◆ことばの話2760「首都高のコマーシャル」

先日、東京に出張した時に見た首都高速道路のコマーシャル。こんなことを言っていました。
「新しいものがお好きなあなた。もう首都高利用者の70%がETCをつけてますよ」
大阪では当然流れていないコマーシャルなのでしょう、私は初めて目にしました。これを見た私は、ムカッとしました。
「大きなお世話だ!みんながやってるから私も…などと考えていると思ったら、大きな間違いだ!!みんながやっているようなことを、何の考えもなく『みんながやっているから』という理由だけで喜んでするのは、大嫌いだい!」
と思いましたが、同時にハッとしました。
「こういう広告をして効果があるということは、東京の人はこういった広告、つまり『もう、みんな、していますよ』という言葉に弱いのではないか?」
ということです。全体主義・ファシズムになびきやすい体質ですね、それは。
そういう心情に訴えて効果があるのは、ある意味、東京がムラ社会だからではないでしょうか。1200万人以上もの人がひしめく、大きなムラ。
電車の列に並ばないとかそういったことに対して、「隣組」のような「監視の目」と「密告の口」を持っているように、大阪の人間から見ると感じます。注意をするときの言葉も、
「そういうことは危険だからおやめなさい!」
「周りの人の迷惑になるから、やめなさい!」
ではなく、
「お店の人に怒られますよ・・・」
というような、自分が言うんじゃないですけど・・・と他人のせいにして遠まわしに注意する方法。イヤですねえ、これは。体制に順応する意識が濃厚です。
「自分は体制側・多数派である」
という優越感を持った人(持ちたい人)が多いから、こういった広告が生まれるのではないかと思いました。こういう意識からは、「少数意見の尊重」という気持ちは生まれないのではないでしょうか。
大阪では、見たくないコマーシャルでした。
2006/12/11

(追記)

ベストセラー『世界の日本人ジョーク集』(早坂 隆、中公新書ラクレ:2006、1、10)には、タイタニックのように船が沈没する際、どのように言えば乗客が進んで海に飛び込むかが、各国人向けのパターンがユーモアたっぷりに記されています。その国の典型的な国民性をうまく利用した言い方なのですが、「日本人」に海に飛び込むように言う時は、
「みんな、飛び込んでますよ」
と言うと、みんな我先に飛び込む、そうです・・・。NHKの原田さんからご指摘いただきました。この本は、私も今年の初めに読んでいましたが、原田さんに言われて「そう言えば、あったな・・・」と思い出しました。
2006/12/15


◆ことばの話2759「『応ぜず』と『応じず』」

2005年5月20日の朝日新聞に載った、宇都宮の立てこもり事件で、見出しは、
「組員、説得に応ぜず」
「応ぜず」だったのに、本文では、
「組員(41)が栃木県警の説得に応じず」
「応じず」になっていました。なぜ違うのでしょうか?
「応じず」は現代文法に則ったもの。「応じる」の連用形「応じ」に否定の助動詞「ず」がついたものです。これに対して「応ぜず」は、文語の「応ず」の連用形「応ぜ」に否定の助動詞「ず」がついたもの、ですよね?
つまり現代語(口語)の中に、文語の形が残っているということですね。これは文語の方が収まりがいいケースがあるということでしょう。
なお、これに関連して、『週刊文春』2005年11月3日号の「お言葉ですが・・・」高島俊男さんが書いていました。
2006/12/2
(追記)

早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんに伺ったところ、
『「応ぜず」「応じず」は、より厳密に言えば、サ行変格活用であった「応ず」が、上一段活用「応じる」(「恥じる」「着る」「見る」などと同じ)に変わったということですね。活用の種類が変化したので、「ず」をつけた形も変わったということです。文語が口語になったというだけであれば、サ変活用の文語「察す」も、今では口語「察する」になったわけですが、「ず」をつければ両方とも「察せず」です。同じサ変活用なので、「ず」に続く形が同じなのです。
高島俊男さんの説は「イルカは魚類に属さない」(単行本11巻p.114)ですね。これは、サ変活用だった文語「属す」が、五段活用「属す」(「貸す」「話す」「飛ぶ」などと同じ)になったものです。高島さんは類例として「辞す」「課す」「期す」「属す」「愛す」などを挙げていますが、これも同様の変化を経たものです。」
飯間さん、ご教示ありがとうございました!高島さんの本も見直してみます。
2006/12/4
(追記2)

2007年4月18日の読売新聞の言葉の「日めくり」で、<文語の名残>として「応ぜず」を取り上げていました。
「応じず」でも「応ぜず」でも間違いではない、と書かれていました。
2007/4/22


