謎の肺炎~SARS5
大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者
『北京』も『万里の長城』もがらーん
『謎の肺炎』……2002年2月に『中国』での発生により世に知ら
れることとなった「新型肺炎」は、直後に新型の「コロナウィルス」
が原因であることが判明しました。
肺炎に似た症状は、激しい咳、呼吸困難に加え、38度以上の発熱が
特徴です。感染した人の咳やくしゃみによってウィルスが飛び散り、
それを吸引してしまうのが「ヒトからヒトへの感染ルート」とされて
いますが、『香港』のマンション『アモイガーデン』での集団感染では
排泄物説もあり、この期に及んでも詳しくはまだ解明されていないの
が現状のようです……と書くと、冷静でとてもいいんですが、当時は
とにかく『原因不明の伝染病』というイメージばかりが広まっていた
ように思います。
『広東省』、『香港』、そして『北京』と、当時「SARS」の発生地を
追いかけるように遠征を続けていた私に、日本にいる友人知人からの
メールはとても励ましになりました。
そんな中での笑い話……2002年3月といえば、『イラク戦争』が開
戦したときでもありました。当時『NNNパリ支局』にいらした日本
テレビの大先輩・今泉記者は、アメリカ軍に従軍し、連日戦場からの
リポートを送っておられました。「大泉」と一文字違いの「今泉」先輩。
あるとき、『北京』からの私の「SARSリポート」を見たという知人
からのメール。そのまた知人が、「今泉さんって、イラクで取材してい
た人よね? 今度はSARSで北京から出てはったね……危ないとこ
ろばっかり行く人なんやねぇ」って。私は大泉です。
さて、『北京』での日々。先週書いた「スーパーでの買いだめ取材」の
翌日は、世界的な観光名所『万里の長城』へ行ってみました。
ようやく暖かくなる4月下旬、例年なら大勢の観光客で大賑わいなの
ですが、案の定訪れている人はまばら。さっそく現地でのリポートと、
お土産屋さんの嘆きの声などを取材しました。この『万里の長城』も、
通常であれば「取材許可」を取るのに煩雑な手続きがあり、テレビ用
のカメラを持ってうろうろしていると絶対に「許可はあるのか?」と
呼び止められるところなのですが、今回ばかりは撮ったもん勝ち!
非常に心地良い時間でありました。
このほか、『天安門広場』や『北京一の繁華街・王府井(ワンフーチン)』
もがらーん。これまでに目にしたことのない北京の町でした。天安門
の有名な『毛沢東主席の肖像画』の下でリポートを撮ろうとしたとこ
ろ……。民生用のカメラだったので最初は数少ないとはいえ観光客を
装うことができたのですが、マイクを取り出した瞬間に護衛の兵士が
飛んできました。「素人ですけど、いつもこんな本格的なマイク持ち歩
いているんですよ~」とかわしつつ、逃げました。
苦労した取材も、今思うと懐かしい
北京市内でも患者の発生が続々と報告されるなか、新聞にはご丁寧に
「○○通り何丁目何番地で患者が発生」という記事が載るようになり
ました。これは、周辺地域の警戒を呼びかけるためです。当時患者が
出た家の周辺数メートル以内には近づくことができず、家にいる人も
一定期間を置いて「感染していない」と証明されるまでは外出ができ
ない……という状況になっていました。
新聞に番地まで載っていれば、「行きたくなる」のが我々の習性という
ものです。番地を頼りに行ってみると、当該の家の数メートル前から
「立ち入り禁止」の警戒線が張られていました。
それをくぐって取材を開始、レポートを収録して現場を離れようとし
た瞬間……運悪く北京市当局の監視員に出くわしてしまいました。
「何をしている?」「見たらわかるでしょ」「許可は取ったのか?」
そうなんです。北京市では原則、中国外務省が発行した記者証を持っ
ていても、ひとつひとつ許可を取らなければ取材ができないのです。
「しまった、もう少しで逃げられるところだったのに」と思っても仕
方がありません。こうなったら優先順位一位で守るべきは、取材した
テープ。幸い、相手方も我々への職務質問に時間をかけている余裕が
なさそうで、私たちをとことん詰問しようという雰囲気ではなかった
ので、「いやーすいません。あとまだ何も取材していないんですよ。も
うすぐ帰りますから」……と適当に時間稼ぎをしている間に、カメラ
マンは家の周辺をさりげなく撮影。どうにか難をのがれることができ
ました。患者が発生した家の前でのレポートは、もうこれ以上もたも
たしていられないので一発勝負。コメントは噛んでしまったけれど、
そのほうが却って臨場感があったりするものでした。(これはやや自画
自賛)
『北京』は言うまでもなく「中国の首都」でありますが、市街地の中
心部から車で30分も走ればのどかな風景が広がる農村地帯です。
それぞれの集落では、せめて自分たちの村からはSARS患者をださ
ないようにしようと、苦肉の自衛策を講じていました。それは「村人
以外の人は村に入れないこと」と、「外から帰ってきた村人の車や自転
車を徹底的に消毒すること」でした。村の入り口には24時間見張り
の人が立っていて、外からの侵入者をチェックしていました。見張り
の人繰りがつかない村では、入り口に盛り土をして鉄パイプで封鎖。
「そんな程度で防げるの?」思いつつ、村の人たちは必死です。「すい
ませ~ん、SARSが流行している北京市内からではなくて日本から
来たんですけど……」と半ば冗談まじりに聞いてみたところ、「どこか
ら来たヤツでも村人以外は一切入れないよ!」とマジで返されてしま
いました。
こうした取材を一日中続け、くたくたになって最後の楽しみは「夜の
一杯!」といきたいところなのですが、当時“夜遊び”は自粛ムード
で、ホテルのバーでも早々に店じまい。おまけに、「ホテルの部屋」が
なんだか蒸し暑い……いらいらしながらフロントに聞いてみると、「当
局の指導によりホテル全体の中央空調をストップさせている」といい
ます。「こんなに空気の悪いところでは却って菌が繁殖するぞ……」と
思いました。こうした日々が悶々とした日々が、ゴールデンウィーク
で『中国』全土が休暇に入るまで続きました。






