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2006年09月28日

メディア論コーヒーブレイク6

辛坊 治郎辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員


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 いやあ、面目ない。毎回堅苦しいメディア論ばかりじゃあ、読むほうも疲れるだ
ろうと、ほんの息抜きのつもりで始めたコーヒーブレイクだったんですが、書き出
すと途中で止まらなくなって、ついには第六回と相成りました。もう少しで終わり
ますので、どうぞお付き合い下さい。


スプレー缶って何だ
 フジテレビの三次選考でいきなり目の前にスプレー缶が出されたところで前回
の話が終わっていましたが、アナウンサー試験って本当に変な試験なんです。
目の前のスプレー缶は、確か青いペンキのスプレー缶だったような気がします。
で、とにかく一分考えろというのです。一分なんてアット言う間です。「目の前に
はスプレー缶が存在する」それ以上、何の考えも思いも浮かんできません。そり
ゃそうです。考えろといわれても、そのスプレー缶をどうしろという指示なんか何
もないのです。スプレー缶があって、ただ「考えろ」という指示だけ。これでは考
える方向性すらわかりません。一分が過ぎました。そこで始めて次の指示が下
されます。「そのスプレー缶を二分で宣伝してください。」なんだとー、スプレー缶
の宣伝しろだとー???腹が立つというか、なんで、この場で、スプレー缶の宣
伝をいきなり始めなくちゃいけないのか、猛然と疑問がわいてきました。だって
そうでしょう。私の受験しているのは、放送局であって、日本ペイントじゃないん
ですから。まず頭に浮かんだのは、「やめて帰る」ということでした。千円の日当
欲しさにそこにいるということ自体なんだかとっても腹立たしくなって、帰ろうと思
った瞬間、ふと頭をよぎったものがありました。


それはトムソーヤーだった
 「トムソーヤーの冒険」は私の愛読書でした。その中のこんなシーンが突然目
の前に現れたのです。トムはペンキ塗りが大嫌いでした。目の前にスプレー缶
を突き出されていきなりなんかしゃべれ、といわれた私の「嫌な気分」と、嫌なペ
ンキ塗りの作業を命じられて何とかやらずに済まそうかと考えたトムの気持ちが、
ペンキの缶という目の前の物を通じてシンクロしたんだと思います。トムはペン
キ塗りを回避するために一計を案じます。それはとても楽しそうにペンキ塗りを
することでした。とても楽しそうにペンキ塗りをしていると、友達が通りかかりま
す。友達は楽しそうにペンキを塗っているトムを見て、「ちょっとやらせてくれ」と
頼みます。トムは「こんな楽しいこと、誰が代わってなんかやるものか」と言いま
す。こうなると友達はペンキを塗りたくてたまらなくなります。最後には、しぶしぶ、
しかも恩着せがましくペンキ塗りを友達に押し付けて、めでたくトムはいやなペ
ンキ塗りの作業から逃げてしまうのです。気が付いたら、私は、スプレー缶を片
手に、淡々とこのエピソードを語っていました。宣伝をしろというのが試験問題で
すから、どっかでPRめいたことも 喋ったのかもしれませんが、それは覚えてい
ません。とにかく、与えられた二分のほとんどをトムソーヤーの冒険話に終始し
たのです。当然試験には落ちたと思いましたが、はじめから落ちてもともとの試
験です。もらった千円で池袋駅の地下食堂「大阪うどん」でサラダうどんを食べ
て家に帰りました。


四次選考に進む
 無欲というのは強いもので、その日に届いた通知はまたも合格。翌週第四次
選考です。ここまでくるとさすがに受験者も絞られてきました。でもまだざっと五
十人くらいは居たように思います。四次選考も妙な試験でした。いきなりヨーロッ
パのどこかの町の白黒写真パネルが手渡されたのです。またも指示は「一分間
考えろ」というものでした。前回の経験がありましたから、今度もまた宣伝をしろ
って言う試験なんだな、と一人で納得して、宣伝文句をあれこれ考え出しました。
一分後に指示が出ました。「はい、それじゃあ、一分間で、その写真パネルの中
を実況してください。」えー、宣伝じゃないのか、先に指示を言えよな、と愚痴の
一つも言いたいところでしたが、まあ、実況するだけなら、その写真に写ってい
るものを口にするだけのことです。その上、写真の中は動きませんから、そんな
に難しい問題ではありません。この試験には数回前のコーヒーブレークでお話
した、「とにかく目に見えるもの全てを実況せよ」という本の実践が役に立ちまし
た。さあ、そして迎えたのは第五次選考です。五次選考はあっさりしたものでし
た。三十秒ほどのニュース原稿の音読と、一分間 $N 自己PRのみです。ここ
まで残ったのがおよそ十人。その日のうちに結果発表が行われ、三人が最終
の役員面接に臨むことになりました。この当時役員面接というのは形だけのセ
レモニーのようなもので、ここで落ちるケースは一般にはほとんどありませんで
した。私も、この段階ですっかり通った気持ちになっていましたので、家に帰って
「とうちゃん、どうもフジテレビ受かってもうたようや。県庁断ってもええかなあ」な
んて会話をした記憶が朧に残っています。


役員面接で気になったこと
役員面接で記憶していることは二つだけです。一つはたくさんのおっさんが横一
列にずらっと並んでいたこと。もう一つはその中央の少し猫背のおじさんがテー
ブルの下で靴を脱いで、面接の間中ずっと左足で右足を掻き続けていたことで
す。あ、そうだ、もう一つ覚えていることがあります。その当時私がフジテレビで
熱心に見ていた番組というのは、昼の十一時からやっていたリビングイレブンと
いう通販番組だったのです。ですから「会社に入ってどんな番組をやりたいか」
と聞かれて、間髪入れず「リビングイレブンのような番組を担当したいです」と答
えたのです。面接官から失笑が漏れました。何で笑われたのか、当時はまった
くわからなかったのですが、今はよーくわかります。せめて「夕方のニュースで
す」くらい言っておけば私の人生は変わっていたかもしれません。最近入社試
験の面接をやると、「ドキュメンタリーを作りたい」という志願者が大勢いて本当
に閉口するのですが、まあ、知らないというのは強いというか、恐ろしいというか、
もう少し志望先の会社事情は研究したほうがいいかもしれません、ってオマエ
が言うなっていう感じですけどね。
結果は、当然というべきか、落ちました。その頃にはほとんど通った気になって
いましたので、ちょっとショックではありましたが、まあ、そんなこともあるだろうと、
日常に戻っていた私のもとに、ある日一本の電話が入ったのです。以下次回。

2006年09月27日

中国の事件報道

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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犯罪報道も警察や司法の宣伝番組
奈良地裁で、7歳の女の子を誘拐して殺害したという男に死刑判決が出
ました。
この事件については横須賀さんが詳しく書くと思いますので、ここで
は「中国の事件報道」についてご紹介したいと思います。


以前にも書きましたように、中国のメディアは国家にコントロールさ
れているので、凶悪事件が起こっても、すべての事件が発生後すぐに
報道されるとは限りません。
「この事件は報道してもよい」というお墨付きがないと取材すら行わ
ないこともあります。
というより、報道されない事件のほうが圧倒的に多いといっていいと
思います。
日本と中国の報道を比較したときに特筆すべきは、中国では「容疑者
へのインタビュー」が放送されることです。
日本では、拘留中の容疑者にメディアが直接接触することはまずあり
えません。警察から情報を取るか、弁護士を通じて取材することが、
ほとんどです。

また、日本では人権上の配慮から、手錠や足かせを嵌められた容疑者
を放送する場合、手錠の部分にはモザイクをかけます。
ところが、中国の事件報道で驚いたのは、手錠を掛けられた容疑者が
そのまま映っていたり、時には「容疑者本人のインタビュー」が放送
されることもあります。

