◆ことばの話2540「ライブドアとオウム」

1月23日、夕方4時過ぎから事情聴取を受けていた、ライブドアのホリエモンこと堀江貴文社長が、証券取引法違反の容疑で逮捕されました。ライブドアの強制捜査から一週間。スピード逮捕には驚きです。
この一週間、堀江容疑者のこれまでの発言のビデオを、ニュースやワイドショーで、ゲップが出るほど見ましたが、それを見ていて思ったことは、
「堀江社長の話は、宗教家のそれに似ている」
ということです。『稼ぐが勝ち』という著書にも自ら記したように、
「人はお金で買える」
ということが、ライブドア教の一番の宗旨なのです。お金が一番。夢もお金がなければかなえられない。夢のためには稼がなくてはならない。
こう語る堀江社長は、
「違いますか。そうでしょ。当然、そうなりますよね。」
と、人を追い詰めるような話し方をします。詭弁のテクニックです。圧迫面接のようなしゃべり方です。インテリ・ヤクザのしゃべり方です。折伏しているようです。
その意味では、
「粉飾決算しているつもりはない。もちろん。そうでしょ。…当然そうでしょ。」
というふうに「当然」「もちろん」を多用するしゃべり方は「極めつけ」であり、小泉総理の、
「理解できない」
という言葉と同じです。「思考停止」しています。なぜ思考停止しているかというと、自分では真理にたどり着いたと思っているからです。「お金で人は買える」という堀江社長の「真理」、「改革」という名の小泉総理の「真理」。その「真理」よりも良いものがあるということを考えることや気づくことは、これまで築いてきた自らの生き方を否定し、崩壊させる恐れがあるからではないでしょうか。
そして今日、ふと感じたのは、ライブドアという組織を形成する人たちのうち、表に出てくる人たちと、あの「オウム真理教」との共通点です。カリスマ性のある教祖、イケメン?だったり美人?だったりする広報担当、そして口数は少ないが有能な幹部・・・。
もちろんライブドアは、サリンは撒きませんし、直接人の命を奪うようなことはしませんでしたが、思想的な”毒”を振りまいたのではないかと感じます。風説も流布したようですが。なんだか全体的に、よく似ているように思うのです。選挙にも出たけど落ちたし。カルト的な側面を持っているということですね。
教育と洗脳は、基本的には同じことです。その目的や方向性が違うだけです。そういう意味では、麻原(松本)も堀江も、ある意味で優れた”教育者”であったと言えるかもしれません。しかし、その”教育”の方向性が間違っていたということです。
そうこうするうちに、「オウム教団、観察処分更新」というニュースをNHKの21時のニュースでやっていました。
2006/1/23
(追記)

この項は、堀江貴文容疑者が逮捕されてすぐに書きましたが、しばらくそのまま寝かせておきました。堀江本人の話より、その堀江が出したとされた(結局、偽物だったわけですが)メール問題の方が、この1か月話題の中心になってしまい、そろそろいいかな、と思って掲載することにしました。
ところで、2005年3月30日、まだホリエモンが逮捕されるずっと前に書いたメモが出てきました。M&Aと「蜘蛛の糸」は似ているのではないか、と書いています。
「ホリエモンは、結局『カンダタ』ではないのか?『ニッポン放送もフジテレビも俺のもんだあ!所詮、人は金で買えるんだ、おまえらこの株は俺のもんだ!降りろ降りろ!』と言ったとたん、株価が、プツン…オシャカさま。」
2006/3/8
(追記2)

さらにそのままにしていたら、1か月経ってしまいました。
2006/4/4


◆ことばの話2539「エレベーターの走行距離」

ついこの間まで、マンションの管理組合の理事をやっていました。その理事会の席で、エレベーターの点検・維持にかかる費用の予算に占める割合がべらぼうに高いことに気づき、安全のためには仕方がないと思いつつ、
「一体、年間何回ぐらい点検に来ているのか」
を確認するために、ふだんは管理会社に任せっきりにしている「点検報告書」に目を通しました。分厚い専門的な数字が並ぶ報告書の中で「ことば事情」的に目を引いたのは、
「走行距離○○キロ」
という言葉と数字でした。エレベーターの点検に使われる一つの基準は、自動車と同じように、
「走行距離」
として表されるのだなあという驚きです。上がったり下がったりは「走行」距離なのかあ。しかもそれが、キッチリと記録されているのですね。確かに支えているロープの寿命には、どのくらい使っているかということが関係してきますよね。ただ、大体毎月のように来ている点検記録を見ると、ほぼ毎月一定の「走行距離」でした。
2006/4/4


