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2006年07月31日

動き出したポスト小泉

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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政策論争の総裁選になるか
9月の自民党総裁選挙に向けて、「ポスト小泉」が動き始めました。
『麻垣康三』のうち『康=福田康夫』さんの不出馬表明で「安福対決」
が回避され、『三=安倍晋三』さんが圧倒的有利と見られています。
世論調査でも、安倍支持は5割を超え、6割に達することもあります。
しかし「このまま安倍支持が定着して、総裁選が盛り上げに欠けるよ
うなことになれば、来年の参議院選挙に敗北することになる」という
危機感が自民党内でも大きくなっています。何しろ15議席を失えば、
与党は過半数割れになるからです。

そこで「ポスト小泉」を狙う人々は、何とか盛り上がりを演出しよう
と動き出しました。
先ず、安倍さんは「森派からの離脱」を表明して、小泉さんに倣って
「派閥離脱」で多くの党員の支持を集めることにしました。
そして『再チャレンジふれ合いトーク』を、小沢一郎・民主党代表の
地盤『岩手』から始めました。
「小泉改革」による「地方の切り捨て」で聞こえる地方からの悲鳴に
応えて、地方への気配りを見せることによって、小泉さんとの違いを
示しながら、地方票の積み上げを狙っているのです。
この後、安倍さんは全国行脚を続ける予定です。
一方、『麻垣康三』の『垣=谷垣禎一』さんは、正式に出馬を表明す
ると共に、「消費税10%導入」と「東アジア外交の正常化」という
公約を発表しました。
「年金など社会保障を維持して行くには、消費税の引き上げが欠かせ
ない」という持論から「2010年代の早い時期に少なくとも10%
の消費税を導入する必要がある」ということと、「首脳会議が出来な
いのは異常だから、東アジア外交の正常化のためにも靖国神社参拝を
自粛する」というものです。
安倍さんとの違いを打ち出すことで、「総裁選での政策論争を呼びか
けた」といえるのでしょう。
さらに『麻垣康三』の『麻=麻生太郎』さんも手を挙げていて、8月
20日頃には出馬を表明するそうです。
どのような政策論争を展開するのでしょうか。

額賀防衛庁長官も立つか
福田さんの不出馬によって、アンチ安倍グループから「対立候補を
立てよう」という声が強くなってきました。
その中でも動きの大きいのは『津島派』で、額賀福志郎・防衛庁長官
を擁立する動きが見られます。
かつての『田中派・竹下派・橋本派』の勢いはなくなったものの、今
でも『津島派』は70人の国会議員をもつ大派閥で、青木幹雄・参院
議員会長や片山虎之助・参院幹事長などの実力者が揃っています。
そして額賀さんはかつて「橋本派のプリンス」と呼ばれ、内閣や党の
要職の経験も豊富です。その額賀さんが70人の支持を集めて出馬す
れば、強力な対抗馬になることは間違いありません。
そして今度の総裁選は前回と少し違います。前回は地方党員の300
票が先に開かれ、圧倒的な小泉ブームの中で議員票が開かれたのです
が、今回は議員票と地方党員票が同時に開かれます。もし安倍さんが
過半数に達しなければ、決選投票に持ち込まれ、2・3位連合で逆転
も考えられます。そして2位でも、『津島派』としては久しぶりに
存在感を示すことになり、その後の閣僚人事や党三役人事に影響力を
行使できると考えています。
この他、第5の候補として、河野太郎氏・山崎拓氏・鳩山邦夫氏など
の名も出ていますが、推薦人20人の確保が大きな鍵になります。
もう1人与謝野馨氏の名もありますが、先日ご本人と話をしたとき、
「私のことは、私自身が新聞やテレビで聞くだけですから、絶対に
ありません」とのことでした。
これから「ポスト小泉」は、さらに動きが激しくなり、安倍さんが
勝つまでには一山も蓋山もあるような気がしています。

2006年07月27日

メディア論コーヒーブレイク2

辛坊 治郎辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員


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本日コーヒーブレイク二回目です
フジテレビの一次選考で残った結果、不思議な日常が始まりました。何せ暇だったのです。

携帯の無い時代
もともと就職で目指していたのは公務員でした。もうすでに試験も終わって合格の通知も
受け取っていました。しかし、当時、試験に受かるということと、採用されるということ
は別だったのです。試験の結果発表は八月だったのですが、正式な採用通知は十二月でし
た。この間何もすることがありません。学校に行っても、友人は就職活動に忙しく誰も遊
んでくれません。今の学生さんは結構まじめで、大学へは勉強に行くものだと思っている
ようですが、われわれの頃は、学校とは、麻雀の面子集めの場所でした。今のように誰も
携帯電話なんか持っていませんし、固定電話すら下宿にあるほうが珍しい時代でした。人
と打ち合わせるには、とにかくどこかで直接会うしかなかったのです。

特訓が始まった
さてそんな状況の中で件の本を開くと、こんな事が書いてありました。“看板を読め!”こ
れには少し解説が必要です。人は誰にでもしゃべりにくい言葉があります。マミムメモが
言いにくい人、ラ行が言えない人、サ行が微妙に引っかかる人など、症状は様々です。こ
れは口の形、舌の長さ、歯並びなどが原因です。程度の差はありますが、そもそも、完璧
に全ての音を正確に出せる人など存在しないのです。また、多くは個性として認められる
べきもので、あえて矯正する必要はありません。ただ、この商売(アナウンサー)をしよ
うと思うと時として致命的です。また、一般の人でもこういうことがあります。フリート
ークでしゃべる時に、無意識に、自分の発音しにくい音の含まれる単語を除外する傾向が
生まれるのです。嘘だと思ったら、一度、皆さんが一日に口から出す言葉を全部メモして
みると面白い結果が出るはずです。「めし」、「寝る」、以上終わりというケースすらあるで
しょう。そこまで極端ではなくても、日常の中で使っているボキャブラリーの少なさにび
っくりする人が多いようです。で、意識のないまま、口から出すのを自ら拒絶する音があ
ると、使えない言葉が増え、語彙が貧困になって、ここ一番誰かを説得しようなんていう
局面で、どうしても言葉に力がこもらない、ということも生じます。私の場合、特に発音
しにくい音があったというよりも、そもそも半引きこもり状況で、めったに口から言葉を
出しませんでしたから、言語機能全体がさび付いている状態でした。そこで「看板読み」
です。

これが“看板読み!”だ
“看板読み”とは読んで字のごとく、看板を読むのです。歩きながら目に入った看板の文
字をアトランダムに次々読み上げて行きます。新聞や雑誌を音読するのでもある程度の効
果はありますが、看板読みは、日常生活の中で発声発音が繰り返されるのがミソです。ま
た、看板のなかには、新聞記事には通常使われないような不思議な発音の単語が登場しま
す。「ほのぼのローンレイク」「プロミス」「アイフル」消費者金融の看板だけでも、実に複
雑な音の並びです。こうすることによって、自分の口の形などが原因で、無意識で除外し
ていた音を出す経験を重ねてゆくのです。こうしているうちに、自然に、発声し難い音の
含まれる別の単語も使えるようになり、やがて語彙も増えて行きます。使える語彙が増え
るということは、言葉に力が生まれ、表現力、説得力が増して行くのです。

“ハミラ、ホミラ!”
ところで、私のアナウンサー時代の後輩にH君がいます。彼はとても心優しい男で、町で
捨て猫を見つけると、ほって置けません。ついつい可哀そうになって、拾ってきてしまう
のです。ついに彼の一人ぐらしのアパートには猫四匹が同居するようになりました。彼は
その猫達に奇妙な名前を付けました。ハミラ、ホミラ、ヘミラ、ラミラです。何故か?彼
はラ行の言いにくいアナウンサーだったのです。そこでペットの猫に自分の発音しにくい
音の含まれる名前をつけて、家に帰ってペットの世話をするたびに、発声練習が出来るよ
うにしたのです。「ラミラ!帰ったよ。」「ヘミラご飯だよ!」「ホミラ!駄目じゃないか、
こんなとこで、おしっこしちゃあ」という具合です。一年ほどたつと、効果は、てき面に
現れました。アナウンサーとして無理じゃないかと言われていた彼が、見違えるようにな
ったのです。彼は今でも現役アナウンサーとして、局の看板の一つになっています。正に
捨て猫の恩返しです。いい話です。さて、私に話を戻しましょう。毎日町をぷらぷらして、
看板を読む生活が始まりました。(以下次回です。)


2006年07月26日

自己主張は厚かましいか?

