◆ことばの話3305「死にたてのエビと死にかけのエビ」

先日、両親への「お中元」に何を送ろうか?と百貨店のカタログをぱらぱら眺めていて目に留まったのが「活け車エビ」です。
「生きたエビはどうかな?」
と妻に言うと、
「でもお母さん、生きたエビって苦手じゃない?」
「じゃあ、死んだエビにするか?」
というような会話があったと思いねえ。そこでふと考えたのは、
「『死にたてホヤホヤのエビ』と、『死にかけの(生きた)エビ』だったら、どっちがいいかな?」
という話です。「死にたてのホヤホヤ」とは言え、それは既に「死んでいる」わけですし、「死にかけ」とは言え、こちらは「生きている」わけですし・・・。なんだか昔あった、
「究極の選択」
のような感じです。そもそも、
「死にたてのホヤホヤ」
という表現は、ちょっとおかしいですよね。
「出来立てのホヤホヤ」
「作りたてのホヤホヤ」
「産みたての卵」
「ペンキ塗りたて」
などというふうに、
「〜たて」
という言葉は付きますが、「死に」という言葉とは、相性が悪そうです。
実際には、冗談以外にはありえない表現ですが、どうでしょうか?私ですか?私は、
「死にたてのホヤホヤ」
の方が、
「生きが良さそう」
でいいと思いますが。なんだか矛盾しているなあ・・・。
2008/7/1
(追記)

マンガ好き、そして料理好きの友人のY君からメールをもらいました。ちょっと長くなりますが、ほぼそのまま、載せさせていただきます。
『あくまで『マンガ』の中での話だが、『美味しんぼ』では「活け締め」と「野締め」の違いを何度も説明しており、「生き造り」と「活け締め」された魚の味の違いについても何度か語っている。そこで語られる話を簡単に書くと、
・「活け締め」は水揚げした(あるいは釣り上げた)場所で、頭と尻尾に切り目を入れて血抜きしたもの。生かした状態で調理現場に運び、そこで締めた場合は単に「活け」と称す。
・「野締め」は血抜きをせずに自然に死んだもの。生きたまま氷漬けにして鮮度を保たせながらも自然に死んだものもこの中に含まれるとする。つまり締めないが「締め」と使う。 (区分して「氷漬け」と呼ぶ場合もあるという)
・料理場での魚の価値としては 「活け締め」→「活け」→「野締め」
・こと魚の刺身に関して言えば例外はあるものの水槽から生きた魚を取り出して調理した「生き造り」より「活け締め」された鮮度の高い魚の方が、はるかに美味しい(らしい)。

「生きがよさそう」という意味をどう取るかがわからないが、味に関しては「死にたてほやほや」より「死んだ魚」の方が美味しいそうだ。その理由として「美味しんぼ」には
・水槽に入れられた魚は餌も食べられず、ストレスのために体がぼろぼろになっている。
・白身の魚やマグロのような大きな魚は、腐食よりも熟成する方が勝るため旨みが多くなる。
などをあげている。ただし、マンガ『将太の寿司』によると、エビは種類に限らず死んだらすぐ味が落ちると書かれており、高級料亭や高級すし屋では、死んだエビを使用することはまずないとしている。そう言う意味では「活け車えび」という表現は、なんかおかしいと思う。水産業界の専門用語というよりは販売する側の「造語」ではないだろうか。
また「イカ」に関して言えば、私も唐津や呼子で何度も体験しているが、「活け」という方法がなく、必ず「生き造り」。理由はよく知らないが、死んだイカと生きているイカでは、まるで別物である。』
マンガからの知識だが、と謙遜しているのですが、いやいやなかなか、最近のマンガはとても勉強になりますよね。Y君ありがとうございました。
2008/7/4


◆ことばの話3304「タケノコ採りか?タケノコ掘りか?」

6月17日の「ミヤネ屋」で、岩手・宮城内陸地震のニュースが出て起案した。その中で、
「たけのこ採り」
という表現が出てきたのですが、これは明らかに、
「たけのこ掘り」
だろうと、そう直して読みました。
『「きのこ」「山菜」は「採り」ですが、「たけのこ」は「掘り」です。』
との注意書きまで、放送後にスタッフに伝えました。ところが・・・
この話を、山歩きでよく東北の方にも行く先輩に話したところ、
「それは『タケノコ採り』でいいんだよ」
と言うではないですか!理由は、
「この時期に東北の方で採りに行くタケノコというのは、『根曲がり竹』と言って、細くて柔らかくておいしいもの。東北ではよく、このタケノコを取りに来てクマとけんかして事故になることがあるんだ。『根曲がり竹』は掘らないんだよ。」
とのことです。そこで、ネットで「ネマガリダケ」で検索(7月2日)してみると、2万1700件も!その中で最初に出てきたのが、「山菜ネットショップ里山人」というこのサイト。そこにはこう書かれていました。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~tomosuke/vegs/takenoko.htm

