◆ことばの話3135「餅と餠」

2月6日、赤福餅の販売再開の記事で「もち」の漢字の表記が、新聞各紙夕刊でバラバラでした。と言っても、よく注意しないと気付かないで通り過ぎそうなものなのですが。
(毎日新聞)「餅」(ルビなし)
(読売新聞)「餅」(ルビあり
(朝日新聞)旧字体の「餠」(ルビなし)
(産経新聞)旧字体の「餠」(ルビあり
(日経新聞)記事なし

という具合でした。ここからわかることは、
(1)「餅」は常用漢字表に載っていない「表外字」である。
(2)毎日と読売は、簡略自体(新字体)の「餅」を用い、朝日と産経は「正字体」(旧字体)の「」を用いている。
(3)旧字体・新字体を問わず、読売と産経は「餅」「餠」は、ルビを振らないと使えない、つまり「表外字」としての扱いをしているが、朝日と毎日は、表外字ではあるがそれぞれの新聞社独自に「ルビがなくても読める漢字」として扱っている。

という点ですかね。
つまり、「新字体・旧字体」「ルビあり・ルビなし」という2つの基準が、1つの漢字に対して当てはめられているので、これだけばらばらの表記なのでしょうね。
去年10月に開かれた関西地区新聞用語懇談会でも旧字体と新字体について話し合われました。その席では、事前に行われた「表外漢字字体表に関するアンケート」の報告がありました。「表外漢字」というのは「常用漢字表」に載っていない漢字のこと。ふだん新聞や放送や公文書では使わない、あるいはルビ(ふりがな)を振って使う漢字のことです。その字体が、文化審議会国語部会の答申によって、
「原則として康煕(こうき)字典体を使う」
となったのですが、その答申を受けての各社の対応は?というのがそのアンケートの主眼でした。「康煕字典」とは、1716年に完成した中国の「字書」で、それ以降の字書の規範となり漢和辞典の配列の基準になっているものです。(ちなみに、そもそもこの答申のきっかけは、
「森鴎外の『鴎』の字のヘンが『区』になっているのはおかしい。『かまえ』の中に『品』を書くほうがよいのではないか?」
という意見がきっかけだと言われています。)
この「康煕字典」の字体に従うということで一番目立つこれまでとの違いというのは、「食ヘン」「示すヘン」「しんにゅう」という3つの部首の漢字の字体が変わる点です。「食ヘン」はこれまで
「飯」
のように、「食」の下のところが、カタカナの「ム」のようになっていましたが、これは「簡易慣用字体」と呼ばれるもので、「康煕字典体」だと、「飢饉」
「饉」
のように、「食」の下がまっすぐ伸びて、横線2本という形になります。ちなみに「飢饉」の「飢」は「常用漢字」なので「ム」のまま、「饉」は表外漢字なので、康煕字典体で「横線2本」となって、一つの熟語の中の「食ヘン」が二通りの表記になってしまうのですが。これで、今回のバラバラな「赤福餅」で出てきてしまったわけですね。
また、「示すヘン」は、これまで常用漢字でも使われている「簡易慣用字体」では、カタカナの「ネ」のような形なのですが、康煕字典体だと文字通り「示」の形になります。新字の「礼」と旧字体の「禮」を例にとると、
「礼」=簡易慣用字体
「禮」=康煕字典体
という違いです。そして最後の「しんにゅう」ですが、これは「点の数が二つ」の「二点しんにゅう」が康煕字典体で、「点が一つ」の「一点しんにゅう」が簡易慣用字体です。具体的には、
「辻」=「一点しんにゅう」=簡易慣用字体
「逵、逹、遉」=「二点しんにゅう」=康煕字典体
というわけですね。
放送局に限って対応を見てみると、放送は新聞ほどは、字体にこだわりを持っていないようなので、パソコンのワープロソフトに掲載された漢字をそのまま使っている、というのが実態だと思います。しかし、「Windows Vista」からは、康煕字典体が搭載されているそうですから、今後「一点しんにゅう」か「二点しんにゅう」かという問題は、遠からずやってくると思います。
ちなみに例の「辻元清美」の選挙ポスターは「二点しんにゅう」でしたが、放送各局でわざわざ「二点しんにゅう」にしているところは、私が見た限りありませんでした。全部「一点しんにゅう」でした。実際「辻」という漢字を使う苗字の人で、「二点しんにゅう」を使っている人は少ないそうです。
また、「中曽根」
「曽」
も、康煕字典体では
「曾」
になるのですが、大体の社は、人名地名は「曽」、普通名詞は「曾」という区別をしているようでした。つまり人名である「中曽根」は、これまでどおり「簡易簡略字体」で、そして、
「未曾有(みぞう)」「曾祖父(そうそふ)」「曾祖母(そうそぼ)」
といった普通名詞では、康煕字典体の「曾」を使うというものです。
ああ、ややこしい話だった。

