◆ことばの話3205「高齢出産は何歳からか」

「情報ライブ・ミヤネ屋」の打ち合わせ中に、
「高齢出産は何歳からか?」
という質問が出ました。
「たしか昔は『35歳以上での初産』を指してそう呼んでいたと思うけど、数年前に、『出産年齢が上がってきたので40歳に上がった』というようなことを聞いた気がするんだけど・・・いや、実際のところはわからない。調べておくよ」
と言って、友人の医者O君に聞いたところ、こんなメールが返ってきました。
「高齢出産についてですが、今日(26日)発表のあった“看護師国家試験に合格したての看護師さん”に調べてもらいました。」
それは、適任!一番勉強して新しい情報を知っているでしょうからね。
「『高齢出産とは、統計上または医学上、女性が35歳以上で子どもを産むことを指す。
なお、「35歳」という年齢に何か特別な意味があるのかと誤解されがちであるが、高齢出産のリスクは30歳を超えた頃から徐々に高まっていくものであり、35歳を境に「急に」危険性が上昇するわけではない。』(以上Wikipediaより)
とあるように、・・・・」
おいおい、「ウィキペディア」からの引用ですか。最近は教科書も「ウィキペディア」から引用しているらしいけど・・・それなら私も、メールをする前に一応調べてみたんだけどね・・・と、途中で口を挟んでしまったけど、その後も見てみましょう。
「高齢出産の年齢についての統一基準というのは、特に定められたものではないと思います。2人目でも、30歳を越えての出産はハイリスクといえるでしょう。『40歳以上』という年齢の引き上げについてですが、今の日本は晩婚化が進み、30歳を越えての出産が急増しています。『35歳』でハイリスク出産となると、子どもを産むことに不安を与えてしまい、ますます少子化が進みかねません。ですから『40歳以上』と提示しているのかもしれませんね。でも、私たち医療者の間ではハイリスク出産の年齢は上記で示したように『35歳以上』と習いました。」
とのことでした。一応基準としては、最後に書かれた下線部分の、
「『高齢出産』というのは、『35歳以上』」
というのは変わっていないようですね。ただそれを取り巻く社会状況が、昔とは変わってきているのは確かなようです。O君からのメールには、
「ちゃんと産婦人科医に聞け、って?わかりました。聞いておきますね。」
と書かれていたので(ひとりツッコミ、ひとりボケ)、産婦人科医のコメントを「追記」で待つことにいたしましょう。
2008/3/27

(追記)

早速、友人のO君からメールが。産婦人科のお医者さんに聞いてくれたそうです。
「産婦人科の先生に、『高齢出産は35歳以上ですよね、ぼくらのころはそう習ったんですが・・・』と聞くと、『はい、高齢出産は35歳以上ですよ。でも昔は30歳以上って言ってたんですけどね』と言うので、念を押して、『40歳以上ではないですよね?』って尋ねたら、『はい、35歳です』とのことでした。」
ありがとうございました。どうやら、
「昔は高齢出産は30歳以上だったのが、その後35歳以上になった」
ようですね。そうすると今後「40歳以上」になることがあるかもしれませんね。いや、これは私の勝手な推測ですが。

2008/3/31


◆ことばの話3204「休む気満々」

会社帰りにすれ違ったサラリーマンの、ある一言が耳に残りました。それは、
「あいつ、休む気満々や」
という言葉。本来、「マイナス」のものに「満々」という言葉を使うのはおかしい、というのがこれまでの常識ですが、最近この手の言葉を時々耳にします。
たとえば「平成ことば事情732俄然、やる気が・・・」のような例や、同じく「501裏切る」「1374裏切る2」「1373泣く自信」、また「圧倒的不利」なども似た用法ではないかと思います。
「休む気満々」
は、おそらく、
(1) 他人がその行為を批判して皮肉に使う場合
(2) 本人は全然マイナスと考えてなくて、その行為をやる気に満ちている場合
に使われるのではないでしょうか?
Go ogle検索をしてみたところ(3月26日)
「休む気満々」=2万0300件
出てきました。世の中には「休む気満々」の方が随分いらっしゃるようですね、そして、それを不満に思っていらっしゃる方も・・・。
2008/3/26


◆ことばの話3203「まくるとめくる」

唐突に思いつきました。
「『まくる』と『めくる』は、もともとは同じ意味だったのではないか?『まつげ』『まぶた』のように、『目』をもともと『ま』と読んでいたのが『め』に変わったような、『ま→め』への音韻変換ではないのか?」
ということです。語感の微妙な違いを言えば、「まくる」は下のほうから「大きな動作で」覆っているものをはがすような感じがするのに対して「めくる」はその動作が小さいような気がします。「日めくり」とは言っても「日まくり」とは言わないでしょ。「日めくりカレンダー」って、「めくる」動作は似合うけど「まくる」動作は似合わないような感じがしますもん。
「まくる」>「めくる」
といった感じかな。『精選版日本国語大辞典』(電子辞書)を引くと、
「まくる」=(1)物の端を巻いて上に挙げる。まきあげる。(2)はぐ。はがす。(3)重なっている紙などを一枚ずつ裏返す。めくる。(4)追いのける。追いちらす。追いたてる。のける。(5)(「怪我(を)まくる」の形で用いて)「する」の意をののしっていう。しくさる。(6)(他の動詞の連用形について接尾語のように用いる)動作を休みなく、また激しく行う様子を表す。盛んに・・・する。(7)競輪で、先行者との距離を縮めて一気に追い抜く。
ひえー、随分たくさん意味があるんですねえ。一方の「めくる」は・・・
「めくる」=(1)巻くようにしてあげる。あげてひっくりかえす。(2)はぐ。はがす。
この(1)(2)の意味は、「まくる」と同じだ。
(3)めくりカルタをする。
これは「まくる」とは違いますね。そう言えば、昔アナウンス部で、電話帳をめくってその出た電話番号の数でお茶代を誰が払うかなんてゲームをやったことがあるけど、あれは「めくり」と言ってたなあ。あの起源はなんと「めくりカルタ」にあったったのかあ・・・感動・・・。
おや?意味が3つしかないぞ。ということは、やはり意味の多い「まくる」の方が、古くから使われている、ということにはなりませんかね?
ここで『日本国語大辞典』を引いてみました。こちらには「語誌」も載っているし。するといきなり「めくる」の最初に、
(「まくる(捲)」の変化した語)
としっかり書いてあるではないですか!やったあ、推理が当たったあ!ついでに「まくる」の「語誌」も読んでみました。
(1) マキクル(巻転)の略か。(和訓栞・大言海)
(2) マカカス(曲借)ウルの反。また、マ(巻)カスラルの約(名語記)
とありました。
2008/3/25


