謎の肺炎~SARS3
大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者
中国一の見本市にSARSの影響あり
先々週に次回は『SARS北京編』と書きましたが、「取材ノート」を
見直してみると4月の中旬に再び『広東省・広州』へ行っていました。
『広州交易会』と「日本人学校」取材するためです。
そこで今回は『SARS北京編』ではなく、『再び広州編』です。
2002年2月に初めて「SARS関連の取材をしてからほぼ2か月。
広東省での「SARS=Severe Acute Respiratory Syndrome=重症急
性呼吸器症候群」の流行はこのときすでにピークを過ぎており、最初
に取材に行ったときの“何やら不気味な雰囲気”は薄れていたように
感じました。(実はこの時点で『北京』など中国の北のほうへ広がって
いたのですが、まだ公にはされていなかったのでした)
街の人たちに聞いてみても、「もうそんなに注意していません」という
答えが返ってきました。
『広州交易会』とは、毎年春と秋の2回開かれる「中国最大の貿易商
談会」で、世界中からバイヤーが集まります。正式名称は『中国輸出
品交易会』といいますが、毎年広東省の広州で開かれるので広州交易
会。中国では略して『広交会』とも言われます。会期は2週間ほどで、
洋服や靴・文房具などの日用雑貨から、電化製品、食品、工業製品、
宝石……ともうありとあらゆる「メイド・イン・チャイナ」が、文字
通りずらーーーっと並びます。全部をちゃんと見ようと思ったら3日
はかかるかもしれません。周辺のホテルは、通常の値段の3倍以上に
跳ね上がります。「公式ホームページ」によると去年10月開催分では
出展ブースが3万を超えていました。名実共に「世界最大の商談会」
といえる催しで、中国としては世界中に自慢したいイベントのはず。
なのに……例によって「地元の政府」に取材申請をしたところ、「今回
は海外メディアの取材は許可しない」というつれない返事。
向こう側の言い分は、「毎年取材に来ているメディアの申請しか受け付
けない」といいます。「中国を代表する世界的なイベントがSARSの
せいで精彩を欠いている」……そう報道されるのを嫌がっているとい
うことはすぐにわかりました。
逆に言えば、「SARS」がなければ、「経済専門のメディア」以外は
取材することはなかったわけです。
日本からのバイヤーを受け入れている代理店に聞いてみると、やはり
申し込みはいつもの年の10分の1ほどに落ち込んでいました。
「SARSがあっても、きちんと開催していることを取材するんで
す!」としつこく粘り、現地入りしてから開催前ぎりぎりになって、
なんとか「取材パス」を入手することが出来ました。
主だったブースを回ってみたところ、以前「中国のニュース」で見た
ときの混雑振りとは違い、「ブース」の番をしている人たちは携帯メー
ルに熱中していて、「参加者激減、中国一の見本市SARSの影響あり」
という取材ができました。
SARSでも冷静だった日本人学校
もうひとつは、「広州の日本人学校」の取材です。
ちょうど入学式が行われるタイミングでした。
保護者の方々に聞いてみると、「日本にいる親戚や知人から、“ヘンな
病気”が流行っているらしいけど大丈夫なの?と聞かれるのが、一番
嫌だ」と言っておられました。
「例え“未知の病気”が流行っていたとしても、私たちは家族でここ
に住んでいるし、SARSを怖がっていきなり日本の学校に転校する
のも現実的に無理……」という話。まったくそのとおりです。
日本では、「SARSがよく知られていない病気」あると、煽り気味の
報道が続いていたようですが、報道されているほど現地は動揺してな
んかいなかったのです。
実際に、パニック状態でもなく子供たちは手洗いやうがいをしっかり
やって元気に過ごしていました。「普通にやっています」ということを
伝えたいのだと言うと、学校側も快く取材を了承していただきました。
在校生の3分の1ほどの児童は、SARS騒ぎが収まるまでは……と
いうことで、春休みの間に日本に一時帰国したまま戻ってきていない
状態で、少し寂しい新学期を迎えました……というリポートを日本に
送りました。取材のあと、当時の校長先生から「日本での放送を見た
知人からみんな元気そうで安心しましたという連絡をもらった」と、
お礼の言葉をいただきました。
些細なことではありますが、特派員の仕事のやりがいを感じるのは、
こういうときだったりするものなんです。
「SARSのうら話」はまだまだ続きます。






