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#7047月2日(日) 10:25~放送
フランス・アンジェ

 今回の配達先は、フランスの西部に位置する小さな都市・アンジェ。ここでパン職人として奮闘する成澤芽衣さん(41)へ、神奈川県で暮らす母・啓子さん(71)の想いを届ける。
 街の中心部にある「ブーランジュリー・コルネイユ」は芽衣さんがオーナーとなったパン店で、1ヶ月前にオープンしたばかり。芽衣さんと共に、5年前に結婚したパン職人の友樹さん(38)と3人の従業員で切り盛りしている。店には定番のクロワッサンや伝統菓子のカヌレ、日本生まれのメロンパンなど40種類ものパンと焼き菓子が並び、それらを目当てに地元の常連客が連日詰めかける。一番人気はバゲットで、平日は1日200本ほど売れるという。バゲットの材料は小麦粉と水と塩、イーストのみといたってシンプル。そのためごまかしが効かない、職人の腕が試される難しいパンなのだという。芽衣さんが焼き上げたバゲットの切り口にはツヤがあり、気泡がびっしり。このツヤとたくさんの気泡が、高い成形技術で作られた良いバゲットの証なのだそう。
 2017年、高い技術力を武器にフランスのバゲットコンクールに出場した芽衣さんは、本場のパン職人をおさえて外国人初・女性初の優勝を果たした。その腕を見込んで芽衣さんをスカウトしたのが、師匠となるリシャール・リュアンさん。MOF国家最優秀職人章の称号を持つリシャールさんのもとで4年間働いた。その後、自分の店を持つことが長年の夢だった芽衣さんは独立したいと直談判。すると、その熱意に打たれたリシャールさんが自分の店のひとつを譲ってくれることになり、レシピや厨房設備、パン職人まで店を丸ごと託してくれたのだった。こうしてパン職人でありながら経営者にもなった芽衣さんだが、従業員として共に働く若いパン職人たちの扱いには手を焼くこともしばしば。さらに店を買い取った費用の返済もあり、仕事の合間には小麦粉だらけの服のまま銀行へ。こうして毎日が慌ただしく過ぎていく。
 母子家庭で育った芽衣さん。働き詰めだった母がたまに仕事帰りに買ってきてくれるパンが大好きで、パン職人に憧れるようになった。専門学校卒業後、念願だったパン職人として働き始めるが、その生活は始発で出勤し、夜遅くに帰宅するという毎日。しかも駅に駐輪場がなかったため、芽衣さんが駅まで乗った自転車はいつも母が引き取りに行っていたという。こうして職人として修業する中、本場フランスのバゲットに魅了された芽衣さんは単身留学。そこからわずか8年で本場のバゲット大会の頂点に登り詰めたのだった。
 娘の修業時代をそばで見守っていた母・啓子さん。「あんなに朝早くから夜遅くまで働かなきゃいけないっていうのを初めて知って…」と、パン職人という仕事の大変さに驚いたという。そのため、「1分でも休ませてあげたいと思って、毎朝駅まで自転車で行かせて、それを取りに行ってから自分の仕事に出ていました」と娘を支えた日々を振り返る。
 17年越しの夢だった自分の店をオープンして1ヶ月。新たな道を走り出した娘へ、日本の母からの届け物はキーホルダー。芽衣さんが修業時代に乗っていた自転車の鍵につけていたものだった。お互い働き詰めで顔を合わせる時間もなかった頃に母と娘をつないでいた思い出の品に、芽衣さんの顔がほころぶ。手紙には、「覚えてる? 初めて勤めたパン屋さんに始発電車に間に合うように毎日自転車で駅まで行ったことを。厳しい労働条件にも負けず、無我夢中で働き、途中で投げ出すことなく今に至ったんだね」と、労をねぎらう言葉とともに、店の繫盛と娘の健康を願うメッセージが記されていた。改めて当時を思い返した芽衣さんは、「母のサポートがなかったら毎朝遅刻していたし、仕事になっていなかった。二人三脚でしたね。今でもずっと支えてもらってます」と感謝する。そしてスタートしたばかりの店について「たくさんのお客様に来てもらっているので、これからもお客様を大事にしながらやっていきたいですね」と意気込むのだった。