◆ことばの話2740「けんちょうじょ」

11月15日、オホーツク海沖地震での津波のニュースを見ていたら、
「けんちょうじょ」
という言葉が出てきました。おそらく、
「検潮所」
なんでしょう。NHKのニュースでしたが原稿のコメントは、
「津波の高さはあくまでそのケンチョージョでのものです。海底の地形などの関係から場所によっては何倍もの高さになることもあります。津波は第一波より二波三波の方が高くなることもあります。」
ということでした。Google検索では(11月30日)、
「検潮所」=2万3600件
でも、検索した結果を見ると、どうやら正しくは、
「験潮所」
という表記のようです。Google検索では、
「験潮所」=1万4900件
でした。その中の第三管区会場保安本部海洋情報部のサイトによると、
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN3/index.html
「験潮」とは、
「潮汐観測の別称であり、その時々の水面の高さの測定を連続して行う観測」
で、その、
「潮汐観測を行っている場所を験潮所と呼んでいる」
とのことです。そして、
「潮汐観測は、潮汐表の予報精度の向上及び海図の最低水面の決定のため定常的に実施しています。また、黒潮変動の把握や、地震予知に関する基礎資料にもなっています。」
と記されています。
「験潮所」は2006年10月現在、全国に100か所以上あります。
験潮所コードのサイトによると、
http://www.jodc.go.jp/data_format/tide-station-code_j.html
気象庁=74か所、海上保安庁=30か所(南極の昭和基地を含む)、国土交通省港湾局関連の施設=17か所となっています。

「第七管区内の海洋情報部所管験潮所」という九州を中心とした験潮所のサイトによると、
http://inetsv.jodc.go.jp/KAN7////kencyo7/whatistos/gaiyo.html
「験潮所とは、長期にわたり潮汐の観測を実施するための施設です。現在、海上保安庁では全国29か所に験潮所を設置し、テレメータ化し東京で集中監視を行っています。
潮汐の観測の成果は、潮汐予報、水深測量時の水深の補正および基準面の決定や海流変動の調査などの基礎資料になるとともに、地盤変動調査、地震予知など広範囲な分野で利用されています。験潮所の構造通常の海面は、波が多く正確な海面の高さを測ることは難しいですが、導水管で海水を引き込んだ井戸内では波の影響が無く、精密な潮汐観測が行えます。ここで観測されたデータは、電話回線を介してリアルタイムに管区本部へ送られてきます」
とありました。また別のサイトでは「海岸昇降検知センター登録験潮所」の数は2005年4月現在で、
「153箇所」
と書いてありました。その位置図を見ると、近畿地方では、「淡輪(たんのわ)」「和歌山」「白浜」「串本」「海南」「舞鶴」「津居山港」などにあるようです。


勉強になりました!
2006/11/30
(追記)

2010年2月27日に南米チリで起きたマグニチュード8,8の大地震。その影響で、日本各地でも「大津波警報」が出され、2月28日・日曜日の午後は、警報が解かれる午後7時過ぎまで、各テレビ局も「津波特番」一色になりました。
その中で、「けんちょうじょ」という言葉も出てきましたが、私が見た限り、すべて、
「検潮所」
という表記でした。
2010/3/1


◆ことばの話2739「初対面」

11月22日、日本テレビの「ニュースゼロ」を見ていたら、福岡ソフトバンク・ホークスの王監督が、ドラフト指名した近畿大学の投手にあいさつしたニュースを、男性ナレーターが読んでいました。
それを聞いていて「うん!?」と思ったのは、ナレーターが「初対面」を、
「ハツたいめん」
と読んでいたのを耳にしたからですこれは明らかに正しくは
「ショたいめん」
ですね。
これと似たような間違いが、誤用ながらかなり定着しているのは、「初体験」
「ハツたいけん」
と読むケース。これも正しくは
「ショたいけん」
でしょう。そうでないと「湯桶読み」になってしまいますよね。ただ『三省堂国語辞典』では「しょたいけん」は空見出しで、「はつたいけんを見よ」になっていて、「はつたいけん」を見ると、「性的な意味での初体験」しか載っていないから、そうではないことの初めての体験と区別をしようという気持ちがあるのかもしれません。どっちが先なんだろうか?
また、「初」を音読みで「ショ」と読むと「はじめて」ということが分りにくいからか、きっと「はつ」と読んでしまうのでしょうね。でも「ハツたいめん」はおかしいでしょう。「めんたいこ」みたいです。気をつけましょう。
2006/11/29


