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#1924月22日(日)10:25~放送
大韓民国/金泉市

 今回の配達先は大韓民国の金泉(キムチョン)市。この街にテニス留学し、プロのテニスプレーヤーを目指す高校生の中村錬さん(17)と、兵庫・姫路市に住む父・友律さん(38)、母・幸子さん(42)をつなぐ。

 テニス強豪校の甲南中学でテニス部キャプテンとしてチームを率い、ダブルス・団体共に中学生日本一の二冠を達成したこともある錬さん。学校は中学~大学一貫の私学だったが、中学卒業後はプロテニス選手の養成を目的とする韓国屈指のテニスアカデミーに自ら飛び込んだ。母は最初「進学できる高校を捨ててまで、何故わざわざよその国へ?」と反対したという。だが最終的に「そこまで本気に取り組むなら…」と両親は息子を見守ることに。

 日本で指導を受けていたコーチに紹介され、このアカデミーの存在を知った錬さん。アメリカなどにも有名なテニスアカデミーはあるが、それと変らぬ充実した施設をもち、費用も安く、何よりハードでスパルタ式のトレーニングに惹かれてこのアカデミーを選んだという。指導するのは日本で近畿大学の監督を5年間務め、日本一に導いたこともある“韓国テニス界の英雄”リ・ジンス監督。「最初はまったく練習について行けなかった」という錬さんだが、厳しいトレーニングを積み、今では監督も「彼は本当に良い選手だ。まだまだ成長できる」とその力を高く評価する。現在錬さんは世界ジュニアランキング271位。夢は「テニス4大大会のグランドスラムで活躍できる選手になって、世界のベスト8,ベスト4に入りたい」と錬さんは語る。

 韓国の高校にも通う錬さんだが、スポーツコースのため朝から晩までテニス漬けで、テニスコートと寮を往復する日々。母とは日本の高校を卒業する約束で留学したため、日本の通信制高校の勉強も続けている。だが当初は慣れない環境や言葉の壁に悩み、どんなに練習してもうまくいかず、精神的に追い詰められて帰国した時期もあったという。そんな錬さんを救ってくれたのは、中学時代にテニス部の副キャプテンとして錬さんを支えた親友の博貴さんだった。「彼は“人生100%うまくいくとは限らないし、成功できるのは一握り。でもお前は成功できると思う”と言ってくれて…。人にそう言ってもらったのに、こんな所におったらアカンと。もっと頑張らないと…と思いました」。親友の言葉が錬さんに再びラケットを握らせたのだ。

 日本を離れて2年。自ら厳しい道を選び、もがきながら夢を追い続ける錬さんへ両親から届けられたのは。テニス部の仲間たちの寄せ書き。両親が甲南高校を訪れ、メンバーひとりひとりにメッセージを書いてもらったものだ。その中には錬さんからテニス部のキャプテンを引き継いだ博貴さんのメッセージが。“いつでもお前の力になるつもりでおる。錬の活躍を期待してるで!”との言葉に、錬さんは「いろんな人に支えられてここまで来られた。一人じゃ何も出来ないとあらためて思う。支えてくれる人たちに感謝して、これからもテニスを頑張りたい」と涙をこぼすのだった。