Top

小澤昭博(ytvアナウンサー)『小澤昭博のゴルフナビ』

「うつむくなよ~ ふりむくなよ~♪」

今年もこの時期がやって来ました。

『第88回全国高校サッカー選手権大会』が今日開幕!!

高校サッカーの頂点を決めるこの大会。
毎年年末年始、全国47都道府県からの代表校が、
約2週間に亘る熱戦を繰り広げます。

私達中継スタッフも全国の民放43社から集結し、
選手達にとってそこが最高の舞台となるように、
局の垣根を越えて力を合わせ、
選手達と共に戦う気持ちで心を込めて
最高の中継を目指します。

時には選手達の熱い涙を見て、
私達がもらい泣きしてしまう事もしばしば。

思えばこの大会をステップにして、
多くの名立たる選手達がプロサッカー界に、
そして世界へ飛び立って行きました。

古くは現サッカー協会の川渕名誉会長や釜本名誉副会長を始め、
中山雅史、井原正巳、北澤豪、中田英寿、城彰二、前園真聖、
川口能活、中村俊輔などのそうそうたる
歴代日本代表選手達を輩出しています。

中でも私が印象深いのは中村俊輔。
中村俊輔が高校三年生の時、全国大会を目前に控えた
桐光学園に取材に行った時のこと。

中村選手は当時、既にアジアユースの代表に選ばれ、
チームメートの中でも一目置かれている存在で、
サッカーファンからも「フリーキックの天才」と
呼ばれていましたが、その裏には人一倍の努力がありました。

全体練習が終わった後、他の選手達が一人、また一人と帰る中、
グランドが真っ暗になっても最後まで一人で残り、
黙々とフリーキックの練習をしている中村俊輔の姿が
私の目に今でも焼き付いています。

その自主練習が終わるのを待って声を掛けましたが、
中村選手は「みんなが帰っても自分は自分」という
確固たる信念を持っていました。

「この選手は絶対に大物になる!!」
とその時確信したのを思い出します。

毎年色々なドラマが生まれるこの大会。
選手達、そして私達中継スタッフの想いの詰まった
熱い戦いを是非ご覧下さい!!

最後に年末のご挨拶を。

ブログを初めてからまだ1カ月とちょっとですが、
この一年、読売テレビをご愛顧いただきありがとうございます。

来年も皆様にとって良い一年になりますようにお祈り致します。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月30日(水) | コメント (0)

「浅田真央、復活のトリプルアクセル!!」

浅田真央に笑顔が戻ってきました。

バンクーバーオリンピック出場権を掛けた最後の戦い、
フィギアスケート全日本選手権。

浅田真央はショート、フリー共に大きなミスも無く、
204.62点の高得点を叩き出し、見事大会4連覇!!
初のオリンピック代表の切符を掴みました。

オリンピックイヤーである今シーズンに入ってから、
浅田選手は得意技であるトリプルアクセルにことごとく失敗し、
グランプリシリーズ・フランス大会では同じ歳の最大のライバル、
韓国のキム・ヨナに30点以上の大差を付けられ2位。

同じくグランプリシリーズロシア大会では自身ワーストの
5位に終わり、シニア入り以降初めてグランプリファイナル出場を
逃すというスランプに陥っていました。

その最悪の状態の中、浅田選手のオリンピック出場を危ぶむ声も
聞こえてきましたが、浅田選手はあくまでも
「オリンピックで金メダル」という目標を変えませんでした。

ロシア大会後、自分を信じて練習を重ね、
わずか二カ月でブランクや不安を全く感じさせない、
今大会の堂々とした演技に繋げました。

滑るのが楽しくて仕方ないという自信に満ち溢れた浅田選手の表情。
その精神力の強さには驚かされました。

ちなみに、浅田選手の得意技、トリプルアクセルとは
3回転半ジャンプの事で、6種類あるジャンプの中でも
最も難易度が高く、最も得点が高いと言われています。

前向きで踏み切って後ろ向きで着氷するトリプルアクセルは、
後ろ向きで踏み切って後ろ向きで着氷する4回転ジャンプより
難しいとも言われています。

世界でもスケート連盟公認の大会でトリプルアクセルを成功させた
女子選手は伊藤みどり、アメリカのトーニャ・ハーディング、
浅田真央、中野友加里の4人だけ。

その中でも1プログラムに2回飛んで成功させたのは
浅田真央だけだとか。

この最大の武器であるトリプルアクセルを引っ提げて乗り込む
バンクーバーオリンピック。

4年越しの夢、その大舞台で浅田真央の最高の笑顔が見たいです。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月28日(月) | コメント (0)