『正式な和名は「チシマザサ」でネマガリタケは通称。東北地方で「たけのこ」というとこのねまがりたけのことを言います。たけのこの仲間の中では一番美味しいと言われ、栄養的に見ても優れています。2〜3メートルの親笹の根元から斜めに立ち上がる短いたけのこを探して、毎年多くの人が山に入ります。大人気の山菜です。親笹の背丈が高ければ高いほどいいものが取れるようですが、深くて密生した笹薮を、たけのこに夢中になりながらやぶこぎしているうちに迷ってしまう人も多いです。』
ほんとだ!東北で「タケノコ」と言うとこれなのか!見た目はちょっと先のとがったアスパラガスのような感じで「山菜」感覚ですね。
また「ネマガリダケ、タケノコ採り」で検索しても1550件出てきました。「ネマガリダケ、タケノコ掘り」では、たったの103件でした。
うーむ、何事も自分の常識の範囲で判断するというのは限界があるのだな。勉強になりました。
2008/7/2
(追記)
北海道出身の坂 泰知キャスターからのメールです。
「孟宗竹がない北海道でも、山菜の竹の子と言えば、『ネマガリダケ』でした。山菜そばに入っている白い竹みたいのがそれですよね。タケノコ採りというより『タケノコ狩り』と言っていたような気が…。ホントの竹の子は缶詰の水煮になったものを食べることが多かったようです。」
そうか「タケノコ狩り」か!Google検索(7月3日)では、
「タケノコ狩り」=18300
ついでに、
「タケノコ狩り、北海道」=3900
「タケノコ狩り、東北」= 711
でした。「タケノコ狩り」という表現の方がいいかもしれませんね。
2008/7/3



◆ことばの話3303「初お披露目」

6月27日の『情報ライブ・ミヤネ屋』の芸能のコーナーで、
「初お披露目」
という表現が出てきました。それを見て私はすぐに、
「これは重複表現ではないか?」
と思いました。つまり「お披露目」は1回きりなので、「初」と付けなくていいのでは?と思ったのです。
そこで手元の電子辞書(『精選版日本国語大辞典』)を引いてみると、こういうふうに載っていました。
「お披露目」=(1)広く知らせること。特に結婚などの披露。(2)芸者としてはじめて出たり、半玉(はんぎょく)が一本立ちの芸者となったりした時などに、茶屋などに挨拶して回ること。ご披露。
そうなのか。この『精選版日本国語大辞典』(2)の意味だと、「初めて」の意味が「お披露目」に含まれているので「重複表現」になるかもしれませんが、(1)の一般的な意味では、何度「お披露目」をしてもいいことになりますね。
デスクに帰ってから『広辞苑』(第6版)を引きました。そこにはこうありました。
「お披露目」=(お広めの意)結婚・襲名、また芸者が初めて出る時など、当事者が公にあいさつすること。(『広辞苑』)
うーん、やはり「芸者」以外は「初お披露目」も「再お披露目」も「あり」なのかなあ。場所が違えばいいのかなあ。「間違い」とまでは言えないようですね。
2008/7/1


◆ことばの話3302「そらいく」

日本航空の機内誌『スカイワード』の2008年5月号で、
「そらいく」
ということばを見つけました。「そらいけ」ではありません。例の「食育」とか「服育」「浴育」と同じように、
「空に関する教育」
のことのようです。ただし漢字で「空育」とは書かずに平仮名で「そらいく」と書くようです。記事を読むと、「そらいく」というのは、
「JALがボランティアで行っている出張講座」
のことで、
「空から地球を見つめ続けてきたパイロットが、環境問題の大切さを子どもたちに伝える取り組み」
なんだそうです。まあ、乗り物の中でも特に大量にCO2を排出する航空機ですから、最近のエコ・ファシズム的なエコブームの前には、何かボランティアでやらないといけないという感じなんでしょうか?(ちょっとシニカルすぎるか?)企業イメージの向上ということが、当然背景にあると思います。エコロジーのこと、よく考えていらっしゃるのでしょう。
講座は面白いみたいですよ。この記事では4月3日に札幌の時計台ホールで行われた講座の一部が紹介してあって、
「ボーイング747は、燃料1リットルで何メートル飛ぶでしょう?」
という質問に、集まった200人の親子連れは、
「8メートル?」「わかんない」
などと口々に答え、機長が、
「答えは80メートル。飛行機は意外と燃費がいいんです。」
と正解を言うと、子どもたちは「当たった!」などと感嘆の声が、と書いてありますが、燃費、いいのかな?
でも、こういった活動をすることは重要ですよね。なお、Google検索(7月1日)では、
「そらいく」=2910件
でした。
2008/7/1


◆ことばの話3301「緊急会見」

6月24日の「情報ライブ・ミヤネ屋」で、この日午後3時すぎに中部国際空港に帰国したフィギュアスケートの浅田真央選手の会見の模様を、VTRで午後4時前に放送しました。その放送の字幕は、
「緊急会見!浅田真央帰国」
というようなもので、会見の内容は、
「新シーズンに向けて、新しいコーチが決まった」
という内容で、それほど緊急性・重要性があるとは思えないものでした。
それを見ていた出演者の一人、松尾貴史さんが、
「どこが緊急なんですか!?」
と盛んにおっしゃっていました。それを受けて司会の宮根誠司さんは、
「これは、真央ちゃんが緊急なんじゃなくて、スタッフが緊急だったんです!さっき撮ってきて編集して放送したというのが緊急なんです!」
と絶妙の、しかし、いささか苦しい言い訳をしてくれましたが、これはやはり松尾さんの論が正しいですね。本来「緊急」の時以外に、単なる
「さっき撮ったばかり!」「撮りたてのほやほや!」「生(中継)に限りなく近い」
という意味で「緊急」を使うのはよくないと思います。
例の「狼が来た」といつも言っていて信用されなくなった「オオカミ少年」の例を引くまでもなく、本当に緊急な「災害放送」などの時に、「緊急」の意味が逓減してしまいます。
自戒の念を込めて、注意したいと思います。
2008/7/1
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