◆ことばの話3385「寸分ちがわない?たがわない?」

「情報ライブミヤネ屋」の夕刊を紹介するコーナーで、Hアナウンサーが新聞記事の文章を、こう読みました。
「寸分ちがわない」
それを聞いて私は「ん?」と思い、本番終わりでHアナウンサーに聞いてみました。
「あれは『寸分たがわない』じゃないの?』
「あいやー、やっぱりそちらでしたか。随分迷ったんですが、『寸分違わぬ』だったら『たがわぬ』と読んだんだけど、『違わない』と口語文だったので『たがう』よりは『ちがう』の方がいいかなあと思ったんですけど・・・」
「でも、『寸分』と来たら『たがわない』じゃないのかなあ・・・」

ということで とりあえず話は終わりました。
現代文でも、ちょっと古風な読み方は、結構残っているものですね。だからややこしい。特に「書き言葉を音声化するとき」は「要注意」ですね。
2008/10/6


◆ことばの話3384「『一夜』は『ひとよ』か?『いちや』か?」

「一夜」
と書いて「ひとよ」と読むか?それとも「いちや」と読むか?とスタッフに聞かれました。
「うーん、どっちも読むねえ。南こうせつさんの曲は『夢一夜』と書いて『ひとよ』、ムソルグスキー作曲の『禿山の一夜』は『いちや』だし。」
日本語の数詞には「和語系」と「漢語系」があります。 「一」を「ひと」と読むのが和語系、「いち」と読むのが漢語系です。簡単に言うと、
「訓読みが和語、音読みが漢語」
ですね。そう言ってしまうと、当たり前なんですけど。
さて、そうなると、「一夜」の読み方についての標題の疑問なのですが、
「ひとよ」と読むのが「和語系」、「いちや」と読むのが「漢語系」
になりますね。ま、そうなると、
「文脈から判断する」
としか言えないなあ・・・。以前書いた「墓石」を「ぼせき」と読むか「はかいし」と読むかと、おんなじような問題ですね。
2008/10/6


◆ことばの話3383「薩摩しょうちゅうか?じょうちゅうか?」

「情報ライブミヤネ屋」の女性ナレーターから、
「道浦さん、『薩摩焼酎』の『焼酎』は、濁るんでしょうか?それとも濁らないんでしょうか?」
と聞かれました。「しょうちゅう」か「じょうちゅう」か?ということですね。
「うーん、濁るんじゃないかなあ・・・でも自信がないから調べてみるわ」
ということで、「さつま白波」で有名な「薩摩酒造」という会社に電話して聞いたところ、
「『薩摩しょうちゅう』と、濁らない」
という話でした。ただし、
「鹿児島県の酒造組合で、『薩摩しょうちゅう=濁らない』としたが、現状では地元でも両方混在している。また『芋焼酎』は濁って『芋じょうちゅう』と言う」
という話でした。2008年の4月か5月に電話で確かめて、ノートにメモしたままになっていました。
2008/10/3


◆ことばの話3382「フリーライブ」

先日の『情報ライブ・ミヤネ屋』の芸能コーナーで、堺 正章さんがライブを行ったというニュースのスーパーとコメントに、
「初フリーライブ」
という言葉が出てきました。私は初めて耳にする(目にする)言葉でしたが、これについての「説明」は一切ありませんでした。おそらく、
「フリー=無料」
ということだと思います。
新聞報道(スポーツ紙)でもそのまま「フリーライブ」と書いてあるもの(説明なし)も多かったです。しかし、中には見出しで、
「”タダ“ライブ」
としていたところもありました。事務所側の意向としては「初」という“冠”が必要だったのと、「無料ライブ」では「なんだかカッコがつかない」から、カタカナで、
「フリーライブ」(事務所側の発表原稿は「フリーイベント」)
としたのでしょうが、そこまで「事務所サイドの目線」で伝える必要もなく、それより「視聴者目線」で分かりやすく伝えることの方が重要でしょう。
最近は「フリー」に、
「チャイナ・フリー」(中国産は使用していない製品)
のような意味合いも出てきていますし、何となく馴染んでいるカタカナ語をそのまま使うのは注意が必要ですね。
2008/10/2


◆ことばの話3381「麻生首相の所信表明演説のすべからく」

2008年9月29日(月)に行われた麻生太郎総理大臣の所信表明演説は、民主党に質問を投げかけるなど「異例」のものとなりましたが、翌30日の朝刊にその全文が載っていました。それを読んでいると、「おや?」と思うような言葉に出会いました。それは
「すべからく」
という言葉です。麻生総理は、
「すべからく、消費者の立場に立ち、その利益を守る行政が必要なゆえんであります。」
と述べているのですが、この「すべからく」という言葉、実は「すべて」という意味ではありません。
「すべからく〜すべし」
よいう呼応を持っていて、
「当然なすべきこととして。本来ならば」
という意味です。
せっかくの新首相の所信表明演説ですから、言葉の間違った使い方はしてほしくないのですが、これはもう、
「すべからく=すべて」
という用法が認められているということなんでしょうかねえ?
2008/10/1
(追記)