「岡田オリックス発進!!」

岡田彰布監督がオリックスの新監督に電撃就任し、
中には残念に思った阪神ファンの方もいらっしゃるのでは
ないでしょうか?

岡田監督は就任会見で、
「オリックスは指導者としての自分の原点。
世話になったオリックスに恩返しがしたかった。」
とその気持ちを語りました。

私は公私共にお世話になっており、プライベートの場でも
色々な話を聞かせてもらっていますが、歴代の阪神の監督の中で、
これ程阪神を愛している監督は他にはいないと思います。

阪神の選手と親交があったお父様の影響で、
岡田監督は子どもの頃から阪神に強い憧れを抱いており、
甲子園で野球観戦する際も、わざわざ阪神の相手チームに
野次を飛ばすために、3塁側を指定席にしていたとか。
まさに10人目の野手として当時から相手チームと戦っていたのです。

また早稲田大学時代、六大学野球でその名を轟かせ、
プロ入りが確実視されていた時でさえも、
一般の生徒と一緒になって“早大猛虎会”に所属していた程の
筋金入りの阪神ファンなのです。

今シーズン、解説者として阪神に送った辛口エールも愛情の裏返し。

それ程愛する阪神から離れて、
オリックスの監督に就任するに当たっては、
相当な思いがあったに違いありません。

先週その「岡田監督を励ます会」が開催され、
600人近い方々が集まって岡田監督を激励しました。
岡田監督に日頃からお世話になっている何人かで幹事になり、
私もその一員として参加させて頂きました。

約1ヶ月半という短い準備期間でしたが、
岡田監督の人柄を表すかのようなとても温かい会になり、
大盛況のうちに終了しました。

パーティー終了後、
スタッフだけの打ち上げの場で岡田監督は、
「こんなに素晴らしい会を催してくれて有難う。
このお返しは言葉ではナンボ言っても一緒や。
来シーズン、勝ってお礼とさせてもらいます!優勝を狙います!」
と挨拶されました。

私達スタッフにとって、何よりも準備の疲れが吹き飛ぶ、
とても心に染みる一言でした。

一見ぶっきら棒に見られがちな岡田監督ですが(怒られるかな?)、
とても優しくて温かい、心遣いの方なのです。
選手やチームスタッフにやる気を起こさせるのが上手いのも
こういった心配りがあるからだと思います。

阪神との交流戦をとても楽しみにしているという岡田監督。
阪神に負けないくらい関西を盛り上げて行って欲しいです。

新しいスタートを切った岡田オリックスに乞うご期待!

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月24日(木) | コメント (0)

「番外編 ジャージャー麺 @韓国グルメ」




“ジャージャー麺”ってご存じですか?

韓国での正式名称は「チャジャンミョン」というのですが、
日本では「ジャージャー麺」と言われています。

一見真っ黒で少しグロテスクな感じさえしますが、
このジャージャー麺、韓国ドラマには欠かせないアイテムの一つで、
見るドラマどれにも必ずと言っていい程レギュラー級で出てきます。

初めて韓国ドラマの中でこの真っ黒なジャージャー麺を見た時は、
「何だこれ?」と思いましたが、登場人物達が口の周りを真っ黒に
しながら口いっぱいに幸せそうにジャージャー麺を頬張る様子を
何度も目にし、この黒い物体に対する好奇心がすぐに沸いてきました。

