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2007年01月31日

家禽類好きな私と鳥インフルエンザ

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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今年に入り、『宮崎・岡山』と相次いで「鳥インフルエンザ」の発生が
報告されています。
「鳥インフルエンザウイルス」は、「A型インフルエンザ」が鳥類に感
染する感染症。
正直なところ、最初にこの感染症の存在を知ったときは、「そない大騒
ぎするもんかいな……?」と思ったものでした。

調べてみると、「鳥インフルエンザ」は1960年代から世界中で報告
されています。
ヒトが感染し死亡したケースもありますが、今のところヒトからヒト
への感染は報告されていません。
時は2004年。その前の年には中国全土はおろか世界中で大騒動を
引き起こしたSARSが大流行していただけに、(SARSについては、
また別の機会に書きます)、
「妙な感染症=やっぱり中国」と思われていた方も少なくないのでは
ないでしょうか?
ところが、『中国』で初めて公式に「鳥インフルエンザ」の発生が報告
されたのは、2004年2月の『中国南部・南寧市』のケースです。
このときは『中国』国内ではいろいろ報道されていましたが、『日本』
ではさほど大騒ぎにはならなかったのではと記憶しています。
なぜなら、相前後して『日本』でも『京都』でニワトリの鳥インフル
エンザ感染が報告されていたからです。
日本での騒動と報道ぶりは詳しくはわかりませんが、「感染症は中国だ
けで流行るんじゃないねんで」とちょっと思いました。
外報ニュースの宿命……わが身に降りかかる出来事であるかどうかも
バリュー判断の目安で、いくら外国で大きなニュースがあっても、国
内ニュースに勝るものはそうありません。
そういう意味では、「鳥インフルエンザ」はそれなりに気合を入れて取
材していたにも関わらず、「中国で云々……」というのは、日本国内で
はあまり興味を持たれていなかったような印象です。
実際のところはどうだったんでしょう?……


中国の鶏は値段も美味しさもびっくり
さて、きょうはここで「鳥インフルエンザ」についてお伝えしたいの
ではありません。
何を隠そう、私は無類の“家禽類大好き人間”です。
牛も豚も羊も食べますが、「どれか一つ選べ」と言われたら絶対に「鶏
や鴨料理」を選びます。
「中国の鶏」は、日本のブロイラーものや地鶏(も、もちろんおいし
いですけど)とは比べ物にならないおいしさ!
しかも、値段もびっくりするほど安いので、おいしい「鶏肉」が簡単
に手に入るんですから、鶏好きには願ってもないことでした。近所の
スーパーで丸々一羽が手に入ります……丸ごとで、日本円で300円
くらい。活きたまま売られていて、「これちょうだい」というと、その
場で絞めて毛をざざざっとむしってくれます。それをぶら下げてルン
ルン家に帰り、「さて、どう料理しようかな」という具合です。
好きこそものの上手なれ、ということで、包丁一本で鶏を捌けるよう
になりました。

最初に鶏捌きに挑戦したときは、まな板の上にくたっと横たわる鶏に
若干うろたえたものの、切り開いていくうちに、『ケンタッキー』で食
べていたそれぞれの部位がパズルのようにはまり、「へぇ~胸肉の骨は
こう付いているのか……」などといたく感動したものです。
さらに関節をはずしたり、首を落とすのにも最初は結構勇気がいりま
したが、新鮮な鶏肉の味を知ったらそんなことは言っていられません。
余計な味付けは必要なく、茹でてちょっと塩味をつけるだけでそれは
ジューシーで、鶏好きにはもうたまらない。なので、お鍋にすること
が多かったのですが、身の部分はもちろん、頭も足も全部余すところ
なく入れます。
ちなみに、頭の部分はその日一番の上客に食べていただくのが中国式
おもてなし。『中国』で「鶏ナベ」を食す機会があったら、煮立った鍋
から頭や足がぬっと出てきても、決して悲鳴を上げないでくださいね。
ほどなくして、『上海』でも郊外のアヒル農家で「鳥インフルエンザ」
の発生が報告されました。
それはそれとして粛々と取材をしていましたが、「何が残念って」……
市場やスーパーで活きた鶏はもちろん、鶏肉の販売が一時禁止されて
しまったこと。
「鶏を食べられないなんて中国に住んでいる意味ないや~ん」と真剣
に思いました。アホかと言われても……。

2007年01月30日

政局は危機感・不安感に溢れている

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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“そのまんま東現象”におびえる政党幹部
先週の水曜日、『日本記者クラブ・民放解説研究会』の「賀詞交換会」
が行われました。
これは私達民放の解説者の勉強会に与野党の政治家を迎える新年会で、
今年は安倍晋三首相もお見えになりました。

政治家は来た順に「1分間スピーチ」をするのが恒例で、その後の懇
談の中で意外な本音が聞かれたりするのが楽しみです。
安倍首相のスピーチは「ヨーロッパからフィリピン・セブ島へ、年頭
は外遊が続き、腰を落ち着かせて考える間もなかった」と激務を語り、
「強い総理を訴えなければならない」というものでした。
「施政方針演説」で“安倍カラー”を打ち出すことを意識していたの
でしょう。そして、激務を感じさせるかのように、少しスリムになっ
ているのが印象的でした。
塩崎泰久官房長官は、「いろいろ言われていますが、めげずにやりたい」
と、記者連に不評なことを知っていての発言でした。
今年は、与党よりも野党からの出席者が多かった会になりました。
前原誠司民主党前代表が「去年は肩書きがついていましたが」と言う
と、岡田克也元代表は「一昨年は肩書きがついていた」と笑わせ、共
に「参院選で保革逆転を狙うので、国民の理解を得たい」とのことで
した。
菅直人代表代行には、「都知事選」についての質問が飛び、自身の出馬
には触れず、「不戦敗はない。勝てる候補者を選考中」と少し歯切れの
悪い答えでした。
渡部恒三最高顧問は「起き上がり小坊師」と「黄門さまの印籠」を持
ってご機嫌でしたし、仙石由人議員は「CMがひどい!あれじゃ難破
船だ!」と「党3役のヨットのCM」に不快感を見せていました。
『国民新党』からは綿貫民輔代表と亀井静香代表代行。
綿貫代表が「民主党がしっかりして欲しい」と発言し、亀井代表代行
は「今年は与党を倒す年。しっかりとした報道をして欲しい」と私達
に注文をつけました。
そして、懇談の中で感じたのは、「東国原英夫氏の宮崎県知事当選」を
受けての “そのまんま東現象”への反応でした。
与野党に共通して「既成政党に対する不信感をどうするか」が悩みで、
「このままでは参院選を戦えない」ということでした。


