◆ことばの話3500「本当にT字路?」

1月28日清水健太郎被告の「ひき逃げ事件」の裁判で、懲役7か月の実刑判決が出ました。『情報ライブミヤネ屋』でそのニュースをお伝えした時に、ひき逃げ現場の描写で原稿に出てきた
「一時停止を無視してT字路へと突っ込み左折した」
という一文の中の、
「T字路」
という表現。これは昔は「一丁」「二丁」の「丁」の字に似た道路なので、
「丁字路(ていじろ)」
と読んでいたのですが、最近はアルファベットの「T」に似ているから、
「T字路(てぃーじろ)」
と、微妙に変わってきている言葉です。辞書にも「丁字路」「T字路」両方載っているか、まだ「丁字路」しか載っていないものがあります。
その話をしていたところ、萩原アナウンサーから
「あの事故現場は『T字路』ですかねえ・・・」
という根本的な疑問が出ました。萩原アナいわく、
「あそこは細い道から大通りに出るところでしょ。大通りは中央分離帯みたいなものがあったんでしたっけ?その向こうに交差点のような道路はあったのかなあ・・・?『T字路』っていうと『行き止まり』のイメージがあるんだよなあ」
とのこと。早速、編集室にいたディレクターのもとへ。映像を見せてもらうと、たしかに、
「細い道から大通りに出るところ」
ですが、その向こうに交差点のような道はありませんし、中央分離帯のようなものもありません。四辻ではなく、形の上では「T字路」です。しかし、萩原アナの言うように「T字路」のイメージは「行き止まり」ですが、そういった感じでもありません。かと言って、細い道と大通りが交差しているから「交差点」という感じ(つまり四辻)でもありません。
結局、その細い道から大通りにでる前に、「一時停止の白線」があって、その先に「横断歩道」があったのに、清水被告はそれを無視して突っ込んだので、
「『一時停止』を無視して横断歩道に突っ込み左折した」
としました。「T字路」「交差点」の判断を避けた形ですね。
でも、本来的には「二つ以上の道が交差していたら『交差点』」なのでしょうが、私たちがイメージする「交差点」は「十字路」です。だからこそ、2つ以上の道が交差していても「交差点」とは呼ばず「三叉路」とか「T字路」などという呼び方が出てくるのだだと思います。『精選版日本国語辞典』の「交差点」の用例は、『風俗画報279号』(1903年)の「遊芸門」
「其主は従事の交叉点(カウサテン)に桴(ばち)を立てて基点の所在を示す法とす」
というふうに、用例が1903年と比較的新しいこと、また「十字の交叉点」とわざわざ「十字の」とつけていることから、
(1)交差点(交叉点)という言葉は、英語の「crossing」「intersection」の訳語ではないか?
(2)当初は2つ以上の道が交わっていたら「交差点(交叉点)」と言っていたが、分かりにくいので、「十字の」と注意書きをつけるようになり、その後「交差点=十字の四辻」というイメージが定着したのではないか?
と想像しました。
その意味では、今回は、「大きな道に出る際に」を補って、
「大きな道に出る際に、『一時停止』を無視して横断歩道に突っ込んだ」
という表現にしておけば、妥当な表現だったかなと思いました。
2009/1/28


◆ことばの話3499「影の立役者」

1月27日OAの「情報ライブミヤネ屋」で放送した「17歳のミス日本」のニュースの原稿に関して、ナレーターのNさんから質問を受けました。
「ミス日本のお母さんのことを指して『影の立役者』という表現が出てきて迷ったんですが、結局分からなかったのでそのまま読んだのですが、これでよかったのでしょうか?」
なるほど、「立役者」というのは、もともとは、
「芝居で一座の中心となる重要な役者。立役。立者(たてもの)」(『精選版日本国語大辞典』)
のことで、それが転じて、
「中心になって活躍する重要な人物。立者。」
という意味ですから、「表に出てくる役者」が本来の意味ですね。ここで言いたかったのは、
「影の功労者」
だったのではないでしょうか?これはNさんの意見ですが、その通りだと思います。
しかし、実際には「影の立役者」という言い方は、よく使われているようです。Google検索では(1月28日)、
「影の立役者」=2万8100件
「陰の立役者」=1万7200件
「カゲの立役者」=  134件
とかなり使われています。一方の「功労者」は、
「影の功労者」=5万3900件
「陰の功労者」=3万2500件
「カゲの功労者」=  104件
で、これもよく使われています。比率で言うと、
「立役者:功労者」=「1:2」
ぐらいで、Nさんのおっしゃるとおり、ここは「影の功労者」とした方がよかったでしょうね。ナレーターさんというと、普段、画面に顔は出ないのですが、そういう意味ではナレーターさんこそ「影の立役者」ならぬ「影の功労者」でしょうね!いや、勉強になりました!
2009/1/28
(追記)