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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~○○していいですか~
中国から帰国してまもなく3か月になります。
この間、日本って何かにつけて気を使うよなと、つくづく感じます。
マナーとして必要な部分はあるにせよ、それにしてもちょっと謙りす
ぎでは?
一番顕著なのは、他人に何かをお願いするとき。目上の人に何かお願
いするときや、無理をお願いするときの「○○していただいていいで
すか?」はわかるのです。

しかし、してもらって当然なことをお願いするときでさえ「いいです
か?」ってどうですか? 
例えば、お店でうっかりお箸を落としてしまい、「すいません、お箸
落としてしまったので、もうひとついただいていいですか?」 店員
さんは、「ダメです」とは決して言わないでしょうに。
中国でなら、「お箸ください」でOK・・落としたから、などと理由を
説明する必要もありません。
自分がしたいこと、欲しいものを簡潔に伝えればよいわけです。
「いいですか?」は中国語に直訳すると、「好嗎(ハオマ?」といい
ますが、
中国の友人に「日本人はやたらとハオマ?を連発しますね。そんなに
遠慮しなくてもいいのに」と言われたことがあります。いちいちそこ
まで断らなくてもいいよ、というわけです。
タクシーに乗って行き先を伝えたあとに「ハオマ?」 部下に仕事を
言いつけたあと「ハオマ?」・・
日本人同士だと何となく心地よい「いいですか?」 この心遣いは
中国では無用です。
日常生活ならともかく、仕事のうえではさらにこの心遣いは無用だと
何度も思い知らされました。

先ずこちらの思いを最大限に伝えて
われわれ外国メディアは、『上海』以外の場所で取材をする場合、
事前にそれぞれ当地の「外事弁公室」という役所に許可を取らなけれ
ばなりません。
自分で勝手にアポを取ることは、原則できないことになっています。
こういう取材をしたい、こういう人を紹介してほしいと、こちら側の
要望をまず伝えます。ここで「こういう取材がしたいのですが、いい
ですか?」と決して言ってはいけません。とにかく無理そうなことで
もやりたいことの300倍くらいの要望を伝えます。
取材がOKになりいざ当地へ。現地の役所の担当者が出迎えてくれます。
さぁ、取材するぞ!と意気込んでいるところ、「それでは、食事をし
ましょう」と出鼻をくじかれます。
ここは中国式にお付き合いをして、「ところで取材の内容なんですが、
アポ取れましたか?」と切り出す私。「ああ、電話したけど、つかま
らなかったか、ら明日また電話してみるよ」・・。
ががーん・・赴任した直後はなんていい加減な人たちなの!とかなり
腹立たしかったものです。
しかし、何度か同じ目にあっていると、こちらも防御ができてきます。
(大丈夫とか言って、絶対大丈夫ちゃうで・・)と心の準備ができて
いると裏切られ感も少なく、
じゃ、明日よろしくね、となるわけです。こうやって中国の時の流れ
方を知りました。
(もちろん、一刻を争う突発事案の場合は、外事弁公室に頼らずどん
どん取材してしまうこともありました。この場合は常に身柄拘束の
恐れアリですが)・・というわけで、思っていることが十分叶わない
ケースがあまりにも多いので、「これしていいですか?」といちいち
気を使うことは全く無用だと知りました。しかも、文化や習慣が違う
国ですから、相手が自信満々に勧めてくれたことがこちらの要望には
全く合わなかったり、その逆もしばしば。
物理的にできないことは無理かもしれないけれど、まずはこちらの
思いを最大限伝えないと何も始まらないんです。
言いたいことははっきり言う。中国では、「そこのニュアンスを汲ん
でよ・・」というコミュニケーションは成立しません。
私も相当厚かましい人になっているかもしれません。
でも、言いたいことが伝わらなくて我慢するよりはいいと思うんです
けどね。

2006年07月25日

ベルリンにて

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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壁がなくなって17年
『サンクトペテルブルグ・サミット』に向かう途中、2日間の休暇を
取って『ベルリン』に寄ってきました。
『西ドイツ』時代の首都『ボン』には行ったことがあるのですが、
『ベルリン』は初めてです。『ベルリンの壁』がどうなったかを自分
の目で確かめたかったからです

『ベルリンの壁』は、ほんの一部が記念碑として残されているだけで、
全く姿を消していました。
「ドイツ・ベルリンのシンボル」とされる『ブランデンブルグ門』へ
行ってみました。かつては『東ドイツ』に属し、『ベルリンの壁』が
門の前を通っていたので門は通行できなかったのですが、今では自由
に通ることができます。
『W杯サッカー』が終わった直後だったので、ここに置かれた大型
スクリーンの取り外しが行われていて、壁があったことなど想像する
ことさえできません。
そして、宿泊したホテルが東側だったのか西側だったのか、壁がない
ので分からないのです。『ベルリン』に関する限り、都市度も文化度
も東・西変わりがなくなっていました。
『ベルリンの壁』が作られたのは1961年8月。最初は有刺鉄線で、
2日後から石造りの壁の建設が始まりました。
『東ドイツ』の中にあった『西ベルリン』を取り囲む形で作られたの
が『ベルリンの壁』で、『東ドイツ』は「この壁は西側からの軍事的
な攻撃を防ぐため」と主張していましたが、実は「自由な西ドイツに
亡命する人を防いで、労働力を確保するため」だったのです。
壁は二重で、その間は3mから数十mの無人地帯で、人が越えられ
ないようになっていました。
東ヨーロッパの社会主義国は、このように厳しい監視体制を敷いてい
たのですが、80年代も後半になると、西ヨーロッパからの「電波に
よる豊富な情報」で社会主義も揺らぎ始めました。
先ず『ハンガリー』の社会主義が崩壊し、それが『ポーランド』から
『東ドイツ』へ移り、89年11月9日、『ベルリンの壁』が崩壊し
ました。
あれから17年、『ベルリンの壁』があったところを歩いてきました。
幅30㎝の敷石が敷いてあるのです。
かつて米軍と英軍とソ連軍の占領地域の教会だった『ボツダム広場』
は再開発が進み、『ダイムラー・クライスラー』と『ソニー』など、
ベルリンの近代建築の最高峰と見られるビル群があります。
そして東西の検問通行所だった『チェックポイント・チャーリー』は、
壁の一部を記念碑として残した「博物館」になっています。

ベルリンの壁に北朝鮮を思う
『ベルリンの壁』の崩壊によって、『東・西ドイツの国境』が事実上
なくなり、『東・西ドイツ』の融合が加速しました。
『ベルリンの壁』の跡に立って思ったのは、『朝鮮半島』のことです。
私は、『北朝鮮』側と『韓国側』の両方から『板門店=軍事境界線』
を見てきました。
ここでも「幅30㎝の敷石」が南・北を分断しています。
今、『北朝鮮』でも『韓国』や『中国』『日本』の情報がかなり入って
いると言います。
しかし、『北朝鮮』のテレビが「抗日戦」や「朝鮮戦争の米軍の敗北」
を朝に夕に繰り返し放映して「反日」「反米」を煽っています。これ
も近隣国の豊かな情報が入ってくるのを防ごうとしているからです。
中国との国境で「脱北者」が多いのも、豊かになった中国を知る人が
増えたからだと言います。
『ベルリンの壁』が「西ヨーロッパからの電波による豊富な情報」で崩壊したように、これらの近隣諸国からの情報で『軍事境界線』が
取り払われるようなことはないのでしょうか。
『北朝鮮』では「隣国の豊かさを知ってはいるが、行動には移せない」
のが現実でしょう。

2006年07月24日

サンクトペテルブルグにて

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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運河と白夜と典雅な石の都
先週の今日は、「サミット取材」で『ロシア・サンクトペテルブルグ』
にいました。
1703年にピョトール1世によって作られた『ロシア帝国』の首都
で、レーニンが死んだ1924年に『レニングラード』と改称されま
したが、『旧ソ連』の解体で91年から『サンクトペテルブルグ』に
戻りました。

「サミット」が行われたのは、3年前の「建都300年」を記念して
再建された『コンスタンチン宮殿』で、中心市街地から西に30km、
『フィンランド湾』の南岸にある建物も広さも素晴らしい施設です。
この地出身のプーチン大統領が[エネルギー王国]として繁栄する
ロシアを世界に示そうとした意図は明らかです。
しかし、日本の「プレスセンター」と「宿舎」から車と高速艇で片道
1時間。警備上、会議場とプレスセンターを離すのは近年のサミット
の傾向ですが、これにはいささか参りました。
それにしても『サンクトペテルブルグ』は美しい街です。
ここを訪れたフランスの作家・ジードが、[これほど石と金属と水の
調和した美しい街を私は知らない]と書いていますが、まさにその通
りです。
「ロシア革命」があり、「第2次世界大戦」ではドイツ軍に包囲され
ました。それなのに街並みは帝政ロシア時代の佇まいを漂わせ、教会
の大きなドームも残っています。
また、海と川と運河がある「水の街」で、550余りの橋
折から[白夜]で、小泉総理は[白夜に沈む夕日が素晴らしかった]
と感想を述べていましたが、北海道出身の私は郊外の雰囲気が北海道
に似ていてホッとしました。
そして『エルミタージュ国立美術博物館』……ここには200万点を
超える膨大なコレクションがある世界的な博物館です。
ダ・ヴィンチからルノアール・ゴッホ・ルーベンス・マチス・ピカソ
など超一流画家の作品が1点だけではなく、何点も掲げてあります。
私はちょっと覗いてみただけですが、廊下だけでも30kmに及ぶと
言いますから、ゆっくり見るには少なくとも3日は掛かるのでしょう。
観光立国としては遅れたまま
『ロシア』で困ったのは、何をするにも「許可のスタンプが必要だっ
た」ことです。
ホテルのフロントでパスポート提出を求められ、長い時間待たされた
後に、ようやく「滞在証明」が渡されました。
また、『ウェークアップ!プラス』の放送時間が近づいてきたのに
電話がつながりません。フロントにクレームをつけると「許可を得て
前払い(デポジッ)金(ト)を払え」とのことです。「旧ソ連時代からの慣習」で何でも
許可が必要なんです。
街で驚いたのは、看板や標識などに「ロシア語」しか見当たらない
ことです。これも「旧ソ連時代」からで、外国人が活動し難いように
「英語」などは出来るだけ使わないようにしていたのだそうです。
『サンクトペテルブルグ』は観光資源が豊富なのに、エネルギー王国
で繁栄している今は、「観光立国」を考える必要がないということな
のでしょうか。サービスは全てが遅れているように感じました。
それに「治安の悪さ」も『サンクトペテルブルグ』の問題で、強盗や
掏摸(すり)は『モスクワ』よりも多いと言います。
今回はサミット開催中ということで警備が厳しく比較的安全でした
が、多くの人から「気をつけるように」と言われました。
もう少し『サンクトペテルブルグ』での良かった点を拾いましょう。
料理の美味しさに驚きました。「ロシア料理」というと、ボルシチや
ピロシキしか知らなかったのですが、「柔らかな牛肉をご飯にかけた
ビーフストロガノフ」や「鮭の刺身のようなショームガ」など色々な
料理があって、それがウオッカに実によく合うのです。
そして女性の美しさにも感動しました。スラブ系の若い女性はすらり
としていて、レストランでもショップでも実に楽しそうでした。
そして『サンクトペテルブルグ』は「オペラやクラシックの街」です。
今回は、それを楽しむことが出来ませんでしたが、いつかまた是非
訪れたいと思っています。

