新・読書日記 2011_117
『僕が大人になったら』(佐渡裕、PHP文庫:2011、6、17)
指揮者・佐渡裕が、『月刊CDジャーナル』で1997年から2000年12月まで4年間連載したエッセイをまとめたもの。小学生の時に文集に書いた「ベルリンフィルで指揮をする」を、ついにこの5月に達成した佐渡さん。同い年だけど、ずっと年上に見える。エネルギッシュだけど、年よりはずっと老けて見えるよね。
『僕が大人になったら』(佐渡裕、PHP文庫:2011、6、17)
指揮者・佐渡裕が、『月刊CDジャーナル』で1997年から2000年12月まで4年間連載したエッセイをまとめたもの。小学生の時に文集に書いた「ベルリンフィルで指揮をする」を、ついにこの5月に達成した佐渡さん。同い年だけど、ずっと年上に見える。エネルギッシュだけど、年よりはずっと老けて見えるよね。
この「吹っ切れた感」は、ガンで「余命2年」と宣言されたからでなく、生まれ持ったものであろう。いや生まれながらではなく、7人兄弟でありながら、幼い時に兄や弟を亡くすという経験をしたこととによって培われた「死生観」によるものかもしれない。
もう少し長生きしてほしかった・・・。
ただ、僕が佐野洋子を読み始めたのは、彼女が死んでからだ。「死」がきっかけである。
冒頭の文章といい、「山本夏彦に似ている」と思った。変人、頑固、でも憎めないところに魅力があるのだと感じた。
ちなみに「死ぬ気まんまん」という言葉は、佐野の長男が、余命2年と宣言された母の様子を見て「『死ぬ気まんまん』なんですよねえ」と言ったのを受けてのものだそうだ。
『ぼくのワイン・ストーリー~ベストセレクション142種』(羽仁進、中公文庫:1997、5、18)
単行本が出たのは1991年。文庫本を買ったのは、最初に私がワインにはまった頃。実にもう14年も前になるのだなあ。その間、「積んどく」になっていたものを、なんでだか読み始めてしまった。こういう本は、昼間はなかなか読めなくて、夜まさに「ワインを飲みながら読む」という形だったので、一気に読むのではなく、チビチビと2~3週間ぐらいかけて読んだ。
概ね、同感でした。ここに出ている当時の値段ぐらいに、今は落ち着いてきてる感じがしました。
『校長先生たちからの心揺さぶるメッセージ~これからを生きる君たちへ』(新潮社:2011、4、26)
東日本大震災の被災地の小中学校の校長先生から東京の大学の学長(総長)まで、今年の卒業式での祝辞を集めたもの。予定通り3月に卒業式を迎えることができたところはほとんどなく、4月に入ってからというところもあるし、児童・生徒が犠牲になった学校も、もちろんある。全員が参加できなくなった卒業式。非常時のいま送り出す子供たちへのはなむけの言葉だけに、形式どおりの言葉ではなく「魂からの言葉」となって、子どもたちの心にも届いたことであろう。
『日本語必笑講座』(清水義範、講談社文庫:2003、11、15第1刷・2005、4、20第6刷)
清水義範さんの言葉の本だからおもしろいに決まってる。
でも、文庫本で出たのが2003年、単行本はもっと前だから、その分「あ、古いな」というか、もう馴染んでしまっている(もしくは「死語」になってしまっている)言葉の話もいくつかあった。
「10年ほどで、言葉も時代も変わるのだなあ」
ということを"再確認"できる本だった。
2003年といえば、私の初めての本『「ことばの雑学」放送局』(PHP文庫)が出た年である。「ああ、私の本も古くなっているのかな」とも思う。絶版になっているのだから当然か。我が家にはあと200冊ぐらい、在庫がございます。
『医師がすすめる50歳からの肉体改造』(川村昌嗣、幻冬舎ルネッサンス新書:2010、6、25第1刷・2010、9、15第5刷)
ことしで私も50歳になる。ということで目に留まって(去年・一昨年だったら、買わなかったと思う)購入。なるほど、簡単なことから始めるのね。二の腕の下の「お肉」を取る運動などは、たしかに簡単でした。あ、これはこの本じゃなかったか、テレビで見たのか?
この本、たった3か月で「5刷」ということは、かなりよく売れているということですね。やはり50にもなると、いろいろな衰えが出てきて、『爽快』とか『わかさ』とか健康雑誌にも目がいくということですかね。
『案外、知らずに歌ってた童謡の謎』(合田道人、祥伝社黄金文庫:2003、10、30)
ずいぶん前に勝手読みかけて、ほったらかしになっていた。
かなりおもしろい。でも、知っている話もずいぶんあった。
いろいろと調べた上に、著者の「推測」も「創作」されている。その部分が"独自性"にあたるが、そこは「史料」としては使えない。でも話のネタにはなる。
「赤い靴はいてた女の子」の話や、「しゃぼん玉」の野口雨情の娘の話、通説とは違った部分がおもしろかった。
『携帯の無い青春』酒井順子、幻冬舎文庫:2011、6、10)
うーん、いつの間に酒井さんはこんなにいっぱいエッセイを書いているのだろう?次から次に本が出ている気がする。まあ、それがお仕事だから当たり前と言えば当たり前なのだが・・・。今回、これを読んで「あ!」と思ったのは、
「ガーリ-」
という言葉が雑誌「オリーブ」によって生まれたというあたり。「普通のことば」として「ガーリー」が使われていた。私にとっての「ガーリー」は、元サッカー・イングランド代表で名古屋グランパスにも来たWカップの得点王「ガーリー・リネカー」しかいないのだが。平成ことば事情4035「ガーリーな生活」で書くまで気付かなかった言葉です。
しかしこの本では、
「『オリーブ』という雑誌の、役割。それは「ガーリー」という概念を、世の中に認識させたことでしょう。ひな菊の花束、ガラスの小瓶、刺繍のハンカチ、シルクのリボン...。オリーブの洗礼を受けた私達は、すでに少女ではなくなった今も、どこかでガーリーさに対する愛着を抱きながら、生活を送っているのです。」(66ページ「オリーブ」)
「すでにオリーブが休刊となってしまった現在も、ガーリーなファッションや雑貨は人気がありますが、その主体となっているのは、実は少女ではなく大人です。本物の少女は『ガール風』になどしなくとも、十分に少女。宝塚の男役が必要以上に男らしく振る舞うように、既に少女ではない大人の女性は、少女以上にガーリーにこだわるのでした。」
「私達のガーリー好きは、きっとこの先も治らないだろう。が、せめて"白髪混じりの三つ編み"だけは絶対にやめよう!」
これはある種、女性の"ピーターパン症候群"では?幼児性の名残、しっぽではないか。
そして、酒井さんといえば「○○っぷり」。今回も「ミニっぷり」「興隆っぷり」が出てきました。
「ピンク・レディーの衣装は超ミニのワンピースであったわけですが、そのミニっぷりよりも、小林カツ代のエプロンのようなワンショルダーのストラップに、わたしはドキドキ感を覚えていました。」(16ページ)
「今や、大学によさこいソーランサークルがあるほどの興隆っぷりを見せているあの踊りが、これほどまでに全国に広まった理由は、やはり日本人の土俗的心理、つまりはヤンキー心を刺激する作りになっているからでしょう。」(74ページ)
堂々とした「使いっぷり」です。また、
「客席にいるのは、うっすらと中年がかった人達です。」(22ページ)
うーん、このあたり、うちの妻に言わせると「底意地の悪さを感じる」そうですが、そこが人間としての酒井さんの文章の魅力だと思います。自分も含め客観的に見ているところが。
『働かないアリに意義がある』(長谷川英祐、メディアファクトリー新書:2010、12、31)
よく「アリのうち、よく働いているのは2割で、残りの8割はあまり働いていない。その2割の"よく働くアリだけ"を集めたら、全部働くかと思ったら、やはりその中で働くのは2割だけ」というようなことを耳にする。それを人間社会に勝手に当てはめて「本当かな?」と思いつつも、幾分、思い当たるフシはなきにしも非ず。「でも2割ということはないだろう、7割ぐらいのアリは働いているのでは?」と思っていたが、この本によると、なんと、
「7割のアリは巣の中で休んでいる」
これを「不思議に休憩のアリ巣」と言う・・・とは書いてない。ゴメンナサイ、今急に思いついたので書きました。悪気はなかったので許してやってください。
更に驚いたのは、
「生まれてから死ぬまでほとんど働かないアリもいる」
ということ!あ・・・でも・・・人間でもそうかもしれないか。
「フリーライダーが増えるとその巣は滅びる」
ああ、やっぱり。「滅私奉公」は進化の過程でもあると。人間様はアリに負けてはならないと思う。アリ様のつもり?
