中国の反日運動4 ~反日デモの余波~
大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者
特派員生活の中で最も忙しい日々
『上海』の「反日デモ」は、文字通り“嵐”のようでした。投石など
の激しい被害を受けた『日本総領事館』は、翌17日に領事館の敷地を
メディアに公開しました。
無数の石やレンガ片、ペットボトルに加え、すでに異臭を放ちつつあ
る卵やトマト。中にはどこから持ってきたのか木製の椅子。カラーボ
ールなのかインク瓶なのか、壁には一面前衛アートのようなペインテ
ィング。
大使館や総領事館、つまり在外公館は、「その敷地内を設置した国が管
轄する」と『ウィーン条約』は規定している。『上海』の『日本総領事
館』は、『上海』にあっても『日本』だということです。
そこへ向けて、石やらを投げつけるという行為の不躾さ……これ以上
解説はいらないでしょう。
「反日デモの原因は一体何なのか?」。当時も、今でも聞かれることが
あります。
「侵略戦争への根強い反感が心の底にあるのは事実だ」と思いますが、
その報復としてこんなやり方に、誰が納得しますか。デモの参加者が
口々に叫んでいたのは「愛国無罪!」。「愛国のためなら何をしてもよ
い?」……本気でそう思っているなら、あまりにも幼稚な発想。
「反日デモ」は、参加者は一時のストレス解消になったでしょうが、
図らずも、「礼儀知らずで、恥ずかしい姿を世界中にさらけ出しただけ」
と私自身は考えています。
とはいえ、それからしばらくは連日、早朝から深夜まで総領事館周辺
のようすを警戒し、精神的にかなりの緊張を強いられる日々が続きま
した。『北京』と『東京』から、さらに『読売テレビ』からも「応援の
クルー」が『上海』入り。通常の支局スタッフに加え、10人以上の人
間が取材に奔走していました。海外の支局のなかには、10人以上のス
タッフが日々動いているところもありますが、『NNNの上海支局』は
記者(私)1人にカメラマン1人、アシスタント2人にドライバー1
人、という最小規模の支局。この反日デモのあと3週間ほどが、4年
間の特派員生活の中で最も忙しい日々でした。
トイレに籠もって総領事館を撮影
連日「被害を受けた日本料理」店を取材し、あっという間にやってき
た次の週末。最も警戒すべき『日本総領事館』の周辺にはずら~りと
コンテナの列。領事館への道路が完全に封鎖されていました。
(今頃やっても遅いわ……)と思いつつ、このままでは領事館の外観
の撮影すらできません。
世界中どこでも同じだとは思いますが、私たちは撮影対象物が何かに
遮られて見えないとき、周りにある高い建物を物色します。『上海』の
総領事館の場合は、南側の『世界貿易センター』。繊維製品などの問屋
や展示場があるビルです。時間がある場合は、コンプライアンスの観
点からもビルのオーナーさんに取材趣旨を説明して許可をもらいます
が、このときはもう時間との戦い。一般客を装って中に入れた私たち
は、日本総領事館がうまく見渡せそうな5階か6階へ。ちょうど領事
館側に面した休憩所のスペースがあり、まずはここで少し撮影。
しかし、カメラを持って長く居座っていれば、警備員に見つかってし
まうのがオチ。ビルの中をしばらく巡回してみると、ありました……
トイレ。個室の中なら少々長居していても怪しまれずに済みますし、
「これはいい場所を見つけた」と思いました。今になって思い返せば、
「アホなことしとったなぁ……」とも思いますが、当時は真剣、かつ
必死でした。
結局この週末はデモはありませんでした。なければ「ニュースにする
必要はない」のが普通ですが、「デモはなし」というニュースが成立。
日本の人たちは、『上海』の動向に注目し続けていたのでした。
この週が明けた月曜日、4月25日……『JR福知山線脱線衝突事故』
が起こります。デモ発生前から2週間近く休みなく、ほぼ毎日トップ
ニュース……睡眠時間は少なく、「上海で起こるはずない」と信じてい
たデモが起こったショックから精神的にも参っていた私。朝ヨロヨロ
と支局に行き、NHKのニュースでJRの事故を知りました。
反日デモの首謀者はたったの16人
4月25日になって、上海市当局は突然、「反日デモの首謀者16人を逮
捕した」と発表。それまでまったく扱わなかった「関連のニュース」
を放送し始めます。4月16日当日の「領事館周辺の日本料理屋さんに
石やペットボトルを次々に投げ込んでは歓声を上げる大勢の人たち」。
「こんな映像撮ってたんや……」というのがまずは感想です。そして、
その中の幾人かの顔に○印が入りました。逮捕された人たちです。
何千人もの人が破壊行為を繰り返していたのに、「たった16人だけの
逮捕なんて、おかしいやん!!」……逮捕された人たちは、「中国の報
道」では一般的ですが、手錠に囚人チョッキ姿で、カメラの前で懺悔
します。「私は悪いことをしました。家族に申し訳ない、云々」その後、
デモのルートをネットに載せたという会社員の男性も逮捕されました
が、16人が逮捕された翌日には、大学生たちのグループがデモ当時の
様子の映像を見た後、「これは政府により禁じられた行為です」などと
インタビューに答えていました。結局上海のデモは「一部の反動分子
の仕業」ということで幕引きとなるのかと思うと、「もう脱力感を感じ
ずに、何を感じろというのか」という状態でした。でもこれが、「中国
の報道統制」の現実です。
その後、ニュースの出稿量が減ったとはいえ、『上海』の状況が変わる
