19年1月24日(木)「#4225 シラバス」

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  「シラバス」と聞いても、何のことか分からない人が多いのではないか。大学生や大学で教えている人なら必ず知っているシラバス。講義などの内容や進め方を示す計画書のことである。大学で教える教授や講師が、講義を担当する学期が始まる前にシラバスを大学のネットに書き込んで、学生たちはそれを見てどの講義を受けるかを決める重要なものだ。

  私が大学で教えて出した10年以上前にはあまり書いた覚えがないが、今では必須である。担当する講義の目的や目標、毎回の講義の進め方、期末にテストをやるのかリポートを書かすのかなどの成績評価の方法など、学生が受講したい講義を選択する際に参考にするものだ。

  留学生が多い大学や学部では、英語で書くことも求められる。英語で書けない人には大学側が翻訳者を用意する。私の場合も翻訳を大学に頼んだ。今年の春学期(4月~7月)は、2つの大学で教えることになっている。1つの大学については既にシラバスを書き終えていたのだが、もう1つの大学からは「シラバス入力期限が過ぎています」という連絡を貰った。入力に関する資料の送付など何も連絡がないのでどうなっているのだろうと気にかけていたのだが、昨年12月には郵送したということだ。行き違いがあったのかも知れない。大学側から連絡がないと思い込み、自分で昨年度の大学のIDとパスワードを使って入力を試みたのだが、パスワードが期限切れになっているようでアクセス出来なかったのだ。

  入力期限が既に過ぎているようなので、IDPWが届き次第、大慌てで入力しなければならない。昨年度も担当した講義なので、それほど入力に時間は掛からないと思うが、急がなければ。

19年1月23日(水)「#4224 人脈」

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報道という仕事にとって、人脈がとても大切だと思う。誰を知っているのか、いつでもアポイントメントを取れるのか、いつでも電話出来るのか、さしで(二人きりで)ご飯を食べる仲なのか、ご飯は定期的に食べるのかなど、人脈といっても色々なレベルがある。どちらか一方がこの人脈レベルを上げようとしても簡単ではない。双方の思いが重なって、初めてレベルが高まって行くのだと思う。 報道以外の仕事でもそうかも知れないが、この人脈を紹介したり、引き継いだりするのは実は簡単ではない。そもそも人脈とは、それぞれの個人の財産でもあるし、相手のあることでもあるので、自分の思いだけでは他の人に引き継げないのだ。 もっと言うなら、同じ組織で同じ仕事をしている者同士でも、お互いの人脈を知らないことも多い。敢えて言わないし、敢えて聞かないのだ。私の場合は割とオープンなので、自らの人脈を隠すよりは出来るだけ後輩達に引き継ごうと思っている。それは、報道という仕事は組織の闘いでもあると思っているからだ。 会話の端々で誰を知っているということが分かる場合もあるが、親しい記者同士でも相手の人脈をお互い知らないことが普通でもある。人脈はネタ元でもあるので、それぞれの記者は大切にするのだ。 人脈を築くのが苦手、人脈が重要だと思わない人には、この仕事は厳しいと思う。むしろ、人脈作りを楽しむぐらいでないとやっていけない。まだまだ増えるかな。

19年1月22日(火)「#4223 スーツ」

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  "戦闘服"とまでは言わないまでも、スーツは私にとって"仕事服"である。スーツに袖を通すと、仕事のスイッチが入る。テレビに出演する仕事をするようになってからは、尚更である。

  長男が社会人になったので、私のスーツをいくつか譲ろうと思ったが着て貰えない。サイズが違うのだ。更に、スーツの型が違うのだ。身長も体重も私と長男はよく似たものだと思っていたが、私の方が肩幅が広く骨格も大きいようだ。

  長男が私のスーツを着ない理由は、サイズよりも型だと思う。私が愛用しているのはナチュラルというかストレートというか、いわゆるゆっくりした型である。それに対して長男をはじめ若者が好むスーツは、より身体に密着するスリム型である。私が着るダボっとした型は、昭和の型のようである。

  画面に出る様になってからは、見栄えがいい様にとそれなりに良いスーツを少なからず購入した。多くの人から「スタイリストが付いているんですよね」と言われるが、私にはスタイリストがおらず、全て自分で用意しているのだ。だから、それなりの数のスーツを所有しているので、息子たちが着てくれたらいいなと思っているのだが。

  スーツといえば、立っている時には前のボタンをかけて、座った時にはボタンを外すのが基本だと、最近初めて知った。皺にならない様に、そのように作られているということだ。番組に出演している時にはコメンテーター席に座っているが、その際にはいつもスーツの前ボタンをかけている。しかし、このことを知って、先日初めてボタンを外して座ったが、何だかだらしなく映っていないか少々心配だった。

