◆ことばの話2610「ドイツワールドカップの言葉」

もう、ワールドカップが終わって1か月経つんですねえ・・・本当に月日が経つのは早いものです・・・。
ワールドカップで気になった言葉の疑問などについて、一つ一つ書く暇がないので、メモを記録として残しておきます。改めてこれについて書くかもしれませんが・・・。

「ドイツは三位決定戦に回った」。この「回った」は何?
*「フィーゴ、バラックはベンチ・スタート」。この「ベンチ・スタート」は和製英語か?
*「アディショナル・タイム=2分」と表示が出たものをアナウンサーは「ロス・タイム」というが、これは和製英語か?
*6月27日午前1時台、TBS「イタリア対オーストラリア」戦の実況アナウンサーは、オーストラリアの監督を、
「ヒディング」
と濁っていた。デジタル・ワンセグの字幕も、
「ヒディング」
だった。TBSは濁ると統一していたのか?「K」なのに。
*6月19日午前4時、「フランス対韓国」戦の実況アナが、
「韓国は前回ヒディング監督」
「グ」と濁って発音していた。これは「ク」と濁らないはず。
このアナウンサーの実況は「今風」ではなく「古い」感じがした。

また、言葉とは関係ないですが・・・
ドイツフランクフルトのホテルで深夜、テレビを見ていたら、
「ゲイ・オンリーのテレクラ」
テレビCMをやっていた!ムキムキ裸の男の胸を写していたから、ドイツ語が分らなくても、大体内容はわかった。こんなCMは日本では考えられないが・・・。ドイツってそんな国だったのか?(ゲイのテレクラが考えられない・・と言うことよりなにより、そもそも「テレクラのテレビCM」というものがありえないだろう。
一体このコマーシャル代はいくらぐらいなのだろう?よほど安いのか?それとも、このテレクラは、テレビコマーシャル代を払えるぐらい儲かっているのか???クエッション・マークが、頭の中を埋め尽くしたのだった。
2006/8/7


◆ことばの話2609「ですので」

ワールドカップドイツ大会の「スペイン対ウクライナ戦」のNHK衛星第一放送の実況アナウンサーが、しゃべり出しの言葉で、
「ですので」
といいました。これは、
「ですから」
なら違和感ないのですが、「ですので」と言われると違和感がありました。
最近、文頭やしゃべり出しの言葉で、
「なので」
と言うことがあり、それに対して違和感を覚えるということをどこかで読んだ気がします。早稲田の飯間さんの文章だったような気がします。それとちょっと似ています。「ので」が共通していますね。「な」は「だ」なので、それを丁寧に言った形が「です」になって言うのでしょう。「なので」も「ですので」も元、は同じです。
飯間さんにメールしたところ、岡島先生の「ことば会議室」で2000年と2005年に話題に上ったことを教えていただきました。やっぱりそうでしたか!
それによると、2000年2月に、ヨブというハンドルネームの人から、
『最近、接続詞として「なので」と使う人を耳にします。「だから」とか「結局」とか、いう意味で使っているようですが。「だから」が接続詞として独立したのはいつ頃からかわかりませんが、「なので」はまさしく今独立しようとしているようです。ちなみに私が聞いた例は、某校の職員会議の席上で、某国語教諭の口からです。』

という書き込みがあり、それに対してYeemarさんが、
『「。なので」を朝日新聞記事データベースで検索すると、1984〜94年までは0件だったが、95年が2件、以下、96−1、97−1、98−4、99−1あるが、今のところはインタビューや社外の人の原稿などに限られるようだ。』
として、
『ゴムマリほどの〔スイカ〕が目にはいった時の歓喜はもはや言うべき言葉もない。「天にも昇る心地」というのはこれをいうのであろう。なのでスイカをつくったことのない人は「天にも昇る心地」を知らないことになる。(「声」裾野市・池ノ谷木一(無職66歳)・朝日新聞 1995.07.22 p.5)』
という例を挙げていらっしゃいました。また、2003年10月にはまたもやYeemarさんが、Qライターズ倶楽部編『ことばのおもしろ雑学事典』(西東社、1989、絶版)の中で、「くだらない」の語源について触れた中で、
『現在とは逆で、昔、日本の中心は関西だった。なので、京から江戸に来ることを「下る」と言った。〔……〕関東の地酒は「下らない酒」と呼ばれた。なので、つまらないもの、価値の劣るもののことを「下らない」というのだ。』
という文章があると、短大生が報告していることも記録。この引用に、当の短大生の言葉が混じっていないとすれば、1989年には「。なので」は使われていたことになるが、原典を見ないことには何とも言えない。」
と書かれていましたが、その後Yeemarさんがこの本を入手し、原文を改めてみたところ、「そのようなことば遣いはなかった」(2006年7月)
とのこと。原文の該当箇所には、次のようだということです。