2008/2/21


◆ことばの話3134「平気」

2008年1月23日放送の日本テレビの水曜ドラマ『斉藤さん』。主演の観月ありささんが演じる、正義感あふれる斉藤さんが、単身赴任中の夫に電話をしているシーンで、こんなセリフがありました。
「あなたは?身体は平気?」
関西人はこの「平気」をあまり使いません。ふつうは、
「あなたは?身体は大丈夫?」
と聞きますね。ある女性に、
「一緒に歩いている友達が、横でこけた(転んだ)時には、なんて言う?」
という聞き方をしたら、
「アホちゃう?って言いますね」
と言われて愕然としたことがありましたが・・・。
ちょうど2年前(2006年2月8日)にこの「平気」に関して早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんが、ご自身のホームページで「平気かなあ、お父さん」と題して書いてらっしゃいました。それによると、2006年2月3日午後9時から放送されたフジテレビ「金曜エンタテイメント」枠、映画『みんなのいえ』(2001年フジテレビほか・三谷幸喜脚本・監督)の中で、娘の民子(八木亜希子)が母(吉村実子)と交わした会話の中に「平気」が出てきたそうです。
民子「平気かなあ、お父さん」
母「やる気はあるんじゃない?」
民子「すっごい不安なんですけど」

飯間さんによると、
「この『平気』の使い方は新しそうだ」
とのことです。『三省堂国語辞典・第五版』を見ると「平気」は、
「(1)おちついて 変わりがないようす。「―を よそおう」(2)気にしないようす。」
などと記されているが、ここで使われている「平気」は、
「頼ることができる、仕事をきちんとしてくれる」
というような意味で、従来なら「大丈夫」と表現するはずとしています。
飯間さんの感覚だと、「平気」は「何か起こった後に使う」のに、この映画の中のセリフは、「何かが起こる前に心配して使っている」ところが新しいと言うのです。(ただ「追記」で「事前・事後」という基準は妥当ではないとして取り消して、「平気」は「心の状態」だという部分に力点を置くべきで、「大丈夫」は「心の状態」ではなく「客観的な状態」を指すと考えられる。としていますが。)
そして、
「この『平気』は、脚本を書いた三谷幸喜さんの言い方なのかもしれません。」
と飯間さんは締めています。
今年1月に出た『三省堂国語辞典・第6版』の編集も担当された飯間さん。その『第6版』の「平気」の項目には、『第5版』には載っていなかった「3番目の意味」として、
「(3)[俗]心配がないようす。だいじょうぶ。(例)地図がなくても平気かな <派生>平気さ(名)」
と載っていました。しっかり辞書の中にもこの「平気」は取り入れられたのですね。でも 私は、やはり観月さんの「斉藤さん」が使った「平気」には、なじめませんけどねえ・・・西日本と東日本で感覚が違うということもあるみたいです。
2008/2/21


