« 2006年10月 | トップページへ戻る | 2006年12月 »

2006年11月30日

一足早いお正月 ~貴州省・ミャオ族の新年~

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

詳しいプロフィールを見る>>


中国のお正月は旧暦で祝う
今年も残すところあと一か月あまりとなりました。で、お正月の話題
です。

太陽暦の1月1日を新年とする『日本』とは異なり、『中国』は旧暦を
利用しているので、毎年1月中旬から2月中旬の間に新年を迎えます。
(毎年変わります。来年は2月18日だそうです)
「年越し」に関する話題を取材しようと毎年考えるのですが、『中国』
が新年を迎える頃には『日本』すでに「お正月ムード」は過ぎ去って
しまっていて、どうも収まりが悪い。
何か「日本の迎春ムード」に合わせて面白い話題はないものか……と
探していたところ、見つけました!あるもんです。
『中国』には最多民族の『漢族』のほかに55の「少数民族」がいて、
それぞれ独自の文化を守り続けています。(少数民族に関してはいろい
ろ政府の施策というか思惑もあるのですが)、それはさておき、私自身
学生のころから「中国の少数民族の文化や風習」に深い興味があった
ので実際に取材する機会ができて、興奮を覚えるほど嬉しかったです。


なんと『ミャオ族』の新年は11月の中旬
中国・南西部の『貴州省』。『ミャオ(苗)族』という少数民族が多く
暮らしています。
この『ミャオ族』は、陽暦でも陰暦でもなく、『ミャオ暦』という独自
の暦を用いています。
調べてみると、「11月の中旬に新年を迎えるお祭り」があることがわ
かり、さっそく省の外事弁公室に取材を申し込み、ある村へ取材に行
くことになりました。
しかし、村には村長さんの家にしか電話がない……というようないわ
ゆる「ど田舎」。どのような「お祭り」が行われるのか、とにかく行っ
てみないとわからない……という状況で取材開始です。
前日に村長さんに聞いたところ、「朝6時には村人が準備を始めるよ」
というので、まだ夜も明けやらぬ5時半過ぎにはスタンバイ。
6時、7時……と待ち続けるもどうも活動しているのは、ニワトリのみ。
大事なことを忘れとった……。
『中国』の、特に「田舎」では“時間の概念”は、我々の理解と全く
かけ離れています。
このときに限らず、「何時に開始、あと何分です」という言葉に裏切ら
れたこと数え切れず。
8時ごろようやく村の広場に人々が集まり始め、やぐらを組んだり、
飾りつけが始まりました。
村の男衆は山へ先祖を迎えに行き、その間村の人たちはお供えを用意
します。
お米、干したサカナ、ニワトリ(活)など、お正月らしいごちそうが
ずらりと並びます。
新年最初のイベントは、「豚を丸ごと一匹の解体」です。
体長1メートル50センチほどはありそうな大きな「豚」が引っ張られ
てきました。
大人が5、6人がかりで引っ張っているのですが、なかなか思うよう
に動きません。
広場には村中の人たちが集まっています。
事態を察知したのか、豚は悲鳴のような鳴き声をあげ始めます。
とうとう台の上に乗せられ、頚動脈を一突き。真っ赤な鮮血が当たり
に飛び散ります。
しばらくすると豚は息絶え、動かなくなりました。
血まみれの豚に熱湯をかけてきれいに洗い、これまた大きな包丁で大
人が3人がかりでまずは皮をはぎ、身を分け、内臓を出し、あっとい
う間に解体されていきました。
まずはご先祖様にお供えをし、そのあと村の人に振舞われます。
残酷なことを……と思われるかもしれませんが、こうした「少数民族
ならではの風習」を目の当たりにするのは、私自身はこの上ない喜び
でした。
そうこうしているうちに、シャリシャリシャリ~と涼しげな鈴の音が
流れてきました。村の女性たちが、「ミャオ族伝統の民族衣装」姿で、
広場に集まってきました。
刺繍が得意なことでも知られるミャオ族……全面に刺繍を施した上着
とスカートの上に、銀や胴でできた腰巻、腕輪、冠を纏いでもう言葉
にできない美しさ。
キラキラ輝く銀や胴の飾りは、ミャオ族が太陽を崇拝する民族だとい
うことを表しているのだそうで、こういうエピソードの一つ一つにも
また身震いするほど感激してしまいました。
正装した男女が広場に集い、お祭りはいよいよクライマックスを迎え
ます。
新年を祝う歌を歌いながら、村人全員が輪になって踊るのです。
難しい振り付けもステップもない、ただ輪になって歩くだけ……とい
う素朴な踊りです。


中国のお祭りにお酒は欠かせない
素朴な踊りでもずうっと見ていても飽きないなんて、「不思議なもんや
な……」と感慨にふけっていたところ、村の人たちがやかんとお茶碗
をもって我々のもとへやってきました。来たぞっ!……やかんの中身
はもちろん「お酒」です。なみなみと注がれたお酒を飲み干すまで村
の人は私の前から立ち去ろうとしません。仕方ない。
このお酒は「米酒(ミーチウ)といって、土地の人が自分で作ってい
るお酒でした。どうやって醸造されているのか全くわからない、いわ
ゆる「ヤミ酒」です。
このお酒により、私は後にとんでもない災いを食らうのですが、その
ときは全く警戒せず楽しくいただきました。
村の人たちはお供えのお下がりを食べ、お酒を飲み、三々五々引き上
げていきました。
村長さんが、「ご苦労様」ということで我々取材班を家に招いてくれま
した。
『貴州』の名物料理の一つに「酸湯鶏(または魚)」という料理があり
ます。「辛くて酸っぱいスープで食べる鍋料理」で、味は『タイ料理』
の「トムヤムスープ」、または中華料理の「酸辣湯(サンラータン)」
に似ているのですが、酸っぱさの元は「酢」ではなくて「米を発酵さ
れた特製の調味料」……『上海』でもよく食べていた大好きな料理な
のですが、これを地元の家庭で食べることができるなんて!
普通は鶏や魚で作るのですが、この日はさっき捌いたばかりの豚肉を
入れて特製「酸湯猪(中国語では豚は「猪」なんです)」の出来上がり。
村長さんよりも奥様が豪快な方で、さらに近所の女性もやってきて
お酒を酌みかわしながら大宴会が繰り広げられました。
この時点で、時間は正午を少し回ったくらいでした。いい取材ができ
て、お腹もいっぱい。
大満足で村長さんと集まってくれた人たちに何度もお礼を言い、村を
後にしました。
ここまでは、表の話です。ここから、ウラ話。


見事に酔ってしまった私
気がつくと、私はベッドにいました。首元まできっちり布団をかけて
いました。もそもそと動いてみると、下着も何もかも身に着けていま
せんでした。……んんん?
状況を把握するのに少し時間がかかりましたが、そういえば、村を出
て山を下りて、ふもとに停めてあった車を見て、「あー車だ」と思った
ところまで記憶が戻りました。
ベッドの脇にはゴミ箱が置かれ、ナイトテーブルにはスタッフからの
メッセージ。
「明日は午前8時にロビー集合です。このメモを見たら連絡ください」
時計を見ると、午前4時。スタッフに確認メールを送って、さらに状
況把握を開始。
酔っ払っていたことだけは確かですが、二日酔い特有の頭痛や吐き気
などの症状はまったくありません。
部屋を見渡すと、脱いだ服が散乱し、電気スタンドは倒れ、電話は床
に吹っ飛んでいました。
バスルームには下半身に着けていた下着とタイツとジーンズが、一緒
にくるくるっとひっくり返って落ちていました。
あああ、まだ状況が理解できないし、そもそもどうやって帰ってきた
んだろう。
とにかく服を着て、もう一度眠りました。
午前8時少し前。取材に同行してくれていた貴州省外事弁公室の方か
ら部屋に電話がありました。
「大泉さん、起きましたか?ならよかった。もうすぐ出発しますよ」
フラフラと下りていくと外事弁公室の方は、「本当によかった!」とい
う満面の笑顔で迎えてくれ、そして言いました。
「一体どれくらい飲んだのですか?あの米酒は度数も原料もわかった
もんじゃない。酔っ払って寝てしまうと丸2日間目を覚まさない人も
いるくらい危険なお酒なんですよ。
それなのに、半日で目を覚ますなんて、大泉さんすごい!」
誉められると普通は嬉しいものですが、このときばかりはバツが悪す
ぎて恐縮しっ放し。
どうやら取材を終え車に乗り込んだとほぼ同時に寝込んでしまったこ
とが判明。その後の記憶はないし、どうやって部屋に戻ったんだろう?
スタッフに聞いてみると、ホテルに到着した後、私をいくらゆすって
も叩いても起きないので、私はホテルの荷物を運ぶ台車に乗せられて
部屋まで運ばれたことが判明しました。
その後部屋がなぜ荒れていたのか、服を着ていなかったことについて
は……怖くて未だに聞けていません。
別のスタッフが写真を数枚見せてくれました。
村長さんの家で、奥さんと遊びに来た近所の女性と肩を組んで踊る私。
全く記憶なし!
少数民族のお酒には要注意!という大原則を再確認しました。ああ、
情けない。

2006年11月28日

北海道・夕張の試練

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


詳しいプロフィールを見る>>


360億円を20年で返済する
この夏、巨額の借金で財政破綻し、「財政再建団体」になった『北海道・
夕張市』の「財政再建計画案」が大きな波紋を広げています。
『財政再建団体制度』が設立されたのは1955年度で、以来880を
超える市町村に適用されています。

「市」では、『山形県米沢市』『三重県上野市』『山口県下松市』などが
あり、「産炭地」では『福岡県方城町・赤池町』などがありますが、
「赤字額」は10数億円から30億円程度でしたから、「夕張の赤字
額・360億円」は突出したものです。

『夕張』は明治初年から「炭坑町」として栄え、1960年(昭35)
には17の炭坑があり、人口も12万人近くもいました。
それが昭和30年代後半からの「エネルギー革命」で、「石炭産業」は
衰退の道を歩み始めました。
90年(平成2)には、最後まで残っていた炭坑が閉山して「炭坑町
の歴史」は終わりました。
石炭の他には「産業基盤」がなく、「大規模農業にも向いていない土地」
だったので、人口の流出が続き、今では1万2千人程度になってしまい
ました。
しかし、『夕張市』は何にもしなかったわけではなく、「炭坑から観光
へ」をキャッチフレーズに、「観光の町」としての“町おこし”を進め
てきました。

当初は、「産炭地振興法」による資金援助もあり、『石炭の歴史村』や
「テーマパーク」「スキー場」の開設、「映画祭」の開催など順調に見
えたのですが、過大な投資や放漫な経営で累積赤字が市の財政を圧迫
していきました。

さらに「産炭地振興法」が2001年には失効したこともあって、気が
ついたら赤字は360億円にも及んでいたのです。
そして発表された「財政再建計画案」は、「360億円を20年間に
返済する」というものでした。
「7つの小学校と4つの中学校は1つずつにする」「市民税・固定資産
税・軽自動車税の値上げ」「ゴミの有料化」「保育料の値上げ」「老人施
設や市民病院の廃止」「除雪は積雪15センチ以上になってから」など、
これを指導する『総務省』は、「夕張市民に全国最低水準」を求めてい
ます。
「これでどうやって生活しろ」というのでしょうか……市民の多くが
「出るも地獄、残るも地獄」と感じているようです。
私は「炭坑町」で暮らしたことはありませんが、近くに「炭坑町」が数
多くあり、小学校時代の遠足は「炭坑」でした、それだけに「夕張の試
練」は気になるところです。


格差は広がるばかり
「夕張の試練」で思うことは、「第二の夕張」「第三の夕張」が相次ぐ
恐れがあることです。
私は「講演」で地方都市へ行くことも多く、「政治と経済の話」をして
帰ってくるのですが、どこ出ても聞かされるのは、「格差が広がった」
という声ばかりです。