『現在は、東京に来ることを「上り」というが、昔は、京都が都で日本の中心だった。その名残りで、江戸時代にも、上方から関東に送られてくるものを「下りもの」と呼んだ。
 中でも清酒は、灘や伏見からの「下り酒」が本場。それに比して、関東の地酒は、「下らない酒」として、一段低く見られた。つまらないもの、価値の劣るもののことを「下らない」というようになったのは、これに由来するという。(p.194)』


じゃあ、短大生が「2003年の段階」で「。なので」を使っていた、ということですね。

2003年の段階のYeemarさんの文章に対して、岡島昭浩さんが2004年3月に、
『「なのに」は「なので」よりも口頭語としては古くからあると思うのが、文章語となると「なので」のほうが現れやすい気がする。「なのにあなたは京都へ行くの」「だのに何故歯を食いしばり」
「だから」 ×なから
×だので  △なので』
と書いていますが、それにすぐ答えてYeemarさんが、
『Yomiuri On-Line関西「ことばのこばこ」(2004.02.16)に「から・ので・なので」(佐竹秀雄氏)がある。カラは主観的なことを述べる場合に、ノデは客観的なことを述べる場合・改まった場合に使うということを説明した後、
 ところで、最近「がんばりました。・なので、合格点をください」のようなナノデの使い方をする若者が増えている。これも押しつけがましさを、避けているつもりなのだろう。』
とあるのを紹介しています。
その4か月後の2004年7月には、岡島昭浩さんが『『88年版ことばのくずかご』の128頁に「新しい接続詞「ので」」があった。83年の用例を示している。』

と。そしてYeemarさんもすぐに、「ので」の、より新しい例として、

『私の知人の中にも百歳すぐそこの会長職が数人いらっしゃっていずれも引退どこ吹く風。おかげで毎年山海の珍味が届く。ので私は引退反対。〔時実新子〕(「週刊朝日」2004.01.2-9 p.122)』

『ちなみに、今私が住んでいる部屋には全身鏡がない。ので、いつも窓ガラスに映している。〔金原ひとみ〕(「朝日新聞」夕刊 2004.04.23 p.10)』
を挙げ、「なので」の新しい例としては、
『『ダカーポ』は80年代の『朝日ジャーナル』に似ている……といってもお若い読者は「そんな比喩(ひゆ)ではわかりませーん」と思うだけだろう。なので別の言い方をすると、『ダカーポ』は組織でいえばナンバー2、家族でいえば次男の雰囲気なのだ。〔斎藤美奈子〕(「AERA」2002.08.26 p.69)』
『河野〔明子〕 私、兄と弟との3人きょうだいで、女は1人なんです。なので父は比較的、私には甘かったです。(「週刊朝日」2004.06.04 p.56)』
を挙げています。
また岡島さんは2004年7月に、『1986年1月に使用された「なので」』として、
http://www.angel.ne.jp/~vacation/radio/houdan/8603.html
>山下:おととしじゃねえか、さきおととしか?
>大滝:か?>山下:そうそうそう。
>大滝:かなり前ですね。
>山下:3年前だ。なので、ご存知の方もたくさんいるんですけど、知らない人もいるので、


を挙げてらっしゃいました。(今、上記のURLにアクセスしても出てきませんが・・・。)
岡島さんは2004年7月に、
『「なので」「ので」ともに、村上春樹の『スメルジャコフ対織田信長家臣団』(2001)に何例か見えます。「なので」は、98.8.5にあります。皆、読者からの投稿です。』
とも記してらっしゃいます。

なんだか引用ばかりになってしまいましたが、数年前から「なので」は文章(書きことば)にも出てきていたのですね。話し言葉での出現はもっと古く、20年ぐらい前にはさかのぼれそうです。
そうするとその丁寧形としての「ですので」が出てきても、不思議はありませんね。
Yeemarさんは、メールで、
『「ですので」は残念ながらノーマークでした。注目してみようと思います。』
と話していました。
2006/7/31