わけではありません。
次に警戒レベルを上げなければならないのは、5月1日=メーデーで
した。「労働者の休日であるメーデー」から1週間は、中国でも日本と
同じくゴールデンウィーク。中国語では「黄金週」といいます。
お役所を始め多くの企業が休みに入るため、「デモや集会が行われる可
能性」が高まります。しかしこの日も、幸い大きな動きはありません
でした。
次は5月4日=『五四運動記念日』という噂
そして次は、5月4日です。5月4日は日本では当時『国民の休日(今
年からはみどりの日)』という暢気な祝日でしたが、中国ではいわゆる
『五四運動の記念日』です。1919年5月4日。第一次世界大戦の
『パリ講和会議』で「日本が出した中国に対する21か条の要求」が
認められ、これに反発して中国全土でデモや反日運動が起こりました。
いわば、近代中国における「元祖反日運動」……中国人は、5月4日
という日に特別な思いを抱いている人が多いのは事実です。
ここ1か月以上にわたって反日機運が高まる中、「ピークはやはり5月
4日ではないか?」という情報が実しやかに囁かれはじめました。
今回は『上海 』だけでなく、周辺の『蘇州・寧波』などで「デモ」の
うわさ。大虐殺の禍根が残る『南京』も要注意。『東北部』も危ない。
さらに「内陸部で日系スーパーがある都市の名前」がネット上に飛び
交っていました。検討の結果……「どこで起きたとしても、再び上海
で起きる可能性をケアするべきだ」ということになり、私は『上海』
でその日を迎えました。
領事館周辺はもの武装警察によるものすごい規模の警備で、(最初から
ちゃんとやってよ……)とあらためて思いました。しかも、カメラを
手に持っているだけで飛んできて、撮影を阻止、記者証まで取り上げ
られそうな緊張した雰囲気。
しかし、「こういう雰囲気であるというなかで顔出しリポートを撮影し
なければ意味ない」……こんなときに理不尽に拘束されたり、カメラ
を没収されるのはいつも以上に癪にさわるので、こういうときは知恵
比べで勝負です。領事館の東側数十メートル離れたところにオープン
カフェがありました。お店の中には私服の警察官がたくさんいます。
私は、ワイヤレスマイクを上着の中に仕込み、日本から応援に来てく
れていたカメラマンと旅行者を装ってコーヒーを買い、テラス席に座
りました。私の背後には、ガラスが割れ、カラーペンキだらけの領事
館。武装警察もしっかり立ってくれていて、背景としては申し分なし。
私は、「ちゃっちゃと喋ってその場を一刻も早く立ち去ろう」と思い、
できるだけ日本語を話すのを避けるため、カメラマンに「準備はいい
ですか?」と目で合図。カメラマンは位置を調整するのに少し椅子を
後ろにずらしました……と、そのとき、運悪く数センチほどの段差が
あって、カメラマンは椅子ごと後ろにひっくり返りました。幸い怪我
はなく、「怪我がないとわかる」とあとはもう笑いがこみ上げるだけ。
「いかん、ヤバイ。私、ただでさえゲラなのに」……カフェの中にい
た女性警察官が、「大丈夫?」という顔をして私たちを見ていました。
幸い、取材クルーであることはばれていないようです。こみ上げる笑
いを押し殺して、リポートを収録し、その場を離れました。前線基地
にしていた近くのホテルの部屋に飛び込み、大声を上げて、涙を流し
て笑いました。
結局、朝のアクシデントを除いて、平穏でした。5月4日を無事やり
過ごして反日デモ関連の取材はひと段落。
この年の「黄金週」は、こんな状況のもとでも『上海』で『世界卓球
選手権』が開かれていました。福原愛選手担当のスポーツ記者さんが
来ていて、結局連休いっぱい私もお付き合いして、ようやく私の生活
にもゆっくり寝られる日が戻りつつありました。
反日デモはいったい何であったのか?
あれから2年……破壊行為によって無残な姿となった『上海の日本総
領事館』は、今年に入ってようやく最後まで残されていた外壁の交換
作業が行われ、最終的に原状回復にむけて動き出したそうです。
土地はもちろん中国側のものですが、『北京の日本大使館』、『瀋陽の領
事館』同じような被害を受けたものの、『北京…瀋陽』の場合は建物を
中国外務省管轄の不動産会社が管理しているため、数週間で原状回復
がなされました。中国側が大家さんだったため、元に戻るのが早かっ
たわけです。『上海』の場合は、建物も日本のもの。原状回復をめぐっ
ては、「資材を取り寄せるのに手間がかかる」「資材の値段が高い」な
どといった理由で、私が駐在していたころからずっと上海市側ともめ
ていました。
結局、原状回復にかかった費用は4000万円とも5000万円とも
いわれています。その後、がくっと減った日本から中国への観光客、
ビジネスへの影響などもあわせると、反日デモの代償に値段をつける
ことはできません。
その後あるとき、『上海』でタクシーに乗りました。行き先を告げたあ
と、日本人の友人と電話で話しました。電話を切ると、運転手は即座
に「日本人か?」と聞きました。私の中に緊張が走り、「しまった……」
と思いました。「車を降ろされるのか?」「暴力を振るわれたらどうし
よう?」……。運転手は続けます、「日本人は礼儀正しいそうですね。
車の運転もとても穏やかで、中国人は見習わないといけません」……
「はぁ~……?」狐につままれたような感覚。
「反日デモは一体何だったのか」……いろいろな考えの中国人に会っ
て、「考えれば考えるほどわからなくなるのが中国」かもしれません。






