◆ことばの話3465「義命」

1月5日、自民党の渡辺喜美・元行革担当大臣は会見で、
「私は政治家としてのギメイにおいて、自民党を離党する旨、記してあります」
というふうに答えました。この「ギメイ」ですが、まさか、
「偽名」
ではないでしょう。「情報ライブ・ミヤネ屋」では、
「義命」
という字を当てましたが、この言葉、『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』などの辞書には載っていません。漢字から考えると、
「義を見てせざるは勇なかりけり」
「義」と、「使命」の「命」だと思います。つまり、
「政治家としての本分、やるべきこととして」
という意味だと思いますが、どこから出てきた言葉なのでしょうね?ネット検索してみると(Google、日本語のページ1月7日)
「義命」=1170件
ありました。その中で最初に出てきたのは、安岡正篤「一日一言」(致知出版―安岡正篤先生のページ)
http://72.14.235.132/search?q=cache:j_hew1mKg7sJ:www.chichi-yasuoka.com/episode04.html+%E2%80%9D%E7%BE%A9%E5%91%BD%E2%80%9D&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp&lr=lang_ja
でした。そこには、安岡正篤記念館名誉館長・林 繁之氏の月刊『致知』(1984年3月号)の文章が載っていました。そこでは「終戦の詔勅刪修」について安岡正篤が、
「この詔勅には多少の誤伝があり、私が刪修したと語られるなら、私の学者として後世より問われる悔いも残るので、君たちだけには話しておく」
と、側近の者に一晩しみじみと語られた内容が書かれています。それによると、安岡は、その刪修に当たって、
義命の存する所」
「万世の為に太平を開かむと欲す」
の2点を挿入したそうです。そして、「義命」については
『詔勅の中で、陛下が「堪へ難きを堪へ」よ、とおおせられておられる宸襟を拝察して、それにふさわしい天子としての重いお言葉がなくてはならない。そこで「義命」という言葉を選ばれた。』
として、出典は中国の古典である『春秋左氏伝』で、その中の成公八年の条に、
「信以て義を行い、義以て命を成す」
とあるそうです。これは普通言われる「大義名分」よりもっと厳粛な意味を持っていて、
「国の命運は義によって造られて行かねばならない。その義は列国との交誼においても、国民との治政においても信でなければならない。その道義の至上命令の示す所によって終戦の道を選ぶのである。」
と語ったそうです。
ところが閣議の席で閣僚から「二つとも難しくて国民には分りにくいから変えては」との意見が出され、結局、「義命の存する所」という言葉は、
「時運の趨く所」
という言葉に改められてしまったとのことです。つまり「終戦の詔勅」の天皇陛下の玉音放送では「義命」は使われなかったのですね。その言葉を渡辺氏は使ったと。かなりの決意であることは伺えます。
そのほかによく政治家が使う言葉で耳にとまるのは、
「担保する」
「軽々に」
などがあります。「軽々に」は、野田聖子大臣が、渡辺氏の「離党覚悟の決意」に関して、
「そんなに軽々なものではないと思う」
と、少し活用させて使っていました。
2009/1/7



◆ことばの話3464「市村と道浦」

電話などで苗字を言う時に、
「ミチウラです」
と言っているのに、
「イチムラさまですか」
と言われることがあります。
「市村」と「道浦」。
たしかに何となく似ている。音の構造(そんな大層なものか!)を書き出してみると、
「市村」=「い (i) ち (ti) む (mu) ら (ra)
「道浦」=「み (mi) ち (ti) う (u) ら (ra)
おお、母音が全て同じで、「い」と「み」「む」と「う」「M」の音韻転換が起きていますね。こりゃあ、間違うはずだ。最初の「み」の「M」に力を入れて言うと「道浦」と聞いてもらえるかな?あ、でも、
「道村」
さんだと思われるかも。アナウンサーやっていても固有名詞の発音って(しかも自分の名前なのに)、難しいものなのですね・・・。
2009/1/7


