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#44411月5日(日)10:25~放送
ドイツ・ザールブリュッケン

 今回の配達先は、フランスとの国境に隣接するザールブリュッケン。音楽家として奮闘する曽我部直親さん(52)と、愛知県に住む母・育子さん(80)をつなぐ。伝統楽器リュートに魅了され、30年前、単身ドイツに渡った直親さん。長く息子と会っていない母は「本当はドイツに会いに行きたいんですが…」といい、直親さんのことを心配している。
 直親さんが奏でるのはヨーロッパの伝統楽器リュート。折れ曲がったネックに張られた弦は22本もあり、チューニングだけでも一苦労。押さえる指が0.1ミリずれるだけで音が変る、とても演奏の難しい古典楽器だ。ヨーロッパでは「楽器の女王」とも呼ばれ、16世紀から18世紀にかけて、ピアノに代わる主要楽器だったという。直親さんは“その当時の楽曲以上に、もっと表現できることがあるはず”と、自ら作曲も手がけ、これまでに7枚のアルバムをリリースしている。
 そんな彼を公私共に支えるのが、隣町に住むフランス出身のエリザベートさん(42)。幼稚園の先生で、ダンサーとしても活動している彼女と交際して8年になる。直親さんは曲のプロモーションビデオも自ら制作。幻想的な曲調が多いため、自然の中で演奏することにこだわって撮影を行う。カメラを回すのはエリザベートさんだ。映像の編集も自分たちで行い、インターネットで配信。プロモーションビデオは著名な音楽家たちにも高く評価され、重要な収入源となっている。
 15歳の時にリュートの存在を知り、心を奪われた直親さんは、22歳で単身ドイツへ留学。2年後にはオランダ王立音楽学院に転校して古典楽器を研究し、28歳で卒業した。だが、音楽家として歩み出そうとした矢先に、病に倒れてしまう。三半規管の情報が脳に伝わらなくなり、平衡感覚を失ってしまったのだ。直親さんは音楽活動をやめざるを得なくなった。
 2年間はほぼ寝たきり。日本に戻ってもリュート奏者として活動できる場がないため、直親さんは音楽活動の再開を目指してドイツでリハビリすることを決意。結局、闘病のために10年以上も音楽活動が一切できなかったという。その間、仕送りを続け、彼の夢を信じて励ましてくれたのは母だった。そして、リハビリの一環で始めたタンゴ・ダンスのお陰で、38歳の時に直親さんは見事、音楽家として復活。そのダンスが縁で出会い、支えてくれたのがエリザベートさんだった。
 そんなエリザベートさんと、このほど結婚式を挙げた直親さん。彼女の親族らに見守られて市役所で行われた入籍のセレモニーや、多くの人たちに祝福された結婚式の模様を収めた映像を、式に出席することができなかった日本の母が食い入るようにつめる。映像には、母を想って作ったというリュートの曲を、直親さんが参列客の前で披露する場面も。ずっと言葉にできなかった母への感謝の気持ちを音に託した曲だと聞いて、母は涙を流す。
 そんな日本の母から届けられたのは、1枚の美しい着物。55年前、母が結納の時に一度だけ袖を通したものだ。それを見たエリザベートさんは感激し「離れていても、お母さんに結婚式へ来てもらったような気がする。とてもうれしい」と言って涙をこぼす。直親さんは、「仕事でもっと成功していけば、母も喜んでくれると思う」と言い、さらなる精進を誓うのだった。