2017/6/11
#425イタリア/フィレンツェ 唯一無二の和紙画作家

今回取材したのはイタリア・フィレンツェで和紙画作家として奮闘する横山明子さん。

彼女が作る作品は「和紙のちぎり絵」。
絵の具を一切使わず、色のついた和紙を一枚一枚ちぎり、貼り付けながら絵を描いていきます。
薄く貼り付け和紙の透明度を生かしたり、依って細く濃くして、線を描いたり。。
しかも、光の効果によってまったく違う絵が浮かび上がるという独自の技法を使った作品です。
作品の表情がガラッと変わるその瞬間、美術に造詣が浅すぎる僕でも思わず圧倒されてしまいました。

取材に伺ったのは、展示会真っ只中。
石の象嵌細工作家のお二人、リトアナ・ディ・サバティーノさんと小山聡美さんとの合同展示会。
明子さんの作品もインパクトと美しさを兼ね備えていましたが・・・
こちらの象嵌細工も、繊細で貴重な作品だということが一目で伝わってきました。

「フィレンツェは芸術家が集まる街なんです。
 この街にいると、インスピレーションが湧いてきます。」と明子さん。
まさに芸術の町フィレンツェ。

また、街のはずれにある元修道院の建物を尋ねると・・・
なんと各お部屋が、職人や芸術家たちの"アトリエ"に。
建物を街が管理し、一般に提供しているんだとか。。
芸術家が自分のアートに没頭するにはもってこいの場所です。
庭の穏やかな雰囲気がとても気持ち良く、心が洗われるようでした。
明子さんが芸術家としてこの街で骨をうずめたいという理由がわかった気がします。

そしてそんな明子さんをなにより支えてくれているのは夫のミロさん。
いつも冗談をいいながら笑顔で明るくお話をしてくださいました。
明子さんの作品を誰よりも理解し、その活動を支えてくれています。
そして、ミロさんのご家族も。
時間を見つけては明子さんのお手伝いをかって出てくれます。
「本当ありがたいですよね、こんな嫁に・・・(笑)」
芸術家活動に没頭し、なかなか結婚に縁がなかったという明子さん。
お互いを尊重しあえるパートナーに巡り会い、感謝の気持ちでいっぱいだといいます。

これからも自分が信じる芸術を
自分が大好きな街で心置きなく描き続けてください!

担当ディレクター 市井

2017/2/19
#411インドネシア/バンジャルマシン 『0』を『1』に

今回取材したのはインドネシアでラーメン店を営む清家威一郎さん。

世界一イスラム教徒が多いこの国の中でも・・・
さらに敬虔な信者が多いという"バンジャルマシン"という町での取材でした。

イスラム教の戒律を守る人々にラーメンを食べてもらうために
豚やお酒、みりんを使わないメニュー、ハラルフードを考案されています。

鶏ガラでダシを取り、野菜をたっぷり使った"こってりスープ"。
夜中から翌日の営業スタート時間まで、不眠で作業してようやく出来上がるスープです。

僕は地球便のロケで海外へ行く時は必ずと言っていいほど
現地でラーメンを食べますが・・・このラーメン、
今まで食べた海外のどのラーメンよりも美味しかった!

どうすればわずか2年間でここまでの味が出せるのか。。
しかも、ハラルラーメンで!
「相当な研究と試作を繰り返さなければ、この味は出せないぞ、きっと!」
そう感銘を受けながらも取材を続けるのですが
威一郎さんは、いたって明るく、ざっくばらんなキャラクター。

「しんどいことは他人にまかせたいですね〜」と
笑いながらも、考えていることは常に新しいことへの挑戦。
「同じアジアでも、タイやベトナムは日本人多いですからね。
インドネシアはビザも取りにくいんで、日本人少ないんですよ。
そんな中で、日本のラーメンを再現できたら・・・
チャンスありそうでしょ?」
もともと日本で飲食店の立ち上げ店長として
何店ものお店の立ち上げを成功させてきた威一郎さん。
「出来上がってるものを、増やしていくのはそんなに難しくないんです。
でも、『0』を『1』にするのはとんでもなく大変で・・・・
そんでもって、めちゃくちゃおもろいんすよ。」と。

月に一度の貴重な休日も、手に工具を持って大工仕事。
お店自体もほとんど自らの手で1から作り上げたのだとか。。
「全く経験なかったんで、Youtube見て大工仕事覚えました。」
溶接機と、溶接マスクを片手に黙々と作業する威一郎さんは
バイタリティと行動力のカタマリです。

