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2006年06月30日

「東海地震の緊急放送とは?」

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


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 先日、名古屋の中京テレビで行なわれた「東海地震緊急放送訓練」を見学してきました。
もちろん、私たち読売テレビでも、万一の災害に備えて訓練を行なっているのですが、東
海地震というある意味で特別な地震を想定した訓練は、私にとっても「目から鱗」という
意外性がありましたので、おさらいの意味も込めて、皆さんにもご紹介しておこうと思い
ます。

 皆さんご存知の通り、私たちの地球の表面はプレートと呼ばれる十数枚の岩盤に覆われ
ています。この内、日本列島の近くでは「ユーラシアプレート」と「フィリピン海プレー
ト」という2つの岩盤がぶつかり合い、ここで溜まった歪みを解消するために、100年
から150年に1度の間隔で大規模な地震が繰り返されてきました。これが東海地震や東
南海・南海地震と呼ばれるものです。直近では1944年と46年に、昭和の東南海・南
海地震が発生しました。ところが、この時に一緒に発生してもおかしくなかった東海地震
だけが残ってしまい、いつ起きてもおかしくない状態だとされるのです。

 そんな東海地震に対応するため、国は「大規模地震対策特別措置法(大震法)」という法
律を作りました。この法律は東海地震の発生が予知できるということを前提にしています。
その地震予知の切り札とされるのが、「体積歪計」と呼ばれる装置です。ここで異常なデー
タをキャッチした場合、気象庁は3段階に分けて情報を発表します。まず第1段階が「観
測情報」。東海地震につながるかどうかはまだわからないものの、異常なデータが観測され
ているということが公表されます。ただし、社会生活はまだ通常のままです。次の段階が
「注意情報」。東海地震の前兆現象である可能性が高まった場合に出されるもので、判定会
が招集されます。この段階で学校は休校、会社や工場は休業となり、帰宅促進のために交
通機関が増発されます。災害弱者や病人などの避難も開始となります。その対応の仕方は、
全て「大震法」で定められているのです。そして、いよいよ東海地震が発生する危険が高
まったと判断された場合、総理大臣自らが発表するのが「警戒宣言」です。あらかじめ、
大きな被害が予想される地域では交通機関が全面ストップし、新幹線も運行停止となりま
す。社会機能はほぼ停止して、後は地震の発生に備えて警戒することになるわけです。

 と、かなり、お勉強めいたお話になってしまいましたが、私が見学した緊急放送訓練は
この一連の流れを辿り、地震発生までをおさらいするというものでした。想像してみてく
ださい。「観測情報」が出された段階で、次のようなコメントがテレビ画面から流れてきま
す。『先ほど、○○に設置された体積歪計と呼ばれる計器で異常なデータが観測されました。
まだ東海地震との関連はわかりませんが、今後の情報に注意が必要です』。

 さあ、次は「注意情報」です。テレビのコメントは概ね、次のようなものでしょう。『先
ほど、気象庁が設置した観測機器のデータに複数の異常が認められました。東海地震に結
びつく可能性が高まってきたことを意味します。学校は休校です。また、仕事などで外出
している人にも帰宅が促されています。落ち着いて行動して下さい。現在、地震学者によ
る判定会が招集され、大規模地震が発生するかどうか検討が行なわれています』。

 そして、最後に「警戒宣言」が出されると、アナウンサーの呼びかけは、より緊迫した
ものになるはずです。『先ほど、警戒宣言が発令されました。東海地震発生の可能性が高ま
っています。がけ崩れや津波の危険がある地域の方は、直ちに指定された場所に避難して
下さい。その他の方も、自宅や安全な場所で地震の発生に備えて下さい。間もなく、東海
地震が発生する恐れが高まっています』。

 ここまでお読みいただいて、お気付きになったでしょうか。私たちがいつも放送し、皆
さんもお馴染みの地震速報は「地震が発生した後の緊急放送」です。ところが、東海地震
の緊急放送は地震が来る前から始まり、時間と共に「地震の発生を待つ番組」なのです。
あくまでも予知できることを前提にしているため、こんな流れになるわけですが、もちろ
ん、「警戒宣言」が出される前に突然発生する可能性もあります。そして、東海地震は南海・
東南海と同時に発生する可能性がかなり高いという有力な学説もあります。そうなると、
関西地区に住む私たちも他人事ではいられません。いずれにしても、巨大地震はいつか必
ずやってきます。だからこそ、放送局は放送局なりに、行政は行政なりに、更には個人一
人一人も、万一を想定した備えと訓練が大切なのです。


2006年06月29日

実名・匿名報道

辛坊 治郎辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員


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議論再び

さあ、前回の「微罪報道」に続いてメディア論基礎講座第二弾は、「実名・匿名報道」です。
実は、これについてはすでに、「そこまで言って委員会」のホームページ内の「副委員長室」で、一昨年の暮れから、去年にかけて、不連続で五回に分けて詳述しています。自分で言うのもなんですが、基本的な論点はおさえていますので、あえて同じ話をここで書くのはやめようと思います。ぜひ一度、そちらをゆっくりとお読みください。それじゃあ、何でこの問題を再び取り上げたのかというと、この論点で最近少し大きなニュースがあったからです。


広島女児殺人事件で

先週土曜日の朝日新聞朝刊社会面に大きく載ったある話題が、その翌日には読売新聞に掲載され、さらにその次の日にサンケイ、毎日の社会面で記事になりました。それは、去年十一月に広島でペルー人の男に殺された女児の父親の訴えでした。具体的には、殺された娘の実名が伝えられずに、単なる「一女児」という「記号」として扱われることに対する憤りと、凶行の詳細を報道しないメディアに対する不満の声でした。ただ、それまでメディアの報道は一様ではありませんでした。父親が実名入りのコメントを文書で出したときに、それでも名前を匿名にしていたのは毎日新聞だけで、他の新聞は、実名入りコメントの発表、起訴、初公判など、メディア論として実名報道が不可避な局面においてはきちんと名前を含めて報道していました。今回の父親の声は、もちろんその意図するところが、被告の死刑判決実現を社会的にアピールする点にあるにせよ、被害者遺族の肉声として、痛ましく、胸を打ちます。


今回だけが例外か

さて、ここからが本論です。朝日、毎日は女児の実名を伝えるに当たって、記事内で、「被害者、遺族が実名報道や被害を明確にすることを望まない限り、被害者は匿名を原則とし、性被害の内容も簡潔な表現にとどめることにしています。(朝日)」という、社の方針を明記しています。さて、これはメディアの姿勢として正しいと言えるでしょうか。確かに、性犯罪の被害者が生存しているケースにおいては、おおむねこの原則は世界共通です。アメリカのジャーナリズムスクールでは、このケースでも実名報道を主張する教授は多いのですが、実務の点では匿名が主流です。ただ、アメリカだけではなく、ヨーロッパでも、社会的に関心が高い重大な性犯罪の場合、実名で報道され、被害者が顔を出してコメントするケースは珍しくありません。それは、性犯罪の被害者には、何の落ち度も、恥ずかしいこともなく、再発の防止のために報道が必要だという意識が社会的に共有されているからです。ただ、私は、性犯罪の被害者が生きているケースにおいて、少なくとも日本という社会の中では、被害者を匿名にすることが、実名報道の公益を上回ると思います。それでは、被害者が生存していないケースではどうでしょうか?これを考えるためには、なぜ犯罪報道が必要かという原点の知識が必要です。


表現の自由はなぜ必要か

犯罪報道の最大の役割は、真実の追究です。私たちが生きている社会で、いったい何が起きているのか、それを正しく市民が知ることは、民主主義社会の大前提なのです。性犯罪の報道の公益とは、いつ、どこで、誰が、なぜ、どんな性犯罪を行い、誰が、どんな状況の中で、いかなる被害にあったかを、市民がデマや憶測に惑わされずに正しく知り、当該犯罪者の処断の方針、再発防止のための社会的対策を市民が適切に選択するための情報を提供することにあります。先ほどの新聞社の方針のように、たとえ被害者が死亡してしまったようなケースでも、遺族が望まない限り「簡潔な表現」でしか事件を伝えないことが、メディアの姿勢として正しいのでしょうか?私は、このケースにおいては、市民の知る権利が優先されるべきだと思います。少なくとも、言論の自由を有するまともな国で、この点についての論争はありません。どうもこのところ、日本のメディアは、「言論の自由は市民にとってなぜ不可欠か」を考えずに、「情報をコントロールする権威、人権団体」になっているような気がしてなりません。よほどの理由がない限り、メディアは知りえた真実を包み隠さず、市民に提供する義務が あると思うのです。「我々は知っているけど、市民は知る必要がない」、そんな考えは、メディアの自殺行為です。さあ、はじめの議論に戻りましょう。報道において、実名匿名はどうあるべきか、是非「そこまで言って委員会」のホームページを開いてくださいね。

2006年06月28日

『テレビのニュースは誰のもの?』

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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中国のニュースはこうして作られる

私は、この6月から毎週月曜日から金曜日の夕方にお送りしている
『ニューススクランブル』のデスクを担当しています。
午後6時16分に始まる「ニュース」に向けて、毎日昼夜を問わず記者
やカメラマンなど大勢のスタッフが走り回っているのは横須賀キャス
ターの報告にもあったとおりです。
では、「中国のテレビニュース」はどうでしょうか。

「日本のニュース」では、例えば「奈良の民家火災で4人が行方不明」
とか「薬害肝炎訴訟で原告が勝訴」など、その日に起きた「社会的な
出来事」がトップニュースになります。
「中国のニュース」の場合、いわゆる「事件・事故」は2の次。「全国
ネットのニュース」なら「国の胡錦涛国家主席の動向」が、「上海」
なら「共産党上海市委員会の書記の動向」がその日のトップニュース
になります。
例えば「小泉総理はきょう地方を視察しました」とか、「太田房江知事
はきょう府議会に出席しました」というニュースがずらりと並びます。
内容はともかく、「わが国のリーダーは国民のためにこんなに働いてい
ます」ということが重要視されているのです。
それはなぜかといいますと・・・。
「中国のテレビ」は「共産党の宣伝機関」であるからです。
「日本の民放局は」報道機関として国家権力から独立した存在ですが、
「中国のテレビ」、特に報道はすべて共産党の宣伝という役割を担って
います。
ですから、国家に反論するような報道をすることはまずありません。
国家に反論するような記事を書いた記者が突然解雇されたり、新聞や
雑誌が廃刊に追い込まれるという出来事もちょくちょく起こっている
のです。


生放送はご法度?