韓国ドラマにはまっている方には
この気持ち、分かって頂けると思います。

韓国ではこのジャージャー麺、
子供から大人まで愛されているとてもリーズナブルで
ポピュラーな庶民的な食べ物だそうです。

韓国独特の料理だと思うのですが、韓国では“中華料理”という
位置付けで、主に中華料理店に置いてあります。
他にはデパートのフードコートなどでも手軽に食べられます。

具体的にどういう食べ物なのかと言うと、
玉葱などの野菜とエビやイカなどの海鮮物を黒味噌で炒めて
とろみをつけた黒いあんかけを中華麺にかけた物です。
あんかけ焼きそばの黒い版とでも言いましょうか。

一見真っ黒で味がとても濃そうですが、実際に食べてみると、
意外とあっさりしてちょうど良い黒味噌の甘みが癖になり、
あっという間に平らげてしまいます。
付け合わせとして何故かたくあんが出て来ます。

毎年4月14日は「ブラックデー」と言って、恋人がおらず、
バレンタインデー、ホワイトデーを寂しく過ごした人達が
ジャージャー麺を食べるという習慣まであり、店頭には行列も
出来る程だとか。

冗談みたいな話ですが、中にはその日全身黒い服を着て
ジャージャー麺を食べるという徹底した人もいるそうです。

今では日本でも韓国料理屋さんが増えて、ジャージャー麺が
食べられるお店も沢山あるようです。

興味のある方は是非食べてみて下さい!!

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月23日(水) | コメント (0)

「韓国のスマイルキング」



今年のミズノクラシックよみうりオープンで最後まで石川遼と優勝争いを演じた「キム・ヒョンソン」。
この大会でその存在を知った方も多いのではないでしょうか。

1980年5月12日生まれの29歳。
2005年にプロに転向し、韓国ツアーで3勝を挙げています。
ルーキーイヤーの2006年から毎年賞金ランキングトップ10に
名を連ね、昨年は2位に付けました。

韓国では“スマイルキング”と言われているそうです。

日本ツアーには昨年12月のファイナルクォリファイトーナメントで7位に入り、満を持して今年から本格的に参戦しています。

今季は18試合に出場して予選落ちはわずか3試合。
優勝こそなかったものの、度々上位に食い込み、トップ10は5回。
賞金ランキングは31位という好成績を残し、文句なしに来季のシード権を掴みました。

その最大の武器は何といっても抜群の安定感。
「日本のツアーはOBが少なく打ちやすい。」という彼の言葉通り、
今季日本ツアー部門別ランキングでは見事フェアウェイキープ率1位を獲得。

そう言うと普通は「ドライバーでのティーショットが一番曲がりにくい選手」というイメージになるのでしょうが、ヒョンソンのショットは曲がります。

正確に表現すれば意図的に曲げています。彼の持ち球はフェード系(左から右に曲がるボール)で、何度打っても判で押したように同じように右に曲がるのです。

上手く曲げてフェアウェイをきっちりとらえてくる。これが彼のスタイル。ヒョンソンに聞けば、「韓国のコースは狭くてOBが多いから自然とOBが出にくいスイングになった。」とのこと。

さて、プレーの堅実さとは裏腹に、普段のヒョンソンはとてもユニークな面もあり、私が「韓国ではピ(世界でも活躍する男性歌手)が好きだ。」と言うと、すかさずピの物真似をしてくれるような気さくな人物です。

韓国好きの私が覚えたての韓国語で話しかけても、いつも笑顔でゴルフ以外の韓国の情報などを日に日に上達していく日本語で教えてくれます。毎日30分、日本語の勉強をしているとか。

その端正な顔立ちや長身のスタイルなどルックスも良く、近頃は日本人ファンも増えており、ヒョンソンと親しく話す私の様子を見たヒョンソンファンから、ヒョンソンに関する質問をされることも多々あります。

今年は優勝に手が届くところに何度も繋げながら最終日に伸ばしきれなかったヒョンソン。また、シーズン後半には「首と腰が痛い・・・。」と疲れからくる故障とも闘っていました。

長いシーズンを最良のコンディションで乗り切ることがヒョンソンの来シーズンの課題でしょう。

芸能界での韓流人気は既にブームから安定したものに変わって来ている感じもありますが、日本ゴルフ界では一足遅れて韓流ブームが巻き起こりそうな予感。ヒョンソンの日本での初優勝が待ち遠しいです。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月22日(火) | コメント (0)

赤ゴジラ、LA上陸!

