19年4月26日(金)「#4317 感謝」

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  最後のブログを書く日がこんなに早く来るとは、正直思ってもみなかった。4367回を超えたかったが、あと50回まで来て卒業となった。大好きなイチローの日米通算安打数4367を超えたかった。出来れば5000回の大台にも達したかったのだが、この辺りで卒業するというのも私らしくていいのかも知れない。

  解説委員になったその日から書き始めて、12年間にわたって一日も休まずに書き続けて来た。こんなに長く続くとは思ってもみなかった。解説委員になって政治や行政の取材をするために東京に出て来た時に、ある民放の大先輩の方から「解説は10年やって一人前だから」とアドバイスをいただいた時に、「10年か、長いなあ」と思ったのを昨日のことの様に思い出す。12年間、解説委員を務めて、何とか自分なりの解説が出来るようになって来たかなと思っていたら、卒業となった。今だから言うが、解説委員になることを打診された時には断り続けた私だが、今後も出来る限りずっとこの仕事を続けて行こうかなと思っていたのだ。しかし、思ってもみなかった新しい仕事へのお誘いをいただき、迷うことはなかった。

  これも御縁だと思う。お誘いをいただいた方と出逢うべきタイミングで出逢い、こうなることが運命だったのだと思う。お話をいただいた時に、その場で即断即決だった。自分でも何か不思議な感じだった。最後の出演となったミヤネ屋でも司会の宮根さんから「不安はないのですか?」と聞かれたが、新しい仕事への不安は全くない。私を育ててくれた大好きな野球への恩返しが出来ると思うと、ワクワクした気持ちでいっぱいである。

  読売テレビでの34年間は本当に幸せだった。仕事に行きたくないと思ったことは、一度も無い。こんな恵まれた会社人生は、なかなか無いと思う。良い会社に入れて、私は恵まれていたと思う。

  編集マンに始まって、報道記者、海外特派員、チーフプロデューサー、報道部長、解説委員長と34年間ずっと報道局一筋だった。報道という仕事を通して、少しでも世の中が良くなって皆が幸せになればという志を持ってやって来た。こんなにやりがいのある仕事は他に無いのではないか。

  それぞれのポジションの時に支え、励まし、導いてくださった先輩、同僚、後輩の方々のお陰で何とか34年間やってこられたのだと思う。本当に有難うございました。そして、様々な現場で出逢い、取材をさせていただいた皆様のお陰で、ジャーナリストとしての34年間を走り続けることが出来た。感謝の気持ちでいっぱいだ。また、長年応援してくださった視聴者の皆様の支えがあったからこそ、私のテレビ報道人生も無事終えることが出来た。皆さま、本当に有難うございました。

  そして、今回の私の突然の決断を理解してくれて来春からアメリカにも付いて来てくれる妻には心から有難うと言いたい。妻の支えがあったからこそ、34年間家族のことを心配することも無く仕事に専念できた。こんな父親を理解してくれて付いて来てくれている子供達にも感謝している。家族があってこその私である。これからも、よろしくね。

  今後は、巨人軍編成本部次長兼国際部長として、ジャイアンツの為、野球界の為、日米の野球の懸け橋になるべく、今までと同じように常に前を向いて御縁を大切にして走り続けます。また、何処かでお会いした時には、お声を掛けていただければ嬉しいです。

  これまでブログを読んでいただき、有難うございました。そして34年間、本当にお世話になりました。新しい世界でも常に前向きに行きます。球場が、練習場が、待っています。楽しみです。有難うございました。