2006年07月21日

0泊2日のワールドカップ強行観戦ツアーの裏側~後編~

横須賀 ゆきの横須賀 ゆきの
読売テレビ放送 編成局アナウンス部・報道局


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【ドイツ到着】
ドイツ・ケルンの飛行場についた718人のSAMURAIサポーターはバス19台に分乗し
てドルトムントの中心から少し離れた競技場を目指します。しかし!思わぬ渋滞に巻き込
まれ~~~~、試合開始までの3時間でちょっと足を伸ばしてドルトムントの街を取材し
ようと思っていた私たちの計画は涙を呑むしかなくなりました。

ツアーでは競技場横のホテルで軽食と休憩の時間が設けられていました。みんながほっ
と一息ついてるのを、正直羨ましく思いながら、私たち2人はここでちょっとでも座った
ら動けなくなってしまうと、身体に鞭をうち!すぐに競技場の周辺取材に飛び出しました。
そこでは!疲れも吹き飛んでしまうお祭り騒ぎが繰り広げられていました!
日本、ブラジル、ドイツ、メキシコ、アメリカ、イングランド等々、各国の陽気なサポー
ターがビール片手に踊りしゃべり歌っているのです。サッカーの世界一の祭典ならではの
光景でした。サッカーが言語を超えて各国を強固な力で結んでいる!
サッカーというスポーツの素晴らしさを全身で思いっきり感じた瞬間でもありました。


【ここからが更なる綱渡りスケジュール】
サンバを踊って、ビールで乾杯し、ソーセージも頬張って、意気込みを語って?叫んで貰
って、チケットないけど雰囲気を楽しんでいる人も取材して、スタジアムの自分の席に着
いたのはキックオフ3分前!
両代表の入場は見られませんでしたー
でも私はまだいい方で、ディレクターは試合開始後も周辺取材をしていた為、前半途中か
らの観戦。再びハーフタイムから今度は電話中継の確認作業の為外に出て、戻ってきたの
は後半15分。後半35分には一足先に外へ出て行きました。
簡単に言うと、ほとんど試合を観られなかった・・・ということです。それでも「前半の
玉田選手のゴールを生で見られたから満足!!」とささやかな幸せを見出していました。
なんでディレクターがこんなにバタバタしているかと言うと、試合が終わったばかりの
ドルトムントと、日本の「ゲツキン!」番組とを電話中継で結びリポートする為、だった
からです。試合終了は日本時間の午前6時前。ちょうど「ゲツキン!」の放送時間中です。
試合終了のホイッスルと同時に、私は観客席を飛び出し、先に外に出て準備をしている
ディレクターの元へ走りました。でも予想以上の人の波・・・
やっとの思いで外に出たものの、ディレクターを見つけることが出来ません。
どこを見ても、カメラを持った知った顔が見当たらないのです。人と会うことが出来ない
というのは子供の時以来の経験です。このままオンエアが終わってしまったらどうしよ
う!!
洒落にならんっ!私は息を大きく吸って、そのディレクターの名前を叫びました


「○○さーん!」「○○さーん!」「○○さーん!」


刻一刻と過ぎ去っていく時間。ますます競技場の周りは人で埋め尽くされていきます。見
つからないっ!とてつもない不安に襲われました。
ブラジルサポーターが、「○○さーん!」と真似をし踊りながら絡んできます。
こりゃまいった!でも、恥ずかしいなんて言ってられません。

「○○さーん!」

確実に計50回位は叫びました。その時!見つけたのです!ディレクターの姿を!!
ディレクターも必死で私を探してくれていました。
番組終了まで後13分!あっーよかったっっ!!間に合った!!
もう涙でそう・・・・・しかし、ディレクターと落ち合えた喜びを分かち合う間もなく、
30秒後に電話中継スタート。
ツアーの集合時間も迫っているのでバスの駐車場まで歩きながらのリポートです。
もちろんこんなの初めての経験(笑)

これで少しは一息つけるのかな・・・と思いきや、そんな甘くはなかったです。
空港に着くと、添乗員さんがとにかく急げ急げとみんなを促します。
そりゃそうです。テイクオフまで25分しかないんですもん。
そんな海外ツアー聞いたことない!
慌しく手荷物検査、出国手続きを行い・・・・・・なんとっ余った5分の時間で今度はス
クランブルと電話中継。
ドイツ時間午前2時。暗いタラップをあがりながら、本当にここドイツなのかな・・・・
そんな疑問が沸いていきました。
ドイツ滞在時間10時間。使ったお金、撮影用のビールとソーセージの5ユーロ。
もちろんお土産を買う暇なんて一切なく、ドイツを後にしました。
ここでようやくほっとしたようで、私は離陸の瞬間を覚えてません・・・・・・
機内食も飛ばしてぐっすりと深い眠りにつきました。

出発から36時間。無事、日本到着。
こんな忙しい綱渡り取材は初めてでしたが、強行ツアーならではの醍醐味も思う存分味わ
えて最高に楽しい経験でもありました。
次回の南アフリカ大会も、絶対行きたい!
日本代表の皆さん!絶対、連れて行ってくださいね!!

P.S 中田選手の涙・・・知ったのは試合終了から30時間後のことでした・・・・・・・・・・


2006年07月19日

北京で思ったこと

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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~オリンピックまであと2年~

週末を利用して北京に行ってきました。
2年後に「オリンピック」開催を控えて、今北京はものすごい建設
ラッシュ。
あちこちで高層ビルの建設が行われていて、日毎に、と言えるほど
街の姿が変わっていくのがわかります。
私が泊まったホテルの近くでいつも目印にしていたガソリンスタンド
の看板がなくなっている・・・と思って近くまで行ってみたら、道が
ひとつなくなっていました。

さて、仕事抜きで北京を訪れたのは学生のとき以来かもしれません。
駐在の間はゆっくり街を散策することもできなかったので、今回は
特に何をするでもなくゆるゆると時間を過ごしました。
地下鉄から降りようとすると、ホームで待っている人々はじりじりと
ドアの前に詰め寄り、そこには人間の鎖が。ドアが開くや否やどどど
っと乗り込んできます。
「先下後上!」=降りる人が先!!先に乗らないと乗り遅れてしまう
から、みんな我先にと乗り込みます。一度染み付いた習慣はなかなか
治らないのでしょうか。
そして、でました・・夏の名物。高級ブティックが並ぶショッピング
センターを上半身裸で闊歩する人たち。中国には、漢族のほかに55
の少数民族がいますが、「56番目の少数民族は裸族か?」などと
よく揶揄していたものです。上海ではあまり見かけなくなりましたが、
北京では健在でした。暑いから。そらそうですけど・・・。
そういえば、数年前から政府が「外出するときはちゃんと服を着まし
ょうキャンペーン」やっていたはず・・・。まだまだ努力が必要なよ
うです。
オリンピックまであと2年ちょっと。インフラ整備は突貫工事で何と
かなるでしょうが、
ソフトのほうはかなりヤバイのではないかと個人的には思います。
本屋に入って本とDVDを買い、レジの列に並んでいたら小さい女の子
が割り込んできました。「相変わらずだこと・・・」と思ったら母親
らしき女性が「ちゃんと並びなさい!」と一喝して女の子を列の後ろ
へ引っ張っていきました。大変微笑ましい光景でした。
家庭での教育も大変重要だと思われます。
ところで、これまでに私が書いた「ニュースの裏側」を読んだ上司か
ら、「誰が読んでいるかわからないのだからあんまり中国を悪く書く
なよ」という忠告を受けました。
悪く書いているわけではありません。私は大きな愛情をもって中国を
見ているつもりです。
将来中国が国としてもっと発展し、中国人が本当に自分の国を愛する
ことができるために。
中国と日本は違う国。それは当たり前のことなのに、日本と違う、何
か変、何かにつけ中国は日本と比べて「劣っている」と決め付ける人
が実はまだまだ多いような気がします。
日中関係がここまで悪化している時だからこそ、日本人から見た中国、
そして中国の人はこんな感じかもしれないけれど、「実はこうなのよ」
というような理解の一助になればと心から思っています。(平たくい
えば、私は中国の悪口を言うけど、「中国を知らない人は好き勝手な
こと言うな」なんですけどね)


