2008年に会いましょう!
大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者
上海生活の締めくくり
日本に帰ってきて、1年と1か月が過ぎました。思い起こせば、去年
の4月は「もう、引継ぎ」と称して連日連夜の宴会三昧。
「せめて最後にお食事を……」との申し出は果てしなく続き、夜だけ
では日が足りなくなってお昼まで。引越しの準備もギリギリまで放っ
たらかしにして、「惜別の杯」を交わしていました。
帰国にあたって多くの人から、「まだ帰りたくないでしょう」とよく言
われたものです。
私は、「いや、もうそろそろ一旦帰りたいですわ」と答えていました。
確かに、自分の経験からいって、「上海はそこそこ住みやすい都市だ」
と思います。でも、仕事の内容や立場によって人それぞれ……という
のが実際ではないでしょうか。私としては、とりあえず、「やりたかっ
たことはとりあえずできたかな……」とは思っていました。
赴任した当初は、駐在は3年のはずでした。2年が過ぎたころ、本社
から後任が決まったとの連絡を受け、そのときは「3年で帰るのは、
やっぱり早いなぁ……。何とかならへんかな」と思い、幾度か上司に
交渉を試みたものの、そう簡単に思うようにはいきません。
私の後任である山川現上海支局長は、当時、冤罪の疑いのある事件を
取材していました。
裁判の予定がどんどんずれ込み、とても最初に決めた2005年7月
の赴任は無理、ということになりました。「しめしめ、どんどんずれて
くれていいよ」と、小さくガッツポーズ。
その後、なかなか裁判が進まないので、2006年の3月末をもって
上海支局長は交替、事件は別の記者がフォローすることに一旦決めた
ところ、ギリギリになって決まった判決期日は3月20日。
一審の判決は無罪。結局、山川記者は「ドキュメンタリー番組」を制
作するところまでやり遂げて、『上海』にやってきました。私自身も、
自分の駐在期間が最初に決めたところから9か月近く延びたので、お
互いにスッキリした気持ちで仕事を引き継ぐことができました。
「帰りたくないでしょう?」と聞かれて、「いや。もうそろそろ帰りた
いですね」と答えていたもうひとつの理由。
子宮筋腫が悪化していたことでした。
『上海』に赴任してから2年後に受けた健康診断で、直径2センチほ
どの筋腫核が数個あることがわかりました。しかし、貧血や月経過多
といった自覚症状がなければ、放っておいてもいいとされる疾患です。
2005年の夏、私の駐在が延長戦に入ったころから、通常一週間ほ
どで終わる生理が、10日、2週間、それ以上続くようになってきま
した。「終わったかな」と思っても、血の塊が出てきたり、内装用品と
夜用の特大ナプキンを同時に使っても1時間持たなかったり……。
幸い貧血や腹痛はなかったので、仕事に差し障るまでには至りません
でしたが、ええ大人が経血で何度下着やベッドを汚したことか。この
情けなさは、女性ならご理解いただけるかと思います。
帰国したあと治療を開始して、結局開腹して摘出しました。
直径数ミリから最大5センチほどの筋腫核が32個出てきました。
「中国でたまった“垢”の塊だ」と思っています。
今は、すっかり元気です。
中国総局の全員に送られて
帰国を控え、連日連夜の大宴会。中でも、「こんなんありか!」という
忘れられない夜。
それは、2006年4月14日のことでした。
支局の仕事は取材がなければ通常17時でスタッフは帰ります。
その日もアシスタントやカメラマンが、17時過ぎには、「お先に失礼
します~」。
後から思えば、女性アシスタントは私の顔を見て、少し「ニヤリ」と
して帰っていきました。でもそのときは、それ以上は何も思いません
でした。
ちょうど、『北京』から中国総局長が出張に来られていました。