最初に見た時は、「へぇぇぇぇ……」と思いましたが、よくよく聞い
てみると、事件を伝えるニュースというよりは、「警察や司法の宣伝
番組」であることが判明しました。

ある事件を起こした容疑者のインタビュー。
「私はいつ頃、○○さんを殺そうと思い……」と、犯行に至るまでの
事情を延々説明させた後、最後のほうになって記者が、「今はどんな
気持ちですか?」と聞きます。
この辺で、容疑者はぼろぼろと泣き出し、「本当に後悔しています。
被害者にも、自分の家族に申し訳ないことをしました。きちんと反省
し、しっかり罪を償い、これからは法を守って生きていきます……
(あと号泣)」となるわけです。
「どういう事件がおこったか、その背景は何なのか?」というよりは
「法律を犯すとこんな惨めな思いをしますよ」ということを宣伝する
ことにより「市民の遵法意識を高めよう」という当局側の狙いが見て
取れます。

日本ではメディアが容疑者に直接接触するなどあり得ないことですか
ら、「そういう点ではすごいなぁ」と思います。
でも、これを当局が取材して、「放送せよ」と指示しているのも、
もっとすごいなぁと思います。

メディアは「中国共産党の宣伝機関」であり、「警察も司法も共産党
下の行政執行機関で」すから、結局全てが「共産党ばんざい!」とな
るわけです。
すごいなぁ! 恐るべし、中国!。

2006年09月26日

サプライズはないのではないか

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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464票は大勝だったけれど、圧勝ではなかった
今日、「臨時国会」が招集され、「首相指名」が行われて、安倍晋三・
総理大臣が誕生します。
そして『総理官邸』の庭に「テント村」が作られ、「閣僚選び」が
始まります

この「テント村」の在り方を変えてしまったのも小泉さんでした。
それまでの「テント村」では、ボードに予想閣僚の名前が貼り出して
ありました。記者が夜討ち朝駆けで、派閥の領袖から入閣候補の名前
を聞き出してきて、それが貼り出されていたのです。そしてその予想
はほとんど外れることがありませんでした。
ところが小泉さんになってからは、誰が入閣するのか全く漏れてきま
せん。3回の「テント村」が作られましたが、領袖の意向は無視され、
貼り出す情報がなくなってしまったからです。ある時はぎりぎりにな
って名前を書いた閣僚名簿が官房長官に渡され、またある時は口頭で
伝えられたこともありました。
小泉さんの「テント村」で忘れられないのは、2001年の最初の時、
「竹中平蔵・慶大教授の入閣」を、どの新聞社・テレビ局よりも早く
スクープしたのが私だったことです。まさにサプライズでした。日頃
から張り巡らせていたネットワークが役に立ったのです。
安倍総理は、小泉流を踏襲するのでしょうか、それとも合議制を採り
入れるのでしょうか。
今度の「総裁選」で“安倍雪崩”に協力した議員の中には「今回こそ
入閣」と期待している人が50数名もいると言われています。しかし、
大臣の数は17……参議院枠の2と公明党の1を引くと、14しか
ないことになります。
どんな閣僚名簿が発表されるのでしょうか。そんなことを考えると、
今回はサプライズが起こる可能性は少ないように思えます。


誰が外務相・財務相・文部科学相・防衛庁長官に
安倍内閣には課題が山積しています。
憲法改正・集団自衛権承認・教育基本法改正と「戦後レジームからの
脱却」を公約とする安倍政権は、それを実現する方策が必要です。
「憲法改正」には「国民投票法」の制定が欠かせません。
「集団自衛権承認」も「教育基本法改正」も憲法改正と絡みます。
「外交」は、「日中・日韓首脳会議の早期実現」など「東アジア外交
への展開」が急務です。「日米同盟」だけではなく「アジアの一員と
しての日本」をはっきりと示すことも必要です。
外務大臣には誰が起用されるのでしょうか。
「財政再建」と「消費税」・「少子高齢化社会での年金問題」など財務
大臣も重責です。
誰が外務相・財務相・文部科学相・防衛庁長官になるか……夕方まで
には決まるのでしょう。
そして「組閣が」済めば、29日には「首相の所信声明」が行われ、
来月の2~4日には衆参両院で各党の「代表質問」が行われます。
小沢一郎・民主党代表にとっては3年8ヶ月ぶりの「代表質問」です
し、その後は毎週にでも「党首討論」に臨みたい意気込みです。
それに来月22日には、「神奈川16区と大阪9区の衆議院補選」が
控えていて、“新総裁の力量”が問われることになっています。


2006年09月25日

議員歴13年、52歳の新総裁の誕生

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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464票は大勝だったけれど、圧勝ではなかった
『自民党総裁選』は予想通り、安倍晋三新総裁の誕生でした。
しかし、「500票超えが確実」と言われていたのに464票止まり。
これは、直前の「参院選候補の差し替えもある」という安倍発言に
反発した参院議員票の30~40票が、麻生or谷垣に流れたものと
見られています。

それでも464票は全体の66%ですから、「安倍人気は揺るがなか
った」と言えます。小泉さん以来の「人気がなければ総裁になれない」
という定説は、今度も引き継がれたことになります。
一方、麻生太郎氏は136票……終盤の「人気」を物語っています。
こんなことを言った人がいます。「麻生さんと2メートル以内で会った人
は麻生ファンになる。政策通だし、話にウイットがあって面白い」と。
谷垣禎一氏は102票で、念願の3桁に乗せました。
「464票・136票・102票」は、“天の配剤”とも言える絶妙
のバランスです。3人の誰もが傷つかず、面目が立ち、それぞれが
発言力を持ち、今後に存在感を示すことになったからです。
今日からの「党人事」と「閣僚選び」に、それがどうでるかも楽しみ
です。
それにしても安倍晋三新総裁は、戦後生まれの52歳。私も戦後生ま
れですが、いわゆる“団塊の世代”です。
それを越えての「世代交代」が始まったのでしょうか。
それに「議員歴」は僅かに13年……幹事長の経験はありますが、
閣僚は「官房長官」だけです。その“若さ”を心配する声もあります。
新総裁は「老・壮・青のバランスをとる」と言っていますが、「人事」
と「閣僚」はどういうバランスになるのでしょうか。


小泉さん、お疲れ様でした
私が『讀賣テレビ』の初代「報道東京駐在」になって、初めて親しく口をきけるようになった政治家は、塩川正十郎先生と小泉純一郎さんでした。
それは安倍新総裁が衆議院議員に当選した年で、小泉さんは閣僚経験
はあるものの、まだ若手の一人でした。
そして、一緒にお酒を飲むと、「俺は少数派だからな」と言いながら、
「郵政改革」を論じていました。
以来13年にわたり取材し続けてきたわけですが、「総裁選」で橋本
龍太郎・小渕恵三に挑戦し破れ、3度目にようやく小泉ブームを創り、
総裁・総理になり、自民党の古い体質をぶっ潰し、念願の「郵政改革」
を実現しました。
この5年5ヶ月、「独断専行」と言われても、自分を押し通したので
すから、お疲れになったでしょう。
「総理大臣は孤独だ」というのも口癖でした。
小泉さんの「歴史的評価」が出るのはまだ先のことでしょうが、私は
小泉さんが歴史に残る総理大臣として人々に語られるのは間違いな
いと確信しています。
そして、明日の朝の閣議で小泉さんの総理大臣の仕事は終わりです。
小泉さんは、「政権を引き渡したら、マスコミには出ない」と言って
いますが、かつて私が上京した時のように、時折お会いして話ができ
たらいいなと思っています。
小泉さん、本当にお疲れ様でした!