~マナーというものについて考えた~

以下、ちょっと話がそれますが、ご勘弁を。
今回北京へ行く飛行機で、それはもう情けない光景にでくわしました。
私の近くの席に座った6人組の初老の日本人男性グループです。
まず飛行機が予定時間になっても離陸せず、ほどなく『管制塔の支持
により50分ほど遅れます』と、中国語と英語のアナウンスがありま
した。中国の航空会社便だったので、キャビンクルーは全員中国人。
英語はできます。日本語は片言のアナウンスのみ。
そこで6人組の1人が(英語はちょっとだけわかるらしく)、『日本
の空港やのに、管制塔の支持で遅れるなんてありえない。絶対機材の
トラブルや!』と言い出しました。それは大きな声で。
中国人は大概声の大きな人が多いですが、この男性グループのしゃべ
り声、それは大きくて下品だったこと。『なんで日本人の乗務員がお
らんのや』 とかなんとかもう、辛抱たまらんうるささ。
そして『出発まで何かお飲み物を』という申し出に対し、全員ビール
を注文。「ビーア。がはは(大爆笑) ビーア、ビーア。がははは(大
爆笑)」何度かお代わりを繰り返し、『もうありません』と言われる
と、『これ飲もうや』と、免税店で購入したとみられる焼酎のボトル
を取り出しました。
言葉ができないならできないなりにモノの言い方があるものですが
男性たちは、キャビンクルーを呼ぶのに、「ヨボセヨ!あっ、これは
違うわな。がはは(大爆笑)」「ちょっとお姉さん!あっ、日本語は
わからんのやな!がはは(大爆笑)」と一事が万事こんな調子でした。
氷をもらうのも、「アイス!アイス!」って・・・せめてプリーズつ
けましょうよ。
とにかくひたすらしゃべりまくり、しゃべり終わるたびに6人全員で
大爆笑。
旅行か何かで浮かれているのは理解できないこともないけれど、それ
にしてもひどすぎる。
かつて中国の国内線によく乗っていたころは、常に耳栓を持ち歩いて
いたのですが
今回は油断した私が悪かったのか・・・。でも敵は日本人。情けない。
あまりのうるささにたまりかねた私は、「静かにしてほしい」と言い
ました。「すいません」と言って5分くらいだけ静かになりましたが、
しばらくするとまた、大声でがはは。
ああ、もうたまらん。辛抱重ねた2時間半。飛行機は着陸態勢に入り、
視界に入ってきたのは、建設中の北京空港の第3ターミナル。
目ざとく見つけた1人が、「おお、オリンピック作っとる。ほんまに
やる気やな。がはは」。どうやらオリンピックスタジアムだと思った
ご様子でした。
空港がきれいだったことにも、やたら感心しておられました。・・・。
常々中国の行儀の悪さを指摘し続けている私ですが、こんなに行儀の
悪い日本人がいたのだという情けない気持ちで一杯になり、マナーを
わきまえない日本人が道端にタンを吐き上半身裸で歩く人たちを笑え
ないよな・・・とつくづく思ったわけです。
さらに、恐らく中国をあまり理解されていないであろう方々が、中国
へ旅行などに行かれて目にした光景によくない印象をもってしまい、
それらを帰国してから「中国なんてまだまだや!」などとしたり顔で
話されたりしたらいけません。
きょうはいつになく、中国の味方になっています。
帰りの飛行機で出てきた新聞は2日前のものでしたが、楽しく読ませ
ていただきました。
普段なら、「ちゃんときょうの新聞積んでおいてよ!」と言うところ
ですが。

2006年07月18日

サンクトペテルブルグ・サミットから②

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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まさに「北朝鮮サミット」?
『ロシア・サンクトペテルブルグ・サミット』は、昨日3日目の日程
を終えて閉幕しました。
会議を統括する「議長声明」では、小泉総理が強く求めた「北朝鮮の
ミサイル・核開発・拉致問題」が盛り込まれました。
過去8回のサミットを取材した立場からすると「今回ほど日本が前面
に出たサミットはなかった」ように思えます。

勿論、その舞台を作ったのは「北朝鮮の無法なミサイル発射」でした。
日本とアメリカは即座に『国連安保理』に「制裁決議案」を提出し、
中国とロシアが拒否権をちらつかせながら抵抗して双方が睨み合う
中で、サミットの開催を迎えることになりました。
まさに「小泉総理がサンクトペテルブルグに乗り込み、『ロシア』の
プーチン大統領と渡り合う」というか、「国際社会の安全への脅威」
を各国首脳に説明をして、「制裁への協力」を具体的に取り付ける場
となりました。
これまでのサミットが「経済・環境」などに重きを置いてきたことを
考えると、今回はまさしく「外交・国益」がテーマの場となりました。
サミットの日本側プレスセンターでも各社が「国連の動き」と「首脳
会議の開催」を同時並行で見守ることになりました。「全体会合」が
始まったら、小泉総理の発言が極めて「制裁決議の動向」を左右する
からでした。
結局、『国連安保理』は「北朝鮮に対する非難決議」を全会一致で
採択しました。
「強硬姿勢を打ち出してきた日本が、中国・ロシアに歩み寄った」と
の声もあるようですが、私は「国連安保理で日本が主体となって
提出した決議が全会一致で採択されたことは大きな意味を持つ」と
考えます。
「制裁」ではなく「非難決議」だったとはいえ、「北朝鮮の今後の
暴走」が国連全体から厳しく監視されることは間違いありません。
しかも「サミットの議長統括」に「北朝鮮のミサイル・核開発・拉致
問題」が盛り込まれました。
まさに「北朝鮮サミットだった」と言えます。

舞台慣れした小泉総理
9月に自民党総裁としての任期が切れる小泉総理にとって『ロシア・
サンクトペテルブルグ』は最後のサミットになりました。
数えて6回目。フランスのシラク大統領の12回とイギリスのブレア
首相の10回がありますが、6回はアメリカのブッシュ大統領と同じ
で古参の内に入ります。
小泉総理の最初のサミットは『イタリア・ジェノバ』……日本での
圧倒的な「小泉ブーム」を背景にしての出席でしたが、会議では各国
首脳に遠慮がちな態度が見て取れました。小泉さんも「よもや6回も
のサミットに出席することになるとは思ってもいなかった」のでは
ないでしょうか。
そして今回の小泉さんは、傍らから見ていても「実に場慣れした」と
感じました。
「回数が人を大きくする」というか、小泉さん以前の総理は目まぐる
しく交替して「サミットの印象が薄かった」ことを考えると、「回数」
の持つ意味は大変大きいと思えます。
「議長統括」に「北朝鮮のミサイル・核開発・拉致問題」が盛り込ま
れたことも、「サミット出席6回という実績が大きく反映した」と
言えます。
各国首脳が揃う「記念写真」でも、小泉総理はプーチン大統領を挟ん
だシラク大統領とブッシュ大統領の横で、外交儀礼的にも格上として
扱われていました。
ところで「サミット取材8回」の私は、回数では小泉さんより場数を
踏んだことになります。記者として「今回も実りの多い取材だった」
と思っています。

2006年07月17日

サンクトペテルブルグ・サミットから①

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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プーチン大統領にとって難しい議長役
私は今、『ロシア』で初めて開かれた「サミット=主要国首脳会議」
に来ています。
場所は『サンクトペテルブルグ』……1703年にピョートル皇帝に
よって造られた帝政ロシア時代の首都で、ソ連時代には『レニングラ
ード』と呼ばれていた「ロシア第二の都市」です。

『ロシア』の西部の『バルト海』に面し、かつては「ロシアの窓」と
言われた「経済・文化・交通」の中心地で、多くの橋・運河・歴史的
建築物をもつ美しい街です。
そして『サンクトペテルブルグ』は、今や圧倒的権力を誇るプーチン
大統領の出身地です。「急成長するロシア」を強く世界に印象づける
絶好の場として、プーチン大統領はこの地を「サミットの開催地」に
選び、会議は『夏宮=コンスタンチン宮殿』で開かれます。
この「サミット」の成功に掛けるプーチン大統領の意志は強く、会議
開催中の3日間は民間航空機のサンクトペテルブルグ空港乗り入れ
を禁止するなど厳しい警備体制を敷いています。
しかし、「ロシア初のサミット」はプーチン大統領の当初の思惑とは
大きく違うものとなりました。
「中東情勢の悪化」に加えて「北朝鮮のミサイル発射」……
「北朝鮮に対する国連安保理決議」は日・米と中・ロが妥協しあって
全会一致で「発射非難の決議」が採択されましたが、北朝鮮は直ちに
受け入れを拒否して、発射継続を表明しました。
議長国のプーチン大統領にとって、「ロシアの国益」と議長役として
「各国の調整」にも配慮する大変難しい役回りを背負うことになった
からです。

