« ペルー日本大使公邸占拠事件から10年 | トップページへ戻る | 2008サミットは北海道・洞爺湖で »

2007年04月25日

中国の反日運動1

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

詳しいプロフィールを見る>>


BBSに書き込まれた反日感情
2年前の今日、4月25日に起きた最大のニュースといえば、『JR
宝塚線の脱線衝突事故』でした。


「106人の乗客と運転士が死亡、500人以上が負傷する」という、
JRとしては史上最悪の事故でした。
『ニュース・スクランブル』では、先週木曜日から「関連の特集」を
連日お送りしています。
さて、当時『上海』にいた私、実は相当弱っていました。
原因は、ほぼ1か月にわたって中国各地で起きた「反日行動」でした。
『上海』で合法的にみることのできるテレビニュースは『NHK』だ
けなので、その日も朝から『NHK』をつけっ放しにしていたところ、
事故の一報。刻々と増え続ける死傷者。JR列車事故の当事者の方々
には大変申し訳なく、顰蹙を買うであろうことは重々承知のうえで告
白しますと、「これで、中国の反日ネタは項目下がるわ……」というの
が、正直な心境でした。
ごめんなさい。だって本当に辛かったんです……。
事の発端は2005年3月……「日本の国連安保理常任理事国入り」
をめぐって、中国のあるウェブサイトがネット上での「反対署名」を
集め始めました。「BBS」には「反日思想を煽るさまざまな書き込み」
が次々と現れ始めます。
「中国の人がなぜ日本の安保理常任理事国入りに対してかくも強固に
拒絶反応を起こすのか」というと、「侵略国家である『日本』が世界を
牛耳るとはまかりならん」という理屈。
そこから派生して、「日本の帝国主義を打倒せよ!」「日本製品不買運
動を起こそう!」「国辱を忘れるな!」「魚釣島は我が国の領土である」
等等……ありとあらゆる「日本を敵対視する書き込み」が膨れ上がっ
ていきました。
最初に行動として現れたのは、3月末の週末……『広東省・深圳』で、
それほど規模は大きくないものの「反日デモ」があったと、他系列の
日本メディアが報じました。「あ~やられた!」と思い、“警戒態勢”
を強めなければならなくなりました。「深圳での反日デモ」は、後から、
とあるウェブサイトの「BBS」に開催予告があったことがわかり、
それからというもの、私たちは支局のスタッフ総がかりでさまざまな
サイトの書き込みチェックを始めました。
調べを進めるうちに、その次の週末にもいくつかの場所でデモが起こ
る可能性があることがわかってきました。また『深圳』か、『広州』か、
『四川省の成都』か……全部回るわけにもいかないので、名前が挙が
っていた都市のうち日本人の比較的多い『広州』にターゲットを定め、
金曜の夜、『広州』入りしたのでした。


