◆ことばの話3480「『すっぱだか』と『まっぱだか』の違い」

なんだか急に考え込んでしまいました。
「『すっぱだか』と『まっぱだか』は、ほぼ同じ意味だが、『すっ』と『まっ』でどう意味が違うのだろうか?」
ます「すっぱだか」です。
「素足(すあし)、素手(すで)、素っぴん(すっぴん)」
のように、
「何かで装うことができるものが、何も装っていない状態」
これが「『す』(素)」。つまり、「すっぱだか」は、
「何もまとっていない」
ことを示すのですね。一方、「まっぱだか」「まっ(真)」は、
「真っ正面、真っ正直、真っ白、真っ赤、真っ青」
「真っ」です。つまり、
「正真正銘そうであることを強調する言葉」
ですね。関西系でいうと「ど」でしょうか。「ど」だと、ちょっと品がない感じ。
つまり「すっぱだか(素っ裸)」は「状態」を示しており、「まっぱだか(真っ裸)」は、「(裸の)強調語」という違いがあるのでしょう。
そうすると、「すっぱだか」を強調する形として、
「まっすっぱだか(真っ素っ裸)」
徒言うのがあってもよさそうですが、これは聞いたことがありません。
ネット上での使用頻度は、(Google検索・2009年1月8日)
「すっぱだか」=3万9500件
「素っ裸」=  66万4000件
「まっぱだか」=   7630件
「真っ裸」=  17万9000件
「まっすっぱだか」=  0件
「真っ素っ裸」=     1件
でした。「真っ素っ裸」の「1件」というのは、「真っ・・・素っ裸」と言い淀んだものなので、本当は計算外です。
2009/1/8


◆ことばの話3479「火事と火災の違いは?」

『情報ライブ ミヤネ屋』のスタッフから質問を受けました。
「このところ火事が相次いでいるので、それを特集して注意を喚起しようと思うのですが、『火事』と『火災』の違いはなんでしょうか?」
「うーん、火が出て家などが燃えるのが『火事』だよね。『火災』というと災害だから、その火事によって引き起こされる災害の事象全体を指す、『家事』よりももう少し広い範囲の概念じゃないかな。もっと簡単な違いは『火事』は『話し言葉』で、『火災』は『書き言葉』だね。火が出ているのを見つけた人が叫ぶ言葉は『火事だあ!』であって、『火災だあ!』ではないよね。もっとも書き言葉としての性格から、業界用語・専門用語としては『火事』のことを『火災』と呼んでいるかもしれないね。消防署では『火事発生』なんて言わずに『火災発生』と、きっと言っているだろうからね。」
「じゃあ、このところ連続している火事のこと『○月○日 △△市で火事発生』というときは、『火災』でなく『火事』でいいんですか?」
「そうだね、その場合は『火事』でいいだろうね」
「わかりました!」
ということで、“質問の火の粉”を払い落としました。
みなさん、くれぐれも「火の用心!」
2009/1/14


◆ことばの話3478「進退のアクセント」

大相撲初場所横綱・朝青龍はこの場所に「進退」を賭けていますが、4日目まで4連勝。きょう(4日目)は、雅山にちょっと危なかったけれど、勝ちました。朝青龍関連のニュース原稿、『情報ライブ・ミヤネ屋』でも何回も読みましたが、その中に、
「進退をかける」
という表現が何回も出てきました。いま、NHKの夜9時のニュースを見ていたら、スポーツコーナー担当の女性アナウンサーが、この「進退」「平板アクセント」で、
「シ/ンタイヲ・カ/ケ\ル」
と読んでいました。
「え!?『平板アクセント』もあるの?」
と思って『NHK日本語発音アクセント辞典』を引くと、「進退、身体」ともに、「頭高アクセント」の、
「シ\ンタイ」
しか載っていませんでした。ホッと安心しました。『ミヤネ屋』で読んだアクセントが違っていたら、それこそ「進退」を賭けなければならないところでした・・・ってそれほどでもないか。しかし、こういったアクセントは、きっちりと押さえていきたいところですね。
不安に思ったら、すぐに確認です。この前、
「盾」
のアクセントが、「尾高アクセント」で
「タ/テ\(を)」
かなと思って、そのまま読んでしまいました。あとで「アクセント辞典」を調べてみると、「盾」も「縦」も、ともに「頭高アクセント」の
「タ\テ」
しか載っていなかったのです。25年もやっていてもこんなものです。迷ったら、その都度、確認が必要ですね。
2009/1/14


