がない二男にとっては上出来だ。自信にもなるだろう。「よくやった。素晴しい」と守備を褒めたところ、「守備頑張ったから何か買って」ときた。「あのな~、約束したのはヒットやろ」と言ってから、約束が二男に重くのしかかっているのかなと、ふと思った。今さら「ヒットを打ったら買ってあげる」という約束は変えられないが、ヒットに拘るのもよくないなと思い出した。だからと言って、守備がよかったから買ってあげるというのもどうかと思う。子供との約束は私にとってとても重要なことだが、何を約束するかはなかなか難しいのだ。
春川正明
はるかわ まさあき
1961年5月5日生まれ
讀賣テレビ放送
報道局解説副委員長
ロサンゼルス特派員、
チーフプロデューサー、
報道部長を経て07年より現職。
関西学院大学非常勤講師
大阪市出身