今月末で「景気の上昇」は58ヶ月に達し、『いざなぎ景気』を上回る
ことになります。しかし「この地方のどこに景気の良さがあるのだ」
という声も聞きます。
「公共事業」がかつての十分の一に減ったというところもあり、仕事
のなくなったことを嘆く声もよく耳にします。
そして、政治家の多くは2世・3世となり、子供の時から「東京暮らし」
ですから、「選挙の時においしいことを言っても、地元のことを知らな
すぎる」という不満も聞かされます。
今度、そんな地方選出の議員に会ったときには、自分の選挙区につい
てどれだけ知っているかを聞いてみたいと思っています。

2006年11月27日

“筋”か、“情”か……揺れる復党問題

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


詳しいプロフィールを見る>>


中川秀直幹事長 vs 平沼赳夫議員
「郵政民営化」に反対して『自民党』を離党した衆議院議員の「復党
問題」は、今日にも解決するのでしょうか。

先週までの状況を振り返ってみると、中川幹事長が復党の条件として
「郵政民営化への明確な支持」と「反党行為への反省」を盛り込んだ
「誓約書」の提出を求めたのに対し、平沼氏は「離党派」12のうち
ただ1人、「郵政民営化」に反対し続けています。
そして平沼氏は、「なかなかハードルが高い」と「誓約書」書くことに
抵抗を示し、24日正午だった「復党願の提出期限」が今日の正午ま
で延ばされたのです。

中川幹事長と平沼氏が譲り合わないのは、「過去の確執があるからだ」
という人もいます。中川幹事長と平沼氏はともに当選9回で、かつて
は『三塚派』に属していました。
しかし98年に『三塚派』が『森派』になったときに、平沼氏は亀井
静香氏らとともに派閥を離脱したいきさつを持っています。
以来、森氏側近の中川氏と平沼氏は激しく対立し、二人の路線も大き
な違いを見せてきました。
平沼氏が「タカ派」なのに対し、中川氏は「リベラル派」。また、中川
氏が「中韓協調路線」なのに対し、平沼氏は「親台湾派」として知ら
れています。
二人ともに相手の言い分を「あぁそうですか」と素直に認めるわけに
はいかないようです。

私の周りにいる記者の中には、信念を貫く平沼氏に「かっこいい!」
と言う声もありますが、平沼氏は「離党派と自民党の交渉役」だけに
難しい立場にいます。
「離党派」の多くが“金詰まり”で、復党しないことには生活も成り
立たない状況にあります。「無所属」では「政党交付金=政党助成金」
が一銭も入らないからです。「離党派」の或る議員は「3000万円の
借金を銀行と交渉中」という話も伝えられています。
「離党派」のうち11人は「誓約書」を書いて復党し、平沼氏だけが
「無所属」のまま残るということも考えられます。


本音は“野”に下りたくない
『自民党』内には、「中川幹事長 vs 平沼氏」の双方に、「応援団」が
出来つつあります。
「中川応援団」は「改革の“筋”を通せ」と言いますし、「平沼応援団」
は「党内の和を回復するには“情”も必要」と言います。
“筋派”は「このまま復党を認めては、古い『自民党』に戻るようで、
国民の信頼を得られない」と主張します。
それを裏付けるように、順調な滑り出しに見える『安倍政権』ですが、
「年金・景気」を求める20~30代の若者層には「改憲・教育改革」
が受けず、“安倍離れ”が出ているという調査結果もあるのです。
「古い『自民党』のイメージでは参院選に勝てない」というわけです。

一方、“情派”は「参院選に勝つには、復党組の組織力が必要」と主張
します。「離党組の選挙区」を見てみると、「平沼の岡山」「野田聖子の
岐阜」「堀内光雄の山梨」「保利耕輔の佐賀」などがあります。
来年夏の『参院選』からは「1人区」が2つ増えて29になります。
小沢一郎・民主党代表は「そのうち20を制して与野党逆転を狙う」
と豪語していますが、それを防ぐには「絶対落とせない1人区が彼らの
地盤」ということになります。

このように“筋派”も“情派”も、狙いは『参院選』です。
そして、その本音は「絶対に“野”に下りたくない」です。
私が「東京報道駐在」になった93年、『自民党』は分裂して、『細川
内閣=8党連立会派』の成立を許しました。
「その時の苦い経験を二度と味わいたくない」のです。
議員会館から陳情の姿が消え、官庁で大臣はおろか局長・部長に会う
ことすら難しくなりました。
『自民党』の先生にとっては、与党であることが生き甲斐なのです。

2006年11月23日

メディア論コーヒーブレイク10

辛坊 治郎辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員


詳しいプロフィールを見る>>


入社の内定が出たのが、大学四年の十二月、もう卒業まで三ヶ月です。「さあ、残り少ない
学生時代を謳歌するぞ!」と、同じくぎりぎりで就職の決まった友人とスキーに行く予定を
立てたのも束の間、連日山のような「宿題」に唸る日々が始まりました。


純朴なボクはひどい目にあった
当時の私は、今以上に純朴でした。山ほどの宿題を出されても、それを、とっても前向きに
考えたのです。「アナウンサーとしての研修は、会社に入ってから行うけれども、その前に、
関西のマスコミに就職するに当たって最低限の知識を持っていて欲しい」、そう考えた会社
が、私の為を思ってこんなにも多くの課題を出してくれたのだと、私は本気でそう受け止め
たのです。

これが結構難しい課題でした。たとえば、「市民の、メディアに対するアクセス権についての
判例を調べて、今後のあるべきメディアと市民との関係についてリポートせよ」とか、関東と
関西の文化の違いを論じた学術書を読まされて、さらにそこに自分なりの考察を付け加え
て論文を書けとか、とにかく今やらされても解決に窮するような難問ばかりが毎週のように
言い渡されるのです。
その課題をやりながら思ったのは、「放送局員というのは、C調で頭の軽いやつばっかりの
集団かと思っていたのは、もしかしたらトンでもない勘違いかもしれない。これだけ高度な
宿題を出すからには、それはそれはレベルの高い人々が、たくさん棲息している会社に違
いない」ということでした。そう思ったがゆえに、「入社前にアホのレッテルを貼られては
いけない」と、それこそ必死になって課題に取り組みました。

ところが!ところがです。私が会社に入って気が付いたのは、その私の渾身のリポートなど
誰も読んでいなかったということです。私のリポートを読んでいなかったばかりか、私に読
むように指定した学術書など、そもそも持っている人物さえ皆無という状況です。それじゃ
あ、いったい何のためにあんな宿題を出したのかというと、就職が決まった勢いで、遊び倒
した挙句社会的制裁を浴びるような不祥事をしでかさないために、自宅に軟禁するための
手段だったようなのです。また、「暇があると、ついもっと条件の良い他の会社を回ろうなん
て気持ちにならないとも限らない、そんな時間が持てないように、とにかくなんかやらしと
け」というのも、山ほどの課題の大きな理由でした。その後、会社で仕事をしていて、課題
に出された「アクセス権について」なんて会話を聞いたことがないばかりか、概念を理解し
ている人が果たしているのかさえ心もとない状況でした。正直これには「えらいところに入っ
てしまったかも」と、ショックを受けました。本当にひどい話です。「私の青春の三ヶ月を返
せ」、と言いたくなります。というわけで、1週間ほど、バンコクのアートコーヒーでバック
パッカー仲間との旧交を温めにタイに行ったほかは、勉強ばかりの毎日で入社の日を迎え
ました。


入社して驚いた
入社してまず驚いたのは、複雑怪奇な会社の構造でした。人事組織としての構造ではあり
ません。驚いたのは、文字通り建物としての会社の構造です。

今の読売テレビは、ここ二十年ほどで開発の進んだ、大阪ビジネスパークのモダンな建物
の中にありますが、私が入社した頃の建物は、ただの雑居ビルのような代物でした。
何せ、建物の半分はお寺なのです。その上所有権はそのお寺の方にあり、私たちの会社
は、そのお寺の建物の一部を使い、さらに隣地を借りて建て増したという、ほんとうに得体
の知れない建造物でした。ある日こんなことがありました。

当時、建物二階の報道フロアーの片隅に「共用応接」という部屋がありました。なんとなく、
「共用というくらいだから、報道と、たとえば制作などの他のセクションとの共用の応接室な
んだろうな」と、あいまいに理解していたのです。そんなある日、社内で行方不明になった
先輩を探してこの部屋の扉を開けた私は、思わず悲鳴を上げそうになりました。なんとそこ
には、派手な着物にキンキラの袈裟を着た丸坊主の人々が十人ほど集団で存在したので
す。放送局の報道フロアーでは、通常ありえない光景です。後で近所の雀荘に隠れていた
先輩に聞いて事情が分かりました。「共用」というのは、報道と制作の共用ではなく、読売テ
レビと、隣のお寺の「共用」応接だったのです。後で、誰も居ないときに部屋を調べてみると、
報道フロアーにある応接室入り口と反対側にもう一つ入り口があり、こちらからお寺へ廊下
でつながっているということが分かりました。全国に放送局は数あれど、建物の半分がお
寺という局は今も昔も、他になかったと思います。また、建物が継ぎ足し継ぎ足しで出来上
がっていますから、トータルでのデザインはもちろん、使い勝手などもまったく考慮されてお
らず、まことに複雑怪奇、この世の迷宮、難波のラビリンスです。この建物には都合十年く
らい居ましたが、ついに全容の地図が頭の中に完成することはありませんでした。それは、
私だけでなく、だれも東天満(当時の会社所在地)の九龍城の全体像は把握していなかっ
たと思います。


いい加減にも程がある
いかにこの建物が、というようり、昔の読売テレビがいい加減だったかを表すのに、こんな
エピソードはいかがでしょう。

当時、入り口に警備室はありましたが、建物に入るのに一切のチェックはなく、24時間いつ
でも誰でもどこからでも侵入可能な建造物でした。そんなある日「事件」は発覚しました。な
んと、会社の中で一番大きなスタジオに定住している一般の人が見つかったのです。放送
局には風呂があります。それも24時間入り放題です。空調はデリケートな放送機器を守る
ために完璧で、人間にとっても結果的に快適な空間となっています。また、その辺のベンチ
では毎夜、帰りそびれたアシスタントディレクターなどがごろごろ横になって仮眠を取ってい
ますので、スタジオの隅で一人二人寝ていても誰も気にも留めません。しかし、いくらなん
でも、半年以上、放送とまったく関係のない人が住み着いていて、誰も気が付かなかったと
いうのは尋常ではありません。それも、発覚した経緯は、この人、はじめは風呂に入ってい
たらしいのですが、まあ、要するにもともと家のない人で、あまり風呂も好きではなかったた
めに、だんだんにおいを発するようになり、それで足が付いたというのだからあきれます。

と、他人事のように言いますが、私などは、てっきり関係者だと思っていましたので、発覚
する直前には、もうすっかり顔なじみになっており、スタジオに入る前にはちゃんと挨拶して
いたのですから、間抜けな話です。

思えば牧歌的な時代でした。その後、日本テレビに暴漢が押し入って報道局の幹部が太も
もを刺されたり、タレントさんに送られてきた小包が爆発したりする事件を経て、警備は一
気に厳重になりました。全日本プロレス番組の収録に訪れたジャイアント馬場さんが、受付
で誰何され、身分証明書を持っていないからと立ち入りを拒否されたのは有名な話です。
顔見りゃ分かるだろ!って言わなかった馬場さんはえらいですが、融通が利かないにも程
がありますね。

前置きがずいぶん長くなりました。いよいよ、アナウンサーとしての第一歩を踏み出しま
す。

2006年11月22日

北朝鮮に翻弄されたある日本人女性

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

詳しいプロフィールを見る>>


箱乗り取材は苦手でした先々週の話の続きです。
2003年1月……『北朝鮮』から脱北した日本人女性が44年ぶり
に帰国することがわかり、「箱乗り取材」の指令が出ました。