19年4月25日(木)「#4316 御縁」

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「凄いなあ」、「カッコいい」、「羨ましい」などと恥ずかしくなる様なお言葉をいただく。こんなに褒めて貰えるのは、社会人生活34年間で初めてである。 今回の転身について、会社の後輩達がとても前向きに評価してくれている事が、何よりも嬉しい。記者出身の解説委員として、多くの後輩記者達が解説委員を目指しているという話を聞く度に、少しは皆さんのお役に立てたかなと思う。私の様な者でも何とかこの難しい仕事が出来たとすれば、それは番組の司会者、共演者の方々、番組スタッフ、そして一緒に長年取材現場を走り回ってきた記者やカメラマン、編集マンの皆さんの支えのお陰である。 そしてもちろん、これまで現場で取材に応じてくださった多くの方々や、番組を観て応援してくださった視聴者の皆様が居たからこそ、何とかやって来られたのだと思う。 そういう仕事で出会った皆さんとの御縁を強く感じる。御縁とは、出会うべくして出会うものだと思っている。編集マンとして教育してくださった先輩、そして海外特派員や報道記者を目指すべく背中を見せてくれた先輩、海外で出会った各国の人々、管理職の私を支えてくれた皆さん、解説委員として鍛えてくださった社内外の多くの方々。皆さんとの御縁があったからこそ、今の私があると思っている。 何だかしんみりとした話になってきたなあ。突然会社を離れて新天地に向かうことになったのだから、少しぐらい感傷的になるのも仕方がないか。 このブログをずっと読んでくださっている読者の方々は、この改行の無さや字体の変化で、今日も移動中に携帯電話でこのブログを書いていることはお分かりだろう。今日もミヤネ屋終わりでスタジオを飛び出して、新幹線で東京に向かっている。 「今日も勉強会で東京へ行く」と知らせると、「もう、勉強会行かんでもええんちゃうの?」という声も聞こえて来たが、長年本当にお世話になって色々と教えていただいたジャーナリストの先輩方への挨拶をちゃんとしたいのだ。これも御縁である。 さて、新しい仕事ではどんな御縁が生まれるのだろうか。今からワクワクしている。不思議と不安は何一つ無い。この歳になって、こんな気持ちを持てるなんて、何と幸せなことだろう。これからも御縁を大切に。

19年4月24日(水)「#4315 手続き」

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  今日も朝から挨拶回り。地元の新聞社の方々とは、本当に長い付き合いでとてもお世話になった。古い話で恐縮だが、今から半世紀ほど前に警察や検察、裁判所などの記者クラブを担当し、現場の記者として夜討ち朝駆けをやっていた頃からのお付き合いである。ほぼ同じ世代から少し上の先輩方まで、同じようなキャリアを重ねてきて、その時々の役職でお世話になって来た。こういう方々が、ずっと支えて来てくださったのだ。有難いことである。

  大阪の本社に出社する前に、せっかく近くまで来たので、34年前に私が入社した頃に読売テレビの本社だった場所を何年か振りに訪ねた。今は駐車場になっており当時の面影はない。その駐車場に立って、入社当時のことを思い出していた。私のテレビ局でのキャリアは、この地から始まったのだ。

  今日は番組出演日ではないのだが、出社して退社に向けての様々な手続きを行った。初めてのことなので(当たり前か!)、しっかりと説明を聞いて次々と出される書類にサインしたり印鑑を押したりした。本当に会社を卒業するのだと、少しだけ実感が湧いてきた。人事部や働き方改革推進部など、現場で働く我々をしっかりと支えて下さる皆さんがいて、私たちも安心して番組作りが出来ることをあらためて実感した。お世話になりました。

  明日からは、いよいよ最後の番組出演となる二日間が始まる。その前に明日もお世話になった方々への挨拶回りをして、番組出演後には飛び出して東京へ向かい、これも最後となる勉強会に出席して、長年ご一緒させていただいた皆様にご挨拶する。最後まで忙しく動き回るが、これも私らしくていいかなと思っている。

19年4月23日(火)「#4314 東京最終日」

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新幹線がいま、名古屋駅を出発した。朝から東京支社で机の片付け。昨日のうちに終えたかったが、34年間の資料は少なくない。だが、感謝の気持ちを持って殆ど捨てた。中には入社して新人の頃からつけていた編集マン日誌や記者時代の取材メモなどもあったが、一度も見返したことが無かったので、思い切ってサヨナラした。取材やリポートのマニュアルや勉強会の資料など、後輩の人達に渡したら参考になるかも知れないものもあったが、全て捨てた。古い資料を読んでも勉強にならないだろう。新しい仕事を始めるにあたって、身軽になろうと考えて思い切って荷物を整理した。 机やロッカーの整理を終えて、東京支社の部長会で皆様に退社のご挨拶をして、私の読売テレビ東京支社での生活は終わった。 午後からは、解説委員になってからの12年間、毎週お世話になったメディア勉強会に出席して、皆様にご挨拶した。その後、メディア団体や国会周辺での挨拶周りを終えて新幹線に飛び乗った。大阪と東京を毎週往復する生活も12年間続いたが、間も無く終わりを迎えようとしている。 読売テレビでの勤務もあと3日。平成と共に終わろうとしている。

19年4月22日(月)「#4313 コメント」

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  今回の巨人軍への転籍について、多くの知人、友人からご連絡をいただいているが、皆様を驚かせて、たいへん恐縮している。突然のお知らせだったにも関わらず、皆様から温かいお言葉をいただき有難うございます。

  このブログのコメント欄にも、読者の方々から嬉しいコメントをいただいたのでご紹介する。

  『拝見しましたよ!ご苦労様でした。阪神ファンとしてはちょっとあの帽子にイラッとしましたが・・(笑)残り二回の番組出演を楽しみにしております。第二のインターナショナルな人生のスタートですね?益々のご活躍祈っております!』

