◆ことばの話3065「至上命題2」

もう半年近く前ですが・・・寝かせておいたら、あっという間に数か月が経ってしまいました。「平成ことば事情2010」でも詳しく書いているので、そちらも読んで欲しいんですが、寝かせていたネタは、
「至上命題」
という言葉です。
2007年7月10日の「スポーツ報知」、オシム・ジャパンがアジアカップ初戦でカタールと引き分けてしまったニュースを載せていて、その記事の中で、
「勝利が至上命題となる次戦UAE戦」
と、石倉勇記者が署名記事を書いていました。(嗚呼オシム監督、まさか4か月後にこんなことに=脳梗塞で倒れるなんて・・・想像できませんでしたが・・・)
また、11月29日NHK午後9時のニュースを見ていたら、「新テロ対策法案」について、町村官房長官が、
「今国会の至上命題と言っても過言ではありません」
と言ってました。この「至上命題」、誤用なんだけどなあ。大丈夫かな、官房長官。
2007/11/30
(追記)
『問題な日本語3』(大修館書店)の110ページ「使い方どっち?59」「至上命令と至上命題」について書かれていました。それによると有島武郎『惜しみなく愛は奪う』の中の一節として、
「愛するということは人間内部の至上命令だ」
とあると記していました。
2007/12/3


◆ことばの話3064「キャペーン」

家の近くを小4の息子と歩いていたら、息子がなにやら「発見」しました。
「あ、キャペーンやて!ヘンやな!」
え?何?と息子が指さす方向を見てみると、そこには写真屋さんが。
「なになに、創業20周年キャンペーンか・・・あれ?なんかおかしいゾ。そうか、本来は『キャンペーン』のはずが、『キャペーン』と、『ン』が一つ抜けているのか!」
プププププ。確かになんか間が抜けた感じがしますね。特に声に出して読んでみると、かわいいデス。
この文字なんですが、一文字ずつ、一辺が30センチぐらいの黄緑色の紙に書いてあるんですね。しかも注目を浴びるように「キャ」の小さい「ャ」は、横に少し飛び出して斜めにしてあるんですが、惜しいかな、その後の「ン」が抜けているので、
「キャペーン」
となっているというわけ。もしかしたら、その紙を店の前に一文字ずつ張ってる間に、
「ゲシュタルト崩壊」
が起きたのかもしれませんね。「ゲシュタルト崩壊」については「平成ことば事情2508」をお読み下さい。
2007/11/30


◆ことばの話3063「使用されますと」

恐縮です、恐縮です、尾篭な話で恐縮です。
11月15日、出張で行った徳島市内で、急に催して入った雪隠・・・高野山・・・厠・・・トイレで、しゃがんだ目の前にあったのがこの注意書き。
「ライター・マッチ等を使用されますと警報音が鳴りますので、使用されないようお願いします」
気になったのは、この、
「使用されますと」「使用されないよう」
という「される」「されない」という言い方。これは敬語の「尊敬」の意味なのか?それとも「受け身」なのか?大変悩んで、出るものも出なく・・・。ウウン、それはさておき、どっちでしょうか?
普通は、「尊敬」の意味ですよね、きっと。でも、「使用されますと」は、 トイレの防火管理者の立場からシンプルに言うと、「受身」でもありますね。つまり「尊敬」と「受身」を同時に表していると言えなくもない。
しかしそのあとの「使用されないよう」は、「受身」と考えると、受身の結果を相手に要請するというのは違和感があるので、これは「尊敬」としか考えられないですね。そこで、最初が両方、あとが片方の意味しか取れないものが混在しているので、なんとなーく、気持ちが悪い感じ がして落ち着かないのかな、と思いました。皆さんはいかがでしょうか?
今後は皆さん、こういった表記・表現は「使用されないよう」、お願いします。