そんな威一郎さんを「イチさん」と呼び、兄貴のように慕うのがお店のスタッフ。
みんなインドネシア人の大学生です。
学校に行きながら、ビジネスを学びたい人、レストランを出したい人、
学費のために働いてる人、様々ですが・・・
みんな明るく生き生きと働いているように見えました。
日本語混じりのインドネシア語で熱心に指導する威一郎さん。
それで伝えようとする威一郎さんもすごければ、
それを理解するスタッフもすごい。。
月に一度のミーティングでは、
みんなで食事しながら、一人一人スピーチを行っていました。

「テーマは自由。人前で自分の思いを伝えることで
それぞれのコミュニケーションの向上につながれば・・・って
思ってやってみたんですけど、コイツら想像以上におもろいですわ!」
常に笑顔が絶えない現場です。
その関係性はもう・・・
"ボスとスタッフ"ではなく"先生と生徒"、まるで寺子屋のようでした。

今年が勝負の年と意気込む威一郎さん。
このラーメン事業で成功したら、さらに違う国で、違う事業にも挑戦してみたいと言います。
威一郎さんと同い年の僕ですが・・・
こんなに濃度の濃い人生を突き進む同い年はなかなかいません(笑)
改めて濃度の濃いアラフォーを目指すべく、
素敵な刺激と出会いに感謝がつきない取材でした。

D 市井

2016/10/9
#395カンボジア/シェムリアップ カンボジアの家族


今回取材したのはカンボジアで保育士として奮闘する高橋春香さん。
とても明るくて、思いのまま突き進む、すごい人でした。

春香さんは、カンボジアに大好きな村があるといいます。
幼稚園建設がきっかけで携わった「クバールチャーム村」。

この村の空気・空・木・人々に惚れ込んだんだそう。
建設した幼稚園の授業を手伝うだけでなく、
幼稚園施設の壊れた部分を一緒に直したり、敷地内に畑を作ったりしています。

村では、村人の家族構成を調べてリスト化する調査をすることも。
来年幼稚園に来る子の人数を調べたり、親兄弟の仕事の状況を確認をしたりして
現状を維持するだけでなく、さらにより良い形を探ろうとしている春香さん。
村人も「ハルカー!」と声をかけて温かく迎え入れてくれます。
その行動力にも驚かされたのですが、
もっと驚いたのは・・・
言葉がしゃべれないのに、それをガンガン推し進めていること。
しゃべれないのに!ですよ!

村人と複雑なことを話する時は、まず電話をかけます。
日本語をしゃべれるカンボジア人(シェムリアップ在住)に電話して、
その都度通訳をしてもらってました。

おそろしいバイタリティ(?)!
なにより素敵なのは、そんな無茶ブリな電話にも対応してくれる仲間がいること。
サムさんというそのカンボジア人の方は、春香さんがずっとお世話になっているという大切な友人。

春香さんが、カンボジアにいてお母さんの訃報を受けた時、
相当な落ち込み方をしている春香さんを見てサムさんは・・・
「ハルカは孤児になったな」と笑顔で冗談をかましてくれたとか。
あまりのことに思わず笑ってしまい、逆に心が落ち着いて救われた気分になったとか。
そのあと「ここ(カンボジア)にもハルカの家族はいるよ」と励ましてくれたんだそう。

お母さんが亡くなって急遽帰国し、葬儀も終わって心が抜け殻のようになってしまったという春香さん。
それでも、もう一度カンボジアへと突き動かしたのは、
温かい仲間がそこに待っていてくれたからかも知れません。
今でも亡くなったお母さんへの気持ちの整理がつかないままだといいますが・・・
シェムリアップでも、クバールチャーム村でも、春香さんのことを
本当の家族のように思ってくれる人たちがたくさんいるからこそ
春香さんは春香さんらしいままでいられるんだな・・・そう感じました。


「たいしたことはできてないけど、少しずつ村も幼稚園も変わってきている。
 継続していくことが、きっと自分の目指すところにつながっているんだと思います。
 いつか、母や姉や兄のような立派な人間になりたいんです。」
と春香さん。

その"思い"の強さが、今の春香さんの原動力になっているんだと思います。
これからもカンボジアの空の下、走り続けてください!