◆ことばの話2538「量的緩和解除」

日本銀行は3月9日、5年ぶりに量的緩和政策の解除を決定しました。これを報じた3月10日の各紙朝刊(大阪版)には、
「日銀、量的緩和解除」
の文字が載っていました。
この「量的緩和の解除」という表現に違和感を覚えました。
というのは「解除」という言葉は、これまで何か制限していたもの、禁止していたものを解き放つというイメージがあるのですが、今回の場合は、既にジャブジャブと市場にお金を流してデフレ対策を取っていた(量的緩和していた)のですよね。でも景気がよくなってきたので、その政策をやめにして、ジャブジャブ流していた金の引き締めを図るということでしょ。ならば「解除」するのではなく、
「引き締めを図った」
とした方がよいのではないかと思ったのです。
『新明解国語辞典』で「解除」を引くと、
「解除」=禁止や制限などの処置や契約関係を取りやめて自由な行動を許す(もとの状態に戻す)こと。
とありました。
3月9日、日銀の福井総裁は会見で、
「量的緩和の枠組みを解除」
と言っていました。この場合だと「枠組みを解除」ということで、表現上の違和感はありません。もしくは、
「量的緩和政策の解除」
ならばそれほど違和感はありません。こういった表現の「省略形」として、
「量的緩和の解除」
と言っていたのかもしれませんが、それだと頭では納得できるものの、やっぱり違和感があるんですよねえ・・・。
でも、この「量的緩和政策の解除」という政策の執行から3週間で、日経平均株価はグングン上昇し、3月30日には1万7000円台を久々に回復しました。
2006/3/31


◆ことばの話2537「ポジティブリスト制」

3月1日の読売新聞に、
「ポジティブリスト制」
という言葉とその内容についての記事が載っていました。この言葉は初めて目にしたので、記事をよく読んで見ると、
「これまで(現行)は、『使ってはいけないものを定めたネガティブリスト制』で、食品衛生法で農薬250種、動物用医薬品33種などについて、残留基準が設けられており、数値が越えた場合、食品は販売などができない。5月29日からは使っても良い農薬とその残留基準を定めた『ポジティブリスト制』が始まる。」
とのこと。なるほど、法律の規制の仕方が違うのですね。
最低限の禁止(使ってはダメな)農薬などを記した現行の法律の方が規制としては緩く、5月29日から始まる、使ってもよい農薬だけを記した新しい法律の方が、規制としては厳しくなるのですね。「使ってはダメ」な農薬を記すと「ネガティブ(否定)」、使ってもよい農薬を記すから「ポジティブ(肯定)」というふうに制度の名前(区分)が異なるのですね。
私は「ポジティブ」という言葉は、何か「積極性」を、「ネガティブ」という言葉からは「消極性」を感じ取っていたので、ここに記された内容にはちょっと違和感を覚えたのですが、意味をよく考えれば納得できました。
「ポジティブリスト」「ネガティブリスト」という言葉は今後、農薬だけでなくもっと普遍的に使用されるようになるかもしれません。
「違反の有無を注視するだけでなく、生産・流通の実態をもっと学び、考える時期が来ている」
と記事は結んでいました。
2006/3/31


◆ことばの話2536「女性自身と男性自身」

隠語、俗語の世界の話ですが、「女性自身」「男性自身」は、それぞれ「女性器」「男性器」を指す言葉です。そもそも週刊誌の『女性自身』がありきだと思っていたのですが、「男性自身」と「女性自身」ではどちらが先に生まれた言葉なのだろうか?と以前から疑問に思っていました。
先日『週刊誌風雲録』という本を読んでいたら、そのあたりのことが載っていました。
週刊誌『女性自身』は、1958年(昭和33年)12月1日に創刊号(12月12日号)が出たとのことです。これに対して、『週刊新潮』に連載された山口 瞳のコラム「男性自身」は、1963年12月2日号から31年間、1995年8月31日号まで、1614回続いたそうです。
やはり「女性自身」の方が先だったのですね。そのパロディ的に、山口 瞳氏がコラムのタイトルに採用したということは、その時点(1963年)には既に「女性自身」が定着していたからだと考えられます。
隠語・俗語における「性器の婉曲表現」としての使用は、さらにそういった雑誌のタイトル、コラムのタイトルが定着したあとだと思われますから、意外と新しいことなのかもしれません。
こういった言葉の履歴は、なかなか普通の辞書には載っていませんからねえ・・・ご存知の方、ご一報ください。
2006/3/31