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#3755月1日(日)10:25~放送
台湾・台北

 今回の配達先は”美食の宝庫“台湾の台北。安くてうまい店がひしめく激戦区で讃岐うどん店を営む樺島泰貴さん(43)と、佐賀県に住む父・金蔵さん(74)、母・京子さん(73)をつなぐ。大手家具メーカーの社長であり職人でもある父は「息子には家具の仕事をやってほしかった。そのためにイタリアで家具の勉強もさせたのだが…」と、泰貴さんが違う世界に進んだことを惜しむ。
 11年前にオープンした泰貴さんの店「土三寒六」は、台湾で初の讃岐うどん専門店。本場・香川県からも讃岐大使として認定されたお墨付きだ。お客のほとんどが地元の人たちで、コシのある麺と和風ダシが、それまで台湾にはなかった新しい味覚として受け入れられ連日満席、行列の絶えない人気店となっている。
 佐賀県の大手家具メーカーの三男として生まれた泰貴さんは、仕事に打ち込む父の背中を見て育った。「父はリーダーシップがあり輝いていた。僕の目標だった」という。父の勧めで18歳の時、イタリアの家具塗装会社に研修留学もしたが、父親が自ら創業したように、自分も一から何かをやってみたいという思いが募って来たという。2人の兄がすでに家業を継いでいたこともあり、泰貴さんは自らの手で人生を切り開いていくことを決意。当時まだ台湾になかった讃岐うどんで勝負しようと決めたのだ。
 本場、香川や東京のうどん店で3年間修業を重ねたのち、台湾で念願の店をオープンしたが、当初は苦労の連続だったという。本場の味が現地の人になかなか受け入れてもらえず、土曜の夜にお客がゼロという日もあった。しかし、家を飛び出してまで選んだ道。「僕には戻る道がなかった。死んでも帰らない覚悟だった」と振り返る。泰貴さんは、日本にはない大胆なトッピングでメニューを増やすなど、必死に現地の人たちに食べてもらうための研究と努力を重ね、3年目にしてようやく行列が絶えない人気店にしたのだ。
 しかし、さらなる試練が襲う。店が順調に大きくなっていた8年前、台湾の食品メーカーが「“さぬき”はすでに商標登録しており、看板を変えなければ刑事告訴する」と抗議する事件が勃発したのだ。泰貴さんは「台湾で一番おいしい讃岐うどんを提供するという夢を実現するためには、これを乗り越えなければいけないと思った」という。強い信念で立ち向った結果、2年間の戦いの末に台湾で14の裁判にすべて勝訴。危機を乗り越えたのだ。
 3年前には台湾人の妻と結婚し、一人息子をもうけた泰貴さん。2年前にはもう一店舗をオープンし、多忙ながらも充実した日々を送っている。さらに、半年前には新たな挑戦として、父親が作った家具を販売する店を台湾に構えた。「こうすることで父とつながっていたかった。本当は今でも父に弟子入りしたいくらいの気持ちはあるんです」。泰貴さんの父への憧れと思慕がひしひしと伝わってくる。
 経営者として、職人として、少しでも父に近づきたい…そんな思いで奮闘する泰貴さんに届けられたのは、父が家具職人として長年愛用してきた大工道具。それは3人兄弟の中で、ひとり家を出ていった息子へ託す父の想いそのものだった。「父も僕に家具の仕事を教えたかったと思う。それが実現できず申し訳ない。でも讃岐うどんも家具も、いいモノを作るという精神は同じ。これからも父から受け継いだものを大切にしてきたい」と、あらためて父への思いを語るのだった。