D 市井

2016/6/26
#382ジョージア・トビリシ/ワインとバレエ


今回はジョージアという国でバレエダンサーとして活躍する
鷲尾佳凛(わしおかりん)さんを取材させていただきました。

日本ではジョージアのことを昨年まで「グルジア」と呼んでいたので
一般的には聞き馴染みのない国名だと思います。

グルジアという国名であれば「グルジアワイン」が有名なので
ピンとくる人もおられるかも。
実は取材時に宿泊したホテルでも
部屋に入るとテーブルにフリーワインが置いてありました。
なんとありがたい。

取材前夜に景気付けに一杯いただこうと手に取ったのですが・・・
が・・・ワインオープナーが無い。
そんなはずはないと、部屋中探し回ったのですが・・・無い。
諦めきれず、フロントのお兄さんに片言で説明すると、
「ちょっと待ってて・・」と言われて10分後・・・
戻ってきて・・・「やっぱり無かったよ」と。
ガーン・・・・。そんなことがありうるのか。
グルジア人はどうやってワインを飲んでるんだ!?と
いたたまれない気持ちのまま眠りにつきました。
翌日、現地の人にその話をすると
「うーん、どうでしょう。僕はコルクを瓶の中に押し込んで飲んじゃいますけど。」
と、まさかの答えが。
そ、そうなのか それがグルジア流?僕が素人なだけなのか・・・。
ワイン8000年の歴史は深い・・。
そんな思いを抱えてスタートしたグルジア(ジョージア)取材。

佳凛さんが暮らすのは首都・トビリシ。
20世紀を代表するバレリーナ「ニーナ・アナニアシヴィリ」が生まれ育った町でもあります。

ボリショイバレエ団のプリマ・バレリーナを20年以上、
アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルを16年勤めた伝説的バレリーナ。
国を代表する国立バレエ団の芸術監督として
ジョージアバレエ界を一手にまとめあげるのがニーナ・アナニアシヴィリなわけです。
現役を引退したといいつつも・・・すれ違うだけでもオーラがスゴイ。

トビリシには歴史ある国立劇場や、プロをめざすダンサーのための国立バレエ学校もあり
バレエに対する熱の入れようが尋常じゃありません。

幼い子どもたちも毎日真剣にダンスレッスンに励んでいます。

その学校の理事長も、ニーナ・アナニアシヴィリが兼任しているというから驚きです。

佳凛さんはそのニーナにスカウトされてこの国へやってきました。

世界から注目を集めるバレエ団の一員として、必死でくらいついていく佳凛さん。

まだ主役を演じることはできませんが、周囲にも認められ
上を目指してひとつひとつ階段をのぼっています。

そんな佳凛さんが休みの日によく行く場所が「温泉」。

トビリシの「トビリ」というのは「温かい」という意味だそうで
5世紀ごろこの土地に温泉を発見したことをきっかけに
トビリシの町が作られたと伝えられているんだそう。

古くから残る温泉街が今も人気で、
ダンサー仲間と疲労回復のために訪れるんだとか。
さすがにプロのダンサーとあって体の締まり具合がハンパないです。

それでも海外でダンサーとしてやっていくには力不足らしく
ダンスの練習以外にも体づくりのトレーニングが欠かせないそう。
二十歳にしてここまでストイックな姿をみせられると
僕もアラフォーといえど頑張らねば・・・と反省。
まずは健康な体から・・・。

いつの日にかヨーロッパの大きな舞台で
主役を踊る佳凛さんを見られる日がくることを
心からお祈りしております!

D 市井

2016/3/13
#368韓国/オモニの温かさ


今回取材したのはソウルで一番の繁華街「明洞」で化粧品販売員として奮闘する森川友利奈さん。

現在、韓国のコスメブランド「A.H.C」で働いています。

18歳で韓国人男性と結婚し、三人の子供に恵まれ幸せな日々を送っていた彼女ですが
一昨年の9月、最愛の夫に先立たれ、現在は義母と子供たちとの五人で生活しています。

取材に訪れたのは1月下旬、暖冬と言われる今シーズンで、最も寒い一週間でした。
外気温はマイナス16℃。体感温度はもっと低かったと思います。
想像を上回る寒さに、友利奈さんもお店の中でダウンジャケット着用状態。
我々も、体力の消耗が激しいし、カメラのバッテリーの消耗も激しい。
あまりの寒さに外でインタビューをすることさえできません。
頑張ってサムギョプサルとマッコリで体を温めるも
お店からホテルに帰るだけで、体は完全に冷凍されてしまいます。

そんな中・・・取材を敢行したわけですが・・・
お店の中はぎっしり中国人のお客さん。

カタコトでしか中国語をしゃべれない友利奈さんですが、
なんとか奮闘している様子。

もちろん、日本人客となると友利奈さんが大活躍です。

しかもその半数が友利奈さんを指名して接客してもらっていました。
お客さんの話を聞くと、友利奈さんのブログがきっかけで知り合い、
日本にいる時から連絡を取り合っている人がほとんど。
友利奈さんのブログは毎日更新され、文章も丁寧に装飾し、
写真もたくさんアップして、できるだけ商品の魅力が伝わるよう工夫されていました。
しかも・・・書き込みはすべてスマートフォンで。