2006年09月20日

大泉純子のニュースの裏側

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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日中友好コンサートの裏側
先週、私の大好きな歌手の話を少ししましたが、関連してぜひお伝え
したい裏側がありました。
私が上海に赴任したのは2002年の5月。当時は、ちょうど1972年の
日中国交回復から30周年にあたり、至るところで日中友好ムードが
漂っていました。
牛丼の吉野家やユニクロが上海に進出したのもこの年で、それは明る
いニュース取材に奔走していたものです。

ココ・リーさんは、中華圏では恐らく知らない人はいないであろうと
思われる大人気歌手。日本でも香港や台湾の芸能界に興味のある方な
ら知っているでしょう。
歌うまい、ダンスもうまい、お顔もスタイルもすごくいい!!
自分が30過ぎてこんなに芸能人にはまるとは自分でもびっくりする
ほどです。
それは1999年のこと……当時台湾に友人夫婦が住んでおり遊びに
行った私。
MTVでやたら流れていたのがココの「再見一面(もう一度会いたい)」
という歌でした。(タイトルを日本語にすると演歌みたい・・・) 
翌日CDショップへ行くと、「イチ押し!コーナー」にココのCDが
たくさん並べてあり、「あ、これは昨日MTVで散々流れていたやつだ!
人気あるんやな~」ということで一枚買い求めたのが始まりでした。
はまりました。ずっぽり。
もっとココについて書きたいのですが・・・この辺にしておきます。


日本で求められたのは浜崎あゆみだったけど
日中友好ムード一色の2002年9月……北京で日本と中国の歌手が共演
するコンサートが開かれることになりました。
さっそくリサーチを開始したところ、日本からは谷村新司さん酒井
法子さんといった中国で人気の歌手に加え、GACKTさん(中国語がとて
も上手!)、トリを務めるのは浜崎あゆみさんという超豪華な顔ぶれ
でした。
中国側からは香港の大御所アラン・タムをはじめ(あとは忘れました)、
そしてココの名前が!。さっそく東京のデスクに「こんなコンサート
があるので取材いかがでしょう」という連絡を入れたところ、やはり、
「浜崎あゆみさんが出演する」いうことで芸能ニュースが興味を持っ
ているということがわかりました。
これで正々堂々と取材することができます。(いくら自分が取材した
いといっても、東京のデスクに「そんなネタいらない」と言われたら
ワヤなんです)
遂にココのライブを見ることができる!しかも仕事で、なんて幸運な
こと~。
メインの取材は「浜崎あゆみさんが中国でどれだけ人気があるか?」
という内容なので、北京市内のCDショップなどを取材。CDよりも
同じ内容のカセットテープが売れていました。そう、今ではMDも
MP3もある中国ですが、まだカセットテープも主流です。
そして遂にやってきたコンサート当日。
リハーサルの様子を取材する「フリ」をして(リハーサルはニュース
にはならないので)会場への潜入に成功。すると、ステージの上には
ココが!
しばらくすると、黒服の男性たちに囲まれて浜崎あゆみさんが会場に
入ってきました。どうやら、リハーサルの時間がずれたらしくマネー
ジャーらしき方と主催者がもめています。
そのやりとりをよそに、浜崎さんはステージに歩み寄り、腕組みをし
てステージのココに見入っていました。私は心の中で叫びました。
「ココですよー。ご存知でしたか?歌も踊りもすごいんですよー」
そして、いよいよステージが開幕。5万人は入るであろう北京の工人
スタジアムは満杯!かと思いきや、アリーナ席の前のほうが結構空い
ていました。
恐らく、企業が買い占めてさばけなかったんでしょう。(ここに限ら
ず、中国で開かれるコンサートは前のほうの席は政府の幹部用に確保
されていることが多いです)
撮影をカメラマンに任せて、私はまさに臨戦態勢です。
お客さんは9割5分が中国人。GACKTさん目当てに日本からやってきた
ファンの姿も見られました。コンサートは一人の出番が15分くらいで、
日本側、中国側の歌手が交代で登場します。中国で大人気の酒井法子
さんが登場したときは会場から一際大きな歓声が巻き起こりました。
谷村新司さんは、登場した時は最初は「???」という雰囲気だった
お客さんたち。ところが『昴』のイントロが流れると、「うぉぉぉぉ
ぉぉ~」といううねりが上がりました。
『昴』は、中国でも本当に有名なんです。
「歌っているのはこの人なんだ!」というわけで大合唱が繰り広げら
れました。
そして、ラスト前がココ・リー。もう、こんな大歓声聞いたことない!
というくらい会場は大盛り上がり。ここにいられる幸せ。
中国の特派員になって本当によかったと思いました。
ココのステージが終わり、続いて大取りは浜崎あゆみさん。ここで
ハプニングが!……お客さんが、帰り始めたのです。大半、とまでは
いかないものの、かなりのお客さんが会場を後にしてしまいました。
私の独断ですが、「それだけココ目当てのお客さんが多かった」と
いうことでしょうか。
もちろん浜崎あゆみさん目当てのお客さんもたくさんいて、熱いステ
ージが繰り広げられました。翌日のニュース。「あゆ、北京で熱唱!」
直前に大勢のお客さんが会場を後にしたことは、このときは書きませんでした。
ここに謹んで報告させていただきます。

2006年09月19日

存在感を増す小沢一郎と加藤紘一

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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党首討論を待つ小沢一郎
「民主党代表選」は対抗馬がなく小沢一郎代表の続投に決まりました。
「自民党総裁選」が盛り上がることなく推移しただけに、最近は小沢
代表の言動が注目されています。

先ず「代表選」に合わせて発表した『小沢ビジョン』は、自らの理念
や政策をまとめたものです。
小沢代表の狙いは、来年の「参院選」で与党を“過半数割れ”に追い
込むこと。それが実現すれば「次期総選挙」での“政権交代”の展望
が開けてくるからです。
『小沢ビジョン』は、基本理念を「常識の政治の実現」としています。
小泉政権を「極端で偏向した扇動政治」と批判し、これを継承する
安倍政権との対決を意識して書かれています。
かつての『民主党』は寄り合い所帯でしたから、路線対立などの内輪
もめがつきものでしたが、ここでの小沢代表は“独断専行・剛腕”を
封じ込め、挙党一致で「民主党の基本政策作り」を目指しています。
それに「革新の民主党」でありながら、地方の農業関係者など「穏健
な保守層」の取り込みを狙っていることも窺われます。
早くも小沢代表は安倍政権を「官僚丸投げの政治」と批判し、民主党
は「脱官僚」を売りにしようとしています。
一方、安倍晋三氏は小沢氏のことを「古い永田町の代表」といい、
「これからは古い自民党 vs 新しい自民党になる」と目論んでいるよ
うです。
・「憲法改正」に“積極論”の安倍氏vs“慎重論”の小沢氏……
・「社会保障」は“現状維持”の安倍氏vs“抜本改革” の小沢氏……
・「自衛権」は“集団自衛権行使” vs“専守防衛”…… など
小沢代表は「党首討論を毎週行いたい」と発言しています。
安倍さんは受けるでしょうか。これからが楽しみです。

「加藤の乱」を越えて
加藤紘一氏は今度の「総裁選」では、「非安倍」で福田康夫氏を推そ
うとしていましたが、結果的には谷垣禎一氏の応援に回りました。
加藤紘一氏が今、存在感を増しています。
「加藤の乱」を覚えていますか。
平成12年(2000)11月に起こった「第2次森喜朗内閣打倒」
を目指して、加藤紘一・山崎拓など与党・自民党議員が起こした政治
行動のことです。
野党が「森内閣不信任決議案」の提出の動きを見せたとき、支持率が
低かった森内閣に批判的だった加藤紘一・宏池会会長と同志議員が、
「不信任案に賛成するか、欠席する」と行動を起こしたのです。
そして、山崎派などが同調すれば、不信任案は可決される勢いでした。
しかし、これに危機感を抱いた野中広務・幹事長が切り崩しの先頭に
立ち、「除名」を強硬に主張して、党内の「反森の動き」を潰してし
まったのです。
派閥の議員が次々と切り崩される過程を、私は現場で見ていました。
しかも加藤・山崎と側近議員が対応・協議するシーンがテレビで放映
されていました。
加藤と山崎が不信任票を投じに議場に行こうとしたとき、「加藤先生、
あんたが大将なんだから、行っちゃだめだよ!」と、加藤氏の肩を
掴みながら号泣していたのが、今度の総裁選の候補の一人・谷垣禎一
氏です。
そして「不信任案」提出に一番積極的だったのは、野党・自由党党首
小沢一郎氏でした。
加藤紘一氏は「加藤の乱」の後、議員辞職に追い込まれ、一時一線か
ら引いていたのですが、国会議員に復帰しました。
その加藤紘一氏が「今、存在感を増している」というのは、加藤氏
ほど豊富な知識を背景に論理的な話をする議員が少なくなったから
です。
小泉さんの「靖国神社参拝」を批判して、右翼団体の構成員に山形県
鶴岡市の実家と事務所に放火された事件がありましたが、「これから
も発言すべきことは言う」と言っています。
また、「外交」については、『日・米・中の正三角形』という独自の論
を展開しています。
若い安倍総裁・総理を諫言する先輩として、論客・加藤紘一の登場が
多くなるように思えてなりません。
明日は、いよいよ『自民党総裁選』です。