「箱乗り」とは、「取材対象者と同じ飛行機や列車に乗り込んで取材す
ること」です。
十分な情報がないまま、『遼寧省・瀋陽』へ。
空港で張り番をしていた日本マスコミの数人の記者がバタバタと搭乗
手続きを始めたので、私自身は恥ずかしながら、何の確信もないまま
後に続きました。
機内へ入ると、ファーストクラスに外務省の職員が2名と、女性の姿。
ここで、「箱乗りの基本」……お金がかかっても、ファーストクラスに
乗ること。
取材対象者がエコノミークラスに乗っていた場合、ファーストクラス
からエコノミークラスへの移動はできますが、逆はできません。
えらい無駄遣いだと思われるでしょうが、これも取材のためなんです。
新聞社の記者が、女性の名前を呼びかけました。
すると女性は「子供がいるので何も話せません」とだけ話し、スカー
フを頭からすっぽりと被ってしまいました。
「取材はやめて」という意思表示です。そんな人にカメラを向けなけ
ればならないという、全く厚かましい仕事です。
同行している外務省の職員に「何とか取材させてもらえないか」と、
再度取次ぎをお願いしてみたところ、「とにかく顔と名前を出さないで
ほしい」ということでした。
これを、我々としては「積極的に取材に応じることはできないが、
後は常識の範囲で……」と解釈します。
後はひたすら動向を観察し続けました。


箱乗りはこうして報われた
窓と座席の隙間から女性の席をひたすら見つめ続けていたところ、
「あるモノ」が目に入りました。
座席の肘掛に置かれた左手の薬指に「指輪」があったのです。
この“女性の波乱の人生”は、そもそも「北朝鮮籍の在日の男性と結
婚したこと」から始まります。
夫の祖国である『北朝鮮』へ渡り、夫と生き別れ、貧困と戦いながら
子供を育て、国交のない北朝鮮から祖国へ帰ることはできず、決死の
覚悟で脱北し、中国へ渡った女性です。
そこでも、警察に見つかれば『北朝鮮』へ強制送還され、家族もどう
なるかわからない……。
そんな状況の中でようやく祖国へ向かう女性……直接話を聞くことが
できなくても、「指輪をした薬指が女性の人生を物語る……」ととっさ
に思いました。
「映像で語る」……いうまでもなく、テレビ報道の基本です。

もう一つ、驚いたことがあります。
中国の飛行機は、離陸すると目的地まで主な都市の名前をあげて、
「どこの上空を通る」というアナウンスがあるのですが、『瀋陽』から
『関西空港』までの便では、『北朝鮮の元山(ウォンサン)』の上空を
通過することがわかりました。
「うぇぇぇ!」……思わず隣に座っていた他局の記者と顔を見合わせ
てしまいました。
『元山』、日本から北朝鮮へ帰った人たちを乗せた船が着くまち。
女性も『元山』から北朝鮮に入り、44年間祖国を思いながら北朝鮮で
暮らし続けてきたのです。
その場所をいとも簡単に通り越してしまうなんて……。
何ともやるせない気持ちになってしまいました。(私がそうなってどん
すんねん?ですけど)

日本の上空に差し掛かると、女性は窓からの景色を食い入るように見
つめていました。
2時間足らずで飛行機は『関西空港』へ。
『関空』では、読売テレビのカメラマンが待ち受けていて、私の任務
は関空に着いて、撮影した素材を東京に送ったところで終了しました。
ああ緊張しました……。
おかげさまで、私が撮影した映像はその日のニュースのトップを飾り
翌日のワイドショーでもさんざんオンエアされました。
大阪に一泊して、上海に戻りました。

この取材には後日談があります。
女性はその後実名を明かし、ニュース番組に出演して北朝鮮での暮ら
しぶりなどを証言していました。そして、去年の春。突然記者会見を
開き「金正日将軍様万歳!」と叫んで、北朝鮮へ戻ったのです。
私自身は「その後日本での暮らしぶり」などを直接取材していたわけ
ではありませんが、一体どういうことだったんでしょう……。
引き続き注目していきたいと思います。

2006年11月21日

何故かフィリピンに縁があって 2

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


詳しいプロフィールを見る>>

突然初代マニラ支局長を任じられる
私の2回目の取材となったになった『フィリピン』からの “顔出し”
は、ちょうど20年前の11月で、『三井物産・若王子マニラ支店長
誘拐事件』でのリポートでした。

別の事件のマニラ取材中に起こった誘拐事件で、日本テレビから応援
チームが来るまで3日3晩不眠不休で、頭が朦朧として取材をしても
思うような原稿が書けません。そこで後半は「エーイ、もうアドリブ
で喋ってしまえ!」と“顔出し”をやっていました。
この事件は謎の多い事件でした。
支店長がマニラ郊外のゴルフ場の近くで武装5人組に誘拐されたのは
事実です。しかし犯人のカゲは見えず、支店長の行方も分かりません。

犯人は『フィリピン共産党の軍事組織・新人民軍=NPA』で、本部
から「末端のメンバーが勝手に行った」という声明がありました。
「日本赤軍と関係がある」という噂も、かなり早くからありました。
やがて犯人からは支店長の写真・テープや脅迫状を報道機関や三井
物産本社に送りつけ、高額の身代金を要求してきました。
人質の写真は虐待を受けているようで、テープの声は弱々しく、さら
に“指を切り取ったように見える写真”までが送られてきました。

一方、私は応援チームに取材を引き継いた後、帰国して神戸支局長の
仕事に戻り、ヨーロッパ特派員の内示を得て準備に入っていました。
ところが『NNN』に「マニラに常駐の支社を置こう」という動きが
出てきました。この誘拐事件だけはなく、女性大統領・アキノ政権の
登場と軍の反乱やイスラム過激派の暴動がしょっちゅう起きるという
政情不安から、「アジアの視点を持つ支社」が必要になったのです。
そこで「誰を行かせるか」と言うことになって、日本テレビ報道局長
が「読売テレビに“がたいの大きな岩田”というのがいる」と言い出
し、ヨーロッパ特派員のつもりが突然「NNNマニラ支局長」に就任
したのです。

そして明日から支局長という1987年3月31日の夜、若王子三井
物産支社長がマニラ郊外・ケソン市内の教会脇で無事保護されました。
誘拐から137日目、支店長に怪我はなく、写真や指は犯人の偽装で、
三井物産がアキノ政権の了解を得て、3億5000万円の身代金を
支払っての解放でした。
この事件は結局のところ迷宮入りとなり、今になっても本当のことは
分かっていません。


数度の反乱事件・日本赤軍潜伏事件・天安門事件
『フィリピン』は、『マニラ』がある北部の『ルソン島』、南東の『ミ
ンダナオ島』、南シナ海に面する『パラワン島』など、大小7109の
島から成り立っています。

マルコス政権が倒れアキノ政権が誕生して1年余りが経っているのに、
『ルソン島』では「反アキノの軍部の反乱」と「共産党軍の暴動」が
しばしば起こり、『ミンダナオ島』では「イスラム過激派の武装闘争」
が展開されていました。そのどれをも取材しようと現場に足を運びま
したが、それは激しい戦闘でした。
今考えると、「よく命があったものだ」と思います。

また、『日本赤軍潜伏事件』というのがありました。
77年の『ダッカ日航機ハイジャック事件』のとき、超法規的措置で
釈放された「日本赤軍」など6人の囚人の中にいた一般刑事犯(殺人
罪)が『マニラ』で逮捕されたのです。これで『若王子さん誘拐事件』
のにときにあった「日本赤軍と関係あるという噂」も嘘ではなかった
ようです。

この男は、“沖縄出身のある男”から名前と戸籍を借りて『マニラ』に
潜み、反政府運動を支援していたと見られます。
私はこの沖縄出身の男を見つけ出し、インタビューに成功しました。
この男にはフィリピン妻があり、日本を捨てたつもりだったのですが、
望郷の思いもありました。ビザがないこの男のために役所などを説得
して、日本へ帰る飛行機に乗せ、その中での独占取材でした。
このインタビューは、その年の「NNNグランプリ」を受賞しました。
さらに、『ラオス』で『三井物産ヴィエンチャン事務所長拉致事件』と
いうのがありました。
インドシナ半島内陸部にある『ラオス』も、「マニラ支局の行動範囲」
です。

この事件が起こったのは89年3月、『三井物産ヴィエンチャン事務
所』の浅尾所長が武装した数人組に自宅から拉致されたのです。
当時の『ラオス』は鎖国状態で、報道記者でも入国することは難しく、
何とか入ったものの、直ぐ「追放」になりました。
『ラオス』の首都『ヴィエンチャン』は、メコン川を挟んで『タイ』
と接するので、川を渡れば追放されたことになります。
この事件は浅尾所長が9日目に『タイ領』で保護され解決しました。
犯人は『タイ』に住む「ラオス難民の犯罪常習者グループ」でした。
この事件は「身代金を要求する前に捕まった」ので、「誘拐」ではなく
「拉致事件」なのです。
「川が国境」という珍しい事件を体験しました。

そして、89年6月には、『天安門事件』がありました。
この時は「応援」ということで、『香港』経由で記者ではなく、“一人
の観光客”として『北京』に入り、『天安門広場』で「学生たちによる
民主化要求運動」の取材を始めたのです。
私の40歳の誕生日の6月3日、戦車と人民解放軍が広場を取り囲み、
銃撃が起こりました。
よく放映される「紅蓮の炎の中、バリケードを乗り上げた市民が戦車
を竹の棒で叩いているシーン」は、“私たちが隠し撮りした映像”です。
石畳に跳ね返った弾が下から飛んできて、横には太腿を撃たれて倒れ
る市民がいました。
「世界史に残る状況」が目の前で展開していたのです。貴重な体験で
した。


「マニラ支局長」は2年半で終わりましたが、記者・ジャーナリスト
として非常にいい勉強になりました。
『フィリピン』で『ラオス』で『中国』で、「変動期のアジア」を自分
の眼で見ることができたのです。
そして「あれが私の今日の基礎になった」と思っています。

2006年11月20日

何故かフィリピンに縁があって 1

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


詳しいプロフィールを見る>>

最初は三和銀行オンライン詐取事件
私の記者生活は何故か『フィリピン』に縁があり、最初は『三和銀行
オンライン詐取事件』でした。
若い人は『三和銀行オンライン詐取事件』といっても知らない人の方
が多いことでしょうから、少し説明をしておきます。

この事件が起こったのは1981年(昭和56)、私は32歳で『大阪
府警記者クラブ担当』でした。
事件は『三和銀行茨木支店』の女子行員が銀行のオンラインシステム
を使って「現金と保証小切手で1億3千万円」を詐取して『マニラ』
に逃亡しているというものでした。
彼女は4人の男性名義の口座を予め作り、オンラインシステムを使っ
て入金があったようにしておき、この年の3月に口座のある大阪と
東京の支店を回って、現金5000万円と保証小切手8000万円を
引き出し、海外に出てしまったのです。

事件が明るみに出たのは9月5日、その3日後に伊藤は『フィリピン
入国管理事務所』に出頭して逮捕されました。
私はこの事件の取材のため、『フィリピン・マニラ』に飛んだのでした。
動機は「好きな人のため」……借金の返済に困った愛人にそそのかさ
れて犯行に及んだのですが、愛人も『茨木』で逮捕されました。
この年は「オンラインシステムの悪用」や「偽造キャッシュカード」
など新しいタイプの事件が相次ぎましたが、これが最初に話題になっ
た事件でした。


マニラで銃器の密売組織を追う
この5年後、『タイ航空機爆発事件』というのが起こりました。
『タイ・バンコク』から『フィリピン・マニラ』経由で『大阪空港』
に向かっていた『タイ航空機』が土佐湾上空を飛行中、突然機体後部
が爆発した事件です。