今年の春、中国北部の山西省で、「テレビ局の内部」を密着取材する
チャンスがありました。
毎朝出勤してきた記者たちはデスクの指示で事件、事故の取材に出か
けたり、社会性のあるテーマで特集企画を制作する姿は、私たちの
やっていることとほとんど変わらないと思いました。
また輪番で泊まりこみ、24時間体制で事件待機をしていたのにも
少し驚きました。
さらに、データをどのように集めているのかはやや不確かなものの、
番組ごとに視聴率の競争も行われていました。
取材に同行させてもらった記者、カメラマンたちは、常に競争に晒さ
れているけれども、とてもやりがいのある仕事だと、とても誇らしげ
に話してくれました。
現場レベルの意識は私たちと変わらないと思いました。
ただ一つだけ異なること。それは、「録画」だということです。
私たちがお送りしている「ニューススクランブル」の場合は、最新の
情報を伝えるために毎日午後6時16分の放送開始直前まで編集作業
をし、時には放送の途中に大きな事件や事故が発生した場合は放送の
予定を変更して新しいニュースを放送することもあります。
私が取材したテレビ局では、夕方6時から放送するニュースの取材、
そしてテープの編集は午後4時には締め切られます。
その後、出来上がったニュースを報道の部門だけではなく、社長以下、
テレビ局の幹部が映像と原稿を全部チェックします。
幹部の最終チェックが終わると、キャスターがスタジオ入りし、ニュ
ースの収録が始まります。
日本のニュースならスタジオでキャスターが原稿を読み間違えると 
「NG大賞」のネタになってしまいますが、あちらでは読み間違えたと
ころで「ごめん!もう一回」となり、30分のニュース番組を1時間
近くかけて収録していました。
政府がニュースを管理しているのは中国に限ったことではありません
が、やっぱりなぁ~と思った私。ある幹部に、
「締め切りが早くて大変ですね。うちなんか、放送直前に取材テープ
が飛び込んできて、それはもうすごい勢いで人が動いていますよ」
と、ちょっと誇らしげに言ってみたところ、
「ええっ? 放送前に局のトップがチェックしないのですか?
もし内容に問題があったらどうするのですか!?」 という返答が。
(痛いところを突いてきたな・・・)と思いつつ
「もし問題が起こったらそれは、幹部が責任をとりますよ。
でも、何より問題が起きないように常に細心の注意を払って取材して
います」
このテレビ局の幹部は、ほぼ100%が共産党員。
私たちとは、いわゆる「出世」の概念が全く違います。
私たちにとって、日々ニュースを伝える中で大事だと思っているのは
常に新しい情報を入手し、視聴者の関心に応えること。
政府の顔色を伺うことも、誰に縛られることもありません。
何より、ニュースは「生き物」ですから。

2006年06月27日

自衛隊海外派遣を取材し続けた

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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湾岸戦争時のペルシャ湾掃海派遣に始まる

自衛隊の海外派遣は、1991年の「湾岸戦争」に始まります。
『自衛隊ペルシャ湾掃海派遣』と言われ、海上自衛隊の掃海部隊が
『ペルシャ湾(公海・イラク領海・イラン領海・クウェート領海・
サウジアラビア領海)』の機雷の掃海に当たりました。
しかし当時の海外での日本は「金は出すけれど、具体的な現地での貢
献はしない」といわれていたこともあり、この「海外派遣」は大きな
評価を受けませんでした。

この教訓から1992年、『国際平和協力法(PKO協力法)』が成立
して自衛隊に国際援助活動への参加が認められるようになりました。
そしてこの年、『PKO=国連の平和維持活動』としての『自衛隊カン
ボジア派遣』が行われました。
陸上自衛隊の派遣はこれが初めてで、道路・橋の修理や停戦の監視を
行いました。武装は拳銃と小銃のみで、ポル・ポト派の襲撃も不暗視
されていました。
それでいて、「派遣兵の中から、1人でも戦死者が出れば政権は崩壊
する」と言われるほどの厳しい状況での派遣でした。
次いで『モザンビーク派遣』と『ルワンダ難民救援隊』……どちらも
アフリカの国で、長い内戦後の和平を推進するためでした。
特に『ルワンダ難民救援隊』では、その名の通り大虐殺により大量に
発生した難民の救援が目的でした。
私は『カンボジア』にも『モザンビーク』にも『ルワンダ』にも取材
同行して「自衛隊のPKO活動」を目撃してきました。
自衛隊の部隊長は誰もが、「万一武装集団の攻撃があったら、どうす
るか」を真剣に悩み、隊員の安全を最優先に活動していました。


今も続くゴラン高原への派遣

96年、自衛隊は『イスラエル』と『シリア』の国境にある『ゴラン
高原』の『PKO兵力引き離し監視隊=the United Nations
Disengagement Observer Force=UNDOF』に派遣しました。
『イラク派遣』の時、「中東への派遣は初めて」というような報道が
ありましたが、実はこの『ゴラン高原派遣』が先にあり、今もなお
半年ごとに人員を交代させながら、活動は続いているのです。
『イスラエル』と『シリア』が『ゴラン高原』の領有権を争っている
のは、ここが戦略的にも、さらに水源地としても大きな価値を持って
いるからです。74年以来武力行使は行われていませんが、『国連』
は「停戦合意の実施」を監視しています。
私は「第一次派遣隊」を取材するために『ゴラン高原』に入りました。
この時の隊長は佐藤正久三等陸佐……『イラク・サマワ派遣』の時に
も「第一次派遣隊」の先遣隊長を務め、「ヒゲの隊長」として話題に
なった人です。
彼は『カンボジア』でも「選挙監視団」を務めた経験があり、私とは
旧知の仲でしたので、厳しい質問が出来ました。
「このゴラン高原で、ゲリラに襲われたらどうするのですか?」
「その場合には防衛庁本庁と連絡を取って……」
「今襲ってきたら、どう反撃するのですか?」
「…………」
まじめな彼は、単刀直入な私の質問に時々絶句しながら答えてくれた
ものです。
武装グループと対峙したとしても、「武器使用と集団的自衛権の行使
の問題」は、今も大きな課題として残ったままなのです。 
またこの時、国際問題の厳しさを改めて知らされました。
佐藤隊長にインタビューしたのは『シリア・ゴラン高原のイスラエル
占拠地』で、目の前に検問所があり、『イスラエル』まで300mも
ありません。
『UNDOF』の車輌はスイスイと1分で通過していくのですが、
我々はその道を通ることが出来ません。敵対する隣国へ直接入ること
は許されていないからです。
そこで我々は『シリアの首都・ダマスカス』から飛行機で『エジプト・
カイロ』に飛び、さらに『イスラエル・テル‐アビブ』に飛び、そこ
から車で目の前にあった検問所へ……なんと2日がかりの旅となり
ました。
『イスラエル』から『シリア』への入出国は、ブッシュ大統領でも
小泉首相でも同じような遠回りをしなければならないのだそうです。

2006年06月26日

イラク陸自に撤退命令

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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小泉首相の最後の仕事になるか

先週の火曜日の午後、小泉首相は「イラク南部のサマワに派遣してい
る陸上自衛隊」について、「撤退」を正式に表明しました。
治安権限がイラク新政府に移譲されることになり、「陸上自衛隊の人
道復興支援活動が一定の役割を果たした」と判断したからです。
これを受けて額賀防衛庁長官は、派遣部隊の撤退命令と物資の荷造り
や輸送を担当する支援部隊の編成・派遣命令を出しました。
もっとも「クウェートを拠点にした航空自衛隊」については、活動範
囲を首都バグダッドや北部のアルビルまで広げて国連や多国籍軍へ
の空輸支援を継続させます。
これにより「全自衛隊の引き揚げ」はまだ先になりますが、「陸自」
に関しては早ければ7月一杯で「イラク派遣」は終了することになり
ます。

思えば、2年半前「自爆テロ・宗教対立など政情不安の中東イラクに
自衛隊を派遣するのは危険すぎる」という声が強くあった中、小泉首
相は派遣を断行しました。
1つにはブッシュ大統領との信頼関係を軸とする「日米同盟」の証を
示すことであり、もう1つは「ブーツ・オン・ザ・グラウンド=地上
部隊の派遣を」という国際世論に応えるためでした。
そして首相が「一定の役割を果たした」と国民に強調するのは、サマ
ワでの給水・医療活動や学校施設の復興に一定の効果を挙げ、新政府
の発足に貢献したとの思いがあるからでしょう。
そして今なら「1発の弾も撃たず、1人の死傷者も出さずに自衛隊の
イラク派兵を終える」ことが出来ることになります。