8回目のサミット取材
私にとって「サミット取材」は、今回で8回目になります。
最初は1998年の『イギリス・バーミンガム会議』で、時の総理は
先日亡くなられた橋本龍太郎さんでした。
記者として「首脳外交を間近で取材して番組に反映したい」というの
が動機でした。
この『バーミンガム・サミット』では、世界の債務問題を先進首脳に
訴えようと、7万の人々が手をつないだ「ヒューマン・チェーン」が
出来て、大きな話題になりました。
翌年の『ドイツ・ケルン会議』には行きませんでしたが、2000年
の『九州・沖縄』以降は『イタリア・ジェノバ』『カナダ・カナナス
キス』『フランス・エビアン』『アメリカ・シーアイランド』『イギリ
ス・グレンイーグルス』、そして今度の『サンクトペテルブルグ』と
続きます。
現役の記者で、これだけ多くの「サミット取材」の機会を得ているの
は私だけでしょう。
ところで今年9月に退陣する小泉総理にとっては、『サンクトペテル
ブルグ』は最後で6回目のサミットになります。
小泉総理が初めて出席したのは『イタリア・ジェノバ』で、総理就任
直後の小泉ブームもあって「ワイドショー」までがリポーターを出し、
小泉さんが食べた食事の再現までする騒ぎでした。
小泉総理にとって、この『ジェノバ』から去年の『イギリス・グレン
イーグルス』までのサミットは、アメリカ・ブッシュ大統領との強い
パートナーシップと、日本国民の高い支持率を背景に「居心地のよい
ものだった」と思います。
しかし「北朝鮮のミサイル発射」直後の『サンクトペテルブルグ』は、
「北朝鮮問題」だけではなく、極めて厳しく「外交姿勢を問われる場」
となったのも事実です。

2006年07月14日

0泊2日のドイツワールドカップ強行観戦ツアー~前編~

横須賀 ゆきの横須賀 ゆきの
読売テレビ放送 編成局アナウンス部・報道局


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【公式ツアー応募】
それはWカップ開幕約1週間前のことでした。
突如、日本サッカー協会が、一次リーグの「日本―ブラジル戦」の0泊2日の公式ツアー
を販売。すかさずワールドカッパーズがその情報をキャッチ!
日程は6月22日(木)、23日(金)。個人的には、お仕事休んででも行きたいというのが
本音・・・でもオンエアがあるし、諦めるしかない・・・
しかし!前回の「ワールドカッパーズ!」でお話した通り、報道番組は毎日3分以上Wカ
ップ関連の話題の放送を義務付けられている為、目を皿のようにして企画を探している最
中!ということで!!私たちは飛びつきました!!

ワールドカッパーズのスタッフそれぞ
れが、ツアーに応募することになったのです。当たればドイツに取材にいけるっ!淡い期
待を抱き、当選結果を待ちます。結果は・・・・・・・当然のように全員落選・・・・・・
そりゃ応募者多いに決まってますもんね。日本からあらん限りの応援をしようとすっかり
頭を切り替えていた6月6日夕方5時半過ぎ・・・カッパーズの一人が「強行ツアー追加
当選してるっ!横須賀さんもメールボックス見て見て!」。オンエア前でバタバタしていた
私。ドキドキしながらクリックすると~追加当選のお知らせがっ!!その瞬間!!声も出
ないほどの喜びに襲われました。これまでいわゆるくじ運とは縁遠かった私にも幸運の女
神が舞い降りたのです。


【いよいよ出発】
というわけで、各所に取材の許可を取り、繰り上げ当選したディレクターと私で
0泊2日の強行ツアーに参加することになりました。
当日はYTV本社に早朝5時集合!!早く寝よと布団に入ったにもかかわらず、
興奮して本当に一睡も出来ず。。。。どんだけ待ち遠しいねん!と自分に突っ込みを入れなが
ら、ジャパンブルーのユニフォームで関空行きの電車に乗り込みました。
と、、、朝っぱらから、なんだ、この姉ちゃんたちはという冷ややかな視線・・・・・・・
乗客の皆さん眠そうに乗っていらっしゃるのに、私たち2人だけ気合入りまくり!
ちょっと恥ずかしい・・・・


20060714.jpg
ディレクターと2人3脚。私はシドニー五輪の時から宮本選手のファンです。
ディレクターは小野選手のファンです。


しかし関空についた途端、そんな思いは吹き飛びました!
青い大きな集団が目に飛び込んできたからです。
強行ツアーの参加者718人!!試合までまだ20時間以上あるのに、すでにニッポンコール
が各所で起こっていました。
そして、搭乗する飛行機を見てびっくりっ!!日本代表の侍たち全員が大きくプリント
れているのです。「かっ!かっこいいっ!!」今までごく普通の飛行機にしか乗ったことの
ない私たちはもう大興奮。完全に子供にかえりかけた・・・・・
っていい加減仕事をしなくてはなりませんね。
でも、かなりの余裕を持って空港に着いたのに海外旅行のシーズン中ということで出国手
続きや手荷物検査で時間がかかり、取材時間がどんどん削られていくのです~~~~。
汗だくになりながら怒涛の搭乗前の盛り上がり取材を終え、何とか、飛行機に滑り込みま
した。


【SAMURAIチャーター機では】
っと、飛行機の中もジャパンブルー一色ではありませんか!
出迎えてくれた曲は「アンセム」、キャビンアテンダントもジャパンブルーのユニフォーム、
「SAMURAI BLUE 2006」と書かれたヘッドカバー、機長自らが音頭をと
ってニッポンコール!ゲン担ぎの「カツ丼」にサッカーボールを模ったチョコ♪
チャーター機ならではの醍醐味が詰まっていました。

一段落した後は、取材計画を今一度確認。
0泊2日の分刻みスケジュールです。ドイツに降り立ってから段取りよく取材をすすめるた
めに2人であーでもないこーでもないと話し合います。 
ただ、どんな映像が撮影できるかは出たとこ勝負!的な取材ネタでもありますから、
局面局面で、撮影できた映像をどう使うか即座に構成を組み立てていく瞬発力も要求され
ます。今回ディレクターはカメラマンも兼ねた1人2役、そのプレッシャーは計り知れま
せん~。通常は3,4人1組での取材をたった2人、しかも海外、でもクオリティの高いも
のを!ホントにほんとに本当に大変!だからこそ!結束力は高まります!
ドイツへ近づくにつれ、自然と気合が入っていきました。

2006年07月13日

メディア論コーヒーブレイク

辛坊 治郎辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員


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さて、メディア論基礎講座、本日はこのホームページが出来てから三回目の講座、そこま
で言って委員会のホームページから数えると七回目になります。で、本日はちょっとコー
ヒーブレイクとして、私のバックグラウンドについてお話したいと思います。

まさかこんな仕事をするとは

マスコミの内側で飯を食って二十有余年、いまでこそ、メディアに関してはベテランのよ
うな顔をしていますが、ほんとのところ、まさか自分がこんな仕事をするとは夢にも思っ
ていませんでした。この業界にいる人間は、はっきり二つのタイプに分かれます。他の就
職先がなくて、どうにもならずにコネで入ってきた人と、青雲の志とともに、人生を賭け
る勢いで入社してきた人々です。ただ、大昔主流だったコネ入社は、今ではほとんどなく
なりました。東京のキー局などでは、いまでも時々その種の噂を聞くことはありますが、
大阪あたりの準キー局では、そんな制度は存在しないと考えていいでしょう。もっとも、
コネが必ずしも会社にとって悪いとは言えません。私の同期入社は十二人いて、本人が認
めるコネ入社は二人でしたが、その二人が、他の競争入社組に比べて能力が劣っているか
というとそんな事はありません。むしろ、やる気だけが空回りする『青雲入社組』より優
秀なくらいです。特に同期二人のうちの一人はあっという間に会社をやめて、今では世界
的な映像作家として活躍していますから、人生というのは分からないものです。
ところで、私はどうだったかと言うと、そのどちらでもありませんでした。


ある日旅に出た

とにかく私は病的に対人恐怖でした。単なる対人恐怖だけではなく、強迫神経症にも悩ま
されていて、たとえばコンセントをちゃんと抜いたかどうかが気になって、家を一歩も出
られないくらい重い症状だったこともあるのです。目の前でコンセントは抜けています。
それを確認して玄関を出たら、もう抜いたことに自信がもてなくなって、家に帰ってコン
セントを撫でるという状態でした。また、不潔恐怖症でもありましたので、電車の中で、
つり革につかまるなど考えただけで身の毛がよだつというありさまでした。しかしそんな
ある日考えたのです。「このままでは、就職どころか、外も歩けない。家が金持ちならそれ
でもいいが、大学出てから家でふらふらするなんて絶対許されない。何とかしなくちゃ。」
で、日本を出たのです。南回りのエジプト航空、ボーイング707、席は自由席、カイロ
で乗り換えてパリまで28時間という時代です。そこから予定も、予約も、お金もあんま
り無い放浪生活が始まりました。アフリカにも渡りました。ハエがいっぱいたかっている
食事でも食べなくては死んでしまいます。日本なら、皿の近くにハエが飛んでいるだけで
手をつけられなかった私ですが、そんなことを言っていたら、アフリカでは一日たりとも
生きて行けません。三ヶ月の旅を終えて日本に帰ってきたとき、病気は治っていませんで
したが、少なくとも日常生活に差し支える部分についてはコントロールできるようになっ
ていました。さて、次に目指したのは、社会への適応でした。