機長の判断と技術の良さで『大阪空港』への緊急着陸に成功し、乗客・
乗員247名のうち、109名の重軽傷で済みました。
当初、機体の欠陥による事故と思われたのですが、原因は『マニラ』
から乗り込んだ乗客の1人が、密輸しようとして持ち込んだ手榴弾の
安全ピンをトイレで誤って抜いたしまったためでした。
この乗客が大阪の暴力団組員だったことから、当時神戸支局長だった
私に「岩田はフィリピンでの取材経験があるから、向こうのマフィア
や密輸の黒幕を探ってこい」と言う声が掛かり、再び『マニラ』に向
かいました。

案内人・通訳・運転手・音声などのクルーを現地で雇い、手榴弾や
拳銃などの銃器の密輸ルートや黒幕の隠れ家(ア ジ ト)とかを調べると、取材は
思ったより順調に進みました。
この年の2月に「政権がマルコスからアキノに変わった革命」があっ
て、混乱が続く『フィリピン』では銃器が簡単に手に入ったからです。
調子に乗って手榴弾の爆発実験までビデオに納めて撮影終了。
クルーを解散し、打ち上げ会で一杯やって、ほろ酔い気分でホテルに
戻ると、とんでもないニュースが待っていたのです。


三井物産・若王子支店長誘拐事件に遭遇
フロントから渡されたメッセージは、日本テレビ外報部からで、「三井
物産の若王子マニラ支店長が今日誘拐された。至急取材に入って、即
衛星放送で送って欲しい」とあったのです。
1986年11月15日の白昼、マニラ郊外のカンルーバンで商社の
支店長がゴルフの帰りに誘拐された『三井物産マニラ支店長誘拐事件』
です。

先ずしたことは、ホテルのバスルームでシャワーを浴び、酔いを醒ま
すこと。次いで電話帳から「三井物産マニラビューロー」を探して、
電話しました。
普通、誘拐事件などで被害にあった当該の会社や自宅に直接電話して
「何か教えて下さい」と情報を得ることはしないものですが、とにも
かくにも電話したのです。
幸い電話に出た方がいい人で、「マカティというところまで来れば、
三井物産は直ぐ分かります」ということで、日本テレビ系列NNNの
第一報の取材が始まりました。

誘拐があったことは確かでしたが、情報が錯綜としていて何が何やら
分からないまま、誘拐現場の取材に向かいました。
その時つかまえたタクシーは、メーターの横に穴が開いていて風が入
ってくるボロ車なのに、10倍の運賃を要求してきます。やっとのこ
とでゴルフ場に着き、若王子さんのネームプレートを撮って、急いで
マニラの放送局に引き返し、その映像を送って第一報となりました。
それから日本テレビの応援が来るまで3日3晩、一睡もした覚えがあ
りません。

私たちテレビ局の報道記者の仕事は、映像を撮影し、それに添える
原稿を書くというものですが、この時は意識がもうろうとして何を
書いているのか分かりません。
そこで「エーイ、もうアドリブで喋ってしまえ!」と“顔出し”を
やりました。
“顔出し”とは、報道記者がカメラの前で顔を出してリポートする
ことです。
応援が着いて、「ちょっと休ませてくれ」と言ったきり、バッタングー
で12時間ぐらい寝込んだことを覚えています。

2006年11月17日

「いじめ報道の是非」

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


詳しいプロフィールを見る>>


 たった今、通信社のニュース速報が報道フロアに流れてきました。「新
潟で中2男子が首吊り自殺。いじめとの因果関係は不明」・・・・子供たちの
痛ましい犠牲が各地で相次いでいます。しかし、あえて誤解や批判を恐れ
ずに言うならば、これはもう、一種の「ブーム」と言っても良いくらいの
異常な状況ではないでしょうか。

 先日の報道デスク会で、ある先輩デスクが重要な問題提起を行いました。
「いじめの社会問題化は10年周期という説もあるそうだが、関心がない
時期は自殺者数もほとんどゼロで、いざ問題化すると一気に自殺が相次ぐ。
そして、我々も次々とそれをニュースにしていく。でも、関心が薄れると
ニュースにもせず、自殺者数も減る。その繰り返しというのはおかしくな
いか。報道によって負の連鎖を招いている側面がないか検証するべきだ。
これはもう、別の意味でのメディアスクラムといった状況で、いったい何
のために報道しているのかと考えてしまう」・・・・。

 確かにその通りなのです。冒頭でも記した通り、今、子供が自殺したと
なると瞬く間に速報として全国に配信されます。普段からかと言うと、決
してそうではありません。いじめが社会問題化している時期だからなので
す。ただ、原因がいじめとは限らないものまで報道され、「あそこでも亡
くなった。ここでも自殺した」と全国地図を映し出して伝えるというセン
セーショナルな番組まで登場しています。未来ある命を自ら絶つ子供が相
次ぐという異常な状況を「現象」として伝えることは報道機関として当然
なのですが、なぜ、その「現象」を取り上げるかという明確な「意思」を
持っていなければ、我々は単なるトレンドの追跡屋に成り下がってしまい
ます。そして今、我々に必要な「意思」とは、言うまでもなく「子供の自
殺を食い止めるための報道」なのです。

 文部科学省に自殺予告の手紙が届き、担当局長が異例の未明会見で手紙
の内容を公表したのは今月7日。しかし、今となってみれば、あの会見は
不必要であったと私は考えます。当初、差出人の消印がわかりづらかった
という側面はありましたが、そもそも論から言えば、当該の子供が存在す
る可能性のある自治体に対し、細心のケアと調査を指示すれば良かったの
です。案の定、手紙の公表によって同種の自殺予告が次々と大臣宛に届く
ようになり、文部科学省はその度に会見を開いて公表しなければならない
事態となりました。その数、すでに18通。確かに、追い詰められて手紙
を送ってきた子供もいるのでしょう。しかし、全てがそうかと言うと、か
なり疑問な物も含まれているようです。そして、予告が実行されたケース
は今のところ見当たりません。ある番組で、東京都の石原慎太郎知事が言
っていました。「あんなのは愉快犯みたいな物で、関係ない大人が書いた
りしてるんだよ。死ぬっていうなら、勝手に死ねばいいんだ」・・・・まあ、
際どい主張ではありますが、口にしづらい本音を代弁してもらったような
気もします。会見により〝愉快犯〟を生み出したと同時に、本当にいじめ
で苦しんでいる子供たちに「自殺という安易な選択もできるんだ」との間
違った思考を逆に植えつけてしまった側面だって、無きにしも非ずなので
すから。

 伝えることを生業としている私が子供たちに言えるのは、「価値観は一
つなんかじゃないよ」ということです。居場所は学校と家庭だけ、当面の
目標は受験に勝ち抜くことだけ・・・・そんな状況に追い込んでいるのは、
我々大人の責任なのですが、長い人生、一つの価値観に縛られる必要なん
てないのです。自分の通う学校が嫌なら別の学校だってある、もっと言え
ばフリースクールのような場所だってある・・・・。部活動がしたいけど人間
関係で続けられない・・・・だったら、地域のクラブチームやサークルだって
たくさんある・・・・。煮詰まってしまうのは、「それしかない、そこしかな
い」という錯覚からであって、自分を楽にしてくれる、自分を認めてくれ
る居場所が絶対、他にもあるはずなのです。教育に一家言を持つ私の親し
い友人もこう話します。「学校や家庭以外の全く異なったコミュニティを
持てれば、救われる子供だって多いに違いない」と・・・・。

 翻って我々は、どれだけ多様な価値観を示し得る大人でいられるでしょ
うか。大人自身もたった一つの価値観に縛られて、がんじがらめになって
いないでしょうか。いじめ問題を巡っては、教職員の自殺まで相次ぐ始末。
少なくとも、「命を大切に」という呼びかけに説得力が持てる大人であり
たいと痛感する昨今です。

2006年11月16日

大規模災害地震訓練

横須賀 ゆきの横須賀 ゆきの
読売テレビ放送 編成局アナウンス部・報道局


詳しいプロフィールを見る>>


今回も、前回に引き続き性犯罪対策を考える・・・を載せようと思っていたんですが、
ちょっとひと休みさせて頂きまして、
先日、会社をあげて行われた「大規模災害対応報道訓練」について書きたいと思います。

~有事の際のアナウンサーのお仕事について~
災害が起こったとき、
テレビでお伝えする情報は命に直結します。
放送局としてどのような報道をしていくべきか。
それこそ、放送も日頃からの備えが必要です。
ということで、全社をあげての訓練が行われました。
11月6日~12日まで社内では災害意識啓発週間が設けられ、
震災に関するパネル展示や専門家の講演会等などが行われました。
そして最終日12日が大規模災害を想定した報道訓練。
本番さながらに、擬似生放送を行いました。

200611061452000.jpg200611061457000.jpg


【スタジオ担当アナのお仕事】
「情報をどれだけ整理してお伝えすることができるか」
アナウンサーの集中どころはこの1点につきます。
これが有事の際は本当に難しい。
放送中、ありとあらゆる情報がキャスター席に次から次へとやってきます。
例えば、○○で電車横転、高速道路が倒れたとか、○○地区では何棟が倒壊、
○○では火災が発生しているとか、
また電話ガス水道等のライフラインの状態、
○○の公園で食料品や水の配布がはじまったとか。
メモ書きやら原稿やら、カーボン紙やら色んな書式で大量にまわってきます。

200611121306000.jpgそれらの情報を『今必要なのは何か』の基準で、放送にのせる、のせないをまず決めます。
そしてジャンル分け。都府県別に全体的な被害状況(数字)、
各所で起こっている具体的な被害、ライフライン、交通機関の情報。
避難者に向けた情報等に分けます。
最後に伝える優先順位を決めてお伝えします。
番組の大きな構成はもちろん報道デスクが適宜考えてくれるのですが、
「点」でくる具体的な情報を「線」にして繋いでいくのはアナの仕事になります。


【キャスターとサブアナの関係】
ただ、キャスター一人で、番組の進行、
中継先とのかけあい、原稿読み、情報選別は大変です。
ですので、キャスターの横には、「サブアナ」と呼ばれるアナウンサーが一人つきます。
(画面には出てきません)
サブアナは、中継リポートの重要な情報をメモ書きしたり、
伝える情報をジャンル分けして優先順位をつけたり、
記者やデスクの所へ走って情報を取ってきたりと、
有事の特番の際はなくてはならない存在です。

200611121308000.jpg今回の訓練では、情報キャスターとサブアナを30分交代で植村アナと組みました。
私は報道のサブアナ初めての経験、植村アナに色々教えて頂きました。
はっきり言って、
キャスターよりもサブアナが優秀ならどんな局面でも乗り切れます!
これは、JR脱線事故特番で坂キャスターがサブアナについて下さった時にも
痛感したことです。

例えば、全国の皆さんに、
「JR尼崎駅近くの事故現場」がどんなところか分かりやすくきちんと説明したい!
と放送中に思っていても、特番本編の段取り事に追われて、
なかなかそちらに集中することが出来ない。
んーどうしようと思った瞬間に、
坂キャスターが「尼崎の事故現場」の丁寧な説明を手書きで纏めてくれたメモが、
手元に差し込まれてきた!ということがありました。
話し手が伝えたいことは話し手が一番よく分かるということですよね。
一事が万事こんな風に特番は進んでいきました。
坂キャスターいなかったからどうなっていたか、今考えると空恐ろしいです。

坂キャスターも植村アナも積み重ねてきた報道経験がありますので、
瞬時に、『今、必要な情報』を整理してオンエアに反映させることができます。
その情報の捌き方はさすがの一言です。
私もいつかあんな瞬発力を発揮出来るときがくるのだろうか・・・
こなきゃ駄目ですけど・・・・(苦笑)
瞬発力を発揮するためには、結局は「備え」が大切なんですよね。
日頃から積極的に情報を仕入れ知識を蓄えシミュレーションをする・・・・・
さすれば、いざという時落ち着いて臨める=正しい瞬発力に繋がります。
第一、視聴者の皆さんに「落ち着いて行動してください」と呼びかける以上、
私達が落ち着いていないと話しになりませんしね。


