STORY

1964年に海外技術協力事業団の農業専門家として、国土の大半が山岳地帯で食糧自給も厳しいブータンに派遣された西岡は28年間にわたって支援活動に従事し、ブータン農業の近代化に大きく貢献した。彼が伝えた農業技術は、現在のブータン国民の生活を支えている。

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ブータンで西岡の足跡を追った向井が、現地で感じた思いを語った。
「西岡さんがいかにブータンに貢献し、人々に愛されているかを肌で感じることができました。西岡さんが開拓にたずさわった村の人たちはもちろん、首都ティンプーの市場では西岡さんが伝えた作物を育てて市場に並べているという人もいて、西岡さんはブータンの人々の生活に根付いていました。」

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「西岡さんと直に接した方々にもお話を聞くことができました。その方々によると、西岡さんが怒ったところをまったく見たことがないそうなんです。『西岡さんに何か日本語を習いましたか?』と尋ねたら『西岡さんはすべてブータンの言葉で話すので日本語を聞いたことがなかった』と言われました。普通ならコミュニケーションを取る上で言葉の壁があるはずなのに、それを最初からなくすように努力されていたのは、すごいことだと思います。あと、西岡さんは一時的な支援ではなく、自分がいなくなってもブータンの人々が自活できるように技術を根付かせることを目標にしていた人なんだということを強く感じました」

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「西岡さんが亡くなった時、西岡さんの奥さんに前国王からかけられた言葉があって、そこに西岡さんの生き方を物語るものがあり、番組の締めのコメントに引用させていただいています。キューバに行った時にも感じたことなのですが、人の思想や努力はずっと残るんだと今回強く感じました。西岡京治という日本人が、敬虔な仏教国家であるブータンで認められた唯一の外国人であることをすごく誇りに思います。

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勤勉で実直で、その国を心から愛し、自分の生活を捧げ、さらにその国を発展させた西岡さんは、ずっと将来のことまで考えて、当初考えていた以上のものを残しています。そこには、日本人のアイデンティティが象徴されているような気がします。
ブータンで“ダショーニシオカ”と言ったら通じる人もいるくらい、ブータンの人は日本人に対して好意的です。それは西岡さんのような人がいたお蔭であって、それは日本人として大事にしたいと思います。普段あまり行くことができない国ではあるかもしれませんが、そういう所で自分たちの国の先人たちがいるということを誇りに思っていいのではないでしょうか。グローバリズムの中で他の国と接することが多くなり、改めて日本人のアイデンティティを感じていただける作品になったと思っています」

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