早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんから、以下のようなご意見をいただきました。
「この『すべからく』はいいのではないでしょうか?『すべからく……が必要』とあり、この『必要』は『べし』の言い換えですから、呼応は保たれています。いわば、『さながら……のごとし』を現代風に『さながら……のようだ』と言ってもいいようなものであると考えます。」
またさらに、
「『すべからく……○○せなあかん』という、『すべからく』の大阪弁バージョンもありました。
〈人間すべからく自分の会社の金はできる限り仰山{ぎょうさん}胡麻化{ごまか}
さなあかん。〉(筒井康隆『俗物図鑑』)

なるほど、そうですか。つまり必ずしも「すべからく・・・べし(べきだ)」と呼応しなくても、意味の上での呼応が保たれておればOKということですね。 大阪弁バージョンもあったとは!大学時代に読みましたよ、筒井康隆の『俗物図鑑』。そんな例があったとか。
そのあたり、実は私も「すべからく」の呼応について、いくつか辞書を引いたのですが、記述を見つけられなかったので、ご意見がある方はどうぞご教示下さい。よろしくお願いします!
2008/10/6
(追記2)

中学からの友人Y君からメールが届きました。
「しばらく言葉事情チェックをサボっていたら、ずいぶんと増えているではありませんか。その中で気になったのが『すべからく』です。難しいですよね、この『すべからく』の使用方法。私にこの言葉の使用をむずかしくさせたのが、今年解散するサザンの「松田の子守唄」です。ご存知ですか。」
その歌詞を書いてくれていました。そこに「すべからく」はこんなふうに出てきました。

「すべからく 恋はいいもの」

「ここで使用されている『すべからく』を、この曲を聴くたびに『どういう意味なんだろう?』とずっと思っていたのです。私は『すべからく』を『当然〜すべき』という意味だとずっと思っていました。普段あまり耳にしないし、自分では使用しないので、改めて調べたりしたことがなく、今日に至っています。『すべからく』を『すべて』と読み替えれば、先の歌詞は理解できますが、言葉を大事にする桑田さんがそんな使用方法をするとは思えません。この歌詞の意味を教えてもらえれば、長年の疑問が解消するというものです。もっともこの歌に限らず、桑田さんの歌詞に「意味」を求めるという行為そのものが、もしかしたら邪道な事かもしれませんが。」

たしかに。私は、こんな返事を送りました。
「なるほど。初期のサザンは“すべからく”聞いて、テープかレコード、CDを持っていた私ですから、当然『松田の子守唄』は知っています…が、今ようやくメロディが頭の中に蘇ってきました。♪ミレドレーソー、ドシソラーシドー♪というやつですね?(合唱歴29年、最近、ちょっと音階がわかるようになってきた私です。)そう言えば『すべからく』、あったなあ。桑田佳祐は『たかが歌詞じゃねぇか、こんなもん』とかいう著書があったぐらいですから、そこに規範を求めても、ねえ!」

ということで・・・。
2008/10/14
(追記3)

『テレビショッピング事始め』(境政 郎、扶桑社)という本の中に、
「第一次石油ショックで、すべからく節約の時世となり」
という表現が出てきました。著者は60代後半。この世代の人でも「すべからく」=「すべて」の意味で使うんですね。
2008/10/21
(追記4)

『ひかりの剣』(海堂 尊、文藝春秋:2008、8、10)という本の中に、
「日本古来の武道である剣道には夏には暑い暑中稽古、冬は凍える寒稽古、というように、すべからく快楽原則に刃向かう天の邪鬼なところがある。」(120ページ)
「すべからく」が出てきました。
2008/11/10
(追記5)

『日本語が亡びるとき〜英語の世紀の中で』(水村美苗、筑摩書房:2008、10、31第1刷)を読んでいたら、303ページにこんな記述が。
「カンボジアのクメール・ルージュにいたっては読書人をすべからく虐殺した。」
この「すべからく」は「すべて」の意味で使われているのではないでしょうか?
2009/1/6
(追記6)

『外科医須磨久善』(海堂尊、講談社:2009、7、22)を読んでいたら,
『「破境者」はすべからく「越境者」であるが、「越境者」は「破境者」であるとは限らない。』(188ページ)
『そう、作家というものはすべからく詐欺師なのだ。』(193ページ)
『作家はすべからく詐欺師だか、少なくともこの言葉は偽りではない。』(216ページ)
3回、「すべからく」が出てきました。海堂さんは『ひかりの剣』でも使っているし(追記4)、「すべからく」という言葉が好きなようです。
2009/7/30
(追記7)

この項目は「麻生総理で始まり麻生総理で終わる」のでしょうか・・・。
2009年8月30日、総選挙で歴史的大敗を喫した麻生太郎・自民党総裁が、会見で答えていわく、
「首班指名のあと、すべからく党員を集めて新たな総裁を決めることになると思います。」
と言っていました。この「すべからく」は、
「すみやかに」
の意味のように感じましたが、どうも違いますね。これはやっぱり、
「すべての」
の意味のようですね。麻生総理、やることなすこと「すべからく」滑ってしまった感があります・・・。
2009/9/1
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スープのさめない距離