◆ことばの話2738「うちひしがれてる」

クリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』を見ました。大変考えさせられる映画でした。12月9日公開の日本軍の側から見たイーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』も是非、見ようと思いました。
後輩の2年目・Iアナウンサーも先日この映画を観たと言っていたので、彼の感想をまず聞いてみようと思い、
「オレも観たよ。君は観て、どうだった?」
と問うと、彼はこう言いました。
「いやあ、ボクは、戦勝国は勝利にうちひしがれているとばかり思ってました」。
???何を言いたいんだ?
「ゴメン、もう一度、よく考えて、ゆっくり、言ってくれる?」
「ボクはー、戦勝国はー、勝利にー、うちひしがれていると思っていました」
「あのさあ、『戦勝国』の意味を言ってごらん」
「戦争に・・・勝った・・・国・・・ですよね。」
「そう!そのとおり。それがどうだと思っていたって?」
「勝利に・・・うちひしがれている」
「『うちひしがれる』の意味を言ってごらん!』
「喜んでいる?」
「あのなあ、それも言うなら『勝利に酔い痴れている』だろ!『うちひしがれる』は『悲しみに、うちひしがれる』だよ!」
「ええー!?そうなんですかあ!」
というやり取りがありました(シュン・・・・)。
でもここで終わってしまっては、なんだかあまりにも辛いので、
「ほら、こないだアナウンス部で買った『大辞林』で『うちひしがれる』を引いてごらん!なんて書いてある?」
と辞書を引かせました。
「うちひしがれる・・・はありませんね。『うちひしぐ』はありました!」
「それを読んでごらん」
「うちひしぐ=『打ち拉ぐ』(1)ひどい打撃・衝撃などで気力や意欲をなくさせる。多く受身の形で用いられる「度重なる不幸にうちひしがれる」(2)一気に相手を破る。「只一打にうちひしがんと」
「その(1)の意味の使い方だな。でもおそらくこの場合の『うち』は接頭語だろ。それも引いてごらん。」
「うち(打ち)=(接頭)[動詞「打つ」の連用形]動詞につく。(1)下の動詞の意を強める「うちしおれる」「うち寄せる」「うち捨てる」(2)下の動詞の意を軽くする。ちょっと、少しなどの意を添える。「うち見る」(3)下の動詞の意味を抽象化する。「うち明ける」「うちとける」「うちけす」(4)語調を整える。「うち連れる」「うちまぎれる」・・・いっぱいありますね。(1)と(2)では、強めるのと弱めるので、まったく逆なんですね。」
「そうだね。この場合の『うちひしがれる』の『うち』はボクは、(1)と(3)もあると思うけど、『心』だと思うんだよね。『心の内』。『裡』という漢字のイメージなんだ。そうすると、『うちひしがれる』の『ひしがれる』は『押しつぶされる』というような意味だから、『心が押しつぶされるような感じ』だし、『うち明ける』は『心の内を明かす』ことだろうし、『うちとける』も『心の内が解ける』というふうに解釈できるし、『打ち合わせ』だって、『心のうち、考えているものをあわせる、調整する』という意味になるよね。全ての『うち』がそうだということではないし、ここにはそうとは書いてないけど、ボクはそう考えられるね。」
「へえー、そうですか」
ということになりました。
一応『日本国語大辞典』「うち」を引くと、6番目の意味に、
「うち」=人の精神、心理、気持。心の中。胸のうち。
とありました。勉強になりました。
2006/11/30


◆ことばの話2737「笑えると泣ける」

最近、
「泣ける映画」
というような表現が増えていることは以前書きました。(平成ことば事情2384「泣ける映画」ほか)
その「泣ける」について考えていて、ふと思いました。
「『泣ける』と『笑える』は形が似てるが、『笑える』にはシニカルさ、冷静さがあるが、『泣ける』にはそういったものはない分、危険ではないか?『笑える』ものにはハマらないが、『泣ける』ものにはハマる」
そういう意味では、
「泣けるものは、わらをもつかむ?」
「泣ける」は自然に涙が出る状態になるということで「自発」、「笑える」は「笑うことができる」の「可能」の意味が強いのではないか?もしくは自然と笑ってしまう「自発」だが、その笑いは「感動」によるものではなく、「失笑」だったり「哄笑」だったりするのではないか。そこには、対象に対する「のめりこみ度」の違いが出ているような気がします。
そんなことを考えました。
2006/11/28