一度ブログを見ていただくとわかりますが、
その投稿のクオリティは到底スマートフォンで作ったとは思えない作り込み具合です。
(僕が時代に乗り遅れているだけかも知れませんが・・・)

友利奈さんは韓国コスメのブロガーとしてはかなり有名らしく
その情報の丁寧さ、新鮮さから多くの人気を集めているそう。
女性の美への探究心はすごいですね〜。

そして今回の取材で一番心に残ったのは友利奈さんのお義母さん。

お孫さんたちを保育園・小学校に送って行ったあと、
そそくさと台所に立つお義母さん。
我々取材班の朝ごはんを作ってくださいました。
自然体でとても情深く温かい人柄、
これぞ「韓国のお母さん」っていう感じ。

ご自身も息子さんを亡くされ、傷心だと思うのですが、
残された孫たちと友利奈さんのことをいつも気にかけておられました。
「この家族は、私にとって四人のかわいい子どもたちです。」

友利奈さんが、ご主人を失った今も韓国で頑張っていけているのは
この温かいお義母さんの存在がとても大きいのだと感じました。

「将来をどのように描いて良いのか、今はまだわからない」
今の友利奈さんの素直な気持ちだと思います。
それでも・・・
家族五人で前へ前へ、力強く歩んでいるその姿を見ると
とても応援したい気持ちが込み上げてきました。

人生の厳しさと、家族の温かさを
改めて感じさせてくれる・・・そんな取材でした。

D 市井

2015/11/1
#352中国・北京/自由とチャンスの国

今回は中国の首都・北京で建築家として活躍する青山洋子さんを訪ねました。
地球便としては、特別行政区の香港とマカオでの取材はありましたが、
それをのぞけば中国での取材はこれが初めてです。


 

 

北京に降り立ち町に出ると、たくさんの自転車が・・・。
交通ルールもあってないような感じで、自由に走り抜けています。
「あー中国っぽいなぁー・・・」と思って見ていると
ん・・・ペダルをこいでない!?
いわゆる電動自転車のようです。しかも8割以上の人が。
日本で言う原付(原動機付自転車)みたいなものだと思いますが
中国では普通の自転車と同じ位置づけなので、免許も必要なければ、ヘルメットも必要ない。
なんとも自由な雰囲気です。

 

取材で訪れた本屋さんも、ところ狭しと「立ち読み」ならぬ「座り読み」する人々。
通路だろうが階段だろうが関係なく、飲食しながら座り読みです。


 

 

一見、日本人の感覚からするとマナー違反にも思えますが・・・
誰一人それを悪びれる人もいなければ、注意する人もいません。
洋子さん曰く
「この国はこういう国で、それが当たり前なんですよね。
もちろん私は建築家として環境を良くするアイデアは出しますが、
ここにいると私のほうが外国人なわけで、
日本の常識を押し付けるのは、また違うなと。」
そうやって文化に寄り添っていくことも楽しいという洋子さん。
自分の思いが赴くまま、自由に行動するのが当たり前の文化。
この国はこの国で、それは成立しているんだなと・・・変な納得。


建築資材が大量にある大きな市場も取材させていただきましたが、
現場の人たちは驚くほどフレンドリー。
普通なら「撮るな!」と怒られそうなものですが・・・
興味津々でカメラをのぞきに来て、楽しそうに話しかけてきます。


 

とても人懐っこく、言いたいことは言い合い、それでいてすぐにアッケラカンとしている。
それがとても面白く感じ、性に合っているという洋子さん。
「日本人だからといって、中国の人から悪い扱いをされたことはないですね。
むしろ、日本人というだけで、信用が高くなることが多いです。」
日本の中にいるだけでは、現地のリアルな関係性はわからないもんだなと、これまた納得。

そしてもう一つ印象的だったのが
「胡同(フートン)」と呼ばれる昔ながらの建物が立ち並ぶ下町です。


古き良き町並みが残る映画の中のようなノスタルジックな空間で
今にもジャッキー・チェンが自転車に乗って走り抜けていきそうな路地がたくさん。。


この胡同に洋子さんが住むお家があるんですが・・・
ここにも驚きの光景が。
ノスタルジックな昔の中国の雰囲気を味わおうと観光客が急増し、
一部の町並みが様変わりしてしまっているのです。


静かだったメイン通りが、ここ数年で原宿の竹下通りさながらの空間に。
若い観光客が闊歩し、それに合わせるように通りの両側に観光客用のお店がズラリ。
若者向けのスムージーを売ってる店、歴史あるレンガ造りの建物内にある有名カフェなどなど。


イケる!と思ったものは素直に取り入れ、貪欲に攻める!これぞ中国ビジネス。

自由とチャンスの国は、アメリカだけではないようです。
文化は違えど、まだまだたくさんの可能性を秘めている国、中国。
良いことも悪いこともひっくるめてそのすべてが大好きだという洋子さん。
洋子さんとお話をするだけで、中国の本当の姿とその魅力がヒシヒシと伝わってきました。

洋子さんのように自然体のまま・・・
気づけば国の架け橋となるような・・・
そんなステキな人を取材できたことを幸せに思います。
これからもご活躍を応援しております!
ありがとうございました!