松井秀喜がロサンゼルス・エンゼルスに入団することを正式に発表しました。

本格交渉を始めてからおよそ10日で決まったスピード入団。

契約年数が1年でも、年棒が昨年のおよそ半分になっても、松井にとってそれは二の次、迷いはありませんでした。

エンゼルス入団の一番の決め手は「より多くプレーする機会を与えてくれること。」松井が何よりも望んでいる守備への復帰をエンゼルスは後押してくれたそうです。

ここ数年は怪我に泣かされていましたが、今季とて、松井は指名打者として28本塁打90打点という申し分ない成績を残し、更にワールドシリーズでは3本塁打に8打点という大活躍で日本人初のMVPも獲得。

ヤンキースを9年ぶりの世界一に導きました。

その一番の立役者を、いとも簡単に手放してしまったヤンキース。逃した魚は大きいのではないのでしょうか。

松井にも愛着のあるヤンキースを離れるのは複雑な思いもあったはずですが、自分を一番必要としてくれるチームにこだわり、「エンゼルスの世界一の為に全て出し切る。」と会見で誓ったその表情は晴れ晴れとしたものでした。

燦々と輝くカリフォルニアの太陽の下、背番号55の赤ゴジラが今まで以上に大暴れしてくれることを大いに期待しています。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月18日(金) | コメント (0)

「韓国の石川遼 2」




今年の9月、ソウルからKTX(韓国の新幹線)に乗って1時間程の、ウジョンヒルズカントリーで行われた韓国オープンに行ってきました。

招待選手として石川遼や矢野東が出場するということで日本でもちょっとした話題になっており、私も早くからこの大会を観戦する予定を立てていました。

第一のお目当てはもちろん日本人プレーヤーの二人。次に今や世界でも活躍している韓国の有望な選手を見て知ること。あとは、これだけ実績を残している韓国人選手達が一体どういう環境で試合をしているのか、韓国のゴルフ事情を肌で感じることでした。

そんな中、圧倒的な存在感を放つ選手が私の目に飛び込んで来ました。それが韓国の石川遼こと「ノ・スンヨル」。

決勝ラウンドに入った大会3日目。彼は、日本から参戦した矢野東と同じ組でプレーしていました。

まず、最初の衝撃は、スイングスピードの速さと飛距離。恐らくドライバーの平均飛距離を測れば300ヤードは計測されるでしょう。石川遼といい勝負か、もしかすると飛距離だけならスンヨルのほうが勝るかもしれません。

実はこの時、私はスンヨルがこれだけの実績(実績は前回のブログで紹介済み)を残してきた選手だとは全く知らず、「とんでもなく飛ぶけど、よく曲がる選手だなぁ。」という第一印象でした。

ただ、そこからがスンヨルの見せ所。曲がった先からのトラブルショットが抜群に上手いのです。ピンチに陥っても決断が速く、躊躇無くクラブを振り切り、ピンチを迎えているようには感じさせません。

更にスンヨルの最大の強みはパターの正確さ。
韓国のカップの位置は、急な傾斜の途中でもお構いなしに切ってあり、50cmのパッティングでも選手達は安心出来ません。これは日本ではあまり見られない位置で、実際にパットの名手の矢野東が1ラウンドに3パットを3度もしてしまうという難易度でした。

そのグリーンをスンヨルは何事も無いように寄せて入れてきます。この国のグリーンに慣れているという強みはあるのでしょうが、それを込みで考えても彼のパッティングのタッチは本当に絶妙でした。
矢野東も「あの若い選手は上手い!特にパターが上手い!」と飛距離やキレの良さよりもパッティングのセンスを一番に挙げていた程です。

ホールアウト後、「大器を見つけた!!」と嬉しくなった私は、居ても立っても居られずスンヨルに駆け寄り、片言の英語と、にわか仕込みの韓国語で会話を試みました。彼は物凄くシャイな青年で、あまり多くは喋りませんでしたが、最後に「来年は日本ツアーに行きたいです。」と堂々と笑顔で語ってくれた表情には自信が満ち溢れていました。

