過去の放送

#326 3月22日(日)09:55~放送
1時間スペシャル!ブラジルに渡った青年と自転車でユーラシア大陸を横断する若者

 過去に紹介した“夢を追って海外に渡った若者"の中から選りすぐりの2人をピックアップし、彼らの現在の姿も含めて紹介する。登場するのは、2008年7月13日(第15回)に放送した「プロのサッカー選手を目指しブラジルに渡った青年」と、2014年2月23日(第275回)に放送した「世界の郷土菓子を調べるために自転車でユーラシア大陸を横断する若者」の2人。
世界各地の郷土菓子を研究するため、ユーラシア大陸を自転車で横断していた林周作さん(当時25歳)。滞在していたベトナム・ホーチミンに訪ねた。その3年前、料理人の仕事を辞め、かねてから抱き続けてきた郷土菓子研究の夢を実現しようとフランスに渡った周作さん。1年間フランスの洋菓子店で修業ののち、所持金20万円を携えてパリを出発した。
ベトナムまで走った距離は3万キロ。1日におよそ100キロを走行し、夜は一般の民家に泊めてもらいながらの移動。1か所に数日間滞在しながら、その土地の郷土菓子を食べ歩いて調査し、レシピをまとめていた。それまでで出会った菓子は25ヶ国で300種類以上。毎月発行している、旅で出会った郷土菓子を紹介するフリーペーパーも好評で、スポンサーも徐々に増えつつあった。
当時、郷土菓子を記録したノートは3冊目になっていた。ベトナムの後は中国を回る予定で、「帰国したら、日本で世界各地の郷土菓子を売る店を持ちたい」と熱く夢を語り、早くも自分の店で出す菓子のラインナップを考えていた周作さん。その夢は叶ったのか?日本に戻った周作さんがその後、どうしているのか紹介する。
もう一人はプロのサッカー選手を目指して本場ブラジルのサンジョゼ・ドン・カンポスに留学していたのは今田雄大さん(当時19歳)。高校時代、サッカーの強豪チームに所属していたが、一度もレギュラーになれなかった彼は、プロサッカー選手への夢を捨てきれず、大学進学を望んだ父の反対を押し切り、ブラジルへと渡った。当時はプリメイラ・カミーサというブラジル4部リーグのチームで練習生として奮闘していた雄大さん。しかし、日本人はサッカーが下手という先入観からか、なかなかパスは回って来ず、チーム監督も「プロのサッカー選手になりたければ、14歳までにブラジルに留学しないと難しい」と厳しい目で見ていた。
そんな周囲の目を跳ね返すかのように、チームでの練習が終わればジムでトレーニング。その後はまた個人練習。チームの練習がない週末も、地元の草サッカーに参加するなど、雄大さんの生活はサッカー一色。彼のスパイクはボロボロで、底がはがれたものを何度も補修して使っていた。苦しい中でもサッカーのためにすべてを捧げるストイックな姿と、ブラジルに渡ってからのたくましい成長ぶりは、愛知県に住む父を驚かせた。
そんな父から届けられたのは新品のスパイク。添えられた手紙には、「99.5%息子はプロにはなれない」と思いながらも、雄大さんをブラジルに送り出した父の本当の思いが綴られ、雄大さんを涙させた。「どうしてもプロになりたい!」。その一途な思いだけで、たったひとりブラジルで奮闘していた雄大さんだったが…。6年経った今、彼はその夢を掴むことができたのだろうか?