 

D:市井

2015/10/4
#349イタリア・ミラノ

今回取材したのはイタリア北部最大の都市、ミラノで
ソムリエとして活躍する林基就さん。

基就さんが現在ソムリエとして活躍されているのが
今年3月にオープンした、レストラン「GONG」。

中華料理をベースにしたフュージョン料理を
提供されています。

私もカメラマンも食に関しては五月蠅いタチなのですが、
2人共料理を頂いだ瞬間に「沈黙」です。

「美味しすぎる…。」「こんな中華食べたことない」

決して冗談でなく、それが2人の率直な感想でした。
基就さんはもちろん、オーナーのジュリアさん、
日本人シェフの古閑さんもとても熱心で、このレストランに懸ける
意気込みが伝わってきます。

今後ミラノで注目のレストランになる事間違いなしです…!

基就さんは2010年・2012年にそれぞれ異なる賞ではありますが、
イタリアのNo.1ソムリエに選出されています。
この賞は、いわゆるソムリエであったり、フードライターであったり
ワインに関わる業界関係者によって選ばれた人物が与えられる賞だそうです。

サッカーで言えばバロンドールみたいなものでしょうか。
基就さんは、
「外国人である自分に、賞をくれるイタリアの寛大さに感動した」
とおっしゃれられていました。

確かに、我々日本にはワインならぬ「日本酒」、ソムリエならぬ「利き酒師」がありますが、
基就さんのケースをこれに例えると、、外国人が「No.1利き酒師」に
選ばれたようなものですから、アジア人としてこれらの賞を受賞するということは
本当に偉大なことです。


さて、そんな基就さんですが、イタリアワインを日本にもっともっと
紹介してゆきたいということで、VinoHayashiというワインショップを
立ち上げ、日本にもワインを輸出されています。

万博やワイン輸出業など、ソムリエとしての枠組みを超え活躍する基就さん。
これからも、日本人ソムリエとして世界中で活躍されることを期待致します!

D 清水

2015/6/28
#338イタリア・カッラーラ/常に想像を上回る芸術家

今回取材したのはイタリア北西部、大理石の聖地と呼ばれる街カッラーラで
彫刻家として奮闘する藤好邦江さん。

邦江さんの朝食は毎日「プロテイン」。
「やっぱり体力勝負の彫刻家だから・・・?」と聞くと
「健康のためです。食事で摂れない栄養を補えるし。。子供の頃、母に勧められて・・・」
予想外の答えが。。。

番組の作り手としてのお話になってしまいますが、
取材をする時って・・・現地で見て、感じたことを質問する。。。
でもある程度「こんな答えが返ってくるかな。。」と思いながら質問します。
しかしながら、邦江さんは時折、想像の斜め上をいく答えを返してくれます。
取材してて、これがまた楽しいんです。

取材中、邦江さんに連れていってもらったのが100年以上続く石工たちの「労働組合」。
昔はたくさんあった労働組合も、今カッラーラで残っているのは唯一ここだけだそう。

仕事を終えたベテランの石工たちが集まり、ワイングラスを片手にポーカーにいそしむ。。。
働く男の一息つくこの空間、なんとも言えません。
ここに邦江さんが初めて依頼を受けた彫刻作品がありました。
モデルとなったのは、20世紀前半に労働組合の代表者として貢献した政治家「ジュゼッペ・ディ・ヴィットリオ」。
どんな人だったのかよくわかりませんが・・・
労働組合の親方チャックがイタリア語で熱く語ってくれたので
とてつもなくすごい人だったのだと想像します。。。



彫刻制作時、邦江さんもこの人がどんな人だったかわからず、写真だけを手がかりに制作したそう。
民衆に向かって、髪を振り乱しスーツをめくりあげながらも、熱く演説する・・・そんな写真だったそうです。
なので、できるだけそのイメージを伝えるべく、ネクタイがスーツからはみ出した形に石を削ったと言います。