2006年09月18日

明後日安倍晋三自民党新総裁誕生

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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安倍氏優勢で緊張感がない
私が『讀賣テレビ』の初代「報道東京駐在」に転任してきたのは、
平成5年(1993)9月、宮澤喜一氏の辞任を受けて河野洋平総裁
が誕生した直後でした。
以来、橋本龍太郎氏(95年9月)、小渕恵三氏(98年7月)、森
喜朗氏(00年4月)、小泉純一郎氏(01年4月)の4人の新総裁
の誕生を目にしてきました。

朝から『自民党本部』に詰めかけ、開票と発表を待つわけです。結果
を見ると、どれも下馬評通りで、それほどの激戦だったわけではあり
ませんが、発表までは緊張感を持って見守ったものです。
しかし、今回は緊張感がありません。なにしろ、議員票の7割、党員
票も7割の支持を固めて、500票を超える勢いで「安倍総裁誕生」
に向かっているからです。
どうしてこれほどの「安倍支持の雪崩現象」が起きたのかを振り返っ
てみましょう。
今年の初め頃は『麻垣康三』という言葉があって、麻生太郎氏・谷垣
禎一氏・福田康夫氏・安倍晋三氏の4人の争いになるものと見られて
いました。当初から安倍晋三氏の人気が先行したものの、「非安倍」
ということから福田康夫氏が追い上げ、面白い「総裁選」になりそう
でした。
そして4月に小沢一郎・民主党代表が登場、『千葉7区衆院補選』を
制したことから自民党内に民主党に対する危機感が生まれ、「総裁選」
への期待が強まりました。
ところが7月になって福田氏が70歳という年齢を理由に不出馬を
表明、「非安倍」は力を失い、「安倍雪崩」が起こったのです。

政策論戦がないまま新総裁が誕生
“安倍人気”が高まった理由は、先ず「官房長官」に就任してテレビ
をはじめとしてマスコミの露出度が多くなったことが挙げられます。
総裁候補初の戦後生まれで51歳。
母方の祖父・岸信介が首相、大叔父・佐藤栄作も首相で、父・晋太郎
が外務大臣という政治家一家の3代目。
長身で、甘いマスクで、政治家としての家系もいいのですから、人気
は高く、「ポスト小泉」の世論ではどこでも50%を上回っています。
また、北朝鮮の「日本人拉致問題」では積極的な姿勢で臨み、北朝鮮
外交では強硬路線を主張しています。そして、7月の「弾道ミサイル
発射事件」の時には、外遊中の小泉首相の代理首相としての強い姿勢
が評価されました。
“人気がある強い男”……このイメージが国民にも受けて「安倍雪崩」
が生まれたと思われます。
小泉さん以来、「総裁は人気のある人でなければいけない」「強い姿勢
が受ける」というのが定着しつつあるようです。
いずれにしても、明後日には「安倍晋三・自民党総裁」が誕生します。
政治記者として今度の「総裁選」を見てきた私としては、「迫撃した
政策論戦がないまま登場していいのか」という思いを捨てきれないで
いるのですが……。

2006年09月14日

メディア論コーヒーブレイク5

辛坊 治郎辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員


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 さてフジテレビの二次選考が始まりました。山口高専生殺害事件の実名匿名報道論争などあり、
本来はメディア論に戻りたいのですが、一度始めたものは途中でやめるわけにはいきません。話は
いよいよ佳境です。

きっかけは、フジテレビ!
 私がこの道に入って仕事をするようになったきっかけは、大学の就職掲示板だったという話は以
前しました。小遣いが欲しくて受けたフジテレビの「リポーター司会者採用試験」の一次選考に残っ
たことをきっかけに、人生の方向があらぬ方向に向かい始めたのです。二次選考に行ってまずびっ
くりしたのは、その受験者の多さでした。なんと一次選考を受けた受験者の半数近くが合格していた
のです。試験会場に集まった学生はざっと五百人、はっきり言ってほとんど受かった気持ちになって
いた私ですが、世の中そんなに甘いもんじゃあありません。前回は名前と学校名を言わされただけ
でしたが、今回はいきなりペーパーテストです。ただ、これは私にとっては、いい意味で想定外でし
た。というのも、もともと極端な上がり性で、デートで一対一でのコミュニケーションも満足に取れな
いくらいの私でしたから、面接ではなく、ペーパーテストを重視する公務員試験をターゲットに準備を
していたからです。時事問題は数年間の新聞のダイジェスト版で頭に叩き込んでいましたし、一応
の経済・法律の知識はありました。また、今でも漢字を書くのは苦手ですが、読む方は、高校時代
のあることがきっかけで少し集中して勉強したことがあり、一応常識のレベルはあったように思いま
す。


ワカチ?ってなんだ
 その高校時代の経験というのが、まあまことに恥ずかしい話なんです。誰でも思い出すと顔から
火が出るほど恥ずかしいことというのはあるものです。私にとっての一つ目のそれは、小学校六年
の時に起きました。水泳の授業の前に教室で着替えをしていたのですが、半ズボンを下ろすつもり
が、いきなりパンツも一緒に下ろしてしまい、○ん○んが丸出しになった瞬間を、クラスで一番かわ
いい女の子に目撃されてしまったのです。それ以来、私は着替え恐怖症になりました。女の子が、
絶叫せずに大笑いしてくれたのがせめてもの救いといえば救いですが、なんとも情けない話です。
このとき以来の恥ずかしい瞬間というのが、高校一年の時に訪れました。国語の時間に、教科書の
音読をさせられたのです。そもそも、人前で教科書を読むなどという恥ずかしいことは出来れば避
けて通りたかったのですが、そういうわけにはいきません。教科書を握っておずおずと立ち上がりぼ
そぼそと読み始めました。前後の文章は完全に忘れましたが、私が本を読んでいる最中、教室で爆
笑が起きたのです。何がなんだかわからず呆然と立ち尽くしていると、教師が一言こういいました。
「辛坊くん、それはねワカチ、じゃなくてジャッカンって読むの」私はそれまで、若干をワカチと読むと
思っていたのです。今から思えば何でそう思い込んでいたのか理由はわかりません。また、当時、
ジャッカンという言葉を知らなかったわけでもありません。ただ、若干はワカチだと思っていたのです
。その瞬間から、私の名前は変わりました。それまでは、とにかく、ただ走るとか、ただまっすぐ泳ぐ
とかの単純スポーツには抜群の体力を発揮していたので「一直線シンボウ」と呼ばれていたのです
が、それ以来「ワカチのシンボウ」と呼ばれるようになったのです。今でも思い出すと顔から火が出
ます。漢字を誤読するということはホントに恥ずかしいことだと実感しました。そのとき以来、意識し
て漢字の問題集などを手にしていたので、入社試験の問題くらいなら、何とかなる自信はあったの
です。これが意外な効果を発揮します。