「恐らく、私が帰国するまでに会うのは最後になるだろう」というこ
とで、「食事をしましょう」ということにはなっていました。お店は、
上海なら上海にいる人が、北京なら北京にいる人が決めるのが一般的
なのですが、その日は、「ネットでよさそうな店を見つけたので予約し
ました」とおっしゃいます。
「へぇ、小林さんにしては珍しい……」と思いつつ、まずはマッサー
ジで疲労回復。
この日は日本から番組取材のクルーも来ていたので、彼らと、小林総
局長と、一緒に食事をすることにしました。お店に着き、個室に案内
されました。上海料理のお店で、いつも近くを通ってはいたものの、
実際に訪れたのはこのときが始めてでした。
料理はコースで頼んであるというので、ビールを注文し、グラスにつ
いでもらっているところで、携帯がなりました。北京でいつも世話に
なっている支局のドライバーの劉さんでした。
(以下、原文は中国語です。念のため)
「大泉!今何してる?」
「ちょうど今からご飯食べるところ。」
「そうか~。一緒に食べたいなぁ……」
「そうね、帰国までに北京に行けたらいいけどね」
「そうじゃなくて、今一緒に食べたいんだよ!」
「そんなん、無理やわ。」
「仕方ないな……。じゃ、今一緒に乾杯しよう!」
「いいよ~。ビール準備できた?ほな、かんぱ~い!」
とそのとき、壁が両サイドにがーっと開き、隣の部屋には劉さんをは
じめ『中国総局』の面々が!……。
「えー?何これ?どういうこと!?!?!?!?」
一瞬自分の置かれている状況がわからなくなりました。
北京から、宮崎記者、榊カメラマン、小林総局長の家族、榊カメラマ
ンの家族、張カメラマン、アシスタントの金さん、楊さん、万さん、
アルバイトの曹くんに曹くんのガールフレンド、お手伝いさんの石さ
ん、コックの宋さんまで……。「お先に」と帰っていったはずの、アシ
スタントの王蕾が笑っている。「やられた……!」。李さんも、王カメ
ラマンも。
ここで気を緩めたら泣いてしまいそう。「よーし!飲むぞ!!!」
ドライバーの劉さんは、「よしきた!」とばかりにジュラルミンケース
を取り出しました。中には、これまで幾度となく撃沈を余儀なくされ
てきた、“魔”のお酒、『白酒』の瓶がぎっしり!
「いや~梱包するのが大変だったんだよ!」
「わかった、わかった。飲みますから。」
一通り杯を交わしたところで、劉さんが今度は紙を取り出しました。
大泉のために、俺は詩を書いた。読むから、聞いてくれ。
春風吹緑京滬間 春のさわやかな風が北京と上海の間に吹く
衆桑捧酒降雲端 大勢の人がお酒を捧げに、雲の端へやってきた
二地三方浦江畔 上海と北京の中国人と日本人が黄浦江の畔(ほとり)に
挙杯聚会別大泉 集まって杯を挙げ、大泉とお別れをする
回望四年嫌時短 四年を振り返れば短く
更惜光陰此時歓 今が楽しければ、時間が経つのは尚更(なおさら)惜しい
泉帰東海潤両面 大泉は東の海へ帰り、日本と中国を潤す
諸君再見零八年 みんな、2008年にまた会おう
前菜の豆腐の甘辛煮と干した魚を食べたところまでで、私の記憶はぶ
っ飛びました。
本当にみんな、ありがとう。
後日談。北京のみんなの飛行機代と宿泊費は、小林総局長がポケット
マネーでまかなってくれたとのこと。本当にありがとうございました。
週末とはいえ、「北京をごっそり空にするなどあってはならないことな
ので、東京には内緒だった」そうです。「もう時効?」ということで、
書いてしまいました。ごめんなさい。
劉さんは、上海に来る数日前から、「お酒の梱包」と「詩」を作るのに
専念していたそうです。
ちゃんと仕事してください。
大泉の担当は今回が最終回です。これまでのご愛読ありがとうござい
ました。
まだまだお伝えしたいウラ話がたくさんあります。それはまた、いつ
かの機会に。