◆ことばの話3477「『廿』は常用漢字か?」

麻生総理がまたやっちゃいました。去年ほど叩かれないということは、国民が「慣れた」ということでしょう。困ったものです。「書き初め」で決意の程を表した、それはよかったのですが、日付のところに、
「平成廿十一年」
と書いたのです。これでは、
「にじゅう・じゅういちねん」
になって「『じゅう』が1回多く」なってしまいます。「廿」を使うのであれば「十」は要りませんね。翌日でしたか、読売新聞の投書欄に、
「『十』はプラスと読みます」
という機知に富んだものが載っていましたが、そのぐらいの切り返しを、総理には求めたいところなんですが・・・・。
この「平成廿十一年」の話、みんな知っているものだと思って後輩のWアナウンサーに、
「麻生さん、またやっちゃったねえ、『平成廿十一年』」
と言うと、
「何がですか?」
と。知らないんだ。そこで、かくかくしかじかと説明したら、
「『廿』って常用漢字なんですか?」
と質問を受けました。
「いや普通で考えたら、もともと手書きの俗字なんだから、常用漢字じゃあないでしょう」
と答えたものの自信はありません。広島県に、
「廿日市市」(はつかいちし)
という町もありましたよね。地名で認められているものがすべて常用漢字ではないでしょうけど、もしかしたら・・・と思いますよね。
あとで『三省堂国語辞典』を引いて見ると、やはり「廿」は、常用漢字ではありませんでした。合っててよかった。ちなみに「三十」には、
「丗」(さんじゅう)
という表記(漢字)もありますが、「しじゅう(よんじゅう)」は、私は見たことがありません。『三省堂国語辞典』にも載っていませんでした。
2009/1/14
(追記)

『バナナは皮を食う〜暮しの手帳・昭和の「食」ベストエッセイ集』の中に収録されている、辰野隆さんのエッセイ「ドンと弾丸と」の中に、
「明治廿九年頃」
という表記が出てきました。書かれたのは「昭和廿年代」です。辰野さんは、フランス文学者で1888(明治20)年生まれ、1964(昭和39)年に亡くなっています。その世代の方にとっては「廿」という表記は、ごく普通のことだったのでしょうね。
2009/1/27


◆ことばの話3476「食べるに事欠く人々」

1月14日NHKの『その時、歴史が動いて』で「岩倉使節団」を特集していました。そのナレーションを聞くとはなしに聞いていたら、松平アナウンサーの声で、
「食べるに事欠く人々」
と聞こえてきました。これは普通は、
「食うに事欠く人々」
と言うのではないのでしょうか?「食う」だと、ちょっと、はしたないから「食べる」に変えたのでしょうか?だとすると、たとえば、
「背に腹は代えられぬ」→「背におなかは代えられぬ」
「腹が減っては戦はできぬ」→「おなかがへっては戦はできぬ」
「武士は食わねど高楊枝」→「武士は食べなくても高楊枝」
「お食い初め」→「お食べ初め」
と言い換えるのでしょうか???
「食うに事欠く」をそういった「成句」として捉えたのでなければ、「食う→食べる」という言い換えも可能だと思います。そうなると「解釈の違い」ということですね。
「食べることにも事欠いた人々」
ぐらいにまで噛み砕けば、「成句」という範疇からは逃れられると思うので、「食べる」でもOKだと思います。その意味では、「食べるに事欠く人々」という表現は、ちょっと中途半端な表現だったのかな、と思いました。
Google検索(1月14日)では、
「食べるに事欠く」=218件
「食うに事欠く」=643件
「食べるに事欠く人々」=5件
「食うに事欠く人々」=1件
と、ネット上では「どっちもどっち」という感じで、あまり使われていませんでした。
2009/1/14
(追記)

一晩寝て考えました。
「食べるにも事欠く人々」
「の」を入れれば、そんなに違和感を覚えないなあ。Google検索(1月16日)
「食べるのにも事欠く人々」=1件
ありゃ?
「食べるのにも事欠く」=366件
ネット上ではあまり件数が多くないですね。
「食べるに事欠く」=220件
でも「食べるに事欠く」よりは多いな。
2009/1/16
スープのさめない距離