◆ことばの話3250「聾学校か?聴覚特別支援学校か?」

2008年3月10日の朝日新聞朝刊に、
「『聾学校』名前残して」
「『特別支援学校』へ兵庫県など改称」
「当事者『差別でなく誇り』」
という見出しが出ていました。この、
「聾学校」「特別支援学校」
という呼称への、新聞用語懇談会放送分科会加盟各社の対応について、先日の会議で聞いてみました。
*文部科学省が「こういう言い方をする」と言っているが、本当は「盲」「聾」という言葉を消したいという意図があるように感じられる。現場レベルでは反対の声も。学校名はそのまま「盲学校」「聾学校」としているところもある。しかし「特別支援学級」ができて、「特殊学級」というのはなくなった。(NHK)
*結論出ていない。固有名詞はその名前に従う(TBS、フジ、テレビ朝日)
*調べてみたら、現時点では「盲学校」「聾学校」という名前のところもたくさん残っており、「特別支援学校」と変えているところもある。「盲特別支援学校」「聾特別支援学校」というところもあった。一般名詞としてはどちらでも良い。(テレビ東京)
*「学校教育法」に従う。「特別支援学校」にしている。(共同通信)
*固有名詞に従う。普通のトークでは「盲学校」「聾学校」を使う。(朝日放送)
*ニュースでは「特別支援学校」。ワイドショーでは「盲学校」「聾学校」も許容。(毎日放送)
*「『聾学校』という名称を残して」という動きが静岡でもあった。4月1日から静岡県では「特別支援学校」となって、ニュースでもそう読んでいる。(静岡放送)
*決めていない。(テレビ大阪)
*「特別支援学校」を使うが、その内容がわかる言い方をする。(日本テレビ)
ということで、事態を見守るという姿勢の社が多かったようなのですが、今後もこの名称の変更には注目していきます。
2008/5/27
(追記)
5月28日、関西テレビのお昼のニュースで、大阪府の障害者(児)支援の予算を削らないでという集会の様子を伝えていましたが、その時にインタビューに答えた男性の発言を字幕スーパーでフォローする文に、
「支援(養護)学校・学級」
という、(  )内に併記する表記が出ていました。
2008/5/28
(追記2)
5月29日の読売新聞朝刊の「教育ルネサンスNo.845〜特別支援8」で、こんな記事を見つけました。
名称変更は3分の1〜昨年4月施行の改正学校教育法で、盲・聾・養護学校は障害種別を超えた『特別支援学校』に法令上、一本化。特別支援教育のセンター的役割も規定された。ただ、名称変更は設置者の判断で、文部科学省によると今年4月現在、変更したのは927校中329校。長い歴史を持つ教育への誇りなどから、校名変更していない学校も多い。」
ということでした。
2008/5/29
(追記3)
2008年4月1日の読売新聞の「府教委9750人異動」という記事の中に、
「盲・聾(ろう)・養護学校の名称は、それぞれ視覚支援・聴覚支援・支援学校と変更する」
とありました。兵庫県だけでなく、大阪府もそうなんですね。
2008/6/10
(追記4)
2008年9月1日放送の『ズームイン!!SUPER』で、その前日に放送した『24時間テレビ31・愛は地球を救う』の特集をしていました。その中で、
「特別支援学校の皆さん」
という言い方をしていました。
2008/9/2



◆ことばの話3249「ミレアHD」

先日の新聞記事で、2008年7月から、
「ミレアホールディングス」
が社名を、
「東京海上ホールディングス」
に変更するというニュースを読みました。社名変更の理由は、
「統合が計画されたのが2000年だったのでミレニアムにちなんだ社名を採用していたが、海外での認知度が高い東京海上に統一することでグループの総合力を発揮できると判断した。」
とのことでした。思ったほど「ミレア」が定着しなかったということもあるのでしょう。でも「ミレニアム」をきっかけに変えた名前ということであれば、たとえば、
「明治○○」「大正○○」「昭和○○」
といった企業名と同じような社名のつけ方だったのに・・・カタカナは漢字の元号よりも定着しにくいということでしょうか?
この記事を読んで私が感じたことを、ひとことでまとめると、
「ミレニアムは遠くなりにけり」
でした。
拙著『スープのさめない距離』(小学館)の23p「明治は遠くなりにけり」もお読み下さい。
2008/5/28


