混沌の聖地を訪れて(2)
坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員
1993年9月、中東情勢に劇的な転換期が訪れました。お互いの存在すら否定してき
たイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が相互承認に踏み切り、両者によるパレス
チナ暫定自治協定への調印を生み出したのです。私がこの地を訪れたのは、そんな転換期
の翌年のことでした。
「この道はアラブ人居住地につながるので、ユダヤ人は車を走らせません」・・・・地元ガイ
ドが事もなげに説明するその内容に、協定の実績に対する疑問を抱きながら、私たちは暫
定自治が認められたヨルダン川西岸のパレスチナ人居住区・エリコ市に入りました。
どこかインドネシアにも似たエネルギッシュな活気に満ちた街・・・・それが、私が抱いた
エリコ市の印象でした。「掘っ立て小屋」と言っては失礼ですが、そんな佇まいの市庁舎の
中で、私たちはエリコ市長の話を聞くことができました。「現状は厳しい」というのが、当
時の市長の第一声だったと記憶しています。インフラ整備が遅れ、経済的にも市職員に払
う給料すら無い状況。基幹産業と言えるバナナ農家に対する援助金も、当然のことながら
出せません。しかし、それはそれとして市長が強調したのは、エリコ市同様、自治区とし
て認められたガザ地区とを結ぶ公道がないということでした。「それはイスラエルの怠慢で
す。PLOのアラファト議長を安全に迎え入れられる道を作ると、協定には書いてあった
はずなんです」。
市長は話を続けました。「協定では5年後に独立国家を認めることになっています。でも、
その全てはイスラエルが協定を守るかどうかにかかっています」・・・・もちろん、協定の中
にそんなことが明記されているわけはなく、それがパレスチナ側の一方的な読み方である
ことは明白でした。「私たちは5年後に、エルサレムを首都とするパレスチナ国家を実現し
たいと考えています。日本を含む各国の経済援助に期待します」・・・・市長はそう言って、
私たちの手を握りました。市長が言っていた5年後とは1999年のこと。しかし、パレ
スチナの独立国家はおろか、中東和平の枠組みすら危ういというのが、あれから12年経
った現実なのです。
「努力によって独立国家を実現しよう」と書かれた横断幕が掲げられた市庁舎を後に、
私たちはその足で、エリコ市に程近いユダヤ人入植地へと向かいました。中東戦争の度に
イスラエルとアラブの間で領地の奪還が繰り返されてきたヨルダン川西岸地区。その土地
に入植を進めることは、「占領地併合の既成事実作りだ」とパレスチナ人は猛烈に批判しま
す。私たち自身も、対立することがわかっていながら、なぜユダヤ人たちが入植を強行す
るのか素朴な疑問を抱いていました。確信犯的とも言える彼らの言い分・・・・この続きはま
た次回にしましょう。






