◆ことばの話2820「前妻か先妻か?」

「あさパラ!」でナレーションも担当しているSアナウンサーからの質問です。
「『前妻』はどう読みますか?」
「『ぜんさい』だろ。でも『まえのつま』と、かみくだいて言うね。」
と答えたところ、
「実は『ぜんさい』では載っていないんですよ。アクセント辞典は『せんさい』と濁らないで載っているんです。」
そこで『NHK日本語発音アクセント辞典』を引いてみると、なるほど「ゼンサイ」で載っているのは、
「前菜」
だけです。そして「センサイ」で載っているのは、
「繊細、先妻、戦災」
だけで、「前妻」はありません。
「あ、そうか、本来は『先妻』なんだ。だから濁らないんじゃない?」
などと言いながら国語辞典を引いて見ると、たしかにほとんど見出しは、
「せんさい」
と濁らず、漢字表記も「先妻」が多く、併記で「前妻」がある程度でした。ふーん、知らなかったなあ。そこで用語懇談会放送分科会のメンバーにメールで質問してみました。
「読売テレビの道浦です。またいつものようにお尋ねしますが、離婚あるいは死別した、前の妻のことを
『前妻』
と書いてあるのをよく目にしますが、これはなんと読んでらっしゃいますか?
(1)ぜんさい
(2)せんさい
(3)「まえのつま」と言い換える。
テストみたいだといやらしいので、一応答えというか調べたことをバラしてしまいますが、どうやら本来は、
『せんさい』
と読むようなのです。(もちろん放送では「まえのつま」とした方が分かりやすい、と言うのはこの際置いておいて)
と言うのも辞書の見出しで出てくるのは、
『先妻』
です。「前妻」は見出しでは見当たりません。(意味の説明の中に出てくる辞書はありますが。)そう言われればそうかとも思いますが、もし『前妻』を言い換えずに読むとしたら、『せんさい』『ぜんさい』、どちらで読まれるでしょうか?ご教示ください。よろしくお願いします。」
各社の委員からお返事をいただきました。

まえのつま派=2人
<静岡放送・K氏>
「前妻」ですが、どうしてもこれを読まなければいけないのなら、
(3)「まえのつま」と言い換える。
が私の答えです。もし、あえて「前妻」を言い換えずに読むとしたら…
・「前妻」のスーパーが無ければ、つまり漢字が表に出てこなければ「せんさい」
・「前妻」のスーパーがあって、どうしても「先妻」に書き換えられない場合は、「先妻」との読みの区別もあって「ぜんさい」と読むかも知れませんが、よほどの理由が無ければ読みたくありません。
やはり、自分の中で一番納得できる語は「先妻(せんさい)」です。
基本姿勢として、スーパーなどは書き換えてもらいます。

<共同通信・M氏>
前妻の件ですが結論的には(3)の「まえのつま」でしょうね。(2)の「せんさい」の読みはないのでは?漢和辞典などを見ても「前を音符とする字」に剪定の剪や煎餅の煎を挙げていますが「せんさい」とは読めないのではないでしょうか。(1)の「ぜんさい」は強引に読ますならそうでしょうが・・・。
なお放送では当然(3)の「まえのつま」でしょう。「先妻」が出てきても、意味を踏まえて読み替え、「さきのつま」ではなく「まえのつま」でしょう。私も「前妻」は辞書の見出しにあると思っていました。
「前の妻」「先妻」には「現在の妻」(後妻)との対比のニュアンスが感じられます。離婚や死に別れで現在再婚していないときは「別れた妻」「亡くなった妻」の方が良いのではないでしょうか。

ゼンサイ派=4人
<MBS・M氏>
「ぜんさい」と読みます。

<TBS・S委員>
お尋ねの件ですが、「ぜんさい・せんさい」いずれもワープロ変換で出てきませんね。
これは、後の人=「ごさい・後妻」は、今でも会話で良く使い、それから類推すると、前の人は本来なら、先と後で「せんさい・先妻」と主に言っていたのではないかと。
「前」は呉音で「ぜん」、漢音で「せん」、つまりどちらでも読む。さらに困ったことに前妻を「ぜんさい」と読んでも「せんさい」と読んでも意図するところは前の妻、「先の妻」と聞き間違っても一緒。なので読み分ける必要がない。ならばよく使う「ぜん」の読みで「ぜんさい」かとも思います。