アナウンサー試験のキモ!は?
 後にアナウンサーを採用する側に回って、何を重視するかの業界の判断基準がわかりました。ア
ナウンサーの採用において一番に重視されるのが、実は漢字の読みの能力なのです。それも、一
級の漢字検定に出てくるような特殊な漢字の読みの能力ではありません。日常よく使う漢字を、い
かに普通に、当たり前の読み方で読むかという能力こそが、求められる能力なのです。百人のうち
三人しか読めない漢字を読める必要はありません。しかし百人のうち七十人が読める漢字は、絶対
に誤読してはいけないのです。テレビでこの誤読をやると、当人のアナウンサー生命に傷が付くだ
けでなく、局の信用問題につながる、そう業界では考えられているのです。だから、入社試験の時
には、徹底した常識力が問われます。そして漢字の読みこそが、その常識力の要だと考えられてい
るのです。つまり、常識的な漢字の読みの出来る人物は、それ以外の分野でも常識的な力を持っ
ていると判定されるのです。それが事実かどうかはわかりません。しかし、この業界では伝説のよう
にそう思われているんです。そのときの経験から、私は、放送局を受験したいという若い人には、と
にかく、入社試験用の漢字の問題集を徹底的にやるように薦めています。一部の制作の仕事には
天才が必要です。しかし、ほとんどの私たちの仕事に必要なのは天才ではありません。普通のこと
を普通にやる、凡才こそが求められるのです。また、普通でなくては、普通じゃないことを理解する
ことも出来ないと、私はそう思うのです。


二次選考がはじまった
 かくして、フジテレビ二次選考、ペーパーテストが始まりました。出た問題は一般的な教養問題と、
まさにずばり、多くの漢字の読み問題でした。私が、この試験に通ったのは、高校生のときに「ワカ
チ」で恥をかいたからだと思います。人生万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄の如し、何が幸いす
るかわからないもんですね。それから、試験のペースが急に上がりました。二次選考の日の夜には
自宅に電話がかかってきて、第三次選考に進むことになりました。三次選考はなんといきなりその
翌日です。またも行ってびっくり、まだ、昨日の半分くらいの受験生がいます。その数ざっと二百人、
ここから本格的に声を出しての試験に移ってゆきます。試験の当日、目の前にはいきなり、スプレ
ー缶が提示されました。何でアナウンサー試験でスプレー缶なんだ?というところで話は次回へ。

2006年09月13日

大泉純子のニュースの裏側

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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香港での“初”体験
ちょうど一年前の今頃、私は『香港』にいました。
何の取材かといいますと『香港ディズニーランド』のオープンの取材
です。9月12日でオープン一周年を迎えました。
何を隠そう、私はそれまで『ディズニーランド』という場所へ行った
ことがありませんでした。

今や、日本人の9割が行ったことがあり、「平均リピーター回数10回
以上」もいわれる
『東京ディズニーランド』にも行ったことがありません。
(ちなみに、「吉野家の牛丼」も「ユニクロでのお買い物」も日本で
は全く経験がなく、『上海』で初体験しました。
この少数派な生き方が自分では結構気に入ってますというわけで、
まったく興味がないまま職務を担うために『香港』へ赴いたのです。
本オープンに先立つこと2か月……7月下旬にマスコミ向けの内覧会が
あり、正式にはこのときが 『ディズニーデビュー』といえます。

現地でカメラクルーを雇い、一人で行きました。
現場に向かうプレス用のバスで他局のカメラマンと一緒になり、彼は
「ディズニーランドって、そこへ入ると現実の世の中から切り離され
た感じで大人でも、それはわくわくするんですよ。」と、その魅力を
熱く語っていました。「ふーん、そんなものなんですかねぇ」と期待
せずにいた私。
さて、現場に着きました。他の『ディズニーランド』を知らないので
自分としては比較の仕様がないのですが、なんかこじんまりとした
雰囲気。まだ完成していないアトラクションもあり、竹製の足場が組
まれているあたり、「とっても中国らしくほほえましいなぁ……」と
思いました。
しかし、カメラマン君が言っていたわくわく感が全くしないのです。
私の感覚がズレているのか、不安になって訊ねてみました。
「あの、わくわくしないんですけど……」
「いや、僕もあんまり感じないんですよ。」
「おいヌ!」}……。どうやらアトラクションとアトラクションの設置
感覚が他の『ディズニーランド』比べて非常に近く、おまけに後ろに
山が見えたりするものですから、より「狭さ」を実感します。
ところが公式データによると、面積では『香港ディズニーランド』は、
『東京ディズニーランド』よりも広いことになっています。
まぁ、深くは突っ込むまい。

さて、9月の本オープン。前日からプレミアイベントもあり、今回は
上海支局のスタッフと北京のスタッフと合同で取材チームを編成しま
した。私にはやや「?」だった前回のプレス内覧会のニュースの評判
が意外によく、「オープンのときいろいろ取材をしてきっちりと伝え
よう」ということになったのです。
オープン前日に行われたプレミアイベントには、『香港ディズニー
ランド』の公式テーマソングを歌うジャッキー・チュンをはじめ、
香港や台湾の芸能人が勢揃い。(人気スターのことを中国語で“明星”
といいます) 
日本の芸能界にはすっかり疎くなってしまった私ですが、台湾・香港
なら任せて~!で……、中でも一番嬉しかったのは、大好きなココ・
リーが参加していたことです。ご存知ですか? その日『ディズニー』
ゆかりの“明星”が参加していて、ココ・リーは映画『ムーラン』の
中国語版主題歌を歌っています。
ココの歌をライブで聴いたのは、このときが初めてではありませんで
したが、生ココが聞けた私はすっかりご満悦。
翌日がオープン本番だというのに私のテンションはここで最高潮!
そして、オープン当日……『ディズニーランド』が悪いのでは決して
ありません。とにかく暑かったんです。午前7時ごろの段階で気温は
すでに35度を超えていました。水分をいくら補給しても汗が出ての
どはカラカラ・・・そんな中、ディズニーランドから記者向けのありがた
い差し入れが、「名物」として売り出す予定の「エッグタルト」でし
た。
日本でも一時期ブームになった「エッグタルト」……さくさくのパイ
生地にカスタードクリームがおいしい中華圏では定番のおやつです。
でもね、口の中が本当にカラカラなのにパイはないだろう。口の中に
パイの粉が広がってもう……咳出ましたわ。
でもおいしかったので2ついただきました。ごちそうさまでした。

中国政府の幹部も出席してのセレモニーは、2時間近く炎天下で待たさ
れ、もう熱中症寸前。でも取材はまだまだ続きます。午後1時からの
一般客入場を前に、「お昼のニュース」の中継をすることになってい
ました。「事件や事故の殺伐としたニュースとは違って、ここは少し
遊びどころ」と考えた私は「お土産ショップ」へ行って、「ミニーマ
ウスのカチューシャはさすがにやり過ぎか……」と断念し、髪をお下
げにして両側にミッキーとミニーを付けてみました。
よく見ないとわからないけれど、関係者には結構受けた一安心です。
(その後3歳くらいの女の子が同じ髪型をしていたのを発見)
中継が終わったところで、ちょっと休憩する間もなく、一般客の入場
です。我々は中で待機。
「ディズニーランドではファーストパスをもらうためにみんな走る」
と聞いてはいたものの、開門と同時にどどどっと押し寄せてきた客の
先頭を走ってきたのは日本人女性でした。
「大泉さん、いけますか!」とおもむろに走り出すカメラマン。
「何がいけますか」といいますと、ワイヤレスではなく有線マイクを
持っていたため、私も同じスピードで走らなければならないという
ことです。とにかく早い。そして走りながらインタビュー……すでに
熱中症寸前だったこともあり、心臓が破裂するかと思いました。
ああ、思い出すだに苦しい思い出ばかりの『香港ディズニーランド』。
「仕事で行けていいな」とは、絶対言わないでくださいね。