邦江さんは、実際の人と寸分狂わず・・・ではなく、
その人の人柄・雰囲気・性格、その人自身が伝わる彫像を目指している・・・そんな風に僕は感じました。

大理石を削る作業場は、まさに彫刻家たちの戦場。
舞い散る粉塵は実に細かく、精密機器の隙間にも入り込むほど。
腕時計は防泥構造のモノを使い、スマートフォンも防水パックに入れて使わないといけないんだそう。。


「腕時計も安全ゴーグルも、日本製がいいですよ、工具はイタリアの方が安いですけど(笑)」

そういいながら、日本とイタリアの良いところそれぞれをバランスよく彫刻に取り入れる邦江さん。
「これからは日本で模型を制作して、イタリアで石にする・・・そんなことができたら・・・。」と像を見上げます。

最初は・・・
「ストイックな芸術家」それが邦江さんの魅力。
そう思って取材してきましたが・・・
ホントは「常に前に進もうとするその心意気と覚悟」が、邦江さんが輝いて見える理由なのかも知れない。
日本に帰国して、編集しながらも、また想像をくつがえされた気持ちになりました。

これからも熱い魂で彫刻を作り続けてください!!



D 市井

2015/3/1
#323アメリカ・ロサンゼルス

今回取材したのはアメリカ・ロサンゼルスでアパレル会社を経営する三兄弟。
洋服作りはほぼ独学。渡米のきっかけは、バスケットボール留学と、異色の持ち主です。


彼らの取材をしてみたい。
そう思ったのは、彼らのブランドのHPにあった“画”がきっかけでした。
すごい画力・・・。一体これは・・・!?

これは三男の雄佑さんが描いた絵でした。
雄佑さんが画を好きになったのは、お母さんやお父さんがきっかけでした。

それにしても、一体どうして彼らが洋服作りを始めたのか?
次々と疑問と興味が湧き起こってきました。

三兄弟の洋服作りの原点を知る人物、
バスケットボール元チームメイトのミーシャさんの部屋を訪ねました。

ミーシャさんは村松兄弟がバスケットボール選手になる夢を諦め、
T シャツ作りをはじめた時から、その夢を応援して来た友人。
T シャツは、記念すべき一番最初に作ったものから、
全作品を今も大切に保管していました。

兄弟も今は持っていないというT シャツ。
ミーシャさんは「それぞれのT シャツにストーリーがあるんだ。
ショッピングセンターで買うT シャツとは違うんだ。
T シャツによっては色あせているものもあるけど、捨てるつもりはないよ」と。
外国から来て、バスケットボールから、また新たな夢を追いかけ始めた、
大佑さんと雄佑さんを近くで応援し続けて来たミーシャさん。
「兄弟はアメリカンドリームだ」と。
ミーシャさんの言葉を近くで聞いていた大佑さんは
「T シャツをまだとっておいてくれて応援してくれるのは嬉しいよ。
兄弟で貯金して、T シャツを作って、ブランドを立ち上げて…。
遠い昔みたいに感じるけど、それが始まりだったんだ」
と言って、ミーシャさんの友情を大切にする気持ちに感銘していた。
こんな素敵な友達が近くにいて、ずっと仲良くしている姿を見て、
素敵だな、と改めて兄弟の人柄を感じました。
そんな、彼らの洋服作りの行程を取材しました。
洋服作りで、まず始めに行くところが「パターンナー」と言われる洋服のデザイン画を元に、型紙をおこしてくれる職人さんの家。
兄弟とは長い付き合いになるという、パターンナーのレスリーさんがとっても明るい声で家に迎え入れてくれた。

レスリーさんに三兄弟について聞いてみたところ、
「彼らの人間性、そこが私の気に入っているところね。とにかく礼儀正しいわ。
商品を取りに来るときも、チェックを私に来るときも、
(お辞儀をして)ありがとう、ありがとうって。みんな礼儀正しいのね、って。
それは間違いないわね」と。
「デザインに関しては、本当に素敵なメンズの服ばかりよね。
トップもボトムスもTシャツも全部私が好きなものだし、
それに何より、変なダサいデザインの服を作らないところかな。
駆け出しのデザイナーは、『嘘でしょう?誰が買うのよ』って言いたくなるようなものもあるわ」とのこと。
アメリカでは大手ブランドのパターンも手がける有名なパターンナーであるレスリーさんだが、三兄弟との仕事は手放したくないそうだ。
若い人の洋服デザインは、少しすればゴミ箱行きのデザインの洋服が沢山ある中、
三兄弟の洋服は生き残っていくものだと、言っていました。