2008年の3月にアメリカに住むI先輩からこんな質問をいただいていました。(この時に付けた「平成ことば事情」の番号は「3257」でした。)
「『平成ことば事情』で取り上げてほしい言葉があります。それは、
『捨象』
です。これは、呉智英が書いていた(『言葉につける薬』だったかな??)ので、それ以来気になっているのです。『捨象』というのは『抽象』と同義語であるはずなのに、『捨てる』という字に引きずられてか、ただ単に、『無視する』『考慮しない』などという意味によく使われているというのです。そういわれて本を読んでいると、哲学とか思想とかいうようなムズカシイ本のなかにもよく誤用されているようです。『広辞苑』で『捨象』を引くと空見出しで『抽象』となっていますから、呉のいうのが正しいとは思うのですが、道浦さんに現状や使用例などご教示いただければ幸いです。」
I先輩、ごめんなさい!3年以上もほったらかしにしていました!
忘れていたわけではなかったのですよ!いつも心のどこかに魚の骨のように引っかかっていて・・・。
で、昨晩のこと。たまたま呉智英の本を読んでいたら、『言葉の常備薬』(双葉社:2004年10月30日)の冒頭に出てきました!
それによると、2003年10月29日付けの産経新聞で当時の塩原経央・校閲部長が、個人尊重の思想が電車の中などでの「公」を無視する風潮を生んだとして、
「自己と携帯電話だけの時空に没入し、車内という『公』を捨象する」
と書いているが、この文章の意味がわからない、と。
「塩原経央は『捨象』が『抽象』と同じabstructの翻訳語だということを知らない。concreteが『具象』とも『具体』とも訳されるように、abstructは『捨象』とも『抽象』とも訳されるのである。塩原は『捨象』を『捨てる』の高級表現だと思っているのだろう。(中略)捨てると言いたいのなら平易に『捨てる』と言えばいいのだ。自分で意味のわかっていない『捨象』といったムツカシイ言葉を得意げに使って個人尊重の思想をたしなめる臆面のなさ。それこそ『自己に没入し』公を忘れ去った奢(おご)りの思想だろう。」
と、かなり手厳しいご指摘。塩原さんは、以前、新聞用語懇談会の委員としてご一緒していただけに、まるで自分が呉さんから叱られているように感じました・・・気をつけないと。
で、この「捨象」ですが、なぜ3年間もほったらかしにしていたかと言うと・・・私は使ったことがない言葉だったからです。恥ずかしながら「捨象」=「抽象」ということも、「abstructの翻訳語」ということも知りませんでした。「捨象」という言葉が出てくる本も(幸か不幸か)読んでいませんでした。(気付かなかっただけかもしれませんが・・・)
ともあれ、知らないことを知らない、と言える素直さは持ちたいと思っています。
6月22日、通常国会の最終日に、会期の「70日延長」が決まりました。
この「期間」については、当初は「3か月」とか「4か月」とか、かと思ったら昨日あたりは「50日」とも言われて迷走していましたが、「70日」、つまり「8月末」までに落ち着きました。それを聞いて私は、
「退陣要求の大合唱を耳にしている菅総理、本当は『75日』延長したかったのではないか」
と思いました。
え?なぜ「75日」かって?・・・・・
・・・・退陣陣要求も75日。
古本屋さんに古本を売りに行って、待っている間に見つけて買ってしまいました。
2002年11月~2005年6月まで、『テレパルエフ』(小学館)というテレビ雑誌に連載していたコラムをまとめたもの、のようだ。
羽鳥アナウンサーが「フリー」になったいまや、日本の「男性局アナ」の中で「最も人気のある」「最もフリーに近い」アナウンサーとされる安住アナ。しかし実は私は、あまり彼の番組を見たこともないし、よく知らなかった。そこで、「どんな人なのかな?」という興味もあって読んでみた。なかなか"おもしろそうな"性格の人のようである。少し屈折しているようにも思えるが・・・単純ではないところがおもしろいのかな?
本書によると、2006年2月当時、民放局アナが全国で1635人、NHK501人の計2136人。(「テレパルエフ」編集部しらべ。局によってはキャスター含む)も、「局アナ」という職種の人はいるそうだ。「多い」と言えば多いし、「少ない」と言えば少ない・・・ですね。
突然ですが、「バスケットシューズ」を略して言うと、
「バッシュー」
ですよね?語尾の長音も略して、
「バッシュ」
と言う人もいるかもしれませんが。当然これは、
「バスケット」と「シューズ」
という複合語の「前半」と「後半」を省略したものを、くっつけているわけです。
そこで疑問が!
