◆ことばの話2470「観客は総立ちです!」

トリノ冬季オリンピックがいよいよ近づいてきましたね。普段、ウインター・スポーツをしない人でも「見る楽しみ」としてワクワクします。
冬季オリンピックと言うと、私が思い出すのは、1984年に当時のユーゴスラビアのサラエボで行なわれた冬季オリンピックの開会式なんです。
ちょうど、読売テレビに入社が決まって大学卒業まであと1か月あまり。”アナウンサーの卵”として、オリンピックというビッグ・イベントの実況アナは、一体どのようにしゃべるのか、注目していたんですね。その時のNHKの中継の開会式の実況は、西田善夫アナウンサーでした。太い黒縁のメガネが印象的な、背の高いベテラン・アナウンサーです。その西田アナが、入場してくる各国選手の紹介をしていたのです。そして、ついに地元のユーゴスラビアが入場してきたときの実況が忘れられません。
「さあ、いよいよ地元・ユーゴスラビアの選手団が入場して参りました。もう観客は総立ちです!!」
とあの西田アナが、かなり興奮気味に、そうコメントしました。その後、数秒でしょうか、間が空きました。そして、かなり冷静な声で西田さんはこう続けたのです。
「もっとも、観客席の半分は立見席です。」
なんて冷静な!そして先ほどの興奮との落差の大きさ!こういうケースに出会うと、人は笑ってしまいます。本当に期せずして出現した「笑い」は、深く深く私の脳裏に刻み込まれたのでした。ユーモアですよね、意図していなかったんでしょうけど。というより、興奮して「観客は総立ちです」と口を突いて出てしまったものの、
「ちょっと待てよ、別に歓迎で立ち上がったのではなく、最初から立っていた人も半分ぐらいはいるんだ。それまで含めて『総立ち』という表現をしても良いのだろうか・・・いや、やっぱりここは正直に現状を伝えるのが、アナウンサーとしての視聴者の皆さんに対する責務だ!」
というふうな葛藤が、西田アナの胸に去来したのでしょう。そしてそれを伝える口調はさりげなさを装って、何事もなかったかのように、
「もっとも、観客席の半分は立見席です」
と、少し小声で言ったのではないか?西田さんの人柄がにじみ出るようなこのコメントに、私は爆笑しつつも感激したのでした。
その、西田さんを生でお見かけしたことがあります。私が入社して数年後、梅田の地下街で私が宝くじを買おうかどうしようかと立ち止まっていた時に、後ろから私の肩にドンと当たって前に行った大きな男の人がいたのですが、それが西田さんでした。宝くじ、買ってらっしゃいました。当時は大阪局にいらっしゃったんだと思います。
冬季オリンピックの思い出でした。
2006/2/3

(追記)

第14回サラエボ・オリンピックの開会式は、調べてみましたら、日本時間の1984年2月8日(水)午後10時15分から105分間(つまり1時間45分、2月9日午前0時まで)放送され、関東地区の視聴率は17、2%(ビデオリサーチ)だったそうです。
2006/2/3


◆ことばの話2469「集団強姦」

1月26日、京都大学アメリカンフットボール部の元部員の4年生3人が「集団強姦」の疑いで逮捕されました。この、
「集団強姦」
という罪は、2003年に起きたイベント集団「スーパーフリー」による強姦事件を教訓に刑法を改正して新設され、2005年1月に施行された罪で、

(集団強姦等)
第178条の2 2人以上の者が現場において共同して第177条又は前条第2項の罪を犯したときは、4年以上の有期懲役に処する。

というものです。第177条と言うのは「強姦罪」で、第178条というのは「準強姦罪」です。

(強 姦)
第177条 暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、3年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。

(準強制わいせつ及び準強姦)
第178条 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第176条の例による。
2 女子の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、姦淫した者は、前条の例による。

このニュースを、1月27日の新聞各紙朝刊はどう伝えたか。もう少し具体的に言うと「集団強姦(罪)」「強姦」という表現を使ったかどうかなどを見てみました。

<読売>
(見出し)「2女子大生酔わせ集団暴行容疑」
(本 文)「集団で暴行を加えたとして」「集団強姦容疑で逮捕した」
<朝日>
(見出し)「集団強姦容疑で逮捕」
(本 文)「集団で性的暴行をしたとして」「集団強姦容疑で逮捕した」
<毎日>
(見出し)「集団強姦 京大生逮捕」
(本 文)「集団で性的暴行を加えたとして」「集団で性的暴行した疑い」
<産経>
(見出し)「集団強姦容疑で逮捕」
(本 文)「集団で性的暴行を加えたとして」「集団強姦の疑いで」
<日経>
(見出し)「京大生が女性集団暴行」
(本 文)「女子学生を泥酔させ集団暴行したとして」「集団強姦容疑で逮捕した」