  スーツの袖からシャツが必ず見えるとか、ネクタイの先はパンツのベルトのバックル辺りまでの長さだとか、数々の決まりもありようだ。今まであまり気にしたことが無かったが、人前に出る仕事だから、この辺りにも気配りしたい。

19年1月21日(月)「#4222 一年後」

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  先日、二男が昨年6月に卒業したアメリカの高校から、我が家に二男あての封書が届いた。嫌な予感。未納付だった学費が残っていて、請求されたらどうしようなどと、お金の話が頭をよぎった。今更言われてもなあ。

  二男あてだったので、アメリカの大学で学んでいる二男に連絡して許可を得た上で、私が開封した。中に入っていた手紙は手書きの日本語だった。日本語?

  手紙の冒頭にタイトルとして『一年後の君へ』と書かれていた。そう、1年前に高校の授業で二男が一年後の自分に向けて手紙を書き、学校が預かって1年後に送って来たのだ。そういえば、あて名書きは二男の筆跡だった。

  残念ながら、内容を明かすことは出来ない。内容をこのブログに書いたら、いくら何でも二男は激怒するだろう。高校卒業を前にして、揺れる少年の気持ちが正直に書かれている。なかなか素晴らしい内容だった。

  それにしても、高校もなかなか粋なことをする。大学生になった子供たちが、一年前の自分が一年後の自分にあてた手紙を読むことで、色々と思うこともあるだろう。励ましにもなるのではないか。

  ところで、一年後の私は、何をしているのだろう。元気に解説委員の仕事をしているのだろう。何か変化はあるのだろうか。高校3年生から大学1年生にかけて程の変化はないだろうが、何か変化があるのかどうかも楽しみだ。一年後の自分に声を掛けるとしたら、何と言うだろうか。『楽しんでるか?』かな。三年後には。五年後には。定年が過ぎて大きな変化があることだろう。その時にも、楽しんでいたい。

19年1月20日(日)「#4221 センター試験」

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最近でこそ試験を受けている夢を見なくなったが、以前は試験を受けているのに解答をうまく書けない夢をよく見た。 大学入試センター試験が昨日と今日、行われている。現役生も浪人生も、これまで頑張って身に付けてきた実力を発揮して、志望校に合格して欲しい。 大学を受験したのは、今から40年ほど前。私たちの頃は大学入試センター試験はまだ始まっておらず、共通一次試験と呼ばれていた。現役と浪人の時の二度受けたが、良い思い出はない。 現役の時は、夏まで高校野球をしていて殆ど勉強していなかったので、共通一次試験でももちろん撃沈して、志望校だった公立大学も滑り止めの私立大学も全て合格しなかった。 浪人時代は予備校に通ってそれなりに勉強したのだが、共通一次試験では数学でいい点数が取れず、志望校の国立大学は遠かった。何とか私立大学に合格できたので、浪人は一年で終わったが、この一年間は本当に辛かった。一年間、一生懸命勉強しても、一年後に合格する保証は無いのだ。浪人が決まった時には、アメリカに留学したいと言って母を困らせた。因みに我が家で留学経験が無いのは私だけである。 大学入試センター試験は、2021年から大きく変わる。今より思考力や表現力が重視される大学入学共通テストがスタートする。入試内容が変われば受験生もまた大変である。 思えば、大学のみならず、高校も、大学も、会社も、最も入りたかった所には入らなかったが、結果的には幸せな人生を送っている。志望した所に入るのが何よりだとは思うが、そうで無くても思ってもみなかった楽しい人生が待っていることも知って欲しい。 大学入試センター試験が終わっても、まだ各大学の二次試験が待っている。もうちょっとの間、頑張ろうね。楽しい未来が待っている。

19年1月19日(土)「#4220 イチロー」

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  そろそろ追いつくかなあ、とドキドキしてネットで調べたら、まだ150回も先である。150回といえば約5か月。今年の6月には追い付けるということか。先は長い。

  何のことかと思われる方も多いだろうが、このブログの読者なら既にお分かりかも知れない。4367。イチローの日米通算安打数である。日本で1278安打、アメリカで3089安打。合わせて4367安打である。これはメジャー記録であるピート・ローズの4256安打を抜いているが、日米通算なのでメジャーでは参考記録である。それにしてもメジャーだけでも3000安打を超えている。とてつもない大記録だ。

  この日米通算安打数を、ある時から目標にしてきた。そう、このブログの通算回数である。解説委員になった2007年7月から週末も含めて一日も休まずに書き続けて、今日で4220回である。イチローの記録まであと147回。ようやく、その数字が見えてきた。