◆ことばの話3463「警察発表のクレジット」

12月23日、大阪の淀川で男性の遺体が見つかったというニュースで、両手に粘着テープが巻かれていた状況を記してありましたが、新聞各社その表現が違った、というところに注目して、『ニューススクランブル』のSキャスターにその話をしたところ、まったく別の、こんな話をされました。
「最近の新聞の事件事故報道、それも警察発表の記事を見ていると、クレジット(情報元の表記)の部分が変わってきましたね。」
「え?どういうこと?」
「これまでは『調べによると』という書き方だったんですけど、最近は、この記事を見ても『此花署の調べでは』『発表では』と書いてありますが、その他に『○○署副署長の話によると』というふうなものが増えてるんですよ。これは『裁判員制度の導入』を控えて、報道責任と言うか、ニュースソースの責任の所在を明らかにするのようですがね。うちの原稿もそういうのが増えていますよ。」
「へー、そんなふうになってるの!気付かなかった」
という会話があったのですが、その翌日のクリスマスイブ、元タレントの飯島 愛さんが死亡したというニュースが飛び込んできました。その「携帯サイト」のニュースを見たところ、こんなふうなクレジットが。
(毎日新聞)同署の調べによると
(朝日新聞)渋谷署によると
(読売新聞)同署副署長によると
おお!Sキャスターの言ったとおり、「同署副署長」が出てきた!
今後もこの「クレジット」には注目します!
2008/12/25
(追記)

朝日新聞の知り合いSさんから、こんなメールが届きました。
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ことばの話3463「警察発表のクレジット」、拝読しました。
事件報道と裁判員制度については、昨年(2008年)9月に新聞・放送・出版各社で作る「マスコミ倫理懇談会(マス倫懇)」の全国大会で大きなテーマとなり、新聞各紙は当事者として、また市民への考え方のヒントを提供する意味で、大きく報じたところです。
また、それ以前の昨年1月に、日本新聞協会が「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」を公表し、各新聞社がそれぞれ工夫して記事の書き方の新しいスタイルを模索しているところです。
裁判が始まるまでは容疑者の供述や人物像については予断を与えるので報道すべきでない、という意見もありますが(外国ではそういう制度のところもある)、それではかえって社会の不安を高めるだけであり、また取材・報道の自粛は、ジャーナリズムの使命に逆行することになるというのが、多くのメディアの考え方です。一方で、報道による冤罪は、けっしてあってはならないことです。
朝日新聞は(2008年)9月26日付紙面で、新しい事件報道のありかたの中間試案的な「指針」を公表しました。最終的にどういう表現がもっとも適切なのか、見出しの表現も含めての結論は出ていませんが、以下に、紙面に掲載した「指針」を引用しておきます。(おことわり:わたしはこの指針作りについて直接関係してはいないのですが、日々変わっていく原稿を毎日読んでいますし、道浦さんのブログの一愛読者として、お知らせしたいと思ったものです)
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として、去年9月の紙面の文章を、教えてくれました。(以下、朝日新聞引用)

 ◆朝日新聞の考え方
 朝日新聞社は、裁判員裁判の対象事件を念頭においた報道のあり方についての考え方をまとめた。今回は中間試案的な「指針」と位置づけた。紙面で試行し、各方面からの意見も聞きながら、来春までに最終的な指針の作成を目指す。25日に示した主なポイントは以下の通り。

 ●基本的な姿勢
 事件や事故の報道は、読者の関心に応え、犯罪などの危険情報を社会で共有して再発防止をともに考えるために必要で、これまで通り積極的に報じていく。公正な裁判を受ける権利と報道の自由の調和のためには、容疑者や被告を犯人視しない報道をきめこまかく実践すべきだと判断した。
 特に、捜査段階の供述・証拠などに関する従来の報道が、捜査途中の情報であるのに、あたかも確定した事実のように受け止められ、裁判員に予断を与える恐れもあることを重視し、改善していく必要性を強調した。