<関西テレビ・O氏>
「前妻」、変換順位、第2位で出てきますね。でも、放送原稿で目にしたことないように思います。それはさて置き、強いてどう読むかとなれば、「ゼンサイ」かと思います。この表記、「前職」「元職」の流れから出てきた気配もありそうですね。「センサイ」は、理論上可能ですが、音通するのなら、元来ある、「先妻」の漢字表記が尊重されるべきだと思います。

<NHK・S氏>
「ゼンサイ」です。「センサイ」は漢字が違って「先妻」をあてます。「ゼンサイ」には「先妻」ではなく「前妻」をあてるのが普通です。意味は同じで、言い方としては「先妻」のほうがやや古いようです。夫のほうも同じです。2人前なら「元妻」になるのでしょうか?(選挙みたいですね)センサイ=先妻」、「ゼンサイ=前妻」で固定、「前妻=センサイはきつい」という意見です。

ということで、「センサイ」と読むという人は、一人もいませんでした。辞書にはそう載っていても、使われない言葉もあるということで・・・。
ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました!
2007/2/21


◆ことばの話2819「数字の数え方2007年早春」

2007年1月21日の、東国原(ひがしこくばる)英夫(そのまんま東)候補が初当選を果した、宮崎県知事選挙のニュースで、日付がかわって1月22日午前0時38分、NHKの山口勝アナウンサーは、
「4票(よんぴょう)」
「8票(はっぴょう)」
「3票(さんぴょう)」
「60票(ろくじゅっぴょう)」
と読んでいました。ついでに、落選した川村秀三郎候補は、
「知名度が圧倒的にたりなかった」
と、「圧倒的に足りない」という表現を使っていました。
2月3日、お昼の「ニュースD」で、日本テレビの杉上アナウンサーが、アメリカ・フロリダの竜巻のニュースで、「19人」のアクセントが「2語意識」で、
「ジュー・クニン(HL・LHL)」
と読んでいました。
*2月6日のお昼のNHKニュースで、登坂アナウンサーは、
「平成19(ジューキュー)年度」
と読んでいました。「ジューク年度」ではなく。
*2月12日のお昼の日本テレビ「ニュースD」で、テレビ宮崎の女性アナウンサーは、
「第10(ジュッ)管区海上保安本部」
と言っていました。「第ジュー」じゃないのかな?
*また、2月8日、西長堀の大阪市立中央図書館のエレベーターは、「3階」に来ると、
「さんがいです」
と言いました。
*2月14日、NHKの午後1時のニュースで登坂淳一アナウンサーは、青森の八甲田山で雪崩が起きて7人が行方不明になっているというニュースで、
「7(ナナ)人」
「17(ジューシチ)人」
と読んでいました。逆の「シチにん、ジューナナにん」はよく耳にしますが、このケースはちょっと珍しいかな。
*これはちょっと古いのが出てきました。
2005年8月23日午後2時31分NHKのBS-ハイビジョンテレビで「ドイツ・ロマンチック街道」の特集をしていたんですが、そのとき、
「アウフスブルグには147戸のアパートと67軒の家があります。」
とナレーションがありました。
「アパート=戸」
「家=軒」
という使い分けなのですね。また、街道の道路標識には、ドイツ語で、
Romantishe_Strasse
とあり、その横に日本語で
『ロマンチック街道』
という表記がありました!「ローマに通じていた」道なだけで、日本語の、
「うーん、ロマンチックだわあ・・・」
という意味での「ロマンチックさ」はないはずのに、いまやそういう意味で考えられていますよねえ。
2007年2月15日、テレビ朝日『報道ステーション』の中の「都知事選の特集」で、女性ナレーターが「300万票」を、
「さんびゃくまんピョウ」
「票」を「半濁音」で読んでいました。確かに同じ音の「満票」は、
「マンピョウ」
「半濁音」ですが、「票数」の時の「○○万票」は、
「マンビョウ」
「濁音」のような気がするのですが、どうなんでしょうか?
1月4日読売テレビの『どっちの料理ショー』の特番で、関口 宏さんが、
「和食のおかず、全3品(さんぴん)」
と言ったのですが、男性ナレーターは、
「3品(さんしな)」
と言い、また三宅裕二さんは、
「中華、全3品(さんぴん)の完成です!」
と言ってました。
2月16日、『ズームイン!!SUPER』の中のニュースで、神奈川県平塚市でトリが死んでいるのが見つかったと伝えていました。そのニュースで池内キャスターは、
「ヒヨドリが10羽(ジューワ)」
「カラスなどが10羽(ジューワ)」
と読んでいました。また羽鳥アナウンサーも、
「10羽(ジューワ)」
と読んでいました。
2007/2/16