そういった合成の仕方であれば、本来は、
「バス」+「シュー」→「バスシュー」
ではないかと思ったのです。しかし、実際には「バスシュー」ではなく「バッシュー」です。つまり、
「『バス』の『ス』が『母音の無声化』を経由して『促音化』している」
ということではないでしょうか。これは、「小学校」が、
「ショウガ"ク"コウ」
というように"ク"が母音の無声化するのではなく、
「ショウガッコウ」
と「促音化」するのと同じ原理ですよね。急にそんなことを考えました。オワリ。
地下鉄の中吊り広告で見かけたスポーツ雑誌『Number』の広告。特集は、スペインのサッカーチーム「レアルマドリード」の「モウリーニョ監督」などの名監督の人心掌握術。まるで男性ファッション雑誌のようにかっこよくモウリーニョ監督が写っていました。思わず、「読みたいな、買おう!」と思って、地下鉄を降りてすぐ、駅の売店に向かいました。しかし、ざっと見回したところ『Number』が見当たらないので、
「すみません、『Number』ありますか?」
と聞くと、売店のおじさんが、"なぜか不審げな顔"をしました。知らないのかな?『Number』を。そこで、
「あ、スポーツ雑誌の『Number』です」
と言うと、
「ああ・・・売り切れや」
と言うのです。出たばっかりのはずなのに、そんなに人気があるのか!
そこで、もう一軒の売店に向かい、売り子のおばさんに、
「『Number』ありますか?」
と聞いたのですが、やはり"不審げな顔"をされた挙句、
「取り扱ってない」
と。おかしいな、普通、売店に置いてるやろ。地下鉄の中吊り広告にも出てるくらいだし・・・と、そこで気付きました。私が「『Number』ありますか?」と聞いた売店がある駅は・・・・
「なんば駅」
だったのです。おそらく店の人は、
「『なんば』ありますかって、この人は一体何を言ってるんやろ?昼間から酔っとんのと違うか?」
と思って、"不審げな顔"をしたに違いありません。そのあと、駅構内の別のコンビニに行くと、ほかの雑誌と同じように『Number』を置いてあったので、購入しました。
「なんば」に『Number』、ありました。
先日のこと、「ミヤネ屋」の芸能担当のディレクターから質問の電話がかかってきました。
「『とんでもはっぷん』という言葉を知っていますか?」
街頭インタビューで、そう答えた人がいたというのです。
「知ってるよ」
と答えると、今度は、
「『はっぷん』は『平仮名』か『カタカナ』か、『数字と漢字で「8分」』か?」
という質問です。そこで、こう説明しました。
「これは『とんでもない』と、英語の『What happened?』(何が起こったんだ?どうしたんだ?)がくっついたもので『とんでもハップン』と『カタカナ書き』します。」
私の机の上にある、梅花女子大学・米川明彦教授編『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂)によると、これは戦後学生の間で使われていた「流行語」で、1950年(昭和25年)獅子文六の新聞連載小説『自由学校』の中で若い男女の会話の中に使って流行語になった、と。
女「ハマ(=横浜)へ遊びにいく意志なんか、全然、ありもしないのに、そんなこといってサ。あんた、今日ピンチなんでしょう。ピンチならピンチと、正直に仰有(おっしゃ)いな。あたしは、持ってるのよ。ハマで中華料理ぐらい食べたって、平チャラなのよ」
男「飛んでも、ハップン!いけませんよ、ユリーにチャージさせるなんて・・・」
女「それが、きらい!そんなヘンな形式主義、ネバー・好きッ!」
というふうに使われているそうです。(なお「ネバー・好き」は「好き」の否定形で、意味は「大ッ嫌い」)
つまりその時代(1950年代)に若者だった人たち(推定年齢78歳前後)が、今も使い続けている、ということでしょうか。その後、
「とんでもハップン、歩いてジ(ュ)ップン(10分)」
というようなギャグも生まれました。
これ、先輩のMアナウンサーに、会社に入った頃、さんざん教えられた言葉でした。
ね、Mさん!
『バーンスタイン名盤100選』(佐渡裕・高橋敏郎、新潮社とんぼの本:2008、9、25)
1ページの3分の2は、バーンスタインの「レコードジャケットの写真」。見ているだけで楽しい。文章は、佐渡さんが書いているのか高橋さんが書いているのかがわからないので、最後まで戸惑う。もしかしたら、二人が書いているのは署名コラムだけで、レコードジャケットの解説は全く別人かも。そのあたりが明らかでないのは不親切。その意味では消化不良の一冊だが、ここに出ているレコードやCD、全部聴きたくなってきた。
『マッチポンプ売りの少女~童話が教える本当に怖いお金のこと』(マネー・ヘッタ・チャン、あさ出版:2011、5、4)
装丁が気に入った。パロディ感覚も気に入った。でも、内容は1300円という値段には値しない。780円ぐらいかな。最後の、なさそうでありそうな"オチ"は、本当にあるとコワイ・・・。
『私家版 差別語辞典』(上原善広、新潮選書:2011、5、25)
著者は、1973年生まれ。『日本の路地を旅する』で2010年大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞したそうだ。
本書を読めば分かるが「路地」というのは、著者による「被差別部落」の「文学的表現」だそうだ。中上健次も「路地」という表現を使っていたそうだが、これはやはり慣れないと違和感があり、読み飛ばしてしまいそうだ。
「辞典」とタイトルに付いているが、もちろんいわゆる「辞典」のような本ではない。
著者自身、"路地"に出自を持ち、「そもそも差別とは何なのか?」ということを言葉の側面から探究している。しかし、やはり1973年生まれと若いこともあって、本当に厳しい差別があった時代は既に過ぎてしまっていたように感じる。それでも、潜行した「差別」の実態こそ、「ルポ」の手法で地道に明かしていかないといけないテーマなのかもしれない。
6月12日、「F1カナダ・グランプリ」の「生放送」を見ていた中2の息子が、こう言いました。
「0(ゼロ)は複数形なんやな」
何のことかと言うと、各F1マシンが「ピットイン」した回数を画面では英語でスーパー表示してあるのですが、それが、
「0 STOPS」
「1 STOP」
「2 STOPS」
というように書かれていたのです。つまり、
「0 STOPS」は「S」が付く複数形
「1 STOP」は 「S」が付かない単数形
ということです。あ、たしかに。「2」「3」は複数ですから「S」が付くし、「1」は単数ですから「S」は付かないのは当たり前ですが、「0」というのはこういう場合の扱いは、「単数形」なのか「複数形」なのか、考えたことがなかったけど、こうやって画面を見ていると、
「0(ゼロ)は複数形を使う」
ということなのでしょうか?もし、そうだとしたら、
「単数というのは『1』のみを表す」
ということなんですね。あ、「マイナス1」は「単数」なんだろうか?「負の単数」とかいうのかな?
