政治記者の取材余話(1)
岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)
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かつては番記者が入門だった
よく「岩田さんは、どうやって取材するのですか」とか、
「岩田さんも番記者なのですか」と聞かれることがあります。
「政治記者=番記者」ということはかなり知れ渡っているようです。
確かに「政治記者の始まりが番記者だった」という先輩が多数いらっ
しゃいます。
少し番記者の話をしましょう。
かつて新聞社やテレビ局の新人記者は研修期間が終わると、先ず派閥
の担当として配属されました。当時は、田中派・福田派・大平派など
いくつもの派閥がありました。
新人は派閥の領袖の事務所や自宅に日参し、朝から晩まで張り付いて
取材し続けます。深く入り込んだ記者の中には、下足番から電話番、
庭の掃除やお茶汲みまであらゆる雑用を手掛けたようです。
そして、その日常活動が認められると、領袖から少しずつ声を掛けら
れるようになります。これでようやく入門です。
これがうまくできない者は、担当を変えられるケースもありました。
また、ようやく番記者になれても、記事を書けるようになるのはまだ
まだです。各派閥には力のあるベテランの番記者がいて、若い記者が
頭角を現すまでには長い道のりが必要でした。
そしてベテラン記者は、個人的にも心情的にも領袖の考え方と同調し
ていて、派閥の講演会で応援演説をした豪傑もいました。
また、領袖の自宅の寝室の電話番号から私用車の番号にも通じ、領袖
のプライベートまで把握していました。
ベテラン記者は領袖と一心同体で、領袖のことを悪く言う人はいませ
んし、派閥に批判的な記事は余り書くこともありません。もし、批判
をすれば遠ざけられたからです。
そして番記者から新聞社の幹部に出世した人も少なくありません。
このように番記者は花形だったのです。
番記者全盛の時代ではなくなった
私が東京駐在になったのは、自民党が分裂し、衆議院選挙で自民過半
数割れ、細川内閣誕生直後の1993年で、44歳の時でした。
すぐ国会記者クラブのメンバーになりましたが、番記者を勤めたこと
のない私は政界不案内で、日本テレビ政治部OBの先輩に有力政治家
を紹介して貰う日々が続きました。小泉さんもそのお一人でした。
そして私は「一度お会いした人との交流を大事にする」というモット
ーで脈づくりに努め、情報取材網を広げてきました。
時にスクープをものにできるのも、この情報網があるからです。
私が幸運なのは、取材の流れが東京に駐在した頃から変わり始めたこ
とです。
それまで政治関連の取材は新聞が中心だったのですが,自民党の分裂
で派閥の領袖の存在感・発言力が弱ってきて、番記者の独擅場が崩れ
始めました。
また、『ウェークアップ!』など「テレビの報道番組」に関心を持つ
政治家が増えてきました。小泉さんが3回の総裁選の度に『ウェーク
アップ!』に出演したように、政治家の多くが自分の言葉で視聴者に
語り掛けるようになったのです。
かつては「テレビはどうも……」と言っていた政治家までが、進んで
出演してくれています。
『ウェークアップ!プラス』は、ますます存在感を示すようになりま
した。
今でも番記者がいなくなったわけではありませんが、小泉総理が自民
党の派閥をぶっ潰したことによって、「番記者全盛の時代ではなくな
った」といえそうです。
明日はスクープの話をしようと思います。