誰が「この指止まれ」と言い出すか
私が初代「報道東京駐在」に就任したのは1993年(平成5)です。
『自民党』が分裂して、『宮沢喜一内閣不信任決議案』を可決、衆議院
が解散して、選挙が行われた年です。
その結果、『自民党』は過半数割れとなり、『新生・日本新・さきがけ』
で100議席を超え、8党連立会派の『細川内閣』が誕生しました。
“そのまんま東現象”でみられるように「政党離れ」が進み、“シラケ
無党派”が増え、与野党が共に「危機感・不信感」に包まれている今
の政局は、あの頃にとてもよく似ているように思えます。
誰かが「この指止まれ!」と声を上げれば、“第3勢力”が誕生しても
おかしくない状況です。
しかし、誰が言い出すかは不明です。
一番近くにいた平沼赳夫氏が脳梗塞に倒れて、今はその機会ではない
でしょうし、前原誠司・枝野幸男氏ら「非小沢」が「自民党の新政策
集団」と連携を組むような方向に行くのか、いずれにしても参院選後
までは様子見になるのでしょう。
「政権再編」と言われて久しくなりますが、このような様子が続くと、
3年以内に「今と同じ体制ではなくなる」と思えて仕方ありません。

2007年01月29日

国会序盤の争点はどこに

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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“安倍カラー”を打ち出した施政方針
今日から国会では「代表質問」が始まりますが、これに先立ち先週の
金曜日に安倍晋三首相の「施政方針演説」が行われました。

43分に及ぶ長い演説で、「日本」という言葉が35回も出てきました
し、カタカナも多く、就任直後の所信表明では避けた「戦後レジーム」
という言葉を復活させるなど、“安倍カラー”を打ち出した演説でした。
「次の50年、100年の時代の荒波に耐えうる新たな国家像を描く
ことが私の使命」と言い切り、「憲法改正や教育再生などでの保守理念
の回帰」を訴えました。
特に「憲法改正」では、改正手続きを定める『国民投票法案』の「会期
内成立を強く期待する」と表明し、また「教育再生」でも「教育新時代
を開く」と力説しました。
「成長力強化」や「再チャレンジ」で『美しい国・日本』への夢も語
りました。
そして、最後に福沢諭吉の「出来(いでき)難(がた)き事を好んで之を勤むるの心」と
いう言葉を引用し、「施政に臨む心」を述べました。
自民党からは「強い意志が感じられた」「まじめで誠実さに溢れていた」
とおおむね好評だったようですが、野党からは「総花的でインパクト
がない」「整合性のとれた哲学が聞かれなかった」「若さを強調したが、
重量感に欠けた」など批判が浴びせられました。
私の感想を一言で言うと、「理念は分かるけれど、具体性に欠ける」と
いうことになります。
特に「生活に直結する諸課題」については、ほとんど語られていません。
民主党が今国会を「格差是正国会」としているのに対し、「経済的に困
難な状況にある勤労者の底上げを図る」と述べましたが、「格差」とい
う言葉はついに使われずに終わっています。
また、「カネと政治」が大きな争点になることが予想されるのに、一連
の「疑惑」には触れず、「政治資金制度のあり方は各党・各会派で十分
な論議を期待する」と逃げています。
「消費税」についても、参院選後の引き上げに含みを持たせただけです。
これでどんな論戦が展開されるのでしょうか。


角田義一参院副議長の辞任
「通常国会」が始まったばかりで、角田参院副議長が辞任することにな
りました。
01年の参院選で、約2500万円の寄付を受けながら、政治資金収支
報告書に記載していなかったことが疑われたからです。
本人は「私はカネの出入りは知らない」と疑惑を否定し、「副議長辞任
はない」としていたのですが、その中に朝鮮総連系からの寄付があるこ
とも明るみに出て、辞任へ追い込まれました。30日の『参院本会議』
で辞任は承認されます。
『民主党』にとっては、今日からの「代表質問」で「政府・与党の金銭
疑惑」を追及するためには、角田氏が辞任しなければ「追及が難しく
なる」と判断したからです。
これにより、小沢代表は、「松岡農林水産相や伊吹文部科学相らの政治
資金を巡る問題を追及し、政策論議に入る」としています。
しかし、身内を切り捨てれば、相手を攻めることが出来るのでしょうか。
それに小沢代表には、「4億円余りで秘書の独身寮を建て、それを事務
所費に計上した」という話があります。
「法には触れていない」と言いますが、「4億円の事務所費」というの
は庶民感覚とは離れすぎています。
これについてはどう説明をして、「カネと政治」をどんな政策論議に導
くのでしょうか。
今日の「小沢氏の代表質問」は注目に値します。

2007年01月24日

氷の都・ハルビン

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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零下30℃の氷まつり
『日本』は今、1年で最も寒いとされる時期なのに、『大阪』はこのと
ころ暖かい日が続いています。
そこできょうは、『黒龍江省ハルビン』での凍える体験です。

『黒龍江省』の省都『ハルビン』は、別名「氷の都」と呼ばれていて、
1年のうちほぼ半分は日中の最高気温が氷点下という極寒のまちです。
2003年の暮れのこと、年明け一発目は何を取材しようかといろい
ろ調べていたところ、「氷祭り」というイベントが毎年行われているこ
とがわかりました。

中国語では「氷雪節」というのですが、そのままではなんのことだか
よくわからないので、日本語では「氷祭り」と訳されています。
『ハルビン』の冬は半端じゃなく寒い。地理資料によると日中の最高
気温が-30℃。
まったく想像のつかない気温。とりあえず、大量の使い捨てカイロを
持参していざ『ハルビン』へ。

