◆ことばの話3390「捜査と捜索」

先週、汚染米の不正転売の容疑で、大阪の三笠フーズへの一斉捜索が入りました。その日のお昼のニュースで、原稿の下読みをしていたWアナウンサーが質問してきました。
「捜査と捜索はどう違うんですか」
「うーん、一般的にいろんなことを調べるのが『捜査』、その中に物理的に証拠品を探したりという『捜索』があるんじゃないかな。だから『捜索』には、その証拠品の所有者や捜索対象の家に捜査員が入るという法的許可が必要で、それが捜索令状なんじゃないのかな?ある意味で、公の正義のために、個人の権利を侵害するのだからね」
と答えてから、報道のデスクの方を見ると、無言でうなずいています。よかった。
そこで改めて『共同通信記者ハンドブック・第11版』を開くと、497ページに、こう載っていました。
「捜査」=検察官や司法警察職員が行う犯人の発見、証拠の収集などの活動。「強制捜査」(家宅捜索、逮捕など裁判官の令状を要するもの)と「任意捜査」がある。
「捜索」=捜査の一手段。身体、物、建物などについて行われる強制処分のこと。
さすがにうまいこと簡潔にまとまっていますね!でも大筋で間違っていなかったようで、ホッとしました。
2008/10/2


◆ことばの話3389「下向きに頑張って・・・」

江戸っ子は「ヒ」を「シ」と発音してしまう・・・というのはよく知られていますが、今どき、なかなかそういった場面にめぐり合えない、特に大阪に住んでいたら・・・と思うのですが、時々そういった事例にぶつかると、「おおっ!」と思います。
8月の「24時間テレビ」で、総合司会の徳光さんが、障害のある子供さんのリポートのあとの感想で、
「下向きに頑張ってきたんだね」
と言っているのを聞いて「ん!?」と思いました・・・そう、徳光さんは、標準語で言うところの、
「ひたむきに頑張ってきたんだね」
といったつもりが、「江戸っ子訛」になっていたのです。
わが「情報ワイドミヤネ屋」の金曜の芸能コーナーにご出演いただいている石川敏男さんも江戸っ子です。しょっちゅう、「ヒ」が「シ」になっていて、威勢が良いです。
また、これは私の聞き違いかもしれませんが、あるリポーターが、
「額(ひたい)」
と言っているはずなのに、「ヒ」が「シ」に聞こえた時は、ちょっとドキッとしました。
2008/10/7


◆ことばの話3388「鼻くそをほじるか?ほじくるか?」

(えらいタイトルやなあ・・・)
日本人3人がノーベル物理学賞を受賞のニュースが流れた翌日の10月8日の『情報ライブミヤネ屋』で、ノーベル賞の特集をしました。その際に、「笑える大発明を表彰する」という「イグ・ノーベル賞」についてもご紹介しました。これまでに「カラオケ」のほか「たまごっち」イヌの話が翻訳できるという「バウリンガル」などで、日本人も受賞している賞です。その「イグ・ノーベル賞」の過去の受賞者の紹介の中に出てきたのが、
「思春期における鼻くそをほじる行動の研究」
というもの。この研究の表現について森若アナウンサーから真面目な顔で(ウソ)質問を受けました。
「道浦さん、これは『鼻くそをほじる』でしょうか?それとも『鼻くそをほじくる』でしょうか?また『鼻を』なんでしょうか?『鼻くそを』なんでしょうか?』
「うーん、まず『ほじる』か『ほじくる』かについては、『ほじくる』の方が、より深く真剣に集中して、丹念に取り組む姿勢が感じられるね。普通だと『ほじる』だけど。『いじる』と『いじくる』の違いかな。さらに、もっとしつこくやると『いじくるまわす』『ほじくりまわす』と言えるだろうね。それから『鼻を』か?『鼻くそ』をか?という問題は、『鼻』は場所、『鼻くそ』は目的物をあらわすので、どちらの表現もOKですね。たとえば場所を指すのなら『炭鉱を掘る』とも言えるし、目的物を持ってきたら『石炭を掘る』とも言えるのと同じだね。」
われながら的確な表現だなと思い、森若アナウンサーも、
「分かりました。どっちでも可ということですね」
と納得してくれたので、私は鼻を高くし、その鼻に手が・・・・。
2008/10/8


◆ことばの話3387「悲喜こもごも」

8月13日の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」で、北京五輪の「谷本連覇」「体操日本逆転で銀」「野口欠場」というような、喜ばしいニュースと悲しむべきニュースが入り乱れている様子を、
「きょうの朝刊は五輪の連覇を巡るニュースの悲喜こもごもを報じている」
と書いていましたが、これを読んで、「ちょっと待てよ」と思いました。たしか「悲喜こもごも」は、
「一人の人間の中の悲しみと喜び」
を指すのであって、
「合格発表の場では合格した人、落ちた人、悲喜こもごもであった」
という使い方は間違いだと聞いたことが(読んだことが)あります。
『精選版日本国語大辞典』「ひきこもごも」を引いてみました。
「悲しみと喜びとをかわるがわる味わうこと。または悲しみと喜びとが入り混じること」
うーん、これでは、はっきりとは分かりませんね。『デジタル大辞泉』では、
「悲しいこととうれしいことを、かわるがわる味わうこと。(例)ひきこもごもいたる」
『広辞苑』は、「悲喜交々至る」の意味として、
「悲しみと喜びとが代わる代わる起こる」
とありました。
『NHKことばのハンドブック第2版』の169ページには、「悲喜こもごも」について、
「入学試験合格者発表関係のニュースで、『〜悲喜こもごもの風景でした』と表現するのは適切ではない。『悲喜こもごも』は1人の人の心境について言う場面に使う。『喜ぶ人もあり悲しむ人もあり、さまざまな情景でした』などにすればよい。なお、こういう古めかしい成句はなるべく使わない。」
あ、この記述だ、前に見たのは!でも「古めかしい成句だから使わないほうがいい」と言うのはどうでしょうか。確かに常套句で手垢がついているのはたしかですが、だからといって使わないというのも、この場合どうなのか。ちょっと疑問ですけどねえ・・・。
皆さんはどう思われますか?
2008/10/7


◆ことばの話3386「独白」

あすのテレビ欄の原稿に、
「きょう初公判…時太山の父が独白!その思いとは?」
とありました。この中の、
「独白」
は、辞書を引くと、
「ひとり言」「モノローグ」
という意味しか載っていません。時太山のお父さんが「独り言」を言っているのでしょうか?どうもそういうニュアンスではありません。どちらかと言うと、
「激白」
のような内容になるのではないでしょうか?そこで担当プロデューサーに、
「『独白』だと『ひとり言』の意味しかないんだけど、これでいいの?『激白』の方がよくないかい?」
と聞いてみると、
「いや、それでいいんだ。独占インタビューではないけど、うちだけに話してくれた独自ネタのようなインタビューが取れたので、それを強調したい言い方なんだよね。」
とのこと。そうか「激白」より「独白」なのか・・ボソボソ・・・。
2008/10/6
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スープのさめない距離