(追記)

2007年3月1日のNHKお昼のニュースで、神戸局の男性アナウンサーが、火事のニュースで「3棟」
「さんむね」
と読んでいました。(「みむね」ではなく)
2007/3/1

(追記2)

3月4日のTBSの夕方のニュースで長峰由紀アナウンサーが、中国の今年の国防費に関するニュースで、「2007年度」を、
「にせんナナねんど」
と読んでいました。が、ま、これを「にせんシチねんど」と読むケースはあまり耳にしません。「年度」の場合は「ナナ」が優勢ですね。年度ではなく「西暦のみ」であれば「にせんシチねん」と読む人も耳にしますが。
2007/3/8


◆ことばの話2818「年越しそばのニュースで」

早いもので、もう2月も半ばを過ぎました。毎年言っていますが、
「ついこの間、お正月を迎えたと思ったのに・・・」
さて、旧聞に属しますが・・・、大晦日の話。
「年越しそば」のニュースを各放送局でやっていましたが、そこで取り上げていた、
「おそば屋さん」
が気になりました。私がチェックした中では、読売テレビとNHK(大阪)は、
「そば屋」
と表現し、関西テレビは、
「おそば屋さん」
と言っていました。こういう場合は別に軽蔑の意思があるわけでもないので、「そば屋」でよいと思うのですが、少し前までは、
「『○○屋』という呼び捨ての表現はダメ」
と、一律「さん」を付けるか、「屋」の代わりに「店」を使って、
「そば店」
というような言い方をしていましたが、最近はそれほど厳しくなくなっている気がします。
だからそれはそれほど気にならなかったのですが、問題はそこに出てきた「そば屋」あるいは「おそば屋さん」とされた店です。
読売テレビが取材させていただいたのは
「道頓堀・今井」
関西テレビは、
「美々卯」
ともに、
「うどん屋」
さん、なのではないでしょうか?特に「美美卯」「うどんすき」超有名ですもんね。
そこで、それぞれの店のホームページを見て見ました。まず「道頓堀・今井」は、
「四季折々の粉を凝らした『鍋料理・そば・点心』は大阪の食文化を代表する今井の真骨頂です。」
とありまして、ちゃんと「そば」と書いてありましたね。じゃあ「そば店」(そば屋)でいいのかな。そして「美々卯」は、
「美々卯は麺類料理・和食を中心として大阪10店舗、東京5店舗、名古屋・京都にそれぞれ2店舗ずつ、横浜に1店舗出店しています。(中略)美々卯では、そば粉は玄蕎麦を仕入れ、自社の製粉工場において製粉します。」
ということで、「麺類料理」の店なのか。そば粉も自社製粉だそうです。じゃあこれも「そば店」(そば屋)でいいのか・・・。でも・・・なんとなく「そば屋」と呼ぶのはためらわれるような・・・。いや、貶めているとかそういう意味ではなく、やっぱり「うどん」の店じゃないのかなあと。ちなみにNHKは、
「北区曽根崎の老舗」
として、店名は出ていませんでした。宣伝にならないようにしているのでしょうね。また、KBS京都は、
「本家・尾張屋・京都高島屋店」
でした。
2007/2/21