【確実に迫り来る巨大地震】
近畿地方は、巨大地震が起きる危険性が非常に高い地域と言われています。
地震を起こす「活断層」が全国で最も密集している他、
東南海・南海地震はなどの「プレート型」地震は、
30年以内に50%の確率で起こるといわれています。

先日大阪府は、大地震による被害想定を10年ぶりに見直し結果を公表しました。
最も被害が大きいのは、
大阪市中心部を南北に走る『上町断層』が震源となる直下型地震。
死者は1万2700人(阪神大震災の2倍)、負傷者は14万9千人。
全壊家屋は36万棟(阪神大震災の3.5倍)
経済的な被害総額は19兆6000億円に上ると予測されています。

大阪府は、この被害想定を基づいて、2007年度内に防災戦略を策定するとしています。
また、和歌山県の市町村をはじめとして、地域ごとに防災マップを作成したり
津波を想定した防災訓練が定期的に行われるようになっています。
起こりうる巨大地震に対し、
国、自治体、個人、それぞれのレベルでの備えが少しずつではありますが進んでいます。
放送局でも地震訓練を行っています。

個人としては・・・・・・
最近、災害時用グッズがスーパーや通販で大々的に売り出されていますよね。
リュック等の中に最低限必要な水や食料、日用品が入っています。
この他にも、家族と避難経路や待ち合わせ場所を話しあっておいたり、
枕元に厚底のスリッパをおいて寝る習慣をつけたりと、
出来ることからこつこつと備えておきたいものですね。

2006年11月15日

中国のスポーツの実力

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

詳しいプロフィールを見る>>


フィギュアスケート中国大会を見て思ったこと
「女子フィギュアスケート」の『グランプリシリーズ』が行われてい
ます。(他局ですが)

関連のニュース番組で中野友加里選手が取り上げられていました。
映画『SAYURI』に主演したチャン・ツィイーさんの演技をヒン
トに、表現力を磨いたとのこと。
ポイントは「目ヂカラだ」そうでした。「へぇ……」とここまではいい
んですが。

『中国・南京』で行われた『グランプリシリーズ中国大会』。
中野選手のショートプラグラムの演技が始まって私はびっくり!
使われた曲が映画『SAYURI』のテーマ曲だったからです。
去年の暮れに全世界で公開された映画『SAYURI』は、上映前か
ら中国でも評判となっていました。

ところが、中国人女優チャン・ツィイーさんと渡辺謙さんの濡れ場を
めぐって、「中国人が日本人に犯されるとはけしからん」という書き込
みが一部ネット上に噴出したのです。

チャン・ツィイーさんは日本人の芸者の役。中国VS日本という構図で
は当然なく、書き込みは全くばかげているわけです。ほんとにばかば
かしい。この書き込みのせいかどうかは定かではありませんが、結局
この映画は当局の許可が下りず、中国大陸では上映禁止となりました。
(海賊版DVDは出回っていましたが)

というわけで、『SAYURI』のテーマ曲を選んだ中野選手のチャレ
ンジャーぶりに拍手。しかも会場は『中国・南京』……歴史を振り返
ってみたときには、緊張せざるを得ない場所。

とはいえスポーツに政治を持ち込むのは全く筋違いの話で、中野選手
サイドはそもそも全く考慮されていなかったのかもしれませんし、
する必要もありません。

念のために誹謗中傷系の書き込みがないか「中国のサイト」を見てみ
たところ、見つけることはできませんでした。そもそもなかったのか、
当局が消したのかはわかりません。
「スポーツ関連のサイト」みても、日本人選手はあまり注目されてい
ないような書きぶりでした。今や世界でもトップレベルの実力を誇る
「日本女子フィギュア」なのに。


放映されるのは中国選手の活躍だけ
そういえば、今年の『トリノ五輪』でも同じような気持になりました。
出張先の『ハルピン』で、『中央電視台=中国の国営放送』の中継を
見ていました。

「女子フィギュアスケート」の前に中継されていた「男子のフリー
スタイル・エアリアル」で中国人選手が金メダルを獲得。
アナウンサーは大喜びで声のトーンも上がりまくり、金メダル授与、
国旗掲揚シーンまでしっかり放送されました。

続いて、私が見たかった「女子のフィギュアスケート」で、荒川選手
の金メダルが決まった瞬間。
画面には、会場の控えの場所でコーチと抱き合って喜ぶ荒川選手の姿
が少しだけ映し出され、アナウンサーの「女子フィギュア優勝は日本
の荒川選手でした」という淡々とした紹介だけで、放送終了。
「おーい!金メダル授与シーン見せてよぉぉぉ……」。
「今頃日本では大盛り上がりなんだろうなぁ……」と思いました。
話は『グランプリシリーズ』戻りますが、それにしても、『中国』の
スポーツ観戦のマナーは相変わらずです。

自国の選手に対しては、大失敗をしても大きな声援と拍手を送るのに、
他国の選手の演技には、会場の半分以上の人が拍手すらしません。
(私の目には、特に日本人選手の演技の後がひどかったように見えた、
のは穿った見方か……)
誰だって、自国の選手を応援するのは当たり前ですが、精一杯の演技
を終えた選手には、その出来にかかわらず賞賛の拍手を送るのは当然
の常識というか、マナーというか……。

さらに、優雅な演技がフィギュアスケートの魅力のひとつだと思うん
ですが演技を終えたあと、中国の選手は足をガバーッと開いて得点の
発表を待っていました。
なんぼ緊張が解けたからって、緩みすぎと違います?
『北京オリンピック』まであと2年をきりました。
技術面での鍛錬とともに、ぜひそこいらのところを改善していただき
たいものです。

2006年11月14日

核論議発言と教育基本法

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


詳しいプロフィールを見る>>

4野党が麻生外相罷免を要求
「北朝鮮の核実験」後、「核論議」が盛んになっています。
特に麻生太郎外務大臣や『自民党』の中川昭一政務調査会長は「核に
ついて議論する必要性」を繰り返し発言しています。

これに対し、『民主・共産・社民・国民新党』の野党4党は、「核廃絶
の先頭に立つべき、閣僚や自民党の政策責任者が、非核三原則の見直
しに繋がる発言を行うことは容認できない」と批判を強めていました。
そして、特に「外相である麻生氏の発言は“閣内不一致”に繋がる」
として、幹事長・書記局長名で「罷免要求書」を安倍晋三首相に突き
つけました。 

これを受けて安倍首相は、記者団に「非核三原則を堅持していく方針
では一致しているから問題ない」と述べ、「要求は受け入れない考え」
を示しましたが、それならば「外相不信任案を衆議院に提出する」と
いう声もあります。

今週の『国会』は、「麻生氏の罷免要求」を巡る動きが大きくなるかも
知れません。
麻生外相や中川政調会長が発言するだけに、『自民党』の多くが「核論
議の必要性」を唱えているように見られがちですが、私の知る『自民
党』の政策通は、「議論だけでもいいじゃないかなんてとんでもない」
と言います。
『日米安保条約』は「日本が再軍備しないためにやってきたもの」で
すから、『日本』が「核保有」に踏み切ることは、『安保』の解体、「核
の傘」の放棄に繋がります。

また、「被爆国」として『核不拡散条約=NPT』の推進を積極的に
進めてきた『日本』が自らの手で破壊することになります。
「核で核を抑止することには限界がある」ことこそ、被爆体験を持つ
『日本』が主張すべきことではないでしょうか。


なぜ教育基本法の改正を急ぐのか
今週の『国会』は、「教育基本法の改正」を巡る動きも活発になります。
安倍政権は、「教育基本法改正」を最重要法案として、今『臨時国会』
での成立を目指していますが、そのためには16日までに『衆議院』を
通過させなければならないからです。

確かに今の「教育」は、“いじめ”や“不登校”、“荒れる学校”、“必修
科目の不履修”、“学力の低下”など、問題がたくさんあります。
こういう問題は『教育基本法』が悪いから、起こるのでしょうか。
“愛国心”を教えなかったから、起こるのでしょうか。
「教育の現場」で今必要なのは、「日常的に起こっていることをどう解
決するかにある」と思うのですが。

先の『通常国会』で50時間審議したから、「今国会での審議は短くて
いい」という声も与党から聞こえてきたりもします。
「日本の未来を担う子供に関わる大事な法律」を、成立を急ぐあまり
に「強行採決で衆議院通過」なんてことのないように祈りたいもので
す。

2006年11月13日

米・中間選挙で12年ぶりに民主党が勝つ

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


詳しいプロフィールを見る>>

北朝鮮は民主党の勝利を読み切っていた
『アメリカ』の「中間選挙」で、『民主党』は「上・下院」とも多数派
を占めました。『民主党』が予算や法案など“両院での審議の主導権”
を握るのは、94年以来12年ぶりのことになります。

争点は「イラク戦争」……3000人に及ばんとしている「戦死者」
に、有権者は“厭戦気分”を高め、「反ブッシュ票」を投じました。
『民主党』が「イラク問題について具体的な対案」を示したわけでは
なく、「現状維持」を主張する大統領を信任しなかったのです。
ブッシュ大統領も緊急会見で、「共和党を代表する者として大きな責任
がある」と敗北を認め、「国民の多くがイラク情勢が進展しないことに
不満を表明した」と述べました。

そして、直ちにラムズフェルト国務長官の辞任を発表しました。
好転しないイラク情勢の責任をとらせたかたちですが、「“強硬派”で
はもはやイラク問題を解決できない」という事実上の更迭でした。
後任にはロバート・ゲーツ元中央情報局(CIA)長官が任命されま
した。ゲーツ氏は「旧ソ連研究の第一人者」で、長年のCIA暮らし
で「民主党にも強い人脈を持つ」と言われますが、どのような手腕を
見せるのでしょうか。

さらに、ブッシュ大統領はホワイトハウスで民主党院内総務ペロン氏
(女性として初の院議長になる予定)と会談し、「超党派でイラク問題
に当たる」姿勢を示しました。
これまでの流れが大きく変わるのは間違いないところのようです。
『北朝鮮』は、「民主党の勝利」を予測していたものと思われます。
「核実験」をしたのが中間選挙のほぼ1ヶ月前で、「6者協議への復帰」
を示したのが1週間前です。

しかし、『アメリカ』の世論は『イラク』だけで、『北朝鮮』に関心を
持ったのは少数派にとどまりました。
『北朝鮮』は、「アメリカは、イラク問題で精一杯で、北朝鮮に戦力を
持ち込むことはない」と読み切っていたと見られるのです。
そして、『北朝鮮』が歓迎するのは「民主党の対話路線」です。かって
クリントン政権の時に、「核開発放棄を条件に、経済援助を得たこと」
をもう一度と願っていることは明らかです。
これまで『ブッシュ政権』と同調してきた『日本』が「北朝鮮政策」
をどうするのか、難しい問題を抱えることになりました。


日本の民主党はどうなる
さて、昨日行われた『福島県知事選挙』は、『民主党』公認の佐藤雄平
候補が当選しました。開票10分で「当確」が出る圧勝でした。
佐藤雄平新知事は、渡部恒三・民主党最高顧問の甥で、渡部氏の秘書
を務めた後、参議院議員を2期目を務めていた政治家で、汚職で辞職
した前知事の後任を決める今度の選挙では、最初から有利と見られて
いました。これで先の「衆院補選」で2敗した『民主党』が一矢を報
いたことになります。

来週には『沖縄県知事選挙』が行われます。
もしここで「野党候補統一」の糸数慶子候補が勝てば、“選挙に強い
小沢神話”が復活しそうな流れになりそうです。
小沢一郎・民主党代表の理想が「2大政党論」であることはよく知ら
れています。
『アメリカ』の『共和党』と『民主党』のように、2つの政党が交代
で「政権」に就くことを望んでいます。

そのためにも、『日本』の『民主党』が「政権」に就くには、来年夏の
『参議院選挙』で「与野党逆転」を実現しなければなりません。
『アメリカ』の『民主党』の勝利は12年ぶりでしたが、『細川政権』
『羽田政権』を支えてきた小沢代表が「与党」を離れて今年で12年
に当たります。
小沢代表が「与野党逆転」を果たすとしたら、年齢的にも健康的にも、
来年夏の『参議院選挙』をおいて他にないのです。
それはさておき、先週の「党首討論」の小沢代表は、前回に比べると
新しい手を見せました。
元々は“持論を展開する”のが「小沢流」ですが、今回は質問を連打
して、“首相に長く語らせる手”を取り入れました。
そして「核保有論議問題」で、5度質問をぶっつけて、首相を防戦に
追い込み、“本音”をポロリと引き出しました。
『アメリカ』の『民主党』に続いて、『日本』の『民主党』が勝利する
には、今こそ『民主党』が「野党として“一枚岩”であることを示さ
なければならない時だ」と思います。

2006年11月10日

政治家の言霊はどこへ?