これって、「影の立役者」ではなく、
「陰の立役者」
ですね。あ、ではなくて、
「陰の功労者」
か。歌手の小林幸子さんの事務所社長解任騒動で、また久しぶりにこの言葉が「ミヤネ屋」に出てきました。
2012/4/6


◆ことばの話3498「火を付ける?着ける?点ける?」

1月27日の滋賀県東近江市で裁判所に放火した男のニュースに関連して、『ニュース・スクランブル』の坂キャスターが、用字のことで聞いてきました。
「『火をつける』というときの『つける』は、私はてっきり『着ける』だと思っていたんですが、違うんですね。新聞を見ると『付ける』になっているんですよ」
「え?ホントウ?僕はてっきり『点ける』かと思ったけど・・・。」
ということで、調べてみました。
『新聞用語集2007年版』では、「つく」を漢字で書くもの
「突く」
だけで、それ以外の、
「衝く・搗く・吐く・憑く」
などは平仮名で書くことになっています。また、「つく・つける」を漢字で書くものは、
「付ける・就ける・着ける」
の3種類。それ以外に原則、平仮名で書くことになっているほかの意味の「つける」では、
「点ける・即ける」
の2種類がありました。それで「火」に関しては、
「火が付く」
という表記1種類だけでした。
思うに、「明るくなる炎、あかり」という意味では、
「点ける」
で、最初に火を起こして「つける」場合は、「着火」というぐらいですから、
「着ける」
それ以外は広い意味で、
「付ける」
なのではないか、と考えました。
机の前にある、いろいろな辞書を紐解いて見ました。まず『ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)では「火が付いたよう」という語句が載っていました。ここでは「火が付く」と、
「付く」
を使っていました。『日本語表現大辞典』(講談社)では、やはり「火がついたよう」が載っていましたが、こちらは様々な文献の用例が載っていて、
「赤ん坊が火がついたように泣き出す」(徳永直)
「油紙に火がついたように際限もなくしゃべる」(谷崎潤一郎)
「犬が火がついたように吠える」(遠藤周作)
「身体に火のついたような苦しさにのたうちまわる」(円地文子)
「子供たちがいっせいに火がついたように叫ぶ」(阿部昭)
「コンプレックスが、火がついたようにあからさまになる」(曽野綾子)
「尻尾に火のついた犬みたいに手をふりまわす」(大庭みな子)
火がついたみたいに駆け出す」(飯田栄彦)
火がついたように踊り狂う」(宮本輝)
火がついたように笑い出す」(川端康成)
火がついたように怒り出す」(内田春菊)
「お尻に火がついたように突進する」(池田満寿夫)
「尻に火がついたみたいになって追いかけ回す」(開高健)
というふうに「ついた」と「平仮名表記」が多く、それ以外では、
「予期せぬ恐怖に火が点いたように、いたく狼狽する」(夏目漱石)
「足許に火が点いたようにあわただしく活動を始める」(獅子文六)
というように、文豪が、
「火が点いた」
を使っています。『新潮日本語漢字字典』(新潮社)「着」を引いてみますと、
「着」=(キ)生じる。生じさせる。「着火」◇「つく・つける」は広く「付く・付ける」と書く。
とありました。やっぱりそうか。
これを読んでまた考えました。火を起こす場合、何も火がないところから「生じさせる」=「着火」に関しては「着く」なのですが、それが何かにくっついて「燃え広がる」段階で、「(火が)付く」になるのではないか?だから「付く」の方が広く用いられるのではないか?
また「聖火台に聖火がつく」場合は、象徴としての「聖火」は「点火」されて、オリンピックを照らすシンボルとしての「あかり」なので「点ける」を使った「点火」になるのではないか?と考えましたが、いかがでしょうか?
でも「付ける」にしておけば、何にでも使えて便利というのが、「付ける」が広く使われる一番の理由なのかもしれませんね。
2009/1/27


