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尾山憲一(ytvアナウンサー)『スポ根劇場尾山の大将』

緊急掲載…さらば阪神のレッドスター… ( プロ野球 ) > ( 阪神 ) 

昨日の衝撃の一報。
阪神タイガース赤星憲広選手の突然の引退発表。


これ以上身体がボロボロになって、残りの人生を棒に振るようなレッドであって欲しくない…


とか


現代医学の粋を結集して、何とかならないものなのか…


とか


ずっと苦しんでいる姿を見続けてきたので‘よかった…いい決断だ…’


とか


私の勝手な様々な想いがグルングルン交錯しておりました。
正直、受けての私もまだ実感が湧かないどころか、新聞やテレビを見ていてもピンときません。


今季、持病の首は良好な状態でキャンプイン。
首周りが数cm太くなるほど鍛えあげてシーズンに臨みました。
しかし、人生、うまくいかないことばかりでした…
キャンプ終盤に顔をのぞかせたプロ入り前に持病である「椎間板ヘルニア」


『こっちが良くなれば、あっちが…』
沈痛な面持ちで話をしてくれた3月中旬…
球団も本人も公に発表していなかったので、ずっと黙っていました。。。


思えば、00年オフにドラフト4位での入団。
球団から与えられた背番号は「53」
数年後、阪神の主力選手になってから下記のようなことを明かしてくれました。


『球団は僕にはまったく期待していませんでしたよ。
だって、背番号53でしょ…‘ゴミ’とか‘誤算’って番号でしから(笑)』


これは主力メンバーになったからこそ言えたこと。
いまや、松井秀の「55」やイチローの「51」と同じくらい価値ある背番号になっていますよ。


決して順風満帆でなかった9年間…
入団2年目のシーズン序盤だったか?
当時中日の川上憲伸のカットボールを打ちにいって右のすねを直撃し剥離骨折、
2軍施設で治療やリハビリをしている姿、レギュラー定着にむけての矢先だっただけに、
本人のもどかしい表情が忘れられません。


私と同じ‘憲’の文字を使うので、勝手に「憲ちゃんズ」と呼ばせてもらった若かりし頃。
(金本アニキにはそんなこと言えません…)
彼から教わったプロ根性やプロとしての社会貢献、野球人口の底辺拡大、色々な想い…


心も身体も落ち着いて、気持ちの整理ができたら、ゆっくり話がしたいです。

本当に阪神を盛り上げてくれてありがとう!

そして…

本当にお疲れ様でした。
また別の形で野球界で活躍して下さいね!

投稿者: 尾山憲一 日時: 2009年12月10日(木) | コメント (1)

アナウンサー