一番難しい撤退時の安全の確保

陸上自衛隊の海外派遣隊長経験者によると、「一番難しいのは撤退時
の安全の確保だ」と言います。
そして或る幹部も「睡眠時も2時間おきに目が覚め、独りで宿舎地を
巡回した」と海外派遣の緊張感を語ってくれました。
また「サマワの宿営地で1人の死傷者が出なかったのは、要塞のよう
に守りを固め、隊員の安全を最優先したからだ」と言います。
それでも宿営地に迫撃弾が撃ち込まれたり、自衛隊車輌が通る道路で
爆弾が破裂したこともあります。
撤退完了まで安全確保を保てるでしょうか。
国際テロ組織や武装グループにとって、撤退前の自衛隊は攻撃対象と
して絶好のチャンスと捉えていることも想定しなければなりません。
「これまでが幸運だった」ということにならないように祈りたいもの
です。

これからの小泉首相は「訪米・中東訪問・サミット」と外交で忙しい
日々が続きますが、「自分の責任で送り出したイラク派遣の撤退」が
首相としての最後の仕事になりそうです。
小泉首相はかねてから、「在任中に自衛隊のイラクからの撤退を実現
させたい」という強い思いがあったのは間違いありません。


2006年06月23日

〝匿名希望〟を考える

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


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 泊まりデスクとして夜中の発生ニュースをケアしていると、各警察署などから様々な事件・事故の一報がFAXで寄せられてきます。私たちは、これを「ルート連絡」と呼んでおり、記者クラブの取り決めに従って、自局のみならず在阪各局への配信にも責任を持つことになります。先日、私がデスクに入った時も次々とFAXが届きました。路上でのひったくり、緊縛強盗、酔っ払い同士の喧嘩、窃盗、車両火災、交通事故・・・・真夜中だから寝静まっているだろうというのは完全な誤解。ニュースとして伝えられるかどうかは別として、午前0時を回ってからも人々の動きは続いているのです。と、それはさて置き、FAXの文章を読んでいて気になることがありました。事件や事故の被害者名が記されている横に「匿名希望」という注釈がやたらと目立つのです。

 「被害者住所:大阪市中央区○○、職業:会社員、氏名:大阪太郎、生年月日:昭和○年○月○日、○歳。なお、被害者は後難を恐れており匿名を強く希望しています」
 「負傷者住所:神戸市灘区○○、職業:主婦、氏名:神戸花子、生年月日:昭和○年○月○日、○歳。なお、家族は近隣に知られたくないため強く匿名を希望している」
 「被害者住所:京都市中京区○○、職業:公務員、氏名:京都次郎、生年月日:昭和○年○月○日、○歳。なお、被害者は周囲とのトラブルを恐れ、強く匿名を希望している」

 私たちの放送活動の目的は、憲法に保障された「表現の自由」に基づき、視聴者の皆さんの「知る権利」に応えることにあります。そのためには公平かつ公正で、人権を尊重し、倫理を遵守することが求められます。この観点に照らせば、報道は常に実名で行なうことが原則です。しかし、実名報道された当事者が思わぬ形で二次被害を受ける恐れがないか、私たちは考慮しなければなりません。事件や事故そのものによる精神的苦痛に、報道が追い討ちをかけないかということについても検証する必要があります。ただし、その判断を行なうのはあくまでも報道機関です。警察発表の資料に「匿名希望」と書いてあるからと言って、そのまま追随したのでは当局主導の報道介入を許すことにつながり、結果的に国民の「知る権利」を侵害することになるのです。

 こうした中、政府が策定した「犯罪被害者等基本計画」の中に、被害者の氏名公表の可否を警察の判断に委ねるとする項目が盛り込まれました。私たちはこの事態に対し、重大な懸念を抱いています。この項目が恣意的に運用されるようになると、民主主義の根幹が警察権力によって侵される恐れがあるからです。隣近所への関心が希薄になり、私たちの周囲は「匿名社会」とも呼ぶべき状況が広がっています。これは犯罪予防という観点からも憂慮すべき事態です。人権を隠れ蓑にした報道介入に、私たちは明確に反対します。

2006年06月22日

ワールドカッパーズ!!

横須賀 ゆきの横須賀 ゆきの
読売テレビ放送 編成局アナウンス部・報道局


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2006FIFAワールドカップが開幕。
W杯取材の為に、特別班が組まれました。
名付けて「ワールドカッパーズ!!」
企画立案メンバーは6,7人で構成されていますが、
報道に携わるほとんどの人が何かしらの形でタッチしています。
通常の仕事+ワールドカップ関連の取材ということで、
スクランブルもいつもに増して大忙しでっす!!

なんといっても世界中が熱い視線を送るスポーツの祭典!
中継権を持たない局がオンエアする為には、色んな制約条件があります。
以下はほんの一例ですが・・・・

スタンドからピッチの選手の撮影禁止はもちろんのこと
スタンド自体の映像を放送するのも厳禁。
更に試合映像の配信を受ける為には、
報道番組においては1日3分以上ワールドカップ関連の話題を
連日放送することが条件というこれまた厳し~~~~いルールがあります。
つまりおいしいとこだけ放送するのはなしよ!ということなのです。

企画になりそうな面白いねたを見つけるのは本当に大変です!
連日深夜に及ぶ企画会議・・・・・
ディレクター陣の眠れぬ夜は続きます。。。
そんな企画の中の一つ、
ワールドカップ日本戦!関西の1日ドキュメントVTRが出来るまで
をご紹介します。

グループリーグ突破の大きな鍵を握る日本VSオーストラリア戦当日。
ワールドカッパーズ選りすぐりの取材先へカメラ&ディレクター12班が出動しました。
私は、神戸ウィングスタジアムで行われるパブリックヴューイング取材の担当。
平日のしかも月曜日の午後10時キックオフにもかかわらず
ドイツの日本チームに熱い声援を送りたいというサポーターで
スタジアムは侍ブルーに染まりました!
前半1-0で日本リードで折り返し、後半もオーストラリアの猛攻を立て続けに阻む選手たち。
サポーターの一喜一憂をカメラマンは確実に捉える為に、約2時間、玉のような汗を滲ませながら
カメラを肩に担ぎ続けます。
後半39分同点弾。後半44分逆転。後半ロスタイム、ダメ押しの追加点
終わってみれば・・・・・「1-3」
スタジアムは同じ場所であったかと思うほど重々しい空気に包まれました・・・
マイクを向けるのも辛い・・・
大きく項垂れる人、野次を飛ばす人、次の戦いに希望を見出す人、選手を称える人・・・
色んな表情&声を撮影し、本社に帰り着いたのは深夜2時。
ここで終わりではありません。編集が待っています!
各取材先から集まったテープは全部で40本!!
1本40分テープだから単純計算で計約26時間!!おっ恐ろしい~

ディレクター陣は淡々と、どんな映像が撮影されているか、インタビューがとれているか、
テープを見ながら紙に書きおこしていきます。
編集をスムーズに進める為の大切なお仕事。
ちなみに私は次の日も出演があるために、ここでお役御免!
スタッフの皆さん、ごめんなさい・・・

W杯1日ドキュメントを纏めあげるディレクター&編集マンは、
ちょっと仮眠をとったのちスクランブルOAに向けVTRを繋ぐ作業に入ります。
テンポよく、面白く、湧き上がった関西の一日を見てもらう為に、
構成を何度も組み替えながらの編集が続きます・・・
こんな風にして6分のVTRがようやく完成!!
皆さんに、VTRを楽しんで頂ければそれが私たちの何よりの喜び♪
更にそこにスタッフの情熱を感じて貰えればもう万々歳でっす!!

さて、このニュースのうら側がHPにアップされている頃には、
私はドイツへ旅立っています。
グループリーグ第3戦 日本対ブラジル戦の0泊2日の強行観戦ツアー
に密着取材してきます。ドイツ滞在時間約10時間・・・・
それでも日本代表の活躍をこの目に焼き付けたい!!というサポーターの様子を、
それこそこの目に焼き付けてきます!!
次回は「弾丸ツアーのうら側」、ご紹介出来たらいいなと思っています。
では、行ってきま~す!!


2006年06月21日

サッカーの災難は再び・・・

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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何事もメンツが大事 - 中国の過剰警備

前回に引き続きサッカーの裏話です。
2004年の夏、『中国』で行われた『アジアカップ』で、本格的な
サッカーの試合を初めて見たわけですが、確かにスタンドで見る試合
はなかなか迫力のあるものでした。
そのほぼ一年後、サッカーといえば思い出す「不愉快な出来事」が
起こりました。
2005年5月、『山東省の済南』で行われた『アジアチャンピオンズ
リーグ』の予選です。
この年の『アジアチャンピオンズリーグ』は、そもそも放送権の関係
もあり、取材をする予定はありませんでした。
(サッカーに限らず、スポーツの取材は放送権を持つテレビ局以外は
いろいろな制限があるのです)
ところが、ちょうどその1か月ほど前から中国各地でいわゆる「反日
騒動」が起きていました。
一連の騒動がそろそろ収束へというタイミングで、『横浜F・マリノス』
と『中国の山東魯能』との試合が行われたのです。