ということで、罪(容疑)の名前は「集団強姦罪」「集団強姦の疑い」と各紙伝えていますが、見出しや本文でその罪の内容に触れた部分については、「集団暴行」「集団で暴行」(読売、日経)、「集団で性的暴行」(朝日、毎日、産経)となっていました。

放送各社はどういう表現をしていたか、1月27日のお昼のニュースでチェックしたところ、以下のとおりでした。

<YTV>
(リード)「性的暴行を加えた」
(本 文)「集団強姦の疑いで」
<NHK>
(リード)「女性に対して集団で暴行したとされる事件」
(本 文)「酒に酔わせて暴行した集団暴行の疑い」
<MBS>
(リード)「女性に集団暴行したとされる」
(本 文)「集団で暴行したとして逮捕されました」「暴行した疑いがある」
(字 幕)「集団暴行事件」
<ABC>
(リード)「集団暴行事件で」
(本 文)「集団強姦の疑いで」「性的な暴行をしたとされている」「性行為をしたこともある」
<KTV>
(リード)「女性への集団暴行の疑いで」
(本 文)(な し)

ということで、容疑の名前としても「集団強姦」を使ったのは読売テレビと朝日放送だけでした。(私のチェックでは。)
その後、各社にもメールで聞いてみたところ、

(毎日放送)
『「集団強姦罪」はそのまま使っています。本記、最後部分で「去年施行されました」という説明部分で使用。罪名以外では使用せず。代わりの表現は「集団で暴行した疑い」「集団で乱暴した疑い」など。罪名以外で使用しない理由は、家族が団欒中のお茶の間などに突如、音声として耳に飛び込んでくる「強姦」は、やや生生しいという判断から。罪名については、法律の文言として存在する以上、そのまま放送しました』
『「強姦」という表現を罪名以外には使わなかったのは、おそらく、被害者感情
を考慮したのだと思います。2000年に出された社内の用語マニュアルでは、
「凶暴性を隠す恐れがあるので『乱暴』は使わない」「『婦女暴行』を使うよう」に書かれているのですが、「婦女」がひっかかるのか、最近は「婦女暴行」も使わなくなりました。個人的には、乱暴や暴行だけでは性犯罪であることが伝わりにくいのではと思います。』


(テレビ朝日)
『ABCからの中継での第1報ニュース原稿での結果、以下のとおり。現在、進展とあわせて表現をどうするか検討する可能性もあります。
罪名についてはリードでのみ1回だけ「集団強姦事件」という名称を使った。本記では「集団強姦の疑い」と1回だけ使用(ABC発)、以後「性的な暴力」、「性行為」を使用。
「強姦」を使わなかった場合の理由は、直接的表現を必要最小限に抑えるため。』


(朝日放送)
『「集団強姦罪」という罪名をそのまま使った。容疑名の場合は、法律に記されているということで、原則「強姦」という言葉も使います。しかし「調べによりますと・・・・・・・」以下の経緯説明の際は、「強姦」は使いません。代替表現は「乱暴」を採用しています。「強姦」を使わない理由は、被害者、さらに女性全般に対する配慮でしょうか。確かに被害女性が“世間”から白い目で見られる現実はまだあり、表現上一定の配慮は必要だと思います。しかし、社会が『強姦は女性の人格を踏みにじる重罪である』という認識を共有しつつある今、我々もそのスタンスに立って(表現も含めて)報道すべきだろうと(私見ですが・・・・・・)思います。


(フジテレビ)
『FNNの用語統一では、
「性犯罪」=「暴行」または「乱暴」と表現する。裁判などで罪名として使う場合には、「婦女暴行」
としています。リード、本文及びスーパーともに「強姦」は使用していません。
理由は、被害者の感情に対する配慮や言葉の生々しさから言い換えています。
しかし、「集団強姦罪」新設や罰則の強化等の刑法改正により、今迄の表現でいいのか、検討すべきだと思っています。「援助交際」を「売春」としているように、「婦女暴行」を軽微なイメージで囚われないようにも考える必要はあると思います。


(関西テレビ)
『これまでの慣例に従って、被害にあった女性の精神的苦痛に配慮し、刑法上は強姦罪でも、罪名も含めて「集団婦女暴行罪」・「暴行」(乱暴)に言い換えた。』