  もちろん、イチローがヒットを打った本数と私が書いたブログの数は比べるまでもないが、私にとってはそれだけ重要な数字なのだ。イチローはベンチメンバーから外れているものの、まだ引退はせずチームにずっと帯同して試合前の練習を続けている。これだけでも頭が下がるが、今年3月の日本での開幕戦にはベンチ入り枠が特別に3人増えることもあり、イチローが入ることが確実視されている。オープン戦や日本での開幕直前での親善試合で結果を残せば、開幕戦の先発メンバーに入る可能性もある。そこで活躍すれば、今シーズンの出場も見えてくる。イチローは本気である。

  イチローが試合に出てヒットを重ねれば、私の目標も高くなっていく。そうあって欲しいものだ。マリナーズとアスレチックスのメジャー日本開幕戦は、もちろん観戦する。その時にイチローのヒットをこの目で観たい。イチローなら、やってくれる。

19年1月18日(金)「#4219 携帯電話」

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  先月中旬に修理に出していた携帯電話が、ようやく手元に戻って来た。5~6営業日で戻ってくるということで、お正月前には手元に来ると期待していたのに約1か月もかかった。いったい、どうなっているのだろうか。

  もう6年半も使っている、年季の入った携帯電話だ。最近はバッテリーの減りがひどく、そろそろ買い替え時かなと思っていたら、バッテリーに問題があるとメーカーが発表し、格安の値段でバッテリーを交換してくれるということでメーカーに送ったのだ。使っている人からの交換依頼が殺到して、予想以上に時間がかかったようだ。待たされている間、メーカーからは何の連絡も無かった。メーカーの対応としてはどうかと思う。

  修理に出している間は、アメリカで使っていたシムフリーの携帯電話を使っていた。娘に頼んで住所録やメール、写真などのバックアップをとってもらい、携帯電話を受け取った後にまた元に戻してもらったので何とかなったが、自分ではどうしようも無かった。

  買い換えてもいい時期なのかなとも思うが、使い慣れている携帯だし、機能や性能に満足しているので、わざわざ新しいものを買うつもりもない。今後も大切に使っていきたいと思っている。

  携帯電話を修理に出して感じたことだが、とても便利なものだが、これに頼りすぎになるのもどうかな、ということに気づいた。そして重要なデータのバックアップを、普段から定期的にとっておく重要性も改めて感じた。携帯電話はなくてはならないものだが、これに振り回されないようにしたい。

19年1月17日(木)「#4218 24年」

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  毎年、この日は前の晩から神戸のホテルに泊まり、早朝に神戸市役所横の公園で行われる追悼式に参加してきた。しかし、今年は参加できなかった。前夜に東京で大事な会合の予定をかなり前に入れてしまっていたのだ。予定を入れる段階で、この1月17日という大事な日の前の日だということを恥ずかしながら失念していたのだ。

  今から24年前の1995年1月17日午前5時46分に、阪神淡路大震災が起きて、6434人もの尊い命が失われた。私の報道人生にとっても、忘れられない出来事だ。大震災の風化が叫ばれる中で、若い世代にどうやって繋いでいくかが問われている時に、私はその日を意識することもなく、キャンセルできない予定を入れてしまっていたのだ。

  読売テレビの報道局でも、記者もカメラマンもスタッフも、働いている人の多くが阪神淡路大震災を仕事として経験してない人が大半となっている。当時の新入社員が今では46歳なのだから仕方がない。

  大震災が起きた時、私は泊まり明けデスクとして本社の報道フロアにいた。関西に大地震が来ることなど考えたことも無かった私は、遂に東海地震が起きて、その影響で関西も揺れたのだと思った。揺れた直後に「大丈夫ですか?」と電話してきてくれた後輩記者に、「被害の状況が分からないから、様子をみよう」と答えたことを今でも覚えている。視聴者から「阪神高速が倒れている」という電話が掛かってきたが、全く信じられなかった。自宅の前にあった公衆電話から妻が電話してきて、「私たちは生きてるから」と私が安心して仕事できるようにと無事であることを伝えてくれたが、なんと私は忙しいからと電話を切った。その後、不眠不休で本社で働き続け、数日ぶりに自宅のマンションに帰ったら、タンスや食器棚が全て倒れて床に割れたガラス片が散乱している中で、当時2歳だった長女と手を繋いで妻が立っていたのを見て、初めて家族に何が起きていたのかを知った。