2006年09月12日

郵政造反組はどうなる

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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野党暮らしはしたくない
『自民党総裁選』は8日に公示され、いよいよ本格的な戦いになりま
したが、「安倍新総裁の誕生」はますます確実視されています。

「議員票・403」の7割が“安倍支持”で、「党員票・300」も3
6都道府県が“安倍優勢”で、福岡と茨城は県連が“麻生推薦”を打
ち出したものの 、“安倍雪崩の流れ”は変わっていません。
1回目の投票で過半数を超え、それも圧倒的な差で“安倍氏当選”と
なりそうです。
この『総裁選』の論戦が低調な中で、「郵政造反組復党論」が注目を浴
びてきました。
谷垣候補と麻生候補は、早くから「離党議員との関係修復・復党論」
を展開してきましたが、安倍候補までが「長年、自民党で汗を流し、
同じ方向で歩む人たちと協力し合うのは自然ではないか」と発言して
「復党論」に理解を示し始めたのです。
安倍新総裁にしては、「07年の参院選には造反組の票田を取り込む」
ことが不可欠ですから、『総裁選』の内から「復党」を口にしておく必
要があったのでしょう。
なにしろ離党議員の多くは選挙に強く、小沢一郎・民主党代表が連携
を視野に入れて接近しています。
しかし、「郵政造反組」は、亀井静香議員と何人かの落選組が民主党と
組むだけで、そのほとんどが「自民党復帰」を望んでいるのです。
かつて自民党が野党になった時代がありました。
『細川内閣』から『羽田内閣』までの僅か1年ほどの間でしたが、
その野党時代を知る自民党議員は「野党暮らしはしたくない」と言い
ます。
なにしろ野党になったとたんに、予算などの“陳情”が減り、花束が
少なくなり、名詞を持った人の行列がなくなったそうです。また予算
の権限を持つ官僚の態度が冷たくなり、与党時代のつもりで話をしに
行ったのに、対応してくれるのは係長止まりもあったとのことです。
「離党組」は今、この悲哀を味わっているのですから、「何とか復党し
たい」のでしょうし、自民党には「戻って貰わないと参院選に勝てな
い」という思いがあるのも確かです。
しかし、このまま「郵政造反組」が復党すれば、「この間の郵政選挙は
何だったの」と頭を傾げざるを得ません。

臨時国会の召集は26日に
『自民党の総裁選』は20日…‥最初は「新総裁が決まった勢いで
22日に『臨時国会』を召集して、人事・組閣」と見られていたので
すが、『民主党』から「我が党の代表選挙前に行うのは失礼だ」という
クレームがつけられて、26日に「臨時国会召集」が行われることに
なりました。
22日だと、「民主党議員の欠席」という異常事態になる恐れがあるか
らです。
結果としては「安倍新総裁に民主党・小沢代表が先制パンチを浴びせ
られた」ように見えますが、これからは「安倍 vs 小沢で展開される
政局」が楽しみになります。
『公明党』も予定を早めてそれまでには大会を終えて、「太田代表・北
側幹事長」という新体制で『臨時国会』に臨むことになります。
そして「憲法改正・教育改革・集団的自衛権の行使」を3原則とする
「安倍新総裁の新保守主義」は、『公明党』の「本来の考え方」には大
きな違いがあります。
永田町には、「安倍次第で『自公』連立の解消もある」という声も
あります。
『安倍新政権』と『公明党新体制』との「新たな政策協議」は、いつ
行われるのでしょうか。
『総裁選』よりも、早くもその後の政局が話題になってきました。

2006年09月11日

秋篠宮家親王誕生に思う

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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私も学習院大学のOBです
41年ぶりの皇位継承者の誕生、おめでとうございます。
私も『学習院大学』のOBで、「人と人との出会いを大事にすること」
を学んだのも、ここでの学生生活があったからです。
今日は少し傍近の話からしようと思います。

東京・目白の『学習院』のキャンパスの真ん中辺りに、『成文堂』とい
う書店があります。
ちょうど私がこの大学に入った頃(昭和40年代前半)に、阿部俊郎
さんが開店した学園内の小さな書店です。
当時、2つの奨学金を貰い、アルバイトとフェンシングの練習に明け
暮れていた苦学生だった私は、新しい本を買う余裕もなく、時間が
あれば『成文堂』で立ち読みをするのが楽しみでした。
そんなある日、阿部さんが、「出世払いでいいよ、必要な本があれば持
っていきな」と声を掛けてくれたのです。
それがどんなに助かったか、本当にありがたいことでした。
阿部さんは私より一回り余り上で、マスコミ志望だった私が「進路の
相談」をしたのも阿部さんでした。以来、“東京の兄”のような形で家
族ぐるみの付き合いをさせて頂いています。
この阿部さんが、「秋篠宮と紀子様の出会い」を演出した人です。
マニラ支局長を終えて帰国した私は、久しぶりに『成文堂』を訪ねて
阿部さんに会いました。「紀子さんブーム」に沸いていた1989年の
ことです。
阿部さんの話によると、秋篠宮さま(礼宮文仁親王)は、かつての私
と同じように、暇があると『成文堂』に顔を出し、阿部さんとだべる
ことを楽しみにしていたそうです。
そんなおしゃべりの中で、「誰かいい人いませんか」と相談を受け、ひ
らめいたのが,川嶋辰彦教授のお嬢さん・紀子さんだったのだそうで
す。その直前、川嶋教授から「娘もいよいよ大学なので宜しく」と紹
介されたばかりだったのです。
宮様と紀子さんが初めてのデートは、『成文堂』の奥にある控え室。
以後、親しさを増し、大学前の横断歩道で、「結婚して頂けませんか」
とプロポーズすることになったのです。
阿部さんを知る私としては、「阿部さんならではの心配りのある演出だ
ったのだろう」と思っています。

皇室典範改正先送りに
秋篠宮妃紀子様が男子を出産なされたことにより、「女性・女系天皇」
を認める『皇室典範』の改正は見送られることになりました。
次期首相が有力な安倍晋三官房長官は、もともと改正に慎重な立場で
したし、「自分の任期中に改正を行いたい」としていた小泉首相周辺も
「しばらくは改正論議ができなくなる」と漏らしています。
しかし、今度の親王誕生でも「当面の男系維持が可能になった」だけ
で、「皇室の安定した継承」が解決したわけではありません。
誕生したばかりの親王が成人して、ご結婚しても「男子誕生」が約束
されたわけではないからです。
このままでは、「同じ問題が起こること」は確かです。

明日は、新宮さまの「命名の儀」が行われ、「お名前」と身の回りの品
につける「お印」が決まります。
親王さま、お誕生おめでとうございます。

2006年09月08日

混沌の聖地を訪れて(2)

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


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1993年9月、中東情勢に劇的な転換期が訪れました。お互いの存在すら否定してき
たイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が相互承認に踏み切り、両者によるパレス
チナ暫定自治協定への調印を生み出したのです。私がこの地を訪れたのは、そんな転換期
の翌年のことでした。

「この道はアラブ人居住地につながるので、ユダヤ人は車を走らせません」・・・・地元ガイ
ドが事もなげに説明するその内容に、協定の実績に対する疑問を抱きながら、私たちは暫
定自治が認められたヨルダン川西岸のパレスチナ人居住区・エリコ市に入りました。

 どこかインドネシアにも似たエネルギッシュな活気に満ちた街・・・・それが、私が抱いた
エリコ市の印象でした。「掘っ立て小屋」と言っては失礼ですが、そんな佇まいの市庁舎の
中で、私たちはエリコ市長の話を聞くことができました。「現状は厳しい」というのが、当
時の市長の第一声だったと記憶しています。インフラ整備が遅れ、経済的にも市職員に払
う給料すら無い状況。基幹産業と言えるバナナ農家に対する援助金も、当然のことながら
出せません。しかし、それはそれとして市長が強調したのは、エリコ市同様、自治区とし
て認められたガザ地区とを結ぶ公道がないということでした。「それはイスラエルの怠慢で
す。PLOのアラファト議長を安全に迎え入れられる道を作ると、協定には書いてあった
はずなんです」。