 ●具体的な取り組み
 主に以下の点について改善やこれまで以上の徹底をはかることにした。
 まず供述に関して。動機などについての供述は全体像の解明と再発防止のためにも重要だが、任意性や信用性が疑われる事例もある。このため、情報の出所やその位置づけをできるだけ明らかにするとともに、これまで以上に弁護人ら容疑者側の言い分も取材して「対等な報道」に努める。
 前科・前歴は原則として報じないが、事件の本質や背景を理解するうえで欠かせない場合は報道する。生い立ちや成育歴なども事件の全体像に迫るために必要な範囲で報じる。識者コメントでは、容疑者ら個人に焦点をあてるコメントは、逮捕直後で状況や証拠が十分に明らかになっていない場合、原則掲載しない。
 犯罪被害者や遺族に関する報道は、その思いは十分にくみつつ、裁判員に過剰な影響を与える恐れも考慮し、処罰感情をことさら強調しないように配慮する、などだ。

 ●表現方法
 情報の出所については、記者の倫理である「情報源の秘匿」に留意し、捜査当局側か弁護側か朝日新聞の独自取材かをできるだけ明らかにする表現方法を模索している。「調べでは○○の疑い」など定型的に使ってきた表現は、○○部分が確定的事実の印象を与えるから、あくまで捜査当局の持っている容疑・証拠であると伝わる表現を目指す。

 <これまでの表現>
 ○○署は25日、××容疑者を傷害致死容疑で逮捕した。調べによると、××容疑者は24日午後11時40分ごろ、○○の路上で、同居する内縁の夫の××さんの腹を包丁で刺し、死なせた疑い。容疑を認めているという。

 <朝日新聞が試行している書き方の一例>
 ○○署は25日、××容疑者を傷害致死容疑で逮捕したと発表した。同署によると、××容疑者は24日午後11時40分ごろ、○○の路上で、同居する内縁の夫の××さんの腹を包丁で刺し、死なせた疑いがある。容疑を認めている、と同署は説明している。
(08年9月26日 朝日新聞)

そして、Sさんは要約してくれています。
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簡単に言うと、たとえば逮捕を扱う原稿では、
「調べによると、…の疑い」
という表現はやめて、
「××県警(または××署)の発表によると」
といった表現にする。独自取材によるいわゆる特ダネ原稿でも、
「…であることがわかった」
ではなく、
「××県警への取材でわかった」「捜査本部が朝日新聞の取材に明らかにしたところでは」
などのニュースソースを必ず明らかにするようつとめる、というのがポイントです。
従来の表現では、本当は「疑いがかかっている事柄」なのに、いかにも「その人がやった確定的事実である」という印象を、読者(つまり裁判員)に与えてしまうおそれがあるためです。あくまで「警察はこう言っている」という中立的な表現を目指すということです。
長年、事件記事の「イロハ」だとされてきた、
「調べによると」「調べでは」
の表現は、弊紙の紙面をごらんになると、この1年でほとんど消滅したことにお気づきになると思います。同様の表現は、読売新聞、共同通信などでも試行されているそうですし、放送でも、最近、
「××県警の発表では」「××県警は取材に対し」
という表現を時折、耳にするような気がします。貴社も含め、おそらくそれぞれの報道現場で模索が続いているんでしょうね。
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なるほど。やはり報道現場での表現が、少しずつ(別に隠しているわけでもなんでもないですが、一般の読者はあまり気付かないうちに)変わってきていたんですね。Sさん、ありがとうございました。
その後、1月12日(成人の日)、沖縄の成人式で、新成人が公務執行妨害で逮捕されたというニュースを報じた、ケータイサイトの記事でのクレジットも、これまでとちょっと違いました。
(読売新聞)「発表によると」
(毎日新聞)「同署によると」
でした。
2009/1/14