中国側の警戒体制は、それは厳重なものでした。
もしここで中国側のサポーターがまた『アジアカップ』のときのよう
にブーイングを浴びせたり、日本の選手やサポーターに危害でも加え
たら、中国としてはそれこそ国際的な信用を失い、行儀の悪さを世界
中にさらけ出すことになってしまいます。
我々クルーの宿泊先のホテルでも、中国人スタッフと私の部屋は別の
フロアにされ、ドアの前には私が部屋にいる間はずっと警備員が立っ
ています。あまりにもうっとうしいので、「プライバシー侵害だ。そこ
に立つな」と申し入れても 「警察からの要請です」といってずっと
立っていました。お疲れ様。
取材許可証を申請し、発行されたものの、実際にテレビカメラで取材
ができるのは、権利の関係で会場の外回りのみ。
それでも記者としてはスタンドに入る方法を考えなければなりません。
チケットを買えばよいわけです。
ところが、正式な窓口に行くと、なんと「今回は一般発売なし」。
みっともないブーイングをしたり、暴れる可能性がある一般客を入れ
ないために、チケットの一般販売が急遽中止されていたのです。
しかし、ここは中国。何事も諦めてはいけません。会場の周りはダフ
屋がうろうろ。10元(約150円)のチケットを80元で簡単に入手
することができました。
会場周辺でうろうろしていると、次々にバスが到着し団体のお客さん
がスタンドへ入場していきます。「なんで団体ばっかりなの?」という
謎はすぐに解けました。
行儀の悪い一般客を入れないかわりに、職場単位で観客が動員されて
いたのです。
さすが中国、その辺の管理はきっちりしています。


日本人のサポーターも褒められたものじゃない

日本人の観客は、前回の『アジアカップ』と同様指定座席の番号にか
かわらず、一つのブロックに固めて入場させられることになりました。
さらに、ハプニングを報道されるのを心配してか、日本人記者の取材
は一切禁止。そんな理不尽なルールは一切無視して私も会場へ入ろう
としたところ・・本来は中国人の席に紛れ込もうと目論んでいたので
すが、チケットをもぎられる門のところでの持ち物検査で、ポケット
に入れていたティッシュを出したところ「ひょっとして、日本人?」。
なんでティッシュを持っているだけで、(トイレ一回分をくるくるっと
丸めていた)日本人だとばれたのか、未だに不明です。しかも、没収
されました。トイレに行きたくなったら誰が拭いてくれるの!!
(中国のトイレは紙持参が原則)
続いて、警察官が一人やってきて、日本人専用地区の入り口まで案内
してくれました。
「おまわりさんも大変ですねぇ」 「あなたたちの安全のためです」
(私らの安全を脅かしているのは中国人やん・・そっちを取り締まれ)
と心の中でぼやきつつ、日本人用のスタンド入り口へ。
ここでまた関所。入場者全員パスポートの提示を求められ、記者であ
ることがばれてしまいました。「記者は入れません」という警察に向か
って、私はポケットを全部ひっくり返し笑顔で応戦。
「身分は記者ですが、サッカーファンなんです。
きょうはメモもペンもカメラも持っていません。だから入れて♪」
現場にいた警察官は上司に相談に行き、しばらく待つとOKが出て
ようやく入ることができました。 

試合の結果は、2-1で『マリノス』が敗れました。
中国が負ければ暴動も・・という状況でものものしい警備態勢が敷か
れていたので、日本人のサポーターに感想を聞こうとしたところ・・
この試合で予選リーグ敗退が決まったマリノス。
落胆するマリノスファンのやりきれなさの矛先は突然私に向けられま
した。
「すいませんけど、ちょっと感想を・・・」と声をかけるや否や、
あちこちから罵声が飛んでくるのはまだいいとして、持っていたデジ
カメを叩き落とされたのです。商売道具が壊れました。
(この件は『マリノス』側にも報告し、チームの方から「謝罪と当事
者を突き止めます」との返答をいただきましたが、その後連絡はあり
ません)
これでは、中国人のサポーターのことばかり悪く言っていられません。
一部の心無い人たちの行動で、私にとってはサッカーそのものの印象
が非常によろしくないものになってしまいました。

2006年06月20日

自分の目で見た「政冷経熱」

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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上海は「経熱」のシンボル
『上海テレビ祭』に出席するために『上海』を訪れたのは、『APE
C』の取材以来ですから、5年ぶりです。
「上海は半年ごとにウォッチしなければならない」と言われています
が、5年ぶりに見た『上海』を一言で言うと、「もの凄い勢いで変わ
りつつある」ということになります。
町並みも大きく変わりました。超近代的なビルが建ち並び、そこには
ヨーロッパ・ブランドのショップが入っています。そして中国の青年
たちがカードで、ブランド品を買い求めていく姿には唖然としました。
街中を『ベンツ』を乗り回す若者も少なくはありません。
「経熱」で格差が広がり、アメリカに留学した経験を持つ「IT関連
の起業家」などの「勝ち組」が『上海』に集まっているのです。
かつて「万元戸」という言葉がはやりましたが、『上海』には「年収
が日本円に換算して1億円を超える帰郷か珍しくなくなった」と言い
ます。

「日本の企業の中国進出」は相変わらず盛んで、『上海』の在留邦人
は今や4万人を超え、短期滞在者を含めると6万~7万人に及ぶと見
られています。これは『ニューヨーク』『ロサンゼルス』に次ぐ世界
3番目ですが、数年後には世界1になりそうな勢いです。
また、「日中の経熱」は「貿易額」にも現れています。
04年には香港と合わせた「日中の貿易総額」が22兆2千億円を超
え、戦後初めてアメリカを上回り、最大の貿易相手国になりました。
そして、急成長が続く中国に目をつけているのは日本だけではありま
せん。自動車製造業ではアメリカやドイツの世界的企業が合弁会社を
作っています。
「中国の経熱」はまだまだ続きそうです。

「政冷」はポスト小泉の大きな課題
去年の4月、『中国』では「反日暴動」が相次ぎました。
『上海』でも『日本総領事館』が激しい投石を受けました。
その総領事館を見てきました。1年余りも経つのに、割れたガラスも
壁の汚れたペンキの痕もそのままです。
これは「日中の政冷」を示しています。
後始末について日中間で何度も話し合いがもたれましたが、損害賠償
を求める日本に対し、中国の答えは「もともとのデモの原因は日本に
あるから、直せない」の一点張りで、平行線をたどっています。
「歴史教科書問題」や「靖国参拝」、そして「ガス田開発」など日中
間にある大きな壁が埋まらない限り、「政冷」は続くのでしょうか。
そしてこの「政冷解消」が、ポスト小泉の大きな鍵になりそうです。
これまでの「日米同盟」か、「東アジア外交重視」か。そして「靖国
神社参拝の有無」も、総裁選の争点になります。
山崎拓氏と加藤紘一氏は「アジア外交重視」で福田支持を発言し、
津島、丹羽・古賀、伊吹、高村の4派閥も「アジア外交重視」で共同
歩調を確認しています。これも「政冷解消」の願いなのでしょう。
そして、「政冷解消」は中国側にもあるようです。
先週、胡錦涛国家主席が、「条件が整えば、日本を訪問してもよい」
という発言をしました。
2008年の『北京オリンピック』と10年の『上海万国博覧会』を
控える中国にとっても、「日中の政冷」は望ましいものではないので
しょう。
今回の上海出張は、私にとって『中国』を改めて考えるいい機会でも
ありました。

2006年06月19日

上海テレビ祭に出席

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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読売テレビが開いた日中テレビ界の交流
私は先週末から開かれている『上海テレビ祭』に出席しています。
『上海テレビ祭』は、「テレビに関する見本市」ともいえる催しで、
今年が12回目になります。
会場は『上海新博覧会場』で、「ドラマ・アニメ・ドキュメンタリー」
などソフトでは作品の出来を競い合い、優秀作品が表彰され、ハード
では様々な先進「放送機器」が展示・販売されます。
参加するのは、日本・韓国などのアジア諸国とアメリカ・ドイツなど
欧米を含めると30数カ国に及び、今では世界規模の見本市と評価さ
れています。

この『上海テレビ祭』が始まる以前の1984年に『読売テレビ』は
『上海電視台』との間で『日中友好協力協定』を結んでいます。
当時の中国は『文化大革命』の終末から数年たっていましたが、放送、
特にテレビがどうあるべきか模索していました。
そこに中国通でもあった故青山行雄本社社長が、「テレビ界での日中
友好を働きかけたのだのが始まりだと」といいます。
そして『上海』と『四川省』で「日中テレビ見本市」が隔年に開かれ
るようになり、アニメやドラマを披露・紹介・販売することになりま
した。一方で、つい最近まで、『上海電視台』との間で「ニュースの
素材の交換」が続いていました。
『中国』には「水を飲む者は、最初に井戸を掘った人を忘れるな」と
いう諺があります。田中角栄元総理が今でも『中国』で高く評価され
ているのがその典型ですが、「テレビ界」では『読売テレビ』がその
栄誉に浴しています。
私が今回急遽『上海テレビ祭』に出席したのもこういう歴史があった 
からです。
今回の『上海テレビ祭』のテーマは、世界各国が様々な形で登場させ
ている「地上波デジタルの在り方」と「モバイル通信の方向性」で、
この期間中に行われた『ニューメディアへの挑戦』というセミナーで
は、『日本テレビ』の久保伸太郎社長がコメンテーターを務めました。
特に「ワンセグ放送の未来」については、大きな関心を呼びました。

放送と通信の融合を先進
『上海』の「テレビ界」で、2つの点で驚きました。
1つは「テレビ局」の規模の大きさです。『上海電視台』のスタジオ
の広さは流地論のこと、放送機器も最先端のものを導入していました。
そして2つ目は、「放送と通信の融合」がすでに現実のものになって
いたことです。
日本では「放送と通信の融合」というと、ホリエモンの言葉で知られ
るようになりましたが、『上海』には『上海メディア&エンターテメ
ント・グループ=SMEG』という組織があって、映画・スポーツ・
ミュージックショーなどをも含む「放送とインターネットの融合」が
すでに現実のものになっています。
『北京』でも2002年から『北京国際テレビ祭』を行うようになり、
世界から注目されています。このままでは、日本のテレビ界は後れを
とることになりかねません。
13億人の視聴者を持つ中国が、「メディア網においても巨大なマー
ケットであること」を改めて感じています。