◆ことばの話3202「きんり、さげました」

3月24日の産経新聞に載っていた消費者金融「P」の広告
スポーツ面の左3分の1ぐらいを縦に抜いた、大きめの広告です。その部分だけ色は黄色で、キリンが長い首を上から下に向けて下げているイラストが描かれていました。そして広告のコピー黒字で、
「きんり、さげました」
この、
「きんり」
という平仮名を思わず
「きりん」
と読んでしまったのは、私だけではありますまい。「金利」を意識させずに、
「きりん」=「きんり」
という錯覚を利用して「おやっ」と思わせるところなど、なかなか上手な広告ですよねえ。
2008/3/24


◆ことばの話3201「上から目線」

『4−2−3−1〜サッカーを戦術から理解する』(杉山茂樹、光文社新書:2008320)という本を読んでいたら、
「一流国のファンほど、上から目線で偉そうにものを言う」(23ページ)
という表現が出てきました。ここで使われている、
「上から目線」
という言葉、実は静かな流行語なのではないでしょうか?
「上からの物言い」
というのはあったかもしれませんが「目線」を使ったこの表現、いつの間にか定着しているかのように思えます。
『週刊文春』(2008年2月28日号)コラムニスト・青木るえかさん(「るえか」というペンネームは「かえる」をひっくり返しているんですね。あ、文字通り「ひっくりかえる」ということか)の連載コラム「テレビ健康診断」で、小倉智昭さんがまな板に載せられていました。
「えらそうな物言い。見下したような態度」
と書いていましたが、ここには「上から目線」、出てこなかったか。出てきたような気がしていたのだが。明らかにここに書かれた内容は、
「上から目線」
という言い方であらわされるようなものでした。最近本当によく耳にしたり目にするような気がします。Google検索(2月21日)すると、
「上から目線」=149万件
すごい!ものすごい!逆はどうなのか?
「下から目線」=7万9800件
激減です。それども8万件近くあるけど。
もう「上から目線」、一般的に使われていますね。
2008/3/21
(追記)
『読売ウィークリー』の2008年4月27日号に、ジャーナリストの上野玲さんという人が書いていた、
「無礼医師を一掃せよ!!CA流『マナー研修』の中身」
という記事の中に
「上からの目線はNG」
と出てきました。CAというのは「キャビンアテンダント(客室乗務員)」のことです。なるほどねえ。
2008/5/9
(追記2)
2008年3月13日の大阪スポーツのサッカー面の記事の見出しが、
「開幕ACL浦和大ひんしゅく 上から目線」
「鹿島、G大阪反発」
というもので「上から目線」を使っていました。リード部分にも、
「浦和レッズの“上から目線”に、Jリーグ内から反発の声が上がっている。」
と使われていました。
2008/6/3
(追記3)
『ひかりの剣』(海堂尊、文藝春秋:2008、8、10)登場人物の朝比奈ひかりの言葉で、
「何だか、上から目線のお言葉で、ムカつきます。」(232ページ)
と出てきます。たぶん著者の海堂さんの“語彙”の中に「上から目線」があるのでしょう。この話の舞台当時の言葉としては、やや早すぎるのではないかな、と思いました。(何年前か分からないけど、当時はまだ「上から目線」という言葉はなかったのじゃないかな、と。)
また同じく主要登場人物の高階剣道部顧問の言葉で、
「素質と才能は違うんだ。この世の中には、素質があるヤツなんて、実は大勢いる。川原の石くらいごろごろしている。(中略)才能とは、素質を研く能力だ。素質と才能の違いは、それは努力する能力の差なんだよ。」(76ページ)
というのが心に残りました。
ついでにもう一つ、話がそれますが、「虹」に関して、「高階顧問と僕」のシーン。
『高階先生は僕に背を向ける。夕空を見上げて、言う。
「お、虹だ」
僕も空を見上げる。蒼穹に、にじんだ光の弓がうっすらとかかっていた。その色を数えたが、四色しか認識できない。
「実に縁起のいいことだ」
高階先生は高笑いしながら、僕の視界から遠ざかっていく。』
虹の色が4色しか確認できない、というのは「たしかに、そういうことはあるよな」と思いました。また「『虹』が縁起がいい」というのは、日本人的なんだな、中国だと不吉なことだと思われているそうだ と、まあ、そんなことを感じました。
2008/11/12


スープのさめない距離