◆ことばの話3133「共通語と標準語」

『秘密のケンミンSHOW』担当のディレクターO君から、言葉に関する質問のメールが来ました。
「疑問というか質問があります。『ケンミンショー』収録時によくあるのですが、
『関西弁だと○○だけど、標準語だと△△でしょ』
っていう表現が度々出ます。 一部の指摘で、『日本には「共通語」はあっても「標準語」は存在しないのでは?』とあったので、気になった次第です。日常会話で『共通語』という表現は使わないと思うのですが、放送で上のような使い方をする場合、どちらが正解なのでしょうか?」
なるほどなるほど。素朴な疑問ですね。そこで、 こんなメールを返しておきました。
「『標準語と共通語』については、結論から言うと、
『(現在も)両方ある』
ということです。戦前の呼び方は『標準語』でした。それは、商品の大量生産と同じ(ネジの形が一つ一つ違うと大量生産はできないので、標準・スタンダードを決めたように)で、コミュニケーションを潤滑にとるためには『標準』(スタンダード)がないと困るからです。特に『軍隊』などでは命令の言葉が通じないと、命に関わります。と言うことで『標準語』の徹底が図られ、それはすなわち、『方言の撲滅』にもつながり、学校で方言を使うと『私は方言を使いました』などと書かれた『方言札』を首からぶら下げさせるというようなことも起きていたそうです。
その反省から戦後は『標準語』という言葉は嫌われて(避けられて)NHKなどでは、
『共通語』
という言い方をしています。しかし最近は、
『東京・山の手の言葉を元に作られた「共通語」は、やはり「標準語」である』
という主張をする学者もいて、『共通語』『標準語』、両方使われていると思います。
しかしこのような戦前の経緯から、
『「標準語」はダメ!「共通語」が正しい!!』
とかたくなに主張する人もいますが、そう主張する人は戦前と同じ穴に落ちていることに気付いていないと言えるでしょう。(つまり、『「共通語」という呼び方が唯一無二であって標準=正しいのだ。「標準語」という呼び方は間違い。撲滅せねばならない!』と考えることは、戦前『「標準語」が唯一無二で「方言」はダメ。撲滅せねばならない!』という考え方と同じだということ)
私が会社の『トライ研修』で通っていた大阪大学大学院の真田信治教授の著作には、
『標準語はいかに成立したか』
という、戦前の標準語成立に関する本のほかに、
『脱・標準語の時代』
という著作もあり、真田先生は『標準語』という表現も、普段から使ってらっしゃいます。
こんなところでいかがでしょうか?」
これに対する返事は、
「ありがとうございました!大変参考になりました。 標準語にもそのような歴史があったとは・・・スタッフも目から鱗(←使い方、間違ってませんか?)だと思います。
ありがとうございました。」

というものでした。

なお「目から鱗(が落ちる)」は「聖書の言葉」から出たものです。
2008/2/19



◆ことばの話3132「ゴミ箱のような食欲」

食後のデザートが「オレンジゼリー」でした。妻がそれをスプーンに乗せて、
「いらない?」
と目で聞いています。3歳の娘も私も、もうおなかがいっぱいで「いらない!」。そしてスプーンを小4の息子の顔の前に持って行った途端・・・
息子はホイホイと大きな口をあけて、パクパクと食べてしまいました。あんなにごはんを食べた後なのに・・・そのあまりの勢いの良さと食欲に、妻と私は顔を見合わせて笑ってしまいました。
「えさに食いつく大きな魚」
のような食べ方だったからです。そして、あきれた私の口から出た言葉は、
「ごみ箱のような食欲やなあ!」
なかなかよい表現だと思いませんか?
ちょっと下品だけど。そんな食欲だったんです。
2008/2/19


◆ことばの話3131「鬼は外・・・」

節分の2月3日、わが家でも、妻と3歳の娘と小学4年の息子と4人で「豆まき」をしました。と言ってもマンションの上の方の階なので、外にまくのはご法度。部屋の中だけ。しかも、豆をバラバラまくとあとで掃除が大変なので、
「一粒投げては、ちゃんと拾う」
という、なんともみみっちい豆まきです・・・。「拾う」のか「疲労」なのか・・・。
その際、3歳の娘の豆まきのセリフが、
「鬼は外、ちくわ内。」
でした・・・。違うよ、「ちくわ」じゃなくて、「ふくは」だよ、と言いかけて、
「ハッ!」
としました。
3歳児にとって「鬼」は絵本などで形が具体的にイメージできているけど、「福」は抽象概念なのでわからない、だから自分が知っているモノで「ふくわ」によく似たモノをイメージして突き当たったのが、「ちくわ」なのではないか?
そう考えると、無理矢理、×「ちくわ」 ○「ふくは」と訂正して教えるのがかわいそうになって、やめました。
まあ、節分には恵方を向いて「巻き寿司」をくわえたりするんだから、それが「ちくわ」でも、大して変わらないかもしれませんね。まだしばらく、わが家では
「ちくわうち」
だと思います。え?今晩のおかずは、「おでん」?
2008/2/19
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