2006年06月16日

センスが問われる短文の世界

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


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 まさかまさかの3失点。サッカーのワールドカップドイツ大会、日本はオーストラリア
と対戦し、後半39分に同点ゴールを許すなど、終了間際の9分間で逆転負けという結果
に終わってしまいました。私自身、自宅でテレビ観戦しながら初戦突破を確信していただ
けに残念でならないのですが、その悔しさは別にして、この話題を少し「ニュースな目線」
で眺めてみたいと思います。翌日の朝刊がどう伝えたか、各紙の見出しを並べてみました。

日本初戦逆転負け 豪に後半3失点、中村先制実らず
勝利目前列島悲鳴 初陣イレブン痛恨 逆転・・・・放心、悔し涙
日本無念、豪に敗れる 乱れた交代のリズム
頼むぞ次こそ 踏ん張れ日本 スタンド悲鳴のちエール ここで終われない
日本黒星スタート 豪に1-3逆転負け 
青ざめる侍たち 「まさか」頭抱えるサポーター ジーコ監督「次こそ」
日本いきなり暗雲 悪夢の9分間連続被弾 守護神・川口、力尽きる
1次リーグ突破確率4% 負けられぬクロアチア戦

 と、ここまで見出しを集めてみると、試合結果を知らない人でも、いったい何が起きて、
どんな状況なのかがよくわかりますよね。結果を端的に伝え、なおかつキャッチフレーズ
的なメッセージも織り込んでいく・・・・短文で見出しを付けていくというのはなかなかにセ
ンスが問われるお仕事なのです。もちろん新聞だけではありません。テレビのニュースで
も、画面上に出すタイトルスーパーがこの見出しに当たります。ちなみに、読売テレビが
この日本敗退を伝えた際のタイトルは「ニッポン、トホホ・・・・」でした。
 このタイトルとは別に、自分たちの番組を宣伝する大切な機会として、新聞の「ラ・テ
欄」というのがあります。番組の中身と放送時間を網羅したあのタイムテーブルのことで
す。限られた文字数の中で放送内容を紹介し、「ぜひ見たい」と思ってもらえるようなアピ
ールを行なう・・・・これまた担当者のセンスが問われるのです。ちなみに、夕方ニュースで
しのぎを削る各局のある日の「ラ・テ欄」を横並びで見てみましょう。

A局・・・・「被災地に顔が見える援助を・・・・ジャワ島を支える人達▽本当?カジノが堺にその狙いは」
B局・・・・「冬は天国 夏は・・・・湯村温泉が仕掛けた大人の遊びとは▽難問犬検定」
C局・・・・「W杯関連地元声援▽大雨・前兆現象を早期避難にどう役立てる」
D局・・・・「集中豪雨が襲う・・・・その時どうする▽風神雷神」
E局・・・・「両手に指が4本しかない娘・・・・絶望から〝奇跡のピアニスト〟生んだ母子の絆」

 さて、皆さんはこの「ラ・テ欄」を見て、どの局にチャンネルを合わせてみようと思う
でしょうか。今、私の隣のデスクでは、スクランブルのチーフプロデューサーが、明日の
「ラ・テ欄」をどうしようかと頭を抱えているところです。


2006年06月15日

微罪報道について

辛坊 治郎辛坊 治郎
読売テレビ・報道局局次長兼解説委員


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メディア論基礎講座始めます。

このところ、日曜に放送している「そこまで言って委員会」などでも時たまメディア論に類する話題がテーマとして選ばれたり、インターネットの掲示板などでもその種の議論が花盛りのようですから、議論のための基礎知識にでもしていただければと、これから数回に分けて「メディア論基礎講座」をお届けいたします。
第一回は、「微罪の報道」です。あくまで一般論ですが、誰かが手鏡で階段を上っている女性の下着をのぞき見て、警察に連れて行かれたとします。さあ、どう報道すべきでしょうか?

中には、「この種の行為は微罪ではない。重大な性犯罪だ。」と主張する皆さんがいるのは承知していますが、やはりここは強姦や強制わいせつなどの重罪とは分けて考えるべきでしょう。「いや同罪だ」という人は、自分の中の価値観の体系を見直す必要があると、私は思います。もっとも、この重罪か微罪かというのは、普遍的な価値観に基づくものではありません。

かつて十三歳以上十八歳未満の女性と合意の上で性交渉を持つことは完全に合法でした。しかし二十年ほど前から、地方の自治体などで一定の条件の下でこの行為を禁じる条例が出来始め、今では国の法律で、むしろ一定の条件によるものを除いて違法行為とされています。今ではこれを「微罪」と考える人は少数派になり、時としてその罪を犯した人は、強制わいせつに準じるほどの社会的制裁を受けることも珍しくなくなりました。三十年前には完全に合法だった行為が、今や重大犯罪になっているのです。そういう意味では、殺人、強姦、窃盗など人類不変の重大犯罪とは別に、時代とともに、何が犯罪かの価値観は変化するということです。もしかすると将来、階段での下着覗きが、重罪として処罰される日が来ないとは限らないのですが、今はまあ、「微罪」でしょう。

微罪報道はどうあるべきか

さて、この「微罪」に対するメディアの基本的なスタンスは、「報道しない」という一点に尽きます。あなたや、あなたの家族の誰かが「手鏡」で捕まっても、それはニュースではありません。ただ、ある学校や会社で、数百人が組織的に一斉に行ったというような特殊なケースにおいては、ニュースになりえますが、それでも一人一人の「犯人」の顔や名前を出すことは無いと思います。情報の受け手が、会社や学校の名前などから、基本的な事実関係を検証できる報道がなされているという条件の下で、個人の名前自体に報道する必然性の無いケースと言えましょう。 
しかし、話はここからです。世の中には、たとえ微罪でも報道されてもやむをえないと考えられている人がいます。特に微罪報道に限った話ではないのですが、世の中には、一般の人々と違って、プライバシーを制限されている人というのが、ジャーナリズムの理論上存在するのです。そのような人々をまとめて「公人」と呼びます。「公人」とはなんでしょうか?手元に一冊の本があります。報道の世界でもっとも有名な顕彰制度はピューリッツァー賞ですが、これを主催するのが、コロンビア大学ジャーナリズムスクールです。手元にある本は、この大学の教科書です。ここから「公人」の定義を拾ってみましょう。

公人って何?

公人=Public Figures、公権力の行使者、有名人(悪名も含む)、継続する社会的関心事における当事者(重大犯罪の加害者および被害者など)
実は、この「公人」の範囲も、名誉毀損裁判における定義や、プライバシー侵害訴訟における定義など複数あって難しいのですが、一応ジャーナリズム論的に認知された公人の定義は以上の通りです。
この「公人」の定義に立ったときに、有名な経済学者は疑いも無く「公人」でしょう。さて、民放の入社三年目のアナウンサーはどうでしょうか?私はいささか微妙だと思います。私がニュースデスクで、他社で起きたこの事件を知りうる立場にあったなら、多分報道しないと思います。ただ、自社で起きた場合は別の論理が働きます。少なくとも、プライバシーを制限された人々についての事実を飯の種にしている以上、自らをより一層厳しく律する必要があると思うのです。「泣いて馬謖(ばしよく)を斬る」勇気が必要なケースでしょう。
まともなメディアは常に、国民の知る権利にとって何が重要な情報か、という一点に心を砕いて報道すべきです。どうぞ、情報の受け手の皆さんも、「何が伝えられるべき重要な情報か」について、いい智恵を貸して下さい。

2006年06月14日

大泉純子のニュースの裏側

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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サッカー観戦初体験

ワールドカップが開幕しました。
残念ながら、中国ではサッカーに関する良い思い出がありません。
もともとさほど熱心なサポーターでもなかったのですが・・・。
中国人のサッカー熱は相当なもの。
国内リーグはもちろん、中国中央テレビのスポーツチャンネルでは
世界トップクラスの試合も放送されています。
卓球、バスケットボールに並ぶ人気スポーツです。
ちなみに「ワールドカップ」は中国語で「世界杯」といいます。
そのままですね。

まずは2004年の「アジアカップ」。
『重慶』で行われた準々決勝の「日本vsヨルダン戦」で、いわゆる
反日行動がありました。
会場を埋めたのはほとんどが中国人のサポーターでした。
試合前の国家斉唱で誰が始めたのか、ブーイングの嵐。
会場にいた日本人や、日本選手団のバスにペットボトルが投げつけら
れるといった幼稚な行動がみられたのでした。
続いて準決勝は「バーレーン戦」で、山東省の『済南』というところ
でした。
『重慶』での出来事を受けて、ここからは日本人サポーターは一箇所
にまとまって観戦するという措置が取られました。
会場を埋めた客の9割は中国人で、しかも相手国を応援しているとい
う会場の雰囲気は異様ともいえるものでした。
準決勝は大きなアクシデントもなく終了。
そして『北京』で行われた決勝は、「日本vs中国」。
日本国内でもすでに「日中対決」で盛り上がりを見せており、本来の
目的である試合の行方以外に、妙な期待が高まっているようでした。
実際、『北京』の街中あちらこちらで「反日ムード」が盛り上がってい
るわけではなく、スタジアム周辺も静かとはいえないものの、まぁ通
常の範囲内・・・という印象でした。
会場内のスクリーンには「お行儀よく観戦しましょう」というスロー
ガン。中国の文明度を物語っています。
(このまま粛々と終わればいいなぁ・・・)という淡い期待をよそに、
国歌斉唱が始まるや否や会場割れんばかりのブーイング。
あまりのレベルの低さに、ニュースにするのもばかばかしいとすら思
いました。