◆ことばの話2758「ざっくばらんの語源」

今年6月まで担当していた「ゲツキン!」。メインキャスターの大平サブローさんが、番組の合い間にこんなことを話しかけてきました。
「道浦さん、言葉って本当におもしろいね。いつもよく使っている言葉の語源でも、改めて聞かれると分らんもんな。たとえば『ざっくばらん』なんて、よく使うけど、語源聞かれたら何なんでそう言うか?分らんでしょう?」
確かに、分りません。こういうときは・・・と、また早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんに聞きました。
『「ざっくばらん」の語源ですね。まず、私としては、ひもを「ざっく」と切った結果、着物が「ばらん」とほどけるような情景が目に浮かびます。でもこれはあくまで印象です。『暮らしのことば語源辞典』(講談社)では「意味からみて、擬態語のザックリとバラリによる合成語であろう。ザックリは物を割る際の形容にも使われるから、心の殻などをザックリ破ってバラリと捨てて、というのが本来のニュアンスと考えられる」とあります(池上啓氏執筆)。
なんだか私の印象と似たところもありますが、池上氏の説も、推測の域を出ていません。「心の殻」「など」のあたりが分かりませんね。
「ざく」「ばら」ということばが切ることに関係しているところまではよさそうです。
しかし、それがどういう状況を表すのかについては、「不明」というのがいちばん穏当でしょう。いろいろ、それらしい説はいくらでも捏造できます。着物のひもを切って「胸襟を開く」とか、障害物を取り払って向こうが「明け透け」になるようにするとか……。このあたりになると想像のオンパレードです。
なお、ほかの語源辞書類には出て来ませんでした。見てみたのは――
『日本語源大辞典』(小学館)、杉本つとむ『語源海』(東京書籍)、堀井令以知編『日本語語源辞典』(東京堂)、萩谷朴『おもしろ奇語辞典』(新潮社)、ついでに『知っ得ことば術』シリーズ(漢字検定の主催協会が売っている語源辞典シリーズ)なんていうのも見てみましたが、ありませんでした。』
と、とってもたくさん調べてくださいました。ありがとうございました!
でも結論は、
「わからない」
ということで、サブローさん、言葉の語源って、本当に難しいですねー!
2006/12/2

(追記)

『日本国語大辞典』を引いてみると、
「ざっくばらん」=心中をさらけ出して隠し事をしないさま。エンリョがないさま。あけすけ。ざっくばらり。ざっくばれん。
とあります。用例で一番古いものは1767年のものでした。また、
「ざっく」=気楽なさま。たやすいさま。ざっくばらん。
「ざっく」が気楽、と言うことは、「さく」が強調されたのではないか。これは想像なのですが、「さっくり」「さくさく」などの音は気軽さがありますね。案外そのあたりかもしれませんね。
2006/12/12


◆ことばの話2757「『てにをは』の『て』」

先日ふと、ヘンなことが気になりました。
「『てにをは』が間違っている、なんて言うけど、『てにをは』の「にをは」は助詞だけど、『テ』って助詞じゃないよな。助動詞『た』の連用形じゃないのか?そうすると『てにをは』って、一体、何?」
これについて、早稲田大学非常勤講師の飯間弘明さんに伺ったところ、こんなメールが返ってきました。
『これは古い漢文訓読に使った「ヲコト点」から来ているのです、と大学で習いました。
今あらためて当時のノートを見てみますと、国宝の「東大寺諷誦文稿」(平安初期、漢文)の話が記してあります。この文献には、ところどころ、文字の上に朱で点が書き入れてあります。これが「ヲコト点」です。
漢字の右上に点を打つと「テ」を表します。たとえば「穿」の右上に「ヽ」と書いてあると、これは「穿チテ」(=うがって)と読みます。
同様に、漢字の左上に点を打つと「ニ」、左下に点を打つと「ヲ」、右下に点を打つと「ハ」を表すというわけです。よく使われる「テ・ニ・ヲ・ハ」、それに「ノ・シ・ト・コト」などを点の位置で表したのです。
ご質問の「テ」も助詞には変わりありません。「ニ・ヲ・ハ」が名詞につく助詞であるのに対し、「テ」は動詞につく助詞というだけの違いです。
他の文献でも、ほぼ同じような約束の印を決めて、「テ・ニ・ヲ・ハ」など、漢文訓読に多用される助詞を表したようです。そこで、「てにをは」ということばができたのでしょう。
ヲコト点の種類については、中田祝夫氏および築島裕氏の非常にくわしい研究があります。』
ということでした。飯間さん、詳しい説明をありがとうございました!
漢文は全然詳しくないのですが、「ヲコト点」は、耳にしたことはありました。そんなつながりがあるとは!そして私が「てにをは」の「て」に抱いた違和感は、
「『て』だけが動詞に付く助詞だから」
ということなのですね。よく分りました!
(実はこの質問は、「今年の春」にしたものですが、そのまま、ほったらかしになっていたのです。飯間さん、すみませんでした。)
2006/12/1