◆ことばの話2736「映画『野良犬』の言葉」

平成ことば事情2735「映画『酔いどれ天使』の言葉」で書いたように、10月に「紙のピアノ」という、豊中市の市民ミュージカルに出演しました。その際の「役」は、
「戦後の闇市で踊る男たち」
だったのですが、「衣装は自分で用意してください」ということでした。しかし、当時の闇市に来る人たちがどんな服装だったのか、生まれる前なので同時代的感覚では知りません。
たまたま読んだ『週刊文春』の小林信彦のエッセイで、
「闇市の風景を一番忠実に描いているのは、黒澤 明の『酔いどれ天使』と『野良犬』だ」という一文を見かけたのでさっそくレンタルビデオ店で借りてきてみました。もちろんモノクロの映画です。
(ここまでは、「酔いどれ天使」のと、まったく同じです。)
『野良犬』は昭和24年(1949年)の作品です。気づいた点をメモ風に。

「鯨テキ」の看板。クジラのステーキか?ゲイテキ?でいいのかな?Google検索(10月19日)
「鯨テキ」= 177件
「ゲイテキ、鯨」= 252件
今は死語ですね「鯨テキ」。
*「長岡土建」「玉買場」「つりぼり」の看板の横書きは、みな「左から右」で今と同じだった。
*村上刑事(三船敏郎)が、佐藤デカ長(志村 喬)に対して、
「あなたは?」
と。当時はまだ「あなた」は「敬語」だったのでしょう。今は「丁寧」に聞こえるけど、「目上に使うと失礼な感じを与える言葉」です。
*後楽園野球場のシーン。ジャイアンツ対ホークス。裏の攻めがジャイアンツ。観客はなんと5万人!巨人・川上16番。巨人投手は右腕で背番号21番。25番の選手も。南海投手は右下手投げで、背番号19番。一番バッターは背番号4。
*球場のフェンスには、
「アクタミン」「サロメチール」
の看板が。当時、クスリは一番の「売れ線」だったのか?
*球場の場内放送で、
「上野の立花さん、大至急、正面入り口まで。お友達がお待ちしています。」
この「お待ちしています」はおかしい。当時も敬語は「乱れて」いたのか?

*佐藤デカ長(志村 喬)が若い村上刑事(三船敏郎)を自宅に誘うシーンで、
「配給のビールがあったはずだ。」
当時ビールは「配給制」だったのですね。
「突然でなにもないんだ。カボチャで我慢してくれたまえ。」
カボチャは庭で作っていたのか?
「犯人の心理分析なんて小説家にまかしとけばいいんだ。」
今はニュース番組で盛んにやっています・・・・
「なんとか言ったな、アプレ…アプレゲール。あきれかえるだ。」
『おやじギャグ』の『はしり』かい?
「一日6000円で、われわれならひと月暮らせるね。」
ちなみに強盗殺人犯が盗んだ額は「4万円」。6000円で一月暮らせるということは12倍して、年収7〜8万円もあれば、家族5人ぐらいは暮らせたということか。
*「神経衰弱」
これもいまや「トランプ」の遊びの名前に残っている(?)だけですかねえ・・・死語ですね。
*「ならん。人を殺した人間はいわば狂犬さ。」川柳『狂犬の目にまっすぐな道ばかり』
今年(2006年)は、狂犬病が36年ぶりに国内で発生したが、昭和24年当時は「狂犬」「狂犬病」は日常語だったのではないか。
*「待合いでさあ」
「待合い」は今の「ラブホ」ですね。
*「みんな世の中が悪い。みんな世の中のせいにするやつはもっと悪い。ショーウインドにこんなものを飾るのが悪い。」
この考え方が、いわゆるアプレ・・・ゲールですか。じゃあ、今もアプレゲールの時代だ。
*「バカっぱやい」
「バカッ○○」と言うのは江戸っ子の言葉のようですね。
*「見番」
これも死語かなあ。そのものがなくなっちゃったからねえ。『新明解国語辞典』では、
「検番」
で載っていました。
「検番」=芸者をそこに所属させ、客席への取次ぎ、玉代(ギョクダイ)の精算などを行なう事務所。「見番」とも書く。
「人材派遣業」と言うか、「タレント事務所のマネージャー」と言うか。そんな感じでしょうか。
そして、ラストシーンで、林の中の一軒家で朝6時から女性がピアノの練習をしていたが、いくら林の中の一軒家でも「朝6時からピアノの練習」をするものなのでしょうか?ちょっと疑問に思いました。
以上でした。
2006/11/29