試合終了15分ほど前に会場を抜け、夜のニュースの中継をするため
に北京の支局へ急いで戻りました。
この段階では、私が見た限りブーイング行為を除いては、特段騒動は
起きていなかったと判断・・・ということで、「アジアカップ決勝3-
1で中国を下し日本が優勝。危惧された反日行動も大したことはなく
粛々と行われた」という内容の中継をしたその直後・・『北京工人スタ
ジアム』の周辺ではまた騒動が起こっていたのです。
公式ゲストとして観戦していた日本大使館の公使の乗った車が襲撃さ
れてガラスが割れたほか、会場周辺では日本国旗が焼かれる騒ぎもあ
りました。あーあ・・・です。
「日本はかつて中国を侵略したから、その仕返しに何をしてもいい」
という理屈が通るわけはありません。
一連の反日運動の根底には一体何があるのでしょうか?とよく聞かれ
ますが、結局このときの中国人サポーターの行動が表しているように、
自分たちの思い通りに事が進まなかった腹いせに暴れているだけだと
私は考えています。常識のある人がすることではありません。
そう、中国にはまだまだ常識の通用しない人、(事柄)があるというこ
とです。
負けたのが悔しいなら攻められるべきは中国チームのはずですものね。

その後夜中になって、日本選手が宿泊しているホテルの周りで若者が
また暴れているという情報が入り、カメラマンとともに現場へ向かい
ました。
確かに、気勢をあげている人たちがいました。
「テレビ的においしい映像を撮ってやろう」ということで、わざと
群集の中へ入り、「日本人や!文句あるやつは言って来い!」と
言ってみたところ、悪がき共が襲い掛かってきました。
私たちとしては、「しめしめ」です。実際にカメラマンは殴られました。
そこでようやく傍観していた警察官が近づいてきて、「危ないから帰り
なさい」。
「それより、今殴ったやつを捕まえたらどう!!見ていたでしょう!」
「まあまあ、危ないからね・・・」 一事が万事、こんな調子です。

こんな調子で『北京オリンピック 』が開かれたら、「中国は全種目
金メダルを取らない」と『北京』のまちは暴徒で溢れかえるでしょう。
スポーツ観戦のマナー向上のため、いろいろ努力はされているようで
すが・・・。

2006年06月13日

麻垣康三郎か、第五の候補か

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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『ウエークアップぷらす』にポスト小泉候補が次々と登場

先日、入社間もない若い記者に「議員名簿に麻垣康三という議員が
見あたらないのですが」と聞かれました。
「麻垣康三」とは「ポスト小泉候補の麻生太郎・谷垣禎一・福田康夫・
安倍晋三のこと」と説明して大笑いになったのですが、地方に講演に
行くと「まだ麻垣康三が定着していない」ことを実感として感じてい
ます。
最近では、これに河野太郎氏を加えて「麻垣康三郎」と言ったりもし
ます。

我が『ウエークアップぷらす』では、麻生太郎氏に始まって安倍晋三
氏、河野太郎氏と、「ポスト小泉候補」の出演が続いています。
先々週の安倍さんは内政の充実について明るく能弁に語り、総裁選に
強い意志を感じましたし、先週の河野さんは政策論議による総裁選を
提案して、共に実のある出演となりました。
5人のうち河野さん以外はまだ正式には立候補を宣言していないの
ですが、それぞれの発言や動きが目立つようになってきました。
安倍さんの動きが早く、先日の『再チャレンジ支援議員連盟』という
「勝手連」の設立総会には94人の衆参議員が集まりました。
また、『知名立志の会』という50歳を過ぎて初当選した自民党有志
議員会は福田のさん応援母体になるのではないかといわれています。
「ポスト小泉の総裁選」で独走していたのは安倍さんで、世論調査で
も圧倒的な支持を集めていました。
それが選挙に強い小沢一郎氏が民主党代表に選ばれ、ベテランの福田
さんが対抗馬として台頭してきたのです。
まだ差はあるものの、その追い上げは激しく、他の候補は推薦人集め
に問題があるので、今や『安福対決』といわれ始めています。
しかし、安倍さんも福田さんも『森派』ですから、『森派』の一本化
も難航しそうです。さて、どうなるのでしょうか。


総裁選のキーワード 「ベテランの知恵」

今度の総裁選には,5つのキーワードがあります。
1. 日米同盟か、東アジア外交か
2. 靖国神社の参拝の有無
3. 財政支出の削減か、消費税の引き上げか
4. 小沢民主党と戦えるか
5. 世代交代か、ベテランの知恵か

こういう戦いは、今までになかったことです。
それぞれが明確な答えを示さなければなりません。
そして今、「ベテランの知恵」が特に話題になるようになりました。
ベテラン勢中心に福田支持への傾斜が見られるのですが、経済・財政
に強い与謝野薫氏や二階俊博氏を「第五の候補」として推す声が出て
きたのです。さらに額賀福志郎氏や山崎拓氏の声もあります。
総裁選が「麻垣康三郎or安福」vs「第五の候補」ということにも
なりそうです。
派閥の領袖の威力はなくなりましたが、派閥単位の会合は毎日のよう
に開かれています。
自民党には、「初めに手を挙げた候補が当選した例は少ない」という
ジンクスがあります。
「ポスト小泉選び」は、直前まで様々な動きを見せることになるので
しょう。

2006年06月12日

国会会期延長せず

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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重要法案の道筋は作った、後はポスト小泉に任せる

今国会も18日までとなりました。
当初10日から40日の会期延長があると見られていた今国会も
小泉総理の「通常国会の会期は延長しない」という決断で、会期終了
が決定しました。
重要法案山積の時だけに森前総理や青木自民党参議院議員会長、神崎
公明党代表などには不満があるようですが、よほどのことがない限り
「小泉総理最後の国会」は終わります。

これで『社会保険庁改革関連法案』や『教育基本法案』などは今国会
での成立を断念、継続審議となります。
また、「共謀罪」新設の『組織犯罪処罰法』も民主党との修正合意に
至る可能性は低く、「憲法改正手続き」を定める『国民投票法案』も
継続審議になるのでしょう。
小泉総理にすれば、「最大公約の郵政民営化を果たし、総理の任期は
5年を超え、就任期間も戦後3番目の長期になった。9月退陣も決定
している。重要法案の道筋は作ったのだから、後は“ポスト小泉”に
やって欲しい」と言うことになるのでしょう。
最近の小泉総理の言動を「燃え尽き症候群」という政治評論家もいる
ようです。小沢民主党代表との党首討論の後、小泉総理の発言に積極
的なものが少なくなったからです。
しかし、「日本の今後を決める法案をどたばたではなく、充分に審議
すべきだ」というのは、いかにも小泉さんらしいと私は思うのですが、
如何でしょうか。

最後は外交に足跡を残して

国会が終わると、小泉総理の日程は「外交」が中心になります。
6月下旬には「米国訪問」があり、人気が低迷するブッシュ大統領の
応援をする一方で、「日米関係」の強化を印象づけようとするものと
思われます。
7月中旬には、『ロシア・サンクトペテルブルグ』で開かれる「サミ
ット」に出席しますが、『シリア・パレスチナ・イスラエル』などの
『中東』経由になることが決まりました。
これは1月に予定されていた外遊ですが、シャロン・イスラエル首相
の急病で中止になったものです。
また『サンクトペテルブルグ・サミット』では、「原油高・テロ問題」
に加えて、「拉致問題」を正式議題に取り上げて貰うことを考えてい
るようです。
小泉総理にとって今度の外遊は、「外交にも強いことを訴える絶好の
機会だ」ともいえます。
そして、『永田町』では、[この外遊が終わると、日程を前倒しにして
退陣の発表があるかも知れない]という噂も流れています。
小泉さんの性格からすると、噂では終わらない可能性もあります。
今週から来週にかけて国会が終われば、「ポスト小泉=自民党総裁選」
に向けての動きが本格化することになります。
明日は「ポスト小泉」について語りたいと思っています。

2006年06月09日

小林薫被告に死刑を求刑

横須賀 ゆきの横須賀 ゆきの
読売テレビ放送 編成局アナウンス部・報道局


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「人を人形のように扱い人間性のかけらも無い。矯正は不可能」
一昨年11月、奈良で小学一年生だった女の子が誘拐され殺害された事件の
論告求刑公判で検察側は『死刑』を求刑しました。

小林被告は起訴事実を全面的に認めていますが、
弁護側は事件の背景には、不遇な生い立ちがあると主張。
量刑の判断材料となる「情状鑑定」が行われ、
反社会性の人格障害があることや、
子供に対する性的な関心が高いことなどが指摘されていました。
一年以上に及ぶ裁判の中で、
「早く死刑にして欲しい」
「こんな裁判は茶番だ」
「なぜ命が尊いのか分からない」
と明確な反省を表すことはなかった被告。
毎回傍聴に来ていた女の子の両親は、自ら法廷に立った意見陳述で、
「本当に反省していたら、軽々しく死刑にして欲しいと言えるはずがない」と、
極刑以上の刑を臨むと訴えていました。

午前10時頃、小林被告は上下グレーのスウェットにサンダル姿で入廷。
これまで被告人席に居る時は、目を閉じ余り身体を動かすこともありませんでしたが、
この日は手を組み替えたり髪の毛や頬に手をやったり座り直したりと
落ちつかない様子でした。
検察の論告求刑は1時間半にも及び、
その中で、犯行がいかに身勝手で卑劣であるか、その悪質性を強調。
また公判を通じて反省等の態度を見せないのは、自分の性格のゆがみを
不遇な生い立ちになすりつけているだけだとして、「矯正は到底不可能」。
そして「人間として基本的な倫理観に欠き、動機に酌量の余地は無い」と指摘。