  ジャイアンツのキャップは、やっぱり皆様を驚かせたようだ。タイガースファンの友人たちからは、複雑な思いの反応もいただいている。『第二のインターナショナルな人生』とのお言葉。特派員として赴任したロサンゼルスから帰国して18年。およそ20年ぶりのアメリカ生活が楽しみである。

  もう一つ、いただいたコメントをご紹介する。『春川さん 昨日の朝、ネットニュースを見てびっくりしました!仕事が休みだったのでミヤネ屋も拝見し本当なんだ、と。生まれた時からジャイアンツファンなので、とっても嬉しいです!笑 仕事を通して好きなことに携わることが出来るとは幸せなことなのでしょうね。これまで培われたジャーナリストとしての経験、人脈、そしてご自身の野球経験とメジャーリーグ。フルにご活用されることと思います。長く務めた職を離れるご決断には勇気も必要だったかと思いますが、半分ぐらいはワクワクされているかもしれませんね。おめでとうございます。』

  『長く務めた職を離れるご決断には勇気も必要だったかと思います』というお話は、他にも何人かの方々からも聞かれたが、これに関しては迷いは無かったのが自分でも不思議だ。半分どころか、新しい仕事に向けてとてもワクワクしている。

  「『おめでとうございます』でいいんですよね?」とも時々聞かれる。もちろん、自ら決断して大好きな世界に踏み込むので、「おめでとう」と言われると嬉しい。皆様にそう言っていただけて、幸せである。

19年4月21日(日)「#4312 名刺」

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  簡単に考えていたが、甘かった。丸一日頑張れば何とかなるという位に思っていたが、かなり手強い。仕事が変わることになったので、この機会にこれまでいただいた名刺を整理しているのだが、悪戦苦闘している。

  読売テレビに入社して34年。入社直後に参加した系列局の合同新入社員研修で交換した同期の人達の名刺に始まり、4年間過ごした海外でのものも含めて多くの名刺が全て手元にある。ざっと数えたところ、その数なんと1万7千枚強。よくまあ、こんな多くの方々が名刺を下さったと思う。

  この大量の名刺を全て新しい職場に持って行く訳には行かないので、先日から整理を始めたのだ。最初は簡単に考えていた。転籍の挨拶状を出すために必要な名刺を取り出せばいいと思っていたのだが、その為には1万7千枚全てに目を通さなければならないことが分かった。しかも、パッと見ただけでは判断出来ない名刺も多い。結局、丁寧に一枚一枚見ていくしかないのだ。

  大した仕事も出来ない私が、この厳しい報道の世界で34年間、何とかやってこられたとしたら、支えて下さった多くの皆様のお陰である。その人脈、人との繋がりが最も大切な財産である。その繋がりの証でもある名刺を、大切に扱わなければならない。

  近道はない。今後の為にも、一枚一枚感謝の気持ちを持ちながら、名刺の整理をして行こう。有難うございます。

19年4月20日(土)「#4311 反響」

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  今朝、新聞を読んでいて「エー」と、思わず声を上げてしまった。スポーツ欄に私が読売巨人軍に転籍するとの記事が掲載されているのを見つけて、驚いてしまったのだ。まさか、一般紙に記事が出ているとは思ってもみなかった。

  スポーツ新聞にも記事が出ているのではないかとコンビニに買いに行こうかと思ったが、自分で買いに行くのは流石に少々恥ずかしかったので、妻にお願いして買いに行ってもらった。

  あるスポーツ新聞には、大きな見出しでしかも顔写真入りで私の記事が出ているのを見つけてまたまた声を上げてしまった。30年以上、ニュースの世界で働き記事を書いたりリポートしたりしてきたが、自分自身が記事になるのは初めての経験だ。いや、正確に言えば初めてではない。一昨年の春に初めての著書を出版した時に、スポーツ紙各紙に取材していただき記事が掲載されたことがある。それに加えて、エンゼルスの大谷がメジャーリーグでデビューした時に観戦記を書かせて貰った。いずれにしても、紙面に自分の名前や顔が出るのは恥ずかしい。ましてや、大きな見出しを見ると驚かずにはいられない。

  昨夜から今日にかけて、多くの友人や知人から電話やメールをいただいた。突然の発表で、皆さんをたいへん驚かせてしまったのは間違いない。温かい励ましの言葉をいただき、感謝の気持ちでいっぱいである。自分の決断の重みを、あらためて実感している。

