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#6607月10日(日) 10:25~放送
屋久島

 今回の配達先は、鹿児島県の屋久島。「おさかなマイスターアドバイザー」として奮闘する川東繭右さん(46)へ、東京で暮らす母・ヤス子さん(74)の想いを届ける。娘がどのような仕事をしているのか「全然知らない」というヤス子さん。「部分的にしか連絡がないので、どういう風にしているのか…全てを見てみたい」と楽しみにする。
 「おさかなマイスターアドバイザー」とは、魚をおいしく食べることを広めるスペシャリストのこと。その資格を持つ繭右さんは、屋久島で魚食を広めるさまざまな活動を行っている。おさかなマイスターアドバイザーの1日は、日の出とともにスタート。まずは港に向かい、料理教室で使う魚を求めて水揚げされた新鮮な魚を吟味する。今回は、地元で「アオマツ」と呼ばれる大きな白身の魚・アオチビキを選んだ。月に数回開く料理教室の生徒は、島で暮らす主婦たち。実は地元の人でも屋久島の地魚を食べる機会はそんなにはないそうで、「見るのもさばくのも初めての魚が多いので、まずはみんなに知ってもらいたいという気持ちがある」と繭右さんは言う。数年前には、もっと手軽に魚を調理できるようにと「漬け」に特化したレシピ集を作った。それまで魚といえば煮るか焼くか揚げるかしかなかった島の食生活に革命をもたらす一冊になったという。
 父は釣りが好きで、一緒に連れて行ってもらっていた繭右さん。さらに、祖父はあさりと海苔の漁師で母も潮干狩りの達人だったことから、食卓に魚料理がのぼることが多く、特に母のあさり料理は絶品だったという。その後、自分でも釣りに行くようになった繭右さんは就職してからも全国の漁港を巡り、釣り三昧の生活をおくっていた。だがある時、釣船で同乗した客に魚の知識を披露すると、「学者でもあるまいに」と言われてしまう。その言葉に、肩書が必要だと感じた繭右さんは「私のうんちくを裏付けるには『おさかなマイスターアドバイザー』になるしかない」とすぐに資格を取得。そんな頃、屋久島で暮らしていた妹の出産を手伝うため、島へ渡ることに。すっかり環境が気に入り、少し手伝うだけのつもりが気づけば11年が経っていた。今では豊富な魚の知識が買われ、小学校で魚についての特別授業も任されている。昨年には魚食普及活動の功績が認められ、地域では女性初となる指導漁業士に認定された。
 屋久島へ渡ったのは、繭右さんにとって自然な流れだったものの、昨年父が他界し、母は脳梗塞で倒れながらも今は1人東京で暮らしている。かつては母のことが苦手で、顔を合わせるたびにケンカばかり。「産んでくれなんて頼んでいない」と暴言を吐いたこともあった。だが「お母さんを1人置き去りにして出てきて、後ろめたい気持ちもあった。今の私だったら置いてこれなかったと思うし、呼んであげられたらいいんですけどね…」と心の内を明かす。そんな繭右さんへ母からの届け物は、家族全員の好物だった母手作りのあさりの一夜干しとあさりのフライ。独特の串の刺し方に母らしさを思い出して笑いながらも、「脳梗塞になって手があまり動かないから、お母さんにとってはすごく大変な作業だったと思う。なのにこんなにたくさん…」と涙があふれる。添えられた娘への手紙には、不自由な手で「生まれてきてありがとうございます」と綴られていた。繭右さんは「書くことも大変だったと思う。今度会ったら『ごめんね』と言いたい」と再び涙するのだった。