◆ことばの話3462「ギラン・バレー症候群」

12月4日に、インフルエンザの予防注射をしました。自分一人がかかるならともかく、子供にうつると・・ということもありまして。その際、「問診表」をまずよく読んで、質問に答えないといけません。
表側の質問に○をつけた後に、裏側の細かな説明書を読んでいたら、インフルエンザの「副反応」として、
「ギラン・バレー症候群」
という病名が出てきました。「両足のしびれ、歩行障害」があるそうです。
それを見てハッと思いました。この聞き慣れない病気の名前をつい最近、耳にしたことがあったからです。それは11月14日に『情報ライブミヤネ屋』で放送した、女優の大原麗子さんの病名が、これと同じ「ギラン・バレー症候群」だったのです。
その際にちょっとこの病気について調べたメモが残っていて、
『フランスの内科医「ギランさん」と「バレーさん」が見つけた病気だそうですから、真ん中に「・」が必要です。』
と書かれていました。そうかあ、インフルエンザの予防注射でも「ギラン・バレー症候群」になるおそれがあるのかあ・・・ちなみに、
「副反応」
というのは、「副作用」の新しい呼び名なのかなと思ったら、
「予防接種の際の副作用だけを『副反応』と呼ぶ」
のだそうです。それ以外は「副作用」でいいのですね。大変、勉強になりました。
2008/12/26
(追記)

年末の忘年会で会った、中学時代の同級生Y君。いつも「平成ことば事情」を読んでくれています。また麻生総理よりも、ある分野のマンガに関しては詳しい人です。そのY君が「ギラン・バレー症候群」についてこんなコメントを。
「道浦が『ギラン・バレー症候群』を知らないなんて・・・しかも大原麗子の病状で知ったというのは、おかしいんと違うか。『ギラン・バレー』と言えば、やっぱりあれでしょ!」
「え?なに?」
「ゴルゴ13(サーティーン)やんか」
「ゴルゴが何か?」
「『ギラン・バレー症候群』は、ゴルゴ13の持病で、時々これの発作が出ると手が震えるから銃を正確に撃てなくなって、それを克服する、という話が時々出てくるやんか!」
「・・・・そうだっけ?」
「そうだよ!」
「ゴルゴ13」は『ビッグコミック』では連載をここ20年ぐらいは毎回読んでいますが、コミックスでまとめて読んだことはありません。ラーメン屋さんなどに置いてあっても、手に取ることはありません。うーん、何度も言われているうちに、そういうストーリーを読んだことがあるような気がしてきました。でも、それほど印象に残っていません。私にとって、「ギラン・バレー症候」は、「大原麗子」「インフルエンザの予防注射の副反応」で初めてインパクトがあったのです。「ゴルゴ13」、今度読む時は、注意してみます!
2009/1/6
(追記2)