街の中心部にいくつか設置される会場には、さまざまな雪像と氷像が
並び、夜になると見事にライトアップされてそれは美しい光景でした。
ちょうど2003年に『三峡ダム』の2期工事が完成したこともあり、
最も大きい氷像は『三峡ダム』。
そして、世界で3番目の有人宇宙飛行に成功した『神舟5号』の模型
が子供たちに大人気。
取材当日、気温は-20℃でした。現地の人によると、「今年は暖かい」
という。
そら、10℃高ければそうかもしれませんけど、外に出て30分もす
れば足元からジンジン冷えてきます。やや厚底のブーツにカイロを入
れてはいたものの、全く役に立たず。
「こんな中でよう遊ぶわ……」と中国の人たちの屈強さに改めて脱帽
です。

「氷祭り」のなかに「氷上結婚式」というイベントがありました。
30組ほどのカップルが、氷のステージに勢揃いして、“永遠の愛”を
誓います。でも新婦のドレスの裾からしっかりラクダ色の股引が……。
やっぱり寒いはず。
さらに、お祭りといえば屋台が付きものですが、こんなに寒いのです
から何か暖かい食べ物や飲み物を期待していた私を裏切ったもの……
みんなが食べていたのはアイスクリーム、そして、凍ったサンザシを
串にさした飴。再度脱帽。

氷像を作る氷は、『松花江』という川の水が凍った自然の氷。
毎年「氷祭り」の時期が近づくと、地元では「今年も氷の切り出し作
業が始まりました」というニュース流れます。
実際カチンコチンに凍った川の上を「まさか割れないやろな……」と
ちょっとドキドキしながら飛んだり跳ねたりしてみましたが、氷はび
くともしませんでした……ほっ。

さて、お昼になり『黒龍江省』の政府の方と食事をすることになりま
した。このとき知った東北料理のおおらかさ。とにかくお皿がでかい。
小皿に取り分けたらゆうに20人前はありそうな料理がどんどん出て
きてびっくり。肉あり魚あり、見た目にはもちろんおいしそうだった
のですが、残念ながらかなり大味。しかも、身体はすっかり冷え切っ
て胃が動いていないのがわかりました。そんな私にビールを進めない
でほしい。

『ハルビン』は古くは重工業の栄えた都市で、今の中国の発展からは
やや取り残されているのも実情です。
中央政府は、『黒龍江省・吉林省・遼寧省』のいわゆる『東北3省』の
経済改革方針を打ち出してはいますが、『上海』を中心とする沿岸部の
発展にはまだまだ差があります。
そうした中、新しい産業として地元政府が力を入れているのが、観光
産業です。
この「氷祭り」に国内のみならず国外からも観光客を呼び込み、国際
イベントとして定着させたいと政府の人は話していました。
そのために改善するべきことは多々あれど、まずは空気の悪さを何と
かしないと……と思いました。空がかすんでいるのは天気のせいでは
なくて粉塵。一日外にいるとのどはイガイガ。ホテルに戻ってうがい
をすると無数の黒い粒が出ました。

中国のニュースサイトによると、今年も1月5日から「氷祭り」が開
かれているようです。
会期は結構長くて、氷の溶け出す3月末までいろいろなイベントが続
きます。

2007年01月23日

日本は北朝鮮とどう対応するのか

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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米朝協議がますます盛んになる
安倍首相は、『訪欧』で西欧首脳から「拉致問題」についての理解を得
てきましたし、『ASEAN首脳会合』でも議長のアロヨ・フィリピン
大統領が「拉致問題」に言及しました。

就任直後に内閣に『拉致問題対策本部』を設置した安倍首相は、これ
らのことから、「国際世論にも拉致問題が広く浸透した」と胸を張って
います。
しかし、『北朝鮮』は「拉致問題はすべて解決した」という立場を取り
続けているので、『日朝間』には何の進展もないままです。
そんな中、先週『ベルリン』で、『6者協議』の米・首席代表・ヒル国務
次官補と北朝鮮・首席代表・金(キム)桂(ゲグ)寛(ァン)外務次官の協議が3日間にわたって
行われました。
会場は双方の大使館で、『ベルリン』市内で会食したことも確認されて
います。
ヒル国務次官補は、この協議を「有用な話し合いだった」と評価し、
内容は明らかにしませんでしたが、「6者協議再開」に手応えがあった
ようです。
帰国の途、『韓国・日本・中国』に立ち寄ったのも、それを裏付けてい
ます。
そして、「金融制裁問題」を巡る『米朝実務者会議』が今週にも開かれ
ることも明らかにしました。
米朝間の“対話ムード”が一気に高まっています。
この背景には『アメリカ』が「2万1千人のイラク増派」で、「北朝鮮
の核問題」に十分な力を注げなくなっていることがあります。
『アメリカ』は「対話」でなんとか時間を稼ぎ、『北朝鮮』は「対話」
の中で「金融制裁解除」の手掛かりを掴むという「2国の思惑」が結
びついているのです。
これまでの『米朝協議』は、『中国』の仲介で『北京』で行われてきま
したが、『ベルリン』での協議は「米朝の直接交渉」で実現したものと
みられています。
「金融協議」の行方次第では「米朝対立」の再燃も考えられますが、
「対話路線」はしばらくは活発になるのでしょう。


北朝鮮はますます飢えている
『北朝鮮』に事務所を置く『世界食糧計画=WFP』によると、「援助
用の食糧」の在庫が尽き、「北朝鮮の食糧事情」はますます厳しくなり、
2月にはギリギリの状態になると言います。
去年が大凶作、その上「韓国からの食糧援助」も中止となり、これま
で庶民の生活を支えてきた「物々交換」や「自由市場」から「食糧」
は姿を消しているようです。
また、「経済制裁」も効いています。
『日本』が『万景峰号』の入港を禁じたのもこたえています。
「ヒト・モノ・カネ」の流れが止まってしまったからです。
これまで『金正日体制』を支えてきたのは、「軍部」です。
そのために、金正日総書記は「軍部」に優先的に「食糧」や「贅沢品」
を回してきました。
その「軍部」が飢えたら、大変なことになります。
「軍部」が離反したら、『金正日体制』は間違いなく崩壊します。
『北朝鮮』が今、『国連開発計画=UNDP』の「援助」を不正に流用
しているという疑惑が出ていますが、それも「軍部」に流用されてい
るのでしょう。
『北朝鮮』は『アメリカ』に「金融制裁解除」を求め、『日本』には
「食糧援助」を期待しているのは確かなことです。
『日本』は「北朝鮮とどう対応するか」……「日朝間は大きな転換点
にきている」と言えそうです。
先日の「山拓訪朝」は、「拉致問題に何の進展もなかった」と低く評価
されていますが、「日朝間にパイプを残した」という意味では否定だけ
ではないようです。
春先には、何らかの動きがあるように思えます。
「核兵器の放棄」が前提になるのでしょうが。