◆ことばの話2817「2年越し」

ナレーション録音中の新人・Kアナから内線電話です。
「道浦さん、『2年越し』という言葉の使い方についてなんですが・・・」
「うんうん」
「おととしの春から去年の冬までの1年7か月、苦労して完成したというときに『2年越しの苦労が実って』と言っていいんでしょうか?」
「うーん、たしかにむずかしいね。暦の上で2005年と2006年にかかっていると『2年越し』かな。ちょっとだけかかっている時は『足掛け2年』ですね。『丸々2年間』出なくても『2年越し』は使えるんじゃないのかな。」
「そうですか」
となったのですが、私もちょっと自信がないので、「2年越し」の用法について、早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんにメールで質問しました。質問は以下のようなものです。
『「○年越し」という表現は、具体的にはどういう場合に使えるのでしょうか?
つまり、「2年越し」は、「2007年の2月から」だと、いつまでの分を指して言えるのでしょうか?
また「2005年12月から2007年1月」までの「14か月」を指して、
「足掛け3年」
といえるのは分りますが、「○年越し」を使うと、これは「1年越し」?「2年越し」?「3年越し」でしょうか?私が思うに、「越し」は、
(1)長い年月を越えて(苦労して)
(2)大晦日を越えて(年越し)
の二つの意味があり、この両方をクリアしている場合もありますが、片方だけでも成り立つのでややこしいのではないか、と。
「1年越し」
というのはどうなのか?と思いますが、これは『新明解』の「越し」の用例にあります。これは(1)の意味でしょう。「360日近くも」と言う意味での「1年越し」と思われます。このあたりどうでしょうか?ご教示ください。よろしくお願いします。』
これについて、飯間さんからのお返事メールをいただきました。

『「○年越し」について報道各社の規定を見てみました。
★『最新版 朝日新聞の用語の手引』〔1997年〕p.465
あしかけ三年・三年越し・三年がかり いずれも暦年度三年にわたることをあらわす。
★共同通信『記者ハンドブック 新聞用字用語集』〔2001年第9版〕p.529
〈足かけ三年、三年越し、三年がかり、三年目、三年来=起算の年を含む
〔略〕三年越し=起算の年を含んで三年〉
★『読売新聞用字用語の手引』〔2005年〕p.137
足かけ3年・3年目・3年越し・3年来・3年がかり=起算の年を含んで3年
★『NHKことばのハンドブック 第2版』〔2005年〕p.158
〈「…年越し」は「足かけ…年」と同じように数える。〉

一番簡単なのがNHKですが、言わんとするところは各社同じでしょう。実例を見ると、たとえば、次のうち(a)(b)は、各社の定義にあっています。ところが、(c)(d)はそうではありません。
(a)「馬」は、〔略〕昭和十四、十五、十六年と三年越しで撮影、完成した大作であった。(高峰秀子『わたしの渡世日記』)
(b)S―教組の立場はどん底だった。二十九年、三十年、三十一年と、年毎に条件は悪化している。宿直および日直の手当、二十九年は二百五十円。三十年二百円。三十一年日直二百円、宿直百五十円。事務職員の超過勤務手当、二十九年は本俸の六パーセント、三十年は三パーセント。三十一年据置。そして来年度には一パーセントに切り下げられようとしている。そういう不当な削減を、教職員は三年越し、我慢して来たのだった。〔現時点は31年。29年・30年・31年と「三年越し」我慢した〕(石川達三『人間の壁』)
(c)内申書開示を求めた女子生徒の記事(「朝日新聞」1991.04.05 p.19)。
1989年7月に法に基づき行政不服審査請求、91年4月の記事の時点で「二年越しの論争を続けている」。
(d)カナダで、核搭載疑惑の米艦隊を立ち寄らせないようにしたい地元州と、カナダ政府とが対立しているという記事(「朝日新聞」2001.03.07p.24)。対立が始まったのが1997年5月で、「二年越しの交渉の末」、99年5月に合意文書に署名した。

各社の定義通りならば(c)(d)とも「三年越し」になるはずです。各社の言うとおりならば(c)(d)は「誤用」であり、かつまた、これを誤用とすれば、他にも誤用例がたくさんあります。
また、『新明解国語辞典』のような「一年越し」という言い方も、各社の定義通りなら、ふつうはあり得ないことになります。しかし、島崎藤村「夜明け前」には・・・
(e)山論〔=土地争い〕がけんかになって、峠村のものが鎌(かま)十五挺(ちょう)ほど奪い取られたのは過ぐる年の夏のことで、いったんは馬籠の宿役人が仲裁に入り、示談になったはずの一年越しの事件だ。
とあり、「去年から今年まで」の事件を「一年越し」と言っています。
私の今の感じをまとめますと、