久々に英語の?算数の?勉強をした気がしました。
答えをご存じの方、ぜひご教示ください。
(追記)
『数字とことばの不思議な話』(窪園晴夫、岩波ジュニア新書:2011、6、21)という本の新聞広告を見かけたので、早速購入。窪園先生は、お会いしたことはないが神戸大学の先生だし、お名前は存じ上げている。買った本を早速開くと、最初にしおりが入っていたページに、
「複数は2以上?」
というコラムが。あれ?もしかしてこれは・・・と思って読むと、ビンゴ!まさに「0は複数か?」という問題の答えが!
「複数は N>1かというと、それも正確とは言えません。ローレンスの研究によると、英語では0、2や0、5でも複数形で受けます。また面白いことに0、1のように小数点以下が1で終わっている場合でも複数形の -sが付きます。さらにはゼロの場合でも名詞を複数扱いするようです。
0,2liters. 0,5meters.
0,1liters. 0,1meters.
0 degrees Fahrenheit(華氏0度)」
ほう、そうだったんですか、やっぱり!
ついでに「マイナスの場合」も複数形が使われるそうです。
この本は「ジュニア向け」なので、息子にも読まそうかな。ジュニア向けとはいえ、大変興味深くおもしろい一冊です。(まだ、読んでる途中ですが。)
あ、窪園先生、去年(201年)の4月から、「人間文化研究機構・国立国語研究所」の教授になってらっしゃいました。神戸には、いないんだ。
(2011、7、3)
梅雨です。やっぱり雨はうっとうしい。
そんな季節に久々にDVDを借りてきて見たのが、
『シェルブールの雨傘』
です。冒頭シーン、カメラが上から広場を歩く人たちを撮影した様子が、それこそ文字通り、
「傘の花が咲く感じ」
でとっても斬新なオシャレな感じがしました。
で、今回そのシーンを見ていて気付いたのですが、出てくる「傘の骨」が皆、
「12本」
なのです。現在、日本で売っている傘、ふつう傘の骨の数は、
「8本」
です。「上等な傘」(高価な傘)は、
「16本」
の物もあります。先日、家の近くのショッピングモールに展示してあった傘の骨は、なんと
「24本」
でした。「傘の骨の数」も、時代とともに流行があるのかもしれません。
ところで、『シェルブールの雨傘』の音楽と、中村雅俊主演の青春ドラマ『われら青春』のいずみたくシンガーズが歌う主題歌『帰らざる日々のために』(いずみたく作曲)に、似た部分があります。一番有名な歌詞、
「涙は心の汗だ」
の部分です。もしかしたら、いずみたくさんは『シェルブールの雨傘』をイメージしたのかもしれませんね。違うかもしれませんが。
タイトルが気になって、書評を読んで購入。最初のところで「大学の下流化」について書かれていてフムフムと読んでいたのだが、途中(46ページ以降)からおかしくなった。読書日記や書評(それもまとまりのない)が入ってきて、「大学の下流化」の話は「え?最初だけ?」という感じ。あれ?なんだこれ、これまでに書いた雑文を集めただけではないか?ちょっと「騙された感」があった。
途中から、その「書評」というか「読書日記」がちょっとおもしろくなってきた。「合コンと合ハイ」などを含んだ「第6章ニッポン社会考」はなかなかおもしろかった。ということで、真ん中はちょっと「キセル」してる感じですね、この本は装丁はオシャレです。
『気になる日本語~本音を申せば』(小林信彦、文藝春秋:2011、5、15)
小林信彦の2010年に「週刊文春」で発表されたコラムをまとめたもの。全部既に読んでいるので、特に目新しい感じはない。高島俊男さんの「コラムまとめ単行本」のように「あとからひとこと」を入れてくれると、わざわざ単行本を買う価値が上がると思うのだが。
2010年は7回にわたって「気になる日本語」を取り上げていたので、それがタイトルになっているが、週刊誌でのタイトルは「本音を申せば」。「気になる日本語」の筆頭は「悩ましい」の用法について。これ、気になりだすと本当に"悩ましい"んですよねえ。でも本当に「語感」というものはなかなか厄介で、人それぞれの部分があるので。単行本でも直っていなかったが、牧村史陽の本のタイトルは「大阪方言事典」ではなく「大阪ことば事典」だと思うが、いかが?
ともかく、ここに出てくる本や映画の話を読んでいると、「見たいなあ」と思う。イーストウッドで見ていないのもあるので、DVD借りてきて見ようっと。
『語感トレーニング~日本語のセンスをみがく55題』(中村明、岩波新書:2011、4、20)
昨年、著者は岩波から『日本語語感の辞典』という辞書を出した。おそらく、その編纂の過程で出てきた様々な疑問や問題点などで辞書には盛り込めなかったものを、この「新書」にまとめたのだろうと思ったら、「あとがき」を読むと、やっぱりそういうことだったみたい。クイズ形式にしたことで、読みやすくなった。55問もあるので、ちょっとへばり気味にはなりましたが、勉強になりました。大体、私の語感と著者の語感は一致していたが、これ、若い人にやらせたらなかなか難しいのではないか。また、外国人にはちんぷんかんぷんかもしれない。
それにしても日本語というのは、一つの言葉に様々な表現があって、その微妙なニュアンスの違いが、話し手と相手の関係性を表すだなあと、改めて感心する一冊。
菅総理退陣の時期がいつか?を巡って、ああでもない、こうでもないという政局。
その中で、
「月内決着」「月内退陣」
というふうに、
「月内」
という言葉が出てきました。これの読み方は、当然、
「ゲツナイ」
でしょうが、ちょっと耳慣れない感じも、しないではない。いかにも「書き言葉的」です。でも、だからと言って、
「ツキナイ」
でもないでしょうし。意味の上では、
「今月内決着」「今月中退陣」
ということです。ですから、そう言った(読んだ)方が「話し言葉的」です。もしくは、
「6月決着」「6月退陣」
でもいいのでは?
「今月中」の「中」も、「チュウ」なのか「ジュウ」なのかで、少し意味合いが変わってくる気がします。「チュウ」は「6月の中のどこか」、「ジュウ」は「締め切りが6月末日=30日まで」という感じですね。
簡単な漢字でいくつか読み方があるものほど難しいというケースが、まま、あります。
先日の出張の折りに乗った飛行機。降りる際にドアのところを見ると、
「TAXI」
と書かれていました。え?飛行機なのになんで「タクシー」なの?