(共同通信)
『見出しは「集団強姦で京大生3人逮捕」、原稿リード部分に「集団強姦容疑で3人を逮捕した」、原稿末尾に「集団強姦罪は早稲田大生らによる女子大生集団暴行事件を受けて改正刑法に盛り込まれ…」と表現。本記、サイド記事などの中で「酒に酔わせ乱暴することを計画…」「集団で乱暴したとして…」「泥酔させ、乱暴した疑い」「集団強姦(ごうかん)容疑で京都府警に逮捕された事件を受け…」「元部員三人が集団強姦(ごうかん)容疑で逮捕された京大は…」と。また語句説明で「集団強姦(ごうかん)罪」も出稿。
共同通信の『記者ハンドブック最新版』では
「被害者が特定される恐れがない場合に限り罪名・容疑名は強姦を使ってもいい」
となっているが、一般的な表現では「女性暴行」「性的暴行」「乱暴」などと言い換える。』

と、それぞれメールを寄せていただいた方の「私見」も含めての「現状」を教えていただきました。毎日放送さんは、容疑名(罪名)で「集団強姦」を使った、ということでしたが、1月27日のお昼のニュースでの私のチェックでは使っていなかったように思いましたが、聞き逃した(見逃した)のかもしれません。


読売テレビでは、その後「集団強姦(容疑)」という言葉を使うかどうかについて協議した結果、1月27日に次のように決まりました。
(1)罪名としての「集団強姦」は使用可とする。
(2)行為そのものを指す場合は「集団強姦」は使わない。
つまり、具体例を挙げますと、
「集団強姦の疑いで逮捕されました」
「集団強姦罪で起訴されました」
というような表現はOKとするものの、
「集団で強姦しました」
「女子大生に集団強姦したものです」
のような表現は取らないということです。言い換えとしては、
「集団で性的な暴行を行なった」
などが考えられます。なお、事件名として「集団強姦事件」と表現することはOKです。

ということになりました。
「強姦」という言葉のメディアでの使用状況については、「平成ことば事情384強姦」「平成ことば事情1938準強姦」をお読みください。
2006/1/30


◆ことばの話2468「あまゴート」

先日、駅からの帰り道に通った商店街の中で、おそらく50代後半から60代ぐらいと思われる声のおばさんたちの会話が聞こえました。その中の一つの言葉が、左の耳から飛び込んできました。それは、
「あまゴート」
という言葉です。漢字も使うと、おそらく、
「雨ゴート」
となるのでしょう。
「あめコート」
なら何の不思議も感じないのですが、「あめ(雨)」が「あま」となった上に、続く「コート」が連濁して、
「ゴート」
となったこと対して、左の耳が反応したのでした。これは普通、
「レインコート」
と言いますね、現在は。果たして「あまゴート」なる言葉は存在するのでしょうか?おばちゃんが作った言葉なのでしょうか?方言でしょうか?
ネットで検索すると、なんと『大辞林』に載っていたのです!
「あまゴート」=雨の時に着る和服用のコート。多く繻子(しゅす)地を用い、対丈(ついたけ)に仕立てる。
同じくネットの『大辞泉』にも、
「あまゴート」=雨天のときに着る和服用のコート。
と載っていました。和服用のコートなのか!知らなかった・・・。『日本国語大辞典』にも、
「あまゴート(雨ゴート)」=(コートは英coat)雨のとき着用する和服用のコート。
(用例)『大道無門』(1926)<里見 ク>隣人・三、「三千子は、護謨引(ごむびき)の、薄い羽二重の雨(アマ)ゴートを着て」
と用例も載っていました。
GOOGLE検索(2月1日)では
「あまゴート」=18件
しかありませんでしたが、「あま」を漢字に変えると、
「雨ゴート」=965件
と急激に増えました。
確かに「雨合羽」も「雨ガッパ」と「カッパ」の「カ」が濁って「ガ」になりますから、「コート」の「コ」が濁っても不思議はないのですがね。ちなみに
「雨合羽」= 17万件
「雨ガッパ」= 3万6100件
「雨がっぱ」= 1万3000件
でした。やはり「雨ガッパ」の連濁の方が、「雨ゴート」よりも一般的と言えそうですね。
「雨(あま)ゴート」、覚えておきます。
2006/2/1
(追記)

早稲田大学の飯間浩明さんからメールをいただきました。

『「雨ゴート」ですが、向田邦子も使っています。
<蛇の目をさし、◆雨ゴートに中歯{ちゅうば}という格好でたみがお使いに出ていった。>(向田邦子『あ・うん』〔1980-1981年発表〕文春文庫2003.08.10 新装版第1刷p.85)なお、辞書によれば「半コート」を「半ゴート」ともいうようです(三省堂国語辞典「半コート」の項目)』