2007年01月22日

憲法改正国会 VS 格差是正国会

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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不満だらけの党大会
今週の木曜日・25日から「通常国会」が始まります。
それに先立ち、先週は『自民党』と『民主党』の「定期党大会」が開
かれました。

早かったのは『民主党』で15日と16日。
小沢一郎代表は、16日には出席し、「私自身の政治声明を賭けて戦う」
と挨拶したものの、初日は顔を見せませんでした。代表は会場近くで
地方組織の幹部から「参院選への取り組み」を聞き取ったり、指示を
与えていたといいますが、“力強い小沢”を期待した党員の中からは、
「存在感がない」「入院騒ぎを思い出す」などと不満が出ました。
党大会は「今国会を『格差是正国会』と名付けて戦い、『参院選』での
“与野党逆転”を唯一最大の目標とする」という「07年度活動計画」
を採決して閉幕しました。
しかし、「知事選不戦敗」や「候補者選びの難航」などの選挙戦略や、
「消費税据え置き・年金財源」「事務所費問題」「帆船を使ったCM」
「格差是正の具体策」など党の姿勢・国会対応についての疑問・不満
の続出した党大会でした。
一方、『自民党』は翌17日に大会を開き、安倍晋三総裁の「美しい国
日本」という書き初めから始まりました。
そして、「憲法改正」を全面に押し出し、今国会を『憲法改正国会』と
し、憲法改正の手続きを定める『国民投票法案』の成立を最重視し、
「統一地方選・参院選も『憲法改正』を掲げて、正攻法で臨んで勝ち
抜く」と訴えました。
しかし、「憲法改正で選挙が勝てるか」という声も強く、地方党員から
は「地方や生活に関する話がない」という不満が出ました。
『自民党』も『民主党』も「不満だらけの党大会だった」と言えそう
です。
また、政府・与党は『国民投票法案』を除くと、野党との争点になり
そうな法案のいくつかを早くも「提出見送り」にしました。
例えば、「残業代ゼロ」と不評だった「ホワイトカラー・エグゼンプシ
ョン」導入の『労働基準法改正案』や「艦艇の機能強化」の『首相補
佐官権限強化法案』などです。
その意味で、今国会は「焦点があるようで、ないような国会」になり、
「政策論争」の代わりに「スキャンダル合戦」になりそうです。


“ポスト安倍”は「麻・垣・康」か
安倍政権が誕生して100日余り、「安倍総裁最初の党大会」だったの
に、その陰で「ポスト安倍」を巡る動きがあったことが明らかになり
ました。
自民党谷垣派会長・谷垣禎一前財務相によると、古賀派会長・古賀誠
元幹事長と麻生派会長・麻生太郎外相の双方から「派閥連携」を打診
されているのだそうです。
『谷垣派も古賀派も麻生派』も元々は『宏池会=旧宮沢派』ですから、
「3派を結集して『宏池会』を復活させよう」という動きは以前から
もありました。
今度の古賀会長からの誘いは、「“タカ派”の安倍首相に対抗するため
に“反タカ派”で組もう」というものでしたが、麻生会長からは「俺
と組んで“ポスト安倍”を狙おう」というもので、「俺を先に(総理を)
やらせろ」というのが連携の条件でした。
谷垣会長としては、古賀派と連携することは考えられても、麻生派と
は組む気がないので、講演でこの「麻生発言」を暴露してしまったの
です。
麻生会長はこの暴露発言に対し、「マナーとしていかがなものか」と不
快感をあらわにしましたが、「通常国会を前にして“ポスト安倍発言”
をするあたりが麻生氏らしい」という声もあります。
これで反転攻勢に出ようとしている野党に対し、どのような対応を示
すのでしょうか。
かつて“ポスト小泉”を争ったとき、「麻垣康三」いわれましたが、
今度は「麻・垣・康の争い」になりそうです。
あの時、早めに下りてしまった福田康夫氏に期待する声も根強くある
からです。

2007年01月18日

メディア論コーヒーブレイク13

辛坊 治郎辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員


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皆さん、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いい
たします。とは言いながら、「もう松飾も外そうかという時期なんだ」、という
感じがしなくもありません。

今、私が担当しているのは三番組ですから、テレビカメラの前で、すでに
三度ご挨拶をさせていただいている訳で、とても熱心な、ありがたい視聴
者の皆様におかれましては、「もういいよ」との声もあろうかと思います。
でも、もしかすると、このコラム以外に私と接点のない人もいるかもしれま
せんので、ご容赦ください。まあ特に、この駄文に付き合ってくれている皆
さんは、特別な皆さんですしね。皆さんあっての私です。皆さんあっての
読売テレビです。そして私あっての読売テレビです。いや、間違えました、
読売テレビあっての私です。どうぞ今年もお見捨てなきよう、切にお願い
いたします。


「春」が来れば思い出す
それにしても、この時期いつも思い出すことがあるのです。

それは消防出初式です。どこの自治体でもあるこの行事、地元の消防団
の皆さんが華麗な梯子乗りを披露したり、あるいは、消防自動車が出動
して色とりどりの水を撒く、「カラー放水」が行われたりと、初春を彩る恒例
の催しとして、各地ですっかり定着しています。で、今年も大阪市消防局
が繰り出す一切放水隊の映像を見ながら、思わず一人で笑ってしまいま
した。

思えばあれは十年ほど前、ある後輩アナウンサーが、正月のシフトにつ
いていたときのことでした。


正月勤務は、「勤務のホームラン王」だ!
当時正月に出勤すると、通常の休日出勤手当てに加えて、かなりの額の
正月出勤手当てというのが支給されていました。ですから、どうせ暇な若
手のアナウンサーにとって、会社でおせち料理まで出してくれて、割り増
しの給料がもらえ、さらには、昼に缶ビールまで出る上に、どうせいわゆ
る暇ネタ、つまりどうでもいい季節の話題くらいしかニュースのない勤務
は、まさに「勤務のホームラン王」、または文字通り「勤務の盆正月」と言
われて、人気だったのです。もちろん今では、勤務時間中にビールを飲む
なんてご法度ですが、当時は、まあ正月の昼ニュースくらいビール飲んで
も、という甘い時代でもありました。何せ、取材待機の記者が、とりあえず
近所の雀荘に出勤していたような時代ですから。