キャビンアテンダントに聞こうと思ったけど、後ろからほかのお客さんも降りるために並んでたので止まることもできず、そのまま降りてしまいました。
あとでインターネットで調べてみたところ、
「地上走行」
のことだそうです。『ジーニアス英和辞典』で「taxi」を引いてみると、「動詞」で、
「<飛行機が>(離着陸の時)誘導路を移動する、タクシングする」
と書かれていました。
『オックスフォード現代英英辞典』で引くと、やはり「動詞」の意味として、
「taxiing ,taxied, taxied (of a plain) to move slowly along the ground before taking off or after landing」
と分かりやすく書かれていました。
これまでおそらく何百回も飛行機に乗っていながら、「TAXI」を見かけたのはこれが初めて。見ているようで見ていないんだなあと、改めて思いました。
でも、空港で、
「ヘイ!タクシー!!」
と言っても、飛行機は来ません。
佐野洋子さんの『私はそうは思わない』(ちくま文庫)を読んでいたら、
「こんぐらがったまま」
という表現が出てきました。
「こんぐらがる」
です。通常ですと、
「こんがらがる」
と言うところだと思うのですが。『精選版日本国語大辞典』を引くと、ありました!
☆「こんぐらかる」(「こんぐらがる」とも)→こんがらかる。*「煤煙」(1909)<森田草平>一九「而もその不幸の原因は判然意に上らない程漠然としてこんぐらかってゐるが」
とありました。用例はあるものの、ほとんど「空見出し」。「こんがらかる」を見よ、となっています。そこで「こんがらかる」を見ると、
☆「こんがらかる」(「こんがらがる」とも)もつれからまる。物事がいりみだれて、ややこしくなる。紛糾する。こぐらかる。こんぐらかる。*「門三味線」(1895)<斉藤緑雨>一三「ふだんから善いも悪いも染めしいとの綯(より)強く、こんがらかって出るがお前の癖ゆゑ」
でした。・・・こんぐらかってきました。
そして、Google検索でもYAHOO検索でも(6月13日)
「こんぐらがる」
で検索すると、
「こんがらかる」ではありませんか?
と聞いてくるのでした。これは使えねえなあ。
1年ほど前、平成ことば事情3960「ベンショー」で「ベンショー」から「ベベンジョカンジョ」について書きましたが、先日、『私家版差別語辞典』(上原善広、新潮選書:2011、5、25)という本を読んでいたらこんな記述に出会いました。
「異民族を集めた集落としての古い地名は、一説には別所」
あ!もしかして、この「別所」が「ベッチョ」に訛ったのではないか?そちらの方が「小便」→「ビンショー」よりも可能性があるのでは?と思いました。
この本ではほかにも、「韓国の被差別民・白丁(ペクチョン)」というのを紹介していました。この「ペクチョン」→「ビンショ」「ベベンジョカンジョ」という変化の可能性もないとは限りませんが。
単に音が似ているということと、いわゆる「穢れ」→「差別」ということしか共通点はないので、なんとも言えませんが、語源の可能性の一つとして目に留まったので、書き記しておきます。
6月9日「第3回AKB48総選挙」の結果が発表されました。
第1回・第2回にくらべると、格段にAKBの知名度も増して、大きな盛り上がりになったようです。震災のさなかに・・・という気持ちもないではないですが・・・。「ミヤネ屋」でも大きく取り上げました。秋元さんはすごいなと思います。
さて、この「総選挙」で「おや?」と思ったのは、女の子たちの名前です。
一番下に「子」が付く名前が、ベスト21人中、「3人」しかいないのに。その3人が、
「前田敦子」(1位)、「大島優子」(2位)、「篠田麻里子」(4位)
と、「1、2、4位」と上位陣を占めているのです。ちなみに「ベスト40」人中でも「子」の付く子は、あと2人(「秦佐和子」「松井咲子」)で計「5人」しかいません。残り「35人」は「子が付かない名前」です。いまや「子が付く」名前は「希少価値」、だからこそ、人気が出るのでしょうか?
もちろん「名前」がすべてではなく、容姿とか性格とかの方が大きな比重を占めているのでしょうけど、それにしても「子」です。たまたま、「子」が付く子が上位だったのか?それとも逆にたまたま「上位になる子」の名前に「子が付いていた」のでしょうか?どうなんでしょうねえ?
『大学の下流化』(竹内洋、NTT出版:2011、4、19)という本を読んでいたら、こんな表現が出てきました。
「人生の半ばを過ぎた者には、腹にすとんとおちる。」(146ページ)
ここに出てきた、
「腹にすとんとおちる」
というのは、普通は、
「腑に落ちる」
と言うのではないでしょうか?
Google検索(6月13日)では、
「腹にすとんと落ちる」= 992件
「腹にすとんとおちる」= 2件
「腹にストンと落ちる」=3650件
「腹にストンとおちる」= 6件
と、数は少ないながらありました。ちなみに、
「腹に落ちる」=133万0000件
「腹におちる」= 3万3000件
と、「すとん」「ストン」を落としたら、えらいたくさん出てきました。続いて、
「胃の腑に落ちる」=1万3700件
「胃の腑におちる」= 128件
「腑に落ちる」= 36万2000件
「腑におちる」= 4万7400件
ここでようやく辞書を引いて見ましょう。『広辞苑』。あ、いきなりあった!
「腹に落ちる」=納得する。合点がいく。腑に落ちる
うーむ。あったか。しかし、『精選版日本国語大辞典』『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『明鏡国語辞典』『岩波国語辞典』『新潮現代国語辞典』には載っていませんでした。「腹に一物」は載ってるんだけどな。(「腹に一物、両手に荷物」は載っていません。)
その一方で、『デジタル大辞泉』には載っていました。
「腹に落ちる」=なるほど葬だと思う。納得する。得心する。(用例)「手紙を差し上げますよ、口で言って、貴方の腹に落ちないかと困るから」(小栗風花『青春』1905~06)
ふーむ、100年以上前にありましたか。
ということで、皆さん、すとんと腹に落ちましたか?
『松本あゆ美のNHK講座~全国か日本語を集めちゃいました!』(「みんなでニホンGO!」制作班、祥伝社:2010、8、5)
去年放送されたNHKの番組『みんなでニホンGO!』の中でアシスタントをしていた、松本あゆ美さんが担当していたミニコーナーを本にしたもの。ま、ひとことで言うと、『VOW』ですね。「町で見かけたおかしな看板」の写真を集めたものです。
それだけで私の場合「買い」となるわけですが、ちょっと買うのを躊躇したのは、まるで「アイドル本」のように、どのページにも松本あゆ美さんのカラー写真が出てくるのです。これがまた、かわいい!
でも、「それ目当てで買ったおっさん」と思われるのはシャクなので、買うのには少し勇気が要った、というわけです。
この本をカバーなしで電車の中で読むのも、この年になると勇気が要ります。マンガ本は読めるんだけどな。
読売テレビの関西ローカル『関西情報ネットten!』で、漫才の「ますだおかだ」のますださんが出演している名物コーナー「街角トレジャー」。6月8日の放送で訪ねたのは、大阪府八尾市の商店街。
そこで、ますださんが出会ったおじいさん、趣味を聞くと
「趣味はインターや。あれで何でも見られんねん」
と言っていました。この「インター」というのは・・・・そう、
「インターネット」
のことでした・・・。普通は、前の部分を省略して、
「ネット」
と言うんですけどね、とますださんも言っていましたが、これにはおじいさん、全く動じることはありませんでした。
たしかに略語としては後ろを省略するのは「正統派」だわな。でも既に「インター」という略し方では、
「インターチェンジ」
を略した「インター」が、先輩格として定着してるからなあ。これから「インターネット」の略し方として「インター」を定着させるのは難しいのではないでしょうか?