NHKの原田邦博さんから、
『「ギラン・バレー」は、私も「ゴルゴ13」で知りました。あの「ビッグコミック」の劇画は大変勉強になり、たしか「アボリジニ」も、最初に接したのはゴルゴだったと思います。ただ「ギラン・バレー」は全身症状であり、右手だけに出るというゴルゴ13の持病は、別の病気ではないかという説もあります。』
というメールをいただきました。そして、「中学時代の友人Y」君からは、
『麻生氏、2004年5月4日放送の「名門アサ秘ジャーナル」という番組(浅草キッドが司会で、テレビに出演するのが大好きな政治家を招いてフリートークをするという番組)に出演。そこでゴルゴ13にまつわるクイズのようなものが行われ、ゴルゴの持病を
「ギラン・バレー症候群」
と回答したという記事をネットで見かけました。漢字は読めなくても、ゴルゴ13には詳しいようです。ゴルゴ13の作品の中で、彼がギラン・バレーをわずらっているのではないかと疑われたのは、比較的早い段階の作品で、
「喪服が似合う時」
が最初ではないかと思います。この時は診察医者がこの病気を疑ってはいましたが、病名が断定されたわけではありませんでした。「キャサワリー」という作品でも症状は出ています。この時は謎の「持病」ということになっています。(この2話のタイトルは多分間違っていないと思います)この作品以降、
「ゴルゴ13は年に1ヶ月は全く仕事をしない時がある」
という性質が加えられ、タイトルは忘れましたが、彼が仕事をしない理由が右手のしびれであると調査した敵が、彼の休暇中に彼を倒す計画を実行するという話もありました。
たまたま所有している別冊ビッグコミックでは次の2つを確認しました。
「戦域ミサイル防衛 TMD幻影」 1999年8月作品
では、やはり右手が震える症状がでて遠距離射撃ができなくなっています。しかしこの時もゴルゴ自身が、
「病気が再発した」
とはつぶやいていますが、病名は確定されていません。しかし、ついに、2004年6月には、そのものずばり、
「再発 ギランバレー症候群」(「・」が入っていません)
という作品が発表されています。このときは彼自身が、
「ギランバレー症候群・・・5年ぶりか」とつぶやいています。
麻生太郎がクイズに答えたのが2004年の5月。「再発〜」の作品を見て知っていたという訳ではないことを考えると、麻生氏がゴルゴに詳しいという事は疑いの余地がなさそうです。』

という、大変詳しい分析のメールをもらいました。ありがとうございます!
2009/1/12
(追記3)

鴨下信一さんの『昭和十年生まれのカーテンコール』(幻戯書房)という本を読んでいたら、91ページに、
「ゴルゴ13が決して許されないはずのミスをしてしまう回が、この大河コミックのかなり初期にある。(中略)物好きな方は第34回『喪服の似合うとき』をご覧なさい。ただこの時、彼は病気にかかっていた。ギラン=バレー症候群、ぼくがかかった病気だ。ゴルゴは指が痺れて銃が持てなかった。」
「追伸・ゴルゴ13の中でギラン=バレー症候群が出てくる回が、あと二回あります。第57回キャサワリー」と第387回「戦域ミサイル防衛TMD幻影」です。」

という記述が出て来ました。鴨下さんも「ギラン・バレー症候群」を患っているんだそうです。
2014/1/16


◆ことばの話3461「三重四重?」

12月23日、大阪の淀川で男性の遺体が見つかったというニュースを、12月23日の「ニュースZERO」の関西ローカルのニュースで読みました。その原稿を下読みしていた時の話です。その原稿に、
「男性の手首には、粘着テープが3、4重に巻かれていました」
という一文がありました。この、
「3、4重に」
という表現、「人」「回」という助数詞なら「3,4人」「3、4回」と使えます「重」にはなじまないので、
「3重、4重に」
と少し直して読みました。それで翌日の朝刊を見ると、
(毎日新聞)「4、5重に巻かれていた」
(日経新聞)「五、六重に巻かれていた」
となっているではないですか!いつの間に巻き方が増えたんだあ!警察が巻いたのか?と思いましたが、要は、各社の記者が、所轄の警察署で聞いた時に、副署長が、
「3重か4重ぐらいに巻かれていて・・・」
「うーん、4重か5重ぐらいかな・・・」
などと言っていたのを、律儀に取材したとおり書いてそのまま通したから、こうなったのではないでしょうか?
ちなみに他の新聞の記述は、
(朝日)粘着テープで目隠しした状態で、両手首も体の前で粘着テープが巻いてあったという
(読売)両手首に粘着テープが巻かれていた
(産経)両手と目に粘着テープが巻かれていた
ということで「何重に巻かれていたか」は書かれていませんでした。
実はこのニュースでは、
「何重に巻いてあったかは、それほど重要ではなく」
要旨で言うと、
「ぐるぐると巻かれていた」「何重にも巻かれていた」
もう少し、文語的表現で言えば、
「幾重(いくえ)にも巻かれていた」
と言えばよかったのです。翌日になって、その部分を反省しました。
2008/12/25
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スープのさめない距離