◆ことばの話2608「お菓子」

7月26日に文化庁の「国語に関する世論調査」の結果が発表されました。それによると、「お」のつく「美化語」15語について「菓子」「酒」「米」「皿」「弁当」「茶碗」には「お」をつける人が多く、中でも「お弁当」は女性の4分の3が抵抗なく使うのに対して、男性で「お弁当」を使う人は4分の1だという結果が出たそうです。
それを見て気づいたのは、7月7日のお昼のニュースで、こんな話題があったことです。関西空港で航空会社の地上勤務員が、七夕にちなんで、
「星型のお菓子」
を乗客に配ったというもので、原稿には「お菓子」と書いてありました。しかし私は読む時に、ストレートニュースでもあるので「お」を取って「菓子」にしました。その時に、もし若い女性アナウンサーが読むのであれば「お菓子」でもよかったのではないかと思いました。しかしいくら若い女性アナであっても、
「星型の菓子に毒が入っていた」
などというニュースであれば、やはり「お菓子」はおかしいですね。(ダシャレじゃないですよ。)
和歌山毒入りカレー事件の報道の際に、カレー鍋の「おたま」についてTデスクが、
「『おたま』の『お』は取れないのか?もしくは言い換えはないのか?『お』がつくと間が抜けてしまう・・・」
と相談してきたことを思い出しました。
男女の言葉遣いに差がなくなってきた昨今ではありますが、やはり放送で使われる言葉遣いから受け取る印象は、男女で違いがあるというのが、現状でしょう。放送における美化語のあり方も、しっかり考えないといけませんね。
2006/8/1


◆ことばの話2607「ばポグ」

早めの夏休みを取って、マレーシアのコタキナバルに行ってきました。ボルネオ島です。ボルネオ島は、島と言っても日本列島より大きいんですよね。で、マレーシア、ブルネイ、インドネシアの3つの国があります。コタキナバルは、マレーシア領です。
私、ここに行くのはちょっと・・・と思っていました。と言うのも、以前、景山民夫さんの『ボルネオ・ホテル』という小説を読んで、「コワそう・・」と思っていたからです。行ってみたら全然そんなことはなく、良いところでした。ただ、行くまでは私、
「コタキ・ナバル」
だと思っていたのです。漢字(感じ)だと「小滝・名張」かな。でも正しくは、
「コタ・キナバル」
です。ホテルから「キナバル山」が遠くに見えました。また、帰りに寄ったマレーシアの首都「クアラルンプール」も、私は、
「クアラルン・プール」
だと思っていたら、正しくは、
「クアラ・ルンプール」
でした。なんか、長めのカタカナ地名って、日本語のリズムで区切ろうとしてしまいますよね。「プエルトリコ」も、
「プエル・トリコ」
だと思っている人は多いのではないでしょうか。でも正しくは
「プエルト・リコ」
ですね。まあ、しょうがないか。
さて、そのコタ・キナバルの中心地のショッピングセンターの中にあるおもちゃ屋さんで、子どものお土産を見ていたら、日本のアニメをテーマにした中国製のオモチャがありました。その表示を見ると、
「機動戦士 ガダム」
「ガンダム」ではありません、「ガソダム」です。え?違いがわからない?平仮名にしましょうか。「がんだむ」ではなく「がそだむ」だったんです。海外ではよくこういった間違いがありますね、『VOW』に投稿写真が載っているようなヤツ。そのほかにも、
「寫眞・イラストと商品は多少翼なゐ場合があります」
「翼なゐ」は、おそらく「異なる」のつもりなんでしょうね。
製造・販売元の住所の郵便番号と住所は、
「テ374−0006 土奇玉草加市・・・」
郵便番号のマークって、たしかに「逓信省(ていしんしょう)」の頭の「て」をカタカナにした「テ」をデザイン化したものだけど、これだと、まんま「テ」ですよね。それに「埼玉」の「埼」が、まるでケーターメールで女子高生が使う文字のように、「土」「奇」の二文字で一つの漢字を表していて、なんだか脱力感がいっぱいです。
こういった間違いは意味が通じるから笑って済ませることができますが、中には意味不明のものもありました。
「各関節が可動し自由ばポグが可能!!」
この、
「ばポグ」
って何?意味不明です。どなたか解読できる方、お知恵を授けてください。でも、買わなかったけどね、このおもちゃ。
以上、コタキナバルの思い出でした。
2006/7/30
(追記)

「どなたか、解読してください」とお願いしたところ、さっそく4人の方からメールをいただきました。ありがとうございます!答えは2通りでした。
「(自由)ばポグ」
は、
「(自由)な歩行」
という解答と、
「(自由)なポーズ」
の2種類でした。特に「なポーズ」と解読した早稲田大学の飯間さんは、
『ネット上で、「各関節が可動し」で検索してみると、フィギュアの販売のページがいろいろ出てきました。中には「体長50mmで各関節が可動し自由なポーズが設定できるヒト型マスコット!」と、ほとんど同じ文言のものもありました。「可動する」という言い方もめずらしいような気がします。』
と、いろいろ調べてくださったようで、フィギュア業界では、「自由なポーズ」とか「可動する」という言い回しがあるようですから、どうやらこちらが正解のようですね。
2006/8/6


