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尾山憲一(ytvアナウンサー)『スポ根劇場尾山の大将』

さらばジョー ( プロ野球 ) > ( 阪神 ) 

『キャッチャーとしてキャッチャーのまま引退します』




9月28日朝番組出演のため出社した4時…一気に目が覚めた…


『阪神城島引退』が見出しのスポーツ紙
しかも主要5紙すべてが一面


春先「やめる時はキャッチャーでやめたい」と話していただけに、
今季はリハビリで終わったとしても
来季またその勇姿を見せてくれるものと信じて疑わなかった。


その日の午後、某所で行われた引退会見。
試合前だったユニフォーム姿のアニキとは違い、スーツ姿で登場したジョー


今季最後の1試合でもマスクがかぶれれば…とリハビリしていたが、
その願いも叶わなくなったことでけじめをつける決意をしたとのこと。


『キャッチャーができずに野球を続けていたら大好きな野球が嫌いになる。
引退しても子供と一緒にテレビで野球を見たいし…』


契約があと1年残っていながらもジョーの哲学がそれを許さなかった。
ジョー流のブレない美学だった。


MLBマリナーズでの出場機会が減ったジョーは
出場機会を求めて阪神へ入団。
どんな時でも我々報道陣と真正面から向き合い、
どんな時でも一切言い訳をしなかった。
角刈りの髪型、コミニュケーションとしての麻雀や釣りなど、
彼は【昭和の豪傑】だった。


今季開幕直前のMLBとのプレシーズンゲームの際、
古巣への意識や想いは一切ないとプロフェッショナリズムを強調するも、
MLB48本打ったHRのうち47本は覚えていないけど、
コローンから打った初ホームランだけは思い出の1本と素直に話してくれた。


いつも報道陣を笑いの渦に包むジョーだったが、
会見中、涙を見せたのはプロ選手としての思い出を聞かれた時。
『自分が受けてきた投手がタイトルを獲れた時や、
どんな試合展開でも一生懸命投げ続けてくれた投手に感謝したい…』
思い出のはずの自身の初安打や初HR、リーグ優勝という勲章ではなく、
味方投手陣のことだった…


2010年阪神に来ての開幕2戦目、
横浜木塚から放った阪神1号となるサヨナラHR(実況)
結果的に引退に結びついた左ひざを負傷した9月の巨人戦(実況)
オールドユニフォームとして採用した
大阪タイガース時代のブラックユニに合わせたカブトムシのようなプロテクター、
真剣に挑んだファーストで出場した今年2月のオープン戦@沖縄で発した
『18歳でプロ入りした時と同じ心境で楽しかった』(リポーター)


わずか3年だったが、ジョーは色々なインパクトを残してくれた。


会見終了後、わざわざマイクの前に戻り、
『息子には、人前で男が泣くのは人生で3回と言ってました。
1回は初優勝した時、2回目は今日…だから…4回にします』
最後に爆笑を誘った。

投稿者: 尾山憲一 日時: 2012年10月03日(水) |

アナウンサー