そうですか、向田邦子さんも『あ、うん』の中で使っていましたか。いよいよもって、なんだか趣のある言葉ですねえ。昔に読みましたが、気づかなかったのか、忘れてしまっていたのか・・・「半ゴート」もあるんですか。
Google検索では(2月6日)、
「半ゴート」=9件(そのうち2件は「半ゴート」と関係なかったので、実質7件)
でした。その中に、また出てきました、林芙美子!また、というのは、以前、「平成ことば事情969 綿あめと綿菓子」について調べた時に出てきたのが「向田邦子と林芙美子」で、二人は鹿児島の同じ小学校に(時代はずれていますが)通っていたことがあるということがわかったことがあったからです。向田が出れば、林もなぜか引っかかってくる、ということなんです。
『瑪瑙盤』という1933年の作品のようです。
「私、今朝から御飯食べてないのよ‥‥
寒子がまだ半ゴートも脱がない先に、ミツシヱルは、小さい寒子の肩に手を置いてかう云つた。』
昭和のヒトケタの頃には使われていたのでしょうかね。母(昭和10年生まれ)に聞いてみたところ、
「『あまゴート』は言う。『半ゴート』は言わない。『半コート』と言う。」
とのことでした。「あまゴート」が先にあってその後「半ゴート」も出てきたのか、それとも「半ゴート」が先にあってその後「あまゴート」となったのか。うーん、「あまゴート」が先のような気がするな、なんとなく。
2006/2/6
(追記2)

飯間さんご指摘の『あ・うん』の文春文庫、私も学生時代に買って読みました。家の本棚で探したら、ありました、ありました。文春文庫の1983.4.25・第一刷でした。飯間さんのは、文春文庫2003.08.10 新装版・第1刷だったので85ページでしたが、私の分では82ページ、「青りんご」という作品でした。この中では「雨ゴート」とは別に、
「地下足袋や雨合羽、水筒などが散らかっている。」(70ページ)
と、「雨合羽」も出てきますので、「雨ゴート」と「雨合羽」は別物だったと分かります。
また、22ページの「狛犬」という作品の中には、
「汽車弁」
というのが出てきます。「駅弁」のことを、昔はそう言ったのでしょうか?Google検索(2月9日)では、
「汽車弁」=153件
でしたが、驚いたことに、復刻版なのでしょうか、現在も「汽車弁」は販売されているようです。JR東日本の東京駅のキオスクで売っているもので、容器と言うか包装に、蒸気機関車の絵(D―51)が描かれているものです。600円。2003年5月発売だそうです。
また「駅弁は当初は汽車弁当、略して汽車弁と言っていた。明治から大正に育った人は、今でも駅弁を汽車弁と呼ぶ」と書いてあるサイトもありました。
そう言えば、空港で売っている弁当を「空弁(そらべん)」(平成ことば事情1614「空弁」参照)と呼んで、ちょっとしたブームになりましたが、外で食べる「お弁当」って、なんとなくワクワクするものですね。
あれ?「雨ゴート」の話がいつの間にか「弁当」の話になっちゃった。
2006/2/9