そんなワケで、おせち料理のおまけの缶ビールでホンのちょっぴりいい気
分になった、某若手アナウンサーが、典型的な暇ネタ、「大阪市消防局消
防出初式」のニュースを読み始めたのです。

「エー、本日は消防出初式、大阪市消防局の消防車十五台が、長居陸上
競技場に一同に集まり、一斉に放火しました」

私は中間管理職として家でテレビを見ていて、お餅を喉に詰めました。そ
りゃそうでしょう、正月早々、消防車が放火したのではしゃれになりませ
ん。

あわてて会社に電話しました。

「おい!○○!おまえ今、消防車に放火させただろう!」

「シンボウさん、なに酔っ払ってるんですか、放水に決まってるでしょ
う!?」

「なに?ということは、記者もデスクも気が付いてないのか?アホ!VTR
チェックしろ!」

しばらくして電話がかかってきました。

「すすす、すいません、放火させてしまいました。どうしましょう」

どうにもこうにも、にっちもさっちもブルドッグです。って、このギャグ分かる
人はもうほとんどいないかも知れません。

ところが不思議なことに、このときは一件のクレームもありませんでした。
消防車が放水するVTRが流れていましたから、多くの視聴者の皆さんは、
耳では「ホウカ」と聞こえたはずでも、脳は「ホウスイ」と理解してくれたよう
なのです。人間というのは思い込みにとらわれる生き物だということがよく
わかります。まあ、もしかすると、誰も見てなかったのかもしれませんけど
ね。というわけでこの時、この不祥事はなかったことにしてしまいました。

みんなで揉み消した訳です。ネタが消防ですから。


みんな失敗して成長したのだ
というようにアナウンサーの失敗をあげていけばきりはありません。私の
した最大の失敗は、てな話はおいおいするとして、あ、そうだ、今年最初
のアナウンサーの失敗の現場に先日居合わせました。とある番組で一緒
に仕事をすることになった、私が今一押しの若手アナウンサーAくんがリ
ハーサルでニュースを読んでいた時のことです。

「ケイホウです。○○氏が亡くなりました。」

私はちょっと身構えました。誰かが死んでケイホウが出るとは、そりゃ通
常の事態じゃない。すわ、アルカイダの大物の死去でテロ警報か、それと
も北朝鮮で動乱か、と思ったのです。しかし、よーく聞いてみると、その後
続いたニュースは、単なる経済人が亡くなったという話でした。「何でケー
ホーやねん。」と、頭の中に?マークが七つほど点ったところで、気が付き
ました。
「あれえ、もしかして、それってフホウじゃねえか」

確かに訃報のフの字は八卦のケの字によく似ています。多分Aくんは、生
まれてからずっと訃報は「ケーホー」だと思ってきたのでしょう。また、慶弔
という言葉もありますから、ケーという音と訃報が結びついたのも分かる
気はします。でも、本当にリハーサルでよかったと思います。本番でやっ
ていたら、Aくんは半年は立ち直れなかったでしょう。いいんです。そのた
めにリハーサルはあるのです。皆さんも決して笑ってる場合じゃありませ
ん。この手の誤読は誰にでも必ず一つや二つあるはずです。いや、多分
十や二十はあるはずです。恥をかかずにすんでいるとしたら、それはたま
たまとても運がよかったか、それとも、恥をかいていることにすら気づかな
いかのどちらかです。若い皆さん、どうぞどんどん恥をかいて大きな人に
育って行ってください。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥です。Aくん、
頑張ってね。応援してるよ!


「ボインのムセイカ」はどこに行った?
などと昔話に浸っているうちに、今回の本論「ボインのムセイカ」について
書いているスペースがなくなってきました。まあ、年の初めにボインでもな
かろうと思いますので、これは次回のお楽しみということで。


それでは、重ね重ね、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2007年01月17日

阪神・淡路大震災から12年

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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『語り継ぐ、1・17』
いつもは「中国のウラ話」ですが、今回は『阪神・淡路大震災』です。
当時私は入社4年目で、神戸支局に勤務していました。
『神戸』は大学時代の4年間を過ごした、私にとってはいわば“第二
の故郷”ともいえる場所。怒涛の日々が始まりました。ひとつひとつ
の取材エピソードを書き始めたら本当にもうエンドレスなのですが、
中でも忘れられない話をご紹介します。

地震発生からおよそ2か月後。
当時神戸では、市街地で暮らしていた人たちが仮設住宅を必要として
いるにもかかわらず、建設場所を確保するために、多くの仮設住宅が
郊外に建設されました。
市街地の仮設住宅は高倍率の抽選が繰り返される一方で、郊外の仮設
住宅には抽選なしで入れる、という事態が起きており、先着順受付の
会場へ取材に行った私はある男性と出会いました。
浦田鈞(ひとし)さん。当時55歳。
手続きを終え、鍵を受け取った浦田さんに、「仮設へ引越しされるよう
すを取材させてほしい」とお願いしたところ、快く了解してくれたの
です。
浦田さんは一人暮らしで、『東灘区』でカラオケスナック『サウンド』
を経営していました。
1月17日の朝、営業を終えてラーメンでも食べようかと車を走らせて
いたところへ激震が襲います。あわてて店舗兼自宅へ戻ってみると、
ものの見事にぺっしゃんこ。
しばらく親戚の家などを転々としたあと、「仮設住宅に入れる」という
ことで、先着順鍵渡しの会場を訪れていたのでした。
仕事も家も失った浦田さんが引っ越した先は、『北神戸第6仮設』。
プレハブの仮設住宅に少しずつ入居者が増え始め、春には「自治会」
ができ、コミュニティが形成されていきました。
元来世話好きで責任感の強い浦田さんは自治会の役員を引き受け、
仮設の広場でカラオケ大会や夏祭りを開き、沈みがちな住民を励まし
続けました。放送ではそういう楽しい場面を中心に取り上げていまし
たが、仮設の暮らしは想像を絶する壮絶なものでした。夏は蒸し風呂、
冬の朝にはサッシが凍りつき、部屋の中はまるで冷蔵庫。
全戸にエアコンが設置されていたものの、一日中かけっ放しにするよ
うなムダ使いをする人はいません。
薄い壁一枚隔てただけで、プライバシーなどない生活。
たまり続けるストレスにお酒を飲んではちょっとした口論が取っ組み
合いの喧嘩になり、パイプ椅子で殴りあったり、木刀を振り回したり、
何度も警察沙汰が起きました。
たまたま居合わせただけなのに、私まで警察の調書を取られ、出刃包
丁が飛んできたこともありました。
そして、誰にも見取られずに一人で亡くなる、いわゆる「孤独死」も
たびたび起こりました。
仮設の集会所、「ふれあいセンター」から、何度もお葬式を出しました。
いつもまとめ役として奔走する浦田さんを、住民の人たちは本当に頼
りにしていました。