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


詳しいプロフィールを見る>>


 人には人それぞれの「生き様」や「美学」というものがありますから、他人が
とやかく言うことではないかもしれませんが、私自身の尺度に合わせて言わせて
もらうならば、これぞ「格好悪い」ことの典型といったところです。

 ・・・・って、いったい何事かと思われるかもしれませんが、これ、和歌山県の木
村良樹知事の話です。和歌山県発注の公共工事をめぐる談合事件で、知事側近の
出納長が逮捕されたことを受け、知事は今月1日、「任命権者としての道義的責任
をとる」として、向こう1年間にわたり給与の半分を返上することと、退職金を
受け取らないことを明らかにしました。しかし、その翌日、内外の批判に耐え切
れず、知事は遂に辞職を表明。その後、知事公舎にこもり続けているわけですが、
このままでは、世間に約束した「給与と退職金の返上」という話が反故になって
しまいそうなのです。
 というのは、知事が退職金などを返上する行為は「政治家の寄付行為」とみな
され、公職選挙法に抵触する恐れがあります。このため、実際に返上するために
は議会での議決が必要で、知事が「返上する」と言っただけという今の状態がこ
のまま続くとしたら、退職金は満額支給されることになるのです。その額、何と
2889万6000円。

 ではなぜ、議会の開会を要求しないのかということになるわけですが、聞こえ
てきたのは「知事を辞めるにあたって、引越し費用もかかるし、家族のこともあ
るし・・・・」というような話。まぁ、知事の名誉のために付け加えておきますと、
あくまでもこれは知事側近の人間が、知事の心中を忖度して述べた話なのですが、
実際に議会を開く意思を示そうとしないわけですから、勘繰られても仕方がない
状況ではあるわけです。ちなみに、このままでは退職金だけでなく、冬のボーナ
ス335万円と11月の給与121万円も満額支給されることになりそうです。
これも法律の規定によるものなのですが、知事の辞職は申し出から30日後と定
められていて、木村さんの場合は来月2日付け。それまでの中途半端な期間は、
たとえ県庁に出勤しなくとも現職知事としての地位が保証されているのです。一
度は大見得切って「返上」と言っておきながら、いざ辞めることが決まったら「満
額受領」・・・・これを「格好悪い」と言わずにおられましょうか。

 と、何だか悪口を並べ立てているようですが、実は木村知事とは、南海地震に
関するシンポジウムなどで実際に議論したこともあり、自他共に認める「改革派」
としての仕事ぶりに少なからず共感する部分があったため、こんな事態になって、
文句の一つも言いたくなる心境なのです。私は何も、金を受け取るか受け取らな
いかという瑣末なことをあげつらっているのではありません。「政治家としての発
言の軽重」「行政に対する信頼度」・・・・そんな大きな部分で申し上げているのです。
案の定、このニュースが伝わると、世間からは「どうせ、政治家なんて変わり身
が早いんだし、嘘をつくのが仕事みたいなものだからね」というような反応も出
てきています。談合事件そのものだけでなく、政治家や行政全般に対する信頼を
失わせているとしたら、その罪は大きいと言わざるを得ません。

 木村知事はこれまで一貫して「事件には関与していない」と表明しています。
そして、この原稿を書いている今日11月9日、大阪地検特捜部は、知事公舎へ
の強制捜査に着手。木村知事の関与について、本格的な捜査が始まりました。身
の潔白を訴え続けたその言葉まで「嘘」だったというような事態にならなければ
いいのですが・・・・。

2006年11月09日

メディア論コーヒーブレイク9

辛坊 治郎辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員


詳しいプロフィールを見る>>


全国選りすぐりの「放送局受験負け組」を集めた読売テレビアナウンサー試験、二日目が始ま
りました。

二日目の試験が始まった
普通アナウンサーの採用試験というのは、書類審査に始まり、簡単な「読み」の試験、ペーパ
ーテストなど何回もの関門を経て、カメラテストへと向かうのですが、何せ急ごしらえの二次募
集試験、集められた八人全員は、試験二日目にカメラテストに臨むことになりました。小さな物
置小屋のような部屋(入社してから、そこはなんと、読売テレビにあった唯一の報道スタジオだ
ということを知りました)に順番に案内された私たちの前に突き出されたのは、B4版の写真パ
ネルです。はっきりとは覚えていませんが、どこかの紅葉を背景にした湖の写真だったように
思います。

「はい、二分間その写真を見て、二分間何でもいいからしゃべってください。」

ここにいたって、ようやくアナウンサー試験なるもののパターンに気づきはじめました。これか
らアナウンサー試験でも受けてみようかという皆さん、基本的にどこの局でも、試験のバリエー
ションは似たりよったりです。この種の試験の対処法は二つです。一つは、その写真に写って
いるものをそのまま実況することです。特に局側がスポーツアナウンサーを採りたいと考えて
いるようなケースや、アナウンサーにカメラの代わりも求められるラジオ局の試験では、そこに
あるものを正確に描写する能力を示すことは有効です。もう一つの対処方法は、写真は単な
る発想のきっかけにして、まったく違う方向に話を展開することです。私はこの方法をとりまし
た。


どんな経験でも役に立つもんだ
中学校のときに一時期写真部に入っていたこともあって、クラ~イ私の当時の趣味は、写真集
を開くことでした。そんなわけで、その写真を見た瞬間、ある写真集に載っていた一組の写真
が脳裏によみがえったのです。それは、ヨーロッパの、とあるローカル鉄道の車内のスナップ
写真でした。その写真の一枚目はぼんやりと車内で過ごす中年男性です。次の写真は鉄橋に
差し掛かった列車の中の同じ男性。そして、最後一枚は目を見開いて、車窓に広がる湖に見
入る男性、といういわゆる「組み写真」です。当然この写真のテーマは「水に対する郷愁、共
感」です。そんなわけで、試験用の写真を見ながら、湖と水と心の三題話めいたものを展開し
たように記憶しています。どんな経験でも役に立つことがあるもんだと、当時つくづく思いまし
た。

ところで、後々採用試験をする側に回って感じるのですが、この種の試験で絶対のタブーがあ
ります。それは、勝手な思い込みを延々と語ることです。一番多いのが、紅葉の写真を見せて
何かしゃべってくださいというと、いきなり、「これは嵐山の紅葉です。」と断定して、延々嵐山の
解説をする受験生がいるのです。それが本当に嵐山なら「大正解!」ですが、それが奈良公
園なら、これは完全にアウトです。この業界で最大のタブーは、嘘をついたり、不正確な情報を
事実のように伝えることです。もちろん、紅葉の写真を見て、とっさに嵐山しか思いつかない場
合もあるでしょう。そんなときは、「美しい紅葉ですね。ところで紅葉の名所といえば、嵐山です
が、、、」というのならオーケーなのです。つまり、どんな時でも嘘をつかない、分からないこと
は分からないと言える、そのことこそが試験で試されているのだと覚えておいてください。


午後の試験はインタビュー
さて、午前は写真を見てのカメラテスト、午後はインタビューのテストです。これも昔から、アナ
ウンサー試験の定番です。
いくつかパターンがありますが、局の先輩アナウンサーが、「時の人」に扮して、その人に受験
者がインタビューするというケースが代表的です。この場合、役柄に扮する局員には、どんな
質問が来るか事前に想定して、学習することが求められます。たとえば、堀江被告に扮する事
を強いられた中間管理職などは、少なくとも一般的な受験生が持っている堀江氏に関する知
識くらいは持っていないと、自分が他の試験官の前で恥をかくことになりますので、かなりの緊
張を強いられます。
また、中には役になりきる努力を徹底するあまり、ハメをはずす人も出てきます。大昔、炭鉱事
故が相次いでいた時代に、「生き残った炭鉱夫の役」を命じられた男性アナが、いきなり顔を
真っ黒に塗ってスタジオに現れ、大顰蹙を買うということもあったようです。何でもやりすぎはい
けません。

この試験で試されているのは、基本的にインタビューの技術ではありません。まず、「時の人」
に関する時事的な知識を有しているかといるかということ、これがまず試験の第一の目的です。

その上で、対話者と常識的な人間関係が築けるかということ、これが重要視されます。つまり
どこまでも、問われているのは「常識力」なのです。
このインタビュー試験を採点者の立場で見ていると、受験生の十人に一人くらい必ず、インタ
ビューしている相手が誰だか分からなくなる人がでます。今、自分がインタビューしているのが、
アナウンサーが演じている時の人なのか、時の人を演じているアナウンサーなのかごちゃごち
ゃになってくるらしいのです。結局、何がなんだか収拾が付かなくなって時間切れを迎えてしま
います。こうならないためには、試験の設定・前提を、徹底的に「思い込む」ことが重要です。


競争率四倍のアナウンサー
こうして午前、午後のカメラテストが終わり、後は発表を待つばかりとなりました。記憶があい
まいなのですが、その日に家に帰り着くまでには結果が出ていたように思います。結果は八人
中二人合格でした。同時に採用されたもう一人は、フジテレビの最終試験で一緒に落ちたM君
でした。つまり、フジテレビの最終試験で残った三人のうち、一人がフジテレビに入り、落っこち
た二人が読売テレビで仕事をすることになったのです。八人中二人!全国にアナウンサーの
採用試験を受けて局に入った人が何人いるか分かりませんが、たった四倍の競争率で入社し
たのは、私とM君だけだと思います。これが、私がこの業界に入ったきっかけです。人生という
のは分からないものです。

M君は、しかし私と受験の背景がまったく違っていました。彼はなんと中学校時代にNHKのア
ナウンスコンクールの全国大会で入賞した経験があるほどの、この業界に入るべくして入って
きた男、私は、彼のおまけで入社した男です。後から聞いた話ですが、一次募集で内定者に
逃げられた後遺症で、万一M君に逃げられたときのバックアップ要員として私に内定を出した
ようなのです。そんなわけで、入社してから、毎日が仰天の連続でした、という話はまた次回。

2006年11月08日

冬の東北地方の想像を絶する寒さ

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

詳しいプロフィールを見る>>


中国のホテルの暖房は、真冬でもエアコンだけ
そろそろ本格的な冬到来。朝晩は特に冷え込むようになってきました。
『中国』での取材で大変なことはいろいろありましたが、その一つが
「冬の寒さ」でした。

最初に体験したのは、2003年の1月のことです。
『中国・東北部』は、「北朝鮮」と国境を接することから、北朝鮮から
逃げ出した、いわゆる「脱北者」が多数潜伏しています。
その中に「日本国籍の女性」がいることがわかり、外務省によって
保護された後、日本へ帰ることになりました。

この女性はかつて日本で在日の男性と結婚し、北朝鮮政府による帰還
事業で夫とともに北朝鮮に渡ったものの、その後夫と生き別れ、脱北
を決意したというものです。
ここで、「脱北者の現状」や「北朝鮮」について語るつもりはなく、
専門家がたくさんいらっしゃるので)個人的な体験談をお伝えしよう
と思います。