◆ことばの話3248「ミソジニスト」

菊池 寛『半自叙伝 無名作家の日記 ほか四篇』(岩波文庫)を読んでいたら、
「ミソジニスト」
という言葉が出てきました。
「三十路ニスト」
なのかな?どういう意味なのか?『広辞苑』『日本国語大辞典』を引いても載っていません。そこで「ウィキペディア」を見てみると、
「ミソジニー」
という言葉が出てきました。
『ミソジニー (Misogyny) とは女性や女らしさに対する蔑視や偏見、憎しみを指す語である。女性嫌悪。ギリシア語のmisos「憎しみ」gyne「女性」から由来し、ミソジニーの傾向がある男性をミソジニストと呼ぶ。なお、対照的に「男性嫌悪」を意味する語として「ミサンドリー(Misandry)」という語も用いられている。』
ふーん、「女性嫌悪」かあ。年齢は関係ないんですね。もしかしたら菊池 寛の頃には流行ったのかな。でも今では「死語」と考えていいですよね。初めて目にした言葉でした。
2008/5/27



◆ことばの話3247「しっかとばかり

茂木健一郎の『すべては音楽から生まれる〜脳とシューベルト』(PHP新書)を読んでいたら、シューベルトの『魔王』の話が出てきました。思わず『魔王』の一節を口ずさんでしまいました。
♪かぜーのようにー、うまーをー駆りー
たけーりゆーく ものーありー
うでーにわらべ おびーゆーるをー
しっかーとばかり いだーけーりー♪
(風のように馬を駆り 猛り行く者あり 腕に童 帯びゆるを 
しっかとばかり 抱けり)

中学1年の時の音楽の先生が声楽家で、日本語で『魔王』を音楽の授業で歌わされました。ワーグナーの『タンホイザー』も歌ったなあ。覚えてるもんですね。習っておいてよかったなあ。30年以上経っても、ちゃんと歌詞が出てくるんだから。作詞は堀内敬三さんですかね?調べてみよっと・・・おお、この曲の歌詞に関しては、早稲田大学講師の飯間浩明さんが、既に書いているではないか。それによると、
「大木惇夫・伊藤武雄の共訳」だそうです。そして、「腕に童 帯びゆるを」の部分は、
「腕に童 怯ゆるを」 
ではないか、と指摘されていました。