 市長は話を続けました。「協定では5年後に独立国家を認めることになっています。でも、
その全てはイスラエルが協定を守るかどうかにかかっています」・・・・もちろん、協定の中
にそんなことが明記されているわけはなく、それがパレスチナ側の一方的な読み方である
ことは明白でした。「私たちは5年後に、エルサレムを首都とするパレスチナ国家を実現し
たいと考えています。日本を含む各国の経済援助に期待します」・・・・市長はそう言って、
私たちの手を握りました。市長が言っていた5年後とは1999年のこと。しかし、パレ
スチナの独立国家はおろか、中東和平の枠組みすら危ういというのが、あれから12年経
った現実なのです。

 「努力によって独立国家を実現しよう」と書かれた横断幕が掲げられた市庁舎を後に、
私たちはその足で、エリコ市に程近いユダヤ人入植地へと向かいました。中東戦争の度に
イスラエルとアラブの間で領地の奪還が繰り返されてきたヨルダン川西岸地区。その土地
に入植を進めることは、「占領地併合の既成事実作りだ」とパレスチナ人は猛烈に批判しま
す。私たち自身も、対立することがわかっていながら、なぜユダヤ人たちが入植を強行す
るのか素朴な疑問を抱いていました。確信犯的とも言える彼らの言い分・・・・この続きはま
た次回にしましょう。

2006年09月06日

大泉純子のニュースの裏側

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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グルメだけじゃない台湾
夏休みを利用して『台北』と『香港』と『マカオ』に行ってきました。
「4年も中国に住んでいたのにまた中華圏に行くの?」といろいろな
人に言われましたが……。

台湾も香港も仕事では何度も行きましたが、いつもバタバタでゆっく
りできたことは皆無だったので、ぜひプライベートで行ってみたかっ
たのです。
まずは『台湾』話から。
『関空』から『台北』まで空路2時間ちょっと……。『台湾』という
ところは10年ほど前からでしょうか、グルメやエステ体験などを
売り物に若い女性をターゲットにした観光キャンペーンが繰り広げら
れ、お手軽なスポットとして根強い人気があるようです。も、楽しい!
おいしい!だけではつまらない。
『台湾』に行くといつもいろいろなことを考えてしまいます。
今の『台湾』が政治的に置かれている状況は、複雑で微妙です。
日本という国は国際的にその存在を認められていますが、台湾は違い
ます。
『台湾』は、大まかに言えば「台湾は台湾という一つの国家で独立
すべきだ」という考え方と、「台湾は中国のひとつの行政区である」
という二つの考え方があり、前者は『民進党』後者は『国民党』の
それぞれ基本の政治的な立場です。
現在の陳水扁政権は台湾独立派ですが、議会構成は国民党が過半数で
2つの政党が常に激論を闘わせています。
『上海』から『台北』までは、直線距離では1時間半ほどなのですが、
現在大陸から台湾への直行便は就航していません。通常はまず香港へ
行き(上海-香港は2時間半くらい)、香港で乗り換えて台北か高雄
へ行くのが一般的なコースとされています。時間もお金も結構なロス。
大陸に投資している台湾のビジネスマンは、「直行便がないのが一番
困る」とよく話していました。
中国と台湾の微妙な関係を象徴する現実です。


台湾メディアは何でもあり!
国家によるメディア規制で自由な取材ができない中国大陸とは異なり、
台湾では「え、こんなの取材できるの?」と戸惑いを感じるほど自由
に取材ができます。
台湾の新聞やテレビは、ほとんどと言っていいほど「民進党か国民党
どちらかを支持」しており、特に「選挙」の際は日本ではありえない
「相手バッシング」が繰り広げられます。
候補者本人のみならず、家族や親戚の過去のスキャンダルまで飛び
交い、プライバシーも何もあったものではありません。
2004年の3月、総統選挙の投票前日に陳水扁氏が遊説中に拳銃で
撃たれるという事件がありました。南部の台南での出来事です。
そもそも選挙取材のため『台北』にいた我々取材クルーは、陳水扁氏
が手術を受けた病院を目指して国内線に飛び乗ったものの……。
事件直後はメディアで溢れかえっていた病院周辺はひっそり。手術を
終えた陳水扁氏は我々と入れ違いに台北へ戻ってしまっていたのです。
早っ……。
その後、銃撃を受けた陳水扁氏の手術後の写真が公開されました。
銃弾の摘出のためぱっくり割れたお腹の写真。漫画のような縫い目。
日本なら一般人でもそんな写真公開するかーだと思うのですが、誠に
天晴れやと思いました。
陸路で台北に戻り、ほぼ完徹状態で迎えた投票日。
陳水扁氏が再選を果たしたものの、得票数の差は僅差といえるおよそ
3万票。しかもそれを上回る無効票があったことなどから、国民党の
連戦候補サイドが猛反発。
支持者を前に「選挙は無効だ!」と宣言し大混乱となりました。この
取材で2日目の徹夜。
翌日のお昼のニュースで、急遽抗議集会が開かれている総統府前から
生中継をすることになったものの、国民党支持者が総統府前の広場を
埋め尽くしていている上、テレビ各局の中継車がずらりと並び、手配
した中継車がどこに停まっているのか全くわからないのです。
本来なら、事前にちゃんと原稿を書いて中継に備えるものの、中継車
を探すのに必死で、ようやくたどり着いたときには、すでにオンエア
1分前!
「とにかくリポートせよ!」ということでぎりぎり乗り切りました。
あのときは焦った……。
でも「土壇場になれば何でもできるもんやな」とも思いました。
中国大陸では何を取材するにも「許可、許可・・」で、ややペースが
鈍っていた私にとって、たまに行く『台湾』での取材はいいリハビリ
でした。

2006年09月05日

本命・安倍氏の問題点

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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論功行賞はないというけれど
安倍晋三氏は、総裁選出馬表明の日の記者会見で「論功行賞はない」
と発言しました。
中川秀直政調会長もかねてから「論功行賞の余裕はない」と言い続け
てきました。
しかし、雪崩現象的に「安倍支持」に回った各派閥の領袖・ベテラン
たちはそれで収まるでしょうか。

『津島派』と『山崎派』は「自由投票」にしましたが、9つの派閥の
内、5つが「安倍支持」を打ち出しました。
特に小泉政権で一人の閣僚も持てなかった『伊吹派』や『高村派』は、
人事・組閣での有利な展開こそが「安倍支持」に回った目的です。
ポストを得ることがなければ、今後の派閥の維持さえ難しくなります。
しかし、「党三役」というように「役員人事」のポストは3、「閣僚」
も20の椅子しかありません。
「党員票・403」の内、すでに300以上が「安倍支持」と見られ、
その多くが何らかの形で論功行賞を期待しているのです。
“小泉方式”を継承したい安倍新総裁は、「誰にも相談せずに人事・
組閣を決行する」と見る筋もありますが、総裁に就任した頃の小泉氏
には80%という国民の支持がありました。
党内では圧勝の勢いですが、世論調査でどれだけの支持が安倍新総裁
に集まるでしょうか。“小泉方式の継承”は、その数字にも掛かってい
ます。そして、もし安倍新総裁がかつての「派閥均衡人事」に戻せば、
国民の人気を得られないのも目に見えています。
安倍氏が圧勝することが、「新政権の最初の壁」になりそうです。