仕事を再開しても、明日は見えない
97年3月、地震から2年3か月……浦田さんはようやく仕事を再開し
ます。知り合いの紹介で震災後ずっと空き店舗だった店を借り、久し
ぶりにお客さんに囲まれた浦田さんは本当に嬉しそうでした。
ところが、当時『日本』を襲っていたのは不況の嵐。家賃やリース料
が払えず、わずか9か月でお店をたたむ選択を迫られました。
そして翌98年、貯えのほとんどをつぎ込んで、小さなスナックで再び
仕事を始めました。

仕事ともう一つの問題は住宅。自力で再建したり、希望する災害復興
住宅に当選した人たちが仮設を後にしていきました。空き家が目立ち
はじめ、残っている人たちには不安と焦りばかりが募ります。
被災地で用意された災害復興住宅はあわせて17万戸以上。
数としては十分足りていたものの、やはり仮設住宅と同様、「場所の問
題」が持ち上がっていました。
もともと住んでいたところへ戻りたいという思い。わがままだといわ
れてもこだわりは捨てきれず、希望の住宅に申し込んでは落選通知を
受け取るばかり。浦田さんは神戸市からの最終的に98年3月を最終
期限とする通告をうけ、希望していた場所とは違う公営住宅に引っ越
しました。仮設を出て2日後、浦田さんは猛烈な腹痛に襲われました。
胃に大人の拳ほどの潰瘍が2つみつかり、2か月の入院生活を余儀な
くされました。
せっかく再開したお店も、主不在では立ち行かず、再びお店を閉めま
した。再び無職となり、悶々と暮らす日々が続きました。
派手な服装、豪快で太っ腹。カメラを回すといつも「がんばります!」
と笑顔になった浦田さんが、「なんでこうなるんや・・・」と弱音をも
らすようになりました。
でも、取材者として向き合っている私にはどうすることもできません。
それでも、浦田さんが「もう取材は勘弁して」ということはありませ
んでした。

99年の暮れになって、ようやく希望する市営住宅に空きが出て、浦田
さんは『東灘区深江』に戻ってきました。この時、地震からまもなく
5年。『ニューススクランブル』で何度も放送した特集をまとめ直して
「ドキュメンタリー」として放送することになりました。
「タイトル」は『明日がみえない~ある被災者の5年』……浦田さん
に報告すると、「わしにピッタリのタイトルやな」と笑って言いました。
2000年1月に番組が放送されたあと一緒に食事をしたときに、「次は
お店や。今度は失敗せえへんで。絶対に取材に来てや」と話していた
浦田さん。その約束を守ってくれませんでした。
その年の6月、自宅で心臓発作を起こし、浦田さんの60年の人生は幕
を閉じます。
あの地震さえなかったら……。
棺に横たわっている浦田さんは、もう「きょうの取材はもうええやろ、
ホルモン食べに行こうや!」とは言ってくれません。
番組を編集したエディターさんは、それから毎年、1月17日に浦田さ
んと一緒にたばこを吸うために『神戸・東遊園地』で行われる「追悼
集会」に赴いているそうです。
去年の10月ごろ、所用でもと『北神戸第6仮設』があった場所を訪れ
る機会がありました。一部は空き地のままでしたが、新しい住宅が立
ち並び、大きなショッピングセンターもできていました。
そこに仮設住宅があったことを偲ばせるものは何も見当たりません。 
家を失った人たちの壮絶な暮らしぶりも、もう知られることもないか
もしれません。

今年も、『ニューススクランブル』では、5日間にわたって『震災を語
り継ぐ』をテーマに特集を組みました。「語り継ぐ」とはどういうこと
なのか、あらためて考えさせられています。

2007年01月16日

通常国会の開幕迫る

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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マハトマ・ガンジーの予言
机の中を整理していたら、“インドの国父”と言われたマハトマ・ガン
ジー(1869~1948)の「20世紀末の予言」が出てきました。
今から60年余も前に書かれた「20世紀末の世界は次のようになる」
という予言『20世紀末 資本主義・7つの大罪』です。
書き写してみましょう。

『20世紀末 資本主義・7つの大罪』
マハトマ・ガンジー
1、    原則なき    政治
2、    道徳なき    商業
3、    労働なき    冨
4、    人格なき    教育
5、    人間性なき   科学
6、    良心なき    快楽
7、    犠牲なき    宗教

どうですか、20世紀末を過ぎ、21世紀も7年目になりましたが、
まさに「現在の日本」を表現しているようではありませんか。
安倍晋三首相が唱える『美しき日本』とは、「このような大罪のなき
日本」のように思えます。

来週からは『通常国会』が始まります。「スキャンダルのあばき合い」
ではなく、「日本をよくするための論議の展開」を望みたいものです。


どう出るのか民主党
今度の日曜日には、『山梨・愛知・宮崎』の「3知事選」が行われます。
気になるのは、この「3知事選」で、『民主党』が独自候補を立てられ
なかったことです。
小沢一郎代表の「知事選などで自民党と相乗りはしない」という原則
を守ったのでしょうが、「適当な対立候補がいなかった」というのが
本当のところです。
『沖縄知事選』で『社民党・共産党』と相乗りして敗北したことも、
「野党共闘」の難しさを思い知らされたのでしょう。
しかし、「政権交代」を狙うには、選挙のたびに「もう一つの選択肢」
として、「自民党とは違う顔」を示して欲しいものです。
「相乗り禁止」とは言っても、「3知事選」での「民主党の県連レベル」
では、自民党候補を応援しています。
これでは昨年末の『和歌山知事選』に続いて「3連続不戦敗」という
ことになります。
『愛知』は「3人区」ですが、『山梨・宮崎』は「1人区」です。これ
で『参院選』での「1人区勝利」を期待できるのでしょうか。「選挙を
しない民主党」では、「選挙に強い小沢」もないように思えます。