◆ことばの話2467「勝組、負組」

社会の二極化によって、
「勝ち組と負け組み」
と呼ばれる人たちが現れている、というのはもう聞き慣れた話ですが、今日の日経新聞を読んでいて、その昔遠くブラジルの日本人社会でも、
「勝組」「負組」
というのがあったことを知りました。「勝組」というのは、
「太平洋戦争後も『日本が勝った』と信じていた人たち」
のことだそうで、「負組」は当然、「日本が負けた」と信じた人たちです。これは、新年から連載している、おなじみの「私の履歴書」で、作家・北 杜夫さんが書いています(1月27、28日)。
北 杜夫さんがこの「勝組、負組」のことを知ったのは、ハワイの移民一世の人たちに取材した時のことだそうです。それによると、ブラジルでは日本の情報が途絶えてしまったために、正しい情報が入らなくなり、
「もし日本が負けたと思うと、祖国とともにこの自分も消滅してしまうだろうという思いが知らず知らずの間にかもし出されていた」
こともあってか、敗戦後も「勝ち組」が残ってしまったようです。
そして日本人同士が「勝組」と「負組」に分かれて対立し、「負組」の人が「勝組」の人の理髪店に行っても口をきいてもらえなかったり、「負組」の人には品物を売らない「勝組」の店もあったとのこと。もっとひどい例では、「勝組」は、「負組」のカイコ棚やハッカ畠を焼打ちしたりすることもあったそうです。
「勝組」が減らない理由には、「『勝組』を利用して金を稼ごうとする一部の人間が現れた」ということもあったようです。その人間は、もちろん日本が負けたことを知った上で、「勝組」の人たちを利用して儲けたのですね。たとえば、戦勝を告げる『ブラジル移民に対する天皇陛下のお言葉』なる紙を印刷して売りつける者や、「ブラジルの金はどんどん価値が下がるから、今のうちに日本の札に換えておいた方がよい」と、日本円を高額なレートで売りつけた者までいたそうです。しまいには、「勝組」が「負組」のリーダーを暗殺する事件まで起こったとのことです。
ところで、1月30日の読売新聞朝刊によりますと、ライブドア事件に関する読売新聞の緊急全国世論調査(有効回答1051人、回答率58、5%。1月27日から29日に実施)によりますと、市場経済優先の「小泉改革」によって日本社会が「勝ち組」に象徴されるような格差社会になりつつあるとの指摘について、「そう思う」人は74%で、「そうは思わない」計19%を大きく上回った、と伝えています。きっとこの「そうは思わない」と答えた、19%の人たちが、いわゆる「勝ち組」なんでしょうね。
2月1日の参議院予算質疑で、格差社会になってきていることの認識について問われた小泉総理は、
「格差は悪くない。」「今までが悪平等だった。」
と一見、そうかなと思われる答えをしていましたが、やはり何かおかしい。自由競争と言いながら、そのスタートラインにも立てないのでは、公平な競争と言えないのではないでしょうか。そのあたりがハッキリしないような気がします。小泉総理は間違いなく「19%」の「そうは思わない」側の人でしょう。
1月30日、大阪市は、うつぼ公園と大阪城公園に住んでいるホームレスの人たちのテントの強制撤去に乗り出しました。世論の主流は、
「勝手に住み込んで、みんなの公園を占拠している人たちには、出て行ってもらいたい」
ということのようですし、もちろんそれには一理も二理もあるわけですが、もっと広い視野で根本の問題を考える必要があるのも事実だと思います。
現代の「勝ち組」が、ブラジルにおける「勝組」のようなことを引き起こさないように願わずにおれません。また「負け組」が「勝組」のようなことを起こさないことも願います。
2006/2/2


◆ことばの話2466「放鳥」

兵庫県豊岡市のコウノトリの郷(さと)公園で、去年(2005年)の9月24日に、
「自然放鳥(ほうちょう)」
が行なわれました。これは人工飼育したコウノトリを自然に帰して野生化し、その後自然の中で繁殖してもらおうという計画です。この計画の名前の、
「自然放鳥(ほうちょう)」
ですが、書き言葉的な
「放鳥」
というのが「ほうちょう」に・・・いやいや「ほうそう(放送)」に似つかわしいのか?耳で聞いてわかりにくいのではないか?という問題を、9月に伊豆で行なわれた用語懇談会の席で、MBSのMさんとFさんから提示されました。「包丁」と勘違いするかもしれないし。
そこで、読売テレビの「ニューススクランブル」ではどう伝えたか?会社に帰ってから、坂キャスターに聞いてみたところ、
「『野生に返す』と言い換えたが、計画の名前そのものは『放鳥計画』なので、やむを得ず『ほうちょう計画』と読んだ」
とのことでした。
その後、2006年1月25日の読売新聞夕刊には、
「コウノトリ巣作り」
という見出しで、カラーの大きな写真が一面に載っていました。その中での記事の文章は、
「兵庫県豊岡市で放たれた国の特別天然記念物・コウノトリ」
というふうに、
「放たれた」
を使っていて、「放鳥」という言葉は使っていませんでした。
先日、2日間で450キロメートルを移動して、豊岡市からなんと大阪市内まで飛んで、また豊岡に帰ってきたことが、体に付けた発信機の記録でわかったと、ニュースで伝えていました。コウノトリの「野生化」は順調に進んでいるようですね。
2006/1/27
(追記)

今朝(2月3日)の毎日新聞に
『「野生の心」全国に運べ』
『放鳥コウノトリ4日間350キロの大冒険』
『高い能力証明』
『環境保護の「広告塔」』
という見出しが。昨年秋、「放鳥された」コウノトリ5羽のうちの雄1羽(5歳)が、先月(1月)20〜23日、飛行場所は2府2県にまたがり、距離は約350キロ(推定)だと書いてありました。すごいですね。
2006/2/3
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