誰なら小沢・民主に勝てるか
『自民党総裁選』がこのまま「消化試合」のように盛り上がらないま
ま終われば、「自民党への関心の低下」は避けられません。
自民党内には「これでは来年の参院選に勝てない」という声が日に
日に強くなっています。
「何が何でも参院選で与野党逆転を図る」という小沢一郎民主党代表
は、「消費税を半額に!」「地方に公共事業は必要!」など、「財源を
どうするのか」の説明なしに、講演会で有権者受けのする言葉を並べ
て、ここぞとばかり攻撃の手を強めています。
そこで「10月の2つの衆院補選と来年の参院選に勝つにはどうする
か」が、「安倍新政権の次の壁」になるものと思われます。
今、自民党内で噂されている「三役人事」も、「小沢・民主に勝てる人」
が中心です。
例えば、二階俊博・産業経済相……小沢一郎氏の側近として『新生党』
『新進党』『自由党』を一緒に歩んできただけに“小沢の考え方も弱点”
も良く知っているからです。
それに二階氏は「中国とのパイプの強さ」も幹事長候補として高く
評価されています。
『総裁選』が今ひとつ盛り上がらないだけに、このような噂話が面白
くなっています。

2006年09月04日

安倍晋三氏、正式に出馬表明

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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『美しい国、日本』という “曖昧な公約”
先週の金曜日(9月1日)に安倍晋三官房長官が『自民党総裁選』へ
の出馬を正式に表明しました。

『美しい国、日本』と題した「政権公約」のパンフレットは僅か4頁。
雪崩現象で“安倍支持”が広がる中で発表されただけに、「安倍氏の
余裕」を示すかのように、対抗馬の麻生太郎外相や谷垣禎一財務相に
対する真っ正面からの論争を避けた“曖昧な公約”となりました。
伊吹派や二階グループが「派としての政策」を安倍氏に提示し、安倍
氏の賛同を受けて支持を決定した形をとったので、政策を曖昧にして
おく必要があったらしいのですが、麻生氏の『日本の底力』が28頁、 
谷垣氏の『活力と信頼の国家を創る』が24頁ありましたから、4頁
は余りにも具体性を欠いたものに感じられます。
例えば、懸案の「東アジア外交」については、「中国・韓国など近隣諸
国との信頼関係の強化」にとどめ、麻生氏がいう「日中関係は地域の
安定に欠かせない」に比べても物足りないものですし、「靖国神社参拝」
については触れていません。
谷垣氏が掲げた「消費税10%」に対しては、「中長期的視点から税制
改革を推進」と書いただけです。そして「社会保障制度」についても、
「被用者年金の一元化」とこれまでの政府の方針をなぞっただけです
安倍氏はこの日の会見で「総裁に就任すれば、その段階で出す政策も
ある」と発言していますが、余りにも曖昧な公約では総裁選を白けた
ものにしてしまうのではないでしょうか。
安倍氏の公約は、次期政権の国民への約束になるものです。

憲法改正と教育改革を訴える
たった4頁の「政権公約」ですが、“安倍色”がなかったわけではあり
ません。
会見で述べた「特定の既得権を持つ人、特定の考えを持つ人のための
政治ではなく、毎日まじめに働き、家族を愛し、地域を良くする普通
の人たちの政治をしたい」は、いかにも安倍氏らしい言葉です。
そして、「政権構想」のポイントとして「憲法改正」と「教育改革」を
挙げました。
安倍氏の持論は、「戦後レジーム(体制)からの脱却」にあり、「憲法
改正」をその最初に挙げました。
安倍氏の誕生は、1954年(昭和29年)。
安倍氏にとって「現行憲法(昭和21年11月公布、22年5月施行)」
は、「日本が占領されていた時代に作られ、占領軍が深く関与したもの」
ですから、これを「21世紀の日本の国家像に相応しい新しい憲法と
して自分の手で書きたい」と思い続けてきたようです。
これには憲法改正手続きを定める「国民投票法」を成立させなければ
なりませんし、「集団的自衛権の行使の容認」も定め流必要があります。
それにしても『総裁選』を前にして、これだけはっきりと「憲法改正」
を打ち上げることに驚いた人も多いようです。
そして「教育改革」も、安倍氏の「新たな国づくり」の大きな柱です。
公約では、「学校・教師の評価制度導入」という持論に触れただけです
が、発言では「教育基本法の改正は勿論のこと、教育制度全般の見直
し」についても述べています。
『自民党総裁選』の告示は、今週の金曜日。
『総裁選』の論戦の中でも、「内政・外交」についての具体的な政策を
聞きたいものです。
それがなしで『総裁選』が終われば、先の『衆院選』で掴んだ「若者
の政治への関心」を再び失うことにもなりかねません。

2006年09月01日

混沌の聖地を訪れて(1)

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


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 イスラエルがレバノンに侵攻して1ヶ月余り。国連安全保障理事会が全会一致で採択し
た停戦決議をイスラエル政府とイスラム教シーア派民兵組織・ヒズボラが原則的に受け入
れ、戦闘はひとまず停止状態となっています。

レバノン側の死者は1000人を越え、国民の4分の1に相当する100万人が避難民と
して家を追われた今回の惨事。ガラス細工の停戦決議が壊れないようにと祈らずにはいら
れませんが、「怨念の地」とも言われる中東から、こうした流血のニュースが届くたびに、
私には頭をよぎる光景があります。それは今から12年前の1994年10月、NNN取
材団の一員として訪れたイスラエル、そしてパレスチナで見た光景です。


 荒涼とした岩石の峰、樹木一つなく一面に赤茶けた丘陵・・・・私たちは、海抜マイナス4
00メートルという世界で最も低地にある塩水湖・死海から、バスに乗ってエルサレムに
向かっていました。辺りがすっかり暮れ、子供の頃に心躍らせた火星の想像図にも似た風
景が暗闇にかき消された頃、突如として雷鳴が轟き始めたのです。神秘的な閃光が幾重に
も走り、その閃光の一瞬を突いて、高々と聳え立つ岩石の尾根が浮かび上がります。「どう
やら、外はドシャ降りのようだ」と気がついた次の瞬間、私たちは驚愕の声を上げました。
「ワジ」と呼ばれる渇ききった水無川に、今は荒れ狂ったように激流が躍り、溢れた水が
車の走る一本道をも飲み込んでいたのです。不安定な大気が放つ稲妻、保水能力を持たな
い大地がなせる洪水・・・・私たちが見た光景は、そんな科学的な説明を必要とするものでは
ありませんでした。まさしく、それは「天地創造」。かつて、ほんの一握りの人間を信仰の
道に走らせた源は、こんな光景であったに違いないと思わずにはいられませんでした。

 イスラエルは、言わずと知れたユダヤ人悲願の独立国家です。しかし、ユダヤ人による
イスラエルの建国は、当然のことながら、以前からこの地に住んでいたアラブ系パレスチ
ナ人に裏返しの悲劇をもたらすものでした。両者の反目は民族と宗教の対立という複雑な
構図をはらみ、不安定な中東情勢の象徴となってきたわけです。そんな対立の根深さは、
空港に降り立つ時から感じられました。イスラエルの入国スタンプがあると、他のアラブ
諸国に入国できない可能性があるというのです。「ノースタンプ、プリーズ」・・・・私たちが、
パスポートにスタンプを押さない手続きを取ったことは言うまでもありません。

 なぜ、これほどまでに、パレスチナとユダヤがイスラエルという地にこだわるのか・・・・
それは、イスラム教とユダヤ教の聖地が、共にイスラエルにあるからに他なりません。も
っと言えば、キリスト教を含めて3つの宗教が聖地として崇める場所が、このイスラエル
なのです。首都・エルサレムの城壁に囲まれた旧市街地を訪ねると、まず、キリストが十
字架を背負って歩いたとされる道があります。そのすぐ近くには、ユダヤの神殿跡である
「嘆きの壁」があり、更にはマホメットが昇天したというモスクがありました。紀元前に
まで遡る歴史の重み、4000年の時を越えて現代にまで通じる根深い対立・・・・「八百万
の神」が住む国からやってきた私たちが、「唯一絶対神」の地で見たものは何であったのか、
この続きは次回にしたいと思います。

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