◆ことばの話3497「裁判所を放火」

1月27日の読売テレビのお昼のニュースを見ていたら、滋賀県東近江市で裁判所が放火された事件のニュースを伝えていました。その冒頭のリード部分で「おや?」と思いました。
「滋賀県東近江市で、裁判所放火しようとした男」
とアナウンサーが読んだのです。これって、
「裁判所放火しようとした男」
なのではないでしょうか?つまり助詞が違うのでは?放送後、読み間違いなのか、それとも原稿にそう書かれていたのかを確認するために元の原稿を確認すると、しっかりと、
「裁判所放火しようとした男」
と「を」と記されていました。助詞の「に」と「を」は近年(もしかしたら、昔からずっと)よく間違われるんですよね。
そこで、報道のデスクに「ここは『に』ではないか」と意見し、了解を得ました。
『ニューススクランブル』の坂キャスターにも意見を聞いたところ、
「うーん、でもこれが『放火しようとした男』の部分が『燃やそうとした男』だと『裁判所を』でいいですよね?」
「たしかに『燃やそうとした』なら『を』で『裁判所を燃やそうとした』いいね。でも『放火しようとした』だから『に』しか当てはまらないんじゃないか?」
「たぶん意味の上では『燃やそうとして放火しようとした』と言いたくて、その『燃やそうとして』を省略したんじゃないですかねえ。たとえば『北海道を旅行した』とも『北海道に旅行した』でも意味は通じるでしょ?それと似てないですか?」
「『旅行した』なら『に』も『を』もOKかもしれないけど、微妙に意味は変わってくるよね。それで『放火』は『に』しかないと思うけどなあ。」
その後夕方になって、坂キャスターがこの事件の「夕刊各紙(など)の記事の表現」を書き抜いて持ってきてくれました。それによると、
(読売新聞)「簡裁の外壁に火をつけようとした」「建物を燃やそうとした」
(京都新聞)「裁判所の外壁にガソリンを撒きライターで火をつけようとした」
(共同通信)「簡易裁判所に放火しようとした」「裁判所のカベにガソリンを撒いてライターで火をつけた」
(時事通信)「東近江簡裁に火をつけようとした」「簡裁の壁面にガソリンを撒いてライターで火をつけた」
(産経新聞)「建物の外壁に火をつけようとしている」「エアコンの室外機の敗戦などを焦がした」
ということで、「裁判所『を』放火」という表現はありませんでした。共同通信が、
「裁判所『に』放火」
という表現になっています。やはりこちらの方が落ち着きますよね。いや、もちろん事件の内容には、ちっとも落ち着かないわけですが。
夕方の『ニューススクランブル』ではちゃんと、
「裁判所『に』放火しようとした男」
「に」になっていました。
2009/1/27


◆ことばの話3496「大きな・・・長いトンネル」

大相撲初場所で、進退を賭けて臨んだ横綱・朝青龍が、横綱・白鵬との決定戦を制して、14勝1敗で、貴乃花を抜いて歴代単独4位の23回目の優勝を飾りました。
一夜明けて、1月26日の記者会見で、今の気持ちを聞かれた朝青龍のコメントを、翌日の新聞は
「長いトンネルを抜けると青空だった」
と載せていました。なんだか、川端康成の『雪国』みたいな感じですね。ちょっと違うけど。しかし、テレビで会見の様子を見ていたら、実はそのようにはしゃべっていませんでした。朝青龍は正確には、
「大きな・・・・、長いトンネルを抜けたら青空だった」
「長いトンネル」の前に「大きな」と言いかけていたのです。それを聞いて私が思ったことは、
「これだけ日本語が堪能な朝青龍でも、『長い』と『大きな』は同じ語彙群にあって、時々、言い間違えたりするんだな」
ということでした。もちろん生まれも育ちも日本である日本人でも、そういった間違いをすることはあるかもしれませんが、おそらくあまりないでしょう。「トンネル」というと「長い」であって、「大きな」は出てこないでしょう。そんなことを考えました。
それにしても朝青龍、うれしそうでしたね。
2009/1/27
スープのさめない距離