最後にそんな彼らがほぼ独学で洋服作りをしたと告げると、目を丸くして驚き、
「知らなかったわよ!それならなおさらすごいわ。
彼は十分な訓練を受けていたのだろうとは思っていたけど、
きっと彼は目が肥えているのね。間違いないわ。
この仕事をもう40年やってるけど、その中でも彼らは心に残るわね。
私はフレンドリーで賢くてセンスが良い人と過ごしたいし、
そのほうが時間を無駄にしたと思わずにすむわ。
私はかなり忙しいから、出来るだけ優秀な人と仕事をしたいし、彼はその一人よ。
間違いないわ」と太鼓判を押していました。

次の行程は、生地を裁断する「カッティング」。
信頼のおける職人レオナルドさんが兄弟の人柄を語ってくれました。
「言葉使いも丁寧だし、兄弟三人と良い関係を築けて仲良くなっているよ」

カッターですいすい切って行く作業は見ていて気持ち良いが、熟練の技術が必要。
三兄弟が信頼できる職人さん達や工場と出会うまでには、
お金だけ払って上手く上がってこなかったり、騙されたりと、苦難も沢山あったそう。
ブランド立ち上げから、7年。やっと全行程で信頼できる職人と出会って、
洋服作りを軌道に乗せる事が出来始めたと言います。
そしてフィニッシングと言われる最後の行程を行う工場でもまた、
三兄弟の現場での信頼の厚い仕事風景を取材出来ました。
ボタンを付けたり、手作業で一点一点飛び出ている糸を切ってエラーがないか
綿密にチェックした後、パッケージに入れる最後の行程を行う工場。

工場長のアレックスさんに、三兄弟の仕事ぶりを聞いてみた。
「すごく快適な仕事相手だよ。良いお客さんというだけじゃなく、
兄弟が力を合わせてチームワークを発揮している。
わからない事があればすぐに答えてくれるから、君らにはすぐ聞ける。
他の顧客だと時間がかかってしまう反面、彼らはとても仕事が速い」とアレックスさん。

三兄弟は全ての仕事先の相手と、仕事の発注先という関係性にとどまらず、
仲間のように困った時は助け合い、お互いに仲間として、
信頼し合って仕事を進めているということでした。

普段は節約していて、飲み会も年にたまーにの、1、2度という三兄
弟。取材は一月上旬。新年会にお邪魔しました。トーランスという街
に住んでいる三兄弟。トーランスは日本人も多い街で、飲み会に選
んだお店ビストロ・ボウズも、オーナーも日本人で、なんとなく三兄
弟もほっとできるお店。

会社を立ち上げた5人が集結すれば、大佑さんの昔話や武勇伝に花が咲き、大盛り上がり。
大佑さんがかつて言ったという「べガスにホテルを建てる」という、
突拍子もないような夢も、実は会社の大きな原動力となっているそう。
大佑さんは「まずは自分たちのブランドで不自由ない生活を送れるようにして、
それからだ…」と堅実な話しもしていました。
大型コントを見ているような、プロスペクティブのメンバー5人のかけあいが絶妙で、
一緒にいて本当に楽しそうな5人のパワーは、こちらも元気にしてくれました。
山を駆け巡って泥だらけになりながら遊んでいた、少年の心のままに。
心を許し合える仲間と作る会社の強さと楽しさを目の当たりにしました。
5人の結束力はもちろん、
沢山のアメリカで出会った人々に三兄弟は支えられ、導かれてきました。
三兄弟の洋服がアメリカで注目されるようになった流れは、
「人づて」によるところが大きいのです。
アメリカンイーグルスや来年はディオールなど、
世界的に活躍するモデル、ケニーさんも三兄弟の洋服を広めた一人。
三兄弟のブランドのモデルに選ばれたのをきっかけに三兄弟と知り合いました。

兄弟と知り合った時、ケニーさんはまだモデルの仕事を始めた頃で、
地方から出てきたてで、ロサンゼルスにも慣れていませんでした。
モデルと言えば仕事現場では人形のように扱われるのが常で、
あまり人間付き合いはなかったそう。
しかし、三兄弟と仕事をしたとき、とても温かな交流があり、
その時の恩が忘れられなかったそうです。
洋服の素晴らしさを伝えたい、という思いはもちろんのこと、
いつか三兄弟の人柄にも恩返しをしたいと思っていて、
ケニーさんの知り合いであるファッション業界の雑誌社などに売り込んだといいます。

