大泉純子のニュースの裏側
大泉 純子
読売テレビ放送 報道局 報道部記者
その後の天安門広場
64(ろくじゅうよんではなく、ろくよんと読んでください。ゲーム
機ではありません)
これを見て、ピンとくるものがある方は、少なからず『中国』に関心
があるはずです。
1989年6月4日。
岩田解説委員が現場で命がけの取材をしていた当時、大学で中国語を
勉強していた私はクラスメートと共にたいそう心を痛めたものでした。
この年の春休みを利用して1か月ほど、上海に中国語の研修に行って
いました。
帰国した数日後、89年4月15日に胡耀邦氏が死去し、『血の日曜日』
へとなだれ込んでいきます。
中国を学んでいる私たちは「何もせずにはいられない」と学内で署名
活動をし、「いかなる武力行使にも反対する!」と中国領事館宛に抗議
文を郵送しました。
『これからビザを出してもらえなくなるかもしれない……』などと
不安になったりもしました。
今になって思えば、「ちゃんと受け取ってもらえたかも怪しいなぁ」と
思います。
その後、私が『天安門広場』を訪れたのは13年後。2002年の夏
でした。
44万平方メートル(甲子園球場30個分)という世界最大級の広場
は、とにかく広い。
その大きさは、中華人民共和国の国家権力を象徴しています。
普段は国内外の観光客が一度は訪れる名所となっていて、“建国の父”
毛沢東の肖像画をバックに記念写真を撮り、地元の人たちはのどかに
凧揚げを楽しんでいました。
ここに、中国各地から民主化を求める学生が終結し、武力制圧が行わ
れたという血なまぐさい面影を感じることはありません。
とはいえ、広場には武装警察が立ち、監視の目を光らせています。
4年間の特派員生活のなかで、何度となく『天安門広場』を訪れる機
会がありましたが、本来は市民の憩いの場であるはずなのに、私自身
はなぜか常に必要以上に緊張していました。
それは、テレビカメラを携えてうろうろしていると呼び止められ、
撮影を始めると取り押さえられることもあるからです。
街中で取材をする場合、首都であるからか、『上海』よりも『北京』の
ほうが圧倒的に規制が厳しいというのが実感です。
『天安門広場』は、さきほど国家権力の象徴と申し上げましたが、
単に風景だけであっても
勝手に撮影することは許されません。
ここでは「ヒットアンドアウェー」を決行しようにも、すぐに見つ
かってしまうのです。
特に外国のメディアに対しては異様なほどの過剰反応を示され、「何も
悪いことしてへんのに、ちょっとくらい撮影させてぇな……」と思う
ことがしばしばありました。
17年前に比べて、中国は情報伝達が圧倒的に速くなりました。
当時の民主化運動のリーダーたちの一部は、今アメリカでIT関係の
仕事をしているそうです。
そのうちの一人が、あるインタビューで話していました。
「当時は、私たちの思いを政府に伝える術がなかった。現在のように
インターネットが発達していれば、あのように悲惨な結果にはならな
かったのではないでしょうか」……と。