今度の『通常国会』で、『自民党』の「政治資金の経理を巡る疑惑」は、
『民主党』の絶好の攻撃材料なのでしょうが、小沢代表の「06年の
事務所費が4億円超」とあっては、やぶ蛇になる恐れがあります。
また、『参院選』が終わるまでは、財源を示さず「消費税は5%のまま」
というのも不思議な話です。
『20世紀末 資本主義・7つの大罪』を打ち破るような「選挙公約
=マニフェスト」こそ、『民主党』に期待しているのですが。

2007年01月15日

安倍訪欧・山拓訪朝

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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留守中に自民党スキャンダル多発
先週の安倍政権は、『ヨーロッパ』で「外交」を展開しました。
安倍首相は『イギリス』『ドイツ』『ベルギー』『フランス』と『EU=
欧州連合』で首脳会談を重ね、『NATO=北大西洋条約機構』の本部
で歴代首相としては初めて、しかも英語で演説もしました。

また、麻生外相は『ルーマニア』『ブルガリア』『ハンガリー』『スロバ
キア』の東欧4カ国を訪問し、首相と外相が西と東から『EU』との
連携を強めたことになります。
『EU』は、年始に『ルーマニア』『ブルガリア』が加盟し、加盟国は
27になり、「外交」だけではなく、「人権・環境問題」でも共同行動
を広げ、“国際政治での存在感・発言力”を増していますし、『中国』
や『ロシア』も関係を強めています。
安倍政権としては、就任直後の『訪中・訪韓』で「東アジア外交」を
復活させたのに続いて「対米外交一辺倒ではない姿勢」を示し、「日欧
関係」強化を狙ったことになります。
成果は未知数ですが、概ね好評だったようです。
しかし、これにより低迷した安倍政権の支持率がアップする見込みは
ありません。
留守中に安倍内閣の閣僚(松岡農水相・伊吹文科相)から、「政治資金
の経理を巡る疑惑」が相次いだからです。
「家賃を払う必要のない議員会館を事務所としながら、年間数千万円
を事務所費として支出していた」という話が、国民の支持を得られる
とはとても思えません。
二人は共に「不適切な経理処理」を否定していますが、「閣僚としての
国民に対する説明責任を果たして欲しい」と思いますし、安倍首相は
「任命者責任を問われること」になるでしょう。
来週には『通常国会』が始まります。首相はこれらのスキャンダルに
どう対応するのでしょうか。


全貌の見えない山崎拓前副総裁の訪朝
先週、山崎拓・自民党安全保障調査会長(前副総裁)が『北朝鮮』を
訪問しました。
ご本人は「対話と圧力というが、もっぱら圧力を強めている。対話と
説得の努力も必要だ」と、自らのパイプを使って、冷え込んだ「日朝
関係の局面打開を図る」思惑からの訪朝でしたが、結果的には「具体
的な成果の得られない訪朝」だったようです。
今度の訪朝は、最初から「ナゾが多い」と言われていました。
安倍首相は「二元外交になること」に不快感を隠さず、外務省幹部も
「成果があるとは思えない」と否定的でした。
それでも実行したのですから、「小泉氏の3度目の訪朝の下準備」とか、
「招聘状がきたから、何かできると信じた」とか、「ポスト安倍を狙っ
てのスタンドプレー」とか色々言われました。
議員とはいえ、「一個人としての訪朝」ですから、先ず『北京』に行き、
『北朝鮮大使館』で許可証を受け取り、『平壌(ぴょんやん)』に向かいます。そして
『北京』に帰ってくるまで、全く情報が途絶えてしまいます。
今度も『北京』に戻っての「記者会見」で内容が分かったのですが、
会談したのは宋(ソン)日昊(イルホ)・日朝国交正常化交渉担当大使などの複数の要人
で、「拉致問題は解決済み」と主張されたようです。
ただし他の会談相手の重要人物の名前は明らかにされず、訪朝の全貌
はナゾに包まれたままです。


ところで私は、91年8月の『日本ジャーナリスト取材団』の一員と
しての訪朝と、92年4月の世界初の『平壌からり3日間連続生中継』
の2度の訪朝があります。
「そろそろ3度目の訪朝を試みたい」と思っています。

2007年01月10日

「2007年問題」を思う

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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団塊の世代の大量退職時代を迎える
いよいよ「2007年問題」の年になりました。
一言で「2007年問題」と言っても色々ありますが、第一に挙げら
れるのが「団塊の世代の一斉退職」です。

「団塊の世代」とは、1947年(昭和22)から49年に生まれた
人々のことで、年間260数万人台で併せて800万人もいます。
「定年」を60歳とすると、その一期の「47年生まれ」が今年一斉
に定年を迎え、大量に退職するのです。
私は「49年生まれ」ですから、「他人事」とは思えない複雑な気持ち
です。
客観的に見ても、企業を支えてきた「専門的知識や技能を有する人々」
が一斉に会社を去るのですから、色々な問題が生じます。
特に「製造業」など職人的作業や機械化が困難な作業の多い企業では、
「現場固有の技術の伝承」が困難になり、「企業活動事態」が停滞する
恐れが出てきます。
それにどう対応するかは企業によってまちまちですが、「定年延長」は
人件費がかさむので、嘱託や顧問等の形で「再雇用」で臨むところが
多いようです。
また、意欲と技能のある人を「他企業の退職者の中から獲得する」こ
ともあります。
どちらの場合も企業にとっては「現役時より低い処遇」で有用な人材
を使えることになります。「働け!働け!まだまだ働け!」というこ
いずれにせよ、有用な人はとになります。
「団塊の世代」は、人数が多いのと、いつもまとまっているようなの
で “団子の世代”ともいわれ、仲良しに見られてきました。しかし、
人数は多いけれど、ポストの数は限りがありますから、実は仲良しよ
りもライバル意識が強く、「仕事しかできない」という人が多いのです。
その意味で、「定年でご苦労様」と労われるよりも、「働け!働け!」
と言われる方が楽なのかも知れません。
独り言を言うと、「定年後のことを考えると、いつまでも輝いていたい。
そのためにはどう勉強するか。同幅を広げていくか。今年はやること
が多い年にしたいなぁ」というあたりでしょうか。