私に課せられた指名は「箱乗り」です。
「箱乗り」とは、取材対象者と同じ飛行機や列車に乗り込んで取材を
することです。取材対象者が、「取材に同意していれば問題はない」と
いう突撃取材がほとんどです。
しかも、どの便に乗るのかまったく情報がないまま、ひたすら空港や
駅で、取材対象者が来るのを待ち構え、そのまま同乗ということも
よくあります。

さて、東京からの情報は、「脱北した日本人女性があすにも瀋陽から
日本へ帰るらしい」……これだけです。
日本への飛行機は調べればすぐわかりますが、顔も名前もわからない。
「正直どないしたらええねん・・・?」という状態で、とにかくまず
『瀋陽』へ。

空港に着いて外に出たとたん、冷凍庫に頭を突っ込んだときのような
衝撃が……「寒っ!」。翌朝に備えて、空港から一番近いホテルへ。
ここでまず、最初の“予想外”……『瀋陽』限らず、「中国のホテル」
というのは、安ホテルでも部屋がとても広いのですが、暖房器具は
小さなエアコンだけ。
外の気温はもちろん氷点下で、エアコンをつけたところで、全く効果
なし。

お風呂に浸かって温まろうと思ったものの、バスタブが非常に浅く、
膝くらいまでの深さしかありません。しかも、出るのはぬるいお湯。
仕方がないのでお湯を入れられるだけ入れて、バスタブの中で顔だけ
お湯の上に出る状態で身体を伸ばしてみました。
(背が低くてよかった)つかっているうちにお湯はどんどん冷めてい
くし、出たら出たでまた寒いし、とにかく風邪を引かないように毛布
にくるまって休みました。


バスタオルを何枚も巻いて外へ出る
翌朝……一番の飛行機は午前8時半ごろなので、2時間前には空港で
待ち構えていなければなりません。
空港までタクシーに乗ろうと思ったら、ホテルの従業員は、「こんなに
朝早くにタクシーはない」といいます。


「なんでよ、中国人早起きやん」・・・・・・


じっとしていても仕方ないので、
空港まで数キロの道のりを歩くことに決定。
気温はマイナス20度以下。使い捨てカイロも全く役に立ちません。
「中国の冬」をなめていました。
一旦部屋に戻り、薄い薄いせんべいバスタオルを一枚身体に巻いた上
に服を着て、もう一枚のバスタオルを頭から被り、小さいタオルを
マフラーにして、街灯もない真っ暗な道路を空港に向かって歩き出し
ました。「怪しい格好にもほどがある」と、今さらながらに思います。
あの時の姿をもう一度別のカメラで見てみたいものです。
ものの数分後に、鼻毛もまつげも凍りつき、急ごうにも地面も凍って
いるので走ることもできず、ひたすら歩き続けること30分。
ようやく空港に到着し、ホテルから勝手にお借りしたタオルを捨てて
(今だから言えますが)、取材開始です。

「関西空港行きのチケット」を購入して、ロビーでひたすら待ち。
しばらくすると、別の日本の新聞記者たちも姿を見せ始めました。
そして、搭乗締め切りの少し前になって、一般客が通る通常のロビー
ではなく、VIP用の入り口から数人の日本人男性(彼らは外務省の
職員だった)と小さな女性が入っていくのが見えました。
「来たっ!これでほぼまちがいない」と思い、私も飛行機へ。

この時の箱乗り取材の詳細については、次週お伝えしたいと思います。

2006年11月07日

今、ふるさと旭川の元気がいい

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


詳しいプロフィールを見る>>

旭山動物園に200万人
今、「中央と地方の格差」が話題になっていますが、私の“生まれ故郷”・
『北海道・旭川』は比較的“元気のいい話題”が続いています。
私は何年か前に『旭川観光大臣』の一人に任命されていますので、今
日は『旭川』の自慢をしたいと思います。

まず、『旭川市旭山動物園』の話題です。
『旭山動物園』は、今年来園者が200万人を超え、『上野動物園』を
上回る「日本一」の記録を残しました。
私が子供の頃の『旭山動物園』は、「最北の動物園」というのが唯一の
キャッチフレーズで、珍しい動物がいるわけもない、冬には閉園して
しまう「動物園」でした。
そして今でも「珍獣のいない動物園」には変わりないのですが、全国
から来園者が来る「人気のある動物園」になったのです。

今の園長の小菅正夫さんが園長になったのは、1995年。その翌年
には「来園者・26万人」と最低を記録しました。
予算はなく、新しい動物の購入もできない……市の関係者のなかには
「廃園」の声も出てきました。
しかし、小菅園長は「予算がないなら、知恵を出し合って、できる
ことから始めよう」と……これが“復活の原点”でした。

まず、飼育係が「自分の担当する動物のワンポイントガイド」から
始めたのです。これが受けました。来園者が関心を持ってくれるよう
になりました。
エサをやる風景を見せる「もぐもぐタイム」や動物の説明をする「手
書きポップ」……入園者が少しずつ戻ってきました。
「夜の動物」を見せるために「夜の動物園」として9時まで閉園時間
を延ばし、冬も「開園」するようにしました。は虫類やサル山のサル
は冬が苦手でも、ホッキョクグマ・ペンギン・アザラシなどは冬が大
好きです。

そして『旭山動物園』の何よりもの特徴は、動物の行動や生活を見せ
る「行動展示」という“独自の見せ方”にあります。これがヒットし
ました。予算がないので広告費は使えません。でも「旭山が面白い」
と口コミで人が来るようになりました。

来園者が増えれば予算もつくようになります。
今、『旭山』に行くと、水中をものすごい勢いで泳ぐペンギン、透明な
円柱のトンネルを泳ぐアザラシ、大きなプールにダイビングするホッ
キョクグマ、地上17mのロープを片手で空中散歩するオランウータ
ンなど、ここでしか見ることができない「動物の行動」にふれること
ができ、それに人々が癒されるのです。


新市長・西川将人氏は37歳
10月の初めに『旭川市長選挙』があり、民主党推薦の西川将人氏が
当選しました。西川・新市長は今日が誕生日で、38歳になりますが、
当選したときには37歳で、『横浜』の中田宏市長よりも若くして市長
になったことになります。
立候補したのは5人で、自民推薦・公明支持の候補を僅か1758票
上回るだけの接戦でした。

西川氏は、『旭川』の出身で、『北大』を出て、『JAL』のパイロットに
なり、その後「政界」を目指し、『小沢政治塾』に学んだという履歴を
持っています。
この日、民主党は『大阪』と『神奈川』の「衆院補選」で2敗しまし
たが、『旭川』では“若さ”を背景にした民主党推薦候補を市民が支持
したようです。

『旭川』は人口36万人(北海道第2位の人口)で、“道北の拠点都市”
ですが、これまで『札幌』に比べると“街の成長の勢い”に欠けてい
ました。
『道北』でも、『富良野』が『北の国から』で話題を集め、『美瑛』が
ラベンダー畑で注目されて一歩遅れた感じがあったのですが、『旭川』
は『旭山動物園』でようやく「日本一」の冠を持つようになりました。
この動物園を訪れる人で意外に多いのは、60歳前後の夫婦連れです。
『旭川』の後は『層雲峡』で“大パノラマと温泉”を楽しみ、さらに
“世界遺産”の『知床半島』に向かいます。
訪れる人が増えれば、次第に街の活気が蘇ります。

西川・新市長の公約は「チャレンジ・ふるさと旭川づくり」。
『大雪山連峰』と『石狩川』の豊かな自然の中に、「元気なまち・安心
なまちをつくろう」というものです。
西川市長は、若いだけに大きな可能性を持っています。
素晴らしい「まちづくり」をして欲しいと望んでいます。

2006年11月06日

6者協議、再開に思う

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


詳しいプロフィールを見る>>

北朝鮮はどんな思惑で協議に戻るのか
『6者協議』が1年ぶりに再開されることになりました。
「地下核実験」から3週間あまり、“朝鮮半島の緊張”が高まっている
なかで、『国連安保理』の「経済制裁決議」があり、米国と中国の政府
高官が世界を飛び回って行った“外交”が実ったことになります。
そして中国・米国・北朝鮮の3カ国が『北京』で非公式協議を行った
結果、突然“北朝鮮の核問題”を巡る『6者協議』を「近く再開する
こと」合意したのです。

『米国』は北朝鮮が求めている「金融制裁問題」について「作業部会
を設置する用意」を表明し、『北朝鮮』は「朝鮮半島の非核化」につい
て「昨年9月の非核化の共同声明を履行する意志」があることを確認
しました。

これで、『北朝鮮』が再度「核実験」を行うことはとりあえず回避され、
6者が“話し合いのテーブル”につくことになりました。
一見“明るい材料”のようですが、果たしてそうなのでしょうか。
“懸念材料”が多いことが気になります。
まず、「緊張を高めて、ぎりぎりのところで緩める」という手法は
“北朝鮮がよく使う手”です。
1993年の『北朝鮮』が『NPT=核拡散防止条約』から離脱した
『北朝鮮核危機』の時も、『寧辺』の複合核施設の全面凍結を約束して、
軽水炉・石油・食糧などの経済援助を取り付けながら、裏で「核開発」
を続けていたことも、その典型です。

「核実験で緊張を高めた上で、対話に応じて、経済支援などの代償を
求めるという“瀬戸際政策”は、もう通じない」と思うのですが。
次いで、「北朝鮮を核保有国として認めるか、どうか」も“懸念材料”
です。

『6者協議』の目的は、あくまでも「北朝鮮の非核化」にあり、昨年
9月、「核放棄の見返りに日米との関係正常化と経済支援」を約束した
「共同声明」に戻ることを『5者』は求めるのですが、『北朝鮮』は「核
保有国」の主張を崩すとは思えません。
“話し合いのテーブル”にはついたけれど、いつ決裂して飛び出して
いっても不思議ではない状況は続いています。


北朝鮮、「日本は参加するな」
「核実験」の直後、『中国』の胡錦涛・国家主席は「北朝鮮へ国際社会
の強烈な反応を知らしめる必要がある」と発言しています。
唐家璇・国務委員が『北朝鮮』を訪れ、金正日・総書記に会ったとき
にも、この言葉を伝えたと見られています。

そして最大の支援国である『中国』との信頼関係がなければ、『北朝鮮』
の国家維持は成り立ちません。
「経済制裁」で『中国』も「エネルギーや食糧の供給を締めた」こと
も大きく響いたように思えます。
「このままでは飢餓とエネルギー不足で“国家崩壊”の寸前だった」
という見方をする北朝鮮ウォッチャーもいます。


さて、ここにきて、『北朝鮮』は「日本が参加しないなら、この上なく
良いことだ」と言い出しました。
元々「日本統治」にわだかまりを持っている『北朝鮮』は、『6者協議』
から「日本を外したい意志を持っていた」といわれています。

そして、『日本』は核実験以後も「北朝鮮を核保有国とは認めない」と
いう立場を取り、さらに曽我ひとみさんの女性拉致工作員を国際刑事
警察機構を通じて国際手配するなど拉致問題」でも厳しい姿勢を取り
続ける『日本』を、強く牽制することを狙ったものと思われます。
国際世論の中には「日本が“拉致”問題を強く言い過ぎると、北朝鮮
を追い詰めることになる」という声があることを利用してです。
そして「日本は米国から協議結果を知れば済む」とも言い、「参加国が
少なくなることは、協議の効率性が高まる」とも述べています。
これは「協議が進展しなかった場合の責任を日本に押しつける布石」
とも見られます。これらは国際社会の包囲網にいらだつ『北朝鮮』の
思いを示しています。

この“北朝鮮の揺さぶり”の中で、軸をぶれずにいかに対応していく
か……「6者協議再開」は『安倍政権』にとって試練の時となりそう
です。
「拉致」と「核問題」……『日本』にとって、“火種”は何も消えてい
ないのですから。

