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#6648月14日(日) 10:25~放送
アメリカ・ロサンゼルス

 今回の配達先は、アメリカ・ロサンゼルス。鮮魚卸売業を営む横田清一さん(46)へ、富山県で暮らす父・純一さん(74)、母・栄子さん(72)の想いを届ける。明治元年創業の鮮魚卸売店「横清」の七代目として生まれた清一さん。だが11年前に日本を飛び出し、肉食文化のアメリカで魚を卸す商売を始めた。六代目である純一さんは「親として『甘いものではないぞ』とは言ったが、性格的に少し頑固なところがありまして…」と息子が反対を押し切って渡米したと明かす。栄子さんも大反対したというが、本音では「途中で諦めて、そのうち帰ってくるだろうと思っていた」という。その後、顔を合わせたのは一度きりだそうで、「どういう感じで仕事をして、どういうところで仕入れしているのかもわからないし…」と心配する。
 清一さんの本拠地は、漁業が盛んな港町・ニューポートビーチにあるドリー魚市場。アメリカでは珍しく生きた鮮魚を販売する市場で、魚の卸問屋である清一さんは特別に出入りを許され、漁師から魚を買い付けている。仕入れた鮮魚は、すぐに「活け締め」にする。活け締めとは、生きたまま魚を締めて鮮度を保つ技法のことで、江戸時代から続く日本の伝統技術。中でも、清一さんはワイヤーで魚の神経を壊す「神経締め」という技法を駆使し、生魚の鮮度をより長持ちさせている。締めた魚は乾燥しないよう1匹ずつ丁寧に梱包。取引先はミシュランの星を持つ日本料理店や超高級ホテルのレストランなどで、シェフから信頼される清一さんは市場から約100キロ離れたロサンゼルス市内まで自ら鮮度抜群の魚を届けている。
 早くから跡を継ぐと決めていた清一さんは、視野を広げるため高校卒業後はアメリカに留学。当時、現地の日本食レストランで食事したことをきっかけに、実家で学んだ活け締めを和食ブームのアメリカに普及させれば鮮魚の需要はあると確信する。帰国後は、実家の鮮魚卸売店・横清に就職。そして両親にアメリカでの構想を打ち明けるも反対され、ケンカ別れの末に日本を飛び出したのだった。会社を立ち上げて10年が経過し、「お客さんが欲しい魚に品質やサービスで応える」という清一さんを信用してくれる取引先も増え、ようやく生活できるまでになった。現在はコロナの影響で魚を卸す飲食店が減ってしまったものの、新たに在ロサンゼルス日本国総領事館との取引が決定。日本とアメリカを結ぶ外交の重要な会食の場で、清一さんが活け締めする魚が選ばれたのだった。
 清一さんの会社の名前は「YOKOSE WORLD EXPORTER」。将来的にはアメリカだけでなくヨーロッパの魚も買い付け、もっと会社を大きくするビジョンを描いているが、元々は実家を発展させたかったとの思いがあり、「『横清』の名前をつけないと成功しても意味がない」と、屋号を捨てることはできなかった。勘当同然で渡米し11年。思い入れのある屋号をのれんに掲げ孤軍奮闘する息子へ、日本の両親から届け物は横清のユニフォームと前かけ。実家で働いていた当時と同じもので、父からの手紙には「アメリカでも、お父さんや会社の従業員の皆と一緒に働いているつもりで頑張ってくれればと思い選びました」と綴られていた。「最高にうれしいです」と感激する清一さんは、「まだ僕を横清の1人として見てくれているんだな…と。10年経った今、新品のユニフォームを手にできたのはひとつの節目みたいな気持ちにもなります」と両親の想いに感謝する。そして久々に懐かしいユニフォームに袖を通し、顔をほころばせるのだった。