「大学全入時代」が始まる
「2007年問題」の一つに、「大学全入時代」というのもあります。
「大学の募集人数総数」が「入学希望者総数」を上回り、選り好みを
しなければ、「誰でも大学に入れる」ようになります。
どこの「専門学校」でも、今年は生徒集めに苦労しているようです。
そんな中で去年は、「未履修問題」が起こりました。
「世界史」などの「受験に不利な学科は、“必修科目”でも学校では教
えない」というのが、「未履修問題」です。
「推薦入学」も増え、「大学全入時代」なのに、「何故こんなことが起
こったか不思議だ」と思う方も多いことでしょう。
しかし、「大学全入時代」だからこそ、「未履修問題」が起こりました。
地方の名門高校で「未履修」が多かったのは、「どこの大学に入ったか」
が問題になるからです。
この傾向はますます強くなるのではないでしょうか。
また、「増税」も「2007年問題」です。
1月には、「所得税の定率減税の半減」。
3月には、「零細事業者の消費税初申告」。
4月には、「国民年金保険料の引き上げ」「介護保険料の引き上げ」等。
そして『参院選』済むまでは、『自民党』も『民主党』も「消費税値上
げ」には触れていませんが、「選挙後の増税」は避けられません。
さらに「2007年問題」として「日本の人口の減少」が挙げられて
いたのですが、これは一昨年から始まっていたことが判明しました。
20年後(2027年)には、1億2千万人を割り込みます。
今から「福祉・年金」問題について重要な対策を立てておかなければ
ならないのですが、『安倍政権』からこの問題について明らかな対策が
見えてこないのが心配です。
「団塊の世代」としては、5年後には65歳に達し始めます。すると
「高齢人口」が一気に増えるのですが、大丈夫なのでしょうか。
「2007年問題」から見ても、今年は大変な年になりそうです。

2007年01月09日

亥年は選挙の年

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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亥年現象は起こるか
明けましておめでとうございます。
今年も『ウェークアップぷらす』と『ザ・ワイド』、そして『ニュースの裏側』をよろしくお願いいたします。

今年は「亥年」。
「亥年」は、「春の統一地方選挙」と「夏の参議院選挙」が行われる
「選挙の年」です。
昭和22年(1947)に初めて「統一地方選挙」と「参議院選挙」
が行われて以降、4年に1度の統一地方選挙と3年に1度の参議院選
挙が4×3で12年ごとに同じ年に行われるので、今年が6度目です。
そして「亥年の選挙」には「亥年現象(いのししどしげんしょう)と
いう共通点が現れる」と言われています。
その第一は、「投票率の低下」です。
地方議員は自分たちの死活問題である「春の統一地方選挙」で力を使
い果たし、「夏の参議院選挙」の応援まで力が残っていません。特に、
『自民党』は「有力な地方議員の集票能力に依存した政党」ですから、
影響が大きく、『自民党』は苦戦を強いられることになります。
「投票率」をグラフに描いてみると、前の参院選よりも大きく低下し
ているところが「亥年の選挙」です。
例えば、41.32%という史上最低の投票率を示しているところが、
前回の「亥年の選挙=1995年」です。
この時、『自民党』は、『自社さ』という形で「与党」に戻って戦い、
46議席を取りましたが、40議席の『新進党』の躍進を許しました。
また、この年は「無党派」という言葉が流行語になり、「地方選挙」で
青島幸男東京都知事と横山ノック大阪府知事が誕生しています。
その前の「亥年の選挙=1983年」は「比例代表制が初めて導入さ
れた参院選」にも拘わらず、投票率は49.33%と過半数を割り、
『自民党』の議席は68にとどまり、『サラリーマン新党』『福祉党』
など「ミニ政党」の進出がありました。また、この時の「地方選挙」
では「勝手連」に推された横路孝弘氏が北海道知事に当選しました。
このように、「亥年の選挙」は『自民党』の苦戦の歴史でもあります。


安倍政権は短命か
「参院選」には、「政権交代」ということもあります。
『自社さ連立政権』の村山富市首相が退陣したのは、「亥年の選挙=
1995年」で『新進党』の躍進を許した結果ですが、それに次いだ
橋本龍太郎首相が退陣したのは「98年の参院選で自民党の改選議席
を大きく下回った」からで、後継に小渕恵三首相が選ばれました。
小沢一郎民主党代表が早くから「参院選で与野党逆転」を主張してい
たのは、「亥年現象で政権交代がある」と信じていたからでしょう。
何しろ「今年の夏の参院選」では、「与党」が65議席を取らなければ
過半数を制し得ないのに、「野党」は58議席で過半数に達するのです。
小沢代表が「一人区」と「比例代表枠」で「民主党の勝利」に力を入
れているのは、このような背景があるからです。
「安倍政権の支持率」がこのまま低下して30%台になったら、自民
党内の「安倍退陣を望む声」がさらに大きくなります。
年末には麻生太郎外務大臣が、閣僚にもかかわらず、『麻生派』を立ち
上げたのも、「ポスト安倍を目指しての行動だ」と見られています。
そして「与党」が勝利しても、僅差だった場合には、「98年の参院選
の橋本→小渕の例」に倣って、「自民党内での交代」もあり得ます。
安倍首相の今年の第一声は「美しい国づくり元年」と「憲法改正を参
院選で訴える」で、小沢代表は「選挙は生活に身近な問題を訴える」
で、共に「参院選」を意識したものでした。
与党が勝つのか、野党が勝つのか……いずれにしても「都市との格差」
に不満を持つ地方の有権者が「自民党への批判票」を投じれば、「安倍
政権は短命に終わる」ことも考えられます。
『安倍政権』としては、政権発足当初の「訪中・訪韓」のような何か
「支持率回復のカギ」が欲しいのですが、今のところ「外交」も「内
政」も目玉になるようなものが見当たりません。

今年は、「春の統一地方選挙」から「夏の参議院選挙」まで、“政局”
から目を離すことが出来ません。
「亥年現象」が起こるのでしょうか。
何年後かに振り返った時、「2007年のあれが“節目”だった」と思
うようなことが起こるように気がしています。

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