19年4月19日(金)「#4310 日米の懸け橋」

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  今日の「ミヤネ屋」でお伝えさせていただいた通り、今月末で読売テレビもミヤネ屋も卒業し、5月1日から読売巨人軍編成本部次長兼国際部長に就任することになった。

現在やらせていただいている解説委員という仕事は、とてもやりがいがあり、大好きな仕事だ。今後もこの仕事を続けていけたらと思っていたのだが、今回この様な有難い新しいポジションへのお誘いをいただき、大好きな野球の世界に踏み出すことを決断した。

巨人軍では、ニューヨークを拠点に外国人選手の海外スカウティングの責任者としてアメリカ、中南米、韓国、台湾などを飛び回ると共に、アメリカのMLB(メジャーリーグ機構)やパートナー契約を結んでいるヤンキースをはじめMLBの全30球団との連携強化を担当することになる。野球界の発展のために、日米の野球の懸け橋になるとの決意だ。

今日の「ミヤネ屋」の中で今回の人事を公表する際に、ジャイアンツのキャップをかぶらせていただいた。実は番組放送前の打ち合わせではそんな話は全く無く、直前のCMの際に若いAD(アシスタント・ディレクター)が私のところに「この帽子をかぶってください」と持って来たので驚き、「何も聞いてないよー」と最初は抵抗した。しかしADさんの困った泣きそうな顔を見てキャップをかぶることに決めた。デスクやディレクターにやられた。打ち合わせで事前に言うと私が嫌がるのが分かっていたので、直前まで伏せていたのだろう。ミヤネ屋、恐るべし。

今日でミヤネ屋を卒業すると思われた方もいらっしゃるようだが、来週の木曜日と金曜日も予定通り出演するので、何卒よろしくお願いします。

19年4月18日(木)「#4309 姪っ子」

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  子供が大好きだ。小さい子供たちが元気に走り回っているのを見ると、こちらまで何だか幸せな気持ちになる。遠い昔のまだ独身の頃、姉が結婚して3人の男の子のお母さんになった。初めてできた甥っ子は可愛かった。私の両親にとっても初孫だったので、皆に可愛がられて育った。3人の甥っ子の面倒をよくみた。時にはオムツも換えた。甥っ子でこんなに可愛かったら、自分の子供ができたらどんなに愛おしいのかと思った。そして自分の子供が出来たら、その通り可愛かった。

  その後、妻の兄夫婦に娘が生まれた。私にとっては、待望の唯一の姪っ子である。甥っ子も可愛いが、姪っ子もまた可愛い。私も妻もそれぞれの兄弟と仲が良いので、子供同士、従妹同士も有難いことに仲良くしている。

  その姪っ子も大学を出て、社会人となった。うちの家族でお祝いしたり、同じ業界の知り合いを紹介したりと、このところ時々会っている。叔父さんとして、少しは姪っ子のお役に立てればなと思っているのだ。

  うちの子供たちも、姉夫婦や兄夫婦に本当にお世話になっている。有難いことだ。そうやって助け合えるのは、親戚だからという思いが強い。そういう親戚付き合いの輪も広がりつつある。

  これで孫でも生まれたら、どれだけ可愛いのだろうか。まだ子供たちは結婚もしていないのだから、気の早い話ではあるが。将来、ジイジとしての子育ても楽しみである。

19年4月17日(水)「#4308 ストレッチ」

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  前々から指摘され、今度こそやろうと思っていたが、遂に本気で一歩踏み出そうと思う。ストレッチである。昔から身体が固い。前屈はほとんど傾かず、脚の裏の筋肉を伸ばそうとすると、細くなった筋肉がギリギリいっている。加齢とともにその傾向は強まるばかり。長年お世話になっている指圧の大師匠からも、ずっと以前からストレッチをやるように言われていたのだ。朝、自宅で新聞を読み込む際に脚のストレッチをやりながら紙面に目を通しているのだが、十分ではない。

  長女にも相談して、「お父さん、ストレッチを習いに行こうかと思う。どこか探して」とお願いしたばかりだった。その夜の会合である人と知り合い名刺交換したところ、お仕事の一つに、なんと「ストレッチ講師」とあった。これこそ出逢いである。ご縁でしかない。ということで、連絡をとってストレッチを始めようと思う。このブログで何度も、「ご縁」とか「出逢い」について書いているが、本当に大切なものだと思う。因みに、その会合には医師もいたのでストレッチのお話をしたところ、「健康にはストレッチが一番です」と強く勧められた。やはり、ストレッチしかない。

  このブログに書いた以上は、近々ストレッチ講師の人にお願いして、自己流ではなく本格的にストレッチを始めたいと思う。