そのスンヨルがこの12月、来季の日本ツアー出場権を掛けたファイナルクォリファイングトーナメントに出場し、実績ある日本のプロ選手達がひしめき合う中、12位に食い込み、来季の日本ツアーの出場権を手中に収めました。

彼の飛距離、パッティング、トータルのセンスを持ってすれば、来シーズン、日本ツアーで賞金シード権を獲得するのは間違いないでしょう。優勝争いに何度も加わってくるであろうし、もちろん優勝も出来る器だと思います。

まだその顔にはあどけなさが残る18歳。来季は石川遼と一緒に10代プレーヤーとして更に日本ツアーを盛り上げてくれると思います。今からその活躍が楽しみでなりません。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月17日(木) | コメント (0)

「韓国の石川遼  1 」

韓国人プロゴルファー、「ノ・スンヨル」選手ってご存知ですか?

ご存知の方は私と同じくらいゴルフマニアかもしれません。

このノ・スンヨル選手、1991年5月29日生まれ、現在石川遼と同じ18歳の高校3年生です。

2005年、13歳の時に史上最年少で韓国代表選手に選ばれ、
その後、韓国アマチュアゴルフ界の数々の最年少記録を塗り替えました。

そして2007年12月、石川遼と同じ16歳の時にプロに転向し、
2008年、2009年はアジアンツアー(アジア各国を転戦するゴルフツアー)を中心に活躍しています。

ルーキーイヤーの2008年にはアジアンツアーで史上3番目に若い
17歳143日目で初優勝を果たし、2008年の賞金ランキングは
10位。

一般的には自身もまだ子供と言われる高校生でありながら、賞金の一部を恵まれない子供達の為に寄付するなどの福祉活動も行っており、その人と為りにも感服させられます。

日本ツアーには、USB宍戸ヒルズやアジアンツアーと共催のパナソニックオープンなどに去年、今年と合計4試合出場し、全て予選通過。
今季のパナソニックオープンでは絶好調の石川遼を1打上回っての9位タイに食い込みました。

石川遼とはアマチュア時代に日韓対抗戦で戦ったこともあり、プロになって初めての直接対決は2008年の宍戸ヒルズ。
予選2日間を同組で回ったのですが、その時の勝負はスンヨルに軍配が上がりました。その時の試合を振り返って石川は「粘り強さの差がスコアの差になった」と語っています。

2回目の直接対決は2009年の韓国オープン最終日。
この日のスコアは石川遼に軍配が上がりましたが、飛距離を第一とする石川遼を上回ろうかというスンヨルの飛ばしぶりに石川も大いに刺激を受けたと思います。

前置きが長くなりましたが、このノ・スンヨル、石川遼と甲乙つけがたいスーパー高校生プレーヤーなのです。

私は9月に行われたその韓国オープンで、スンヨルのプレーを初めて実際に見る事が出来ました。実際に見たスンヨルのプレーの素晴らしさを次回ご紹介します。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月15日(火) | コメント (0)

「ゴルフ界でも韓流ブーム」

今、ゴルフ界を賑わせているのが韓国人プレーヤー達。

アメリカツアーでは今季、Y・E・ヤンが4大メジャーのひとつである「全米プロゴルフ選手権」で、あのタイガーウッズを逆転して優勝し、アジア勢では初のメジャー制覇。賞金ランキング10位にランクインしました。

女子に至っては、圧倒的な強さで今季3勝を挙げ、韓国勢では初のアメリカツアー賞金女王に輝いたシン・ジエを筆頭に、トップ10に3人もの韓国人選手がランクインしています。

2009年現在、アメリカ女子プロゴルフ協会の名簿に登録されている韓国人選手は44人にも及びます。(ちなみに日本人選手の登録は4人。) 