あ、それとも、大阪の八尾界隈では、既にインターネットのことは「インター」と呼ばれているのかな?
このおじいさん、ますださんに、
「お父さん、インターで何を見てんねん?エッチな映像見てるんとちゃうん?」
と言われてタジタジ、強硬に否定はしていましたが、さて。
6月8日の「ミヤネ屋」の「ヨミ斬りタイムズ」のコーナーで取り上げた記事に、
「北里大学」
が出てきました。これを紹介したIアナウンサー(長野県出身)の読みを聞いていると、
「キタザト大学」
と「里」が濁って聞こえました。しかし、実はこの大学名、正しくは濁らずに、
「キタサト大学」
なのです。そこで、Iアナウンサーに、
「キタサトは濁らないんだよ」
とOA後に言ったら、
「ええ、知っています。事前に調べました。ちゃんと濁らないで言いました!」
と言うではないですか!しかし私の耳には濁って聞こえた・・・そういえば、同じく若手のYアナウンサー(神奈川県出身)も、時々そういう傾向が・・・私の耳が遠くなったからか、それとも二人の発音が悪いのか?
これで思い出したことがあります。
以前「茨城県庁」に電話して「イバラギ」か?「イバラキ」か?を聞いたときの事、受付の人は確かに、
「イバラギ県庁です」
と「濁って」電話に出たのですが、
「"茨城県"というのは、濁りますか?濁りませんか?」
と尋ねると、キッパリと、
「濁りません!」
と言いました。
「失礼ですが、先ほど、電話に出られたときは濁って聞こえたのですが・・・」
と言うと、
「そう聞こえたかもしれませんが、濁りません」
という答えでした。同じようなことは、岩手の「陸前高田市」でも。正式には、
「タカタ」
と濁らないのだけど、地元の人の会話を聞くと濁って聞こえる・・・。
つまり母音の音が、そういう音なのですね。
「地元の人はそれでいいけど、アナウンサーはきっちりと区別して発音する必要があるよ」とIアナウンサーには伝えました。地方の方言なのか、それとも若い人のアクセントが変わってきているのか、どちらかはわかりません。
6月8日放送の「ミヤネ屋」の通称「プロテク」のコーナーで、ナスをおいしく炒める方法を紹介していました。その際に料理の先生が、
「こうすれば、ナスをエンジョイできます」
と言いました。
「ナスをエンジョイできる」?
初めて聞いた表現です。「夏をエンジョイできる」なら、よく耳にしますが、ナス、デスカ・・・。
ところで、この「エンジョイ」という英語、もちろん中学生でも意味が分かりますよね、
「楽しむ」
ですね、一言で言うと。それ以上考えたことはここ35年、ありませんでしたが、急に、
「あっ!」
と思いました。
「エンジョイ」=「enjoy」=「en + joy」
つまり、「joy」を「en」してるんだ!
「joy」
も、中学生でも知ってる、
「楽しみ」
という名詞。そして
「en」
は、「入る」とか「そういう状態になる(する)」という意味では?と思い辞書を引くと、ビンゴ!
「enjoy」=【原義:喜び(joy)を与える(en)】
と書かれているではないですか!やっぱりね!
「encourage」(勇気付ける)=「en」(与える)+「courage」(勇気)
と同じ形だ!とってもうれしくなりました。吉井勇の詩「I was born」で、
「生まれるって、だから受け身形なんだね!」
とかなんとか叫んだ中学生と同じ気持ちです。
「enjoy」をエンジョイできました!「プロテク」のナスの先生、ありがとう!
「ミヤネ屋」の女性ナレーターMさんに質問を受けました。
「1691」という数字の読み方は、
(1)「セ/ンロピャクキュ\ージュー・イ/チ」
(2)「セ\ンロッピャク・キュー\ジュー・イ/チ」
のどちらでしょうか?というのです。私は迷うことなく、
(2)「セ\ンロッピャク・キュー\ジュー・イ/チ」
と答えてから「あっ!」と思いました。
(1) の読み方の数の区切りは、
「1690」+「1」
なのに対して、(2)は、
「1600」+「91」
という区切りになっているのです。そして、その(2)の区切り方は、表記上の数字の切れ目で見ると、
「16・91」
と、「2つ・2つ」の区切りで読んでいる。
これは例えば英語でも、西暦や部屋番号の「1691」と言うときには、「2つ・2つ」に区切って、
「sixteen― ninetyone」
と言うのと似ているのではないでしょうか?
それがどうした!?と言われれば、それだけのことなのですが、何か「新発見」をした気がしました。「1492」だったらもっとよかった。
6月7日の夕刊を見ていたら、
「ソー活」
という言葉に出会いました。
「総括」
というと、学生運動華やかかりし頃には、「恐ろしい言葉」だったと思いますが、カタカナと漢字が混ざったこの言葉は、そんな「コワイもの」ではなさそうです。
意味を見てみたら、
「ソーシャルメディアを使った就職活動の略」
とありました。「ソーシャルメディア」が略されると「ソー」・・・ソーですか・・・。
たしかに、10年ちょっと前から「就職活動」が、
「就活」
と省略され、さらには、最初は漢字だった表記が、
「シューカツ」
とカタカナに変わって軽くなって、「婚活」とか「妊活」とか「保活」とか、いろんな「活」のバリエーションが増えていますから、その仲間だと思えば、それほど不思議はありませんが・・・。Google検索では(6月7日)、
「ソー活」=3万6900件
もありました。さすが「ソーシャルネットワーク」。しかし私は、
「ソースカツ」
の方が、なじみがありますな。おじさんだもの。「あいだみつを」か。
『新装版・食卓にあがった放射能』(高木仁三郎・渡辺美紀子、七つ森書館:2011、4、26)
チェルノブイリ原発事故の後の1990年に出された本が、「フクシマ」のあとに「新装版」として出た。既に著者の高木仁三郎氏は、この世にない。
セシウムの問題は、当時も問題になっていた。
当時の「暫定基準」は、370ベクレル/kgだったようだ。今は、牛乳・乳製品などは200ベクレル/Kg、それ以外の野菜などは500ベクレル/kgである。「暫定」の基準は、いつ上がった(一部下がった)のだろう?