◆ことばの話2606「マス・コム」

甲南大学の日本語文学科の研究室で、レジュメのコピーを待つ間に、書棚にあった昭和27年3月号の『言語生活』という雑誌をパラパラ見ていたら、中村茂・放送文化研究所所長(当時)が書いた「テレビジョンのことば」という文章の中に、ちょっと変わった言葉を見つけました。それは、
「マス・コム」
というものです。この意味は、今で言うところの、
「マスコミ」
でしょう。昭和27年(1952年)というのは、「テレビ前夜」。ラジオ放送が始まって、まだ27年しか経っていない時代です。テレビの本放送が始まったのは、昭和28年(1953年)2月のことでしたからね。当時は「コミュニケーション」の略は「コミ」ではなく「コム」だったのでしょうか?「マス・コム」は、今なら、
「マスドットコム」
と読んでしまうかもしれませんねえ・・・。「口コミ」は「口コム」(?)と言ったのですかね?
GOOGLE検索では(6月23日)、
「マス・コム」= 216件
「マスコミ」=1080万件
「マスコミュ」= 526件

「マスコム」を取り上げた文章の中には、飯間浩明さんの「ことばをめぐるひとりごと」の2000年3月27日の記述で「マスコム・マスコン」がありました。引用させていただくと、

『マスコミュニケーションを「マスコミ」とする省略のしかたは、ちょっと変わっています。ふつうに初めの4拍分をとるならば、「マスコミュ」となりそうなところ。でも、「マスコミュ」じゃあんまりなので、「ュ」を落として「マスコミ」にしたのでしょう。英語のmass communicaton に「ミ」にあたる音が入っていないのはもちろんです。
「マスコミ」ということばはいつから使われ始めたのか、手許のあらかわそおべえ著『角川外来語辞典』を当たると、1954年の例が挙げてあります。「マスコミュニケーション」は1946年の「ユネスコ憲章」にすでに使われているようです。
この辞典には、また「マスコム」という言い方が挙げてあって、これも「マスコミュニケーションの略」とあります。しかし、用例なし。「マスコム」ということばはふつう聞きません。この辞典の初版(1967年)が出たころは使われていたのでしょうか?
雑誌「言語生活」の古い号を見てゆくと、マスコミュニケーションということばは何度も出てきます。多くは略さずに使われていますが、中に
〔薬の商品名を〕もし群を抜いて大衆に覚えてもらおうと思うならば、現在の何十倍かの資本をマス・コンの媒介に投資しなければなりますまい。マス・コミュニケーションに適したもっと別の名〔商品名〕が望しいと思われます。(「言語生活」1953.07 p.20 森岡健二「名」)
と、「マス・コン」の形で出てくるのがあります。これは「マス・コンミュニケーション」の略と考えていいのではないでしょうか。
「マスコン」は『角川外来語辞典』にはなく、楳垣実『外来語辞典』には master control(主幹制御機)の意味で出ています。でも、これは別語と考えていいでしょう。
「マスコム」の形は、翌年に出てきます。
▼ちょっと古いが、九月十四日づけのマス・コムから(「言語生活」1954.01 p.43「耳」)
何の説明もつけず「マス・コム」としてあるのは、この略し方がもうある程度認められていたのでしょう。「マス・コム」の形は、その後も、ぽつぽつと使われていますが、どちらかというと「マス・コミュニケーション」とあるのが大多数。次に省略形で出てきたのは(というより、僕が見つけたのは)3年後で、使用者は上記の引用の筆者と同じ森岡健二氏です。
どうもアメリカという所は、想像外に広い所で、ある大学ではマス・コミに専心し、ある大学では一般意味論、話し方に熱中しているかと思うと、〔下略〕(「言語生活」1957.05 p.58 森岡健二「「ことばの技術」の再吟味(一)」)
1953年から57年の間に、森岡氏が「マス・コン」から「マス・コミ」に方針転換をしたとみていいかどうか、詳しく調べてはいませんが、『角川外来語辞典』に1954年の例として「マスコミ」が出ているのと矛盾はしていません。これより後の「言語生活」でも、「マス・コム」をさっぱり見かけず、「マスコミ」に変わってきているようです。
(追記)「マスコム」ということばが旧『国語学辞典』に出ていることについて、岡島昭浩氏がすでにウェブで触れられていました。僕も以前拝読したのですが、うっかりしていました。岡島氏ご自身からご指摘をいただきました。同辞典の初版は1955年ですから、1954年の「言語生活」とほぼ同時期、やはりこのころは「マスコム」がよく使われていたとみえます。(2000/3/31)