上位争いでは常に韓国人や韓国系選手達が目立ち、これは韓国ツアーではないかと錯覚するほどです。

日本ツアーにおいても状況は同じで、韓国人選手の健闘が目立ちました。

今季女子ツアーでは、ジョン・ミジョンを初め、3人の韓国人選手が賞金ランキングトップ10にランクイン。

男子ツアーでも、先日の日本シリーズで丸山茂樹とプレーオフを争ったキム・キョンテが賞金ランキング8位にランクインした他、ミズノオープンよみうりクラシックで石川遼と優勝争いを演じたキム・ヒョンソンやベテランのS・K・ホなどが活躍しています。

来年はさらに日本のプロゴルフ界に韓流ブームの流れが押し寄せる可能性が大。

次回はその展望をご紹介します。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月11日(金) | コメント (0)

「レッドの決断」

阪神タイガースの赤星憲広選手が9年間のプロ野球人生に幕を降ろしました。

この異例の時期に突然の引退発表。

昨日、兵庫県西宮市内で引退会見に臨んだ赤星選手の顔を見て、
私は正直、胸を撫で下ろすような感情を覚えました。

長くプロ野球の世界で取材をしていると、多方面から色々な情報が飛び込んできます。

私の耳にも以前から「赤星選手がこのまま野球を続けた場合、一歩間違えれば日常生活に支障をきたす程の危険な状態である。」という内容の話は入ってきていました。

個人的に「大事に至る前に今後の人生も考えて欲しい。」と思っていたので、私の中で残念な気持ちは勿論ありましたが、それよりもほっとしたという安堵感の方が勝ったのです。

あの小柄な体で、厳しいプロ野球の世界に身を置き、第一線で戦い続けることは、我々の想像を絶するケガとの戦いでもありました。

2001年に阪神タイガースに入団してから9年間、出場試合数は1127試合。切り込み隊長として出塁し通算盗塁数は381(プロ野球歴代9位)。赤星選手がこだわり続けた得点(出塁しホームに還ってきた数)は698。生涯通算打率は2割9分5厘。

その俊足を武器に、ルーキーイヤーには新人賞と盗塁王を獲得し、以降セリーグ記録である5年連続盗塁王を打ち立て、その記録は未だに破られていません。加えて2度のベストナイン、センターを守り続けて6度のゴールデングラブ賞を受賞。二度のリーグ優勝にも大きく貢献しました。

阪神が“常勝集団”と呼ばれるようになったのも、この赤星選手の活躍があったからこそ。ざっと数字だけを見ても赤星選手が真の一流選手であったことが証明されます。

グランド外でも2003年から毎年盗塁の数だけ車椅子を寄付するなどの福祉活動を続け、その数合計301台。その人柄も素晴らしいものでした。

会見で彼は「これ以上アスリートとして戦い続けることを多くのドクターに止められた。自分では現役にこだわり続けていきたい気持ちは勿論あったから、こうして引退会見に臨んでも実感が沸かない。この1カ月が今までの人生の中で一番苦しかった。」今の気持ちをそう表現しました。

まだまだ、気持ちは現役。でも体は悲鳴をあげて自分の思うようにならない・・・。この数週間、赤星選手は自分自身の人生の選択に迷い続けたに違いありません。

本人にとって色々な葛藤が今も尚、残っているであろうし、仲間達がキャンプインを迎え、シーズンの戦いが始まれば割り切れない思いもまた込み上げてくるかもしれません。

しかし、一流プレーヤーとしてこれだけの十分な実績と、数々の素晴らしいプレーを残してくれた赤星選手の勇姿は、ファンの心の中でいつまでも消えることなく生き続けるだろうと思います。

赤星選手、9年間お疲れ様でした。

まずはゆっくり体を休めてください。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月10日(木) | コメント (0)

「賞金王は18歳!!」

石川遼が2009年の賞金王を決めました。

1973年に26歳で賞金王になった尾崎将司の最年少記録を大きく塗り替えての、史上最年少賞金王の誕生です。

石川プロは賞金王決定後のインタビューで「今年のミズノクラシックよみうりオープンでの優勝が自分のゴルフ人生の中でもターニングポイントとなる優勝だったのは間違いない。」と答えました。

そのターニングポイントとなる優勝に実況アナウンサーという形で立ち会うことが出来たのは、私にとっても大きな宝物になっています。

このミズノクラシックよみうりオープン、石川プロは最終日11番ホールまで2位に5打差を付けての独走状態。

このまま逃げ切り優勝かと思われた12番ホールに2つのOBを叩き、貯金を全部使い果たしてしまった時はどうなることかと思いましたが、その後も石川プロは臆することなく果敢に攻めの姿勢を貫き、16番ホールでミラクルチップインイーグル!