「死刑を求刑します」
最後に、検察官の声が法廷に響き渡りました。
小林被告は、首を縦に数回ふり、口端に笑みを浮かべたように私の目には映りました。
一方で、女の子を奪われた父親は唇を噛み締め涙を堪えて前を見据え、
母親はメモを取り続けてきたノートで顔を覆い、肩を震わせていました。
その相反する姿になんともやりきれない苦しさで胸が締め付けられる思いです。
通常、被害者が一人の殺人などの場合、量刑は無期懲役か有期刑の最高刑が多い中での
異例の求刑。しかし今回、検察官が極刑の求刑に踏み切ったのは、事件の悪質性、
社会に与えた影響、遺族の厳しい処罰感情を考慮したからだと言えます。

時折、被告人に厳しい視線を送りながら、
「残虐、卑劣、自己中心的な犯行」「矯正不可能」「極刑を持って臨むしかない」と
何度も繰り返す検察官の姿を見聞きし、私は、検察側の強い意志を感じました。
『子供を狙う犯罪を絶対にゆるしてはならない』と。
この事件の後も広島、栃木、京都、滋賀、秋田等で幼い命が奪われる事件が相次いで
起こっています。
奈良地裁がどのような判断を下すのか。
判決が今後どのような影響を与えるのか。
弁護側の最終弁論を経て、判決は、早ければ今年の夏に言い渡される見通しです。

2006年06月07日

大泉純子のニュースの裏側

大泉 純子大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者

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上海のタクシー争奪戦

先月の末、休みを利用して再び『上海』に行ってきました。
特派員の任務を終えて帰国してからちょうど1か月が過ぎていました。
『中国』……特に『上海』は「3か月見ていないと何か変化がある」
とよく言われます。
「今回は一か月しか経ってへんしな~」と軽い気持ちでいたところ、
やはり変化がありました。
タクシーの初乗り運賃が10元から11元に値上がりしていたのです。
1元は約15円ですから、150円から165円になったというわけ
です。
些細なことだと思われるかもしれませんが、「やっぱり変わっていた」
と驚きました。
今回の値上げの理由は燃料代高騰のためだということです。

広くて地下鉄網がそれほど便利ではなく、バスに乗ったらいつ目的地
に着くかわからない……という『上海』では、タクシーは決して贅沢
な乗り物ではありません。
料金の安さもあって、近くてもすぐタクシーに乗ってしまう癖がつい
てしまいました。(日本で同じことをしているとお金がどんどんなくな
ってしまいますが……)
普段は街中に溢れているタクシーですが、週末の夜と雨の日はもう
大変!
上海も日本と同じように梅雨の時期があります。
雨の日の上海で必ずといっていいほど見られる光景をご紹介します。
最寄りのタクシー乗り場は閉幕間近の愛知万博のような長蛇の列。
並んでいてもタクシーは来ず、列は前に進みません。
約束の時間もあるので仕方なく目的地へ歩き出します。
どうも同じような境遇であろうとみられる人たちが、前にも後ろにも
います。
車が通りかかるたびに足を止め、ああ、これも乗っている……と再び
歩き出すことを繰り返しているうち、ついに空車が!!
気づいた人たちが一斉にタクシーを取り囲み、まさに地獄絵巻さなが
らの光景が繰り広げられます。
中国のタクシーは乗客がドアの開け閉めをするのですが、座席のドア
めがけて伸びる手を払いのける手、その手をさらに払いのける手……
うまい位置に付けて乗り込もうとする人を引っ張り、「私が先だ!」と
怒号が飛び交い、時には10人近い人が争奪戦を繰り広げます。
子供でも女性でも手加減なし。
そうして見事座席に乗り込むことに成功した人は、ありったけの力で
ドアを閉じて、タクシーは走り出すのです。
『中国・上海』では、自己主張できない人は負けます。

2006年06月06日

北朝鮮からの生中継に成功

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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拉致問題に触れて抑留も覚悟した

私が初めて『北朝鮮』に入ったのは、1991年8月、『日本ジャー
ナリスト訪朝団』の一員としてでした。
この訪朝中、私についた3人の案内人は、誘うと夜遅くまで酒に付き
合ってくれました。
私のこの訪朝の目的は、「自分の目で見る」「平壌からの生放送を実現
させる」「北朝鮮に人脈を作る」という3点でした。その意味でこの
3人との酒の席はなかなか友好かつ有効な時間だったと思うのです
が、一度だけ怖い思いをしたことがあります。
訪朝団の誰もが口にしなかった「拉致問題」に触れた時です。

「日本の公安当局には、大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫に日本
語を教えた李恩恵というのは拉致された日本人だと考えている者も
いるが」と質問すると、突然飲んでいた3人は席を立ち上がり、
「岩田先生ともあろう方が、南朝鮮の策謀に踊らされて,真に受ける
とは情けない。そういう者はいもしない。あんなのは全部でっち上げ
事件だ。拉致もあり得ない!」と激昂したのです。
その怒りの凄さに、「ここで逮捕され、しばらく抑留されるのではな
いか」と思ったほどです。しかし2時間ほどすると、私の説明に態度
を和らげ、「こんなことを言った人は、あなたが初めてですよ」と、
私を解放してくれました。
北朝鮮が「拉致」を初めて認めたのは、私が北朝鮮関係者とやり合っ
てからから11年後の2002年9月の「小泉訪朝」の時のことです。
またこの訪朝中に「よど号犯と会う」いうハプニングもありました。
私たちが泊まっていたホテルに彼らの事務所があったからです。
我々が読売テレビの人間と知って懐かしがる彼らに、我が連れて行っ
た若い記者は「よど号って何ですか」と聞きます……1970年3月
31日に起こった「よど号ハイジャック事件」を殆ど知らない若者の
出現に「私たちも北朝鮮での生活が長いですね」と彼らも苦笑してい
ました。
「訪朝団」として滞在したのは10日間……全てが用意されたものの
取材でしたが、これが「ピョンヤンからの生中継」を実現する大きな
動機となりました。

手探りのまま平壌に渡り生中継に挑戦

帰国してまず手掛けたのは「ピョンヤンからの生中継」の実現でした。
「ピョンヤンからの連続3日間生中継」は史上初めての試みです。
局内の了解を取り付け、『日本テレビ』の『ズームイン朝』での中継
が決まりました。しかし、何度手紙やテレックスを送っても『北朝鮮』
の放送局関係者からの返信は全くありませんでした。
出発前日になってようやく北朝鮮関係者と国際電話が通じ、「何とか
なりますよ」という言葉だけを頼りに、まず『北京』へ向かいました。
ところが『北京』の『北朝鮮大使館』には、ビザをはじめ全てが用意
されていていました。そして『ピョンヤン』に到着し、放送局に出向
くと、関係者が大勢出迎えていました。なんと彼らの手には私が半年
余りにわたって日本から送った手紙やテレックスが書類として山積
みされていたのです。
北朝鮮側は「朝日友好のためにも、我々も成功させたい」と歓迎の辞
を述べ、「3台の中継車の内、1台を貸与してくれる」ことを初めて
知らされました。
1992年4月、3日間連続の生中継は滞りなく終了しました。
しかし帰国するまで様々な監視の目が厳しくあり、「衛星放送の基地
局がどこにあるのか、日本にどのような経路で送られるのか」などの
基本的なことを知らされることはありませんでした。
ところで一番戸惑ったのは、2日目の夜に「友好の標として、金日成
バッジを贈りたい」と言われた時です。
貰うことに躊躇する一方、受け取らないと角が立ち、3日目の放送は
ないかも知れないのです。
今もそのバッジは私の机の引き出しの中に眠っていますが、もっとも
悩んだ場面でした。
2度の訪朝でお会いした人たちは、今どのようにしていらっしゃる
のでしょうか……思い出すことがあります。
日朝間には拉致をはじめ多くの難しい問題があります。
解決の糸口が早く見つかることを強く願わざるを得ません。

2006年06月05日

私が見た北朝鮮

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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建物の大きさが自慢

1989年6月4日未明の『六四天安門事件』を目撃取材した私は、
マニラ支局長を終え日本に帰国した後、「何とか北朝鮮に入れないか」
と思うようになりました。
当時『北朝鮮』とパイプがあるのは、朝鮮総連と社会党の一部の国会
議員など限られた人たちだけでした。
私はその細いパイプを使って人脈づくりを始めました。
その頃は90年9月に『北朝鮮』へ『金丸訪朝団』を送ったこともあ
って、日朝間に対話ムードが出始めていました。
そんな折、『北朝鮮』は「ソ連共産党の崩壊後の姿を見せよう」とい
う考えから、『日本ジャーナリスト訪朝団』を受け入れることになり
ました。
一行36人のうち、テレビは3社が参加し、『YTV』からは私とカメ
ラマンと若い報道記者の3人でした。

1991年8月、私たちは北京経由で『ピョンヤン』に到着しました。
まず驚いたのは、空港に迎えに来ていた車の多くが『ベンツ』だった
ことです。後で知ったのですが、これらの『ベンツ』の多くは在日朝
鮮人関係者からの贈り物なのだそうです。
そして私たちが滞在した『ピョンヤン』のホテルは45階建てツイン
タワーの『高麗ホテル』でした。ここは2度の小泉訪朝の時に会見が
行われたところでもあります。
食糧難と言われていたのに、肉も卵も豊富な食事が供されました。
次の日からいろいろな場所に案内されることになったのですが、街が
整然とし、政府関連の建物が大きなことに驚きました。
金日成の生誕60周年に建てられた『万寿台大記念碑』には,巨大な
金日成の銅像があり、『チュチェ思想塔』は石塔としては世界一高い
170メートルです。『凱旋門』では案内人が「パリよりも高い」と
自慢していました。
38度線=軍事境界線の北朝鮮側からの取材では、南北対立の緊張を
肌で感じました。
しかし、私が見たいのは北朝鮮の庶民の暮らしですし、聞きたいのは
働く人の言葉です。私はそういう機会を求めました。

