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#3785月29日(日)10:25~放送
ドイツ・デュッセルドルフ

 今回の配達先は、世界的なアーティストを数多く輩出してきたドイツ・デュッセルドルフ。この街で芸術家として生きる増山裕之さん(47)と、茨城県つくば市に住む父・博さん(73)、母・路子さん(72)をつなぐ。20年前、芸術の道で生きていきたいと会社を辞め、妻とまだ1歳にもならない息子を連れて日本を飛び出した裕之さん。父は「芸術家で身を立てるなんて無理。今でも反対している。世界的に名の通るような芸術家になるまでは、ドイツには会いに行かない」と言い、まだまだ認めることはできないよう。
 写真、油絵、造形など、手法にとらわれず、沸き出す思いを表現し続ける裕之さん。4千個もの小さな木片を合わせて作られた球体の中に人が入り、無限の宇宙を体感できる作品「ゼロ」。NASAの観測データを基に、宇宙全体を忠実に再現した油絵の大作。そして飛行機の窓から見た風景を48時間にわたり15秒ごとに撮影し続け、1万枚の写真をつなぎ合わせた絵巻物のような作品など、裕之さんが生み出す壮大かつ衝撃的な作品の数々は、ドイツで高い評価を受けてきた。
 東京芸術大学を卒業後、一般企業に就職した裕之さん。その後、学生時代に知り合った薫子さん(49)と結婚し、長男も授かった。しかし、芸術への思いは断ち切れず、20年前、仕事を辞め、妻と生後10ヶ月の長男を連れて日本を飛び出した。留学生としてドイツへ渡ったものの生活は苦しく、薫子さんがべビーシッターをして一家を支えていたという。薫子さんは「初めて彼の作品を見た時、湧き出るオーラを感じてすごく感銘を受けた。彼には芸術しかない。出来る限り彼の道を全うしてほしい」と思いを明かす。
 ドイツに渡って5年が過ぎた頃、徐々に裕之さんの名前が知られるようになり、一時は作品を作れば売れるようになっていった。しかし、そんな順調な時は長く続かず、再び収入のない極貧生活へ逆戻り。裕之さんは「売れていい気になっていた。お金が入ると、売れるようなものばかり作るようになってしまい、アイデアが出なくなった。当時は生命保険を解約して食いつないでいた」と明かす。そんな崖っぷちで、苦労して工面したお金をすべてつぎ込み生み出したのが「ゼロ」だったのだ。「“このままじゃいけない”と、すべてを変えようと思って作った作品。僕が成長するためにも必要な作品だった」と裕之さんは振り返る。
 尽きることのない情熱で芸術を追求し続け、7月にはこれまでにない大きな個展も控えているが、「父からは、日本を飛び出してやるかぎりは、世界一にならないとダメだといわれた。どうすれば親は喜んでくれるのか…」と、まだまだ認めてもらえず寂しそう。そんな裕之さんに両親から届けられたのは、故郷・茨城の名物「干し納豆」。子供のころから大好物だった懐かしい味に、裕之さんは「おいしい!」と顔をほころばせる。添えられた父の手紙には、「世界的に有名な芸術家になった暁には、ヨーロッパ旅行をして、“ドイツファミリー”に案内してもらうのが夢です」と綴られていた。裕之さんは「距離が遠いというのは、難しいですね」と、もどかしく思いながらも、「ぜひ両親を案内してあげたい」と、約束するのだった。