メディア論コーヒーブレイク14
辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員
最近驚いたことがあります。それは、複数の人から立て続けに、「ホームページを見てい
るよ」と言われたことなんです。そもそも、このページは、誰かに読まれることを想定してい
ないので、「読んでる」と言われると、けっこうびびってしまいます。ほんとに、気の小さい男
です。
読まれるのがいやなら書かなきゃいいんですが、これも宮仕えの辛さ、業務命令ですから、
今週もぼちぼち始めます。あ、はっきり言います。他の人のページはともかく、私のページ
には、ろくなこと書いてありません。読むだけ時間の無駄です。なにせ私は、本業の放送で
全力出し切ってしまってますから。このページは、あくまで私的な繰言です。ここから読み続
けようという人は、どうぞ、その点だけは、認識して進んでくださいね。
糸魚川にて
さあそれでは、去年の年末から積み残しの「ボインノムセイカ」に付いて書いて行きましょう。
ところで、その前に、最近ちょっと気になったことからお話します。それは先週の水曜日のこ
とでした、いつものように「取材」で訪れた新潟県の糸魚川市で、地元の人と、こんな会話を
交わしたのです。
「いやあ、いっぺん糸魚川には来たいと思ってたんですよ。多分、日本国民で、この自治体
の名前を知らない人はいないですよね。」と私が言うと、意外な答えが返ってきたのです。
「それは、辛坊さんの世代だから、そう思うんです。確かにわれわれの学校時代は、フォッ
サマグナ、糸魚川~静岡構造線といえば、誰でも教室でたたきこまれた言葉です。でもね
え、今は、学校で習わないんですよ。」
「えー!そうなんですか?」
「そうなんです。ゆとり教育で、見事に教科書から消えてしまったんです。ですから、ある一
定世代より若い人は、糸魚川なんて、もう誰も知りません。いまや糸魚川といえば、世界的
な翡翠の産地として、知る人しか知らない場所になってしまいました。どうです辛坊さん、い
~い翡翠があるんですよ。奥さんか彼女の土産にひとつ買いなさい。」
これは、意味もなく衝撃でした。確かに、糸魚川~静岡構造線を知ってたからといって、豊
かな人生につながるわけでなし、まあ、どうってことありません。そんなこと忘れて、近くを
流れる姫川に翡翠拾いに出かけたほうがよっぽど儲かります。でも、なんだか、世代を超
えて同じ知識を共有していることの、安心感というか、連帯感というか、そんなものがどん
どん希薄になってゆくことがとっても寂しいんです。世代を超えて会話が成立しなければ、
おじさんたちはキャバクラでいったい何を話せばいいのでしょう。なんだか、フォッサマグナ
は、「共感の喪失」、その象徴のように思えるんです。
そういえば、去年の秋にこんな体験をしました。
ハロウィーンで驚いた
ほら、十月も終わりに近づくと、日本中に、かぼちゃのお化けがあふれるでしょう。そうで
す。ハロウィーンです。あのかぼちゃは、ジャック・オー・ランタンって言うんです。ハロウィー
ンという習慣は、西欧で一般的なものだと思っている人が多いですが、そんなことはありま
せん。確かにハロウィーンの翌日、十一月一日は、オール・セインツ・デーといって、キリス
ト社会では重要なイベントです。でもその前夜祭であるハロウィーンは、北米大陸独特の、
いわば土着の習俗なんです。でもいまや、日本中にこの習慣が広がりました。で、近所の
ガキンチョに聞いたんです。
「おまえらなあ、ハロウィーンだのなんだのと大騒ぎしやがって、その上、トリック・オア・トリ
ートかなんか知らんが、お菓子までねだりやがって、何のお祭りか分かってやっとんの
か?!」
すると、近所のガキは言いました。
「知ってるよ。アメリカのお祭りやねん。この日になあ、死んだ人が甦るねん。」
「ふーん、よう知ってるな。日本のお盆と一緒やな。」
「えー?“おぼん”てなんや」
もう世も末です。
ハロウィーンは知っていてもお盆は知らんとです。トリック・オア・トリートを口にすると、お菓
子をもらえるのは知っていても、地蔵盆で子供が集まることはないとです。
なんだが、この国はとってもゆがんだところに進みつつあるような気がして悩みます。それ
とも、これは時代の流れなのだと、笑って受け入れるべきなんでしょうか。
首長族の少女
そういえば、この間、読売新聞を読んでいたら、難民としてタイに避難している、首長族の
母娘の写真に出食わしました。
お母さんは、首に何重にもリングをはめた、どっから見ても見事な首長族の婦人です。娘さ
んは中学生くらいですが、首の周りのリングを明らかに鬱陶しがっているように見えます。
当然私は、首長は優れた文化だと思うし、そういったさまざまな習俗があってこその世界だ
と理解するわけですが、当の娘さんにとっては複雑ですわな。
かつて、「世界」が、それぞれの民族にとって、自分の目で直接見える範囲だった頃には、
少女の周りの女性は全員首にわっかをはめているわけで、何の疑問もなく、そうしていた
んでしょう。多分、その頃その社会では、首にわっかをはめていない女性は、パンツをはか
ずに町を歩くくらいの違和感があったはずです。でも、読売新聞が伝えるところによると、彼
女の通っている学校の同級生女子13人のうち、首にわっかをはめているのは、彼女一人
なんだそうです。こうなると、「何で私だけが、こんなみっともないカッコしなくちゃいけないの
よ。私は大きくなったら、アメリカにでも留学に行って、世界をまたにかけて働くキャリアウー
マンになりたいのよ。ニューヨークを首にわっか巻いて歩けないわよ。」
そんなボヤキが聞こえてきそうな写真でした。
まあ、渋谷や、六本木では、鼻にわっかはめた兄ちゃんがいっぱいいますので、首にわっ
かくらいどうってことないよ、という気もしますが、当人にとっては大問題でしょう。
と書いているうちに思い出したことがあります。
飛騨高山で怒られた
私は予備校時代に、人生に行き詰って、飛騨高山の、とあるお寺に籠もったことがあるの
です。そこは、さすらいの仏師円空の刻んだ「両面すくな像」があることで有名な寺でした。
私は夏の間中、この寺の囲炉裏端で仏像を刻んでいたんです。そのとき、住職の奥さんに
「すばらしいお寺ですね。この佇まい、この雰囲気、後々まで伝えていくのが、今に生きる
私たちの責任ですよね。」
と言うと、おかみさんにこう返されました。
「冗談じゃないわよ。あんたたちは夏来るだけだからいいわよ。冬になったらどんなに不便
で寒いか。郵便だってスノーモビルで週二回しか来ないのよ。そういうことは、冬に来て言
いなさい!」
「すすす、すいません。そそそ、そんなつもりじゃなかったんです。」
文化を守れ!というのは簡単です。でも、果たしてそれを守ることが、今を生きる人にとっ
て幸福なのかどうか、私にはいまだによく分かりません。
びっくり!糸魚川には糸魚川はない
あ、そうだ、糸魚川で、もう一つ思い出しました。皆さん知ってました?糸魚川市には、糸
魚川は流れてないんですよ。というより、糸魚川という川そのものが存在しないんですっ
て。
「へえ、糸魚川に糸魚川はないんですかあ???」
と、大げさに驚いたら、こういわれました。
「なに言ってんですか、神奈川県に神奈川が流れているんですか!」
んー、なるほどね。
とうわけで、ボインのムセイカはまた次回に。