一冊の本に出会った

本との出会いというとき、とてもすごい哲学書や、文学書をあげるとかっこいいのですが、
その時私が出会ったのは、読書家が一番馬鹿にする『マニュアル本』でした。本屋で立ち
読みしているときに見つけたのは、当時東京のラジオ局のアナウンサーだった、茂木さん
という人が、アナウンサーを目指す人のために書いたガイドブックでした。たまたま手に
とって、ぱらぱらとめくっているとこんな記述がありました。「性格は変えられます。電車
に乗るときあなたはどこに座りますか?無意識で端の席に座っていませんか?それはあな
たが人を拒絶しているからです。端に座ると片方にしか他人は座りません。でも空いてる
席の真ん中に座ると、左右両側で知らない人に接する事ができます。まず、そこから性格
を変えましょう。」別に、感動したとか、啓示を受けたという話ではありません。「ふーん、
そんなもんか」と思っただけです。しかし、その日から少しずつ、本の内容を実践し始め
ました。その本を手に取ったのには、実はまた別の理由があったのです。それはその一週
間前の出来事でした。久しぶりに行った大学の就職掲示板で、こんな張り紙を見つけたの
です。「リポーター、司会者募集。応募者には、受験料千円支給。フジテレビ」いい時代で
す。受験するのにお金がいるのではなく、受験をするとお金がもらえたのです。たまたま、
フジテレビまでは歩いていける距離に大学がありました。散歩がてら受験会場に顔を出す
と、千円めあての受験生がわんさかひしめいていました。一時選考はわずか一分ほどでし
た。名前を言って志望動機を話してそれで終わりです。結果はなんと合格!とはいっても、
あとで分かった事ですが、受験したほぼ半数は合格したようです。二次選考は一ヵ月後、
今度は本格的な試験が行われるらしい、というそのタイミングで手に取ったのが件の本で
した。その日から、『自分を変える』本格的な試みが始まりました。(以下次回に続く)

2006年07月12日

北朝鮮取材の舞台はなぜか中国

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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~6カ国協議の裏側~

北朝鮮がミサイルを発射。「ほんまに撃ちよった・・」と思いました。
北朝鮮に関しては日本国内ではとかく拉致問題に関心が向きがちです
が、核開発・ミサイル問題は大きな脅威です。それをあらためて実感
しました。

私が中国にいた4年の間、印象深い取材は多々あれど、「一番しんど
かった取材はなんですか?」と聞かれたら、答えは「6か国協議」で
す。北朝鮮の核開発問題を解決するための国際会議で、日本、アメリ
カ、北朝鮮、韓国、ロシア、中国の6カ国が参加しています。議長国
が中国で、北朝鮮の大使館があることなどから、2003年6月に1
回目の会合のあと断続的に開催され、去年11月の5回目の後に北朝
鮮が無期限ボイコットを宣言し中断したままとなっています。
この会議取材、実はこれまで私は皆勤賞だったんです。(何の自慢に
もなりませんが)


北朝鮮との関係が比較的よい中国が議長国であり、北朝鮮の大使館が
あるという理由などから、会議は北京で開かれていました。「6カ国
協議」が開かれるたびに北京へ赴いていました。
あらためて思い起こせば、本当によく北京に行きました。
しかも、全人代を除けばほぼ毎回北朝鮮関連の取材でした。
「6か国協議議」は非公開で、何時に始まり、何時に終わるか全くわ
からないので、ひたすら代表団の動きをマークすることになります。
到着便を割り出して空港到着時に始まり、それぞれの国の担当者が宿
舎を出るとき、戻るときを狙って短いコメントを取る「ぶらさがり」
という取材をします。


ある日の取材体制。会場の釣魚台迎賓館前に1班、日本代表ぶら下が
り1班、アメリカ代表ぶら下がり1班、韓国代表ぶらさがり1班、北
朝鮮代表大使館出発マークに1班と、カメラクルー5班体制。
それぞれ朝6時半から7時には現場でスタンバイ。
それに、昼ニュースの中継用にカメラがもう1班。北京と上海の支局
だけでなく、ソウル、東京からも記者とカメラマンが北京へやってき
て、毎回大取材団が組まれます。朝それぞれの代表が会場へ入ったあ
と、釣魚台迎賓館前のカメラクルーは、会議が終わるまで、暑くても、
寒くても、雨が降ってもひたすら待ち続けます。
代表の乗った車が出てきたところで、会議の状況を判断するためです。
また、会場の外で個別会談が行われる可能性もあります。
特に日本と北朝鮮、アメリカと北朝鮮の個別会談は、状況によっては
「会った」というだけでニュースになる場合もあり、会場を出た後車
が何処へ向かうかをマークするために、代表の車をカーチェイスさな
がらに追いかけたこともあります。
一日が終わって、代表が宿舎に戻るのが夜中近くになることもしばし
ばで、それからまた翌朝のニュース用に原稿を書いて、日本に映像を
衛星伝送して・・・と数日間ながらくたくたの毎日でした。


取材だけならともかく、どうしてそんなに疲れるかというと、中国と
韓国のメディアの行儀が悪いからです。場所取りしていた脚立を勝手
にのけるわ、ここで並んで撮影しましょうね、という線を思いっきり
飛び出すわ、カメラの前に立つわ・・・で回りの状況を全く考えない
人たちにルールというものを教えるのに余計なエネルギーを使うから
です。
ニュースの画面で長い棒のついたマイクを見たことがありますか?
(ほんとは写ってはいけないのですが) この先には集音マイクがつ
いていて、少々離れたところからでも相手のしゃべっている声がちゃ
んと録れるのですが、このマイクを取材対象者の口元にこれまた思い
っきり近づけるのも中国のテレビ局。
「マイクが顔にかぶって他の局のカメラがうまく撮れないからからも
う少し下げなさい」と言っても、全然聞いてくれません。
よくよく聞いてみると、コメントを録ることより、マイクの先につい
ている自社のマークを外国のテレビ局に写させようという目的がある
ことがわかりました。あーあほくさ。


他にも国営通信社の記者だという若者が、日本の代表団のぶら下がり
取材の直後に「今のは誰ですか?」と聞いてきたことがありました。
6か国協議の」取材をするなら、代表の顔と名前くらい当然知ってお
くべきことです。
もっとも、中国で報道されていた「6か国協議」は、内容がどれだけ
進展したかということより、中国が議長国としていかに努力し、成果
を上げているかという内容がほとんどでしたが・・・。
国連は別として、国際会議で北朝鮮の高官が公けの場に出てくるのは
この「6カ国協議」だけという事情もあり、毎回会議が始まった直後
は日本国内の関心も高かったように思います。
しかし、内容的に進展しないまま何日も続く状態になると、だんだん
関心が薄れてきて、さらに国内で大事件、事故が発生するとだんだん
「6か国協議」のニュースを出すチャンスが少なくなってきます。
それでも現場は毎日朝から晩まで出来る限りの体制で取材を続けてい
ます。


そんなある日のニュース・・現場の記者、カメラマン、スタッフ総勢
26人体制で取材に臨んだものの、その日のニュースは25秒のフラ
ッシュニュース1本のみ!・・1人1秒以下かよ・・という日もあり
ました。やるせないけれど、仕方ない・・・。
おしまいに、もし北京に行かれる機会があったら、ぜひ北朝鮮料理屋
さんに行ってみてください。
私が知らないだけで日本にもあるかもしれないですが、チマチョゴリ
姿のそれは美しい女性たちは皆、首領様のバッジを付けて一生懸命働
いていて一見の価値あり。歌のショーもご堪能あれ。

2006年07月11日

国連安保理へ非難決議草案を提出

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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万景峰号の入港拒否

これまで「対話と圧力」と主張し、「北朝鮮に対する経済封鎖」には
慎重だった小泉政権も、今回は素早く動きました。
まず、新潟港に入港寸前だった『万景峰号』の入港を拒否しました。
人道上の理由から、修学旅行から帰国中の大阪朝鮮高校生の下船だけ
は認めましたが、「万景峰号の入港」は半年間禁止されることになり
ました。また、「北朝鮮当局の職員の入国」や「チャーター便の乗り
入れ」など9項目の制裁措置が決められ、さらに「北朝鮮への送金
停止」や「輸出入の停止」なども検討されています。
そして、日本政府は『国連安全保障理事会』に、「北朝鮮を非難す
る安保理決議の草案」を提出しました。
日・米・英は拘束力がある「非難・制裁決議」に賛成なのに対し、
拒否権を持つロシアと中国は「制裁決議の採択」には反対で、拘束力
のない「議長声明」を目指すべきだとしています。

『安保理』の意志がどのような形で示されるかは予断を許されない状
況ですが、98年8月の「テポドン打ち上げ」の時には「報道声明」
でしたから、「議長声明」でも一段厳しいものとなります。
それにしても「北朝鮮のミサイル発射」に対する世界の反応は様々な
ものでした。
中国の武大偉外務次官は小沢一郎民主党代表との会談の席で、「今回
の北朝鮮の行動はアメリカの金融制裁によるところが大きい」と見方
を示し、「近いうちに訪朝して話し合いの場を作る」と発言しました。
ロシア外務省は、事前警告がないうえに、自国の近海に着弾したこと
に対し、北朝鮮の駐ロ大使を呼び、抗議しています。
共に経済制裁には消極的ながら、ロシアは「サミットの開催国」とし
て、中国は「6者協議の座長国」として、見過ごすことのできる問題
ではないようです。