◆ことばの話2756「いっしょ」

「いっしょ」
という言葉を私などは、
「同じ」
という意味で使います。うちの1歳10か月の娘も、自分が靴下をはいた時に私も靴下をはいていたら、
「いっしょやなあ」
と言います。絵本にくまのプーさんの絵が描いてあって、自分の服にもプーさんのプリントがあるとやはり、
「いっしょやなあ」
と言います。
ところが以前(=数年前)、こういう意味での「いっしょ」というのは方言的な使い方だ、と聞いたことがあります。
つまり、「いっしょ」という言葉の標準的な使い方は、英語でいうところの、
together」「with
日本語で言い換えると、
「共に」
の意味が、「いっしょ」「一緒」だと聞いたことがあります。もちろんその意味でも「いっしょ」を使いますが、私などはやはり、自分が赤いTシャツを着ている時に友人が赤いTシャツを着ていたら、
「いっしょやなあ」
などと言ってしまいそうです。この使い方は「方言」なのか?また早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんにメール伺いました。
『「いっしょ」は、共通語としては「共に」の場合にしか使われず、「同様」の意に使うのは関西方言だと言われますね。『日本国語大辞典』の方言欄では、西日本や東北で使われているという感じです。
私も香川県出身で西の人間のせいか、「一緒」を「共に」の意にも「同様」の意にも使っていました。10年前の文章でも使っています。でも、方言の用法だと知って、いつのころからかやめてしまいました。司馬遼太郎の作品には、さすがに関西人らしく、「同様」の意で使っている例があります。
〈夜明けからずっとその姿勢だから、ずいぶん疲れてもいる。が、駒吉と一緒の姿勢はとれない。〉(『菜の花の沖 1』文春文庫 p.110)
新聞には、記者の出身地によるのか、時々出て来ますね。また、東京出身の泉麻人氏も、
〈〔病院で女子医大生が雑誌を見ながら〕「なにこれ、セーマがチャパツしちゃって……」/などとコメントしていた。/訳すと聖マリアンナ医大生が髪を茶に染めて合コン特集に載っていた、という意だ。その縮め方のニュアンスは、エーカン〔=A型肝炎〕と一緒である。〉(「週刊朝日」1994.07.01 p.68)
と使っていました。ちなみに、これは「茶髪」の古い用例のひとつです。
東京で生まれ育ったという某氏も「あなたの時計と私の時計は一緒」という言い方に「違和感がない」と言っていました。個人差・年齢差もあるのかもしれません。
また、「同時」の意味では、東京・関東出身の人もごくふつうに使うと思います。
『大阪ことば事典』に載っていないのは不思議ですね。牧村史陽も気づいていなかったのでしょうか?』
と言うことで、やはり「西日本の方言」という説はあるようです。飯間さん、ありがとうございました。
しかし、東京出身の人も使うということは、どういうことなんだろうか?
このあたりご存知の方、または、
「私は○○出身だが、この意味の『いっしょ』を使う」
という方は、ご一報下さい!
2006/12/2
(追記)

呼びかけに応じて、さっそくNHK放送文化研究所の塩田雄大さんからファックスが送られてきました。
それによると1975年2月号の『言語生活』で、当時のNHK大阪放送局のアナウンサーがこの用法での「いっしょ」について、書かれていました。
また、うちのアナウンス部で長野出身と青森出身の若手(2年目のRアナと1年目のTアナ。大学時代の生活地は、東京と筑波)に聞くと、2人とも、
「『同じ』の意味で『いっしょ』を使う」
と話していました。かなりこの用法は全国に広がっているかもしれませんね。
これについて塩田さんは、
「(この『言語生活』より)もっと昔の記録も目にしたことがあるような気がしています。
おそらく、30年前くらい前であれば『他地域出身者が大阪に住むと気づくようになるような用法』だったのが、現在では『方言的使用とはほとんど気づかれない程度に全国共通語化している』のではないでしょうか。」
と話してらっしゃいます。
2006/12/7