見事に優勝を決め全英への切符を掴みました。

このはらはらドキドキな展開は視聴者を釘付けにし、関西ではゴルフ中継史上最高視聴率を叩きだしたのです。

ここ数年、若手女子プロゴルファーの活躍で、ゴルフ人気は女子に傾き、更に不況の影響でツアー数も減少するなど男子ゴルフ界は下降の一途を辿っていました。

そこに彗星のごとく現れた石川遼。2年前の華々しい初優勝で一躍国民の心を掴み、その後もめざましい活躍で、男子プロゴルフ界に活気が戻ってきました。ゴルフファン層が大きく拡がり、ギャラリー数も増え、他の選手達も彼に刺激を受け大いに奮起しています。

更にその影響力はゴルフ界だけには留まらず、連日彼の一挙手一投足が話題になり、不況で暗い話題が多い日本中に夢や希望、活力を与え続けています。

「ゴルフは僕の人生」だと言う18歳。

18歳で頂点に立った彼がこれからどういう壁にぶつかり、それをどう乗り越えて行くのでしょうか。

翌日には「余韻に浸っている暇はない。」と言い放った賞金王の眼はもう次のステージを見据えていることでしょう。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月08日(火) | コメント (0)

「帰ってきたマルちゃんスマイル!!」

丸山茂樹プロが10年ぶりに日本ツアー10勝目を挙げました。

丸山プロがアメリカのPGAツアーに渡ったのは2000年。翌年の01年から02年、03年と3年連続優勝、日本人史上初の3勝を挙げアメリカでもその名を轟かせました。

怪我に悩まされ、ここ数年は思うような成績が残せていませんが、どん底になっても丸山プロの心が折れる事はありませんでした。

丸山プロとは高校生だったジュニア時代に出会い、それ以来の付き合いです。私より一学年下の後輩ですが、丸山プロは私を「あっちゃん」、私は丸山プロを「マル」と呼び、同級生のような関係でした。

当時からあの人懐っこいマルちゃんスマイルはそのままで、世界的に有名になった今でも相変わらず「あっちゃん、あっちゃん」と満面の笑みで寄って来てくれます。

一番印象深いのは、私が大学4年生の時の「朝日杯全日本学生」。冬の大学日本一を決める大会で、私とマルは初日の組み合わせが一緒になりました。

私とマルの勝負は?と言えば、テーショットで30ヤードも開くような有様で、全てにおいて雲泥の差がありましたが、その前週に行われたプロツアーの「太平洋VISAマスターズ」で最後までプロを相手に優勝争いを演じ、日本中のゴルフファンを沸かせたマルと一緒に回れるという事だけで、私はただただ興奮し、幸せを感じていました。

そのたぐいまれな才能や強い精神力を目の当たりにし、「プロの中でもトップに立つのはこういうレベルの選手なのだな。」とまざまざと見せつけられた一日でした。

先日久しぶりに食事をした時には「40歳を迎える今年は転換期。体は最悪の状態だけど、今は我慢してこつこつと積み上げていくしかない。」と語っていました。



マルの一番の強さは、どんな状況になっても絶対に勝負を棄てないところ。

10年ぶりの優勝スピーチで涙ながらに語った、アメリカで味わったという挫折。一度プライドを棄てて、どん底から泥臭く這い上がった丸山プロは、今までよりもっともっと強くなって帰って来ました。

不惑を迎えたこれからの丸山プロのゴルフが楽しみでなりません。

マルおめでとう!!!