民団・総連の和解撤回

5月に声明された『在日本大韓民国民団(民団)』と『在日本朝鮮人
連合会(総連)』の「和解」が撤回されることになりました。
「ミサイル発射」を理由に『民団』が『総連』に申し入れたのです。
「半世紀以上にわたった対立を、和解で和合に転換できる」と謳った
「歴史的和解」も1ヵ月半で破棄されることになりました。
この「和解」は、廬武鉉韓国大統領が推し進める「南北朝鮮の宥和」
を象徴するものの一つだったのですが、日本を生活基盤とする商工業
者の多い『民団』の地方組織からは、「拉致をした北朝鮮を支持した
『総連』と和解したのでは日本国民の信頼を失う」など早くから批判
の声がありました。
また、先の地方選挙で韓国の与党は、野党ハンナラ党に惨敗したこと
もあって、盧武鉉政権への失望感もあったようです。

さて、今週末には『サンクトペテルブルク・サミット』が開かれます。
私も、『ロシア』で最初に開かれるこのサミットの取材に、今日出発
します。
「拉致問題」や「ミサイル発射」などの『北朝鮮』を巡る問題がどの
ように論議されるのか、興味をもって取材してきます。

2006年07月10日

北朝鮮ミサイル連続発射に思う

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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7発目発射の背景

数日前から「いつあってもおかしくない」と見られていた「北朝鮮の
ミサイル発射」も、7発連続には驚かされました。
アメリカ時間の7月4日は、『独立記念日』。しかも1発目がスペース
シャトル『ディスカバリー』の打ち上げの数分前。さらに6月25日
から続く『反米闘争月間』中です。

このタイミングを見計らったような打ち上げも、従来なら「アメリカ
を同じテーブルに引っ張り出すパフォーマンス」で済まされたのかも
知れません。98年8月の「テポドン打ち上げ」で、クリントン政権
から経済制裁の一部解除を引き出した例があるからです。
しかし7発連続となると、その意味がどこにあるのか考えざるを得ま
せん。それも7発目は、日米だけではなく、国際的に北朝鮮に対する
批判が高まっている中での発射で、6発目から9時間余り後でした。
北朝鮮の専門家の間には、「軍部の暴走」という声が強くあります。
しかも「金正日総書記の統制力が利かないまま、軍の一部が突出した」
と「金正日体制の揺らぎ」を指摘する人もいます。
「6発目からの9時間余りが、総書記との駆け引きの時間だった」と
見ているのです。


先軍政治の突っ走りか

北朝鮮には「先軍政治」という言葉があります。「先軍」とは「軍を
優先する」という意味です。
『平壌』はまさに「先軍政治のショーウィンドー」で、あらゆるとこ
ろで「軍人に対する待遇の良さ」を感じさせられます。
軍の幹部=将軍クラスは、故・金日成主席と共に「抗日戦」を戦い、
『北朝鮮』の建国に参加し、「朝鮮戦争」を戦った人々で、もうかな
りの高齢です。金正日総書記が映像に映る時に、その背後にいる勲章
だらけの軍服を着た将軍が、その代表とされる人々です。
彼らのアパートは広く、食料も豊富で、子弟の教育環境は整い、出勤
の時は『ベンツ』です。
総書記は「金正日体制」を維持するためには、彼らの既得権を壊さず、
不満を最小限に抑えることが必要でした。
父の戦友・同士とその子弟である「軍部」を大事にしてきたのには、
このような理由があったからです。
しかし今、「軍部」には不満が募っています。燃料が不足し、「戦闘機
の訓練」はほとんど出来ない状況ですし、「核弾頭を飛ばすミサイル
の開発」も思うようにいっていません。
そして『北朝鮮』では今、この「軍部」に対し、「中国式の経済開放
路線を取りたい技術閣僚」が台頭してきました。これも「軍部」には
面白くない状況です。
だからこそ「金融制裁の解除」と「米朝2国間協議の開催」を求めて、
「軍部は己の力を占めさん」と「ミサイル発射」に踏み切ったと見ら
れています。
「アメリカへの牽制」なら「テポドン1発」でよかったのに、7発に
したのは、「スカッドやノドンはいつも日本を射程内においている」
というアピールを込めていたのでしょう。
「テポドン」は「技術的失敗なのか、燃料不足のためなのか」分かり
ませんが、「スカッドとノドン」は着水点が近くて性能が向上してい
たようです。
金正日総書記が、この「7発連続のミサイル発射」を認めたことは、
私にも「金正日体制の揺らぎ」と感じられます。
98年8月の「テポドン打ち上げ」の時には、「ロケットの打ち上げ」
と言い逃れした北朝鮮は、今度は「軍事訓練の一環で、成功した」と
ミサイルの発射を認めました。
小泉首相の言うように、「どういう意図があるにせよ、北朝鮮にとっ
てプラスはない」のは間違いありません。

2006年07月07日

〝法廷が泣いた裁判〟より

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


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 『被告人は、認知症になった母親とアパートで2人で生活し、掃除、洗濯、食事の用意、排泄の補助などの身の回りの世話を全て引き受け、長年にわたって献身的に介護を続けてきた。被告人はこよなく母を愛し、一緒に生きたいと思うがゆえ、介護を放棄することなく、最後の瞬間までその介護を続け、遂には母親との心中に至ったものである。一人生き残った被告人は〝もし生まれ変わるのであれば、もう一度、母の子として生まれたい〟と今なお愛する母への思いを述べており、その犯行に至る経緯や犯行動機には、哀切極まるものがある』。

 今年2月、京都市伏見区の河川敷で、54歳の息子が、認知症を患っていた86歳の母親を殺害するという悲しい事件がありました。介護のために仕事もやめ、全ての蓄えが底を突いた末の犯行でした。最愛の母に手をかける直前、息子は最後の親孝行のつもりで、母を乗せた車椅子を押して川のほとりを歩いたと言います。そして、母に「あかんねんで。もう、生きられへんねんで」と告げると、母は「そうか、あかんか。お前と一緒やで」と答えたというのです。息子は母の首を絞めて殺害し、自らも自殺を図りましたが死にきれず逮捕されました。冒頭に掲載した文章は、懲役3年を求刑した検察側の論告から抜粋したものです。罪を断ずる立場の検察をして、ここまで被告人の境遇を思いやるという異例の展開。〝法廷が泣いた裁判〟と言われる理由はここにありました。論告に続き、今度は弁護側の最終弁論から抜粋することにします。


 『被告人は、両親から、他人に迷惑をかけてはならない。返せないお金は借りてはいけない。借りるくらいなら自分の生活を切り詰めろと教えられ育てられたが、この教えのどこに間違いがあるだろうか。確かに、サラ金で借り入れをしたり、親族に援助を求めたりすれば、このような悲しい事態は防げたかもしれない。しかし、被告人は、両親の教えを忠実に、あまりにも愚直に守ってきたのである。人間としては、弁護人より被告人のほうが、よほど誇り高く、清貧な人である。このような被告人を法的に非難することはできても、道義的に非難することは困難である』。


 弁護する自分より、裁きを受ける被告人のほうが人間的に優れていると指摘する異例の弁論。そして、被告人は最後に、涙ながらに次のように語ったのでした。
 『母親を抱くための手で、母親を殺めてしまいました。私の手はいったい、何のためにあったのでしょうか・・・・』。
 この世の出来事は、全て「人の営み」から生まれます。そして、そこには様々な「人の情」があります。楽しいニュース、悲しいニュース、嬉しいニュース、怒りのニュース・・・・
そこに込められた「情」を見失うことなく報道に臨まねばと痛感させられた裁判でした。

2006年07月05日

大泉純子のニュースの裏側

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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中国といえばやはり・・・トイレの話

読売テレビ上海支局のオフィスは、とあるオフィスビルの一室です。
外資系の会社が多数入居していますが、そこで働くOLさんはもちろん
ほとんどが中国人。
赴任した直後、トイレにてある不思議な光景に出くわしました。

オフィスビルの共用トイレは、8つほどの個室が並んでいます。
入ろうとすると、便座が上がっているのです。ここも隣もその隣も・・・。
下げて使えばよいわけですが、それにしても毎度毎度便座が上がって
いることを不思議に思ったわたし。支局の女性スタッフに聞いてみる
と「便座を上げた状態で使うものだ」といいます。
女性なら、自宅で父親や兄弟が上げっぱなしにしていたために、不覚
にもすっぽりはまった経験をお持ちの方も多いと思いますが、オフィ
スビルの女性トイレですから男性は使いません。
「どうして上げて使うの?」「汚いからです」
「なに、では便座を上げて中腰状態で用を足すワケ?」「そうです」
私はその後、何も気にせず便座を下げて使用していました。
そしてある時発見してしまいました。便座の両脇に『靴の跡』が付い
ていたのを。
おわかりですか?洋式トイレの便座の上に立って、和式のように使っ
ていた人がいたということです。滑ったらどうすんねん。ああ、あっ
ぱれ中国人。
中国へ旅行したことがある方なら、中国のトイレがいかに原始的であ
るかを体験なさったことがあるでしょう。
ドアなし、仕切りなし、不衛生極まりない。
最近は、上海など都会では条件はどんどん改善されており、洗浄機能
つき便座なども普及しつつあります。
でも、どんなに設備がきれいでも使い方を知らなければ結局「汚いト
イレ」になってしまいます。
2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博開催に向けて
今中国政府は市民のマナー向上に躍起になっています。
交通ルールを守りましょう、とかタンを吐くのをやめましょう、とい
った内容ですが、ぜひ「トイレをきれいに使いましょう」という項目
を加えていただきたいものです。