そして「正しい情報の伝達」ということが重要であることは20年前から変わっていないことも確認した。
『原発大崩壊!~第2のフクシマは日本中にある』(武田邦彦、ベスト新書:2011、5、24第1刷・2011、6、5第3刷)
武田先生の本、以前読んだときは「ちょっとマユツバ」的に思っていたが、震災・原発事故以来、とても信頼が置けるように思える。
武田先生は「安全な原発を推進する」という立場、すなわち「安全でない原発は推進しない」というスタンスを一貫して取っている。そして「そもそも、日本のように地震の多い国に建てられた原発は、安全ではない」ことを前提に、「万が一、事故が起こった場合に、周辺住民がどうやって避難するか」をまず考えるべきだという主張は、大いにうなずける。そして我が国の原発は「万が一の場合、どうやって"原子炉"を守るか」を第一に考えてきて、周辺住民のことは考えていなかったという指摘も鋭い。「安全神話」を盾に、対策を講じなかったのだ。「飛行機はめったに落ちない安全な乗り物。でも万が一の場合、落ちることもある。だから、もしもに備えて、酸素マスクや救命胴着の説明をする」のが「当然」だとすれば、「原発」も同様の備えをするべきだという主張、ごもっともです。
『岳 第8~14巻』(石塚真一、小学館:9巻は2009、3、4第1刷・2011、3、16第11刷)
主人公・島崎三歩が、救助の際、要救(救助要請者)に対して必ずかける言葉、それは、
「よく頑張った!」
相手が生きていても、そして亡くなってしまっても、この言葉をかける。この一言が、胸に染みる。
生きていた相手に対してはさらに、
「また、山においでよ!」
この温かさがたまらない。
中学生になったナオトは、絶対に三歩を継ぐ大人になってくれる!
『うまく話せなくても生きていく方法~「口ベタ」は悪くない』(梶原しげる、PHP新書:2011、5、6第1刷)
結構、難しいところをターゲットにした「話し方の本」だなあ、と感じた。
と言うのも、世の中に数多くいるであろう「口ベタの人」をターゲットにしたのはいいけれど、その解決策として「うまく話せなくてもいいんだよ」と「そのまま」を認める姿勢を打ち出したことで、「話し方の本」ではなくなってしまっている。カウンセリングの本。でも、時々「ちょっと勇気を出して、話すきっかけを作ってみたら」という"誘い水"を向けている感じだ。
「そのままでいい」と肯定すると、言われた本人は安心するかもしれないが、世の中はそれほど受け入れてくれないという現実がある。その中で、自分の気持ちだけ「そのままでいいんだよ」と心の安定を得ても結局、外の世界とのズレた感じを強く覚えてしまうのではないか?うーん、誰にでも均等に効くレシピはないのだよなあ、きっと。難しい。
『日本の珍地名』(竹内正浩、文春新書:2009、8、20第1刷)
単に「珍地名」というよりは、「平成の大合併」によって生まれた「新しい地名の裏側」を読み解く、といった感じの一冊。
昭和の時代には4つしかなかったのに、今回の大合併で一気に増えた「ひらがな市町村名」だが、それらは「奇を衒ったもの」ばかりではなく、その裏側にはやむにやまれず「ひらがな」を選択するしかなかったというような事情があったり、せっかく住民投票で名前を決めたのに、その結果が反映されなかった地名など、「名前」の裏側に隠されたそれぞれの「合併事情」が浮かび上がる。異なる町が一つになることの難しさがよ~くわかる一冊。
これを読んで思ったのは、合併が一段落した今こそ、「合併の功罪」を検証すべきではないかということ。それなくして、「道州制」なんて「理想」を語っても仕方がないのではないかと思った。「平成の大合併」は「壮大な実験」であったのだから、実験結果を検証しない手はない。
『岳 第5~7巻』(石塚真一、小学館:第5巻=2007、10、3第1刷・2011、2、20第18刷)
主人公の島崎三歩という男。いつも明るく能天気に見える、純粋な子どものような男。彼のハートの大きさ・温かさはエベレスト並みだ。こんな男が本当にいたらなあと思う。山には、いるのかな?
『震災列島』(石黒耀、講談社文庫:2010、1、15第1刷・2011、5、6第2刷・単行本は2004、10刊行)
単行本が出たときに、人から借りて読んだ。今回の東日本大震災にあたって読み返そうと書棚を見たけど見当たらず、買おうかなと思っていたら、書店で文庫本を見つけて迷わず購入。「おもしろかった」と書くと語弊があるが、「災害読み物」としてというよりは、主人公の「敵討ち」の物語として「おもしろかった」と言うべきだろう。ただ、その「敵討ち」の方法の前提となるのが「東海地震」であり「津波」であるという点、そういった道具立てが、フィクションの形をとって地震対策への警鐘を鳴らしているということなんだろうと思った。
東日本大震災がらみで言うと、「浜岡原発」に関する記述が、かなり詳細で参考になった。
そして・・・今頃気付いた!ペンネームの「石黒耀」は「黒耀石」の「石」を頭に持ってきただけやんか!うまいことカッコいいペンネーム作ったなあ!僕もそんなペンネーム作りたいです!勉強になりました!
『年収1億円思考』(江上治、経済界:2011、2、7第1刷・2011、2、28第3刷)
タイトルで売れてるんだろうな。年末ジャンボ三億円のような語呂のよさ。
中身は・・・どうなんでしょうか、人によるんでしょうね。
この間の『9割がバイトでも最高のスタッフに育つディズニーの教え方』といい、ビジネス書で「おお!」というものは、なかなかないような気がします。と言うほど読んでいないので、なんとも言えませんが、「たまたま当たりが悪い」ということなんでしょうか?