全て答えが用意されていた

この訪朝中、私たちには3人の案内人=お目付役がいつも付いていま
した。私は北朝鮮とのパイプを広げるために、毎晩酒に誘いました。
場所は『高麗ホテル』3階のバーで、私は「ショーウィンドーみたい
な取材ばかりじゃ庶民の生活がわからない。もう少し一般的な取材を
させて欲しい」などと注文をつけました。
彼らが「わかった」と位牌してくれたのは、郊外の製鉄所のアパート
の5階の一室です。鍋も釜もきれいに磨き上げられていて、奥さんと
雑談をしていたら、目に入ってきたのは、ベランダに干してある乾燥
トウモロコシの山。「これは食料にして食べるのですか」と聞くと、
奥さんが何か答えようとしました。すると案内人が割って入って、
「これはブタのエサです」と説明。その時は「何で5階のベランダに
ブタがいるのか……」思ったのですが、帰国後聞き直して翻訳したら、
奥さんは「時々食べています」と答えていたのでした。
市場の取材でも、籠いっぱいに卵や肉・野菜を買った主婦が自慢顔で
見せてくれました。でも、「いくらですか」と聞くと答えられません。
これも案内人が入って、「我が国は配給制度ですから……」と大慌て
で答えてくれました。本当に肉や卵を食べていたのでしょうか。今で
も疑問です。
ところで、滞在中に私が実現したいと願ったのは「街頭インタビュー」
でした。「ピョンヤン市内でソ連共産党の崩壊についてどう思うかを
聞いて見たい」と思い続けていました。
それが許されたのは、日本に帰る前日の早朝でした。朝5時、カメラ
マンを連れて約束の場所に行くと、案内人は「北朝鮮では電力事情が
悪いので、日が昇ると人々は働き始めるのです。誰に聞いてもいいで
すよ」と余裕の表情です。
そこで、サラリーマン風、学生風。OL風と様々な人に聞いたのです
が、返ってくる答えはほぼ同じ次のようなものでした。
「あれはソ連がそういう学習が足りなかったから、ああいう間違った
方向に行ったので、我々は偉大な金日成主席のもとにあるので問題は
ない。我が朝鮮式社会主義においては誤謬がない」との答えが殆どで
した。
当時「こういうインタビューの相手は仕組まれた人々だ」と言われて
いましたが、今思うと私が聞いた人々も用意されたエキストラだった
のかも知れません。

2006年06月02日

最後のニュース勤務

坂 泰知のプロフィール坂 泰知
読売テレビ放送報道局解説委員


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 私事で恐縮ですが、この6月1日をもって人事異動となりました。
「編成局アナウンス部兼報道局」という肩書きから「報道局解説委員」
に変わったのです。「ニューススクランブル」のキャスターは引き続き
担当することになりますので、表向きは何も変わらないのですが、
端的に言いますと、入社して18年間掲げてきた「アナウンサー」の
看板を下ろすことになったわけです。我がアナウンス部では、異動や
退職によってアナウンサーを引退することになった際、最後のニュー
ス勤務を皆で見送るという古き伝統があります。私の場合、喋る仕事
から足を洗うわけではないので微妙なところなのですが、やはり、 
「ケジメをつける意味で最後のニュースを」という業務命令を受けま
した。若手の後輩たちが進言してくれて実現した最後の舞台。それは、
5月31日の昼ニュースでした。

 「坂さんって、緊張することあるんですか?」「とちったりすること
も少ないし、実はサイボーグなんじゃないですか?」・・・・そんな罵詈
雑言(?)を浴びてきた18年。確かに私は緊張が表に出にくいタイ
プのようです。ただ、内心ではもちろん緊張していますし、手に汗か
くことだって度々です。足がガクガク震えそうな感覚に襲われること
もあります。要するに〝格好つけたがり〟の私は、それを表に出さな
いようコントロールしてきたわけです。素の自分というか、無様な
格好はなるべく見せないようにという自制とでも言いましょうか。
ところが、ところが・・・・最後のニュースは、柄にもなく超緊張の4分
20秒でした。息が上がって声が出ないのです。しかも、原稿を持つ
手が震えている・・・・それを自覚すればするほど、いつものコントロー
ルは全く通用しなくなりました。そりゃ、そうでしょう。私の周りに
はアナウンス部の同僚たちはもちろんのこと、報道局のスタッフが
大勢集まって見守っています。最後のニュースを読む私を撮影しよう
と、カメラマンまで出動しています。デビューの時より緊張しまくっ
たニュース勤務。最後の最後で、私がサイボーグではないことを示し
得たというのは何とも皮肉な話ではあります。(笑)

 最後のニュースが終わっても、その日の夕方にはスクランブルに
出演しているわけで、特別な感慨なんてないんだろうなと思っていま
したが、これもまた大きな見込み違いでした。アナウンス部と報道局
から素敵な花束をプレゼントしていただき、シャンパンで乾杯。   
記念写真も次々と・・・・そうこうしている内に、既に定年を迎えている
かつての上司からも労いの電話がかかってきます。そして、結婚で
退職し、今は幸せな生活を送っている後輩の元女子アナや同期入社で
苦楽を共にしてきた元同僚アナからも温かいメールが・・・・。自分が
刻んできた18年という歳月を改めて噛み締めなおす一時となりまし
た。今はただ、「ありがとうございました」という言葉に尽きる思いで
す。その純粋な気持ちを大切にしつつ、更なる研鑽を積んでいきたい
と思っていますので、どうぞ皆さん、引き続きご愛顧のほど、    
よろしくお願い申し上げます。


2006年06月01日

「スクランブルの裏側」

横須賀 ゆきの横須賀 ゆきの
読売テレビ放送 編成局アナウンス部・報道局


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毎週月~金の夕方6時16分~放送の「ニューススクランブル」
その裏では、ディレクターや記者、技術スタッフ等が日々格闘!
約150人がスクランブルに携わっています。
みんなの汗と情熱とたまに涙を注ぐニュースが44分の放送に凝縮されているわけです。
そんなスクランブルのある一日を追いましょう!

 9時半、朝の立会い。ニュースは刻々と動きます。
その時点での進捗状況をデスクがスタッフにマイクで説明。
この時間には既に取材に出ている記者やディレクターがたくさんいます。
立会いが終わると、情報収集の為、新聞5紙+地方紙に
目を通します。お昼のニュース担当や取材、裁判の傍聴がある時はオンエア終わり。
これを先送りにすると、新聞があっという間に 堆く積まれていくことに・・・・・

 お昼のニュース終わりで、再び立会い。
この頃には、本日のスクランブルのラインナップが固まってきます。
大型モニターやフリップを使っての解説の打ち合わせをし、
「より分かりやすく」をモットーに、各々のニュースについて
過去の原稿や資料をひっぱり出しての猛勉強のお時間です。

 3時半、メイク入り。
TVで他のチャンネルを見ていると、結構勉強になるのですが、
雑談に花を咲かせることもしばしば(笑)

 4時。ここからは嵐のように時間が過ぎ去っていきます。
取り上げるニュースについて取材に行った記者やディレクターと
どう伝えるか相談しり、ナレーションを録音したり、
VTRが終わった後のスタジオでの受けのコメントを考えたり・・・

 気がつけば、6時を回ってる・・・・
ここで!スクランブル本日の項目最終確認のお時間。
(スタッフ間では、「確認ジャー!!の時間」と言われています)
そして・・・6時16分!番組スタート!!
なんといってもニュース番組なので、原稿が揃っていなかったり、
VTRがまだ出来上がっていなかったりするので、
番組中の項目入れ替えや飛び込みのニュース挿入は当たり前です。
心臓バクバク!汗びっしょり!!ということが多々ありますが、
何事もないような顔をしてカメラの前に座っています(つもりです)。
VTR中はそのニュースについて真剣に議論していることも
あれば、別の話に展開していったり、楽しい話題の時は冗談も言い
合ったりします。

この日は「バナナが今ブーム!!」という新鮮組(毎週金曜日の
コーナー)の特集について話が盛り上がったのを記憶しています。
「そんなバナナ!」という駄洒落をVTRへのふりでコメントした
私について、坂キャスターの執拗なつっこみが・・・・(笑)
でも日頃、坂キャスターには、ニュースの捉え方についてのご指導を
よく頂いています!。

ちなみに、新鮮組に小道具として登場している「マグカップ」。
ADさんが毎回、温かい紅茶を入れてくれているんです。
紅茶好きな私にとって本当に嬉しい限り!!
ほっと一息つける癒しの時間♪ありがとうございまーす!
最後に、今一度気を引き締めてニュースを何本かお伝えして、エンディング。

 オンエア終わりは夜の立会い&反省会。
その後、会議等がなければ一日のお仕事終了!
こんな日々を月―金まで送っているため、あっという間に1月、
3ヶ月、半年、一年と過ぎ去っていくんです。ついこの前お正月
だと思ったのに、今年ももう半年経ってしまう・・・
今の私にとって一番の課題は「限られた時間をどう上手に使っていくか」
というところでしょうか。
なにはともあれ、大好きな仕事ですから、止まることなく走り続けて
いくのみです!
スクランブルが出来るまでは、「テレビの門」のコーナーに更に詳し
く書いてありますので、そちらも見てくださいね!

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