中国の田舎へ行きますと、びっくりトイレがたくさんあります。
特に印象深かったトイレといえば・・・。

★ チベットのポタラ宮
布の扉を入ると、6畳くらいの広さの板の間。
そこに30センチ×50センチくらいの長方形の穴が2つ。
2つ、といのは2人同時に入れるということです。穴の下は崖。
落ち着かなかった・・・。

★ 三峡下りの船
観光用の船にはそこそこ衛生的なトイレが完備されているのですが
取材用に小回りの聞く漁船をチャーターしたところ・・・。
ドアを開けるとこれまた30センチ×60センチほどの穴。
穴の下は長江。携帯なんか落としたらもう最悪・・・。
そして、この穴に板を乗せるとシャワールームに早がわり!
(シャワーといっても頭上に水道の蛇口があるだけです。この水も
長江の水かと思うと・・・)

★ 内モンゴルの草原
遊牧民を取材。「あのートイレ行きたいんですが」というと、大き
なマントをくれました。
「あっちですよ」と指差された先に広がるのは果てしない草原。
適当なところでマントを着てやれ、というわけでした。
そういえば、真夏なのにどうしてマント着てうろうろしている人が
いるんだろ?という疑問が解けた瞬間でした。


すみません。本当は別のテーマで書こうと思っていたのですが、先程
会社のトイレに行ったら便座が上がっていたもので、急遽「トイレの
話」にさせていただきました。

2006年07月04日

カリスマ女医令嬢誘拐事件に思う

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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あまりにも杜撰な実行犯

先月26日に東京・渋谷で起こった「カリスマ女医令嬢誘拐事件」は、
これまでに例のない新しい犯罪のような気がします。
誘拐されたのは渋谷区鉢山に住む21歳の女子大生。
その母親は「美容整形のカリスマ」としてテレビ番組にも頻繁に出演
していた「美容整形の女医」で、親子のセレブなプライベートを紹介
することでも知られていました。

ここまでは誘拐の対象になっても不思議ではないのですが、実行方法
がこれまでに例がないというか、あまりにも杜撰なのです。
起こったのが真っ昼間で、女子大生の家に近い渋谷の住宅地のバス停
の前。家から出てバス停に向かった女子大生を「車に乗りませんか」
と誘って、断られると無理矢理ワゴン車に押し込んで連れ去ったとい
うのです。
その2分後には、女子大生の携帯から母親の携帯に、「娘を誘拐した。
警察に言えば殺します」という電話がありました。
この素早い犯人の動きは何なんでしょうか。
また、真っ昼間の犯行ですから、当然目撃者がいました。
1人は女性で、そのまま近くの交番に向かいました。もう1人は宅配
のドライバーで、急に幅寄せしてきた「わナンバーのワゴン車」を不
審に思い、ナンバーを書き取りました。
事件が起こって数分後には、警察はかなりの情報を掴んだことになり
ます。
「わナンバー」から、レンタカー屋から借り出されたワゴン車が判明
しました。
今は「Nシステム」という監視カメラが主な道路に取り付けてあって、
ナンバーが分かればその車の通行過程を手配することが出来ます。
犯人は30分後には、早くも2回目の電話を掛けてきて、「3億円の
身代金」を要求しました。
犯人からの電話は執拗で、身代金の算段状況を聞いたり、娘の声を聞
かせたり、延べ14回に及びました。
夕方5時近く、川崎市の丸子橋付近で警視庁の捜査員が目撃ワゴン車を発見、追尾が始まりました。


安全はタダじゃない

日付が変わった27日午前0時42分、川崎駅前でワゴン車に乗って
いた容疑者2人の身柄を逮捕。その供述から2時28分、の川崎市内
のマンションで女子大生を保護しました。
事件発生から13時間あまり、車の追尾から8時間半。時間が掛かり
すぎた感じもしますが、犯人が幾つかのグループに分かれていたこと
と、大人の誘拐は、顔を見られると身の安全が危険にさらされるから
慎重になったのでしょう。
犯人として逮捕されたのは、29歳の中国籍の男と54歳の韓国籍の
男と49歳の日本人……このような組み合わせは例のないことです。
女子大生の写真を持っていたということは、計画段階でかなりの準備
をしたことを物語っています。
しかし、レンタカーを実名で借り、マンションも友人が短期間借りた
もので、身代金の要求金額もコロコロ変わり、計画に一貫性がなく、
杜撰なものだったようです。
だからこそ、女子大生は無事に戻り、逮捕時に発砲騒ぎもありました
が、軽い怪我で済む幸運に恵まれたと言えるのでしょう。
最初は知らぬ3人がこの誘拐のためにチームを組んだと見られてい
たのですが、実は大きな犯罪組織があって、今回は「実行犯の組み方
にミスがあっただけ」という見方も出てきています。
「日本の治安は世界一安全」と言われたのも過去のこととなりました。
「外国人の犯罪」が激増し、検挙率も低下する一方です。
人口に対し警官の数も少ないのも現実です。
母親はこれまで続けてきた「メディアに露出することで美容整形医と
しての知名度を上げる戦略」を取りやめることにしたと言います。
欧米のセレブのように、自分の安全や財産はボディガードを雇って、
自分で守るということが必要になってきたようです。
この誘拐事件は、自宅の近くのバス停で誘拐を実施する危険な連中が
身近にいることを知らしめました。
安全はタダじゃありません。

2006年07月03日

金英男さんと母との28年ぶりの再会

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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『金剛山(クムガンサン)』ってこんなところ

北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの“夫”とされる韓国人
拉致被害者・金(キム)英男(ヨンナム)さんと母・崔(チェ)桂月(ゲウォル)さんとの28年ぶりの再会が、
北朝鮮の『金剛山(クムガンサン)』で行われました。
『金剛山』は北朝鮮南東部にある景勝地で、最高峰の『昆廬(コンロ)峰(ホウ)』を中
心に山全域と東は海までが朝鮮を代表する観光地になっています。
また、古くから仏教の聖地とされ、山中に新羅時代からの名刹も多い
朝鮮第一の名山です。
山を構成する花崗岩が様々な断崖や垂直な絶壁をつくり、数多くの奇
峰があることから『一万二千峰』とも呼ばれ、それを松を中心にした
樹海が包んでいる壮大な景観です。


1991年、『日本ジャーナリスト訪朝団』の一員として『北朝鮮』
に入国したとき、私もこの『金剛山』を訪れる機会がました。
北海道・旭川の出身の私の印象を一言でいうと、大雪山の北麓、石狩
川の上流部にある『層雲峡』に似ているということになります。
『層雲峡』は20㎞余りにわたって垂直な絶壁が続き、大小数々の滝
があり、付近はエゾマツ・トドマツなどの原生林で覆われています。
『金剛山』でも渓流に沿って滝の横を登っていくと頂上に達します。
そこからの眺望も素晴らしく、「八人の天女が舞い降りた」という池
が散らばり、『八天女伝説』の話を聞かされました。
ただ残念なのは、その絶壁のあちこちに「金日成の政治スローガン」
や「偉大なる首領・金日成様」などの文字が刻み込まれ、そこに朱が
塗り込まれて、大自然の景観を台無しにしていることです。
『金剛山』の景観をカメラに収めようとすると、どこかにその文字が
入いってしまうほどです。
今、『金剛山』は韓国の『( ヒ)現代(ュンダイ)』による開発が進み、韓国から陸路で
行くことができます。また、温泉もあることや、夏の海水浴・冬の雪
遊びなどで韓国の若い人にも観光希望者がに多くなっています。


なぜ『金剛山』が選ばれたか

金英男さんと母との再会は、「拉致」とは切り離して、「南北離散家族
の再会」という形で実現しました。
「南北離散家族」とは、朝鮮戦争などで「韓国と北朝鮮に別れて住む
ようになった家族」のことで、南北の宥和を図る韓国の「太陽政策」
の一環としてその「再会事業」が2000年8月から始まりました。
私も『ソウル』で開かれたその第一回の催しに取材陣の1人として
参加しました。その後『ピョンヤン』と交代で開かれるはずだったの
ですが、「豊かな韓国を国民に見せたくない」という北朝鮮の望みで
『金剛山』で開かれるようになったといいます。
『金剛山』は韓国から近く、陸路でも行ける上に、『現代』の開発地
でもあるので、双方にとって納得のいく場所だったのでしょう。
それにしても金英男さんの記者会見は何だったのでしょうか。
今回の「再会事業」には日本人記者の参加は認められず、韓国人記者
の質問も予め提出させたものだけでした。
金英男さんは韓国政府が認めている「自身の拉致」を否定して「漂流」
と説明し、「めぐみさんは自殺」と主張……これまでの北朝鮮の主張
に沿ったものでした。
この「親子の再会」を、北朝鮮としては「拉致問題の幕引きとしたい」
のでしょうし、韓国としては「対話路線の成果とみたい」のでしょう。
余りにも作られた会見に、拉致問題を抱える日本国民の1人として
大きな怒りを感じています。

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