過去の放送

#4266月18日(日)10:25~放送
タイ・バンコク

今回の配達先はタイの首都バンコク。南国でウィンタースポーツとは縁遠いこの街で、フィギュアスケートのコーチとして奮闘する村元小月さん(26)と、神戸市に住む父・弘和さん(55)、母・智美さん(57)をつなぐ。現役時代は常に日本代表強化選手に選ばれるほどだった小月さん。引退後、第二の人生に選んだのはタイでのコーチ生活だった。両親は「とにかく3年は頑張れと送り出しましたが、タイでどんな風に指導しているのか…」と、フィギュア発展途上国でのコーチ生活を心配している。
 近年、ようやくフィギュアスケートが認知されるようになってきたタイ。しかし、いまだオリンピックはおろか、世界選手権に出場した選手もいない。そのレベルを上げて欲しいとタイのスケート連盟に依頼され、3年半前、意欲に燃えてタイに渡り、ナショナルチームコーチ陣のトップに立つヘッドコーチに就任した。
 小月さんがスケートを始めたのは8歳の頃。同期だった浅田真央選手らライバルたちと切磋琢磨し、11歳から引退する22歳まで、ずっと強化選手に選ばれ続けた。現役時代は、自宅からリンクのある練習場まで往復150キロの距離を、1年中毎日母親が車で送ってくれたというが、練習のつらさから喧嘩が絶えなかったという。「練習を頑張っていないと、いつも帰りの車で母に怒られた。反抗的な時もあって、母には迷惑をかけた」と振り返る。そんな頑張りも、選手層の厚かった日本では実を結ばず、オリンピック出場を果たせなかった小月さん。「私にとってオリンピックは夢の夢のさらに夢。いつかオリンピックに行ってくれる選手を育てたい」と切に願う。
 現在、指導しているのは5歳から17歳までの10人。ほとんどが裕福な家庭の子供たちで、闘争心の低い選手が多いという。「一番の問題は練習をしないこと。世界で戦うには圧倒的に練習量が足りない。才能はあるのに実力が伸びず、すごくもったいない」と小月さんは惜しむ。選手だけでなく、コーチのレベルもまだまだ低く、「私は基礎をしっかり教え込みたいのに、タイではなかなか基礎をえない」とも。何もかもが日本と大きく異なるタイのスケート事情。思うように指導できないことに戸惑い、悩み、悶々とする日々だが、相談できる先輩もなく、ヘッドコーチとしてのプレッシャーに懸命に耐えながら孤独な挑戦を続けている。そんな彼女を支えてくれているのは母からの手紙。「一人になって、母がどれだけ献身的に私のために尽くしてくれていたのかが分かる」と涙する。
 それでも、小月さんの努力もあって、今年初めて選手の数が100人を突破。フィギュアスケートを学ぶ小さな子供たちも増えてきた。「簡単にできるスポーツじゃないから、長い目で頑張って行くしかない。私が選んだ道。最後まで頑張りたい」。タイからオリンピック選手を出すまでは決して諦めない覚悟だ。
 そんな小月さんに日本の母から届けられたのは、9歳の時に初めての試合で着たコスチューム。練習は厳しくても、大きな夢を抱き、希望に溢れていた頃を思い出させてくれるものだ。添えられた手紙には「辛坊して努力したらきっといいことがある。10努力したら10、100努力したら100のいいことがある」と綴られていた。小月さんは「母がいなかったら今の私はいないし、この仕事に就くこともなかった。母のおかけでここまで来られた。いつか私なりの恩返しがしたい」と母に感謝し、涙するのだった。