ケニーさんから紹介を受けた、
WEB ファッションマガジンの「ファンタスティックマガジン」の編集長。
プロスペクティブフロウの縫製の良さを伝える為、モデルに裏返して着せたりもしました。
プロスペクティブフロウを特集した号は他の号と違って、桁違いにアクセス数が増えて、その反響の多さに、編集長は何が起こったか最初わからなかったそうです。
編集長によると、「彼らは新しくて、新鮮で、今を生きる人達だから。
ファッション業界でまもなくメジャーになるだろう。」とのことでした。
洋服作りだけにとどまらず、今年始まった新しい試みがあります。
LAで1980年代に大流行したグラフィティアートの元祖であるグループ「K2S Crew」と一緒に、アートとファッションを融合した商品を開発することになりました。

K2S Crew.は、バンパーさんとプライムさんの二人のユニット。
ロサンゼルスの街にはびっくりするような美しいグラフティーアートが目に入る。
縫製工場がたくさんあり、三兄弟の仕事場である、LAのダウンタウンには、裏道を入れば、それらに容易に出会う事ができます。
ロサンゼルスの長い歴史を知るK2S Crew.。
その二人と自然とコラボレーションが進んで行く。
新作のモモヒキにも新たにペイントされるようだ。

「僕らが何でも話してしまうと、いいコラボにはならないから」と雄佑さんが言えば、
プライムさんが、「僕らが表現したいことが自由にできるのは素晴らしいね。
よりよいコラボとして」と答える。
「僕らが全部決めてしまったら、いいコラボとは言えないしね」と大佑さん。
そこではお互いを尊重し合いながら、人種や国籍など全く関係ない、
アーティスト同士の話し合いが熱く行われていました。

K2S Crew.と三兄弟を巡り会わせたのは、LA在住のPhotographer、Chika Okazumi さん。プロスペクティブフロウのカタログ写真を撮り続けています。
その世界観は洋服をさらに自由に羽ばたかせているようでとても素敵でした。
実は番組のリサーチャーが最初にコンタクトを取って三兄弟を紹介していただいたのもChika さんからだと、この場で分かりました。
たくさんの巡り合わせを作り出すChika さん、本当にこの度はありがとうございました。

(Photo by Chika Okazumi)


日本と海外双方のお届け物があった今回。
家族は大佑さんの言葉通り、離れていても「つながっている」ことが出来るんだ、と
改めて教えてもらいました。
謙佑さん、大佑さん、雄佑さん。三人の名前に入っている「佑」という漢字。
「かばい、助ける」という意味があり、
佑の字に恥じない大人になって欲しいと願って兄弟三人に佑の字を付けたそうです。
なぜこんなに仲の良い三兄弟なのか?と
最初に感じたことに答えを一つ一つ体現していってくれるような、
そして、自分も仕事に対して考え直したい、そんな気持ちになった4日間の取材でした。

D名倉

2015/2/8
#320カナダ/カルガリー マジシャンのパートナー

今回取材したのはカナダでマジシャンとして奮闘する小野厚さん。

マジシャンの方を取材するのは初めてだったのでとても楽しみでした。
目の前でいろいろなマジックを見せていただいて、ただただ驚くことばかり。

日本での経験だけでなく、洋書のマジック本も研究し続けているという努力家な厚さん、
近所のマジックグッズ屋さんでよくマジックの古書を発注するそう。

そのお店のマスターもマジシャンで、いろいろマジックを見せてもらいました。

「いろんな人にマジックを見て喜んでもらえること」がマジシャンとしての一番の「喜び」。

厚さんもマスターも口をそろえておっしゃっていました。
我々、映像作りをする人間にもどこか通じるものがあるなぁと、共感。


しかし、世界の舞台で戦えるマジシャンになりたいとカナダに来たものの、
ビザの関係で4年間もマジシャンとして働くことができなかったという厚さん。
さらに、マジシャンとして仕事を始めてからも、簡単な道のりではなかったそうです。

プロマジシャンを名乗ったものの全然仕事が入らず・・・
ホームページやチラシを作ったり、異業種交流会へ参加したり・・・
思いつくまま活動したといいます。
宣伝や人脈作りでかなりお金を投資し、経済的に苦しい状態が続き
「この方法でいいのか?このままでいいのか?」と悩み、苦しんだそうです。

そんな時、一緒に暮らしている婚約者の直実さんは
「必要なところには迷わず投資すべき、そうしないとお金は帰ってこない!」と強く背中を押してくれたそうです。

厚さんの迷いは消え、まっすぐな思いで営業活動に力を注ぎ、
その後、徐々に仕事が増え始めわずか2年間でカルガリーマジシャン界の中でも
トップクラスのギャラをもらえるまでになったといいます。

まだまだ上を目指したいという厚さん、
心強いパートナーがそばにいる限り、きっとその夢は現実のものに。。。
これからもご活躍お祈りしております!!

D市井