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月06日(日) | コメント (0)

「ヒーヤンのゴルフ」

先日、阪神桧山選手主催のゴルフコンペ
その名も「24チャンピオンシップ」に出場して来ました。

私は桧山選手、森本雄也プロと一緒の注目組?でラウンド。



久々に桧山選手と一緒にラウンドさせてもらって勉強になることが多々ありました。

まず桧山選手のずば抜けた飛距離に驚きました !

あるホールのテーショット、私の今日一番!という会心の一撃と、
桧山選手が顔をしかめる程のミスショットがフェアウェイで仲良く並んでいた時にはずっこけそうになりました。

次にメンタル面の強さ。

どんなピンチに陥っても動じずにいさぎよくクラブを振り抜いていました。これは野球での桧山選手のプレースタイルにも通じますよね。

代打の神様として、阪神ファンが一番の期待を寄せる場面で登場し、相手の守護神と対峙する。打てなければファンは失望し、打てば甲子園は歓喜の瞬間を迎え自分がヒーローになれる。

迷いなどあれば打てるはずもありません。

そして何よりも桧山選手が素晴らしいのはその謙虚で温かな人柄。

ホストとしていの一番にゴルフ場に入り、入り口で一人一人を出迎えてくれました。ホールアウト後も全員に声を掛け、最後まで場を盛り上げ、そこにいた全員が居心地良く過ごせる環境を作ってくれました。

桧山選手とは入団以来かれこれ18年のお付き合いになります。
二軍時代から、一軍に上がって四番を打つようになり、今では代打の神様と呼ばれるようになったヒーヤンをずっと見て来ましたが、これ程有名になってもその人柄は入団当時と微塵も変わりません。それが桧山選手が誰からも愛される所以です。

私もアナウンサーとしてだけでなく、一ファンとしても桧山選手をずっと応援して行きたいと、あらためて感じた一日でした。

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月05日(土) | コメント (0)

ド根性!さくら!

横峯さくらが今季最終戦で年間6勝目を挙げ、日本女子ツアー史上、最高獲得賞金額を記録して、初の賞金女王に輝きました。

今季33試合に出場し予選落ちはゼロという素晴らしい安定感。
平均ストロークは堂々の1位。文句なしの完全制覇です!!

最終戦のサンデーバックナイン(最終日の最後の9ホール)のゴルフは圧巻でした。

15番ホール、パー4のセカンドショットは、もう数センチで直接カップインというスーパーショット。

グリーン手前のマウンドにあたり、ラフを抜けてのピンソバでしたから、勝利の女神を味方に付けたショットといってもいいでしょう。

ここをバーディーとするともう流れは完全に横峯プロに。
5打差をひっくり返しての見事な逆転優勝でした。

私が横峯プロと始めて言葉を交わしたのは、今から7年前。
高知県のローカルオープン競技「グリーンフィールオープン」の
会場でした。

私は、その試合の中継実況アナウンサーとして高知入り。


当時、横峯プロは明徳義塾高校ゴルフ部に在籍する女子高校生でしたが、男子の、しかもプロの試合に出場してきました。あの小柄な体で男子プロと同じチャンピオンティーからラウンドして、確かスコアは「75」であがったと記憶しています。

その力強いプレーとは裏腹に、とてもシャイな様子で、私の取材にお母さんの隣にぴったり寄り添いながら恥ずかしそうに受け答えしてくれたのを思い出します。


これは最近横峯プロのお母さんとお話しして分かった事なのですが、実はその7年前の試合の日、横峯プロは39度近い熱があったそうです。

当然お母さんは大会出場を反対したそうですが、横峯プロはどうしても出場したいと反対を振り切り、発熱など物ともせずに男子プロ顔負けのゴルフをやってのけたのです。

このプロ根性をアマチュア高校生の時から持っていたのですから驚きです!!


横峯プロが頂点に上り詰める事が出来たのも、センスや技術は勿論ですが、この根性があったからこそ。

まだまだ伸び盛りの23歳、横峯さくらプロが来季、賞金女王としてどんなプレーを見せてくれるか楽しみにしています!

投稿者: 小澤昭博 日時: 2009年12月01日(火) | コメント (0)

アナウンサー