震災から15年
阪神淡路大震災から15年。
もう15年も経つのに、あの時の恐怖は私達の記憶から薄れることはありません。
私の住む大阪府南部は震度5弱。
ゴーッという遠くから押し寄せる波のような地響き。
泣いている母。
どこにいても不安で仕方なかったこと。
すべて鮮明に覚えています。
あの時、近所と声を掛け合い、助け合うことがどれだけ大切か知りました。
私も、西宮に住む親戚の家は水が止まっていたので
ポリタンクに水を入れて持って行きました。
少しの水ではありますが、
「数日は使える」と、喜んでもらえました。
大地震が起こったハイチでは
重症患者でも治療してもらえず、多くの被災者が野外生活を余儀なくされているようです。
日本の国際緊急援助隊医療チームがようやく到着したそうですが、
理由があるにしろ、対応が遅いと思ったのは私だけではないはずです。
阪神淡路大震災で亡くなった方々の死を無駄にしないよう、
この教訓を生かしていくことが大切です。
今、自分がここに居ることは
どれだけの人の助けや支えがあってのものなのかを改めて考え直しました。
投稿者: 川田ひろみ 日時: 2010年01月18日(月) | コメント (13)
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コメント
私はそのとき自宅にいましたまずガスの安全を確認しにいったのを覚えています。予震が強く不安に感じました。 スーパーからインスタント食品が消えたんですよね全て被災地支援のために回ったんですよね。被害の大きさを最も実感したときでした。
投稿者: 福ちゃん 日時: 2010年01月18日(月) at 13:41
川田さん、こんにちは!
今朝のズームお疲れ様でした。
震災から15年経ちましたね。
私もそうです、小さいながら記憶は鮮明に覚えております。
そうですね、助け合いってほんと大事ですよね。
みたいですね、ぜひ教訓を生かしてほしいですね!
投稿者: よし 日時: 2010年01月18日(月) at 13:55
僕も大阪で今まで経験した事ない大きな揺れで、大阪が一番揺れが大きいに違いないと思いました。しかし数時間後にテレビで見た神戸の映像に生まれて初めて言葉を失ったのを覚えています。神戸は自分が経験し恐怖を感じた以上の揺れ。今でも未知のもので地震に対する恐怖は大きいです。でも人間は地震には勝てないけれどその後の人々の協力や助け合いは地震を上回る力になると神戸の人々の姿を見て感じました。助け合いは大事ですね
投稿者: game 日時: 2010年01月18日(月) at 15:02
昨日京セラドームから難波方面に歩いていたら安治川の近くに1854年に起こった地震、津波についての看板を見つけました。看板には未来の人に向けての教訓が示されていました。あの時代に伝える手段は文字しかありません。身の回りの人達に伝える事が精一杯だったと思います。今はメディアがあり見る・聞く・体験をするなど様々な方法があります。これから伝える事はマスコミだけでなく僕ら一人一人がその役割にならないといけないんですね。
投稿者: Y.A 日時: 2010年01月18日(月) at 16:39
こんにちは!
あの頃、僕の住む滋賀県南部は震度4強でしたよ。
飛び起きて実家の二階の柱にしがみつき、思いっきり揺れた事…忘れることはないです。
普通の生活が出来るってとても感謝しないといけないですよね。
いくつになっても、震災のニュースでお祈りしてる場面見ると今でも涙が出ます。
絶対に風化させてはいけません_(._.)_
投稿者: やきそば王子 日時: 2010年01月18日(月) at 16:52
15年・・・かなり昔に思えます。。
実家は直接被害が無くても当時の地震の怖さ・・・鮮明に思い出しました。
田舎の実家を離れ・・・マンションに住んで忘れてました。
阪神淡路・・新潟・・・
近々起こるであろう東南海地震の事を考えると人との繋がりや助け合いが本当に大切に思いますね~
今は、隣近所でも知らない顔ばかりです。
投稿者: はる 日時: 2010年01月18日(月) at 17:02
川田アナへ
ホームページを見ましたよ。
阪神淡路大震災、ハイチの地震を見て考えなくてはいけない事はハイチへの食料、水、薬品、医療への国際支援、日本の食料、水、薬品、医療の地震対策の強化だとおもいます。国会では地震がいつ来ても良いように対策を話し合うべきだと思います。
投稿者: 太郎 日時: 2010年01月18日(月) at 17:56
僕は、あの翌日、被災地まで1tの米を運びました。
普段はたった40分の道程は9時間もかかり、被災地に近づくにつれ、折れ曲がった道路標識や2階建てだっただろう平べったくなった家の数が増えてきました。
真冬の寒さとは違ったひんやりとした寒さや、恐怖とは違う震えを感じたことを今でも克明に覚えています。
僕が住む大阪の家も、会社もガラスが粉々に割れたりしましたが、そんな比ではありませんでした…
投稿者: 浪花十三 日時: 2010年01月18日(月) at 18:53
…ニュースでは伝えきることができない、焦げ臭く誇りっぽい臭い、冷たい空気、数分おきに続く余震。
携帯電話も繋がらない中、やっとの思いで辿り着いた時「わぁー!やっと来てくれた!これで、皆に米を配れます!」と、安堵の表情で迎えてくれた方の顔は一生忘れないでしょう。
今、どんなに孤独を感じている人でも、必ず誰かとのコミュニティーの中で生きています。
絶対に、独りぼっちでは生きていませんよね。
投稿者: 浪花十三 日時: 2010年01月18日(月) at 18:54
そうですか… 西宮のご親戚の方は喜んでおられましたか。 貴重な震災体験談をありがとうございます。
投稿者: 大塚君 日時: 2010年01月18日(月) at 20:57
「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」
これは鳩山首相の言葉。
ハイチの対応が遅いと感じるならば、
なぜちゃんと批判しないのよ。
日本の国際貢献、日本の外国に対する人的援助には
アメリカとの関係(情報共有)が不可欠なことを知っているでしょ?
あなた方の役目はなに?
投稿者: (・e・) 日時: 2010年01月19日(火) at 14:23
こんばんにゃ!ひろみたん!
ほんまやでな!あの地震のことは忘れたらアカン!!
学生時代の連れも、瓦礫の中から這い上がって助かったヤツ、
親を亡くしたヤツ、いろいろおるよ。
ひろみたんの言う通り、人の支え、助けがないと絶対生きていくことはできへん!一人で生きてきたいう顔してたらアカン!
人を敬い、感謝して生きていかなアカン!
人に愛されるより、人を愛すことができる人間でないとアカン!
投稿者: 泉州の福山雅治 日時: 2010年01月19日(火) at 23:17
お疲れ様です。
阪神淡路大震災では当時の政府の対応は遅かった。
今回のハイチ大地震でも後手後手。
近い将来起こるであろう南海大地震の際に迅速な対応がとれるのか...一抹の不安が残ります。
川田さんがおっしゃるように人との助け合い、支えあう心を常に持ち合わせておく事がいかに大切か。
自分も少し見つめ直したいと思います。
投稿者: みたらし坊主 日時: 2010年01月21日(木) at 00:17