ところでこの歌詞に出てくる「しっか」は、
「しっかり」
という言葉と、どう関係があるのか?「しっかり」擬態語由来なのか?ということが気になりました。あまり、今「しっか」が擬態語だとは感じられないですが、もし「しっか」が擬態語ならば「ゆっくり」の「ゆっく」も擬態語?「たっぷり」の「たっぷ」も擬態語?擬音語?これは擬音語のような気もするな。「タップタップ」と音がしそうだもの。『精選版日本国語大辞典』(電子辞書)で「しっか」を引いてみましたが、あれ?載っていませんねえ。古語辞典にも載っていないなあ。そこで『三省堂国語辞典・第6版』の編集を担当された早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんに聞いてみることにしました。
『以前、シューベルトの「魔王」の歌詞に関して(「帯びゆるを」「怯ゆるを」)書かれていましたが、今日お尋ねしたいのは、
「『しっかとばかり』の『しっか』」
についてです。この「しっか」は「擬態語」なのでしょうか?
たとえば「ゆっくり」「たっぷり」なども「ゆっく」「たっぷ」という擬態語に「り」が付いて出来ているのでしょうか?そのあたりに関してご教示いただきたいのですが・・・。
よろしくおねがいします。』
お忙しい中、すぐにお返事をもらいました。
『「魔王」の「しっかとばかり」ですね。これは「しか(確)と」を強調して促音が入ったものですね。「しっかり」もこの仲間です。
「しかと→しっかと→しっかりと」
の順に出現した模様です。いずれも擬態語とみてよいでしょう。
オノマトペの語形が、時代別にどういう変遷をたどったかについては、山口仲美『犬は「びよ」と鳴いていた』(p.34-35)に表があります。それに当てはめれば、「しかと」は奈良時代からある形、「しっかと」は鎌倉・室町〜江戸に栄えた形、「しっかりと」は鎌倉・室町に現れて明治以降にやや勢力を拡大した形、ということになります。「しっか」に「り」がついたというより、「しか」という核になる形がまずあって、それが時代により「しっかと」になったり「しっかりと」になったりしたと考えるといいでしょう。
ところで、「しかと」「しっかと」「しっかりと」をオノマトペ辞典で見ると、辞書によって扱いが違います(語によって載せたり載せなかったり)。擬態語とそうでない語とは、分けにくいことがわかります。たとえば、「ゆたか」の「ゆた」は「ゆったり」と同じで、もとは擬態語ですが、今日ではあまり意識されません。一方で、「うきうき」は「浮き浮き」で、もとは動詞を重ねただけですが、オノマトペ辞典に載っています。でも「いきいき」は「生き生き」で同じ語構成のはずなのに載っていません。擬態語かどうかは、「そう意識さ れているかどうか」という、あいまいな基準で分けているということになります。
「しかと」が、もともと擬態語として成立したものかどうかは、いまや古すぎて分かりません。「然るに」などの「しか」と同じとも言いますが(『大言海』)分かりません。もし「しか」が擬態語由来ならば、「たしか」ももとは擬態語かもしれません。
さて、もう1つお尋ねのあった「ゆっくり」「たっぷり」ですが、「ゆっくり」は「ゆくらゆくら」「ゆくゆく」(両者、万葉時代のことば)などの似たことばがあるため、「ゆく」が核となる部分でしょう。「ゆっく」に「り」がついたのではなく、「ゆく」から「ゆくゆく」とか「ゆっくり」とかが派生したとみるべきでしょう。一方、「たっぷり」は、「たぶたぶ」「たんぶと」「たんぶたんぶ」(中世)「たんぶりと」(近世)「たぷたぷ」(近代)などの例があるので、「たぶ(たぷ)」が核の部分でしょう。「たっぷんたっぷん」なども、ここから出たのではないでしょうか。こんなご説明で、いかがでしょうか。』

いやいや完璧です。山口仲美先生のご本も、もう一度読み直してみますね。引用が大変長くなってしまいましたが(そのまま載せちゃった!)どうも飯間さん、ありがとうございました!


2008/5/27


◆ことばの話3246「Bは?」

先月、『情報ライブミヤネ屋』の取材で、『少年サンデー』と『少年マガジン』がともに今年、創刊50年目を迎えた関係で、『少年サンデー』の創刊号から執筆されている漫画家の藤子不二雄Aさんにインタビューをしました。気さくでとっても丁寧な方で、いろんな話を聞かせてくださいました。
と、いう話を妻にしたところ、あまり漫画(特に少年マンガ)に興味がない(であろう)妻は、平然とした表情で、こう言ったのです。
「Bは?」
は?
「それで、Bは?いないの?」

あーのーなあー!!
「藤子不二雄というのは、2人の漫画家のペンネームで、本当は我孫子素雄と藤本弘という二人なの!でも途中で方向性の違いからそれぞれ別々にマンガを描くようになったから、我孫子さんが『藤子不二雄A』、藤本さんが『藤子・F・不二雄』ってペンネームになったの!だから、『藤子不二雄A』の『A』は、『我孫子』の頭文字の『A』であって、『A、B、C』の『A』じゃないから、『藤子不二雄B』ってのは、いないの!」
と一気にまくし立てました。
が、妻の反応は、
「ふーん」
でした・・・。
2008/5/27
(追記)
その後また、「これは!」という(妻の)発言が。
「お店で本当は天丼が食べたかったのに『天丼!』と言うには勇気がいるので言えなくて、結局『季節の天ぷら定食』になった」
〜「天丼」は、品のない食べ物のように感じているようです。
「『デブ専』の意味を、先日初めて知った」
〜ま、たしかにこれは「品のない言葉」ではありますが。どこで知ったんだよ!?
「最近、勇気を出して、ラーメン屋さんに一人で行けるようになった」
〜何となく、ちょっとわかる気はします。
「立ち食い(そば・うどん)は、女の人が越えてはいけない一線。そこで食べるぐらいなら、食べないことを選ぶ」
そういうものなんですかねえ・・・。男にはわからない世界のような気もします。
2008/6/3
スープのさめない距離