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#3796月5日(日)10:25~放送
フランス・パリ

 今回の配達先はフランス・パリ。この街でフラワーデザイナーとして奮闘する斎藤由美さん(50)と、日本で暮らす一人娘の愛莉さん(27)をつなぐ。17年前、離婚をきっかけにパリに渡った由美さん。実はその時、小学5年生だった愛莉さんを日本に残して来たのだ。愛莉さんは「突然のことで、あまり理解ができていなかった。とにかく悲しい・寂しいという気持ちがすごく強かった」と当時の思いを明かす。
 数多くの花屋が集まるパリ6区。由美さんは「ローズバッド」というショップを拠点に、オリジナルの花束やブーケを作ったり、フラワーレッスンを開いて活動するフリーのフラワーデザイナーだ。彼女が作るブーケは、花と共に枝ものや葉をふんだんに使う“パリスタイル”と呼ばれるもの。彼女のブーケはパリでも高い評価を受け、数多くのデモンストレーションの依頼もあるという。
 各界セレブへのブーケ制作やパリコレ会場の花装飾など、パリでもトップクラスのフラワーデザイナーとして活躍してきた由美さん。実は日本でも花の雑誌で特集が組まれるほどのカリスマ的存在なのだ。これまで彼女のフラワーレッスンを受けに来た日本人は1万人を超えるという。レッスンの後は生徒たちを連れて、パリの花屋やホテルの豪華な花装飾を見学するツアーに繰り出す。「花の都」パリを肌で感じてほしいと、由美さんが自ら企画しているのだ。
 由美さんが花と出会ったのは結婚後。趣味として習い始めたフラワーアレンジメント教室だった。愛莉さんを育てる傍ら、メキメキと腕を上げ、教室を主宰するまでに。その頃、雑誌で見たパリのフラワーデザイナー、クリスチャン・トルチュ氏の作品に心奪われ、「いつかパリで彼の花を学びたい」と、ずっと思い続けていたという。
 だが、そんな思いを募らせていた時、夫から離婚話を突きつけられ、話し合いの末、離婚を決意する。「最初は娘も連れて来るつもりでした。でも私の勝手で連れて来られても、友達もいない言葉も分からないところに放り込まれて、幸せとはいえなかったんじゃないのか」。悩み抜いた結果、愛莉さんを父親や祖父母のもとに残し、2000年、パリへ渡ったのだ。「娘は母親に捨てられたと思っていたと思いますね」。由美さんはそう悲しそうに語る。
 何のツテもないパリへ身一つで飛び込んだ由美さんは、花の専門学校に通いながら、トルチュ氏の店に何度も出向き、弟子入りを志願。研修生の1人に加えてもらえることになったのだ。これまで輝かしい経歴を築き上げてきた由美さんを支えていたのは、娘を日本に置いてきたという強い覚悟だった。
 以来長い間、疎遠になっていた母と娘。2人が再会したのは愛莉さんが高校3年の時だった。今は、日本に帰る気持ちはないという由美さん。「元気でいるうちはパリで好きな仕事をして、人生を謳歌したい」と語る。
 そんな由美さんに愛莉さんから届けられたのは1枚の写真。この秋に結婚を控えた愛莉さんが、衣装合わせで初めてウェディングドレスを着た時のものだ。写真を贈った理由を、愛莉さんは「母の中では今も私は“置いてきた子供”のイメージなんだと思う。私ももう大人になってしっかりしたんだよ、安心していいよということを伝えたかった」という。写真を一目見て感極まった由美さんは「ドレス姿は見られないと思っていました」と胸を熱くし、「いままで苦労や迷惑をかけた母だけど、あなたの幸せをいつも願っています」と嫁ぐ娘に思いを伝えるのだった。