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#2058月5日(日)10:25~放送
アメリカ/ニューヨーク

 今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。家具職人の阪井良介さん(41)と、大阪に住む母・恵子さん(76)をつなぐ。10年前、情熱の赴くままに日本を飛び出し、ニューヨークへ渡った良介さん。母は心配しながらも「自分のことしか考えていない子」と困惑したようにいう。

 ニューヨークの家具職人に弟子入りし、10年近く修業を積んで2年前に独立した良介さんは、現在1人で工房を営んでいる。良介さんが作るのは、客のオーダーに合わせた特注家具。アメリカでは特注家具はステイタスシンボルで、人々の家具へのこだわりは強いという。良介さんはデザインから材料の加工、装飾に至るまで、すべての工程を1人でこなす。アメリカの職人の元で修業をした良介さんだが、作業を重ねるうち、たどり着いたのは日本の道具だったという。「細かい調整をしようとすると日本の道具じゃないと…特にカンナ。日本の引いて使うカンナがとても便利なんです」と、良介さんはその良さを語る。

 ニューヨークには築100年以上の建物が多く、そういう建物はほとんどの床や壁が歪んでいるという。良介さんは家具を作るだけでなく、まっすぐに設置するため、壁や床の事前調整にも心を配り、納得のいくまで現場で微調整を繰り返す。そんな丁寧な仕事がお客さんにとても好評なのだ。「お客さんが求めるものを耐久性を持たせて作るのが僕の仕事。アーティストみたいに作ったものを“好きなら買ってくれ”というのは好きじゃない」と、良介さんは職人としてのこだわりを語る。

 実は良介さん、ニューヨークに来る前は日本でレーサーをしていたという。「競争は好きでしたが、遊びではやりたくなかった。どこかでけじめをつけないと…とは思っていた」。そして97年、自分の力を確かめるため参戦したイタリアのレースで見事3位に入賞し、地元チームから誘いを受けた。だが条件はスポンサーを連れてくることで、良介さんはレーサーの道を断念することに。

 レースを辞めたものの「まだやれるんじゃないか」と悶々とする日々が続いた。そんな時、当時付き合っていた女性がニューヨークへ渡ることになり、結婚して共に海を渡った。「人生を変えるいいチャンスじゃないかと思ったんです。そしてニューヨークでこの仕事と出会い、“コレだ!”と感じた。目標が出来て完璧に後悔は消えましたね」。良介さんはそう当時を振り返る。だが家具作りに熱中するあまり、結局妻とは離婚することに。

 4年前に他界した父・毅さんは昔気質の頑固な性格で、日曜大工とヨットが趣味だった。良介さんにも徹底的にヨットを仕込み、とにかく厳しく育てられたという。「自由がなかった。1位になっても褒めてくれない。嫌いでしたね」と良介さん。いつしか口もきかなくなり、良介さんがニューヨークに渡った6年後、溝は埋まらぬまま父は他界。その時も良介さんは日本に帰らなかったという。だが、あんなに嫌いでしょうがなかったヨットが、今では良介さんの趣味になった。「ヨットは一度海に出たら自分の責任で1人で帰ってこなければならない。父があれだけ厳しかったのも今は分かる。できれば一緒にヨットに乗りたかった…」と良介さんはいう。父の趣味だったヨットと日曜大工を、今、息子の良介さんが仕事として、趣味として受け継いでいることに、母は「不思議ですよねぇ」としみじみつぶやく。

 そんな母からの届け物は、父が長年愛用していたカンナ。「実はニューヨークに来てから一度、電話で父に、このカンナをくれないか?と聞いたことがあるんです。でも、“お前みたいなのにはやらん”と言われて…。母はそれを聞いていたんでしょうね。今やっていることに父がとりあえず合格点をくれて、このカンナが僕のところに来たのかなと思います」と、良介さんは父のカンナへの特別な思いを明かすのだった。