  様々な事情が重なったが、我が社のヘリコプターが神戸の上空に飛び被害を伝えたのは、テレビ各局の中で最も遅かった。地震で我が社の神戸支局が全壊し、カメラも出せず素材伝送も出来なかった。入社10年だった私は、満足な取材指揮が出来なかったという後悔が残り、その悔しさがこの世界で頑張っていこうという気持ちに繋がった。

  今日のミヤネ屋で大震災の話になった時に、今年の追悼式に参加しなかったことをコメントしようかと思ったが、そういう流れではなかったので話さなかった。毎年、この時期にはブルーのジャケットを着て番組に出演することにしている。私が持っている唯一のオーダーメイドのジャケットとパンツである。大震災の際に避難所のリーダーを務め、その後も追悼式のリーダーとしてずっと頑張ってこられた洋服店の店主に作っていただいたものだ。避難所で取材させてもらっていた頃からの長い付き合いでたいへんお世話になったが、亡くなられてもう何年になるだろうか。今日もこのジャケットを着て出演した。

  阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨、北海道地震という大きな自然災害が起きる度に現地での取材を重ねてきた。それぞれの被災地の復興の様子を、今後も見続けていきたい。

19年1月16日(水)「#4217 引退」

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  「横綱として皆様の期待にそえないということで非常に悔いは残りますが、私の(涙ぐむ)土俵人生において一片の悔いもございません。」

  横綱・稀勢の里が引退を表明した。ファンとして応援していたので、とても残念ではあるが、記者会見での吹っ切れた様な表情を見て、そして「土俵人生において一片の悔いもない」という言葉を聞いて、何だかホッとした。これまで背負ってきたものの重さを痛切に感じた。

  横綱になってから、ケガの影響があり満足な成績を残せなかった。今場所は進退が問われる重要な場所。特に、初日が最も大切だった。ここさえ勝てば、まだまだやれると思っていた。しかし、初日どころかその後も負け続けて3連敗。見ているこちらが悔しくなくなり、そろそろ決断したほうがよいと思ったのだから、引退は仕方がないのだろう。

  大阪場所で大相撲を観戦したのは、いつだったか。過去のブログの記事を調べたが見つけられなかった。おそらく5~6年前だったと思う。土俵際の砂被りで観戦したのだが、その時に最も印象に残ったのが稀勢の里だった。相撲人形の様な体型で、肌の艶も美しかった。何より立ち姿に品があった。その時からずっと応援していた。

  今後は親方として若い力士を育てるという。どんな力士を育てたいかと会見で聞かれて「怪我に強い力士」と答えた。晩年の怪我について聞かれると「一所懸命やってきましたが、(涙をふく)怪我をする前の自分には戻れなかった」と答えた。結果論だが、怪我をした後で焦ることなくじっくり治してから土俵に復帰してもよかったのにと思う。土俵人生を貫いた信念について聞かれ「絶対に逃げない。その気持ちです」と自らの想いを語った。そういう人なのだ。だから誰からも好かれたのだろう。お疲れ様でした。大阪場所で土俵入りを観たかった。

19年1月15日(火)「#4216 訃報連絡」

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今日もまた、会社のOBの方か亡くなられたという連絡が社内メールで届いた。多くの場合、通夜と告別式は既に家族葬で終えているという連絡だ。 自分の年齢が57歳なのだから仕方がないのかも知れないが、このところ仕事でお世話になったOBの方々の訃報連絡を受け取ることが増えて来た。私が会社に入った頃に40代だとすれば、もう80歳に近い年齢だろうから、亡くなる方が増えて来ても不思議ではない。 そういう連絡をいただく度に、退職された後はどの様な生活をされていたのかと思う。 退職された後も、たまにではあるがお会いする先輩方もいらっしゃるが、基本的にはその様な機会はあまりない。もっとお会いして昔話に花を咲かせたいという思いもあるが、日々の仕事に追われて、なかなかそういう機会を持てない。 入社してから5年半、手取り足取り私を指導してくださった編集の師匠が亡くなったのを知った時もそうだった。身体を悪くされていることも知らず、ご連絡することもあまり無かった。 亡くなられたのを知って、御自宅に伺い線香をあげさせていただいたが、御仏壇の前で涙が止まらなかった。御元気なうちに、私が若かった頃の話などを色々と聞いてみたかった。 お世話になった先輩方は他にも沢山いらっしゃる。たまにはご飯でも食べながら、お話を聞かせていただきたい。私がテレビに出ていることについて、どんな感想をお持ちなのだろうか。私の若い時は、どんな生意気な後輩だったのだろうか。 会社の先輩方が亡くなったという御連絡を受け取る度に、様々な思いが駆け巡る。多くの方々のおかげで、今の私がいるのだ。