2007/11/30


◆ことばの話3062「琉鵬」

横綱・白鵬の2連覇で幕を閉じた大相撲・九州場所。その14日目にテレビで相撲を見ていたら、その日の星取表(?)が出てきました。十両からの取り組みなのですが、その力士たちの四股名を見ていて、おや?と思いました。
そこに書かれた力士の名前は、ほとんどすべてが墨をたっぷり使った、
「勘亭流」
のような「相撲文字」なのですが、その中でひとりだけ、
「琉鵬(りゅうほう)」
という四股名の力士だけが、
「細い明朝体」
で書かれていたのです。「なんでだろ?」と思いました。次の瞬間に思ったのは、
「『琉球』の『琉』の字の書体には、勘亭流はないのではないか?」
ということでした。もしかしたら、そうかも。
その話を会社でHディレクターに話したところ、
「ああ、それはその力士が関取じゃないからですよ」
と言われました。え、どういうこと?と聞くと、
「十両以上は関取、それ以下の幕下は関取じゃないんです。」
「うん、それは知ってるよ」
「その力士は、十両の幕尻で取っていたんじゃないですか?」
「・・・たしかに、十両の取り組みの最初だったね。ということは幕下の力士ということか!」
「そうだと思いますよ」
ふーん、全然知りませんでした。幕下の取り組みは、あまり見たことがないからなあ。熱心なファン(かどうかわからないけど)は何でもよく知っていますねえ。勉強になりました。
2007/11/26


◆ことばの話3061「BIOMBO」

「ビンボー」ではございません。
「BIOMBO」=「ビオンボ」
ポルトガル語で、
「屏風」
のことだそうです。そう、「ビョーブ」です。今、大阪・天王寺講演の中にある大阪市立美術館で、この「BIOMBO展」が開かれているので行ってきました。(12月16日まで)JR天王寺駅構内2階の「チケットぴあ」では、展覧会開催中のその日(11月17日)も、前売り券(当日券1200円のところを1000円)を売っていました。
実はその3日前の14日には、京都国立博物館で開かれていた「狩野永徳展」も見に行ったんです。この秋、屏風づいています。坊主が屏風に上手に屏風の絵を描いた。
狩野永徳展なんか、平日にもかかわらず、午前11時15分に行ったら「2時間待ち」と言われて、じっと我慢の子で長蛇の列の最後尾に並んで本を読んでいたら、90分で入れました・・・。いやいや、しかし、待った甲斐がありましたね。なかなかの迫力でした。
大きなものは、もともと聚楽第か大阪城の障壁画であったと思われるものを、後に表装して屏風にしたものもあるようで、「唐獅子図屏風」なんて高さが3メートル以上 もあるような大きなものでした。(体感の大きさとして。実測していませんが)
一口で「屏風」と言っても、大きなものから小さなものまで、随分バリエーションがあるのですね。また、やはり金箔をベースに塗ったものが豪華で見ごたえがありました、素人としては。
その中で、ホォと思ったのは、信長や秀吉、家康の時代には、
「屏風はメディアであった」
と描かれていた説明の文章を読んだ時です。これは「BIOMBO展」の方ですが、家康の娘が津軽藩に嫁ぐ時の嫁入り道具として持っていった通称「津軽屏風」には、関が原の合戦で東軍が攻め入り、西軍がバラバラと逃げる様子が描かれているのですが、それは17世紀初頭の世界においては、「映像によるニュース」の意味合いがあったというのです。なるほどねえ、本州の北の果て・津軽にまで、家康の威光を届けるそういった意味合いがあったのですね。だから「メディア」だと。屏風は「装飾品」としか見ていない現代人の目からすると、考えられないようなことですが、いわれてみると、「なるほど」と思いました。切手の博物館の内藤陽介・副館長 が、その著作でいつも、
「切手はメディアである」
と書いてらっしゃるのを読んで「そうだったのか!」と目からウロコが落ちた気がしましたが、今回この「屏風はメディアである」という主張でも「目からウロコ」が落ちた気がしました。それだけでも見に行った甲斐があったなあと思いました。うちにも一つ欲しいな、屏風。畳の部屋はないけれど・・・。
なお、空間と時間を超越しているように見える「金箔の雲」を描く技法でこの雲のことは「金雲」
と言うんだそうです。そのままやな。
2007/11/26