2006年11月03日

「履修漏れ問題の顛末」

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


詳しいプロフィールを見る>>


 『物理や化学の教師が家庭科を教えるというのは、以前から無理があるな
と思っていましたが、要するに認識が甘かったということですね』。

 記者会見での釈明を聞いて呆れ返ったのは、決して私だけではないでしょ
う。天下に名だたる有名私立の灘高校。その校長が、自身の学校でも発覚し
た履修漏れ問題について、
当事者意識に欠けると言われても仕方がないような発言を行ったのです。
 灘高校の説明によると、現在の3年生217人全員が、本来、家庭科を受
け持つ資格がない物理や化学の教師から授業を受け、この分の履修が認めら
れない事態に陥っているというのです。それだけではありません。理系クラ
スの74人は、どちらか1科目を履修しなければばらない地理と日本史を、
いずれも履修していなかったことが発覚しました。誰もが知る進学校だから
と、ことさら責め立てるつもりはありませんが、この程度の認識しか持てな
い教師に教えられた生徒たちが、将来、日本の針路を左右するような職責を
担うのかと思うと、何だか空恐ろしい気持ちになってきます。

 それにしても、大変な事態になったものです。富山県の高校で発覚した履
修漏れ問題はいつの間にか全国に拡大し、伊吹文部科学大臣が1日午前に明
らかにしたところによると、その対象は全国の高校の1割近くに当たる54
0校、生徒数にして8万3700人余りに上るというのです。これはもう単
なるミスとか、ある特定校での確信犯的対応というよりも、日本の高等教育
の現場に巣食う病魔と言っても良いくらいでしょう。「受験という目先の目的
のためならルールを破るのも仕方がない」「ルールを破ってもバレなければ構
わない」「バレないようにするには通知表を改ざんしても良い」・・・・いやはや、
この理屈で巣立っていった教え子が、将来、同様の論理で社会生活を送った
らどうなるか、不正に加担していた教師たちは考えたことがあるのでしょう
か。しかも、この問題を巡っては「責任を取る」として自殺する校長まで出
ています。陰湿ないじめにより自殺する子供が相次いでいる中、「命の大切さ」
を教師が唱える一方で、その教師までもが簡単に命を絶ってしまう・・・・短絡
的で未熟な大人が増えているような気がしてなりません。

 国会では今、瑕疵のない生徒を救済するために、補習授業を70コマにす
るか50コマにするかと喧しく議論しています。そもそも、こんな瑣末な対
応策を国会議員のセンセイたちが話し合わなければいけないこと自体、悲し
い話ですが、誰一人として「正論」を吐く勇気のある人がいないのはどうし
たことでしょう。「そもそも単位が足りないのに卒業ありきで話を進めるのは
間違っている」「生徒に瑕疵がないとは言うが、受験に関係ない教科は受けた
くないと言っていたのは生徒自身だ」「ルールに違反したら、何らかの不利益
を蒙るのは当然だと教えることもまた教育だ」・・・・まあ、あまりにも現実的
ではないので、私もそのまま主張するつもりはありませんが、表面的な取り
繕いで済ませようとしている今の流れには少なからず疑問を抱いています。
これはある意味で、戦後教育の問題点がそのまま浮き彫りになっている事態
だと思います。「権利」や「自由」ばかりが尊重され、「義務」や「責任」を
果たそうとする若者を作り出してこなかった教育。何でも「平等」「平等」と
唱えた挙句、遂には生徒と教師の地位まで逆転させてしまった教育。そして、
その後始末は全て「救済」や「特例」という名の甘やかし。折しも、安倍内
閣の下で教育再生会議がスタートしました。未来の社会に、どんな日本人を
送り出す教育をしていくのか・・・・会議のメンバーには、この履修漏れ問題の
顛末についても建設的な意見交換を行ってほしいところです。

2006年11月02日

小林薫被告、死刑確定 2「矯正教育の現状」

横須賀 ゆきの横須賀 ゆきの
読売テレビ放送 編成局アナウンス部・報道局


詳しいプロフィールを見る>>

奈良で女の子が誘拐され殺害された事件。
小林薫被告の死刑が確定しましたが、
この事件では「性犯罪者の矯正や再犯防止」という課題が浮き彫りになりました。

小林被告はこの事件の前に過去2度の性犯罪歴がありました。
「刑務所は懲罰だけではなく、矯正教育に力をいれるべきだ」
そんな世論の高まりを受けて、今年5月法律が改正され、
性犯罪受刑者に対しての専門の教育が義務付けられました。
強姦や強制わいせつ、痴漢等の性犯罪で服役する受刑者は、
性行動の異常の程度や再犯の危険性を調査した上でレベル分けされます。
最も再犯しやすいグループは8ヶ月間、週2回受講することになっています。

このプログラムをはじめて4ヶ月の奈良少年刑務所を見学することが出来ました。
プログラムを実施するにあたって教室棟の2階の一部を改装。
白い壁に薄い灰色のカーペット、靴は脱いで入ります。
部屋の真ん中に10個の机が円形に並べられ、窓からは日がたっぷりと差し込んでいます。
普通の教室とは全然違う、明るく、ゆったりとした雰囲気。
受刑者が心を落ち着けて自分と向き合えるような環境を整えているんだそうです。

矯正教育は「認知行動療法」という心理療法を用いて行われています。
基本8人の受刑者と2人の心理技官によるグループミーティング。
内容は、
『自分がどのような経緯で性犯罪に至ったのかということを気づかせ、
犯した罪に対して責任を持たせる。
そして自分の性に対する歪んだ思考と被害者の心を理解させる。
それから色んな事件のケースを取り上げる中で、
罪を犯しそうな状態に陥った時に、
犯行に繋がらないように別の行動を選択する幾つもの方法を学ばせる』
というもの。
この行動療法は、カナダをはじめイギリス、ドイツ、アメリカ等欧米諸国で
実施されていて、効果もある程度実証されています。
カナダでは再犯を半減させたというデータも出ています。

ただ、日本でははじまったばかりのプログラム。
現場の職員も、
新しい技量を身につけるのに試行錯誤を重ねているのが現状です。
「不安はあります。効果は刑務所の中ではなく、社会に帰ってからあらわれるので、
効果があるのかないのか聞かれても私達は信じてやってますとしか言いようがない」
と、奈良少年刑務所の職員は話していました。

欧米諸国は性犯罪が社会問題になった90年代前半から、この問題に取り組んできました。
治療法を確立し、法律の整備を進めてきました。
10年以上たった現在もより効果的なプログラムを求めて、研究を続けています。

去年、カナダとドイツの刑務所や治療の現場を取材しました。
治療の効果が全く見られないまま月日だけが過ぎ出所していく者、
治療の効果があったと思ってもまた同様の犯罪で刑務所に戻ってくる者、
職員達は様々なケースに頭を悩ませ時に絶望感に苛まれながら、それでも、
「一人でも被害者を減らせるなら、このプログラムはやる価値があるんだ」という熱意で携わっ
ている姿がそこにはありました。

日本はまだ一歩を踏み出したに過ぎません。
去年はじまった
子供を対象にした性犯罪者の出所情報を警察庁が管理する制度も
課題は山積しています。
刑務所の中での矯正教育の更なる充実、
出所後等も治療を受けられるような体制の整備、
再犯を防ぐ為の長く険しい道のりは、はじまったばかりです。

カナダ、ドイツを中心に各国の性犯罪対策事情を【ニュースの合間のひとり言の「性犯罪の
連鎖を断ち切るために
」】にまとめています。もしよければご参照ください。

2006年11月01日

中国のプロ野球事情

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

詳しいプロフィールを見る>>


人気はまだまだだが
今年のプロ野球シーズンが終わりました。新庄選手の涙には、『日本
ハム』のファンでなくともグッとくるものがありました。
数あるスポーツの中でも、野球を見るのが一番好きな私です。

中国で一番人気のあるスポーツといえば、サッカーです。
中国中央テレビのスポーツチャンネルでは、国内リーグはもちろん、
世界中の試合が放送されていて、詳しい人が多いのには驚かされます。
インターネットでスポーツ専門サイトを見てみますと、大部分を占め
るのがサッカー。

続いて、上海出身の姚明(ヤオミン)選手がアメリカのNBAで活躍し
ているバスケットボール。
そして、バレーボール、卓球、バドミントン、水泳、F1、テニス、
ゴルフ……と続いていました。
野球の人気は、まだまだというのが正直なところ。
中国でスポーツ関係の仕事をしている知人のブログによると、「中国で
の野球は日本でのセパタクローかもしれない」と紹介されていました。
よくわかります。

日本では、『阪神タイガース』の19年ぶりのリーグ優勝に沸いていた
2003年秋。
『上海』でもBSやCS放送が見られるスポーツバーや日本料理店で、
連日連夜のお祭り騒ぎが繰り広げられていました。
何せ、中国一在住日本人が多い『上海』。
中でも「関西人」なぜか多い。(これは統計はありませんが)
盛り上がらないわけがありません。
『読売テレビの上海支局』は、私のほかは中国人スタッフばかり。
一人で盛り上がっている私にみんな怪訝そうな顔をするので、
これを機会に野球観戦の楽しさをわかってもらおうと思い、なかば無理やり
一緒にテレビ観戦させてみました。

ある試合―ランナーが一塁にいて、次のバッターがフォアボールとな
りました。それを見たあるスタッフは、「では、今一塁に2人ランナー
がいるのですね」……ルールを理解する道は険しそうでした。


中国にもプロ野球がある
そんな『中国』にも、「プロ野球リーグ」があるのをご存知ですか?
『中国』の「野球」の歴史は今から100年ほど遡るといわれますが、
現在のリーグが誕生したのは2002年のこと。2008年の『北京
オリンピック』を見越して、選手のレベル底上げが急務となり、国の
肝いりで「プロリーグ」が発足したのです。
ところが、『北京』の次の『ロンドン』からは「野球」が種目から外さ
れることになりました。
中国当局にしてみれば、本音では「2008年から外してほしかった
ではないかなぁ」と思います。

中国のプロ野球、2002年の発足当初は、『北京タイガース』『上海
ゴールデンイーグルス』『広東レパーズ』『天津ライオンズ』の4チー
ムで、去年から『四川ドラゴンズ』『江蘇ホープスターズ』の2チーム
が加わり、3チームずつ2つの地区に分けて最後に優勝決定戦が行わ
れます。

ここで、お気づきですか? チーム名に馴染みがありますよね。
実は、中国のプロ野球リーグは日本のマネジメント会社がバックアッ
プしているほか、各チームにはスポンサーとして日本の企業がついて
いるのです。
さらに『北京タイガース』には『読売ジャイアンツ』、『天津ライオン
ズ』には『横浜ベイスターズ』など、日本のプロ野球チームとの提携
関係が結ばれていて、オフシーズンにはコーチが派遣されるなどの交
流があります。

4月に開幕、5月に「オールスターゲーム」があり、6月にシーズン
終了とあっさりしたものです。
7月には「日本シリーズ」にあたる「中国チャンピオン決定戦」が
行われます。

ちなみに、今年のリーグ優勝は『天津ライオンズ』でした。
2004年の「オールスターゲームを」取材する機会がありました。
日本のプロ野球ファンなら見逃せないゲームのはずです。
さらに、入場料は無料!なのですが、スタンドはかなり寒い状況。
でも、スタジアムにやってきている人たちはそれぞれに贔屓のチーム
や選手がいて、太鼓を叩いて応援する姿は微笑ましいものでした。
ルールがよくわからない観客のために、「王選手、セカンドゴロでスリ
ーアウト、チェンジです」といった解説が場内放送で流れるのも微笑
ましいものです。

現在発展途上の「中国プロ野球」ですが、野球全体の裾野を広げるた
めにも、国を挙げて、そして日本もさきほど紹介しましたように
様々な形でバックアップを続けています。
来週から、「プロ野球のアジア1」を決める『アジアシリーズ2006』
が始まります。

日本、韓国、台湾からはそれぞれ一位になったチームが出場しますが
中国からは『天津ライオンズ』ではなく、「国家の選抜チーム」で出場
するそうです。


Copyright (c) 2006YOMIURI TELECASTING CORPORATION. All Rights Reserved.