広州での反日デモを取材
『広州』の『日本総領事館』は、『広州』の中心部にある『花園飯店』
というホテルに隣接するオフィスビルの一階にあります。このホテル
には多くの日系企業が現地オフィスを構えているほか、敷地内の高級
アパートに日本人がたくさん住んでいます。
4月3日の早朝。道路に面する敷地の入り口から『総領事館』の玄関
までは車用のアプローチがあり、道路から『総領事館』までは少し離
れています。
『日本総領事館』の玄関周辺と敷地への入り口には、通常の警備体制
よりも明らかに多い「武装警察」です。
「香港系」と思われる記者のほか、「日系のメディア」も中国人のスタ
ッフだけを現場に派遣していました。これは「日本のメディアだ」と
バレないようにするためです。
人が集まり始め、ピリピリした空気が漂い始めます。30人ほど集ま
ったところで、「おい、誰がきっかけ作るんだ?」という雰囲気になり、
数人が『日本総領事館』に向かって「シュプレヒコール」を上げ始め
ました。
「日本の帝国主義を打倒せよ!」「日本製品をボイコットせよ!」
集まった人たちの掛け声がだんだん大きくなってきます。
少し離れたところから撮影開始。直接危害を与えるようすはないので、
武装警察も何となく見て見ぬふり。
道路上の人だかりはだんだん大きくなり、カメラを上着の中に隠して
私は群集の中へと入っていきました。
誰かが「赤い円の描かれたA4サイズ位の紙」に火を着け、歓声が沸
き起こります。
さすがに警察官が群集に対しこの場から立ち去るよう指示を出し、道
路上に収まりきらなくなった人たちが、デモ行進を始めました。デモ
隊の向かった先は、数キロ先の「ショッピングセンター」で、比較的
大きな電器屋さんがありました。いつの間にそんなところまで登った
のか、ビルに掲げられていた「SONYやCANONなど布製の垂れ
幕」が引き裂かれ、その度に大歓声が沸き起こりました。
ただし、参加者の表情は怒りに満ちているとは言い難く、どちらかと
いえば、イベントに参加しているような和やかな感じ。
「自分らのやっていることがわかっているのかしら……」と少々アホ
らしくなってきました。
「ショッピングセンター」でひと暴れした参加者たちはやって来た道
を引き返し、再び『花園飯店』へと向かいます。
この途中で、日本料理屋さんが襲撃されました。ドアに向かって数人
の若者が思いっきり蹴りを入れている映像が、その後何度も放送され
ました。この日本料理屋さん……日本料理を提供してはいるものの、
経営者も店員もすべて中国人。「アホらし…」とまた思いました。
このデモ隊に紛れてリポートをしようと思い、日本語でしゃべり始め
たところ、「ここに日本人がいるぞ!」と何人かに取り囲まれました。
「あたしは香港の記者で日本向けの番組を作っている」と中国語で言
うと、ほとんどの人は「ふーん、そうなのか」というような顔をして
デモに戻っていきました。騙されてんの~。
デモ隊は、今度は『花園飯店』の正面を包囲していて、シュプレヒコ
ールを上げていました。
その周りには機動隊の車と無数の警察官。「集会・結社の自由」のない
中国では、許可のないデモ、大勢の人が集まる集会行為は紛れもなく
“違法行為”です。これだけの違法行為が繰り広げられているという
のに、警察官は誰一人として捕まえようという気配すら見せません。
敷地内には入れないように封鎖されていましたが、数人がバリケード
を破ってホテルの玄関まで走っていき、2階にある日本料理屋の窓め
がけて何かを投げ、ガラスが数枚割れました。
私は宿泊客でもあったので、バリケードの端から部屋のキーを見せて
中へ入り、客のふりをして日本料理屋さんに行ってみたら、「窓際の席
にはご案内できません。あと店内が少々暗いのですが構いませんか?」
と言われました。営業していないように見せかけるために、照明を落
としていたようでした。
『花園飯店』には日本の資本は入っていないはずですし、日本料理屋
のマネジャーさんも当然中国人。この期に及んで営業を続けるパワー
には脱帽でした。
外に出てみると、ホテルの掲示板によじ登った数人が、当時の「小泉
総理の似顔絵」に火をつけました。エスカレートし続ける騒動がどれ
くらい続いたのかはっきり覚えていませんが、かなり時間が経ってか
ら地元ではなく「広東省の上級レベルの起動隊」がやってきました。
拡声器から聞こえたのは、「あなたがたの国を愛する気持ちは理解でき
る。だた、“愛国の思い”は行儀よく示そう!」……思わず噴き出しそ
うになるのを必死でこらえました。警察官に促され、参加者たちは少
しずつ現場を後にし、ペットボトルや焦げた紙切れだけが散乱してい
ました。


中国の“愛国主義教育”の結果と言うけれど
夜、再び日本料理屋さんに行ってみました。割られた窓ガラスはすで
に取り替えられており、私は支局のスタッフと窓際の席に着きました。
マネジャーさんに「大変でしたね」と声をかけると、「仕方ないね」と
言葉少な。「あーあ、まったく何でこんなことになるのか……」と思っ
た私は、支局の中国人スタッフに聞いてみました。彼らは、私と一緒
に日本の会社で働いているわけですから、日本が嫌いではないはずな
のに……。
「どうして中国の人は日本が嫌いなの?」と私。「日本は小さい国なの
に、力をもっているからだと思います」とスタッフ。「小さい国とはど
ういう意味なの?国土の大きさと国力はまったく違うでしょう」と私。
「でも、僕たちは学校で日本は小さい国だと習いました」とスタッフ。
「小さい国なのに力を持っているのが気に入らない」とは、「単なるイ
チャモンではないか?!」……。
「これが中国の『愛国主義教育』の結果なの?」……議論する気をす
っかり失った私は、何だか切なくなりました。
翌日も再びホテル周辺や襲撃されたショッピングセンターを回ってみ
たものの、「反日」の気配は全く感じられません。街の人たちに、昨日
の騒動をどう思うか聞いてみたところ、ほとんどの人が「知らない」
といいます。数人参加したという人がいて、「日本製品ボイコットには
賛成です」という答えが返ってきました。本当に身の回りから日本製
品をなくしたら、ほとんどの物がなくなるかもしれないのに。それに
してもあの騒動は一体何だったの……・とすっかり拍子抜けしてしま
い、すっきりしない気分のまま『上海』へ戻りました。
『広州の反日デモ』は、私にとってはまだ序章……。
この2週間後に、とんでもない目に合います。続きはまた来週です。

Copyright (c) 2006YOMIURI TELECASTING CORPORATION. All Rights Reserved.