・「足かけ〜年」……2001年11月から2003年2月までかかった仕事は「足かけ3年」と言える(報道各社も同じ)。ちょっとでもその年に足がかかっていれば1年と数える。(『大辞林』に「年・月・日などを計算する場合、始めと終わりの端数を一として計算する時に使う語」とあるのは分かりやすい)
・「〜年目」……2001年11月から始めた仕事が「3年目」に入るのは、2003年1月(報道各社の方式)でもいいように思うが、2003年11月のほうがベター
・「〜年越し」……2001年11月からつき合い始めたカップルが2003年2月に結婚すると、2年越しか3年越しか分からない(報道各社と(a)(b)によれば3年越し。(c)(d)(e)によれば2年越し)。私としては「正月を何回越えたか」で計算するように思うので2年越しか?
・「〜年来」……2001年11月に問題が起こって、2003年2月にまだ解決していない場合、報道各社によれば「3年来の懸案」。私としては正月を2回またいでいれば「2年来の懸案」。
・「〜がかり」……2001年11月に仕事を始めて、2003年2月に完成した場合、「3年がかりの仕事」と言ってもいい(報道各社も同じ)。「足かけ3年」と同じ語感。

このように考えてみると、「〜越し」の使い方について、私と報道各社との感覚は違います。「〜越し」については、複数の使われ方があることが分かりました。ということは、「〜越し」は、無理にどちらかの意味に定義して使うこともできず、かりに報道で定義して使っても、語感の違う人によって誤解されることになるのではないでしょうか?』

というふうに「○年越し」だけではなく「足かけ○年」「○年目」「〜年来」「〜がかり」にたるまで、大変丁寧な分析をしていただきました。本当にありがとうございます。
それにしても日本語と言うのは、あいまいなところが残っているものですねえ。
「足掛け」は確かに、片方もしくは両端の年が丸々1年間ではない場合に、また「○年越し」は、それを使う人がその年月に、
「長かった」「充実していてずっとそのことの完成を願っていた」
という気持ちを込める場合に使うような気がします。「悲願」が達成された時とかにね。
だから「1年越し」もそれを使う人にとっては「長かった」「完成を待ちに待っていた」という場合には使えるのかもしれませんね。
「○年がかり」は当然「着手から完成までの年月」のケースに「足掛け○年」と同じ基準で使われます。
「○年目」は、暦年とは関係なく正味の「年月」が妥当。
「○年来」は暦年で起年を含んでよい、
という感じがします。
ま、しかし、ひとことでまとめると(まとめるなよ)、
「むずかしい」
ということですね。(おいおい・・・)そ、それなら何も長いこと分析せんでも・・とも思いますが、分析してこそわかったということでしょう。放送で使う言葉としては、
「聞き手に誤解されやすい表現なので、使う時には注意して意味をよく考えて使うように」
ということでしょうかね。
2007/2/14


◆ことばの話2816「ハッピークリアランスセール」

1月12日、近くのショッピングモールで、
「ハッピークリアランスセール(1月13日から31日まで)」
という看板を見た時、
「え!!」
と声を出して驚いてしまいました。というのもその日まで、つまり1月2日から12日まで、
「初売りセール」
をしていたのです!「初売りセール」だからこのセール期間中に、
「よし、買っておこう!」
と思った人もいるはずなのに、その「初売りセール」が終わった翌日から、また「セール」とは・・・。いいものが安ければ良いとは言うものの、なにか割り切れない思いです。
そう、妻に話すと、ケロっとした顔で、
「なんで?そんなこと(「初売りセール」の後に「ハッピークリアランスセール」があるということ)は、みんな知ってるわよ」
と言われてしまいました・・・。
お店のガラスのところをよく見ると、そこには、
「さらにプライスダウン!」
と書いてありました。この調子で行くと、「ハッピークリアランスセール」が終わったら、
「ラストハッピークリアランスセール」
があるのでは・・・と思っている私です。
2007/2/15
(追記)

2007年1月15日の読売新聞夕刊「ことばのこばこ」武庫川女子大学の佐竹秀雄先生「バーゲン」というタイトルでこの言葉について書いてらっしゃいました。
「昨年末にもバーゲンをしていたと思ったが、新年にもまたバーゲンである。近年は一年中バーゲンをしているようだが・・・」
やっぱり!そうですよね!そう感じますよね。
佐竹先生によると「バーゲンセール」は、大正時代には「見切売」「大安売」「大売出し」、昭和に入って「見切投売」「大廉売」などと訳されていたそうです。(吉沢典男、石綿敏雄『外来語の語源』角川書店)
確かに「バーゲン」という響きの方が、サイフのひもは緩みそうですね。
2007/2/16
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