『FUKUSHIMA福島原発メルトダウン』(広瀬隆、朝日新書:2011、5、30)
浜岡原発の危険性を指摘した本書が書かれたあとに、菅総理は中部電力に浜岡原発の停止を要請しました。その意味では、本書は先見性があると言えるでしょう。でも、浜岡原発の危険性は他の本でも指摘していますし、別に浜岡原発に限ったわけはないという話も。この本、結構、売れているようです。
「想定外」というが、そもそもの「想定」した被害(津波)の規模が低すぎるために「想定外」になったと。きっちりとした「想定」をしなかったことに、今回の原発事故の原因も求められるのではないでしょうか。本書は、今回の原発事故は「人災だ」と断定しています。
『9割がバイトでも最高のスタッフに育つディズニーの教え方』(福島文二郎、中経出版 :2010、11、25第1刷・2011、5、6第19刷)
会社の帰りに本屋さんで平台にズラリと並んでいるのを見て、ついつい買ってしまいましたが、帰りの電車の25分、さらに家で10分で読了。「読みやすい」といえば聞こえはいいが・・・。これで1300円(プラス税)は、取りすぎでしょう。ワンコイン(500円)ぐらいが妥当では?雑誌の特集記事感覚です。
あまり目新しいことや「そうだったのか!」ということは、少なくとも私にとっては書かれていませんでした。既にやっていることばかりでした。でも、売れているんですよね、この本。タイトルがいいのかな・・・。
5月25日の産経新聞に、
「客足◎ 購買客△」
という見出しが出ていました。5月に装いも新たに全面開業したJR大阪駅の南北の駅ビルに新規開業した3つの商業施設で、「来店客」は目標を大きく上回ったものの、実際に買い物をした割合を示す「買い上げ率」が各施設とも20%台と、想定を下回っていることが分かったという記事です。
それを見て私の頭に思い浮かべた言葉が、
「夏場のハマグリ」
でした。ご存じですか?「大阪のしゃれ言葉」です。意味は・・・・一緒に考えましょう。
「夏場」は「暑い」。その暑い時期の「ハマグリ=生もの」は「腐りやすい」ですよね。でも、腐るのは中の「身」だけで、外の「貝殻」はもちろん腐らない。ということで、もうお分かりですね。え?まだ分からない?では、どういう状況使われるかをご説明します。店主と知り合いの会話。
「どや?もうかってまっか?」
「いやあ、あかんあかん、全然や」
「そいでも結構、お客さん、入ってるやないか」
「いやあ、もう『夏場のハマグリ』ばっかりや」
別にこのお店は「魚屋さん」ではありません。
そう、さっきの解説にあった内容を照らし合わせると、そこから導き出されるのは・・・
「ハマグリの身は腐るが、貝殻は腐らない」
つまり、
「み(身→見)ィくさって、かい(貝→買い)くさらん」
というちょっとお下品な感じの言葉。
「見るだけで買わない」
という客のことを言っていたのです。お客さんには意味が分からないように言うという意味では「隠語」でもありますね。
JR大阪駅の商業施設を訪れたお客さんは、まさに、「見るだけで買わない人が多い」という話でした。
内閣不信任案の採決を巡りもめていたきょう(6月2日)のお昼のニュースを見ていたら、今回の不信任案に関して、東日本大震災の被災地の人が、このように話していました。
「選挙もヘチマもない」
その通りだと思います。
ところで、この「ヘチマもない」という表現、なぜ「ヘチマ」なんでしょうか?
「へったくれもない」
という言い方もしますよね、いずれも「へ」で始まっています。「へったくれ」は、
「蔕(へた)」
から来てるのかな?ところで、
「ヘチマ」
というのは、漢字では、
「糸瓜」
と書きます。そのまま読むと、
「イトウリ」
ですよね。「イロハ」の並びで「ヘ」と「チ」の「間(あいだ・マ)」は、
「イロハニホヘトチルヌル・・・」
ですから、
「ト」
になります。そこで、
「イトウリ」→「トウリ」→「ヘチ間(マ)ウリ」→「ヘチマ(ウリ)」
→「ヘチマ」
となったそうです。ホンマかいな。この語源説は、関係あるのかな?
『精選版日本国語大辞典』で「へちま」を引くと、
「(3)つまらないもの、とるにたりないものをたとえていう語。へちまの皮。」
と載っていました。用例は二つ、ともに江戸時代。
*「色々いやといへども、種々教訓ゆゑ、経を頂きて候。さりながら、いただきたる経を糸瓜とも思ふにこそ」(「咄本・醒酔笑」(1628)七)
*「人のかはきたちくしゃう女が、なごりもへちまもなん共ない」(「浄瑠璃・心中天の網島(1729)中」
とありました。あ、そうすると、「つまらないもの」として挙がっている、
「へちまの皮」
が略されたのか、もしくは「ちま」が余分で、最初は、
「へ(=屁)」
であったのではないか?「屁でもない」だったのでは?
「屁とも思わぬ」
は、『精選版日本国語大辞典』に載っていました。
『広辞苑』でこの意味での用例は、「一休狂歌問答」から、
「世の中は何のへちまと思へども」
とあました。一休禅師は、室町時代ですよね?あ、
「何の役にも経たないもの。またつまらぬもののたとえ」
としての、
「糸瓜の皮」
も『広辞苑』に載ってるぞ。浄瑠璃・「丹波与作侍夜の小室節」から、
「恩も礼儀も忠孝も死ぬる身には糸瓜の皮」
ふーむ、やはり「屁」よりは「糸瓜の皮」が起源かな。
でも「何の役にも立たない」と言いながら、2番目の意味で、
「垢すりなどに用いる」
と書いてあります。「役に立ってる」やんか!ちょっとだけ。
でも、どこぞの国の政治家どもは、(3)の意味での「へちま」のようです。
『大津波と原発』(内田樹×中沢新一×平川克美、朝日新聞出版:2011、5、30)
表記の3人の鼎談。
なんか、「高見の見物」的な感じがしてしまうのだが。もちろん、現場とは別に大所高所から大きな道筋の意見を言う人の存在も必要なのだが・・・。
ただ、これまでの日本は「問題先送りの連続」だった、それがもう「先送り」できない状態になったのだという認識は、その通りだと思う。
そんな中、内閣不信任案の採決を巡る「国会=政治家のムラ」での「コップの中の嵐」・・・これこそまたもや「問題の先送り」なのではないか。政治家として取り組むべきものが目の前にあるのに、それを見つめることを避けているとしか思えない。いつになったらそれに気付くのか。いや、「気付かないふり」をやめるのか。国民の、被災した人たちの声は、一体誰が受け止めてくれるのだ。
『「事務ミス」をナメるな!』(中田亨、光文社新書:2011、1、20第1刷・2011、2、25第3刷)
光文社新書にありがちな扇情的なタイトルに"軽さ"が表れていてあまり読む気がせず、(この本が)出てすぐは、書店で手に取ろうとも思わなかったのでが、わりと評判がよさそうで、書評で見て「いいかな・・・」と思ったので購入。これが、読む前の予想とは違い(つまりタイトルのイメージとは違い)なかなか良い本なのです。「ミヤネ屋」のミス防止担当の私としては読まねばなるまい!
単なる「事務ミス」というだけでなく、大きくはそれこそ「原発事故」につながると、スリーマイル島の原発事故も引き合いに出して説明している。(これは東日本大震災よりも前に書かれたものです)
実践編「ミスの解決は6つの面から考える」では、
① しなくて済む方法を考える
② 作業手順を改良する
③ 道具や装置を改良する、または取りかえる
④ やり直しが効くようにする
⑤ 致命傷にならないための備えを講じる
⑥ 問題を逆手にとる
という6つの方法を示している。そして「『気付かない』から事故になる」では「異常検知力をつける」とあります。そりゃ、そうだ!それをみんなが身につけるのは、とっても大変な実地訓練=経験と時間がかかるのだよ。しかし、その異常検知力を高める具体的な方法までここには書かれている。詳しくは本書を!