また、岡島昭浩先生の「目についたことば」(1997年7月16日―28日)では、

【マスコミとマスコム】
佐藤さんのシミュレーションを読んで思い出し、またYeemarさん飲みニュケーションとも関わることなのだが、『国語学辞典』 (昭和30年)は、マスコミュニケーションの略語を「マスコム」としている。「マスコミ」ではないのである。そもそも「マスコミ」というのはどういう略語であろうか。おそらく正統の「マスコミ・ュニケーション」というような下略ではなく、変化形「マスコミ・ニュケーション」の下略ではなかろうか。『国語学辞典』 では、こうした誤った言語を元にした略語を嫌って「マスコム」にしたのかもしれない。そもそも「マスコミ」という略し方は何時ごろから言われているものなのだろう。『日本国語大辞典』 には円地文子・花田清輝の例が載っている。『現代用語の基礎知識』 あたりを年代順にダーッとみて行きたいところであるが、ちょっと面倒である。

と取り上げていました。さすが!「マスコム」について、もう6年前に飯間さんが、9年前には岡島先生が、詳しく書かれていたのですね。
でも「昭和27年(1952年)」というと、飯間さんの挙げた例の1954年よりも古いので、一言、お知らせしておきますね。
また、見坊豪紀『辞書をつくる〜現代日本語』(玉川大学出版部、1976)「あとがき」に見坊さんが、

『昭和三三年に私は「マス・コミ」(・に傍点あり)と書き』

とあります。つまり、「あとがき」を書いている今(昭和五十一年九月)は「・」をつけずに「マスコミ」と書くということなのでしょうね。
2006/7/31
(追記)

冒頭、ご紹介したNHK放送文化研究所の中村 茂所長のことを、「知らないなあ」と思っていたら、なんとあの「二・二六事件」(1936年=昭和11年)のときに青年将校に対して投降を促す、
「兵に告ぐ」
という放送アナウンスを行なった、
「中村 茂アナウンサー」
だったのでした!「今からでも遅くはない」という内容のものです。(「今からでも遅くはない」はその後「流行語」になったそうです。)それなら名前を聞いたことがある!CDで「兵に告ぐ」を聞いたこともあります。この「兵に告ぐ」によって、ラジオ放送の速報性の威力と、中立性を持ったアナウンサーの声の信頼性が実証されたとも言われています。
中村アナウンサーは、放送文化研究所の「初代」所長となったそうです。
2006/8/11
(追記2)

中村 茂アナウンサーは、なんと太平洋戦争の開戦のときのニュースも伝えていました。
それはさておき、佐藤卓己『八月十五日の神話』(ちくま新書)の中に、
「1960.8.14の中外日報の社説、『盆踊りの観光化』で『戦後盆おどりは、年々さかんになっている。(中略)マス・コミの影響だろうが、電波にのせようと奇をテらっている。』」
とありました。1960年には「マス・コミ」「・(ナカグロ)」のある形が使われていたのですね。
2006/9/6

(追記3)

昭和37年(1962年)7月に出た日本民間放送連盟編『放送用語集』が、なぜか手元にあります。その「まえがき」を読んでいたら、
「新聞を始めとするマス・コミ」
という一文が。「・」の入った「マス・コミ」ですね、当時はやはり。
そして上の本文の最後に書いた見坊豪紀『辞書をつくる』(玉川選書)の「あとがき」を、もう少し詳しく引いておきましょう。昭和51年(1976年)11月20日に出たものです。(あとがき執筆は1976年9月末日。・・・の部分は省略)
「昭和三三年に私は『マス・コミ』と書き・・・また、昭和三六年には『マス・メディア』と書き・・・・しかし今は「マスコミ」「マスメディア」と書き“・”はつけない。長い年月の間には、いつしか個人の表記法も部分的に動いてくる。」
ということです。そうすると、この「マス・コミュニケーション」という言葉の略称表記・呼び方の変遷は、
昭和20年代=「マスコム」
     ↓
昭和30年代=「マス・コミ」
     ↓
昭和50年代以降=「マスコミ」
ということで、昭和40年代のどの時期に「・」が脱落したのか、というのがポイントになりそうです。
2006/9/11
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